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2009年8月9日日曜日

外国人が見る広島と長崎

 先日に書いた「日本の若者に知ってもらいたい、ベトナム戦争の歴史」の記事にて原爆について言及のあるコメントを頂いたので、今日が日本人にとって忘れてならない八月九日という日であることも考え、愚考ながらこのあたりの内容を記事に書かせていただきます。

 これは私が中国留学中の話ですが、ある日に日本人の友人が私の部屋に遊びに来て、その友人が部屋を出た後にルームメイトのルーマニア人に「今の彼は広島から来たんだよ」と話したところ、こんな風に聞かれました。

「俺たち、体は大丈夫かな?」

 そのルームメイトはルーマニア本国で物理学を専攻しており、本国の原子力発電所にも何度か見学に行ったことのある人間でした。ちなみにその彼によると、ルーマニアの原発職員はみんな顔色が悪かったそうです。
 そんな彼がこんなことを聞いたのは言うまでもなく、かつて広島に落とされた原爆の放射能に自分たちも被爆するのではないかと思ったからでしょう。こんな風に彼が考えたのも、かつてウクライナで起こった「チェルノブイリ原発事故」がルーマニアにも影響を与えたことが原因だったと今は思えます。

 そこで私は、現在の広島は百万人以上の人口を持つ大都市であって、その広島から来た人間と接触したからといって自分たちが二次被爆することはないと説明しました。これは言ってしまえば日本人にとっては当たり前の知識ですが、たまたまかもしれませんが物理学を専攻していた私のルームメイトですら知らずに、それどころか広島と長崎は未だに現在のチェルノブイリのような荒涼とした不毛地帯だと誤解していたのです。
 この様に日本では当たり前とされる原爆、放射能についての知識も、あくまでたまたまだったのかもしれませんが私は日本以外の外国人はほとんど知らないのではないかとこの時に感じました。それは言い返せば原爆の恐ろしさがどれほどのものかや、被爆者の子供も影響を受けるという二次被爆についても十分に把握していないかもしれないということになります。

 それこそ日本人だと間違いなくこの原爆の歴史や恐ろしさについて公教育の間にしっかりと教えられますが、他国では一体どんな教育がなされているのか私には全くわかりません。まだ日本と交流の多い国であるならともかく、ルーマニアのような取り立てて交流の多くない国ともなればこうした誤解が起こるのも不思議ではない気がします。

 先日アメリカで行われた調査によると、「二次大戦末期の日本への原爆の使用は正当であった」という回答が全体の六割に達したそうで、それについて私が見る限り、「なんてひどい」というような反応を新聞などのメディアは行っていたような気がします。しかし私は現在のアメリカが原爆についてどのような教育を行っているかがわからず、日本と違って被爆体験者がいない状況下で恐らく日本ほど教育が行われていないことを考えると、むしろ無回答を含めて四割ものアメリカ人が「正当でなかった」と答えたことの方が意外でした。

 そんな外国の人たちに対して唯一の被爆国である日本が何をするべきかといったら、それはやはり原爆についての事実と知識を広く正しく啓蒙することに尽きると思います。恐らくあと数十年も経てば原爆を直接的に体験したことのある世代が寿命の関係からすべて亡くなられるでしょう。その後に日本を含め外国に対しても啓蒙を続けられるかどうかにおいて、私は被爆国としての日本の責任が問われると考えております。
 そしてそんな時代において、私くらいの世代というのは「原爆被爆者から直接話を聞いたことのある世代」として重要な役割を持つことになると思います。私は長崎への修学旅行中に原爆被爆者から直接お話を伺う機会がありましたが、この時に聞いた話を直接的な体験者が亡き時代においても一般化し、後の世に永劫伝えきれるかは自分たちの世代にかかっていると、勝手ながら使命感に燃えているわけです。

  おまけ
 ルームメイトには今は広島に行っても何も問題はないと教えはしましたが、うちの親父は去年に広島へ左遷されてしまい、ストレスから背中にブツブツが出来てしまいました。

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