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2011年4月17日日曜日

複数人による犯罪の裁き方 前編

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(Wikipedia)

 先日、上記にリンクを貼った事件での被告三人に対し、最高刑である死刑が確定しました。最高裁の上告棄却時にはニュースとなって大きく報道されていたので知っている方も多いと思われますがこの事件の概要を簡単に私から説明すると、当時未成年だった三人の犯人はわずか十日間の間、何の落ち度もない人間四人を金銭恐喝目的などのため凄惨なリンチを加えて殺害しました。しかも捕縛後の裁判では犯人らは未成年ゆえに死刑になることはないなどと遺族を愚弄するような発言を繰り返し、反省する態度はほとんど見せることがなかったそうです。

 結局一審では主犯格の一人が死刑、残りの二人が無期懲役となりましたが、続く二審では三人ともに死刑となり、今回の最高裁の棄却で高裁での判決が確定することとなりました。確定時のニュースでは犯行当時未成年だった人間に死刑が下りたというほかに、一度の事件で複数人に同時に死刑が下りたという点が強く取り上げられていたように思います。
 この事件と判決に対する私の感想を述べると、その犯行の凄惨さといい犯人らの態度を見るにつけ死刑以外は考えられず、高裁、並びに最高裁の判断を支持します。ただ今回の判決を受け、複数人による犯罪では責任と刑罰は分散するのか、という点についてすこし思うところがありました。言い換えるなら、一人で一人を殺害するのに対して三人で一人を殺害するのとでは、その処罰は変わってくるのかということです。

 私が今回のこの連続リンチ殺人事件の判決を報じるニュースを見た際に真っ先に思い浮かんだのは、かなり古いですが推理漫画というジャンルを開拓した「金田一少年の事件簿」の小説版第三巻、「電脳山荘殺人事件」という本でした。元々の漫画が推理漫画なだけにこの小説ももちろんミステリー小説なのですが、作中でミステリーマニアの集まりが完全犯罪の実行を目論見、確か八人くらいで役割を分担して目標とした人物の殺害を実行する話があります。
 これだけ見るのならミステリーによくある話なのですが、なかなかに印象的だったのはこの時の殺人を追及された際の犯人メンバーの中の一人が、「私は電話をかけただけだ」と弁解するシーンです。

 かなり昔に読んだので記憶がやや曖昧ですが、そのミステリーマニア達が殺人の際に一人一人が分担した作業というのは実に小さな作業の連続で、

・偽の電話をかけておびきだす
・あらかじめ電話ボックスのガラスを一部割っておく
・洗剤を捨てておく

 などとさすがに全部は覚えていないのですが、こんな具合に小さな作業を組み合わせて殺人を実行してしまうのです。この殺人について主人公の金田一一はその手口以上に、作業の分担により犯人たちが殺人に対して覚える罪の呵責が非常に小さい点が特徴だと指摘します。正直なところ、本編のトリックは忘れてしまったにもかかわらずこの点に関しては未だに強く記憶に残っております。
 このような一人では出来ないことも複数人ならやってしまうということは、みんなが渡るのを見て赤信号を一緒に渡ってしまうといったように実際の日常生活でも多々あるかと思います。複数人でいる場合、集団心理でも言うべきか倫理観などといった行動を規制するハードルというのは得てして下がるものです。

 私が今回の連続リンチ殺人事件で考えたのはまさにこの点でした。無論この連続リンチ殺人事件の犯人らの行動は許し難く死刑もやむを得ないと思うものの、今後このような複数人によって実行される犯罪には、「ほかに仲間がいたから」という意識が犯行を決心する上で後押ししたのかということを裁判で考慮すべきかどうかということで少し悩みました。また同時に、一つの犯罪を共同で実行した犯人全員に、一人がその犯罪を実行した際に与えら得る刑罰を全員に課すべきなのか、役割分担の内容で刑に差別化(分散)を行うべきなのか、先日に友人と簡単に議論をしたわけです。

 ちょっと長くなったので、久々に前後編に分けます。続きは次回にて。

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