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2013年7月30日火曜日

東アジアカップ男子日韓戦のサポーター問題について

 コメントの方でリクエストが来たので、今日は先日行われたサッカー日韓戦においてのサポーターの行為について私の所見を述べようと思います。

「日本だって旭日旗掲げた」、韓国の反論に中国ほぼスルー、一部批判も=サッカー東ア杯―中国版ツイッター(レコードチャイナ)

 事の内容は上記リンク先の記事に詳しく載ってありますが、試合が行われている最中に韓国人サポーターが会場で「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕を掲げたそうです。一方、同じ試合で日本のサポーターからは旭日旗が掲げられたとされ、どちらも政治的なアピールを禁止したFIFAの規定、精神に反するとして日韓双方がお互いに揶揄する事態となっております。
 あらぬ方向からの批判を避けるために念のため先に書いておきますが、旭日旗を振った団体については特定の政治団体だとの声が一部ありますが、少なくともはっきりした確証がないと思えるのでこの点についてはこの記事で無視します。なくったって話は進められるし。

 まずこの問題で私が言いたいことは日本側の報道についてです。敢えて引用記事をレコードチャイナから持ってきましたが、その理由というのも日本側サポーター、韓国側サポーター両方の行動をきちんと書いていたからです。現在においてはちゃんと双方について書く記事が増えておりますが、試合直後においてはやはり韓国側サポーターの行動しか書かない記事が日系メディアに多かったような気がします。色々と言い分はあるでしょうが、私としてはやはり双方のサポーターの行動を並列して書くべきだったのではないかという気がします。

 次に日本側の旭日旗についてですが、韓国側、ひいては中国側からすれば旧日本軍のシンボルであり侵略国家を連想させるものだとしてよく批判されております。これに対し日本の論者たちは旭日旗は軍旗としては明治の頃から採用されており二次大戦時の日本軍の行動だけで侵略の象徴とされるいわれはない、また現在の自衛隊も使っており特別な政治意図のある意匠ではないなどと反論が出ております。
 私個人としては旭日旗が問題のある意匠かどうかについてはっきりとこうだと線引きする根拠は持っておらず、またそういう立場にある人間ではないと自覚しております。もっともどう言い繕っても韓国や中国は批判を続けるでしょうし、日本側も反論を続けるでしょうからこの議論に終わりはそうそう来ないでしょうが。

 ただ今回のサッカーの試合に限って言えば、「旭日旗を振る必要はあったのか」と言えばはっきりと必要なかったと私は思います。旭日旗が韓国側サポーターを刺激することは考えればすぐわかる上にFIFAの精神にもはっきりと反します。また旗を振りたいのであればどうして普通の日の丸の旗を振らなかったのか、普通の日の丸では何か問題あるのか、日の丸を堂々と振って日本の選手を応援することを何故行わなかったのかで疑問符が付きます。旭日旗を振ることで日本の選手への特別な応援になるとも思えませんし。

 韓国の横断幕についても同様です。歴史問題がサッカーの試合と関係あるかと言ったらはっきり言ってないし、むしろ関係づけてはなりません。そういう意味では双方のサポーター共に選手たちの立派な試合に水を差しただけで、彼らはサッカーを馬鹿にしているのではないかと幾分苛立ちを覚えます。
 その上で日韓双方のサッカー協会にはこうした行為を自重するようもっと呼びかけてもらいたいのと同時に、選手たちにもっと注目するよう訴えてもらいたいです。サッカーの主役は言うまでもなく選手であってサポーターはやはり脇役です。今回の試合においては脇役の方ばかりが目立ってしまい残念この上なく、こういう事を繰り返しては本当にもったいない気がします。

 最後にこのところ多く出ているヘイトスピーチの問題について一言述べると、中国はともかくとして日本と韓国は互いに弱ってきているのではないかと思う時があります。というのも国として勢いがある状態だと他国に悪口言われてもあまり気にしない傾向があるように思えるのですが、このところの日本と韓国は売り言葉に買い言葉というか、互いに相手が自国を非難したことを大きく取り上げる傾向がある気がします。
 日本人は空気を読めない人間をとことん嫌いますが、私個人としては空気を読まない人間の方が強いように思え、多少批判されようが「それで?」と言い切ることが本当に強い態度だと思えます。然るにこのところの日本の世論を見ていると聞き流す余裕がやはり薄れているように見え、韓国も同様で、唯一中国に関しては以前と比べて外国人アレルギーが弱まってきたというか、外からの批判に対する余裕が前より感じられるようになってきました。といっても中国もまだまだすぐカーッとなって逆批判するところもあるけど。

 相手が間違っていることを言っていたらそれを正すのは当然です。ただ正す際の感情の起伏、態度にはその時々の余裕がはっきりと表れるもので、そうした余裕を空元気でもいいから日本も意識するべき時期に来ているのかもしれません。

2013年7月29日月曜日

サイバー部隊の重要性

 先日、うちの親父と戦争と経済学について話をしていた際に相手通信網を遮断する価値についてあれこれ意見が出てきたので、今日はその辺をメモ代わりに少しまとめて置こうかと思います。

 まず大きな前提として仮に今現在の技術力で大国同士が戦争をする場合、インターネットを始めとした通信網を破壊することが戦闘を起こした国にとって最初の目的になるかと思えます。というのも今の時代、ミサイルから各種火器まで衛星を利用した通信技術が当たり前のように搭載されており、通信網を破壊することによって完全にとまではいかなくとも一部を無力化することが出来ます。なので極端な話、米中が戦争を始めたら中国なんかまず最初に米国の衛星を破壊してくるかもしれませんし、場合によってはネットも見られないようにするため海底ケーブルも切断してくるかもしれません。

 とはいえ、仮に海底ケーブル切断みたいにネットインフラを破壊した場合、経済的にも社会的にも大きな混乱が起こることは間違いありません。鎖国している国ならともかく多国籍企業がどの国にもいる今の時代、戦争をやってる傍から国内の経済が混乱しては戦争を継続することも出来ないため、インターネットに関しては開戦前の条約でお互いにケーブル破壊などの手段は講じないように取り決めが交わされる可能性があります。仮にそうなった場合は米国は中国、中国は米国のネットとアクセスし続けられるのですが、そうなるとやってくるのは中国お得意のサイバー部隊です。

 サイバー部隊の提議は色々ありますがここでは単純なものとしてハッキングしてあれこれ邪魔をする部隊を指します。ネットを物理的に破壊できないとなるとサイバー部隊によって常に相手の通信を妨害することが非常に重要になるため、下手したらサイバー部隊の質で戦況が変わってくるかもしれません。もちろん攻撃だけじゃなく防衛にもサイバー部隊が必要となるのですが、通信妨害が激しくなってきたら案外、昔みたいにモールス信号とかが大活躍したりするかもしれません。

 あともう一つ気にしておく点として、米中間で戦争が起きた場合は主要兵器はミサイルと共に潜水艦が大活躍する気がします。戦場となるのは太平洋上である可能性が高く、普通に軍艦飛ばすよりも米本土、中国本土に潜水艦からミサイル打ちまくるのが緒戦の様相でしょうし、潜水艦の質で意外と勝負決まったりするかもしれません。

年金支給年齢は引き上げるべきなのか

 なんかやる気ないですがまだササッとかける話題だと思うので、年金支給年齢について私の意見を書こうかと思います。結論から述べると、私は今政府が検討している支給開始年齢の65歳から70歳への引き上げには反対で、むしろ元の様に60歳へ引き下げるべきだと考えています。無論これだと社会保障費用の負担が大きく財政が持たないので、支給額は大胆に引き下げることが条件となります。

 一体何故引き下げるべきだと主張するのかというと、単純に雇用の問題です。現在企業は政府などによって従業員を定年である60歳を過ぎても年金が支給される65歳まで雇用するように求められておりますが、これによって割を食うのはいうまでもなく新規に労働者となる若年層です。60歳以上の方の雇用が守られれば守られるほどパイは小さくなり若年層への雇用は減少することが火を見るより明らかで、現実にそのような声をよく聞きます。
 一方で、雇用を延長した壮年層は企業に貢献できるのかと言ったら果たしてどんなものかという気がします。もちろんバリバリに役に立つ人はいるかと思いますが、単純にITリテラシー一つとっても若年層の方が幅は広いですしその上、海外の大手企業の経営者を見てみると40代で立派な仕事をしていたりするのをみるにつけ、日本では年功序列の壁に阻まれて才能にあふれた人が経営に関われない側面もあるように思えます。

 以上のような考え方から、社会のセーフティネットを広げるというよりは社会の活性化を促すためにも支給年齢を引き下げるべきだと私は主張します。ただこの場合、既に書いてある通りに支給額は大幅に引き下げる必要があります。しかし長期的に見るならば現在の制度は破綻するのは火を見るより明らかで、それであるならば恒久的に維持できる制度に今変えるべきで、そうした決断を政界に期待します。

2013年7月28日日曜日

平成史考察~イラク日本人人質事件(2004年)

イラク日本人人質事件(Wikipedia)

 この平成史考察もかなり久々の執筆となりますが、思うところがあれこれあるので今日は2004年にイラクで起きた日本人人質事件について書いてみようと思います。

 まず事件のあらましを簡単に説明すると、前年に起きたイラク戦争において米国の勝利が早々に決まり、各国の関心はその次の占領政策をどうするかに注目が集まっておりました。この占領政策において日本は当時の小泉首相の強い主導のもとに自衛隊をイラクに派遣しましたが、これに対して反米イスラム原理主義者などは米国に協力する国もテロ活動の標的すると発表し、その標的の中には日本も含まれておりました。

 こうした情勢の中、イラク現地で外務省が出していた渡航自粛勧告を無視してイラクに入国した日本人三人(男性二人、女性一人)が現地武装勢力に拉致され、人質となっていることが犯人らの犯行声明で明らかとなりました。犯人らは自衛隊のイラク撤退を要求し、聞き入れられなかった場合は人質を殺害する方針も出しておりましたが当時の政府はこの要求を拒否。人質の安否が気遣われておりましたが最終的には地元有力者による仲介を受け犯人は人質を解放したことで、事件はひとまず落着しました。なお事件は発生から何か進展があるたびに大手新聞社は号外を出し、当時の号外発行回数が異常に多かったのは豆知識です。
 ただこの事件は人質が解放されてからがある意味本番だったともいえる事件で、解放された人質三人に対して世論は軽率すぎる行動だとして大きなパッシングが起こり、危険な所に自ら飛び込んで人質となるのは自業自得だとする、所謂「自己責任論」という言葉が流行して大きな議論となりました。

 最後に書いてもいいのですがなんでこの事件を今日取り上げようかと思ったのかというと、このところ私のブログで「平成史考察~玄倉川水難事故(1999年)」のアクセスが非常に増えているからです。夏場の事件だし思い出す人がいて検索をかけているのだろうと思いますが、私はこの記事で、今思い起こせば注意や勧告を聞き入れずに遭難する人は自業自得なのだからわざわざ救助するべきではないという、自己責任論の端緒とも言える世論が出始めていたと指摘しておりますが、それが花開いたというのがまさにこのイラク日本人人質事件だったと思うからです。
 また先日、芸能人の辛坊治郎氏がヨットでの太平洋横断中に遭難して救助された際も同じように自己責任論が飛び出し、辛坊氏は救助費用を自己負担するべきなのではないかという意見も出ており、ちょっとこの事件を振り返ってみようと思ったからです。

 改めてこの事件が起きた当時の状況を思い起こして書くと、まず第一に言えるのは自衛隊のイラク派遣が本当に国論を二分する大きな議題となっていたことです。賛成派議員としてはここで自衛隊を派遣することによってアメリカとの同盟関係を強化するとともに、自衛隊の運用の幅を広げようとする狙いがありましたが、反対派議員はその逆に、自衛隊の存在意義を否定したいがために反対だったように思えます。
 では国民の間はどうだったかというとこちらも割れてはいましたが、あくまで私の実感だと反対派の方が多かったような気がします。何故反対派が多かったのかというとイラクで自衛隊員が万が一に死傷したらどうなるのかと心配する声もありましたが、それよりも何よりも自衛隊が派遣されることによって日本国内でテロが起きるのではという心配が最大だったように思えます。
 なお当時の私の意見をここで書くと、自衛隊派遣に賛成でした。理由は単純で、直接攻撃した米英軍よりも日本の様な第三者的立場の国が治安維持活動を行う方が理に叶っていると考えたからで、今もこの考えに変わりありません。

 話は戻りますがこういう状況下で起きたのがこの事件で、発生当初は「それみろ、やっぱりこういう事件が起きるのだから自衛隊は行くべきじゃなかった」というようなトーンで報じられていたように思えます。ただその潮目が変わったのははっきり申し上げると、人質となった被害者の家族が記者会見に出たその時からでした。会見で家族らは政府を激しく批判して今すぐ自衛隊を撤退させるようにかなり強い口調、具体的に書けば机を叩いて怒鳴る姿がテレビに映り、見ていた私も「心配するのはわかるが止めていたのに勝手に行って、身の安全も保障しろというのは虫が良すぎやしないか」とはっきり感じました。
 とはいえまだこの時点ではそれほど批判は起きず安否を心配する声が大半でありましたが、解放された人質の一人が「またイラクに行きたい」と話したと報じられた直後、インターネットを中心に一気に火が噴き、件の自己責任論が出てくるようになりました。挙句にはそもそも人質となったのは自衛隊をイラクから撤退させるための自作自演だったのではないかいという意見まで飛び出し、あまりの過熱さから被害者は帰国後も記者会見を行わず表舞台から身を隠す羽目となっております。
 念のため書いておきますが、自作自演説についてはさすがに有り得ないと私は考えています。

 何故この時から自己責任論が噴出するようになったかですが、背景にはやはりインターネットの発達が大きいかと思います。ネットが発達して個人でも意見が発信できるようになり、それ以前と比べて一般個人の「本音」がよりくっきり出るようになり、メディアの側もそうした声を拾うようになってきたことが原因だと思えます。
 更に付け加えると、自衛隊のイラク派遣に批判的だった議員や団体がこの事件を政治的に利用しようとする動きがあったことに大きく反感が持たれたことも影響しているように思えます。テロリストへの対応として彼らの要求に決して屈してはならないのはいうまでもありませんが、イラク派遣反対派は事件が起こるやこれ見よがしにこういうことがあるのだから派遣すべきでなかったと声高に主張し、国会などでも批判材料として大いに活用しました。こうした近視眼的な行動を国民もちゃんと見ていて、心なしか事件後からイラク派遣に対する賛成派が増えたような気もします。

 最後に自己責任論について当時、「日本人の心は貧しくなった」などという主張をする評論家がたくさん出てきましたが、何ていうかこういう意見は「自分たちは違うんだぞ!」と言っているようにも見えてあまりいい印象を覚えませんでした。ただ中にはこの事件を指して、「国は守ってくれないのだから自分自身で常に身を守るしかない」と考える人が増えてきたことも影響しているのではと書く人もいて、この意見に関しては逆に「そうだねぇ」などと思うようになりました。

2013年7月26日金曜日

技術は国を滅ぼす?

 私とかかわりのある人間なら一度か二度くらいは聞いたことあるかもしれませんが、折に触れて「技術者が日本を滅ぼすよ」ということを口にすることがあります。数多くの理系を敵に回すこと覚悟で続けますが、今の日本の製品というのはオーバースペックというか過剰品質、性能の感があり、こうした点を如何に克服するかが大きな課題だと私は考えております。

 以前にとあるメーカーで営業職をされていた方と話す機会があったのですが、あれこれ往年の仕事の話を聞いている際によく、「これで行こうと話が進んたのに、技術者がこの性能じゃダメだと言ってなかなか製品化出来ないという例が数多くあった」ということを何度も口にしていました。それどころか最後の方に至っては、「出せば売れるって言っても技術者は自分たちの持っている技術水準を下回る商品の発売を認めようとしないし、逆に他社の商品で自社製よりも性能で優れている点については敢えて口にしないところがある」と話し、恐らく折衝とかで相当苦労されてきたんだなぁという風な感じでした。

 この方のいた会社に限らず私自身も記者時代にあれこれ取材して感じたこととして、日本のメーカーは技術者がとにもかくにもやたら性能やスペックにこだわりを持ち、価格を下げる代わりに性能を落とした商品を出そうとしても認めようとしない、それどころかもっと品質なり性能を引き上げれば必ず売れるという信仰に近い考えを目にしております。結論から言えばこんな具合だからこそ海外市場に日本製商品は売れなくなってきて、しまいにゃ中国の新聞にまで「日本製テレビのリモコンはやたらボタンが多くて使いづらい」とまで指摘される始末です。機能を絞って価格を安くするというか、そのような技術思想が日本には乏しいと感じます。

 ただこの技術信仰、未だに国を挙げてやっている感もあります。「技術立国」というスローガンそのものが典型ですが、今の時代、技術は確かに大事ですがそれと共にマーケティングの重要度も高まってきています。日本人が好む商品が外人に受けるという保証はなく、誰が何を求めているのか、こうした視点が非常に重要になってきている時代です。そんな中で技術に過剰偏重している状態では先行きが乏しく、敢えて警告するという意味合いで「技術が国を滅ぼす」などと、強い言葉を使った次第です。

2013年7月24日水曜日

仏教は宗教なのか?

 先日に宗教学者である島田裕巳氏の著書「無宗教こそ日本人の宗教である」を読んだのですが、読んでて自分とは異なる意見もいくつか見られたものの、日本人の無宗教性を「特定の信仰を持たない状態」ではなく「意識的に信仰しようとしない」一つの思想として捉えた点が非常に面白く感じました。ただそうした島田氏の捉え方と共に、明治にキリスト教が知識人層に広まっていったことで日本人の宗教概念が変わったという、話に何故だかアンテナに引っかかり、今日はそのあたりを好きな風に書いてこうかなと思います。

 まず結論から書いてしまうと、タイトルにも掲げている通りに仏教は宗教なのかという疑問を覚えました。たとえばキリスト教とイスラム教に対して仏教は一神教と多神教で異なるとよく言われますが、それ以前の信仰の形式というか形で大きく異なるのではないかと思うようになりました。まだ考えがまとまっていないので端的に書くと、キリスト教やイスラム教は人類全体を救済するという目的を持っているのに対して仏教はどちらかと言えば信仰する本人、個人が悟りを開けるかどうかに重点が置かれているような気がします。仏教にも衆生を救済するという概念はもちろんありますがやはりその本質は輪廻の輪っかから解脱することにあり、キリスト教やイスラム教の様に世界を破滅から救ったりとかそういう意識が極端に薄い気がします。

 ここで先ほど出した島田氏の言葉ですが、明治以降に日本人の宗教という概念が大きく変わったという説です。宗教というと信仰する神様がいて、戒律によって生活の一部を制限して、自分の振興をほかの人にも勧めようとする、大体この三要素を持った思想を指すとみんな考えていると思いますが、仏教もこれらの要素を持ちながらもその程度はキリスト教やイスラム教と比べると極端に低く、浄土真宗に至っては結婚も生臭物の接種もOKというフリーダムぶりです。そのように考えると、仏教を西欧や中東における「宗教」という概念と一緒に並列していいものなのか、思想は思想でも「宗教」というカテゴリーにまとめずに敢えて別の言葉に置き換えて区別した方がいいのではないかと思ってきたわけです。

 そのように考えていたらふと出てきたのが、「道」という言葉です。最近だとこの「道」という一文字を見たらリアルに「タオ」と読んでしまうのですがそれは置いといて、仏教と同義の「仏道」と日本古来の神話思想の「神道」という言葉にはこの「道」という言葉が使われますが、「キリスト道」とか「イスラム道」という言葉は一般的ではないというか普通はまず使いません。
 個人的にここが両者を分けるポイントだと思うのですが「道」というのは分野というか専門といった意味を持つ言葉ですが、それと同時に訓練して獲得するような技能などにも使われる文字です。具体例だと「剣道」や「弓道」、マイナーなのだと「天狗道」とかありますが、私はやはり「仏道」や「神道」というのは究極的に、その個人が修行したり魂を磨くということに価値を置いているからこそ「道」という言葉が使われるのだと思います。

 それに対してキリスト教やイスラム教は、確かに精神を鍛えるという面もありますがどちらかというと論理を追及するところにより価値が置かれているようにも思え、それがため「宗教」なんじゃないかと思います。なのでまとめると、仏教や神道は「道」であって「宗教」というか「教」とは一線を画すべきなのではというのが私のいいたいことです。
 もっともここまで言いながらですが、じゃあ中国の「道教」はどっちなんだと言いたくなってきます。もう「タオ」でいいだろと言いたくなってきますが。


2013年7月23日火曜日

韓国の近現代史~その二十、民主化宣言

 前回までに全斗煥政権期における北朝鮮の国際テロ事件を取り上げました。こうしたテロ事件が頻発した中で全斗煥政権はソウル五輪の招致に成功するのですが、全斗煥本人は1988年に大統領任期が切れ、後任に士官学校で動機であった盧泰愚を指名し、院政を敷こうと考えていました。しかし彼が院政を敷く前に韓国では再び大規模な民主化運動が起こり、その結果として朴正煕政権以来(李承晩期も含んでいいが)続いていた軍事政権が崩壊することとなります。

 まず韓国の民主化運動についてですが、はっきり言って非常に長い歴史があります。現代にも伝わる流れとしては朴正煕政権時代に民主化を求めて金泳三、金大中が活発に活動していたのでこの辺りから見るべきかなと考えるのですが、民主化運動というのは言い換えれば政府の政治弾圧の歴史と言ってもよく、光州事件など死傷者が多数出る事件にもしょっちゅう発展しています。しかし死傷者が多数出ながらも韓国ではなかなか民主化へと至らなかったのですが、全斗煥政権期に起きたいくつかの変化が大きく作用して軍事政権は倒れることとなりました。

 その変化というのは主に二つあり、一つは中間層の拡大と、もう一つはソウル五輪です。全斗煥は国内で大衆政策と共に経済振興を実施したので生活に余裕のある中間層が韓国でも増えていきました。これら中間層はそれまで大学生が主体だった民主化運動に加わるようになり、なまじっか経済の担い手でもあるため政府としても対応に苦慮したと言われます。
 次のソウル五輪ですが、度々政治デモが起こっていたことから当時、五輪開催は難しいのではと思われて場合によってはロサンゼルスで代理開催を行うことまで議論されたそうです。政権側としても国家のメンツのかかったイベントであるだけにデモの鎮静化が最優先課題となったわけなのですが、こうした中で妥協案として出てきたのが民主化宣言です。

 朴正煕政権以来、韓国の大統領は軍部の息のかかった人間の投票によって決められる間接選挙制で選ばれていたのですが、盧泰愚はこれを国民の投票による直接選挙制に改めると宣言することで妥協を図りました。結果としては上手く作用してデモは鎮静化し、ソウル五輪も無事開催できたわけなのですが、問題なのは次の大統領選。案の定というか全斗煥の跡目を争う1987年の選挙では民主派の代表格である金泳三と金大中が出馬して来て盧泰愚とぶつかり合ったのですが、皮肉なことに民主派の票が金泳三と金大中の二人に別れてしまい、漁夫の利的に盧泰愚が当選しました。人間やってみるもんだね。

 ただ議会選挙では民主派が保守派に勝利したことから盧泰愚は金泳三陣営と連立を組み、議会においては民主制が先に実現しました。そして1992年の大統領選挙で金泳三が今度は無事に当選し、32年間続いた韓国軍事政権は終わりを告げることとなったわけです。

 私個人の歴史観で言えばここまでが韓国の近代史であって、金泳三政権以降が現代史になると考えております。というのも民主主義大統領が生まれて徐々に国の政策も開放的になり、行ってしまえば他の資本主義国に韓国が明確に近付いたのがこの時期だからではないかと思うからです。
 そういうわけで次回は、退任後も変な不正疑惑が付きまとわない珍しい韓国大統領経験者の金泳三の時代を取り上げます。

2013年7月22日月曜日

参院選の結果について

 書く前からなんですが、全くやる気が起きません。というのも参院選の結果があまりにも予想通りというか予定調和というか、これほど結果の見えた選挙というのも私が見た限り今までありません。こういってはなんだけど、どう転ぶかわからない選挙の方が見ていて楽しいです。郵政選挙とかさ。

 この見方は市場も同じだったようで、選挙の後は普通、ご祝儀で株価が上がるのに今日の日経平均は68円高でしょぼい結果に留まりました。朝一で180円高になったと報じるメディアもありましたが、もうチョイ落着けば良かったのに。あと「株価全然上がんない」と泣き言を言ってくる先輩もいました。朝9時半にメールだよ。

 それで今後の展開ですが前にも少し書いていたのに補足すると、安倍政権はすぐに憲法改正に着手することはまず有り得ないと思います。というのも当面の課題はアベノミクスこと経済政策だし、改憲に着手しようったって自民党内ですらまだ一枚岩ではありません。そして何より国民の間に議論が起こっておらず、そういう空気にはなれないでしょう。そういう意味では中国や韓国のメディアが改憲が行われるのではないかと報じているのは見当違いも甚だしく、こういってはなんですが向こうの記者は日本の政界を読み切れていないとも言えるのでなんだか安心します。

 ちなみにこういう政治がらみの海外メディアの報道ですが、私自身もそうだったという経験から言わせてもらうと、やはりその国の主要紙の意見をほぼなぞってしまう傾向にあります。やはり政治というのは長年見ていないとわかり辛くぽっと出の外信記者が的確に分析しようったって自分でやりながら無理だってとか思う作業です。となるとどうなるかですが、「日本の朝日新聞は~」という感じでその国の主要新聞の意見をそのまま取り入れて発信してしまうことが多いです。
 私が見る限りやはり外国メディアは「なんか知識層が読んでそう」という具合で朝日新聞の意見をやたらなぞるというか朝日のスタンスで政治記事を書くことが多いように見えます。まぁその朝日ですが、このところの原発関連のスクープ記事は見事としか言いようがなく社会部は大したものだと心底思うのですが、政治部はもうちょっと勉強したらというか、安倍首相がそんなに嫌いならはっきり嫌いと書けよと言いたくなるほど見下げてます。

2013年7月21日日曜日

北京空港の爆破事件について

 昨日午後六時過ぎ、中国北京市にある首都国際空港のターミナル3で爆発事件が起こりました。21日付の京華時報などによると、事件を起こしたのは下半身に障害を持つ車いすの34歳男性、名前は冀中星といい、過去に起きた地方警察による処遇への不満から自作の爆弾を爆破させたものだと書かれてあります。被害は冀中星と制止にかかった警官の2人だけで、ともに生死に別条はないそうです。

 報道によると冀中星は広東省出身で、以前はバイクによるタクシー業を営んでいたものの地元警察から摘発を受けた際に暴行を受けたことから下半身麻痺の障害を負い、それに対する不満をミニブログ(微博)に書き込んでいたとのことです。なおその地元の東莞警察は違法な暴行があったかどうかについて現在は回答を濁しております。

 事件の目撃者は当日、冀中星が手製の爆弾を空港内に持ち込み、何事かを主張した後に自ら爆破したと話しており、爆弾そのものについては、「爆発音は爆竹のような音だった」と述べています。爆発後の状況に関しては地面に血が飛び散っていたとの目撃証言が出ていますが、指などの人体パーツが飛んでいたとの話は私が見る限り見当たらず、爆発力は報道の通りにそれほど高くなかったのではないかと推測します。怪我を負った犯人と警官に関しては既に病院で処置が完了しており、犯人は爆弾を持っていたと思われる左手に重傷を負って切断手術が実施されたものの、やはり命に心配はないとのことです。

 私は今回の報道を昨夜の時事通信の報道で見ましたが、その後に中国メディアを眺めたところ大体どこも報じていたので情報隠蔽をした素振りは見られません。まぁ隠蔽したらしたで批判が集まることもわかっているだろうからそんなことすることもなく、むしろ外国メディアに対しても新華社メールで事件一報を通知していたことでしょう。
 ただそれ以上に今回の事件は一般市民が自前のミニブログで現場写真などをアップロードし、それをメディアが追っかけるという展開が顕著にみられました。日本でも最近そうなってきておりますが、世の中変わってきたなぁと思う次第です。

2013年7月20日土曜日

共産党キャラクターのインパクト

 また本題とは関係ありませんが、このブログはGoogleアナリティクスであれこれ訪問者数とかいつも確認しており、毎日それを見るのが密かな楽しみとなっております。ちょっと手の内を明かすと一日の訪問者数は250~300人くらいでこのところ推移しており、かつて10人程度だった頃と比べると随分とパワーアップしたなと思います。
 ただそうした読者数よりも気になるのは検索ワードの方で、最近気が付いたのですが「荒川静 セッション」で検索をかけると、私もセッションを受けたスピリアチュリストである荒川静さんのオフィシャルページを上回り検索順位の最上位に私の記事が表示されます。いくらなんでも、オフィシャルページを上回ったらまずいだろ……。

 そんな余談は置いといて本題ですが、今朝の朝日新聞に今回の参院選で各党がそれぞれゆるきゃらならぬイメージキャラクターを出してきていることを特集する記事がありました。今時PRキャラクターなんて珍しくないし取り留めて気にするほどではないと思ったのですが、共産党のキャラクターがなんかやけに存在感を出していました。


 そのキャラクターというのも上記の「雇用のヨーコ」で、「一体何を狙っているんだ?」と思いたくなるような風貌に何故か心が動きました。っていうか、ほかの党のキャラクターと比べて明らかに浮いてるし。一応はOL風になっていますが個人的には若い人にはわからないだろうけど「マルサの女」にしか見えず、つくづく日本共産党はそこがしれない組織だという気がします。

2013年7月19日金曜日

追い出し部屋議論

 「パソナルーム」と聞いて何のことだがわかる人はこの先は読まなくても私の考えを理解してくれているものだと思います。リンク先のページに詳しいですがこれはゲーム大手のセガが90年代にやっていた、今風に言えば追い出し部屋という奴です。特定の職員に対し私物の持ち込みを一切禁止し、窓のない「パソナルーム」という部屋に就業時間中、ずっと仕事をさせずに監禁することで自己都合退職をするようにセガは促したのですが、この時に監禁させられた職員が裁判所に不当な処置だと訴えたことによって明るみに出ました。裁判ではもちろんセガが敗訴したのですが、呆れるのは判決で違法行為と断じられたにもかかわらず後でまた同じことをやっていたということです。たまにネットとか見ていると、「セガは商売が下手だがいいゲーム会社だ」という人をいますが、作るゲームの善し悪しはともかくとして、性根の腐った会社だと思うので私は嫌いです。サターン派ではあったけど。

 ただ時代は変わるものでこの時のパソナルームは先ほど、今風に言えば追い出し部屋と書きましたが、このように名前を変えてほかの企業でも横行するようになってきました。代表格はシャープやパナに隠れて業績が悪い状態が続いているNECで、追い出し部屋を使ったリストラがよくメディアによって批判されます。ただこれらの批判を見ていて私はよく、「会社からいらない、使えないとはっきり言われているのに社員も社員でどうしてそんな会社に残ろうとするのか」、という疑問を持ちます。そりゃ家族抱えて生活もかかってるんだし辞めるに辞められないという状況はわかりますが、それにしたってそんな会社、こっちから願い下げだと言いたいし、斜陽の会社なんだから残ったところで倒産したら元も子もないのではなどと考えてしまいます。

 同時に会社に対しても、どうしてバシッと辞めさせずにこうした陰湿な手法を取ろうとするのか疑問です。あれこれ批判はありますが経営状況が悪化しているというのなら会社都合で退職させることも不可能じゃないのだし、退職金を多少上積みして面倒な議論なんかせずに戦力外通告を出せばそれまでです。そういう事をせずにこういう事を思いついて実行する当たり、つくづく性根が腐った連中だという気がします。

 あとこの手の議論でよく疑問に感じるのは、「会社側がクビを切りたくても日本の労働法だと自由に解雇が出来ない」という意見が出るのですが、果たして本当なのかといつも思います。というのも例のゴーンさんなんかかなりクビ切ってたし、利益を確実に生んでいない社員であれば別に問題はないんじゃないかとほんとよく思います。というより、会社がクビ切って批判される方が追い出し部屋で批判されるよりはずっとマシな気がしてなりません。

 とまぁそんなこったで、日本人って本当に言葉遊びと無駄なことが好きなんだねと皮肉っぽく感じます。日本に帰国してから何度も思いますが、表面的な議論ばかりで誰も核心的な議論をしないというのは見ていてイライラします。切り出したら切りだしたで怒り出すしもぅ。

2013年7月17日水曜日

スノーデン氏の暴露時期と背後関係について

 アメリカ国家安全保障局(NSA)の元局員であるエドワード・スノーデン氏が先日、NSAが国内のアメリカ人をも対象に無制限に盗聴などデータ監視を行っていると暴露したことは皆さんの記憶にも新しいかと思います。そこそこ日が経って置きながらなんで今日取り上げようと思ったのかというと、自分の考えていることをほかの人があんまり言わないので後年の自分に対して記録を残す意味合いで書いてこうと思ったからです。

 私がこの事件でまず最初に注目したのは他でもなく、スノーデン氏の暴露時期です。具体的な日時までは書きませんでしたが彼が香港でメディアに一連の事実を明かしたその日はちょうど、ワシントンで米中首脳会談が行われている日でした。この米中首脳会談でアメリカのオバマ大統領は中国の習近平酒席に対し中国が行っているサイバー攻撃を控えるよう釘をさすつもりであることが前日に報じられていましたが、スノーデン氏の暴露によってアメリカ政府も似たようなことをやっていることがわかり、とうとう強気な姿勢は示せずに「懸念している」などと日本みたいな曖昧な言い方でしか伝えることが出来ませんでした。
 私が何を言いたのかわかるかと思いますが、偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎるということで、つまり米中首脳会談の日程に合わせてスノーデン氏は暴露を行ったのではないかということです。政治の世界に偶然はないというのは、チャーチルの言葉ですし。

 仮にそうだとしたらスノーデン氏と中国政府は何らかの接触をそれまでに持っていたと考えられるのですが、スノーデン氏の暴露した場所が香港だったことを考えるとますます信憑性が強まります。となると両者は一体どういうつながり、さらに深く踏み込むとどんな取引でもって結びついたのかですが、真っ先に考えられるのはスノーデン氏への亡命先の提供です。
 結局、スノーデン氏は暴露を行った後に中国を離れ現在も滞在するロシアへと向かいましたが、そのまま中国本土か香港への亡命を認めるような取引があったのかも、そしてそれを中国政府に反故にされたからロシアに行ったのでは、という風に最初私は考えていました。現在においては中国というより、亡命を認めてくれそうな第三国への渡航の安全を保障する程度の内容だったのかもしれないと考えています。

 仮定の上での考察となりますが仮にこうだとすると、中国は一体どうしてスノーデン氏と接触できたのかが気になる所です。早くからNSAのやっていることに気が付いて内部告発者を探してでもいたのかと疑いたくなるくらいで、望むらくはスノーデン氏から話を持ちかけたという事実であってもらいたいものです。

 最後にもう一点かくと、現代兵器は電子装備があって当たり前ともいえ、仮に大国同士の戦争が起こる場合はまず真っ先に相手の通信網遮断、具体的には衛星機能の停止か破壊が実行されることでしょう。こう考えると相手の通信網を抑えることは昔で言えば兵糧の輸送路を抑えるようなもので、この方面にどれだけ特化するかが勝敗を分けるかもと考えるとサイバー部隊というのは想像以上に重要な役割を演じるかもしれません。

2013年7月16日火曜日

中国の2013年第2四半期GDP成長率について

中国GDP成長率が失速 4~6月期、7.5%(朝日新聞)

 このブログ政治と歴史と中国成り立っているのでたまには表に出ている中国経済ネタでもやってみようと思いますもっともこの手のネタはある意味前職における本業でもあったのですが

 既に各所で報じられておりますが中国の今年四半期GDP成長率は前年同期比0.1ポイント前期比では0.2ポイント減の7.5でした。上半期(1~6月)は昨年同期比0.2ポイント減の7.6%で、数字が微小とはいえ第1四半期(1~3月)に続き下落傾向にあることは間違いないです。

 この統計結果について先に私の方から意見を書いていくと、中国政府としても恐らく予想外に低い結果が出てしまったような気がします。というのも今年は習近平が総書記に就任してから第一年目となる年で、出だしくらいは景気のいいスタートを切る最低でも前年を上回る水準、具体的には8.0%以上の成長率を狙ってくるだろうという見方が出ていたのですが、一年の半分が終わった現段階では7.6%と、8.0%にはまだあと0.4ポイント足りません。残り下半期で挽回するにはやや難しい状況だと言わざるを得ません。

 では何故、想定以上に低い結果となってしまったのか?先程のNHKのニュースにキヤノングローバル戦略研究所のアナリストが出てきてコメントしていたのですがその内容を引用すると、何よりも輸出の落ち込みが大きいというのが大きな原因と目されております。

 中国の今年6月の貿易額は前年同期比で2.0%減少、このうち輸出額単独では3.1%の減少で、春節という特別期間を除くと実にリーマンショック以来3年7か月ぶりにマイナス成長を記録しました。一体どうして輸出がこれほど急減したのかというと日本や欧州といった国・地域の景気が悪く輸出で苦戦していることや、人民元の価値が上がってレート面での輸出競争力が落ち込んできているということもありますが、それ以上に大きいのはつい最近になって明らかとなった、貿易額の水増し問題発覚でしょう。
 これは主に香港との間で投機資金を国内に持ち込むため架空の貿易取引が横行していたのを当局が取り締まりに動いたというものですが、この実体のない架空取引額が意外と侮れない金額となっていたため、貿易額全体も大きく落ち込むこととなったわけです。もっとも、これで輸出額が減少に転じていながらも未だに中国は貿易黒字を保ってはいますが。


 こっからは中国広播網の記事に出てくるアナリストの引用ですが、工業生産増加額や小売消費高、不動産開発投資額などその他の統計指標はすべてプラスになっている一方、輸出額のみ下落となっているため、間違いなくGDP成長率のブレーキ要因は輸出の落ち込みにあると指摘しています。また現在は景気調整期と捉えるためなら成長率が下落するのはある意味で自然であるものの、去年からずっと停滞傾向が続いているために調整期にしては長すぎるとも述べています。
 ただこのアナリストによると今回の下落幅はそれほど大きくなく、第3、第4四半期も劇的に下がることはあまり考えられない一方、逆に劇的に持ち直すということも可能性が低く、今年通年は大きな変動はなく平穏な数値を保つと分析しています。でもって政府の今年の通年目標値である7.5%成長自体は達成することは難しくないと言っています。

 私としても上記のアナリスト達の意見と同意見で、今後も下落が続くかもしれないもののそのペースはゆったりで、例の崩壊論者みたいに急にバブル崩壊なんてことはまずないと断言できます。ただ中国が新たな経済成長エンジンがそれほど上手くいっていない、具体的には国内における個人消費の拡大が想定以上にうまくいっていないというのは間違いなく、この辺をどう処理するかが今後の中国政府の実力を諮る上で重要なポイントとなりそうです。

2013年7月14日日曜日

暗殺者列伝~シャルロット・コルデー

 最近歴史物をすっかり書いていないので、知っている人があまり多くないであろうネタを探していたらなんかここに行きつきました。韓国の近現代史に構ってこちらの暗殺者列伝と平成史考察の連載はこのところ疎かではありますが、一応まだやる気は残ってます。

シャルロット・コルデー(Wikipedia)

 この暗殺者列伝は「暗殺」ではなく「暗殺者」にスポットを当ててみたいと思って始めた連載ですが、今日ここで取り上げるシャルロット・コルデーなんかはまさにそういう対象としてはうってつけの人物です。この人はフランス革命期のフランス人で、ロべス・ピエールを筆頭とするジャコバン派がギロチンによる恐怖政治を敷いていた時、ジャコバン派リーダーの一人だったジャン=ポール・マラーを暗殺した女性です。しかも風呂場で。

 まず当時の状況について簡単に説明すると、「ベルサイユのばら」で書かれてある通りにフランス革命でそれまでフランスを支配していたブルボン朝が崩壊し、民主主義による政府がフランスにできます。この新政府は当初、ルイ16世を始めとしたブルボン王家を存続させる方針だったものの国王一家が嫁のマリー・アントワネットの祖国であるオーストリアに逃げようとしたヴァレンヌ逃亡事件を受けて完全な王制の廃止、そして元国王ルイ16世の処刑を断行するに至るのですが、この一連の決定を主導したのはジャコバン派と呼ばれる政治グループでした。

 ジャコバン派は当初、幅広い思想の議員を集めた政党だったものの徐々に穏健派が抜けて行ったことから過激な政党となり、反対派や障害になると目した議員を次々とギロチンにかけることで国内政治を支配する、恐怖政治を敷いていきます。当初でこそギロチンの対象は旧王党派が多かったことから民衆もそれを支持したものの、革命戦争がひと段落した当たりから穏健派議員、そして一般民衆に対してもギロチンをかけ弾圧するようになり、徐々に反感が持たれるようになります。

 そんなジャコバン派で最大の権力者は上記のロべス・ピエールで、その次の次くらいに力を持っていたのが暗殺の被害者であるマラーという人です。この人は元々は医者でフランス革命後は過激な政府批判を行って議員となり、権力を握ってからは割といろんな人をギロチンにかける決定をしたと言われております。彼がギロチンにかけた人物の中でも有名なのは「質量保存の法則」や酸素を始めとする元素の研究を行ったあのアントワーヌ・ラヴォアジエも含まれており、なんでもマラーが提出した論文をラヴォアジエが承認しなかったことに対する逆恨みだったという説も出ています。
 余談が続きますがギロチンにかけられる際にラヴォアジエは弟子に対し、「ギロチンにかけられた後、意識の続く限り瞬きをするから見ていてくれ!( ゚Д゚)タノムッ」と言って、実際に首が飛んだ後も瞬きをしていたというエピソードがあります。真実性は怪しいと言われていますが。

 話は戻ってそんな逆恨みするマラーですが、晩年は生来の皮膚病から表立った政治活動を控えて自宅内で治療のために入浴する日々が続いておりました。そんなお風呂大臣のマラーに対して面会を申し出たのが本題の、当時25歳のシャルロット・コルデーで、そのまま風呂に入ったまま面会に応じたマラーに対し包丁で心臓を一刺して見事に暗殺を決めてみせます。
 この暗殺の情景は、白馬に乗ってアルプス越えするナポレオンの絵を書いたことで有名なダヴィッドが書いてあり、この絵は見たことがある人も多いのではないかという気がします。っていうかこの人、「ソクラテスの死」も描いていたんだな。

 暗殺者のシャルロット・コルデーについて出身から書いていくと、彼女は貧乏貴族の家の生まれで小さい頃に修道院に入って生活していました。ただ革命後はその修道院も革命政府によって閉鎖されてしまったことから叔母の家に身を寄せ、徐々にジャコバン派との政争に敗北したジロンド派への支持に傾倒していったそうです。
 逮捕後、彼女は一貫して暗殺は自身の観念から独断で実行したものだと述べ、黒幕の存在などをすべて否定しております。暗殺直前のマラー自身が既に重病であったことから暗殺を教唆する政治家がいたとは思われず、現代においても彼女の単独犯説と見る声が多いです。

 ただそうした事件の背後関係などよりも当時注目を集めたのは、ほかならぬ彼女の美貌でした。当時の記録によると相当な美人だったようで、しかも暗殺をしたのが性格にやや問題があると見られていたマラーだったこともあり、現代風に言えば獄中アイドルのような人気が出たと言われております。Wikipediaにも、「暗殺の天使と呼ばれた」とまで書いてあるし。
 とはいえ、暗殺した相手は時の政治を握るジャコバン派の大物。問答無用で死刑判決を受けてルイ16世をもギロチンにかけた執行人のシャルル=アンリ・サンソンが同じく執行人を務めたのですが、彼もシャルロットの美貌について「毅然とした美しさがあった」などと言及を残しております。
 なおこの死刑執行の際、ちょっとした事件があったのですがその個所はそのままWikipediaの記述を引用します。

ギロチンによってシャルロットの首が切断されると、サンソンの弟子の一人が彼女の首を掲げ、さらにその頬を平手打ちするという暴挙に出た。見物人たちはこの行為に憤慨し、シャルロットの頬が赤く染まり怒りの眼差しを向けるのを見たと証言する者もいた。サンソンはこの弟子を即座に解雇した。

 私がシャルロットのことを知ったのは現在も連載中の漫画「ナポレオン -獅子の時代-」からなのですが、この漫画ではこの平手打ちを受ける場面も詳しく描写されており、「ただのナポレオン漫画とは違う!」と思わせられたワンシーンでした。ちなみにこの漫画、前半では主人公のナポレオンよりもジャコバン派のロベスピエールを中心に描いており、サングラスをかけたロベスピエールが正面を見据えて「死刑」と一言述べるシーンがありますが、なかなかに圧巻な情景であります。

 前にも一回書いておりますが、この漫画では最後に逆に死刑を受ける羽目となったロベスピエールに対して上述のサンソンが、「私はルイ16世を手にかけた時ほどあなたに憐憫を覚えません」と言ったのに対しロベスピエールが、

「ああサンソンよ、私が夢見た世界というのは私と君とルイが同じテーブルを囲んで談笑する世界だったのに」

 と口には出さず(顎を撃ち抜かれてもう発声できなかった)、一人思い浮かべる場面がありますが、見事なワンシーンと言わざるを得ません。ここまで書いておきながらですが、ちょこっと書いて終えるつもりだったのにやけに細かい知識で満載の記事になってしまいました。自分らしいっちゃらしいけど。


  追記
 誇張ではなく、書き終わった後で初めて気が付きましたが、ちょうど今日(7/14)はフランス革命記念日でした。フランスの魂が俺に今日、この記事を書けと呼んでいたのだろうか……。

2013年7月13日土曜日

敵失を待つことの不毛さ

 先日にこのブログで政治解説をした際、野党は今国会で与党である自民・公明党の敵失を待つ戦略、具体的には失言が出るのを待ち構えて自分たちでは政策代案など何も出さずに、国会でもあまり議論しないという戦略を採ったのではと私は書きました。該当記事でも書いてある通りに近年は政治家の失言が大きく取り沙汰されるだけに、ただ単に議席を取るという戦略上では決して大きく外れたものではなかったものの、今度の安倍政権は驚くほど失言事件が起こらず、結果的には選挙争点が何も作れず失敗してしまったように見えるとまとめました。

 この「敵失を待つ戦略」ですが、この言葉の元は野球におけるエラーです。なので野球にたとえるなら「相手の守備にエラーがでることを期待する」といったところですが、こんな戦略持った野球チームなんてまず勝てるわけがないでしょう。これまた元の政治記事でも書いていますが相手のミスに期待するなんて勝負を捨てたも同然で、今度の参院選でも野党は現時点で敗色濃厚ですが負けるべくして負けたと言わざるを得ません。
 と、こんな風に書くとこの戦略がどれだけ価値がなく不毛かということがなんとなく見て取れると思うのですが、改めて考え直してみると他のある分野にも適用できるのではないかという気がしてきました。もったいぶらずに言うと、日本人が持つ他国との経済競争における価値観です。

 実はこのブログでここ数ヶ月の間、「中国経済崩壊」というキーワード検索で訪問する人が非常に多いです。行き当たるページは「世界終末論と中国経済崩壊論」の記事で、、むしろこの記事では中国経済崩壊論の書籍は過去何冊も出版されているが今まで当たった試しがないと批判している記事ということもあり、こんな検索ワードで来られても当惑するというかむしろ来るなと言いたくなってきます。
 ただこの「中国経済崩壊」というキーワードでGoogleなどを検索すると、中国経済の危険性を訴えるページが本当にたくさんヒットします。またそういった個人のホームページだけでなく大手メディアの報道でも、中国経済が好調という話より中国経済が危険という話の方がニュースとして大きく取り扱われる傾向にあることも事実です。

 この時点で筆を終えてもいいのですが、稀勢の里が三敗目を喫して横綱昇進が絶望となった記念(別に彼が嫌いというわけではないが)に詳しく書くと、日本と中国で経済を比較し合い将来性を検討する場合、日本人はほぼ確実と言っていいほどに中国経済のリスクや問題点ばかり探してあげつらい、日本の経済を今後どのように振興して中国の企業に勝つかについては全く触れることがありません。もう少し口語に言い換えると、中国経済は今は勢いあるけどどうせもうすぐ破綻して、最終的には日本が勝つよという風な議論しか出てこず、前を走ろうとする中国に対してどうやってそれより前を走るか、そのような具体的提案は何も出てこないと言ったところです。
 これは何も中国に限らず韓国に対しても全く同じですが、中国や韓国に対して日本は今後どの分野で勝負し、戦っていくかではなく、中国や韓国が駄目になるのを待つという話しか経済比較では見受けられません。まともな経済誌ならまだこの辺の議論はあるのですが、やはり大多数の議論や主張としては私が不毛と批判する「敵失を待つ」ような、言ってて恥ずかしくないのかという意見しか出てきません。

 言うまでもないことですが中国は今でも国全体を挙げて現状以上に経済を発展させようとしており、その競争力は数年前と比べると確実に増しております。そんな中国の経済というか企業が数年後、今より競争力を落とすかと言ったらそれはあまり考え辛く、むしろ増すものだと考える方が普通な思考な気がします。そんな力を増す中国企業に対し日本企業はどうするべきかというと、さらにその先を行く方法を考える、つまり相手のミスを期待せずに如何に自分の力を伸ばすべきかということを考えるべきです。
 私は自己評価については過小でも過大であってもよくないと考えます。しかし競争相手に対する評価では、的確な評価が理想であることはもちろんですが、過小に評価して侮るくらいなら過大に評価して警戒する方がずっとマシです。然るに今の日本人の他国の経済に対する価値観においては過小評価が圧倒的と言わざるを得ず、その不毛な戦略と相まって将来的に負けるべくして負ける事態に陥るかもしれません。

 くれぐれも言いますが経済というのは競争です。競争において相手が途中で転ぶことを期待するようなアスリートが強いわけがありません。相手を研究することは大事ではありますが自らを鍛えようとすることはもっと大事で、陰湿な性格にはなるなよと言いたいのが今日の私の意見です。

2013年7月12日金曜日

韓国の近現代史~その十九、大韓航空機爆破事件

大韓航空機爆破事件(Wikipedia)

 前回取り上げたラングーン事件とは異なり、こちらは日本でも非常に有名な事件なのでほとんどの方は知っていると思います。

 簡単に私の方から事件の概要を説明するとまず事件が起きたのは1987年で、ソウル五輪の開催を控えた前年でした。事件当日、イラクのバグダッド空港を出発した大韓航空所属のボーイング707-320B型機は経由地であるアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビに到着。次の経由地であるタイのバンコク空港を通り終点のソウル空港へと向かう予定だったのですが、バンコクへ向かっていたその途中、ミャンマーの海上で突如連絡を絶ち、その後の調査で空中で爆発、分解したことが後の調査で判明しました。

 事故機が連絡を絶った直後、韓国政府は直前に経由したアブダビで降りた乗客15人の中に審な男女2人がいることを突き止めます。この男女2人は日本の旅券を持ってアブダビを降りた後にバーレーンへ向かい、事件翌日には現地のホテルに滞在していました。バーレーンの日本大使館がこの2人の旅券を照会したところそれらの旅券は偽造されたものだとわかり、バーレーンを離れローマへ向かおうとしていた2人を日本の大使館員、 バーレーンの警官が出向直前で押し留めました。
 ここである意味ドラマチックな所ともいえるのですが、出国を阻止された男女2人は煙草を吸う振りをして毒薬のカプセルを含み自殺を図ったのですが、男の方はそのまま中毒死、女の方はカプセルを噛み砕く直前に現場の人間に取り押さえられたことにより自殺に失敗します。

 その後、生き残った女は韓国へと移送され、韓国側の捜査によって二人は北朝鮮の工作員、金賢姫(当時25歳)と金勝一(当時59歳)だったことがわかり、航空機が仕掛けられた爆弾によって爆破されたことがわかります。2人は親娘を装ってハンガリー、オーストリア、ユーゴスラビア、イラクの順番に渡り、途中で旅券を北朝鮮のものから偽造した日本旅券に差し替えた上で搭乗した航空機に爆弾を仕掛けたことを、生き残った金賢姫が証言しております。実際にこれらの行程は経由した国々の記録とも一致しており、北朝鮮と同じ共産圏の旧ソ連などもこの事件を北朝鮮によるテロと断定しております。

 この事件がどういう目的で起こったというか北朝鮮は何故このような航空機爆破テロを起こそうとしたのかというと、やはり翌年に控えていたソウル五輪を中止に追い込む、または他国に参加ボイコットを促すためだったと現在だと言われております。書いてる自分が言うのもなんですが、なんで航空機を爆破することがオリンピックの妨害になるんだという気がしてならないのですが、そこは北朝鮮だからとしか言いようがありません。
 ただこの点について私の勝手な推測をここで書くと、どうも北朝鮮というのは現在を含め、国際世論というか事件などの情報が相手側にどのように影響するのか、そういった感覚に対して極端に疎い気がします。いうまでもなく北朝鮮は中国を除いてほとんどの国と国際交流を行っておらず、しかも国内で厳しい情報統制を行っていることからこちらが思った通りに相手側は思考するという勘違いに似た都合のいい感覚を持ち合わせているのかもしれません。更に言えば、次代の変遷に伴う国際感覚の変化にもついていけてないというべきか。

 多分北朝鮮としては、「航空機が爆破された→韓国は危険→ソウル五輪はボイコットしよう」なんていう風にほかの国は考えると思ったんじゃないでしょうか。しかし結果は全く逆で、むしろこのような国際テロ事件を起こした北朝鮮への批判が高まっただけでなく、それまでソウル五輪への参加を保留していた旧ソ連や中国など共産圏国家がその後、続々と参加を表明するようになります。

 この事件についてもう少し私の方から述べると、前回のラングーン事件といい、第三国を巻き込んだなりふり構わないテロ事件に北朝鮮は1980年代から手を染めはじめます。この時期がどういう意味を持つかというと、やっぱり金正日が徐々に政権内部で実権を握ってきたころと同時期であり、これらのテロ事件や金正日が主導したという話は間違ってないように思えます。
 そしてこの事件がきっかけというか、生き残った金賢姫が田口八重子氏とみられる人物から日本語を教わったという証言を行ったことから、北朝鮮による拉致事件が大きく日の目を浴びるようになります。そういう意味では北朝鮮に対する世界の見方における、ターニングポイントとなった事件だったと言えるでしょう。

 最後にもう一点。事件当時、日本の左翼運動家の間ではこの事件を韓国による自作自演だと主張する団体などもありました。具体的には社会党なのですが、旧ソ連や昔の中国の人間以上に事実を事実だと判別できない連中というのも救いようがないものです。

2013年7月11日木曜日

中国にある「高温手当」という制度

 7月に入ってからめっきり暑くなってきたので温めていたというか単に書くのを忘れていた、中国にある「高温手当」という制度について今日はちょこっと紹介しようと思います。

 この高温手当という制度はその名の通り、高温時の屋外作業を行う労働者に対して事業者が手当を支払うことを義務付けている労働法です。具体的には気温が摂氏35度以上、もしくは相対湿度80%以上に達した際の屋外作業時に支払いが義務付けられており、手当額や支払方法は地方によって異なっております。
 たとえば上海市だと期間と金額が一律に定められており、今年だと6~9月の4ヶ月間、制度の対象となる作業者に対して通常の給与額に対して月額200元(約3200円)を上乗せするようになっております。中国語がわかって興味がある方は下記ニュースページに詳しく載っておりますのでご参考ください。

上海迎来高温日 企业高温津贴标准仍为每月200元(東方網)

 ではほかの地域はどうか。上海と接している江蘇省は上海と全く同じで6~9月の4ヶ月間に月額200元と一律に定められているようです。上海なんかよりずっと暑さの厳しい広東省では期間が6~10月と上海や江蘇省より1ヶ月多くなっておりますが、支給額は月額150元に定められております。

 この高温手当は毎年6月頃にその年の支給額など政策内容が発表され、大量のワーカーを抱える企業、特に屋外作業が多い建築分野の企業などはその内容と対策に頭を悩ませます。またこれは今回調べている最中に自分も初めて知ったのですが、「中国三大ストーブ」に数えられるほど暑い重慶市では室内温度が33度以上に達した場合、オフィスワーカーも高温手当の対象になる指針を出しております。まぁ理には叶ってるな。

 もっともこうした制度があるものの、実際には手当を払おうとしない事業者も多いそうです。そんなこと言ったら大半の企業が残業代を払おうとしない日本も一緒ですが、少なくともこの高温手当の制度に関しては中国政府の考え方に深く得心させられます。言われてみれば確かに夏場と冬場では屋外作業のキツさは段違いに異なり、特に夏場では熱中症の危険性も存在します。この高温手当の条文では事業者に対して手当の支払いを義務付けているほか、労働者に対して適度に水分を補給させること、休憩させることも義務付け、体調不良者を出さないようにしっかり注意することが記載されております。

 この時点で勘付いている人もいるかもしれませんが、率直に言って日本もこの制度を見習うべきではないかと私は思います。恐らく作業現場単位で熱中症対策などが施されているとは思いますがやはり夏場の屋外作業は危険であり、労働者に対して相応の手当を支給する制度を導入するべきなような気がします。クールビズなどと政府は言いますが、そもそも猛暑時には作業量を減らすことこそが最もエコな気もしますし。

  おまけ
 前職の職場ではちゃんと社内にクーラーがあったものの古いせいか度々故障して、真夏の物凄い暑い中で延々とノートパソコンに記事原稿を書くという、「これなんていう修行?」と言いたくなるような事態が度々起りました。またきちんと動いていてもどうも設定温度通りに室内を冷やしてくれないことも多かったことから上司がよく、「おい花園、クーラーの設定温度をもっと下げてくれ」と指示が来てました。その際に、

自分「今日も暑いっすからねぇ」
上司「そうなんだよなぁ。特にこの席だと余計暑くってさ」
自分「ああ、そこ窓際ですからね

 という風に暑さのせいでボーっとしていたせいか何も意識せずに口走ってしまい、しばらく上司から白い目で見られる羽目になりました。上司も上司で、「俺は座席でも社内でも窓際なんだよ」などとすねちゃうし……。

2013年7月9日火曜日

参院選が終わった後の政局予想

 まず初めに、福島第一原発事故時に現場所長だった吉田昌郎氏が死去されたことが本日報じられたので、私からもこの場にてお悔やみを申し上げます。事故当時に自分は中国にいたので当時の状況については読者の方々の方が詳しいのではないかと思いますが、吉田所長は東電本部からの撤退命令にも応じないばかりか中止するよう連絡が来た海水注入を独断で続けるなど、あの惨事の中で立派な活躍をされた方だと聞くだけに、本当に惜しい人物をなくしたと感じる次第です。世の中、本当に良い人から先に死んでいく。

 話は本題に移って再来週に控えている参院選についてですが、はっきり言ってもう何も解説することはありません。これほど勝敗がはっきり見える選挙もなく、また実際に選挙戦が始まっても野党側は何の争点も作れていない始末で、もう選挙が今後どうなるのかという予想をすること自体が馬鹿馬鹿しいくらいです。
 とはいっても歴史系記事がメインだが一応は政治ブログ。何か書かないと個人的にも暇なのでもうこの際、選挙のことは放っておいて選挙の後の政局について予想をすることにします。

 まず選挙後の議席は言うまでもなく自民、公明の与党が過半数を握り、自民党政権としては第一次安倍政権以降続いていた衆参のねじれが解消されることとなります。これによって国会審議、議決でも与党がイニシアチブを握るので運営が大分楽になることが予想され、自民党としてはあれこれ法案を一気に出してくる可能性があります。
 そのあれこれ出してくるであろう法案の中で私が期待しているのは、アベノミクスの第三の矢です。というのも先日発表されたこの第三の矢こと具体的な成長戦略の内容は以前にも出ていた案の焼き直しに過ぎず、はっきり言って非常に失望させられる内容でした。所詮はアベノミクスも金融緩和だけで終わるのかと思う一方、「もしかして安倍首相は参院選までは選挙のために控えめな内容だけにとどめ、選挙で勝った後で大胆な政策発表、実行があるのでは」という期待感が一抹あります。まぁないとは思うんだけど。

 ただ選挙後に自民党は間違いなく、安定政権を築けることからこれまで以上に大胆に、言い方を考えると民意を気にしない政策を実行していくこととなります。まぁそれが民主主義なんだし、また民意に従った政策ばかりだとあまり良くないのでとやかく言うつもりはありませんが。

 そんな自民党に対して野党ですが、まず民主党に関しては最悪、分裂もあり得るかと思います。もともと与党になるために同床異夢で集まった政党ですから一回与党になってみてその目的が果たされており、かえって内部の矛盾が一気に噴出してしまっている状況なので立ち直りはそうそうきかないでしょう。同様に社民党も、もはや議席すらほとんど取れないので解党というか野党諸派扱いされて、ほかが駄目になる分、議席数を減らしても共産党が目立つようになるでしょう。

 では政府としてはどうなるのかですが、たとえば外交だと基本的に現在の路線がそのまま続くでしょう。現状でも安倍首相の外交方針は人気が高くて誰も文句言いませんし、他国と大きく関係を損なうようなイベントは今のところ見当たりません。ただ経済に関しては先ほども言ったようにアベノミクスの第三の矢の中身があまりにも拙いのもあり、期待ほどは大きく向上することはないと思えます。むしろ期待値が高い分、市場からそっぽ向かれたら株価が大きく下がる可能性もあってまたちょっと不安定な時期に入るかもしれません。

 例によってオチらしいオチがありませんが、私に言わせれば日本の経済力は下降するのが自然で、上昇することの方が不自然です。では無理矢理に不自然を実現させるべきなのか、むしろ芸術的な下降の仕方をみせてやるのが業師ではと思うのですが、こんな考え方してるのは私くらいでしょうね。

2013年7月8日月曜日

日本の失われた時代はあと何年?

 ちょっと夜遅いので短くもドスの利いた記事をサッと書き上げます。

 自分も昔に連載で「失われた10年」について書いておりますが、現代においてはもはや「失われた20年」という言葉の方が定着しつつあります。私としてはやはり90年代の10年間で一区切りするべきだと考えてたので失われた20年というのには違うようなとこれまで主張してきましたが、2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災、そして民主党政権下の停滞した空気を考えるとやっぱり20年というスパンで見るべきだと思い直しました。

 あまり長引かせてもしょうがないので核心に入りますが、この「失われた20年」の議論というのは基本的に、「あの時何をしていればよかったのか、するべきだったのか」しかなく、今後どうすればいいかという議論があまりないように思えます。要するに、過去しか振り返らず未来の話がないってことです。
 じゃあ未来の話をすればどうなるのか。結論から言うと、日本で失われた時代はあと何年続くのかっていう事です。思い切ったことを言うと、少子化で経済規模が今後も減少していくことを考えるのなら「失われた100年」にまで最終的に行っちゃうんじゃないかとすら私には思えます。英仏100年戦争もびっくりだ。

 日本全体に対して私個人として言いたいのは、過去をもう振り返るべきではなく、もっと未来に何をするべきか目を向けるべきです。もっとも未来どころか、今の大半の日本人は現実すら直視していない、出来ない人も多いです。過去、現代、未来と時間の区切りは三つありますが、三つすべてを見られるのがベストであって、過去にだけ目を向けるというのは自ずと限界を迎える事態を招きかねません。

2013年7月5日金曜日

書評「上海、かたつむりの家」

 二回連続で書評というかレビューが続いてしまいますが、実はこの記事はため記事で木曜執筆、金曜アップなのでどうかご承知を。ぶっちゃけレビュー記事は時期を選ばないからいい。
 そんな今回紹介するのは「上海、かたつむりの家」という中国の翻訳小説です。なんでこんな本を取り上げようと思ったのかというと、友人から薦められて読んで、中国都市部の住宅事情と合わせて説明するのにいい本だと思ったからです。

 まずこの本の元々のタイトルは中国語で「蝸居」というもので、これは直訳するとそのまま「かたつむりの家」となり、小さい家でも我慢せざるを得ない中国都市部住民を表したタイトルです。かつて高度経済成長期の日本はEU(当時はEC)に、「あいつらはウサギ穴みたいな家に住んでいる」と揶揄されたことがありましたが、かたつむりよりかはうさぎ穴の方がまだマシかなぁと隔世の感を覚えます。

 ではこの小説は一体どんな話かというと、スタートは上海市に住む若い子持ち夫婦が自分の住宅を購入するために悪戦奮闘する姿から始まります。この夫婦は元々地方出身で上海の大学を卒業してからそのまま上海で働いていますが、給与は低いのに上海だと住宅家賃が高いもんだから生まれた子供は両親に預け、逆単身赴任みたいな感じで働いている夫婦です。
 そんな子どもと離れ離れの生活に悩んだ妻が、「何もかも不幸なのは自分の家を持ってないからだ」とばかりに急に家を買おうと動きだしたものの、住宅バブル真っ盛りの上海では買おうとする傍から値段がどんどん高騰し、一度仮契約を結んだ住宅も、「新しい客がもっとお金積んでくれたからあの話はなしね」とばかりに契約を祖語にされたりなど、買おうと思ってもなかなか買えず、イライラが募って夫婦仲も段々険悪になっていくというような具合です。

 と、前半はこのように住宅購入に振り回される今どきの若い夫婦がメインで描かれていて面白いのですが、中盤から妻の妹の目線が中心となっていきます。この妹には婚約者がいるのですが住宅購入に奮闘する姉を助けようと動いたところ、家も車も財産も、さらには妻子も持っているある公務員に一方的に惚れられ、住宅購入の頭金を援助してもらったことからなし崩し的に関係を持ってしまい、後半のネタバレをすると最終的に妊娠までしてしまいます。
 もちろんこんな関係は婚約者にもばれて妹は振られてしまい、妹自身も最初はいやいやだったもののどんどんと公務員にすがりつくようになっていくのですがそこで問屋を下さないのは公務員の妻です。こっちも最終的には不倫がばれて、公務員の妻に二度と近寄るなと妹は言われますがそれを拒否したところちょっと暴行され、お腹の子供は流産してしまいます。挙句、公務員はこれまでの汚職がばれて警察にマークされ始めるのですが、妹が病院に担ぎ込まれたと聞いて慌てて車を走らせます。そしたら「逃げるつもりか!?」と警察に追われて、カーチェイスの末に対向車と激突、そして妹の名を呼びながら敢え無く昇天……というような、なんか昼ドラみたいな終わり方でした。

 ここまで読んでてわかるかと思いますが、前半は今の中国の社会事情を描いてて面白いと思ったものの、後半は単なる痴話物の話でしかなくそれほど評価するに値しません。まぁ敢えて抜き出すとしたら、妊娠して一人で公務員の帰りを待つ妹がある日散歩に出ると、前の婚約者が別の女とすごい幸せそうに歩いているのを見て、「ああ小さな家で貧しくても、あの人と一緒にいた時期が一番幸せだったのに」とこれまた昼ドラ的なセリフを吐くシーンがあるのですが、このセリフは多分、今の中国の若者がぜひ言ってもらいたいセリフの一つだと思います。

 というのも中国ではまだ世間体というか見栄を気にするところがあり、結婚するに当たって家を買って、車も持ってないと駄目みたいな感覚が残ってます。数年前に、「家も車もなくったって結婚しちゃえ」的なノリのドラマ「裸婚」が放映されてからは「裸婚族」というのも出てきて少しはましになりましたが、それでも日本人と比べると結婚前に資産を揃えなければという意識は尚強いです。
 ただ私が思うに、中国人自体がそうした見栄というか世間体に付き合うのにこのところ疲れを感じているような気がします。特に住宅に関しては先ほども言ったように年々価格が高騰してただでさえ手が届かないものが余計に遠くに行っているような状況で、買おうったって無理じゃんと多かれ少なかれの若者は考えているように思えます。

 本題から大分離れてきましたが続けると、今の中国都市部の住宅価格の行動は給与の伸びよりも高いため、時間が経てば経つほど買えなくなってくるような状況です。だからこそみんな急いで買おうとして余計に価格が高騰していくのですが、日本もバブル前なんかは同じ状況だったと聞きます。中国政府もあれこれ対策打って価格高騰に歯止めをかけようとはしていますが、そう言った政策と共にこういう小説の様な、「無理して買わなくてもいいんだよ(・∀・)」という言葉が中国社会に求められているし、そういう言葉を中国人も聞きたがっているように個人的に感じます。だからこの小説もそこそこ売れたんじゃないかなぁ、テレビドラマ化もしたらしいし。

 最後に蛇足ですが、じゃあ日本人はどんな言葉を聞きたがっているのかというと「無理して働かなくてもいいよ」じゃないかと密かに思います。ブラック企業関連でね。


2013年7月4日木曜日

漫画レビュー「進撃の巨人」

 自分が書く漫画レビューは決まってマイナーな作品が多いのですが、たまにはアクセスアップを目指してメジャーな作品を取り上げようと今日は「進撃の巨人」について私の目線で紹介しようと思います。かなり昔にこのブログでも書いていますが、よく周りから私はその知識量をとかく評価されがちですが自分が最も他に比して鋭さを持っているのはほかならぬ観察力で、そういう意味でこういうレビューや情勢分析を書く時が鍛えに鍛えた表現力と相まって一番真価を発揮するような気がします。

進撃の巨人(Wikipedia)

 まず知らない方に向けて簡単に説明すると、この「進撃の巨人」という漫画は文句なしに今一番売れている漫画で、先月なんか今も放映中のアニメ化を受けて、全漫画の販売冊数トップテンのうち半分以上をこの漫画の単行本が占めるという驚異的なヒットを続けております。本格的に売れ始めたのは今年のアニメ化以降からですがそれ以前、というより連載開始当初から作者である諫山創氏はこれがデビュー作という新人ながらも、その有り得ないと言いたくなるようなストーリー展開とハードさが大いに話題となり通常ではあり得ない人気作でありました。

 私がこの漫画を知ったのは去年に一時帰国した際、好きな本を買ってくれるあしながおじさん的な友人から「この漫画が売れてるらしいよ」と紹介を受けたからで、早速その晩に漫画喫茶で読んでみましたが確かにすごい作品だと一読して感じました。大まかなあらすじを簡単に述べると、タイトルの通りというか人間の何倍もの大きさを持つ巨人が徘徊する世界で人類が時には食べられつつ、時には踏み潰されつつもあの手この手で駆逐しようと戦っていくという話です。このほかにも非常にさまざまな設定があるのですがストーリー解説が主題ではないのでここでは割愛させていただきます。

 まず一読した直後の私の率直な感想を述べると、「これは海外で売れる」の一言に尽きます。海外、特に日本の漫画がよく売れる欧州地域では「鋼の錬金術師」のようなダークファンタジーや近未来SFがヒットする傾向にあり、ジャンルとしてはダークファンタジーに属するであろう「進撃の巨人」もグローバル規模で売れるとまず思いました。またこの作品も「鋼の錬金術師」同様に近代くらいの西洋をイメージした世界が舞台で、東洋人は今のところヒロインのミカサ(腹筋が割れているヒロインは漫画史上初かもしれない)だけという徹底ぶりで、この点も欧州での販売に大いに貢献する設定のように感じました。

 さらにというか、ストーリー展開のハードさと意表を突く裏設定も見事なものだと太鼓判を押します。作中では先ほども書いた通りに人間が本当に紙屑のように巨人に食われる描写が描かれてあり、主要キャラも割とすぐ殺されます。そして人間を食べる巨人も描写が見事というか、これは作者も意図的に描いていると言っていますが、その表情が巨人ごとに常に同じに描かれています。笑っている巨人はずっと笑ってて、怒っているのはずっと怒ったままの表情を浮かべていて、これがなんとも不気味というか表情があるのに人間味が全くなくて巨人の迫力を大いに増させる演出だと感じられます。

 以上のような具合でなんていうかずっとべた褒めが続いていますが、私は間違いなくこの作品は2010年代(2011~2020年)における最大のヒット作になると考えています。2000年代(2001~2010年)の最大のヒット作は私の中では「鋼の錬金術師」なのですが、ジャンルも先ほども言ったように同じダークファンタジーであることから、完全にこの系譜を受け継ぎ海外市場における強力なジャパンコンテンツになると見ております。

 最後に蛇足かもしれませんが、この漫画というか作者の画力についてちょっと感じるところがあります。というのもほかのレビュアーの方もいろいろ書いているのですが、率直に言ってあまりうまい絵ではなく、特に最初の方なんか人物の描き分けがよく出来てなくて、「あれ、この人って前食われてなかったっけ?」などと私もしょっちゅう見間違えてました。あと動きのある描写もコマ割りが悪いのかいまいちイメージが出来なかったりして困らせられましたが、この点は最新刊だと大分改善されつつあります。
 ただそうやって貶しておきながらなんですが、逆に諌山氏の絵をほかの漫画家が真似して描けるのかと言ったらまず無理でしょう。諌山氏の絵は一見すると雑ではありますがそのかわりに個性がはっきりと備わっており、その溢れる個性がハードなストーリー展開とマッチしていてこの作品の成功につながっていると言い切ってもいいです。

 そんな諌山氏の絵を見て何を感じるのかというと、流行というか時代の変遷です。あくまで私個人の意見ですが、1990年代から2000年代にかけて漫画の絵は劇的にきれいになったというか、スクリーントーンをふんだんに使用してアニメの絵に近くなっていった気がします。こうした流れを作った代表的な漫画家を私目線であげると「BUSTARD!!」の萩原一至氏、「封神演義」の藤崎竜氏、「天上天下」の大暮維人氏の三人ではないかと睨んでいます(狙ったわけではないのですが三人とも絵は確かに上手いものの、ストーリー展開では風呂敷を広げ過ぎて最後に畳めなくなるのも共通している)。
 こうした絵の発達の流れを受けてやや雑な絵の漫画は排除され、逆にストーリーが悪くても萌え絵の漫画は連載が続けられたりというような傾向が各漫画雑誌で少なからず見えたのですが、今回取り上げた「進撃の巨人」を筆頭に、近年になって多少絵に難があっても個性の光る漫画が評価されるようになってきたかと思います。ほかの作品でパッと思い浮かぶのは「暗殺教室」ですが。

 最終的に何が言いたいのかというと、ここ2~3年で漫画の流行が明らかに変わってきたと感じるということです。多少個性がなくてもきらびやかな絵の漫画よりも、他の人に同じ展開を描くことは出来ないというような個性のある漫画が勢いを増してきており、これからの趨勢を決めていくのではないかと勝手に妄想する次第です。

2013年7月3日水曜日

韓国の近現代史~その十八、ラングーン事件

 ついにやってきましたラングーン事件。前にも書きましたがこの事件こそが今回の連載を始めるきっかけとなったもので、その理由というのも誰に聞いても「そんな事件知らない」という回答が返ってきたからです。年齢がやや上の世代ならわかるかもしれませんが私と同年代の人間はまず知らないでしょうし、それだけに取り上げる価値があると思い、それならば韓国の近現代史をまとめて書いてしまおうと思ったのがこの連載開始のきっかけでした。
 どうでもいいですが、「ラングーン事件」と聞いて「ブラック・ラグーン」を連想した人は多分私と趣味が合うでしょう。

ラングーン事件(Wikipedia)

 ラングーンというのはビルマ(現ミャンマーのヤンゴン)の地名です。
 事件が起きたのは1983年、当時の全斗煥韓国大統領がこの地を訪問した日でした。当時の全斗煥はソウル五輪の誘致活動を活発に行っており、この時の訪問も誘致支援をビルマに取り付ける目的があったのですが、こうした動きに対して苛立ちを覚えていたのはほかでもない北朝鮮でした。
 北朝鮮から見ればソウル五輪などもってのほかで、なおかつ韓国が活発な外交を行うことによって孤立化することを恐れたため妨害工作を準備していました。そしてその舞台となったのがこのラングーンで、多分世界的に見ても稀な第三国でのテロを実行することとなります。

 ビルマを訪れた全斗煥大統領一行は10月9日、現在も活躍されている民主活動家のアウンサン・スーチー氏の父親でありビルマ建国の父である、アウンサンを祀ったアウンサン廟への訪問を日程に入れておりました。このアウンサン廟への訪問はビルマを訪れる外国VIPにとっては定例といってもいいイベントで、それがためかえってテロの標的にされてしまったのでしょう。

 事件の経過を語ると、その日のアウンサン廟では迎え入れの準備が進められており、韓国やビルマの閣僚などは先に入って全斗煥大統領の訪問を待っておりました。そして午前十時半ごろ、全斗煥が乗っていると思われた車が廟に入ったその瞬間、廟の天井で突如爆発が起こり、韓国の外務大臣や副首相を含む21人が爆死、47人が負傷するという大惨事となりました。ただ最大の標的と言ってもいい全斗煥は到着がわずか2分ほど遅れたために難を逃れ、全斗煥が乗っていたと思われた車も韓国の駐ビルマ大使のものでした。

 事件後、ビルマ政府はすぐさまテロ実行犯の追跡に取り掛かり、捜査の過程で北朝鮮の工作員3人が犯人として浮上します。この工作員をビルマ警察はすぐに追い詰め、銃撃戦の末に1人を射殺、2人の逮捕に成功します。
 逮捕された北朝鮮の工作員のうち1人は事件の全容を自白し、事件前日にクレイモア地雷を仕掛けたことや北朝鮮当局からの指令だったことなどを明かします。北朝鮮の仕業だとわかったビルマ政府は断固たる措置を取り、それまで中立を保って韓国、北朝鮮のそれぞれの大使館設置を認めていたものの、北朝鮮大使館に対しては国外退去を命じるとともに国交も完全に断絶しました。
 なお北朝鮮側はこの事件に対し、韓国側の自作自演だと発表していました。

 この事件ではアウンサン廟がテロの舞台として使われていますが、これを敢えて日本に例えるなら、明治天皇のお墓に当たる桃山御陵を爆破するようなテロで、ビルマ政府が激怒するのも深く理解できる話です。なおかつビルマ政府が事件後に北朝鮮に対して断固たる措置を取ったことは見事な対応で、逆に未だに朝鮮総連の活動を認めている日本は何をやっているんだという気持ちにもさせられます。
 それとこの事件で真に着目すべきは、北朝鮮がなりふり構わず第三国においても韓国に対するテロ活動を実行に移してきたことです。というのもこの後に北朝鮮はあの大韓航空機爆破事件を起こしているだけでなく日本人拉致事件も起こしており、なんていうか見境のないテロ行為に手を染めていきます。そしてこの時期に金正日が実権を握りつつあったということを考えると、もうあれやこれやと考えが出てきます。

 そういうわけで次回はいよいよというか、大韓航空機爆破事件を取り上げます。

中国での戸籍異動制限の緩和方針について

中国、小規模都市・町の定住制限を全面撤廃(人民網日本語版)

 ちょっと時間が経ってしまっておりますが、非常に重要な中国ニュースなので私も取り上げておくことにします。

 まず前提の知識として、中国の戸籍制度について簡単に説明します。今現在の世界で戸籍制度がある国と言ったら私が知る限り日本と中国だけで(韓国は数年前に廃止)、日本の場合は部落出身者を区別するという要因が強いため残されていますが、中国では農民の都市への大量流入を防ぐためにこの制度が残されております。

 中国の戸籍は大きく分けて都市戸籍、農村戸籍の二種類に分かれており、都市戸籍の保有者は比較的どこでも簡単に戸籍の異動を行うことができますが、逆に農村戸籍の人間は別の農村ならともかく、都市部への異動は厳しく制限されています。もちろん都市戸籍を持たなくても都市部に住むこと自体は可能ですが、戸籍の異なる都市では様々な行政サービスが受けられなくなり、たとえば住宅購入が制限されたり、子供の公立学校への就学が認められなかったりして不自由な点がいっぱいです。
 一方、都市側の行政としてもいろいろ厄介な点が多いです。というのも個人への税金はその人の戸籍がある行政に納付されるため、税金を払っていない非戸籍者に対しても最低限の行政サービスを実行しなくてはなりません。それが100人は200人相手ならともかく、数万人ともなると行政コストは馬鹿にならなくなります。

 こうした戸籍の違いからくる行政問題の主役というのは言うまでもなく農村から都市部やってきた出稼ぎ農民、いわゆる農民工なのですが、多かったら多かったらで問題だし、かといって彼らが都市部に来なければ3K労働の労働力が足りなくなるというジレンマがあり、中国における社会問題の最たる課題と言っても差し支えないかと思います。無謀にも、これを卒論のテーマにしようとして私も失敗したことがありますが。

 ここで話を最初にリンクを結んだニュースにようやく戻ります。このニュースでは中国での内閣に当たる国家発展・改革委員会(発改委)がこのほど、都市に限って農村からの戸籍移動制限を緩和する方針を示したそうです。具体的な時期はまだ明らかにしていないながらも小規模の都市においては移動制限を完全撤廃、中規模と大規模の都市に関しても徐々に制限を緩和していくとのことで、これまでの中国の歴史から言っても画期的な発表のように私には思えます。

 中国政府としてはやはり、付加価値の低い農業からより付加価値の高い工業やサービス業への産業転換を図りたいと考えているようで、とくにサービス業の発展には都市部での消費額向上が欠かせないため今回の戸籍移動制限の緩和に踏み切る方針を出したのでしょう。もちろん北京や上海といった超大都市への戸籍異動制限は今後も続くでしょうが、地方の中小都市部への異動制限を緩和することによって大都市への一極集中を緩和させる効果も期待できるうえ、地方都市の発展につながるかと思えます。
 逆にデメリットとしては言うまでもなく食料生産で、勝手に推測するなら農業の大規模集約化も同時に進めていくかもしれません。むしろそうしないと国が持たないのだけれど。

 あともう一つ付け加えると、このブログでも何度も書いていますが去年あたりから中国政府はよく「城市化(都市化)」というスローガンを掲げています。このスローガンの言わんとするところは文字通り、地方の都市発展を推進するもので、これまで外国からの投資や輸出に頼った経済ではなく国内消費を活発化させることによって経済全体を盛り上げていこうという内容です。
 このスローガンと今回出された戸籍移動制限緩和は完全に軸が一致しており、日本みたいに言うだけ言って実行に移されないのとは異なり、きっと近いうちに具体的な政策が出されるかと思います。もっともリンクを結んだ記事にも書いてありますが、各都市がどれだけの人口流入に耐えられるか、人口の急増に行政サービスが間に合うのかという課題も残されており、今後こうした問題への対策案を注視していく必要があるでしょう。

2013年7月1日月曜日

限度額がわずか160円も、中国のクレジットカード

 ちょっと笑える中国ニュースがあったので取り上げます。

白领月薪2000多没房没车 办张信用卡额度仅10元(長江日報)

 リンク先の内容は簡単な中国語で書かれているので、中国語が読める方は是非そのまま読んでみてください。読めない方はこのまま私の文章の続きをお読みください。ちなみにニュースの見出しを翻訳すると、「月収2000元(約3万2000円)の家なし車なしのホワイトカラー、クレジットカード限度額は10元(160円)」となります。
 ニュース記事によると、民間企業に勤めるある女性が国有銀行でクレジットカードを発行したところ、クレジットの限度額は2000元程度になると聞いていたのに、いざ実際に届いてみると10元に設定されていたそうです。このあまりの限度額の低さに女性も、「これじゃ歯磨き粉2本も買えないじゃないのヽ(`Д´)ノプンプン」とコメントをしております。にしても、なんでここのたとえに歯磨き粉が出てくるんだろ。

 商業銀行の関係者によると、クレジットカードの限度額は基本的に下限が定められているわけじゃなく、銀行側によって恣意的に決められるそうです。そのため信用度の低い顧客に対しては当然低くなるわけで、場合によっては「0元」という、一体何のためのクレジットカードなのかわからなくなるギャグのような限度額設定もあるみたいです。しかもそれでいて、年会費はちゃっかり取るという鬼畜さ。

 一応の対策方法も書かれてあって、デビットカードとして買い物に毎月500元を使用していれば三ヶ月後には限度額は500元、半年後には2000元に引き上げてくれるそうです。それにしても、中国はたまにこういう有り得ない冗談みたいな話が現実に起こって報道されるから楽しい国だと思います。