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2010年4月10日土曜日

私立大学における入学試験の問題性について

 このところ友人からよく、「国立大出身の奴らは信用が置ける」という話をよく聞きます。一見するとまるで私大出身の自分を揶揄するような発言(その友人も同門だけど)ですが、聞いてる私としてもこの友人の意見には納得する部分もあり、この前こんな風に応答しました。

「俺が進学の際に関東から関西に来た時、周りの学生の優秀さに目を見張ったよ。ほんのちょっと前まで同じ高校生だった人間でも、関東時代の俺の周りにいたのと比べて関西の学生らは会話をしていても明らかに知識や反応が良く、どうしてこんな差があるのかと考えてみたのだが、やっぱり五教科をしっかりやっているかどうかの違いじゃないかと思うんだ」
「五教科っつっても、うちらの大学は試験が三教科の私大やん」
「でも関西って、大坂、神戸、京都大学などと国立大学が多いだけあってうちの大学に来る学生っていったらみんなこのどれかの落第組で、大学受験時にみんな五教科を学んできているじゃん。俺も君も、その口だろ」
「まぁ、そやろな」
「それが関東だと慶應、早稲田を筆頭として私大が多いせいか、高三になった時点で私大専願とばかりに三教科しか勉強しない奴が多いんだ。やっぱ受験時に五教科か三教科って違いはその人の適応力に大きく影響を及ぼすと思うし、国立の連中は必然的に五教科をやっているから君も国立出身の奴らにそう思うんじゃないかな」

 上記の会話で私が語った内容はあくまで私個人の実感ですが、やっぱり文系だと数学、理系だと国語をやっているかやっていないかの違いというのは人間性や能力にも出てくるような気がします。関連するといえば、文系出身者で受験時に数学をやっているかやっていないかでその後の年収に大きく差がつくというデータがあり、これを聞いた時には心底数学を勉強しといてよかったとほっとしました。

 そんな私立大学の試験ですが、近年、私から見ていて看過できない事態が起こり始めています。上記の三教科試験ならまだともかく、近年は自分の得意な科目でだけ受験できる一科目入試などというものも増えており、さらには以前にも取り上げた事がありますがAO入試など選抜方法として如何なものかと思う試験が非常に増えてきました。実際に教育関係の報道を見ていると、上記のような特別な入試形態で入学してきた学生はやはり学力が追いつかず留年や退学する割合が普通受験者より明らかに多いらしく、AO入試については廃止する大学がこのところ増えてきております。

 しかし最近だと、というより以前からでもありますが、近年の私立大学は試験云々以前に内部校からの無試験での進学者割合があまりにも多くなってきつつあります。
 有名私立大ほどこの傾向は以前から高かったのですが、近年は少子化に伴い、定員割れなど起こさぬように学生数をあらかじめ確保せんと中堅私大もそれまで縁もゆかりもなかった高校と提携を結ぶことが増えてきております。実際に私も近くにある高校がある日突然、「○○大学付属××高等学校」という風に看板が変わったのを目撃しています。

 こうした無試験で大学に入学する内部進学者の問題は教育界というより就職業界においてこのところ問題視され始め、同じ大学出身者でも大学受験を経て入学してきた学生と内部進学者とでは明らかに能力に差があり、今後就職希望者の履歴書には入学方法も書かかせるべきだという意見が出始めてきています。
 実際に私が通った大学も系列高校の多い学校で、しかも進学先が文学部と来たもんだから周りは内部生ばかりでその割合は四割五分程度にも上りました。

 こうした事態について大学時代の恩師に直接話を聞いてみたのですが、大学としては確実に学生を確保するという目的とともに、受験での入試偏差値を下げたくないという目的からこうした行為を行っているという返事を聞きました。内部進学者と入試偏差値がどう関係するのかというと、単純に志望者の少ない学部や学科に内部進学者を振り分ける事でそこの定員を減らし、外部から受験を経て入学してくる学生数を調節することで入試の難易度を上げることが出来、名門校としての地位を守りつつ受験者を集めて受験料をかき集められるという魂胆です。

 具体的に私のいた学科で説明すると、その学科の学生数は180人でしたが実質この中の約半分こと90人は内部進学者で、残り90人の枠を外部受験者が入試で争ったというわけです。もちろん外には180人募集と言ってはいるのですが実際にはその半分で、入試には合格したものの別の大学に進学する学生を考慮して試験では大体200人程度に合格通知を出すそうです。
 なおその恩師によるとこうした偏差値の水増しは心理学科ほどよく行われており、どの大学でも心理学部や心理学科は偏差値が比較的に高いのですが、それは人気があるからというより内部生の割合が高いせいだそうです。実際にうちの大学ではそうだったし。

 こういう風に見てみると、現代の大学入試というものが如何に形骸化しているか色々と思い悩まされます。入試の難易度が志望者の多さとかレベルに関係なく大学側の意図的な操作によって決められ、またその大学の学生の半分近くが無試験で入学してきているなどと、なんでもかんでも試験が重要だというつもりはありませんがこれだと外から試験で入ろうとする人間だけが馬鹿を見ているような気がします。
 逆に国立出身者は特別な事情がない限りはきちんと入学試験を経てきているため、最初に友人が述べたようにその人材性に信頼がおけるというのもあながち五教科というだけとじゃないのでしょう。

 この前どこかが発表したデータによると、系列校からの内部進学者と指定校推薦での推薦入学者の割合が全大学生の半分以上にも登ってきているといい、私の実感でもそれくらいの割合と見ており、今や時代はどこの大学に進学できるのかは系列校に入る中学、高校入試にかかってきていると言っても過言じゃないでしょう。
 多少偏見もありますが小学生や中学生の時点で、その後の学力や能力が分るかといったらやっぱり疑問です。大学までついていると自由に勉強できるだの、勉強以外の活動もできるなどといいますが、勉強する機会くらいはせめて平等に与えてもらいたいと逆に私は私大関係者に問いたいものです。

  補足
 文系についてはこの記事で書いたように内部進学者による偏差値の改変が行われているのですが、理系だとやっぱり一定度の学力がないと進学してもすぐに落第してしまうので、あまりこういった行為は行われないそうです。逆を言えば落第し辛い、させ辛いような文系学部、それこそ文学部や経済学部ほどこの行為が行われる傾向が高いそうです。
 にもかかわらず内部進学者であった知り合いの女の子は卒業単位が危うかった上、卒業論文も私に半分以上も書かせました。まぁ文章書くのは好きだからいいんだけどさ……。

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