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2009年10月23日金曜日

企業が国家より大きくなる日~後編、多国籍企業の弊害

 前回の記事の続きです。前回では国家の力を上回る企業の存在としてアメリカの軍需産業について簡単に触れましたが、こっちはそっち以上にもっと深刻であるにもかかわらず意外にもあまり知られていない多国籍企業について解説します。

 まず読者の方には多国籍企業と聞いて、一体どんなものを想像するか考えてもらいたいです。一般的な回答となるとそれこそトヨタやソニーといった優良な企業が思い浮かび、国際的な企業活動を幅広く行っているというような華やかなイメージを持たれるかと思います。それはある意味正解なのですが、彼ら多国籍企業の弊害というのは他国ならともかく日本ではほとんど報道されていない現実があり、出来る事なら文系の学生には知ってもらいたい思いがあるのでいくつか私の知っている事実を紹介させてもらいます。

 私がこの多国籍企業がどのような弊害を持っているのかを初めて知ったのは、スポーツグッズメーカーとして有名なナイキの不買運動からでした。この事件はリンクに貼ったウィキペディアの記事の中でも書かれていますが、ナイキという企業は製品のデザインはアメリカで行うものの自社工場は持たず、製品の生産はすべて海外に委託して行っていました。現在の日本のメーカーのほとんどが行っているように海外の発展途上国の工場で生産すれば人件費も安いため、経営上のメリットが非常に高い事からナイキはかなり以前からこのような生産体制を敷いていたのですが、1997年にあるNGOが公表したナイキ製品の工場の実態はその製品のイメージからはかけ離れたものでした。

 主に東南アジア諸国にあったナイキの工場では18歳未満の児童労働者が数多かっただけでなく、工場現場の労働環境も非常に悪く、それでいて賃金は非常に安く抑えられていました。今日参考したサイトによると、アメリカで一足300ドルで売られているシューズ一つ当たりの製造報酬は3ドルにしか満たなかったそうです。
 アメリカ本国では労働法で禁止されている児童労働や過重労働を、他の発展途上国で行って不当な利益を得ているとして、この事実が公表された当時はアメリカや欧州ではナイキの不買運動が巻き起こったそうですが、日本はこの時期にあまりそのような反応はしませんでした。

 このナイキの例のように多国籍企業は利益を追求しようとする組織の姿勢からか、時に個人の倫理概念からは考えられないような行為までも行ってしまうことがあります。いくつか今でも実際に起きている例を出すと、国内では規制されている汚染物質の廃棄をそのような規制のない外国では行ったり、大資本に物を言わせてその国の競合企業をすべて打ち負かして市場を独占したり、その国の経済を歪むだけ歪ませた後に儲からないからといって撤退したりなどと枚挙に暇がありません。

 このような行為を行うこれら多国籍企業で何が一番問題なのかというと、彼らの横暴な行為を世界中で規制する事が出来ないという事です。それこそ本国内であれば国民の選挙によって組織される政府(=国家)を通して規制をかけることができますが、ナイキのように海外に工場を持っているところまで規制をかけようものなら相手国への内政干渉になりますし、またこういう企業ほど規制を強めようとしたらキャノンの御手洗みたいに、「だったら他の国に移って税金払わないよ」なんて平気で国に脅しをかけてきます。だったらとっとと日本から出ていけよな、キャノンは。

 しかもこの上に厄介なのは、多国籍企業は国家とは違って情報公開の義務がない事です。多国籍企業同様に人間の集団単位として非常に大きな国家も、二次大戦前のナチスドイツや日本帝国のように暴走を起こし非倫理的な行為を犯すことはありますが、それでもまだ国家の場合は民主主義でさえあれば情報公開の要求や原則が作用した上で選挙によって暴走を止める事が出来ます。しかし企業については現在においてすらも「企業秘密」とすることで情報公開を遮る事が出来、見えないところでどんな不正をやっていようがある程度隠し通せてしまいます。

 ちょっとややこしくなってきたので、私が考える多国籍企業が持つ弊害を以下に簡単にまとめると、

・複数国で活動するため、一国家ではその不正すべてを規制することができない。
・情報公開の義務がなく、影で何をやっているか見えづらい。
・国家や国民を無視し、資本原理で自分たちの好き勝手な行動を取る。(キャノン)

 このような多国籍企業は、グローバル化の潮流の中でこの十年の間は数多く跳梁跋扈していました。

 私は国家の枠、というより国境を越えた交流はどんどんと行っていくべきだと考えています。そのような交流を通して他国の人間を理解する事が戦争の回避につながり、ひいては世界共同国家の実現に続いていくと考えるからです。
 しかし個人での国境を越えた交流ならともかく、今回挙げた国境を越えた企業の活動というのは未だ基本的なルールが定まっておらず、発展途上国においては多国籍企業のやりたい放題になっているのが現状です。そんなやりたい放題な状況下で歪みきった世界経済の成れ果てというのが、今のリーマンショック後の世界なのではないかと私は考えています。

 自分も貿易屋の一人ということで私は頭から国際取引を否定するつもりはありませんし、むしろ本当に必要な貿易はもっともっと促進していくべきだと思いますが、全くルールなき現在の状況下で国家のコントロールを全く受けない多国籍企業を野放しにさせるのは世界にとってマイナスでしかなく、グローバル化が進んだ今だからこそ企業にとっての国境とは何かをもっと真剣に議論する必要があるのではないかと考えております。

 なおこれは余談ですが、佐藤優氏は自分が国家というものを強く主張するのは、これから世界が統合していくには必ず国家を媒体にしなければならないと自分の体験から考えるからだそうです。国際交流という観点で見れば国際NGOによる個人の交流、そして外交官同士の国家の交流、そして今日取り上げた貿易を通しての企業の交流など手段はいろいろありますが、少なくとも企業の暴走を止める手段が余りない現在においては、私もまだ国家が媒体になった方がマシかと思います。

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