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2008年9月7日日曜日

孤独に強くあれ日本人

 これも昨日の友人との会話に出てきた話ですが、

私「この前にブログに書いた『情報社会論』の記事は結構好評だった」
友「ああ、あの話ね。確かに花園君の言うとおりに社交的な人間なら故郷だろうが家族だろうが切り離されても平気だろうけど、みんながみんな人間的に強いわけじゃないしね」
私「そこなんだけど、前回の続きになるが私は以前から日本の人付き合いに関する教育に問題があると思う」
友「どんなところにさ?」
私「日本は集団性を重んじるあまりに、友人が少ない人間は人としての価値がないとばかりに、脅迫的に教え込むところがある気がするんだ」
友「花園君のこれまでの経験からなら、そう言えるだろうね」

 この友人は高校時代からの知り合いなので、割合に話が早いです。勘のいい人はここまででわかると思いますが、高校時代に私はかなり孤立していました。
 私が言いたい結論を先に言うと、日本は何が何でも友人を作れ、友人のいない人間は没価値だと日頃から信じ込み、逆に孤独に対して非常に弱い人間を作ってしまっていると私は考えています。

 恐らくこれは日本人ならまず間違いなく教え込まれているでしょうが、友達はたくさん作れ、なるべく一人でいるなと小学生の頃から教師や親に言い含められます。別にこれらの意見自体が間違っているわけではなく、確かに友人たちとの交流から人間は数多くのことを学んでいきます。ですが私が見る限り、この友人の必要性に対して日本の教育は極端に行き過ぎていて、何事も集団と同じ行動を取らねばいけない、枠からはみ出るなと半ば脅迫的に暗示させているような気がします。

 その結果が、友人のいない、少ない人間に対する印象です。多分こういった人間にどんな印象を持つかと言う調査を行ったら、八割以上の人間が「暗い」、「陰気」、「つまらない」というネガティブな印象にまとめられるでしょう。ちょっと違う見方をすると、友人は少ないけどその少ない友人を大事にする人間とか、一人でも落ち着いて行動のできる人間といった人間像であってもおかしくはないはずです。ですが実際にそういった数少ない友人を大事にする人間は間違いなく周りからは暗い奴と呼ばれてしまいます。

 この友人の必要性に対する教育が行き過ぎている一つの事例として、日本人にのみ起こるという「ランチタイム症候群」というのがあります。これは会社内で昼ごはんを一緒に食べる人間がいなく、寂しいために会社をやめてしまうというような人のことを指しますが、冷静に考えるならば本当にくだらない理由な気がします。ですが日本人の場合、誰かと一緒にいなければならないという強迫観念が強過ぎるために、孤独な環境(実際にはそれほど孤独でもないでしょうが)におかれると極端に不安が強くなり、ひどい場合などは自分で自分を貶めるようにもなって行きます。

 アメリカなどの場合、伝え聞くところでは逆に孤独に強い人間像を教育上重視するらしいです。その分他国の人間と比べて協調性のない人間ができてしまいますが、それはそれで、日本人にもそういった教育が少しは必要なんじゃないかとこのところ私は思っています。以前にも少し取り上げましたが近年、せっかく大学に入学しても友達ができない、環境に合わないといって大学を辞めていく若者が増えているそうですが、そういった若者が増えている背景に、孤独に対する訓練や教育が全くなされず、それどころか余計に弱くさせているのではないかと私は考えています。

 実際に私が大学生時代だった頃、友人の友人が朝から晩までサークルの部室に入り浸ってたらしく、常にサークルの仲間と一緒にいないと寂しいと言っていたそうです。なおそれを教えてくれたその高知出身の友人は逆に、常に人といて頭がおかしくならないのか、自分はむしろ一人の時間の方がほしいと言うような、田舎者の癖に孤独に強い奴でした。

 再び私の意見をまとめると、日本人は十分協調性が高いのだから、むしろバランスを取るくらいの勢いでもっと孤独に対して強くなるべきだと思います。それこそ一週間誰とも口を聞かなくても平気でいられるとか、孤立無援の敵の中でも平静を保っていられるというような理想の人間像を持つべきだと思います。よく日本人は独創性が足りない、これから育てねばならないといっている傍で、こういった人間像を持たないというのは致命的な気がします。

  おまけ
 私の場合は中高一貫の私立学校に通っており、周りの人間の考え方や行動が年を経るに連れて非常に限定的、閉鎖的になっていくのを見て、こんな人間らと関わるべきじゃないと考えて孤高を保ちました。そしたら別になんら接点を持たない人間らから影で暗いだのなんだの、一度も話したこともない人間らから悪し様に陰口を叩かれるのをみて、自分の判断は間違っていなかったと再確認しました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 さすがですね。花園さんの判断は僕も間違ってなかったと思います。僕は、基本一人でいることが多いです。しかし、最近ではいい友人を持ちたいと思い、積極的に話しかけるようにしています。それは、花園さんのブログの記事の「情報社会論」を見てから、人間は人といないと落ち着かない生き物だと思ったからです。今までは、コミュニケーションをとることは、すれ違いの連続でコミュニケーションなんて厳密に言えば存在しないんじゃないかと思っていたのですが、自分1人だけでは明らかに生きていけないと思い、この際だから大きくふれて、積極的にコミュニケーションをとってみようと思い、今ではよく友人に話しかけるようにしています。

花園祐 さんのコメント...

 私もいろいろ偉そうなことを散々書いてはいますが、実は結構寂しがり屋で必ずしもここで言っている通りというわけじゃないですけどね。

 私から見てサカタさんとお兄さんは非常に家族の紐帯が強いため、他の人より芯が強くて孤独にも強いような気がします。だからといって一人でいろとは言わず、頑張って探せば中には非常に自分の可能性を広げてくれる人間もいるので、いい機会なので交友活動を広げてみてください。何も一生交友活動を続けなくてはいけないわけでもなく、気が合う人間を見つけたらそこでやめてもいいわけですし、気が合わない人間と会っちゃったら、その後素知らぬふりをしてればいいわけですし。

 私の場合、大学時代では非常に友人を厳選して、これと思った人間に徹底的に英才教育を施して自分好みの話し相手に育て上げていきました。特にサカタさんのお兄さんに会えたのは、それまで真面目に生きていた自分への神様のご褒美と思えるくらいに幸運でしたよ。