ページ

2010年7月31日土曜日

私が今までにやったホラーゲーム

 昨日は友人と深夜一時まで話をし、その後お腹がすいてそうめんを食べたので就寝は深夜二時でした。今朝は10時半まで寝たので睡眠時間はそこそこ取れているものの、平日は六時間弱しか睡眠時間が取れないので今日の昼間に二時間昼寝を取ったもののまだ眠いです。横綱白鵬は一日十六時間眠るそうですが、私もここまでとは行かずとも全盛期(中国留学中)は十時間眠るのがざらだったので今の生活リズムだとやっぱり普段はボーっとしてしまいます。そもそも寝過ぎなのが一番よくないのだけれど。

 そこで今日も引き続き緩いネタをと思い、一つこれまでに私がやってきた、見てきた日本のホラーゲームを一部レビューとともに紹介しようと思います。何故にホラーゲームかというと、範囲が狭くてあまり他に解説するところも少ないだろうという打算があっての物であります。

1、スウィートホーム(ファミコン)
 同盟の映画を原作としたホラーRPGゲーム。このゲームを作ったのは後述する「バイオ・ハザード」を作ったカプコンであるが、このゲームに関わったスタッフの一部が「バイオ・ハザード」の開発に携わっておりその土台になったと言われている。
 このゲームの特徴はなんといっても、「一度死んだキャラはそのゲーム中、二度と甦らない」というRPGとしては厳しいルールです。通常のRPGではドラゴンクエストよろしくたとえ戦闘で死んでも甦らせるなどして戦闘に復帰させる事が出来るのですが、この「スウィートホーム」ではそんな生易しい救済措置などなく、問答無用でゲーム世界から追放されます。しかも最終的にはクリア時に生き残ったメンバー数によってエンディングが変化するので、やっている間は常に強い緊張感を持ち続けて遊ぶ事が出来ました。
 そうしたゲーム上のルールもさることながらこのゲームでは恐怖の演出も上手く出来ており、ドット絵ながらも恐怖感の持てるグラフィックに館に仕掛けられたトラップなどお約束と思いつつもなかなかドキドキさせられました。特にネタバレになりますが重要キャラの「山村」のラストシーンはリアルに怖かったです

2、弟切草(スーパーファミコン)
 現在でこそ大分一般的となったノベル系ゲームですが、その嚆矢となったこの「弟切草」からしてホラー要素が強く、次回作の「かまいたちの夜」を始めとしてその後のノベル系ゲームに大きな方向性を与えた偉大な第一作と考えて間違いないでしょう。
 淡々と文章をグラフィック、BGMとともに読む。一体これのどこが面白いのかと問われると答えに困ってしまいますがそれでも面白いのだからなおすごいノベル系ゲームですが、その第一作の「弟切草」はさびれた館にカップルが迷い込むというお決まりの導入から始まりますが、そっから先は全く予想がつかないほどの膨大な選択肢とテキスト量にプレイヤーは圧倒されたかと思います。またグラフィック面でもちょうどファミコンからスーパーファミコンに移行した頃だったので、実際にプレイした私でもゾンビの顔グラフィックが怖くて仕方がありませんでした。
 この「弟切草」の後、「かまいたちの夜」を始めとしてノベルゲームは続出しましたが、述べるゲームの完成系というのであれば「かまいたちの夜」が挙がりますが、テキスト寮や選択肢の豊富さを言うのであれば未だにこの「弟切草」を超えるものは出ていないかと思います。

3、(PS2)
 過去に「零~紅い蝶」についてレビューをこのブログで書いたことがありますが、このテクモの出した「零」シリーズの特徴を一言で言うならば、純粋な和風ホラーを追求した点にあるかと思います。舞台はシリーズを通して和風の屋敷や村で出てくる霊もしょっちゅう着物を着ており、しかもそんな怖い霊に対してカメラを撮って攻撃するという、見たくもないものを無理矢理見させて攻略させるこのシステムが恐らく海外の方でもヒットした要因でしょう。
 私自身はこのゲームは面白いとは思うものの特段怖いと感じることはなく、むしろその綺麗なグラフィックと、Xbox版のわけの分からないコスチュームの多さの方が気に成りました。

4、DEEP FEAR(セガサターン)
 多分このゲームは知っている人も少なそうですが、当時大ヒットしていた「バイオハザード」に追従する形でセガが作ったサバイバルホラーゲームです。このゲームの特徴ははっきり言って殆んどがバイオハザードと一緒なんですが、舞台が海底基地ということから常に室内の酸素量を気にしなければならないこと、敵クリーチャーの造形がそこそこよかった(全体的に映画の「エイリアン」っぽい)という点で異なっています。ただ残念というか私の友人から酷評されていた点として武器に使う弾薬が無限に補給できてしまうため、この点が制限されていた「バイオハザード」と違って緊張感がなかったとされています。
 私はストーリーとか全体的に出来は悪くなかったと思うのですが、そもそもが二番煎じであったためにそれなりの結果になってしまったのではないかと思います。続編も出なかったし。

5、バイオハザード2(PS)
 ご存知日本が誇るホラーゲームの金字塔となったこの一作。一応シリーズは1、2、3、4、アウトブレイク、Code Veronicaはやっているのですが敢えてここでは世界的ヒットを生んだ2を取り上げることにします。
 この「バイオハザード」がどうしてここまで高い評価を得られたかといえば、ひとえにまずゲームの開発環境が揃ったということがあったのではないかと思います。スーパーファミコンからプレイステーションへ、当時に次世代機と呼ばれたハードへの以降があって3D描写も容易となり、これまで作ろうと思っていたものの作れなかったゲームが開発できる環境に至ってゾンビに横スクロールではなく追いかけられるこのゲームが成立し、それがユーザーの嗜好にマッチしたのが大きいように思います。
 またこのバイオハザードが成功したもうひとつの要因として、比較的高めの難易度、現実に存在する武器を使って戦う、そしてその使用回数が限られているというサバイバルホラーの名に恥じない要素も大きかったでしょう。

 一作目も十分に売れましたが世界的に大きな成功を収めたこの「バイオハザード2」はストーリー自体はB級ホラーもいいとこでしたが、

・1プレイ時間が約三時間
・二人の主人公にそれぞれ表編、裏編とシナリオが二つある
・クリア後のおまけ要素が盛りだくさん
・結構しつこいタイラント

 といった要素があって繰り返し遊べたがゆえに私も相当のめりこんでやってました。無駄にラスボス相手にハンドガンで戦ったり。
 なおこの「バイオハザード2」のテレビCMではハリウッド俳優で天才子役として一時名を馳せたブラッド・レンフロ氏が出演していましたが、この人は二年前にコカイン中毒のためわずか26歳で夭折してしまいました。今じゃすっかり「バイオハザード」と来ると映画のミラ・ジョボビッチ氏が挙がって来ますが、ブラッド・レンフロ氏のデビュー作の「依頼人」を観ているだけに私の中では未だにこの人が浮かんできたりします。

 まだまだ紹介するホラーゲームはありますが、ひとまず今日はここまでにしておきます。意外と書いてみたらつまらなかったし。

2010年7月30日金曜日

近年の女性アイドル業界について

 最近またお堅い内容が続いているので何か軟らかい事を書こうかなと考えていたら何故か女性アイドル業界が思い浮かんできたので、今日はこれについてさらっと書こうかと思います。前もって断っておきますがここで書く内容はあくまで私の主観によるものなので、細かい所はいちいち突っ込まずにこんな意見を持ってる奴がいるんだ程度で軽く流してください。あと人名が多く出るので、敬称はこの際一つもつけずにどんどんと書いていきます。

 まず近年のアイドル業界における一つの特徴として、またぞろ平均年齢が低下し始めてきた事が挙げられるかと思います。2000年代中盤は29歳という以前では考えられない年齢でブレイクしたほしのあきを筆頭として20代中盤の、主にグラビア出身のアイドルがテレビなどで活躍していましたが、寄る年波には勝てず近年はテレビでの露出が大幅に減ってきております。特に顕著なのはイエローキャブに所属していたアイドル達で、分離したサンズエンタテインメント所属共々かつての勢いはどこに言ったのかと思うくらい見かけなくなり、小池栄子などブレイクしていた頃にレギュラーを勝ち得た番組を持つアイドル以外はもう殆んどゴールデンで見ることが出来ません。

 こうしたアイドル達に取って代わったといえるのがAKB48を初めとした、10代を中心としたアイドルユニットグループだと思います。ただアイドルの低年齢化が最も激しかったのは90年代後半のモーニング娘全盛期で、あの頃は辻、加護を筆頭に中学生ジュニアアイドルがこれでもかと言わんばかりに活躍しており、そのころに比べるならば今のアイドルが極端に年齢が低いとは言えず、むしろアイドル全盛期だった80年代よりは平均年齢が高いように感じます。それでも低年齢化を私が強く意識してしまうのは先述の通りにちょっと前がこれまでにないくらいに高年齢アイドルが活躍していた時代を経ているので、ちょうどそのギャップゆえだからでしょう。

 それで今やアイドル界で大きな顔をしているAKB48ですが、確かに今の時代では比較的強い力を持っているとは言えますが、これまでのトップアイドル達と比べるとその影響力はやはり低いように思えます。それこそモーニング娘の全盛期の頃は街中のそこらかしこで「LOVEマシーン」が流れて一通りのサビ部分の歌詞を私も自然と覚えましたが、AKB48に至ってはこれが全くなく、一体どの曲が彼女らの歌なのか塵一つ知りません。

 この違いは音楽業界の衰退もあってCDの売り上げ数低下も影響しているでしょうが、それとは別にもう一つ、モーニング娘とAKB48の売り出し方の大きな違いもあるかと思います。
 モーニング娘が日本全国老若男女津々浦々に広く大衆に対して売り出したのに対し、AKB48はそのユニット名からして非常に対象を絞った売り出し方をしているのではないかと私は見ました。この二つの売り方がどう違うかというと簡単に言って広く浅くか狭く深くかの違いで、前者は万人受けするようにジュニアアイドルを入れる一方で中澤裕子や後藤真希など年齢層やヒットする対象の違うメンバーが組まれていたのに対し、後者は販売方法によるものもありますが一人でCDやグッズをいくつも買うような人を主な対象としているところがあり、アイドルユニットの性格としては真逆の位置にあるのではないかと思います。

 ただ苦言というか、これはアイドルユニットに限るわけじゃないですが対象を狭く絞った組織や集団というのは基本的にどれも長くは続かない傾向があり、一回ぱっと盛り上がった後に急速にしぼんでいくという例がたくさんあるので、もしかしたらAKB48は使い捨てにされるんじゃないかという気がしてなりません。私が心配してもしょうがないけど。

 このようにアイドルというのは元々賞味期限が少なくどんどんと切り替わっていくもので、グラビア界もさきほどのイエローキャブ勢をはじめ、一時期トップグラビアとして君臨した小倉優子、期待されていたわりにはすぐに旬が過ぎたスザンヌなどがおりますが、何年間にも渡り活躍し続ける稀有な存在として私が一目置いているのは上戸彩です。
 元々この人は「3年B組金八先生」での演技で注目を浴びて最初はそのまま演技畑に行くかと思いきや、初主演作の「あずみ」が、私も見ましたがびっくりするくらい下手な演技で、映画で主演をしてかえって評価を一時下げたという非常に稀な経歴があります。

 ただこの上戸彩を何年にも渡ってトップアイドルとして君臨させ続けているのは、なんといってもテレコマーシャルでの活躍ぶりです。すっかりおなじみとなったソフトバンクの白戸家シリーズやオロナミンCのCMなど何年も出続けている定番のCMを持っているだけでも非常に強みなのに、それ以外の年毎のCMでもやはり他のアイドルと比べて一際光って見えます。個人的にお気に入りなのは損保JAPANでパンダの着ぐるみでしたが。
 彼女のギャラはCM一本辺り年間契約で5,000万円とされてますから、年俸を計算すると本当に天文学的数字になってしまいそうです。

 最後に私のお気に入りの井上和香についてですが、彼女は最初はグラビア、次はバラエティーと活躍の場を意図的に変えていった節があり、現在は一昨年の朝ドラでも出演していたように演技での活躍の場をねらっているように思えます。どうでもいいですが昔ロンドンで寮が一緒になった双子の女性に井上和香が好きだといったら、

「顔に似合わず巨乳好きなのね( ^∀^)」

 と言われ、一瞬ちょっとショックを受けたものの、「顔にそぐわぬ巨乳好き」と言われるよりずっとマシだと思って立ち直りました。

2010年7月29日木曜日

信頼性なき日本財政

 あまり世の中で取り上げられる事は非常に少ないのですが、小泉政権は世界的にも非常に珍しい偉業を一つ達成しております。その意業というのも、財政出動なしでの景気の回復です。

 小泉氏が総理になる前の自民党総裁選で小泉氏が公約として掲げたものの一つに、「国債発行高を30兆円以下に収める」というものがありました。その後見事総理に就任して小泉氏でしたが作った予算は結局30兆円からすこし足が出て、あの有名な、「この程度の公約違反、大したことではない」という発言が飛び出すこととなったのですが、それでも自らを「平成の借金王」とまで言った前小渕政権と比べると国債発行高は非常に抑えられ、全体の予算額もそれ以前から大きく縮小されました。

 この小泉氏、というよりは経済産業担当大臣だった竹中平蔵氏ら主導の予算案に対し野党議員、評論家、並びに身内の自民党議員からも、「不況期にどうして財政出動(公共事業)を減らすのだ(#゚Д゚)」と、当時の私が覚えている限りでもどこを見回しても肯定的な意見はありませんでした。小泉氏も小泉氏で、

「経済は竹中君に任してるから(´∀`)」
「えっ、全部俺!?(;´Д`)」

 てな感じで責任転嫁をしたので竹中氏が国会中で総叩きを食らう羽目となってしまいましたが、その数年後の9.11選挙で小泉氏が勝利した後に東証株価などが飛躍的に伸びるなど、リーマンショックが起きるまで一時的とはいえ日本の景気は回復傾向が起こりました。
 この景気回復に対しては今でも議論が行われており、格差を無理矢理広げた上での偽りの景気回復だった、それ以前の小渕政権までの財政出動が時間が経ってようやく効果がでたものだ、などという意見がありますが、失われた十年にあれだけ馬鹿みたいに財政出動して何の効果もなかった事、五年間の運営実績を考えるとやはり小泉政権の功績と取るべきだと考えております。

 さてここで経済学の話になりますが、中学校の公民の時間でも教わるくらい、一般的に不況期には政府は財政出動をして公共事業を行うことがよいとされていますが、これは20世紀のケインズが提唱した政策でフランクリン・ルーズベルトが採用してニューディール政策と呼ばれた事でも有名です。しかしそもそもの話、ニューディール政策自体が現在その効果が疑問視されており、また先にも述べた通りに日本も失われた十年の間に小渕政権を筆頭として財政出動を繰り返したもののはっきり関連が見える効果は何も生まれず、私自身本当にただの無駄遣いだったという評価をしております。

 では逆に財政出動を切り詰める所まで切り詰めた小泉内閣はどうして一時的な景気回復に成功したのでしょうか。それについては昔に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」に詳しく書いていますが、最近これとは別に、かえって財政出動を減らしたこともよかったのではないかと思うようになってきました。

 こう思うようになった一つのきっかけはうちの両親の会話で、仮に親父が60歳で定年を迎えるにしろ年金をもらえるようになる65歳まで生活するのに平均で2,000万円以上の貯金が必要だとテレビか雑誌かで言われていると話し合い、現行の貯金額と受け取るであろう退職金額を予想した上ですでにリストラ候補となっているうちの親父がいつまで会社のリストラ要求を突っぱねて給料をもらい続けるかというシミュレーションを立てていました。またその会話で仮に現行の年金制度が維持されるならともかく、今後給付額が減らされる可能性もあることから実際にはシミュレーション以上の貯金が必要になってくるかもしれないとも話し合っていました。

 実際に日本の年金制度がこのままでは破綻するのは簡単にシミュレーションできることで、将来的には受給世代の給付額が減って現役世代の納付額が増やされる事は自明と言っていいでしょう。また年金に限らず今の借金漬けの日本の財政を考えるにつけ、医療費を含めた社会保障費はどんどんと減らされていくことも考えられ、そんな時代では消費よりも貯蓄の方に頭が行ってしまうというのも自然な話です。

 久々に大分前置きが長くなりましたが、要するに日本の財政、年金に信頼がないからこそ現代の日本人は消費意欲が低いのであって、それが景気に悪影響を及ぼしている最大の原因ではないかと私は言いたいわけです。
 小泉政権は確かに切捨てと言われるような厳しい政策を採ったものの曲がりなりにも財政再建に真正面から取り組んでいましたが、それ以降の政権では徐々に予算を拡大化させ、前鳩山政権に至っては税収以上の国債を発行する甲斐性なしの男性のような予算まで組みました。

 私はいくら今が不況だからって、借金がない状態ならともかくすでに借金漬けの現状で財政出動を行うのは余計に国民から財政への信頼を失わさせ、景気悪化を引き寄せる事になるのではないかと思います。それであれば弱者切捨てとなろうとも、まだ未来が持てるような政策を取った方がまだ最終的な犠牲者は少なくて済む気がします。弱者切捨て以前に、まず真っ先に切るべきは子供手当てでしょうが。

2010年7月28日水曜日

千葉景子法相の死刑執行署名について

 かなり以前に佐藤優氏がその著作において、日本で法務大臣の権威が低すぎるのは問題だという指摘を行っていました。佐藤氏によると米国では大統領が突然死した場合、ピンチヒッターで次の大統領に就任する優先順位は第一位に副大統領で、確か二位か三位に法務大臣が来るそうで、法治国家において国の根幹となす法律を管理する最高責任者はその職務を全うするに足る相応の人物がならなければいけないと重く見られているそうです。それに対し日本では、国土交通大臣や厚生大臣と比べると利権が少ないという理由で権威が非常に低いのは異常だと佐藤氏は指摘していました。

 佐藤氏は検察から国策捜査を受けた事があるゆえになかなか説得力があるのですが、確かに近年私が確認するだけでもこの法務相という職には首を傾げざるを得ない人選がことごとくなされており、それまでの経験で法務に全く携わってこなかった人間や、失言を繰り返す人間がなるなど、どこかお飾りというかマスコット的な大臣職にしか扱われていないだろうと感じていました。
 幾つかそういった法務大臣経験者を出すと、まず第一に挙がってくるのは第二次小泉内閣での南野知惠子氏です。国会での質問に度々窮してついに出てきた言葉が「何分、専門家ではないもので」という発言で、法の素人がどうしてその最高責任者になれるんだよと見ていて呆れさせられました。

 次に問題性があると私が感じたのは麻生内閣での森英介氏です。森氏は不法入国していたフィリピン人家族の処置に対して曖昧な態度を取り続けた上に、あまりニュースでは取り上げていませんが冤罪だった可能性が未だ濃く残る飯塚事件の犯人の死刑執行署名にサインしております。

 簡単に飯塚事件について説明するとこの事件は検察と警察が冤罪だったと完全降伏するに至った足利事件と全く構図が一緒で、警察が犯人を特定するに至ったのは現場で見られたと証言のあった車と同じ車を犯人とされた人物が持っていたことと、当時の技術レベルの低い不正確なDNA鑑定の結果だけでそれ以外の物証は何もありませんでした。
 しかも犯人とされた人物は終始無実を訴えていたのですが、死刑執行の優先順位が100人中61番目だったにも関わらず、再審請求が行われていたにも関わらず刑が執行されました。この異例ともいえる執行が何故行われたかについてはいろいろいわれていますが、事件の舞台となった飯塚市がある総理経験者と同じ選挙区だったことが影響していたのではという意見があるとだけ申しておきます。

 この他第四次小泉内閣での杉浦正健氏も如何な人物でしたが、そんな法務大臣職に民主党が政権交代して誰がなるかと思っていたら、杉浦氏同様に就任するや、「死刑執行の署名は行わない」と言い出す千葉景子氏でした。いい大人だったら本当にやるやらないは別としてこういったことは口には出さないでいるべきだと思うのですが、弁護士出身とはいえまたも不安な人間がなったなぁとかねてから思っていました。そうしたら、

千葉法相、2人の死刑執行 「見届けることが責務」と立ち会い(産経新聞)

 なんとかつての自分の発言はどこいったのか、千葉氏は今日になって突然二人の死刑受刑者の刑執行を行ったと発表してきました。
 そもそも千葉氏は前回の参議院選挙で落選しており、現在はいわば民間人大臣であります。小泉政権の頃の竹中平蔵氏みたいに民間人ではあれども経済学者出身として専門分野に直結する経済産業担当大臣を務めるというのならば分かりますが、何度も言いますが法治国家において法を管理する最高責任者が選挙の洗礼を受けない、っていうか洗礼を受けて落選し、国会議員でもなくなった一民間人が法務大臣を務める事には前々から批判がありましたが、まさかそんな人間が死刑執行を決めるなんて私もさすがに唖然としました。

 この千葉氏の民間人という地位について枝野幹事長は執行の署名はまだ千葉氏が参議院議員資格のある24日に行ったとフォローを入れていましたが、これはこれで企業で言うなら退任間近の社長が人事に介入するような行為と変わらず、少なくとも死刑執行の署名をするに適当な時期ではなく問題があるように私は思えます。

 今回の死刑執行の一件は、言ってしまえば任命されれば誰でも死刑受刑者を好きに処刑できるという事を証明してしまったと思います。死刑という制度についていろいろと議論する余地はありますが、今回の一件はどこをどうみても評価できる点を見つける事は多分出来ないでしょう。これを期に法務大臣職にはもう少しまともな人物がなるようになればまだいいのですが。

2010年7月27日火曜日

刑事罰における責任の捉え方

 昔、確か六年前に友人とテレビでニュースを見ていると、線路に自転車を投げ込んだとして中学生が捕まったというニュースが報じられていました。そのニュースを見て私は友人に、

「この中学生、もう死刑でいいよね」
「せやろなぁ。こいつも自転車投げ込んだら脱線するかもしれへんことくらいわかっとるやろしなぁ」

 自分でも本当に自分は死刑廃止論者なのかと時々疑わしく思いますが、この事件について言うならば私は投げ込んだ中学生は少年法とかそういった物を一切無視してもいいとこの時思いましたし、今でもそう考えております。

 そもそも何故少年法があるのかと言うと、善悪の判断がつかない、何が犯罪になるのか分からない子供は罪悪感を持つ事が出来ないため、罰を与えるよりはしっかりと教育を行っていくほうが当人にも、社会にもよいという考えから存在します。しかし先ほどの線路に自転車を投げ込むという行為については友人の言の通り、中学生であればそれがきっかけで電車が脱線する可能性も、それによってたくさんの人間が死ぬ可能性も容易に予測できるはずです。
 もしこの行為で少年法が適用するのであれば、私は本当に右も左もわからない小学校の低学年くらいまでの子供であればまだ仕方がないと思いますが、いくらなんでも中学生でこんなことも分からないで実際に行動に移すというのであれば先が思いやられるにも程があります。

 近年、著名な刑事裁判においては少年法、もしくは心神耗弱などといった理由によって弁護側より減刑を求めるという主張がほぼ確実になされていますが、そもそもの話としてこれらの適用があまりにも幅広すぎないかという気がしてなりません。報道される裁判を見ていても心神耗弱にしても善悪の区別がつかない状態というにはあまりにも程遠い容疑者ばかりで、それこそ先ほど私が言った「小学校低学年くらいまでの子供」のような状態なんてまずないでしょう。

 今日何を思ったのか三年前に起きた「渋谷区短大生切断遺体事件」をまた調べなおしていたのですが、この事件の一審では被告人に多重人格が認められて求刑17年に対して判決は懲役7年へ一部減刑が認められていました。言っちゃなんですが殺害後にバラバラに切断し、家族に対して知らない素振りを見せて遺体を隠匿しようとする行動を見るにつけてとても被告がそのような精神状態であったとは思えません。
 そしたら案の定二審では多重人格は否定されて懲役12年になったそうですが、いい加減、こういうくだらないことを裁判で言い合うのはもうよして、認められなかった場合には弁護側に明確なペナルティをつけるとかした方が裁判も効率化していいような気がします。

2010年7月26日月曜日

私の好きな白鵬について

 昨日、終始波乱に満ちた名古屋場所が何とか無事に終わりました。開催前にはあーだこーだ言われていながらも終わってみれば観客数は前年度の一割減に止まり、当初予想されていたほどの落ち込みもなくNHKの中継がなかったとはいえまずまずの結果でした。
 そんな名古屋場所で最初から最後まで大きな貢献を果たしたのは、誰の目から見ても優勝した横綱白鵬にあることは間違いないでしょう。先場所、先々場所に続く全勝優勝を果たしただけでなく、力士としての連勝記録も単独で三位、平成に入って以降ではついに過去最高の記録にまで至りました。恐らくこの白鵬の存在と活躍がなければ、今頃相撲協会は公益法人格を取り下げるべきだという声が公然と出ていたかと思います。

 そんな白鵬ですが、力士としての取組ぶりはさることながら以前から私はその個人としての人格も高く評価しておりました。そこで今日は優勝記念とばかりに、白鵬のサクセスストーリーとに彼について私の知っている事をここで紹介しようと思います。

 今でこそ力士として大成している白鵬ですが、彼が日本の相撲界に入ったのはわずか15歳の頃でした。すでにモンゴル人力士として日本で活躍していた旭鷲山を頼って来日したものの、一緒にやってきたメンバーは次々と相撲部屋からのスカウトを受けて次々と引き受け先が決まっていったにもかかわらず白鵬には全く声がかかりませんでした。このままではモンゴルに帰るしかない、そんな白鵬の苦境を知るや旭鷲山が斡旋に動きました。

 実はこの旭鷲山と白鵬には因縁があり、モンゴル相撲の祭典に16歳の旭鷲山が出場したものの貧しい家庭出身ゆえに満足な食事が取れておらずお腹をすかしていると、当時4歳だった白鵬が食事を恵んでくれたそうです。二人ともこの時のことをよく覚えていたものの、この来日した白鵬の斡旋に動いていた際は互いにその時の相手だと分からず後になってあの時の相手がお互いだったと気づいたそうです。

 そんな白鵬と旭鷲山ですが、当時背は175センチと高い身長ながらも痩せ型の体型の白鵬を引き取る相撲部屋はなかなか見つかりませんでした。そうして悩んだ末に旭鷲山は、
「そうだ、あの駄目な宮城野部屋ならなんとかなるだろう」
 と、当時弱小だった宮城野部屋に「身長が高く、将来有望な少年がいる」とほとんど騙すような形で連れて行ったそうです。そうやって白鵬は宮城野部屋につれてこられたのですが、その白鵬を見るや当時の宮城野親方(現熊ヶ谷親方)は全然話が違うと追い返そうと考えたそうですが、不安そうな表情を浮かべている白鵬を見るに見かねて内弟子としてとることにしたそうです。

 とはいえ当時の白鵬は日本語も全く分からず、しかも先ほども言った通りに非常に痩せていたため、宮城野親方は最初は稽古を一切させずにただご飯を食べて寝ろとだけしか指示しなかったそうです。当の白鵬もこれには困惑して、女将さんが言うには当時の白鵬の口癖は「何で?」だったそうです。
 またある日、白鵬が一人で写真を見ていたので女将さんが声をかけると、白鵬は家族の写真だとその写真を見せてくれたそうです。そんな白鵬をみて女将さんはモンゴルに帰りたいのと聞くと白鵬は、「いや、横綱になるまでは帰れない」と毅然と言い返したそうです。

 言葉も分からない外国で、しかも日本人ですら逃げ出すほど厳しい相撲部屋に入ったわずか15歳の少年が、ここまで覚悟を持てるものかと初めてこの話を聞いた時は非常に驚きました。多分私ならすぐに逃げ帰ってるだろうし。
 そんな白鵬も体格が出来上がってくるや、元からの高い身体能力とあいまって異例のスピードで昇進を重ねていきます。私が白鵬の取組を見始めたのは2005年頃からですが、当時からも足腰の強靭さは並外れており、なおかつ一度廻しを掴んだら絶対に離れないと言われる握力とあいまって大きく印象に残ったのを今でも覚えています。

 そうやって出世街道を走った白鵬が初めて取組で懸賞金を得ると、それを真っ先に宮城野親方と女将さん夫婦の元へ持っていって全額を渡したそうです。こうしたエピソードの数々を思い起こすにつけ、力士以前に白鵬という個人の人格に対しても尊敬の気持ちが湧いてくるわけです。

2010年7月24日土曜日

これまでの酒税率増税について

 いきなり結論ですが、私は現行の酒税率を下げてかつての水準に戻すべきじゃないかと思います。

 酒税というのは文字通りにアルコール類の飲料にかけられる税金で、飲料を製造したメーカーや酒造業者がその製造量に応じて支払うのですが、この税率はその製造された院量のアルコールの度数によって変動し、基本的にアルコール度数が高いほどかけられる税率も高くなります。
 近年、この酒税率は一方的と行っていい程に増加しており、細かい税率までは紹介しませんが財政難の国が取り易い所から取ろうと、反発の少ない酒税に的を絞っているのは衆目の一致する所です。

 確かに税収を増やすという目的であれば多少の増税は仕方ないと思うのですが、この酒税についてはちょっと話が変わってきます。というのも酒税率の増加と合わせて各飲料メーカーは比較的税率の低いアルコール度数の低い酒類、いわゆる発泡酒の製造、開発に勤しんだため、今ではすっかりこの発泡酒が世の中にも定着しました。

 しかしこの発泡酒ですが、酒をよく飲む人間から話を聞くと以前と比べれば大分マシになったものの、それでもビールよりは味が悪いそうです。そういった方達に更に話を聞くと、できる事ならビールを飲みたいと思うものの先ほどの酒税率増税によってビールの値段が上がってしまっているため、昨今はやむなく発泡酒に切り替えて飲んでいるそうです。
 こうした消費者の動きにこれでは増税した意味がないと国税庁も思ったのか、ビールに続いてこの発泡酒などの税率も近年は徐々に引き上げられてきております。そしたらそしたで飲料メーカーも今度はノンアルコールビールの製造、開発に勤しんで、なんか今年はやたらとこのノンアルコールビールが発売した、伸びているなどといったニュースを見ます。

 はっきり言ってこんな「国税庁VS消費者+飲料メーカー」のいたちごっこがいつまでも続いていたら、最終的には「じゃあこの際、お酒っぽい水でもいいや」ってことになりかねませんし、少なくとも当初の目的である税収の増加は全く以って見込めないでしょう。
 それだったら私はこの際、税率を以前の低い水準に戻し、飲みたい人間には以前の価格で以前どおりのお酒を提供するべきだと思います。酒飲みからすれば日ごろの楽しみの一つなのですし、味のいい飲み物を好きに飲ませた方が国民生活的にも、文化的にもいいかと思います。

 また確かに近年の飲料メーカーに因る発泡酒の開発は大した物だと思いますが、やはり発泡酒では味に伸び代と言うか限界があるように思えます。そんな発泡酒を開発していくよりはもっとビールの製品改良を行った方が産業的にも、将来輸出できる可能性を考える上でもずっと有益な気がします。多分発泡酒やノンアルコールビールなんて、世界的にも飲む人は少なそうだし。

 ちなみにここだけの話、私は酒が飲めない人間です。何気に昨日飲み会では次がれてしまったのでビールをコップ三杯飲んで、ブログの更新もサボったわけです。何も悪酔いしたわけでもなく二日酔いもなかったのですが、何度飲んでも酒類がおいしい飲み物だとは思えないなぁ。

2010年7月22日木曜日

法人税と消費税の関連性

 もう結構前の放送ですが、「TVタックル」においてキョウデンの橋本会長が面白い事を話しておりました。一体どんな事を言ってたのかというと、赤字が続く日本の国家予算を回復させるために政府は消費税を上げるのではなく、法人税を上げるべきだと主張したのです。

 正直な話、企業経営者の方から「法人税を上げるべきだ」という意見が聞かれるとはそれまで私は夢にも思いませんでした。一体どういう理由でそんな事を言い出すのかと続けて聞いていると、まず橋本会長は現在の消費税が昔と違って外税ではなく内税になっていることが企業にとって大きな負担になっていると言いました。

 内税の現制度ですと、書籍などといったものを除いて基本的に商品の値札には消費税を含んだ金額を書かなければなりません。そのため仮に消費税が現行の5%から10%に上げられた場合、販売者側はこれまで通りの利益を確保するためには上がった消費税分だけ商品の値札価格をそれまでより上乗せしなければなりませんが商品を買っている消費者側からするとこれではただ単に物が値上がりしたようにしか見えず、橋本会長によると恐らく消費者の消費する意識が薄れて物が余計に売れなくなって販売者側もそれまで以前の利益を確保できなくなることが予想されるそうです。
 そうなると販売者側は消費税が外税から内税に切り替わった2004年時のように値札の価格はそのまま、消費税の分だけ利益を減らすという方法を取らざるを得なくなるそうです。

 この橋本会長の意見ですが、私も聞いてて大いにありうると感じました。実際に内税に切り替わった2004年時に私はほぼ毎日のようにスーパーに行って買い物していましたが、実際に物を買っていて消費税分だけ値札の値段が上がったと感じる事は殆んどありませんでした。

 その上で橋本会長は、国は税収を増やしたいのであれば敢えて消費税をもっと減税し、その分法人税を上げるべきだと主張しました。消費税を下げる事で消費者は商品の値段が安くなったと感じてより消費意識が上がり、物を売る企業の側も余計な消費税の負担も受けずに経営がやりやすくなります。その上で企業が利益を出せるようになれば法人税が少し増えた所で、元々赤字の企業に法人税は課されないのだからさほど経営に影響があるとは思えず、むしろ利益を出せる企業が増える事で社会全体が明るくなるのではと意見をまとめていました。

 私は元々消費税増税論者ではありますが、こうして実際に企業経営者側からの視点での意見を聞かされてみると改めて考えさせられました。橋本会長の言っている事は非常に筋が通っている上、どっかの死にぞこないの会長と違って企業経営者自身が法人税を上げるべきだという意見を出すその姿勢には正直頭が下がりました。

 私が消費税を推進する理由は第一に徴税コスト(税金を徴収するのにかかる費用。マルサの雇用費も含む)が安い事、第二に脱税抜け道が少ない事、第三に比較的平等に徴税できるからで、仮に今後の日本で消費税率を上げるのであればその代わりに徴税コストが非常にかかる所得税を大きく見直し、それこそ所得の低い世帯を救済する為に年収400万円以下にはこの際所得税は一切かけないという案を持っていたのですが、聞いててこの橋本会長の案の方が案外いいんじゃないかと思いなおすようになってきました。

 何気に「法人税」という言葉はこの陽月秘話とは縁のある言葉ですが、私は基本的に税金というのは単体で考えるのではなく、他の税金、その用途などを合わせた幅広い視野で考えなければいけないものだと思っています。
 そういえば酒税についてまだ書いていなかったので、次回辺りにちょこっとこの辺を書いて見ます。

2010年7月21日水曜日

時間が有限だと意識する事

  夏休み お盆過ぎから 本番に

 これは大分昔に作った私の俳句ですが、言わんとする事は夏休みは終盤に入って宿題に追われるという状況になればなるほど遊んでて楽しくなるという意味です。人間不思議な物で、何かに追われている状況であればあるほどやらなきゃいけない事を放って関係ない行為、それこそゲームとか掃除とかをすると強い快感を覚える物ではないかと常日頃から私は考えています。

 まぁそういった現実放棄の快感は放っといて、それこそ今日から小学生らは夏休みに入ったそうですが、私の子供時代を思うにつけて夏休みが始まったばかりの七月だとどうにも休みという実感がないのですが、終わりが見えてくる八月の後半になるにつけ一日一日がそれまでよりずっと重く、価値があるように感じられた気がします。
 これはなにも夏休みに限る事じゃなく期間の定めた時間一般にも当てはまるように思え、例えば先ほどの夏休みの宿題のような作業一つとっても日程に余裕のある間はどうせ後で出来てしまうからなどと思ってはそれほど切迫感を感じられませんが、日にちが段々と狭まっていくと徐々に切迫感が増して嫌が応にも作業への集中力が増していきます。

 もうここで結論を出してしまいますが、人間というのは基本的に終わりが見えない間は現在自分がいる時間の価値を測ることが出来ないのではないかと私は言いたいわけです。
 先ほどの小学生時代の夏休み然り、学生時代然り、若者でいる間然り、現役世代でいる間然りと、人間には人生において様々な時間の期間が存在しますが、それぞれの期間で満足に時間を使用したかと問われるならば恐らく殆んどの方が無駄な時間の方が多かったと答えると思います。その上でそれら期間の前半と後半でどちらが充実した時間を過ごしたかと問うならば、多分こちらも後半の方が濃密であったと大半の方が答えるかと思います。

 何故このようになるかというと最初に言った通りで、それぞれの期間が終わりに近づかない限りはその期間における時間の価値、言い換えるならその間にしかできない事、やれない事を上手く認識できないからで、そのために人間が時間をフルに有効に使う事は至難の業ではないかと私は思うわけです。

 で、ここで極論を突然出してしまいますが、一体何が人間にとって最後の時間かというならば、それは間違いなく死以外の何物でもありません。
 私が何故この様なことを思いついたのかと言うと、ガン宣告を受けた患者らのインタビュー記事を見ていると、自分の死を意識するようになってから世界観が変わった、一日一日に価値を見出せるようになったという話を多く見かけたからです。

 言われて見て仮に私自身がもし来週、下手すりゃ明日に死ぬとしたら、一体今自分は何を優先して行うべきなのだろうかをその時少し考えてみました。遺書を書くべきか、それとも誰かと話しているほうがいいのか、それともいっそ何もせずに外だけをじっと眺めているべきなのかといろいろ考えてみたのですが、時間が有限だと意識すると何か物の見方が変わった気がしました。

 何も常に死を意識しろとまで言うつもりはありませんが、今あるこの時間は有限であって無限でないと考えるだけでも、人間知らず知らずのうちにもっと充実した時間を送れるんじゃないかと思うわけです。
 ちなみに常に死を意識するという考え方ですが、長岡出身の河合継之介と山本五十六の二人はよく、「常在戦場」という言葉を使っていたそうです。私はここまで極端ではないものの、論語の「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」をよく使っています。

2010年7月20日火曜日

大手生保四社、不払い問題対処に政界工作

 今を遡ること五年前、日本の各大手生命保険会社できちんとした契約があるにもかかわらず、本来支払うべき保険金を敢えて受取人に告知しなかったり、間違った情報を教えるなどして払わないという不払い問題が続出しました。

保険金不払い事件(Wikipedia)

 詳しくは上記のWikipediaのページを見てもらえば分かりますが、私はこの事件を知った際に保険会社はなんてクズの集まりなんだ、絶対にこんな所には就職しないぞと北斗七星に誓ったもんです。しかも北京で。
 この保険金不払い事件ですが、先日思わぬ所からまたこの名が持ち上がってきました。

大手4生保、自民・民主に接待攻勢 不払い処分めぐり(朝日新聞)

 上記記事は7/18日付けの朝日新聞朝刊一面に載ったニュースですが、これを朝六時から群馬榛名山へ向けて出発しようとする私と広島に左遷されたままの家の親父が見つけると互いに、これで朝日新聞から生命保険の広告が消えるなと言い合いました。

 記事の内容を簡単に説明すると、五年前の不払い事件が発覚した年、日本生命、第一生命、明治安田生命、住友生命の生命保険大手四社が自民、民主両党の金融関係の委員となっている議員やその秘書らに対して接待攻勢をかけていたという事実が報じられています。しかも第一生命に至っては07年に政治家のパーティ券を1000万円超も購入するなど、不払い問題の処理を巡って政界工作を行っていたと朝日は断じています。

 実際に当時、明るみになった不払いだった生命保険料の支払いのために各生命保険会社の経営は悪化しており、2005年以降に急激に増加したこれら接待費、献金は国政側に寛大な処置を求めるという意図あっての行為と見て間違いないでしょう。
 しかも今回朝日新聞が報じたこの記事を見ていて呆れてくるのは、一連の接待の中でなんと15回もこの大手四社の幹部が顔を合わせる接待を行っており、その接待における費用負担もそれぞれで決めていたようです。これが何を意味するかと言うと、この大手四社は不払い問題が起こるや互いに連絡を取り合って、手を取り合って政界工作を行っていたという事です。

 以前に朝日新聞はキャノンと松下の人件費の偽装請負を報じた事により未だにこの二社から広告を一切出してもらえていませんが、恐らく今回のこの記事でも生命保険会社から広告が引き上げられる事となることが予想され、いわば朝日は大口の収入源を失う覚悟でもって今回の記事を報じたと思います。
 ネット上で朝日新聞はよく赤新聞などと叩かれる対象であり、実際に私も過去にしょうもない記事を何度かこのブログで批判しましたが、今回のこのニュースは文句なしによく書いたと思わせられる記事です。惜しむらくはこうしたよい報道に限ってあまり別メディアに取り上げられず、ざっと見回した所、まだ東京新聞紙しか追随していません。

 こんな小さなブログですが、何かしらこの記事がもっと注目されればと思い、こうして私は取り上げる事にしました。

2010年7月16日金曜日

かつて呼ばれた私の異名

 最近濃い内容の記事を連発していていささか食あたり気味となっているので、今日はなにか緩いネタを書こうと思います。

 前に一度、これまでにあった野球選手のニックネームをまとめた記事を書いた事がありますが、ニックネームことあだ名というものはないよりもあった方が世の中いいと思います。具体的に何がいいとかそういった細かい理由まで詳しく書きませんが、やっぱり人となりや大まかな性格を理解する上で通しがいいし、初めて会った人に覚えてもらうのにもいい気がします。

 かくいう私はこれまで何か特定のあだ名をもらった事はこれまでにないですが、その代わりに異名というか、「○○した人」というようなニックネームは何度か友人らからもらった事があります。せっかくの機会ですので、幾つかここでそれを紹介しようと思います。

1、花園~変態と呼ばれた漢
 これは当時マガジンで連載していた「哲也~雀聖と呼ばれた漢」という漫画のタイトルからもじられたあだ名です。ごく一部の友人の間で、しかも使われた期間も少なかった異名ですが、もじりかたがうまいなぁといわれた本人が感心する名前でした。

2、Tシャツをハーフパンツに入れている人
 これは言われている本人が全く知らない所で、同じ学科内では相当知れ渡っていた異名です。この異名の由来は今でもこの時期はそうですが、夏となると私は毎日ハーフパンツにTシャツ、しかもTシャツを外に出しているのが嫌だから絶対にハーフパンツの中に入れて平気で外出しています。あんまりにも私がこの格好であちこち歩き回るもんだから、たまたまTシャツがハーフパンツから出ているとそれだけでニュースになっていたそうです。

3、洗濯物を取り込む男
 在学中のある日、今にもやばいくらいの夕立が降ってきそうな天気なのに同じアパートに住んでいる後輩が外に布団を干していたので取りこむように言おうと尋ねた所、その後輩は当時外出していました。後輩と言ったって赤の他人、しかし布団が夕立に晒されてずぶ濡れになるなんて本当に最悪もいい所です。そうやって悩んだ結果、その後輩の隣の部屋に住んでいる別の後輩の部屋に行き、その部屋からベランダを移って勝手ながら布団を部屋に放り込んでおきました。
 その後布団を放り込んでおいた後輩からは勝手な事をしてきながらもお礼を言ってもらえたのですが、取り込む際に部屋に入らせてもらった別の後輩がまたも学科内でこの話をばらしまくって、私と友人になると洗濯物を取り込んでくれると噂になってました。

4、ミスターHard Rock
 別に私は音楽バンドとかをやっているわけじゃないのですが、うちの旅行狂いのお袋が世界中にある「Hard Rock Cafe」というレストランに各地で訪れて、私へのお土産に胸にでっかく「Hard Rock Cafe」と書かれたTシャツやらセーターを買ってくるので、夏場なんか毎日それを着ているもんだからいつの間にか「Hard Rock Cafe」が私の代名詞になっていました。今度何着持っているかをこのブログで数えてもいいけど、恐らく20着は超えているだろうな。

 緩いネタをと思って書いたものの、想像以上にまた濃い内容になった気がします。

2010年7月15日木曜日

児玉源太郎の政治観

 前からよく、日露戦争について日本は乃木稀典よりも今日取り上げる児玉源太郎をもっと取り上げるべきじゃなんじゃないかと私は思っていました。

児玉源太郎

 知っている人には説明無用ですが、この児玉源太郎という人物は日露戦争において陸軍を実質的に切り盛りしていた人物で、戦費の調達から海軍との折衝、米国への和平仲介依頼から戦争指揮まで、どんだけ万能なんだよと言いたくなるほどの八面六臂の活躍を見せました。
 特に有名なのは乃木と共に参加した二〇三高地での戦いで、現在もその評価を巡る議論が激しく行われていますが、日本軍で最も多くの戦死者を出したこの戦いはどう見たって乃木が無謀な突撃を繰り返して徒に損害を大きくしたのに対し、援護砲撃を加えての攻撃で見事陥落させたのは児玉の力による所が大きい気がします。

 そんな児玉ですが、あくまで私の見方ですが、どうもこの人は自分のことを軍人というよりは政治家と見ていたような節がある気がします。実際に彼の経歴を調べると西南戦争中に熊本城で防衛を見事に果たすなど軍人らしい活躍も多いのですが、台湾総督として現地で施政を行ったりしているなど政治家としての働きも非常に多い事が分かります。
 極め付けが彼自身の発言で、これは昔に「その時、歴史が動いた」で見た話ですが、政治ということについて以下のように述べたそうです

「政治というのは大鉈を振るうような仕事で、細々とは決して行ってはならない」

 この児玉の発言を私なりに解釈すると、何もかもを見通せて万事問題なく政治を運ぶ事など不可能であり、またそうした細かいことにいちいち対応していては課題が山積みとなって行く一方。それであれば細かい事に逡巡して方向性を間違えないよう、対極観を持って大きく政策を動かしていくべきだ、という風に受け取りました。

 思うに近年の日本の政治はこのような大原則というものがなく、言ってしまえば非常に小さな話題に必死こいて多くの時間だけが割かれているようにしか見えません。そういうどうでもいいような国会議論を見るたびにこの児玉の言葉が思い出され、村山富一氏もちょっと前に言っていましたが今の政治家は本当にちっちゃい連中ばかりになったんだなぁという気がします。

 そんな政治家としての児玉ですが、彼の政治的功績でいえばなんと言っても台湾総督時代の施政でしょう。熱帯地域に属する台湾では現在もデング熱など様々な疫病がありますが、当時は今以上にインフラも衛生も整っていなかったために結構ひどい状況だったそうです。そんな台湾に乗り込んできた児玉は自らがヘッドハンティングして来た、こちらも後の日本に大きな影響を残す後藤新平と見事なコンビネーションを見せて台湾の衛生環境を劇的に改善する事に成功しました。
 この後に後藤は児玉から日露戦争後に日本が得た満州地域の開発のために満鉄総裁就任を依頼されますが、最初はこの依頼を断ったそうです。しかしその直後に児玉が突然死したため、運命だと自分に言い聞かせて初代満鉄総裁に就任して辣腕を振るう事になります。

 その後藤の格言ですが、折角なのでこれも引用しておきます。

「金を残して死ぬ者は下。仕事を残して死ぬ者は中。人を残して死ぬ者は上だ」


 なんとなく、児玉と後藤の関係を見ていると感慨深い言葉に私は聞こえます。

 おまけ
 Wikipediaの児玉のページにてこんな面白い逸話がありました。
 日露戦争後に東京で日露戦争にまつわる展示会があり、その場で若い陸軍将校二人が児玉のことを褒め称えていると、
「児玉はそれほどたいした男ではありませんよ(‐ω‐)」
 と、ボソリとした声がしたので何を言うかと将校らが振り返ると、なんとそこには児玉本人が立っていたので大いに驚いたそうで。

  おまけ2
 本当にどうでもいいですが、二〇三高地は私も去年に登ってきました。日露戦争の写真で見るとはげ山ですが、現在では結構緑も茂っており、夏に行ったので無性に熱かったです。

2010年7月14日水曜日

口蹄疫、韓国人研修生原因説について

 ちょっと批判が来そうな内容ですが、前から気になっていたのもあるので思い切って書いちゃいます。

 一時期よりは大分落ち着いたものの現在も完全に終結しきっていない宮崎県の口蹄疫問題ですが、この口蹄疫が発生した当初から妙な噂がネットで飛び交っていました。その噂というのも、今回の宮崎県の口蹄疫は発症一例目の水牛が出た農場が口蹄疫発生前に同じく口蹄疫が発生していた韓国から研修生を受け入れ、その研修生に付着していたウィルスから感染が広がったのだという説です。しかも最初その農場は韓国人研修生の受け入れを拒否したものの民主党の道休議員が強権を持って無理矢理ねじ込ませたとして、いわば口蹄疫発生の原因は民主党と韓国にあった、もしくは意図的に感染が広げられたというような内容があちこちで見受けられました。

 この噂を初めて見た時に私は、口蹄疫が確認されてすぐに何が原因だったかどうかはっきり分かるはずもなく、ある程度騒動が落ち着いた段階でなければこの噂の真偽も確かめられないだろうと考えてきちんと検証が行われるまでは静観の立場をとる事にしました。特に外国人が原因だという説はいつどの国でも過熱する傾向があるのでなおさら慎重さが必要だと感じ、ブログには一切取り上げませんでしたが注視をし続けておりました。

 ここからが本題ですが、この口蹄疫が発生した当時の宮崎県について今月の文芸春秋にて作家の高山文彦氏が「宮崎口蹄疫禍現地ルポ」という記事を寄稿しております。私も今日この記事を読んだのですが、口蹄疫発症一例目の水牛が出た農場について詳しく時系列にまとめられています。

 まずこの記事で重要なのは、発症一例目の水牛を見ていた獣医師である池亀康夫氏が名前入りでインタビューに答えている点です。ただでさえあらぬ風評被害を受けかねない取材にもかかわらず取材に応じた池亀医師には頭が下がる思いがするのですが、発症一例目の水牛が出た農場というのはこの池亀医師がかかりつけの臨床医をしていた農場だったそうです。
 さてあんまり細かく内容を書いてもしょうがないので、時系列ごとに口蹄疫確認までの推移を簡単にまとめます。

3/26 牧場主から牛の調子が良くないと連絡があり、池亀医師が二頭の水牛を診察。口蹄疫の症状と言われるよだれや泡は確認されず、熱があった事から風邪と診断し治療。

3/29 最初に調子の悪かった牛とは別の九頭も発熱をしたので、同じように風邪の治療を行う。翌日にはどれも熱は下がったが便の状態は悪いままだった。

3/31 中毒症状を疑った池亀医師が家畜保健衛生所から別の獣医師三人にも来てもらって診断。牛が暴れるため蹄の裏(口蹄疫なら発疹が出る)を確認できなかったものの、三頭から検体(血液)を採取。なお口周りの泡は確認されず。

4/5 牛の熱は平熱に戻ったが、保健衛生所からは診断結果がこないため問い合わせた所、問題症状は特にない「陰性」と言われる。この時保健衛生所は口蹄疫かどうかを日本で唯一調べられる東京の動物衛生研究所に検体を送っていなかった。

4/14 依然と牛の乳の質と量が悪いため、牧場主が再度池亀医師と保健衛生所に診断を依頼。またも牛が暴れるため二頭だけから検体を採取。またも診断結果が保健衛生所からなかなか送られてこない。

4/20 この牧場の近くの和牛農家で牛三頭が初めて口蹄疫と確認される。14日の診断結果を再度保健衛生所に尋ねるとまたも「陰性」の返事。

4/21 保健衛生所がこの牧場に聞き取りに訪れ、水牛五頭から検体を採取して動物衛生研究所に送る。

4/22 研究所から水牛に「陽性」反応が出たと連絡が来る。口蹄疫が確認された順番ではこの牧場は六例目であったが、何故か3/31に採取した検体から口蹄疫が確認されたこととなって発症一例目に繰り上げられて認定される。

 ざっとまとめるとこんな具合です。
 この口蹄疫韓国人研修生陰謀説を唱えるサイトなどではこの発症一例目とされた牧場は水牛が口蹄疫に罹っていると早い段階でわかったものの当初事実を隠蔽し、口蹄疫の感染拡大を招いた等と批判する意見も載せている所もありますが、少なくとも上記の池亀医師の証言を見る限りですと何度も外部の保健衛生所の医師を呼ぶなど隠蔽しているようにはとても思えません。むしろ4/14、4/21にも検体を採取しておきながらも、どうして口蹄疫確認に3/31の検体が採用されたのかが不可解です。

 そして記事では肝心の韓国人研修生の噂についても触れていますが、池亀医師の証言によるとそもそもこの牧場主は韓国人研修性に見学を許した事などないそうです。この記事を書いた高山氏は当初この牧場主にも会う予定だったそうなのですが、ちょうど取材する予定だった日に週刊誌記者に「一例目を出したのだから世間に説明する義務がある」と押しかけられてしまい、結局取材を取る事が出来なかったそうです。

 高山氏によるとこの牧場主の方は単身でイタリアに農場経営を学びに行き、東京都出身にもかかわらず宮崎県にて牧場を開いたそうです。それが今回の口蹄疫で事実上財産をすべて失ったばかりかその上一部マスコミから謂れのない非難に晒されてしまうなど、高山氏もそのようなマスコミに対して記事中で逆非難を行っています。

 最後に、私は高山氏の記事を信用して韓国人研修生陰謀説は間違っているのではないか、根も葉もないデマではないかと主張しているわけですが、私が直接取材しているわけではないのでこの高山氏の記事の方が逆に偽者という可能性もゼロではありません。それにもかかわらず何故私が高山氏の記事を取るかと言うと、

・現地で取材がなされている。
・発症一例目とされる牧場の獣医師が実名で取材に応じている。
・保健衛生所の診断など、追跡取材できる材料がある。
・一例目認定の不可解な経緯について書かれている。


 逆に韓国人研修生陰謀説について私が疑問に思う点として、

・何人研修に来たのか、人数がどこにも書かれていない。
・議員を通して牧場研修に来るというルートが不可解。
→JICAとか言われているが、議員が介入するメリットが見当たらない。
・宮崎と韓国で発生した口蹄疫ウィルスの型が一致したと言うが、韓国ではA型とかO型とか、複数ある。


 あくまでこれは私個人という素人の意見です。ただ前にも書きましたが、日本人は割と陰謀好きな所があるように思えますが、現実にはそんなに世の中陰謀に溢れているわけじゃないような気がします。

2010年7月13日火曜日

猛将列伝~信陵君

 中国戦国時代において軍事、内政それぞれの分野で並々ならぬ才能を持つ人物は数多くおりますが、その中でも屈指の人材ともなると私の中でまず挙がってくるのはこの信陵君です。

信陵君(Wikipedia)

 信陵君というのは通称で本名は魏無忌ですが、彼はかつて私が書いた「孟嘗君と馮驩」の記事にて取り上げた孟嘗君と同じく、戦国時代後期において高い評価を受けたことから並び称された「戦国四公子」と呼ばれた四人の一人です。この信陵君は魏王の弟でしたがかねてからその優秀さは群を抜いており、それゆえに王位を奪いかねない人物だとして実の兄からは警戒されておりました。

 そんな魏王を恐れさせた信陵君のエピソードに、信陵君が魏王と碁を打っていると隣国から軍団が近づいているとの報告があり、すわ戦争かと魏王が慌てたのに対して信陵君は隣国が狩りに出かけているだけなので慌てる必要はないと全く動じませんでした。果たしてしばらくするとまた新たな報告があり、信陵君の言う通りにその隣国の軍団は獲物の狩りのために出撃していたことがわかり、どうしてわかったのだと魏王が尋ねると信陵君は、自分は独自の情報網を持っており今日隣国が狩りに出かけるとすでに報告を受けていたからだとこともなげに答えました。

 終始こんな感じなので王である兄は信陵君を常に警戒していたのですが、ある年に魏の隣国の趙が秦に攻めこまれて首都を包囲されたため救援を求めてきました。趙には信陵君の姉が嫁いでいたために信陵君は王に救援を志願しますが、勢いのある秦に真っ向からぶつかるのは危険だとして魏王はこれを却下しました。
 やむを得ず信陵君は自分のわずかな手勢のみで救援に向おうとした所、門番の身分ゆえに誰も相手にしなかったものの信陵君だけが賢者だとして慕っていた侯嬴という老人から助言を受け、その助言に従って信陵君は魏の正規兵を指揮下に納める事に成功しました。そしてその兵を率いて趙を訪れるやあっという間に秦を撃退し、趙の救援に成功したわけです。

 ただ信陵君が正規兵を率いるに当たり兄である魏王の命令に逆らって行動したため、信陵君は兵だけを魏に帰すと自分は帰国せずにそのまま趙に止まりました。信陵君はその趙でもあまり身分がよくないものの賢者と呼び声の高い毛公と薛公という二人の人物とまた親しく交際するようになり、信陵君は身分を問わずにその才能で相手を見てくれるとますます人気が高まりました。

 しかしその一方、信陵君の去った魏では恐れていた信陵君がいなくなった事から逆に秦に何度も攻め込まれるようになり、年々その勢力を弱体化させていました。この危機的な事態に魏王は信陵君に何度も帰国を促しますが、暗殺が横行していた時代ゆえ、信陵君は謀殺されるのを恐れてその要請になかなか応じませんでした。
 そんな信陵君を見て、先程の毛公と薛公がこのように諭しました。

「あなた(信陵君)は魏あっての人物なのです。今諸国があなたを評価して競って求めるのは魏という母国があってのもので、仮に母国が滅亡しましたらあなたの正義はなくなり、誰もついてこなくなるでしょう」

 この言葉を受け信陵君はついに魏に帰国し、救援に来た他国の軍勢をすべてまとめ上げるやまたも一人で強国秦を見事に撃退して見せました。この恐ろしいまでの信陵君の活躍に恐れをなした秦は信陵君の存命中は二度と魏に攻め込まなくなったのですが、その代わりに信陵君を政治的に抹殺しようと、魏国内で信陵君が謀反を企てているなどといった噂を流布させて元々警戒していた魏王をさらに警戒させるという手段に出ました。この秦の策にはまった魏王は信陵君を暗殺こそしなかったものの政治からなるべく遠ざけるようにしたため、失意ゆえに信陵君はその後すぐに病気で死んでしまいました。

 この信陵君のエピソードを昔に読んで私が強く印象に覚えたのは、括弧書きで書いた毛公と薛公の、「如何に能力のある人物であっても、寄って立つものがなければ誰も信用しなくなる」という説法です。要するに背中に何を背負っているかという事ですが、なんでこんなエピソードを今日ここで引っ張ってきたのかと言うと、今の枡添要一氏と与謝野馨氏を見ているとつくづくこれがよくわかるなぁ思ったからです。

 この二人はどちらも選挙前に自民党から離脱して新たな党に入り、今回の参議院選挙にてそれぞれの党を実質取り仕切りましたが、自民党時代の名声や人気はどこいったのかと思うくらいに選挙中はおろか選挙の終わった今でも全くメディアに取り上げられませんし、人の噂にも上ってきません。特に桝添氏なんて自民党時代は総理にしたい候補ナンバー1だったのに、多分今このアンケートを取ったらランク外になる可能性すらあるんじゃないかと思うくらいの低落ぶりです。
 私は桝添氏が自民党離脱を発表した際にこのブログで、自民党あっての桝添要一であって、ただの桝添要一に有権者は反応しないだろうと書きましたが、この評論はまさにこの信陵君のこのエピソードから引用したものでした。多分先ほどの総理にしたい候補アンケートなんかあったもんだから、桝添氏は自分という個人が人気があると勘違いしちゃったのかな。

2010年7月12日月曜日

今後の政局について

 昨日一昨日とまたブログの更新をしませんでしたが、決してサボっていたわけでなくまたちまちまとしたある作業をやっておりました。うまくいけば多分、来週までにはその作業の成果をお見せできるかと思います。
 それはさておき全く盛り上がりませんでしたが、ようやく民主党が与党についてから初めて行われた参院選も終わりました。議席数を大幅に減らした民主党に対して大敗と書く新聞が多かったですが、私の感想はというと「勝者なき選挙」だったというのが結論のような気がします。

 唯一今回の選挙で良い思いをしたのは10議席を獲得した渡辺嘉美氏率いるみんなの党くらいで、一番多くの議席を獲得できた自民党ですらもあれだけ死に体だった民主党を追い詰める事も出来ず、また選挙前に数多くの離党者を出した事から本人らもどうにも勝利風を吹かしているようには見えません。それに対して民主党では今回の選挙での敗北責任を誰が取るのかで早くも揉めているなどという報道がなされており、選挙中に無闇な消費税議論をぶち上げた菅首相か、選挙区を取り仕切った枝野幹事長かなどと言われていますが、普通に考えるなら菅首相に変わるまで選挙準備を行っていた挙句資金管理問題で足を引っ張った小沢氏だと思うのですが。

 そういったおさらいはおいといて、ちゃちゃっと今後の政局について私の意見を紹介します。
 まず結論から言って、与党民主党が衆参でねじれ状態に陥った事からただでさえ惰弱な政権基盤が今後ますます弱まる事になり、不安定な政権が続く事によって今後ますます政治的混乱が続くと思います。すでに海外メディアなどは今回の選挙結果を得て、「また日本で首相が変わるのでは」と意見を載せているそうですが事実その通りで、同じねじれ状態でも安部、福田、麻生政権と違って衆議院で三分の二以上の議席を占めていない事から、このままの状態だと国会での法案成立にかつてないほどの時間がかかり政治が停滞する事は必至でしょう。

 そのような現実を踏まえて今後の政局はどのように動くかとなると、私の希望も強く入っていますが一番良いのは民主と自民で連立、もしくは合併をするのが望ましいかと思います。

 前に私が書いた「自民、民主のマニフェストを見比べて」の記事でも書いたように両党の選挙前公約は八割方一致しており、どちらにしろ議論しなければならない実行手段をお互いで刷り合わせれば何も問題ないんじゃないかというくらい一緒です。唯一対立している意見として外国人参政権問題がありますが、はっきり言ってこの問題は経済対策、司法改革と比べれば優先度が非常に低く、連立の間は政策協議こそ行えど法案提出をしないとして棚上げにすればいいかと思います。
 またこれまで自民、民主とで異なる立場だった普天間の米軍基地移設問題も、皮肉なことに一番ややこしくしてくれた鳩山前首相が最後は自分の首とかわりに社民党を追い出して自民党案に乗っかった事で、もはや対立する理由はなくなっております。

 今の日本政治に何が一番求められているのかと言うと立派な政策や改革などではなく、安倍政権以降、というより小泉政権を除いた小渕政権以降の政治的混乱に終止符を打つかのような安定性だと私は考えております。前鳩山政権は社民、国民新党と連立を組んだものの言ってはなんですが組んだ相手が非常に悪く、かえって政治基盤を揺るがせてしまいましたが、あんなクレーマーみたいな連中とではなくちゃんと方向性を同じくする政党としっかりと期間を定め、対応策に共通した意見を持つ政治的課題を片っ端から片付けていくのが何より重要かと思います。

 ただこの大連立を行うに当たり、やらねばならない事が一つあります。それはどんな事かというと両方の政党において後々禍根となりかねない、連立を行う上で障害となるであろう人物の粛清です。
 民主党においてはすでに鳩山前首相は引退を表明していますが、その鳩山前首相を傀儡としただけでなく90年代以降の日本政治において混乱が起きるように自ら動いて私腹を肥やしてきた小沢一郎氏と、日教組のドンこと輿石東氏、マルチ商法の元締め山岡賢次氏といった小沢と不愉快な仲間達。あと外国人参政権を強硬に主張する枝野幹事長も考え方を改めようとしなければ放逐する必要があるでしょう。

 自民党においては失政の責任を取ろうともせずに居座り続ける森、安倍、福田、麻生の元総理経験者の四人です。正直な所、他の三人はともかく福田氏には残ってもらいたい気持ちもありますが、近年の自民党総裁がどうして力を発揮できずに独自色を出せなかったのかを突き詰めると、元総理経験者がでかい顔して居座っていたのが大きな原因に思えてならないからです。彼らが居座り続ける事によって彼ら自身だけではなく、その取り巻きにも新たな総裁を気を使わねばならず、一番手っ取り早い方法として小泉元首相同様にこの四人にも退場をしてもらうことが連立後の安定性を維持する上では欠かせないでしょう。
 そうして連立を組む代わりに、自民党としては次の総選挙を前倒しして任期切れの2013年ではなく二年後の2012年に前倒すといった条件を民主党に出してもいいかもしれません。

 最後に前の記事でちょっと書き忘れていましたが、あまりニュースなどで取り上げられないものの民主党は今回の選挙マニフェストにおいて、今年から始まった子供手当てを国内に子供がいる家庭に範囲を狭めると謳っておりました。今更という感じですが、やるなら早くやれというのが私の感想です。

  訂正
 自民と民主が連立するに当たって粛清する必要がある人物として民主党の枝野幹事長をこの記事で挙げましたが、これは枝野氏ではなく仙石官房長官の間違いでした。どちらも外国人参政権の導入に積極的ですが、枝野氏がまだ内容を詰める必要があると言うのに対して、仙石氏はとにもかくにも急いで導入するべきだとしていてこの人物は連立するにあたって障害になると私は判断しました。
 私自身も外国人参政権については実は賛成派ですが、今の民主党案だと今の子供手当てみたいに内容が詰められていないためにすぐに穴が空くのは目に見えており、それにもかかわらずもう実施すべきだという仙石氏の意見はちょっと奇異なものに見えます。

2010年7月9日金曜日

匿名性と攻撃性

 なんかこの所、選挙が近いせいか出張所の方に記事内容とは全く関係のない、一方通行な政治主張をしつつ特定のアドレス、書籍ばかりを並び立てるコメントが多いので、最近私の気が立っているのもあるのでそれらコメントを削除すると共にコメント主をアクセス禁止にしました。言っちゃなんだけど、何が楽しくてやるんだろこういう人達。

 それはともかくとして、やっぱりこういったブログなり掲示板のコメントともなると中には日常世界で言ったらすぐに村八分になりかねないほどの過激な意見が書かれる事が多いと言われています。一体どうしてネット上では現実世界より意見が過激化、先鋭化するのかですが、原因は間違いなくネットの匿名性にあるでしょう。

ミルグラム実験(Wikipedia)

 私のような社会学系の人間にはもしかしたら「アイヒマン実験」と書いた方が通りがいいかもしれませんが、上記リンクに貼ったある実験の内容と結論を簡単に説明すると、質問者と回答者がお互いに顔が見えない様に2グループに別れ、もし回答者が質問者からの問題の答えを間違えたら質問者は罰として回答者に電圧を流すよう言われた所(実際には電圧はかけられず、回答者は痛がるような声を出すだけ)、質問者は回答者が回答を間違える度にどんどんと電圧を上げていき、最終的には実験者の大半が450ボルトという、人が死んでも全くおかしくないほどの電圧をかけるという結果になりました。

 ちょうど昨日にテレビ番組の「奇跡体験 アンビリーバボー」でこれと同じ実験をしたフランスのテレビ番組を取り上げていましたが、この実験が何を言わんとしているのかと言うと、人間は自分に責任が及ばないとわかるや直接顔の見えない相手に対してとことん冷酷になりうるということで、それゆえに上記のミルグラム実験はナチスドイツにおいてユダヤ人の大量虐殺を指揮したアドルフ・アイヒマンの名前を関するようになったわけです。

 これがネット上の意見とどう関わるかというと、いちいち言うまでもありませんがネット上では言い合う相手の顔も見えなければ個人の特定も難しく、まさに先ほどのアイヒマン実験のような環境にあります。それゆえに日常生活上では言えないほどの攻撃的な言葉や批判が行われ、それに対して言われた側もカチンと来てより激しく言い返して加熱して行くという現象があるとインターネット黎明期より指摘されていましたが、政治系の内容を扱う上は自分のブログもそうなるのかなと危惧していましたが今の所はまだそうはなっていない気がします。今回削除したのも、どちらかと言えば宣伝目的のものだったし。

 よくうちの親父から、このブログでの記事内容やコメントに対する私の対応が普段の私の姿からは想像も出来ないほど落ち着いているので意外だと言われます。実際に書いている自分でも、日常生活ではほぼ毎日、「死ね、ボケっ(# ゚Д゚)カス!!」とリアルに言っている自分がどうしてネット上だと攻撃性が低まるのかよくわかりません。なんていうか、むかつく相手の顔を見ている方が私の場合はイライラするのかな。

 ただ敢えて無理な解釈をすると、私はこのブログで自分のメールアドレスも公開していますし、通常のプライバシーを保てる範囲内では出来るだけ自分の匿名性を下げようと意識しています。政治系の主張をする以上は自分の発言に責任を持たねばならないと考えているがゆえの意識ですが、それゆえに私はかえってネット上の方が「人に見られている」と強く感じます。

 ここで言った「人に見られている」という意識ですが、これこそが日本人の行動に影響を与える意識の中では恐らく最も強いものでしょう。また暇があったらこれ単体で記事を書きますが、ネット上でも見られていると思うか見られていないと思うか、この意識の違いが結局はその日本人の潜在的攻撃性を図る上で一つの指標になるんじゃないかと今日バスに乗りながら考えていたわけです。

2010年7月8日木曜日

自民、民主のマニフェストを見比べて

 さすがに投票も直前になったので、そろそろ選挙関係の記事を書いておこうと思います。一応ネタは前々から仕込んでいて、街頭で配られているマニフェストを取っておいたので今日はその内容を自民と民主とで比べて見ようと思います。

 まず全体の構成ですが、見栄えで言うなら今回は民主党の方が出来がいいように思えます。分野ごとに政策案がまとめられており、巻末には自画自賛ではありますが今年の国会で挙げた実績と達成できなかったとして今後の課題を分けており、内容面はともかくとしてまとめ方でいえば及第点です。
 それに対して自民党はというと、なんていうかもっとまともなデザイナーはいなかったのと言いたくなるようなマニフェスト冊子でした。こちらも各分野ごとに政策案がまとめられてはいるのですが、部分部分に入れられている絵がなんと微妙な感じの人物の透かし絵で、悪気はないんだろうけど見ていてどうも斜陽産業的な印象を感じました。私だけかもしれないけど。

 それでは肝心の内容についてですが、結論から言えばどちらも前回の衆議院選挙時同様に何の参考にもならないと言っていいでしょう。理由は幾つかあり、

1、書かれている内容が前回マニフェストとあまり変わっていない
2、自民も民主も八割方内容がかぶっている
3、書かれている政策同士で矛盾がある
4、議員の責任について調子のいい事を書いている


 ざっと挙げるとこんなもんで、どちらもいい格好を見せようと調子のいい事しか書いていないというのが私の感想です。

 細かく説明するとまず1番目については言うまでもないですが、前回マニフェストに書かれていたのにどうして今だ実現できずにこれからできるというのか。格好いいセリフで言うと、「今日戦う事が出来ない奴がどうして明日を戦えるか」で、特に民主党は与党という立場にあったのだから実現できなかったというのであれば何度も同じネタを投下すると言うのはどんな物でしょうか。論語でも、「できもしない事を口にする奴は愚かだ」って言ってるし。

 2番目についてはまさに今の日本政治の駄目な部分の象徴ともいうべき箇所ですが、自民も民主も、「公務員の総人件費の二割削減」や「国会議員の定数削減」、「高校大学進学の奨学金を作る」などといった主だった政策が完璧なまでに一致しております。どうして議席第一党と第二党が共通した政策を持っているにもかかわらず前回選挙から今の今まで実現できないのか、答えは簡単でどちらも本気でやる気がないからでしょう。っていうかここまで一致してんだったら、この際連立なり合併するなり一緒にやっていったらと言いたくなるくらいの一致ぶりです。

 3番目についてはこちらもあまり説明する必要はありませんが、片方では財政健全化を目指すと言っておきながら、もう片方では社会保障にもっとお金をかけると言っており、一体どっちに重心を置いているのか全く訳がわからない内容に二冊ともなっています。民主については新たな歳出には無駄遣いを減らした分を充当すると書いていますが、今年の予算で全然その目論見が上手く行かなかったにもかかわらずまた書いてくるなんてちょっと呆れた態度です。

 でもって4番目。これは一つ一つ抜き出しておきましょう。

・法律で政治家の責任を明確に規定し、違法行為を「秘書の責任」にできないようにします(自民)
・国会議員の歳費を日割りにすると共に、国会の委員長手当てなどを見直す事で、国会議員の経費を2割削減します(民主)


 まず自民について、確か自民党も過去にたくさん「秘書のせい」にして言い逃れをしてきた政治家がたくさんいたはずです。こういったことを主張すると言うのならまずはその過去に秘書に責任を負わせた政治家らをすべて除名してから言うべきじゃないでしょうか。
 次に民主党ですが、国会議員の歳費を日割りにすると言っていますがほんの少し前、今年の四月と五月にそれぞれ一日しか登院しなかったくせに議員歳費約460万円を受け取った河上満栄なんていう駄目な人間を除名せず、ちゃっかりボーナスを受け取らせてから衆議院議員職を辞職させてから今度の参議院選挙に出馬させる組織が言うセリフではまずないでしょう。真面目な話、タイゾーの方が全然まともだった気がする。

 こんな具合なので、この二党についてはマニフェストをいちいち参考にする必要はないと思います。

 最後に一つ付け加えておくと、仮にどちらかのマニフェストに嘘でもいいから、「郵政民営化を元のレールに戻す」という一項目が書かれていれば私はそれだけでその党に投票するつもりでした。タイムリーに今、ゆうパックの遅配問題が起きていますが、小泉政権下で行われたこの郵政民営化は天下り、無駄な財政支出、中央集権から地方分権、族議員の排除といった広範囲の問題に関わる非常に重要な改革であったと私は評価しております。それが現在、小泉政権を引き継いだ安部内閣で野田聖子などといった郵政造反組の復党に端を発して民主党政権に至った今ではとんでもない内容でまた国有化されようとしています。

 この辺についてはまた今度解説しますが、もし民主党が今国会で提出された郵政改革法をそのまま通せば、恐らく郵政は集めた貯金をすべて国債につぎ込んでしまう事になると思います。今回の遅配問題で、これに待ったがかかれば言う事なしなんだけど。

2010年7月7日水曜日

日本式経営と住宅

 リーマンショック前に一次復権したものの今じゃすっかり死語と化してしまった「日本式経営」ですが、私も以前に書いた「失われた十年」の連載にて「日本式経営」と一項目を設けて解説しております。この日本式経営というのは簡単に説明すると高度経済成長期の日本企業の特徴と言うか雇用方針の事を指しており、具体的な特徴をWikipediaから引用すると、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」の三本柱で成り立っているとされております。
 ただ私はこの三本柱に加えて、あまり表では言われておりませんが日本式経営にはもう一つ、「住宅」という要素も重要な意味を持っていたのではないかと考えており、今日は一つその辺を解説しようと思います。

 これまた不況ゆえに今では全く聞こえなくなりましたが、私が子供だった頃は結構あちこちで、「日本人にとってマイホームを特別な意味を持つ」、「外人と比べて、日本人の家に対するこだわりは強い」という言葉がよく叫ばれていました。今じゃマイホームを持つ事自体、減価償却や地震、火災保険といったランニングコスト面で非常にリスキーな世の中である事を考えるとどうにも隔世の感が否めませんが。

 そんなマイホームへの強いこだわりがどうして日本式経営と関わってくるのかですが、私があちこちから話を聞いていると高度経済成長時代の日本企業では社員の福祉厚生の名目で社員の住宅購入時に低利で頭金を貸し付けたりする事が多く、企業自体が率先して社員に住宅購入を勧めていたという節があったようです。確かに社員のために住宅購入の援助をするというのは一見すると美談なのですが、さらによくよく話を聞いていると、どうもそうやって住宅を購入した途端に異動、転勤となったという話も同じくらいに聞こえてきて、それらを総合すると企業側は社員を縛る目的を持って住宅購入を勧めていたんじゃないかと思うようになりました。

 話のからくりはこうです。
 一生に一度の買い物といわれる住宅を購入する際、その金額ゆえに普通の人なら十年以上の期間に渡る長期ローンを組んで購入しますが、一旦ローンを組むと人間守りに入るというか、ちょっとやそっとのことでは収入を減らすような真似、言ってしまえば転職なり退職などといった決断がし辛くなります。
 これを企業側の視点から見ると、社員を効率的に働かせるためにはそれこそ異動なり転勤なりといった社員の意にそぐわない命令も時には必要ですが、それがきっかけで社員に逃げられてしまっては元も子もありません。ですが社員に住宅ローンを組ませてしまえばもうこっちのもんで、借金を抱えている負い目につけ込んで異動や転勤といった命令や、サービス残業なども以前より思いのままに申し付ける事が出来るようになります。

 このように、会社が社員に住宅購入を援助したり勧めることで社員に長期ローンを組ませ、転職や退職といった考えを持たせないようにする事で会社は社員の会社への依存心を意図的に高めていたのではないかと私は考えているわけです。でもってこの手段が発展していき、社員を会社に縛るだけじゃなくてこの際お金も儲けようとして作られたのが、自動車メーカートヨタの子会社であるトヨタホームだったんじゃないかと私は見ています。
 以前に愛知県の人から話を聞いた事がありますが、トヨタという会社は社員に対して熱心に住宅を購入するよう勧めてその購入費の援助も半端じゃなく、その甲斐あってトヨタ社員の持ち家率は非常に高いそうです。まぁ考えようによってはうまいやり方だけど。

 こんな風に考えてみると、私が子供だった頃に盛んに叫ばれていたマイホームを持つ価値というのは社員をなるべく会社に縛り付けて起きたいという企業側が作った風潮だったのではないかと思います。今じゃ日本企業は逆に社員にあまり長々と居着いてもらいたくなくなっており、こうした住宅購入援助も心なしか以前よりはなくなってきているように見えます。

 結論をまとめると、日本式経営における「終身雇用」を成立させる一つの条件として、住宅購入による長期ローンというのがあったのではないかということです。かなり久々に経済関係の記事を書いた気がする。

2010年7月6日火曜日

阿久根市のシャッターアートについて

 参議院選投票日まですでに一週間を切っていますが、政治系ブログの癖してこの話題についてはトンと触れておりません。多少なり争点がまだ書く気が湧きますが、今回はそもそもその存在理由すら公然と批判されている参議院の選挙でもあってわざわざ記事にするほどの価値は見出せません。敢えて苦言を呈せば、目立った争点を作る事が出来なかった最大野党の自民党があまりにもだらしなかったのが原因だと思います。

 そんなわけで今日も選挙と全く関係のない話題を取り上げますが、今日ネット上を見回していたら、一つ気になるニュース記事を見つけました。

日本一のシャッター街・阿久根(デイリーポータル)

 リンクに貼った記事は、市長が市役所職員と年がら年中ぶつかってはブログで愚痴を書き綴り、全国ニュースにも取り上げられてすっかり全国区となってしまった鹿児島県阿久根市のシャッター街の取材記事です。シャッター街というと寂れた地方都市について回るネガティブな言葉ですが、阿久根市はこのシャッター街を利用して観光の一つの目玉にしているということで、記者の方が真偽を確かめるために現地を取材したという内容です。

 一体何故シャッター街が観光材料になるのかとクエスチョンマークが浮かんできますが、百聞は一見に如かずで早速記事内容を見てみると、なんと阿久根市では各店舗のシャッターにトリックアートのような絵を街全体で描いている様子が写されておりました。しかもよくよくその絵を見るとそんじょそこらの落書きのレベルではなく、どれもウィットに飛んでいてミレーなどの名画の構図を微妙に現代風にアレンジして描いており、よくもまぁこれだけレベルの高い絵を街全体に作ったなと感心させられる出来栄えです。

 実はここだけの話、この阿久根市というのは酒ばかり飲んでいるうちのお袋の実家で、私も子供の頃は毎年のように訪れていた街です。私自身はこの阿久根市の近くにある同じく鹿児島県出水市の病院で生まれましたが、実質「ぼくの夏休み」的な田舎となると私の中ではこの阿久根市と叔母さんの住んでいた喜入市が浮かんできます。

 そんなわけで早速この記事をお袋に見せると案の定いい反応を示し、
「ここの肉屋は昔からあった」
「ここの家の長男は叔父さんと仲がよかったが早くに死んだ」
 などと、田舎らしく世界の狭い話を延々と話し始めました。

 ただこの取材記事の末尾にて、いろいろと悪い報道の絶えない市長について阿久根市の住民たちは好意的に評価している声が聞こえると書かれていますが、うちのお袋によるとこのシャッターアートというのは市長支持派の店舗にしか施されず、市は反対派の店舗に対しては殆んど行ってくれないそうです。取材内容から察するに恐らく、この記事を書いた記者の方がインタビューしたのはシャッターアートが施された店舗の住人ばかりだったのではないかと思え、そう考えるとお袋の情報も正しいような気がします。

  おまけ
 お袋に許しをもらったから書いてしまいますが、お袋の高校時代に留年して学年が落ちてきた同級生の男子がある日、
「鹿が食いたいなぁ」
 とぼやき、友達を誘って体育倉庫から金属バットを借りて、野生の鹿がたくさんいる阿久根大島へとフェリーで渡ったそうです。でもってそのバットを使って鹿を撲殺し、焚き火で焼いて望み通りに鹿の肉を食べたそうですが、焚き火の火の回りが早くて危うく大火事になりかけたそうで、学生服使って火を必死で消したために上着が大分焦げたというオチまでつけていました。
 その後、この時鹿を殴った人は警察官になったそうですが、火事の現場には誰よりも早く駆けつけることで有名になったそうです。

2010年7月5日月曜日

ロンドン海軍軍縮条約の意味

 私は中学、高校時代はそんなに学校の成績がよくありませんでしたが、こと歴史科目においては一貫して成績上位を難なく取っておりました。そんな歴史が得意な私だから思うだけなのかもしれませんが、やっぱり学校の授業では表面的な事項の説明に終始するため、教師ももっと深く掘り下げてやった方が学んでいる側も覚えやすくなるのにと思うことが数多くありました。一例を挙げると、これは世界史ですが中国で宋朝の後に出来た金朝を作った女真族は、後に清朝を作る満州族と同じだということなど。

ロンドン海軍軍縮会議(Wikipedia)

 上記リンクに貼った事項もその一つで、今日はちょっと政治思想的な内容を含めてこのロンドン海軍軍縮条約について私の意見を書いてみようと思います。

 第一次世界大戦後に二度とあのような世界大戦を引き起こさないため世界各国で軍縮を進めようという目的の下で1922年に結ばれたワシントン海軍軍縮条約に引き続き、1930年にこのワシントン海軍軍縮会議は開かれました。先にこの二つの条約の違いについて説明しておくと、前者のワシントン海軍軍縮条約では保有する戦艦の重量を制限したのですが、戦艦が作れないのであれば巡洋艦を作ればいいじゃないとばかりに、条約締結後に各国では制限対象にない攻撃能力の高い巡洋艦の建造ラッシュが始まってしまいました。
 しかし、これでは全く軍縮にならないじゃないかということになり、1930年に今度はロンドンで巡洋艦の保有数も制限しようとして開かれたのがこのロンドン海軍軍縮会議です。

 結果から言うと、艦の種類によって微妙に比率は異なりますが全体的には米英に対し日本は重量にして約10:6.975の割合で艦を保有を制限する事に決まったのですが、この条約案に対して批准するかどうかについて旧日本海軍内部は真っ二つに分かれました。
 腐っても欧米列強に対して約7割の保有数量を勝ち得たのは大成功だとする「条約派」、片や四方を海に囲まれている日本の海軍防衛力の重要性は米英の比ではないとして条約案を批判した「艦隊派」と海軍首脳部で二つに分かれたのですが、日露戦争の大立者である東郷平八郎はこの時、明確に艦隊派の立場に立って条約派を批判していました。

 最終的には時の政府を率いていた浜口内閣が大恐慌時代の最中ということもあり、余計な歳出を減らしていきたという思惑が条約派と一致して条約に批准はしたものの、海軍内部の艦隊派を含めて一般民衆からも条約批准時には政府に強い批判が起きたそうです。この動きに乗ったのが時の野党政友会で大物代議士であった鳩山一郎で、彼こそ後の軍部独裁時に錦の御旗として使われる事となる「統帥権の干犯」という言葉を使った最初の人間で、海軍内部の反対を押し切って条約を結んだ政府は憲法批判だと強く批判しました。
 よく鳩山一郎はハト派だったと評価する人がいますが、この鳩山一郎も孫同様に時期によって自分の意見や主張を平気で180度転換する事が多々あり、佐野眞一氏の言葉を借りるなら「嫌な人間の一族」の一人であると私も認識しています。

 さてそんなすったもんだがあったロンドン海軍軍縮条約ですが、たまに右翼的とされる評論家がこの条約について、「米英が躍進著しい日本を封じ込めようとして、艦隊の保有数量を制限しようとした策謀であった」という意見を述べる事がありますが、この意見について私は的外れな意見を言うのもいい加減にしろと言いたくなる意見だと考えています。

 名前を忘れましたが当時の条約派の軍人がこの条約に対し、「一見すると日本は米英の約7割に制限されるように見えるが、実際には日本7に対して米英を10に制限する、日本にとってこれ以上ない有利な条約だ」と述べております。これはどういう意味かというと、当時の日本と米英の工業生産力の差は現代とは比べ物にならないほど差があり、先ほどの軍人の意見の続きをそのまま引用すると、「仮にこの条約が撤廃されて建艦競争に入ると、日本が7の二倍の14に増やしている間、米英は20どころではなく30、40まで増やしているだろう」と述べており、実際にこの生産力の差はその後起きた太平洋戦争で実証される事になります。

 一つ例を紹介すると、太平洋戦争が開戦されるやアメリカはその有り余る生産力を存分に使って一気に軍備を拡張し、なんでも一ヶ月に一艦の割合で空母を建造していたそうです。それに対して日本は損傷した艦の修理にも何ヶ月もかかり、新造艦ともなると小さい物でも三ヶ月くらいの工期がかかっていたと思います。ちなみに大艦巨砲主義の申し子である戦艦大和はその運用において、先ほどのアメリカで一ヶ月に一艦の割合で作られた量産型空母一艦しか破壊する事が出来ず沈没しております。

 はっきり言って、当時のアメリカの工業力と日本の工業力を比較すれば先程の軍人が述べたようなロンドン海軍軍縮条約の価値は誰でも分かる話です。それにもかかわらず妙な精神論やら党利党略に走ってこの条約を批判し、挙句の果てには米英の妙な陰謀論まででっち上げるなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるでしょう。

 昭和史研究家の半藤一利氏はこの時代の陸海軍首脳について、調べれば調べるほどにその要所要所の無責任さに呆れてくると述べていますが、このロンドン海軍軍縮条約一つ取ってもその言わんとする事が私にも分かります。この後に開戦される太平洋戦争の直前においても海軍は図上演習こと開戦した場合のシミュレーションを行っているのですが、なんでも十回以上やって全部アメリカの勝利に終わるという結果が出ても、「勝負はやって見なきゃわからないよ」と言って、最終的には政府の開戦提案にOKを出してしまいます。

 ちょっと前に日本人の無責任さについて長々記事を書きましたが、これは何も今始まった事ではないというのが今日の私の意見です。あともう一つ書いとくと、日本人はやたらと陰謀論を好みますが、実際にはそんなに込み入った陰謀と言うのは世の中少ないということも覚えておいてください。

2010年7月4日日曜日

長い文章を書けるようになるには

 よく人から毎日のように更新されるこのブログについて、「どうしてああも長い文章を毎日書けるの?」と聞かれます。実際に自分でもブログを始めた当初に想定していた以上に現在のこのブログは更新数も多ければ一回の記事辺りの文章も長く、まさかここまで書くことになるとは思ってもいませんでしたが、ブログを始める以前からも長い文章は比較的よく書いておりました。
 一番代表的なのはこのブログでも公開した「北京留学記」で、これは留学から帰国して半年後くらいにまとめて書いて中国語の恩師などへ報告書の形で贈りました。この留学記のように旅行などから帰ってくると備忘録の意味を込め、あらかじめ人に見せる事を前提にしてまとまった文章を書いてました。

 それで一体どうすればこれだけ長々と文章書けるようになるのかですが、結論から言えば練習あるのみで、それまでにどれだけの量の文章を書いてきたのかで全部決まると思います。

 私の場合、中学生の頃から小説を書くようになりましたが、お世辞にも当時は文章が上手いとは言えず、確か400字詰め原稿用紙を20枚くらい書いた所で一つの話を書き終えていたと思います。しかし人間書き続けていればなんとやらで、各回数を重ねるごとにこの枚数は飛躍的に増えて行き、確か15歳の頃には一本の小説で原稿用紙100枚はざらで、新人賞に投稿したのになると300枚は行っていました。やっぱり自分でも一本で100枚を超える小説を作った時にはなにか壁みたいなのを破ったような気がして、それ以前とそれ以後で表現の技術やら段落の運び方などで大きな差が出来たように思います。

 その後高校進学後も小説は書いておりましたが、その頃になると小説より現在このブログでやっているような社会批評など、何かしら題材を取って解説したり意見を述べるルポのような文章を書くことの方が好きになっていき、ただ長い文章量の小説を書いていた頃と比べて短くとも内容にこだわる文章を心がけるようになって行きました。今思うと、いい時期に目指すべき文章の方向性を変えた気がします。

 そして大学進学後、この頃はそれまでと打って変わって文章を書く機会がめっきり減りました。最初でこそ一人同人誌(雑誌名は確か「出来心」)を作るなどしてやる気十分だったのですが、一人で活動する寂しさに加え、何かを発信しようとするよりもまずは発信する中身を鍛え上げねばと大学で勉強していて感じるようになったのが原因で、確か一人同人誌は三回出して終わりました。見せていたのも、近所の友人だけだったし。

 そんなわけで代学在学中は文章をあまり書かず、このブログを始めてからまたどえらい量の文章を書くようになったのですが、最初に書いたように自分でも思っていた以上に書き続けてきており、ブランクとかそういった物は感じた事はありません。大学受験での国語の能力は数学と違って落ちにくいと予備校の講師から聞かされておりましたが、文章を書く技術と言うのも案外その類に洩れず、それこそ一度鍛えたらずっと身についてくれる物なのかもしれません。

 たまにどうすれば文章が上手くなれる、長く書けるようになれるかといった質問を受けることがありますが、多分人から教わるよりも自分で小説でも日記でも何でもいいから書き続ける事が一番早道だと思います。ちなみにきれいな文章を書くためには文豪の小説なんかはたくさん読めばいいという人もいますが、少なくとも私に限れば人に言うのも恥ずかしいくらいこの手の読書量は少ないです。決して文豪の小説を読むのが悪いというわけではありませんが、書くんだったら読むよりも書いているほうがいいんじゃないかと、いい訳がましく考えております。

2010年7月2日金曜日

続、こんにゃくゼリーの報道について

こんにゃくゼリーの窒息、重症率85% 消費者庁分析(朝日新聞)

 リンクに貼ったニュース内容を簡単に説明すると、消費者庁がこんにゃくゼリーは危ないよという統計結果を発表したという内容なのですが、内実を見てみるとわかりますがこの発表した統計というのが実にひどい内容で、もはやここまで来たらマンナンライフへの国家的弾圧じゃないかとすら思います。

 具体的な内容を説明すると、まず人目を惹くように「こんにゃくゼリーの窒息、重症率は85%」と発表しておりますが、この85%という数字の根拠をよくよく見ると、

「窒息事故4137件のうち原因食品がはっきりしている2414件を分析。その結果、同ゼリーによる事故は7件と件数は少ないものの、うち2件が「重症」、4件が命の危険が切迫している「重篤」だった。」

 見てもらえばわかる通り、この85%という数字はこんにゃくゼリーを起因として起きた窒息事故の中で重症となった場合の割合であって、こんにゃくゼリーが原因で起こった窒息事故の割合ではありません。では実際にこのデータからこんにゃくゼリーを起因として起こる食品による窒息事故の確率を計算すると、

 7÷2414=0.0029

 という、実に0.3%程度というごく微小な確率です。
 しかも呆れる事にこの朝日新聞の記事では同じく餅が起因とする窒息事故で重症となった割合と比較し、

「406件あった餅は重症・重篤・死亡の重症以上の事故が54%、アメ(256件)は1%だった。」

 これも意図的に騙すようにうまく記述をはぐらかせていますが、きちんとそれぞれの窒息事故件数と重症となった件数を改めて書くと

・こんにゃくゼリー:6/7件(85%)
・餅:219/406(54%)
・アメ:2/256(1%)


 このように重症件数で見ればこんにゃくゼリーは高いですが、そもそも窒息する確率自体が少ないのに何を以って、「政府の食品安全委員会が「アメと同程度の事故頻度」としたリスク評価とは異なる実態が浮かび上がった。」とまで書くのか私には理解できません。

 このニュースについて議論されている掲示板で上手い比較があり、このデータを野球のエラーにたとえてこのように書かれておりました。

「2414回守備機会があって。
こんにゃく君は 7エラー中6回は失点につながるエラー
もち君は 460エラー中230回は失点につながるエラー」

暇人\(^o^)/速報様より引用)

 非常にわかりやすい比較で助かるのですが、こんにゃくゼリーはまさにこの通りの危険性で、これで餅やアメより危険だと消費者庁から言われるなんてマンナンライフは風評被害だと訴えても私はいいと思います。第一、元となったデータ自体がどこからどこまでが重症として扱うのかその範囲を書いておらず、窒息件数についても病院に運び込まれた件数でしかデータを取っていないので代表性についてもまだ疑わしいところがあります。百歩譲ってこのデータで仮に私が分析するとしたら、病院に運び込まれる時点で相当なんだから重症か軽症かなんかで分けたりする事なんてしません。

 最後に、ちょっと名指しで批判させてもらいますがこのような記事を書いた河村克兵氏という記者についてはその神経を疑います。仮にメーカーがこのような誤解を起こしかねない発表をしたらそれこそ賠償請求物で、こんな頭の悪い記事書いて金もらえるなんて仕事を舐めているんじゃないかと声を大にして言いたいです。普段は政府批判ばかりの癖して、こういう時には国のお先棒を担ぐなんて下衆もいい所でしょう。

2010年7月1日木曜日

先月の投稿数について

 今日になって月が明けて七月となりましたが、改めて先月のこのブログの投稿記事数を見てみるとなんと23本と、体調悪くて休みがちだったのは自覚していましたがこのブログを始めてから過去最低の更新速度であったというのは自分でも驚きです。もっとも記事一本辺りの文字数は比較的多いので決して手を抜いているわけではないのですが、それでもここまで落ち込むものかとややショックな事実です。

 記事で取り上げた内容自体は大原騒動など前から書きたかった物ばかりでそこそこ納得はしているのですが、なんていうか文章が荒れていて自分でもなんだか読み辛い物ばかりになっております。実際に先月は記事を書いている最中に表現が浮かんでこなくて指が止まったり、1000文字くらい書いた記事を丸々消して書き直したりする回数が非常に多くて、何か壁に当たっているのだろうかと思うくらい調子が悪かったです。これまでの私は書こうと思う内容を頭に入れてから一気に書き始めるタイプなので、書き初めから書き終わりまで聴いている音楽CDを入れ替える時以外はほぼ止まらずに書いていたりするのですが、先月は本当にこれが出来ずに途中でソリティアまで始めてしょっちゅう中断していました。

 こういう風に不調になった原因として兼ねてから抱えている頭痛がひどくなったのと、単純に睡眠時間が大幅に減ったのが理由と今は見ています。あまり私生活のことを書いても仕方がないですが実は四月から勤務しているところで異動があり、住所はこれまでと変わりはないのですが通勤がそれまでの一時間から二時間へと二倍に膨れ上がり、しかも時間がラッシュアワーにぶつかるようになり、正直に通勤がしんどい物だと痛感するようになりました。
 それでも四月の間はそれほど気にならなかったのですが、五月に入った辺りから徐々に体力というか気力が萎えていき、このブログも一時間で書けていた内容が二時間位も所要するようになって行くにつれて通勤が原因なのではないかと思うようになってきました。そもそも頭痛もこの通勤苦が原因で悪化している可能性も高いのだし。

 同じく私生活の話をすると、先月は関西時代の友人が私の住んでいる関東にやってきてうちに一泊するというので楽しみにしていたら、なんかいろいろあってその友人が到着したのは夜の十二時でした。さすがにこの時間帯だとそれほど話せないだろうなと思っていたら結局その日は二時半まで話し続け、次の日にまた朝六時に起きて出勤したのはいい思い出です。
 因みにその友人と夜中まで話した実績で一番すごいのとなると、もう一人共通の友人を加えて夜八時から次の日の六時まで延々と、しかもメインの話題が「スーパーファミコン時代の傑作RPGゲーム」だったというのがありました。結局その時の議論は「クロノトリガーが恐らくRPGとしては完成形だったのだろう」で落ち着きました。

 久々にブログらしいどうでもいい話でまとめられた気がします。