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2007年12月27日木曜日

大学闘争時代を読む~その一~

 前回の投稿から三日もあきましたが、決してサボっていたにあらず……バイオ4をちょっと、というのもありますが、今回から書く内容の構想も練っていました……本当だよ。
 というわけで早速今回のお題、「大学闘争時代を読む」ですが、恐らく書く内容は膨大になるので、数回に分けられると思いますが。それでまず、今回は大学闘争の時代についてです。

 以前に、といっても結構前で、確かオリンピックのあった年だから2004年のことだと思います。友人が自分が貸した雑誌を持ってきて、ある記事を引用しました。その記事の内容というのは、誰かは忘れたけど、ある評論家が当時のオリンピックにおいて谷亮子選手が金メダルを取った際にガッツポーズをとったのに比べて、柔道の井上康生選手は負けた際に、「日本の皆様、申し訳ございませんでした」と言った事実を元にして、前者はオリンピックでの競技を競技者個人のものと考えているのに対し、後者は日本の代表という意識で、それはそのまま今の日本人と昔の日本人の意識に当てはまり、昔のオリンピック選手は日本という国の威信をかけてオリンピックに行っていた。私(評論家)はやはり井上康生の方が好きだ、という内容でした。

 友人が言うには、当時私と彼の上司が、こういうのもなんですが非常に嫌な奴で、めちゃくちゃな指示や行動をして周りを引っ掻き回していたのですが、友人は先ほどの記事を読んで、その上司は昔の考え方をしていると考えたら、その行動原理がやっとわかったと言うのです。まぁ単純に言って、その上司は考え方が古い、集団を強く意識しているというわけです。

 それが事実かどうかはわかりません。まぁ言われてみて私もなるほどと思ったのですが、最近、もしかしてこれもそういった部類なのかと考えている対象が出てきました。いわゆる大学闘争時代の各派の争いや行動原理です。

 最初に言っておくと、私はこの時代の本をいくら読んだところで何も理解できないのです。それこそ民青やら共青、ブントなど、社会主義を標榜する学生のグループは当時たくさんありましたが、何故もって連中が互いに角棒で殴り合わなきゃいけないのか、赤軍派のリンチ殺人などがあったのか、全く以ってその行動原理がわからないのです。単純に自分がバカなだけだと考えてもいいのですが、バカにもバカなりに理解したい気持ちもあるので、今回こうしてまとめています。

 主な疑問点は三つ。最初に挙がってくるのはその攻撃性。あさま山荘などのリンチ殺人はもとより、火炎瓶を放り投げたり角棒で殴るなど、現在の感覚からすると異様な暴力性で、何故以ってそんな痛みの伴う活動に当時の学生は参加したのか。私なんか、こんなのゴメンです。しかもその暴力の矛先が本来なら彼らと意見が真っ向から対立する自民党シンパなどには向かわず(成田闘争は例外ですが)、同じ左翼系の組織同士でやりあっていたというのがわかりません。
 次にその主張。言っては何ですが、そのどれもがもともとの共産主義的思想からかけ離れているような気がします。そもそもソ連に範を取るというのも間違っていましたし、具体的に経済体制をどうしたいのかが彼らの主張から全く読めません。
 そして主張に関してもう一つ。当時の大学闘争時代は各学生寮が強い力を持っていたとさまざまな場所で言われていますが、現在ある大学の学生寮のホームページを見ると、その学生寮の歴史というコーナーで、「大学との交渉の結果、電気ガスなどの公共料金の負担を大学側に負わせることに成功した」と、さも誇らしげに書いてあるのが不思議でした。そんなの言ったら、いざというときに大学側が寮のライフラインを止められるという不利な状況とも取れる上に、独立自主を掲げているにも関わらず、それら料金すら払わないというのは何かが違うような気がしました。

 といったように、全くわけわからない行動原理ばかりです。最近になって、こうじゃないかという逃げ道みたいな考え方が思いついたので、続きは次回にて。

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