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2009年9月22日火曜日

最近のニュース番組の編成について

 最近私がよく思うことで、通常のニュース番組とワイドショーの境界が段々と見えなくなってきたように思います。ワイドショーというのは言うまでもなく昼間の時間帯に放送される主婦向けのニュース番組で、取り上げられる内容は芸能人のゴシップや美味しいもの、旅行特集ばかりで、世の中に何かを訴えるという報道姿勢というよりは視聴者の求める内容に沿って報道されます。
 もちろんそういう内容ですので、「ワイドショー的な~」と言えば言葉の向けられる先に負の意味がこめられており、対象を馬鹿にするような言い方となります。

 ではそういったワイドショーと対極の位置にある報道番組というのは、一体どんな番組なのでしょうか。
 まず一番硬派であるといえばそれはやっぱりNHKニュースでしょう。女子アナはほとんど出てこずに正面のアナウンサーが一人で番組を淡々と進行する様はシンプルそのもので、そうした変わらない姿勢が受けているのか週間平均視聴率ランキングでは七時台のNHKニュースがほぼ毎週トップを取っております。

 そんなNHKニュースに対抗する民放の、主に六時台のニュースは現在どんなものかというと、こう言っては何ですがこのところはワイドショーと呼ばれる報道番組と変わらないのではと思います。こんな風に私が思うようになったきっかけというのは、察しの良い方ならすぐに想像されるかもしれませんが、酒井法子容疑者の事件からです。

 この酒井法子容疑者の事件は現在進行形で何かしら動きがあるたびにどの局でもトップニュースとして取り扱われ、その報道、解説にも大幅な時間が割かれております。確かにこの事件は視聴者の気を引くニュースであることは私も認めますが、同時期のニュースの価値で言うなら自民党総裁選の行方や、失業問題などといったニュースの方が報道する価値が高いように私は思います。
 そして何より、これは地方局については必ずしもそうではないのですが、このところの東京にあるキー局は何かしら長い取材を経て得た事実の報道で世の中をあっと言わせ、世論に大きな波を作ることがほとんどありません。

 このようなニュースとして近年で私が高く評価しているのは、関西にある毎日放送が大阪市職員の出勤時間を長期間取材して「中抜け」や「実体のない残業代」を暴いた例で、その後全国各地の自治体の裏金や違法な労働実態が次々と取り上げられるきっかけとなりました。
 しかるに近年の東京キー局のニュース番組においては、六時二十分を越えた辺りからはワイドショーと比べても何の遜色もない芸能人のゴシップや美味しいもの、旅行特集ばかりが放送され、言ってしまえば情報を何も加工せず右から左に流すような報道ばかりしかありません。

 このような傾向は各局が持っている「報道ステーション」や「ニュースZERO」などの夜間帯のニュースについても同様で、私の結論を言えばもはや民放においては「ニュース番組」と「ワイドショー」の違いはないと考えております。むしろ最近はワイドショーに評論家が多く参加して社会問題などについてもよく議論するので、ニュース番組よりも内容があったりすることもありますが。

 私はもう過去の話だとして今更気にしてはいませんが、戦時中に朝日新聞などを初めとしたすべての民間報道機関が日本軍の戦績を過大に誇張して報道し、誰もあの戦争の是非や行く末を問わなかったことが非常に良くなかったとよく言われております。しかし当時の記録によると、満州事変直後に朝日新聞が反戦記事を書いたところ、三重県のシェアがそれまでの50%くらいから3%に激減したのを受けて急激に朝日は方向転換をしたと言われており、言わば当時の報道機関は読者の要求に応える形で好戦的な報道姿勢に変わって行ったそうです。

 本来ジャーナリズムというのは、たとえそれが読者や視聴者が求める情報だとしても価値のないもの、誤ったものは報道せず、逆にそれが読者や視聴者が求めていない情報だとしても価値のあるもの、正しいものを報道しなければならないという前提があります。無論、中にはそれが正しいかどうかはっきりしない情報もありますが、その場合には報道するに当たりどのような信念があるかどうかで決めるべきでしょう。
 まだまだ報道しなければならない情報や事実を差し置いて、視聴率競争にかまける形で視聴者におもねる情報ばかり報道する現在のニュース番組の是非を、もうすこし日本は議論するべきじゃないでしょうか。

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