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2010年1月19日火曜日

三国志の成り立ち その二

 前回に引き続き三国志の成り立ちの話です。

 さて前回では正史三国志の後に裴松之の「注三国志」が現れ三国時代の話がまとめられていったというところまで話しましたが、この注三国志には当時にまで伝えられていた様々な三国志に関連する書物が引用されており、その中には東晋時代にいた習鑿歯(しゅうさくし)の「漢晋春秋」という特筆すべき書物も入っておりました。この漢晋春秋が何故特筆すべきなのかというと、筆者の習鑿歯の先祖は陳寿同様に蜀に使えていた官僚で、そういった影響からか彼は自分の著作にて歴史上初めて魏ではなく蜀こそが正当な王朝であると主張したのです。

 もっとも蜀を正当王朝とする意見はこの東晋時代には徐々に広まっており、当時の知識人らが残した日記においても三国志の講談をすると曹操が勝つ場面で聴衆はくやしがり、劉備が勝つ場面では喝采が集まったと記されております。ただこうした人物の選り好みや贔屓以上に、この時代の漢民族が置かれた状況が蜀正当論に拍車を掛けたのだろうという意見が現代では有力です。

 ちょっとややこしい話になりますが三国時代が終わった後には晋という王朝が出来るのですが、この晋という王朝は出来るやすぐに激しい内乱が起こり、そこにつけこんだ北方異民族によってあっさりと中国の北半分を占領されて漢民族は南方へと追いやられてしまいます。中国史ではこの晋という王朝を南方へ追い込まれるまでを西晋と呼び、追い込まれてからは東晋として区別しているのですが、習鑿歯のいた東晋時代はそれまで中央文化圏であった北方地域が異民族に占領され、逆に蛮地とされていた南方地域に漢民族が住んでいた時代だったのです。

 こうした時代背景ゆえに、北方地域を異民族が占領している中で三国時代にその地域を領有していた魏を正当王朝とすると当時の漢民族には具合が悪く、それよりもむしろ南方の蜀や呉を正当王朝とすることで自分達が現在置かれている状況でも正当性を保てることから蜀漢正当論が強まったとされております。無論これ以外にも曹操が恐怖政治に近い手法を取っていたのも影響しているでしょうが、基本的に私はこの意見に同感です。

 さてそういったもんだから、注三国志以降はどれも蜀贔屓の三国志ばかりとなって行きます。注三国志のすぐ後に成立したであろう「世説新語」はまだ注三国志と似たような逸話集なのですが、元代に成立した小説の「新全相三国志平話」に至っては三国志演義以上に蜀中心に偏って書かれており、魏や呉の場面が極端に少なくなっております。また当時は小説に限らず三国志を題材にした講談も各所で行われ、こうした様々な文学的要素を下地にして作られたのが現在の我々が手に取る「三国志演義」というわけです。

 三国志演義は元末から明初に羅貫中がそれまでに伝わっている話をまとめた小説で、一般に三国志の話と言われたら基本的にこの演義の話を指すほどスタンダードな代物となっております。ただこの演義はあまりにもスタンダード過ぎて実際の史実と脚色の演出部分がわかり辛く、清代の学者の章学誠に「七部が真実で三部が虚構。しばしば読者を混乱させる」と評されておりますがまさにその通りな代物です。

 こうしてオーソドックスな三国志は完成を見るわけなのですが、もちろん日本人の我々には漢文で書かれた三国志を読めるわけではなく、訳本なりなんなりでなければ読むことは出来ません。余談ですがかつて高校で漢文マスターと呼ばれた上に中国語も習得したこの私ですら、内容もわかっているはずなのに三国志の原文を見てもさっぱり読めませんでした。

 ではそんな日本人にとってのオーソドックスな三国志はというと、昭和期の作家の吉川英治氏の「三国志」がまさにこれに当たるでしょう。私が評するのもなんですがこの吉川英治版三国志というのは非常によく出来ており、日本人があまり好まない幽霊が出てくる場面や食人の場面をことごとくカットした上で丁寧に日本人に合わせて作られております。そんな吉川英治氏に続いて柴田連三郎氏、陳舜臣氏などもそれぞれの筆で三国志を書いておりますが、やはり吉川版には及ばないというのが実情ではないかと思います。

 そんな吉川英治氏に次いで強い影響力を持っているのが、私の贔屓も入っていますが横山光輝氏による漫画版「三国志」でしょう。私もこの横山版三国志の一巻をゴミ捨て場で拾ったのが運の尽きで中国に留学するほどはまることとなったわけですが、あの膨大な内容の三国志を漫画化したというのは偉業以外の何者でもないでしょう。連載期間は15年間にも及びましたが、横山氏は途中からこのままでは書ききれないとして毎月100ページを執筆して連載を続けていたというのですから頭が下がります。
 なおこれまた余談ですが、横山氏が当時連載していた雑誌が休刊してしまったせいで話が一度中断してしまい、そのせいで載るはずだった一回分の原稿が収録されずに終わってしまったことがあったそうです。その回を横山氏は官渡の戦いのあたりと述べていますが、実際にこの辺りを読み返すと程昱の十面埋伏の計、劉備の汝南の戦い、袁氏の滅亡といった過程がすっ飛ばされて一気に年代ジャンプしているのがわかります。

 このほか三国志を取り扱った漫画は「蒼天航路」や「龍狼伝」などありますが、後者はもはやただのバトル漫画と化しているのであまり評価はしておりません。また漫画に限らず現代では私も頭がおかしくなるほど遊んだ光栄(現コーエー)の「信長の野望シリーズ」と並ぶシミュレーションゲーム「三国志シリーズ」、同じく光栄の「真三国無双シリーズ」も新たな三国志ファンの開拓に大きく貢献しているでしょう。

 私がこの三国志に触れた小学生の頃、いつか三国志を題材に小説を書いてみせると北斗七星に誓いましたが、その日はまだまだ遠そうです。とはいえこうして三国志についてながなが書けるのだから、私のハマリ具合もまだまだ捨てたもんじゃないなと思います。

  参考文献
三国志グラフィティ シブサワ・コウ編 光栄 1996年

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