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2009年5月29日金曜日

罪悪感とは 前編

 社会学でよく取り上げられる議論の一つに、「一体何が人の行動を規制するのか」というものがあります。これは言うなれば、「人間はやってはいけないといわれる行為を何故行わず、また何故それをやってはいけないと考えるのか」、という命題で、屁理屈好きの社会学連中にはたまらないのかあれやこれやと私も友人らと議論したことがあります。

 いくつか例を出すと、日本人にわかりやすい例としてルース・ベネディクトというアメリカ人が戦後直後の日本人を分析した著書の「菊と刀」にて、
「日本人は恥の文化である。我々欧米人が宗教的道徳によって秩序を維持するのに対して、日本人は周囲や世間の目を気にすることで自らの行為を規制する」
 と、日本人の行為規制の基準は世間体だと、アメリカ人以上に日本人の方が余計に納得してしまった分析を行っております。
 なおこのルースの分析をもう少し解説すると、欧米人は一般的にはキリスト教の教えを土台にして、自分の行動が自分が考える神に対して叶っているかどうかを判断することで秩序というか、やってはならない反社会的な行為を規制するという前提があります。これが本当かどうかはわかりませんが、欧米人が自己の中の神を気にするのに対して日本人は世間体を気にするというのは個人主義か集団主義かというような議論にもつながってくるので、基本前提として使うのならばなかなか使い勝手のいい考え方です。

 ここで今日の私のネタですが、最近ふとしたことからまた行為規制にについて色々考えていたら、ひょっとしたら罪悪感というのが人間の行為を規制する上で非常に重要なんじゃないかと思いつきました。先ほどのルースの議論でも、突き詰めて言えばこの罪悪感が影響するからこそ行為が規制されていくのではないかと考えたのです。
 そこで今日はちょっと、そもそも罪悪感とは一体なんなのかということを軸に話を進めて行こうと思います。

 まず単純に罪悪感とはなんなのかですが、簡単に言ってしまえば意図せずにお皿とかを割ってしまった際に「やってもうたΣ (゚Д゚;)」と思うような感情のことです。多分正常な人間なら誰しもが持っているであろう感情ですが、私が最初に疑問に思ったのはこれが先天的に人間が備えている感情なのか、それとも後天的に訓練されて得る感情なのかどうかです。
 なので早速何人かの友人に罪悪感は先天的か後天的かと聞きまわってみましたが、ほぼ全員が即答で後天的だと回答しました。というのも幼児の段階ではやっていいことと悪いことの区別が付かず、呵責なく物を壊したり入ってはいけない所にも行ってしまうが、年齢が進むと、「悪いことやってるんじゃないかな(´Д`)」と思うようになってそういった行為が減っていくから、というような説明が大半でした。

 もちろん私だって子供の頃はよくあんなことを平気でしたもんだと思えるような経験があり、この説明にも納得できないわけじゃないのですが、攻殻機動隊風に言うのなら「私のゴーストが囁くのよ」という具合になんかこれだとしっくりこず、本当に後天的なのかどうか私なりにあれこれ考えてみました。
 まず仮に後天的だとすれば、どのようにして罪悪感が訓練されていくのかを考えました。真っ先に浮かんできたのは動物のしつけではありませんが、悪事とされる行為の後の制裁です。それこそ子供であれば悪戯をした後に拳骨やケツ叩きを受けることによって徐々に悪いことをしたら制裁があるということを理解していき、成人になる頃には直接的に経験してはいない犯罪行為に対してすらも行為後には刑罰という制裁が待っている事が予想できるようになって、そうした世間なり自分なりが反社会的だと思う行為を行わなくなると考えられるでしょう。この説明だと行為後の制裁が罪悪感を育て、なおかつ制裁それ自体の恐怖感を罪悪感と言い換えることが出来ます。

 仮にもしこれで行為前にのみ罪悪感を覚えるのなら私も素直に納得しますが、多分私だけじゃなく、人間は行為後、それも制裁が済んだ後にも深い罪悪感を持ち続けることがあると思います。それこそふとしたことで数年前にやってしまった自らの大失敗を思い出したり他人に掘り返されたりすると、なんとも言えない気持ちになってしまいます。また過去にしでかしてしまった行為をいつまでも後悔し、現在の生活にまで影響を及ばせてしまうというストーリーは昔から今に至るまで王道とされて様々な文物で描かれるほどです。表現的には、罪悪感にさい悩まされるといったところでしょうか。

 単純に罪悪感が行為直後に覚える制裁に対する恐怖であれば、制裁が済んだ後や一定の時間の経過後も影響するというのではちょっと違うもののように思えます。もちろん罪悪感それ自体が制裁に対する恐怖ではなくとも制裁という訓練を経て身につけるもので、後々にまで二度とそのような行為を起こさせまいと喚起させる感情だと解釈することも出来ます。ただもうすこし色々掘り下げていけば他にもなにか色々見つかりそうなので、続きはまた次回にて私の考えや参考になる症例を紹介します。

 なお先に結論というか私の考えを言っておくと、多分私がロマンチストであるがゆえにやっぱり罪悪感というのは、全部が全部そうだとは言いませんが人間が生まれた頃から持っている先天的な要素もあるんじゃないかと考えています。

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