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2008年2月17日日曜日

リーダーの条件

 この時期ともなると、都会に行けば就職活動中の学生がちらほら見えますが、よく企業がこうした学生相手の募集広告には、「リーダーシップのある人材を求む」などと書いてありますが、そもそもリーダーシップとはなんなのでしょうか。そのまま言うならば、リーダーとして率なく集団を率いられる能力の事を指すと思いますが、そんなの言ったら集団の種類ごとに違うのではないかと、社会学の一学士として疑問に思います。

 たとえば、これなんか社会学の初歩でやる内容ですが、逸脱論の中で刑務所内の格付けというものがあります。一般に前科というものは娑婆の世界では目を背けられるものですが、刑務所内では逆に、その前科がどれだけ大きいかで格付けが決まるといいます。たとえば、窃盗で捕まった人間よりも、強盗を働いた人間の方が牢名主になるというような、不思議な事に割と世界中でこれは共通しているらしいです。
 また企業の社長や会長でも、ベンチャー企業などではとかく企業家自身の行動力が重要となってきますが、複合企業などではグループ内の連帯を保つため、権力や調整力が必要になってきます。それを一まとめにリーダーシップと言っても、やはり認知の齟齬が生まれるのではないかと思います。そこで今日は広く使えるような、一般的なリーダーの条件について書きます。

 まず、どういった能力が求められるかです。リーダーというと普通の概念では決断を下すような人物として捉えられがちですが、それは独裁体制やライン&スタッフ型に強く当てはめられた組織のみだと思います。もしその集団がある程度機能分担が行えていたというのならば、トップがわざわざ決断を下さなくとも専門の担当部署で決断が行えるはずでしょう。実際に、アメリカの企業では現在、下位の部署に権限委譲がよく行われていると聞きます。また、非常に決断力が高い人間がトップの横にいるのならば、そいつに任せればいいだけの話だし。

 では、単純に行動力や遂行能力は必要でしょうか。これも私は疑問です。行動力が必要とされる先ほどのベンチャー企業などならともかく、いくらトップとはいえ、組織が個人の能力で作業効率が変動するようでは機能分担が行われていないも同然で、それではたいした組織とは言えないでしょう。昔の人も、「たった一機のオーラバトラーで戦況を変えられるとつけあがるな」と格言を残しています。確かにあるに越した事はないのですが、必ずしも必要とは言えないと思います。同様に、遂行能力もありすぎては困りものです。遂行能力がやけに高いトップがいる組織でそれこそ突然トップが変更する事態になれば、途端に機能不全に陥りやすくなります。官僚制を多少勉強すればわかりますが、組織は構成員の代替が行えなくては一人前とは言えないでしょう。

 じゃあリーダーシップとは何ぞやですが、私が一番必要とされるリーダーの能力はやはり「夢を見させる能力」だと思います。これは確か、経営家でもあり社会学者でもあったドラッカーが述べた内容ですが、企業などの組織のトップは、如何に組織の構成員の意識を、組織の行動目的に近づけさせるかに心血を注ぐべきだと言っています。例を出すと、企業内で労働者に対し社長が、「私がいい暮らしができるように、みんな頑張ってくれ」と、言うのより、「会社の業績をみんなであげれば、みんなの給料も上がるから頑張ろう」といった方が効果があるようなことを指します。要するに、組織の行動目的と構成員の行動動機を合致させるように理由付けを行うということです。

 ある意味で、日本の天皇制などはこれに当ると思います。天皇という象徴を守る事が国を、ひいては自らの家族を守る事になると戦前で教育した結果、日本軍は果てしない逆境にも関わらず強い士気を保ったといいます。このように、組織のトップは自らが象徴となったり、構成員のやる気を引き出す事が唯一に求めれる仕事だと、ドラッカーは主張しました。このドラッカーの意見に私も同意します。組織のトップ自身が有能であるに越した事はないのですが、やはり一番に求められる能力はシンボリックで、構成員の結束を強めさせる能力だと思います。言ってしまえば、遂行能力やら決断力はトップになくとも組織は何とか回ると思いますが、これだけはトップでしか執り行えなとと考えています。
 最近の日本では前のトヨタ会長の奥田碩氏がこれを非常に重視していたような気がします。彼なんか社長時代の口癖が、「大企業病になるな」、「国内シェア一位に甘んじるな」などと、社員に対して非常に危機感を煽っていました。大抵、大組織の綻びは慢心から起こるので、トヨタという企業に対してこれらの激は効果的だったと私は思います。

 なんか話が途中から組織論になったし、次は構成員に求められる能力でもやろうかな。

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