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2008年12月25日木曜日

失われた十年とは~その十四、フェミニズム~

 さていよいよ中盤の山場というか、書いてて敵ばかり作りそうなフェミニズムの項目です。結論から言うと、私は失われた十年に当たる90年代こそ日本で最もフェミニズムが強く、また暴走した時代だったと考えています。

 まずこのフェミニズムですが、スタート的にはやはり女性の権利獲得運動から始まりました。今でも活躍なされている田島陽子氏もこの時期からテレビに出るようになり、90年代初頭は男女同権運動の元で女性の権利、地位向上の名目でフェミニズムの正当性が強く叫ばれ、私自身も小学校時代にその辺を強く言い含められた記憶があります。
 誤解しないでほしい点として、私は当時の女性の権利運動は意義深かったと考えています。というのも確か90年ごろですがヨーロッパでテレビコマーシャルの品評会があり、どっかの国が作った明らかに日本人と思しき飛行機の乗客がスチュワーデスにセクハラをする映像のコマーシャルが大賞を取り、日本のどっかの団体がこれに抗議したところ他国から、「いや、実際によくあることじゃないか」と一蹴されたようです。この例のように、当時はよく文物でも描写が書かれていたようにセクハラが日常的に行われていたと私は考えています。そしてもしそうだとしたら、少なくとも私の目の前で現在セクハラが行われなくなっただけ当時の女性運動は実を結んだといっていいでしょう。

 またこれは私の高校時代の女性教師の話ですが、その先生は生徒時代に勉強もよく出来て本人としては京都大学に進学したかったものの、先生の両親が女性は勉強するべきではないという観念の元に結局御茶ノ水女子大に進学させられたという話をしたことがあり、当時と比べて現在では女性でも好きな職業に就けるのだからもっと女子生徒は挑戦をしてほしいという話をしたことがありました。実際に一昔前の女性は職業選択の面で大幅に制限を受けており、現在でも女性は一般的に男性と比べて就職に不利だとは言われておりますが、それでも当時に比べれば随分と前進をしたと言えるでしょう。

 それが何故、最初に私が表現したように暴走するようになったのでしょうか。
 一つは前回の言葉狩りの記事で書いたように、途中からわけのわからず観念的なものに対して言いがかりのような平等の押し付けが行われるようになったからです。この平等の押し付けですが、一番大きく問題となったのは表現上の問題で、作家の筒井康隆などは自身の小説が癲癇患者の差別に当たると言いがかりをつけられ一時断筆宣言を行っております。
 このように一部の障害者、被差別団体が中心になり文物に対して表現規制を訴えてきました。また出版社の側もこのような社会的批判を恐れ、自主規制の名の元で様々な表現に対して封印を行うという事例も数多く報告されています。

 ここでちょっと注意してもらいたいのは、先ほど一部の障害者、被差別団体と私は表現しましたが、私の見方だとこれらの団体の多くは真っ当に活動を行っていると思いますが、やはり中には自分たちが差別の被害者であることを錦の御旗のようにして不当な要求を行ってきた団体も少なくありません。一例を上げると数年前に発覚した奈良市の被差別団体に属していた市職員が不当な要求を何度もし側に対して行っていた事件があり、非常に悲しいものですがこういった事例は何も奈良市に限らず、全国あちこちで多かれ少なかれ行われているという話を私も聞きます。

 一見すると明らかに不当かつ横暴な要求が何故このように通ったりしたのか、一言で言えば前にも少し書きましたが当時の日本には被害者であれば何をしても許されるというある種ずれた観念が強く渦巻いていたことが原因でしょう。こうした空気が何故醸成されたかですが、厳しい意見、もとい安直な結論かもしれませんがやはり当時のマスコミが何でもかんでも弱者(とされるもの)を祭り上げて不当な要求であろうと被害者側をなんでもかんでも強く応援する姿勢があったことに尽きます。恐らく見ている視聴者の側も内心では、「こりゃこっちの方が悪いんとちゃう」とか思うような報道もあったと思いますが、マスメディアを持つマスコミがある程度情報を押さえつけていた時代であったのでそういった声はあまり出てこなかったのでしょう。

 最初に挙げた女性運動も、90年代の後半に至る頃には当時の私からしても首をかしげるようなおかしな要求を掲げる団体が現れるようになりました。いくつか挙げるとしたら、社会で女性は虐げられているのだから公共施設の使用料を女性には安くしろ無料にしろだとか、母子家庭は大変なのだから現状以上に自治体からの財政補助を増やせなどという要求が公になされているのを私は見ています。後者の要求に至っては、現在も母子家庭には補助がありますが父子家庭にはないという問題があり、明らかに的を外した意見だと考えています。

 何故フェミニズム運動がこのように暴走していったのか根本的な原因を言うとすれば、それはやはり被差別、不平等の是正すべきだという空気を一部の邪な団体が利用し始めたに尽きます。そして社会の側、といってもこれはマスコミとかそういった団体を応援していた左翼政党だけだったかもしれませんが、それらの要求が真に正当性があるのかを考えずに応援し続けたのが更に助長させていったのだと思います。いうなれば、「被害者は何をしても許される」という何度も私が使っているこの観念がこうした物を作ってしまい、自分が被害者を装うことで好き勝手するのフェミニズムが格好の化けの皮と認識されたがゆえに、本来の目的から外れた不当な要求を行う手段となってしまったのでしょう。

 さてここまで言えば察しのいい人ならわかるように、個人が直接情報を発信できるインターネットの登場によってこの流れはせき止められました。前述したようにやっぱり私のように見ていておかしいと思っていた人間は潜在的に多かったのか、今ではネット上で「フェミニズム」という言葉が出てくると中には激しい批判が集まるサイトも数多く、またこれに「左翼」という言葉がついたりすれば大抵は荒れに荒れます。そして実社会上でもフェミニズムへの関心は非常に薄れ、私が見ているところ元々のフェミニズム団体も名前を「ジェンダーフリー」に鞍替えしてこうした批判を避けようとしているように見えます。くれぐれもいいますが、真っ当な団体は真っ当な活動を至極真面目に行っていると私は考えています。

 また同様に、ってかこの辺は前にも書いた私の「ネット右翼」の論文で詳しく分析されているのですが、マスコミの側でもこうした動きに対応してこのような話題を近年はほとんど取り上げなくなった気がしますし、先ほどの奈良市の市職員の事件など、逆に公然と批判や取材をするところも増えてきています。結論としてはやはり、間違ったことをすればいずれ返ってくるといった所でしょうか。

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