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2009年8月31日月曜日

「クレヨンしんちゃん、モーレツ大人帝国の逆襲」の私的解釈

 すごい大昔にこのブログで一回だけちょこっと触れましたが、私はアニメの「クレヨンしんちゃん」の映画版、「モーレツ大人帝国の逆襲」の大ファンです。実際にネットでいろいろ見ていると私だけでなくいろんな方がこの作品をシリーズ最高傑作と評しており、大人から子供まで幅広く楽しむことの出来る一大娯楽作品として見られているそうです。

 そんなこの作品ですが、内容をかいつまんで言うと大阪万博の時代を模したようなテーマパークにひろしやみさえといった大人たちが洗脳されたかのように通い詰め、ある日の合図を境にしんのすけやひまわりをはじめとした子供たちを置いていってしまいます。それに対してしんのすけたちは救出を試みるというのがおおまかな筋書きなのですが、詳しくは是非作品を直接手に取って見てください。
 私がこの作品を見たのは20歳の頃でしたが、その頃でも十分に面白いと思いましたが更に年を重ねた現在になって改めてこの作品を思い返してみると更にいろいろと思いつくことが出てきたので、今日はちょっとその辺について書こうと思います。

 この作品では万博を模したようなテーマパークで大人たちが楽しそうに遊ぶのを尻目に、子供たちは託児所に預けられてやや暇そうに他の子供たちと遊ぶ様子が描かれています。そして話の後半では敵役となる男が、大人が自分で一番良かったと思う時代にいて何が悪いのだと主張します。それに対してしんのすけは、ラストシーンにおいて大人に取っては楽しいかもしれないが子供にとっては必ずしもそうではない。自分たちから未来を奪わないでくれと訴えることになります。

 この一連のやりとりを改めて考えるにつけ、恐らく本作品の製作者の方は、

「楽しいと思える時代で敢えて時を全く動かさなければ、ずっと楽しくいられるのでは?」

 という問いを投げかけているのではないかと最近になって気がつきました。楽しい時代を繰り返し体験できるのであれば、敢えて時を停止させた方が人生には良いのではないかということです。
 しかしこれはやはり大人の都合で、大人の世代から差のある子供の世代からすると必ずしも大人が楽しい時代は楽しいわけじゃありません。そんな思いが入っているのが上記のラストシーンにおけるしんのすけのセリフで、これまた私の解釈はというとまず一つ目は、

「子供の自分たちが大人となった後に楽しめるかもしれない未来を奪わないでくれ」

 ということで、最近気がついたもう一つ目の解釈は、

「今より辛く、苦しくなる可能性があるとしても、もっと楽しさが広がる可能性もある未来を閉ざさないでくれ」

 という意味もあったのではないかと思うようになってきました。もちろんこれは私の勝手な解釈ですが、こんな解釈に結びついただけでもこの作品は見てよかったと心から思います。
 また最後の解釈をより深く考えてみると、時を停止させる意味、進ませる意味についていろいろと考える内容が広がっていきました。実はこの時の概念については昔に友人と果てしなくやりあったので、そろそろ蔵出しとばかりに順次放出して行こうと思います。

 実はこの記事でもまだ熟成するのに時間が足りていないのか、自分ではうまく書ききったとは思えない内容になってしまいました。それほどまでに時という概念を考えることは私にとって難しいのですが、仮に私がこの時の概念について思いのたけを全部表現することができたら、シャレや冗談じゃなくいつ死んでも構わないです。

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