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2011年4月15日金曜日

銃が人を殺すのか

 今日事務所内で作業をしていたところ、どこかから迷い込んできた蜂が窓から入ってきました。さすがにハエ程度であれば誰も気にしませんが蜂ともなるとそうもいかず、誰かどうにかしろとみんなで言い合って最終的には私が新聞で叩き落としたのですが、飛んでいる蜂を叩いたものですから致命傷を与えることは出来ず地面に落ちた蜂は再び飛ばないもののまだ動いていました。そこで止めとばかりに二、三回続けて新聞で叩きましたがそれでもなお蜂は生き続け、それこそ上に新聞を置いて踏み潰しでもすれば一発だったでしょうがどうにもそうした気分にはなれず、散々叩いておきながら最終的には新聞にのっけて外に放り投げました。もしかしたらその後アリにでも食べられたのかもしれませんが、後でその場所に来てみると蜂の姿はありませんでした。

 仮に事務所内に殺虫剤があれば、私は迷うことなく蜂を殺虫していたと思います。私がとどめをためらったのは新聞紙で直接叩き殺そうとしたということにほかなりません。私が何故新聞紙で直接叩き殺せなかったのは思い切り叩いて地面や壁に変にこびりついたら嫌だと感じたのと、もはや飛ぶ力もないのに止めを刺すべきなのかと憐憫を感じたからです。もちろんそんなの私の勝手な感情といえばそれまでですが、殺虫剤だったら躊躇なく殺せるだろうと考えるとなんだか奇妙な感じがしました。
 殺虫剤であれば確かに破片がこびりついたり飛んだりすることなく殺すことが出来ますが、それ以上に変な言い方をするとごくごくスマートに、自分の手を汚さない感じで殺せるからこそ躊躇を覚えないのだと思います。敢えて例えて言うのであれば人間を金属バットで叩き殺すのと拳銃で撃ち殺すのとでは抵抗感が異なるようなものだと考えています。

 随分と不謹慎な言い方が続きますが、やはり銃で人を殺すのは殺虫剤で虫を殺すように自分の手をほとんど汚さず、スマートに殺せる手段だと思います。それゆえに鈍器や刃物を使って殺すのとでは抵抗感が非常に低く、仮に手元にあればちょっとした感情で使用して間違いを犯してしまう確率も高い気がします。アメリカ最大のロビー団体である全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ」というスローガンの下に銃の普及を訴えていますが、私はこれは完全にとは言わないまでもやはり間違いであり、銃が人を殺人に誘い込むのだと思います。

 そういう意味で変な間違いを起こさないようにするためには、身近なところに凶器となりうる余計なものは置かないに越したことはないと思います。それこそ90年代後半に一時流行ったバタフライナイフなどは仕事で使う人以外であれば以ってのほかで、使わないのであれば持たない方がその人にとっても周りにとってもよいのではないかと考えています。

 ちなみに私は生来の虫嫌いで見るのも触るのも嫌で、夏休みの昆虫採集なんて誰が考えたんだって言いたい位に毛嫌いしていました。たださすがに一人暮らしの経験を積んだことでゴキブリについては平気で靴で踏み潰す程度のことは出来るようになったのですが、先週にまた移った部屋はそれまでの手入れがあまりされていなかったためかゴキブリが大量に潜んでおりました。ちょうど使うこともあるだろうと思って日本から持ってきていたホウ酸団子を播いて現在対応中ですが、仕事が終わって帰宅するたびに毎夜あちこちにゴキブリの死骸が転がっているのを見て、気分的にはFF6のケフカになったような気がしました。

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