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2009年12月6日日曜日

マルクスの疎外論

 随分昔に書いたと思ってたら書いていなかったので、ちょうど前回の記事で「空気に呑まれる」という事を取り上げたばかりなので疎外論についても紹介しておきます。

疎外(ウィキペディア)

 はっきり言って私のこの記事を読むよりもこの疎外論については専門に研究されている方も少なくないので、もしこの記事で疎外論に興味を持たれたのであれば是非他のサイトも訪れる事をお勧めします。

 それでは本題に入りますが、この疎外論というものを初めて提唱したのは社会主義経済学の祖であるカール・マルクスで、彼が提唱した経済学概念の社会主義経済こと共産主義はソ連の成立とその後の崩壊という大掛かりな実験によってすでに実現不可能であることが証明されてしまいましたが、この哲学分野に属する疎外論については未だなお価値が下がることなく学者達によって研究が続けられております。

 その疎外論がどのような概念かというと、単純に言うのならば人間が自分で作った概念やシステムに逆に振り回されてしまうといった所です。
 これは私がこの疎外論を説明するのによう使っている例えですが、ある会社で飲み会が開かれる事となり、幹事であるAさんは同僚に参加するかどうかを確認していたのですが、このAさんは同僚であるBさんのことを内心では快く思っていませんでした。ですのでAさんは出来ればBさんには飲み会に来てもらいたくないのですが、他の人間には誘っているのにBさんだけ誘わないと角が立ってしまうので仕方なく誘うとします。誘われたBさんも実はAさんのことを嫌っていたのですが、Aさんの誘いを断ってしまうとこちらもまた角が立ってしまうので、出来れば参加したくないと思いつつも参加すると答えてしまいます。

 この例えの場合、AさんもBさんもお互いに相手のことを嫌っていて飲み会のような場所で顔を合わせたくないと思っていながらも、飲み会に誘わなければ、参加しなければ角が立つと思うあまりに両者どちらにとっても望ましくない結果をわざわざ招いてしまいます。何故こんな結果になってしまったのかと言うと、AさんとBさんの両方に「飲み会に相手を誘わなければ、参加しなければ角が立つ」という概念があり、この概念があるがゆえにわざわざ気まずい思いをする事になってしまったというわけです。

 同じく飲み会ネタであれば、ちょうど今の時期くらいにある会社でシーズンという事で忘年会を企画するものの、みんな年末の忙しい時期にわざわざ会社のイベントに参加したくないと思いつつもさすがに忘年会に参加しないと協調性がないと思われると考え、結局誰も望まない忘年会にみんな参加してしまうというのも疎外の一例と見ることが出来ます。

 このように特定の概念や思想が人間の手の元を離れて逆に人間の行動をマイナス方向に支配、制限をすることを「疎外」と呼び、前回の記事で私が取り上げた「空気に呑まれる」のとは厳密にはちょっと違うかもしれませんが、みんな内心では良くないと思いつつも周りに合わせないと思うあまりにわざわざ誰にも望まれない行動を取ってしまうという点でほぼ同義の言葉だと私は考えております。

 マルクスは生前にこの疎外という概念を主に資本主義批判に適用して提唱していましたが、現実にこの考え方はなかなか良く出来たもので、現在においても社会問題を考察する上に役立つ概念であります。
 元々、経済というものは人間がみんなで便利に暮らすために作られた社会システムだったのですが、今や国会でもこの経済(資本主義)というシステムを維持するための対策が激しく議論が行われ、一企業レベルでも会社を存続させるために社員みんなで骨身を削ってまで働くなど、みんなで経済をどうにかしなければとあちこちで叫ばれています。自分達の生活を便利にさせるために作られたシステムであったはずなのに、リーマンショック以降は特に顕著ですが、経済を維持するために今や沢山の人間が犠牲になっている状況です。

 かつて共産主義は人間性がなく、血の通わない管理された経済システムであったがゆえに資本主義に敗北したと言われました。今の資本主義に人間の血が通っているかという問いにマルクスが生きていたらどう答えるのか、なかなか興味をそそられます。

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