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2008年2月27日水曜日

受益者負担という言葉について

 どうもこのところは中国の餃子報道やら自衛隊のイージス間衝突事件などで会期中の国会議論に関するニュースが減っていますが、言うまでもなく今国会の最大のテーマは道路特定財源です。
 もっともこの議論は国会だけでなく各討論番組から宮崎県の東国原知事などがあれこれアピールしており、決して議論不足というわけではないのですがその議論の最中に必ず出てくる今日のお題の「受益者負担」という言葉についてほとんど誰も突っ込まないので、差し出がましいのですがまた今日も私が突っ込んでおきます。

 この受益者負担という言葉は単純に言うと、税金を払っている人間がその集められた税金の使途対象となるべきという税金の使い道に対する一つの考え方です。たとえば現在の穴だらけの年金制度は厚生年金と国民年金で集められた税金に他の税金を加えることで支出を賄っております。このように支出する目的ごとに税金を集めて使用する、税金を払った人に税金の支出として返すというのが基本的な題目です。この方針だと集められる税金の使途があらかじめ定められているので、あまりむやみやたらな使われ方、言い換えるなら無駄遣いはされないだろうとされています。
 しかし、のっけからですがこの説明には明らかな不備があります。というのも税金というのは本来みんなでお金を出し合い、優先順位の高い方面にお金を使うという目的が大前提のはずです。ところがこの受益者負担の考え方では使われ方が固定されるために、この優先順位、たとえば目下の所年金制度も相当火を噴いてはいますが、普通に考えるならより重要度の高い教育や医療分野といった方面には集められた年金が使われないどころか、「わたしの仕事館」みたいな変な方面に使われている始末です。

 これがガソリン税から自動車重量税などで集められる道路特定財源の場合、自動車に乗る人間が払う税金ということなのでその使途も自動車に乗る人間に還元されるような使われ方にしなければならないと自民党議員に主張されてます。ですがこれは東大名誉教授の宇沢弘文氏も述べていますが、自動車は人をはねたり排気ガスで環境を汚染したり、便利さの一方で多方面に社会的コストを与える存在なのですが、この道路特定財源はそうした社会的コストの被害者に対しては一切使われていないようなのです。言い換えると、道路の近隣住民は一方的にコストを支払うだけで受益者となれません。
 また報道もされているようにこの道路特定財源はマッサージチェアなど関係のない支出にも使われており、受益者負担とはかけ離れた使われ方もしており、未だにこの聖域を守ろうとする族議員が刺されないのか私自身は不思議でしょうがないです。

 ここでとどめの一発というのもなんですが、そもそも受益者負担で税金の運用をすべて決めようものならば、税金を多く払っている金持ち優遇の政策ばかりとられかねなくなってしまいます。昔の年貢ならともかく、税金というのはやはり弱きを助け強気をくじくという前提なくして成り立たないもので、そういう意味で受益者負担という考えはたとえ一部の税金に限ろうとも、民主国家においてはあってはならない原則だと思います。

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