2013年9月2日月曜日

奈良ドリームランドを偲ぶ

 先々週末は名古屋に左遷された親父の所へ遊びに行っていたのですが雨上りの散歩中に突拍子もなく、「関西で年配の人と話をする際、奈良ドリームランドのことに触れると話がしやすい」と私の方から口に出しました。なんでこんな内容を話題に挙げたのか自分でもよくわからないのですがなにか神様の配慮があったのか、その後に立ち寄った喫茶店(岡崎市内)に置いてあった週刊現代にまさにその奈良ドリームランドについて書かれた記事が載ってありました。

奈良ドリームランド(Wikipedia)

 関西圏に住んでいたことのある人間には説明は要らないでしょう。それはかつて奈良市にあったテーマパークで、私と同年代の人間も小学校の遠足などで一度は訪れたことがあるはずです。少なくても私の周りの関西人はみんなそう言ってました。

 では関西圏以外の人向けに解説を開始しますが、この奈良ドリームランドは実業家の松尾國三によって1961年に開業したテーマパークです。当時の日本は高度経済成長期まっただ中で松尾國三もそうした追い風を受けて一代で興行会社、そして不動産会社を経営するに至りました。そんな彼が何故テーマパーク事業に進出したのかというと、自分も意外だったのですがアメリカのディズニーランドを訪れたことがきっかけでした。
 ディズニーランドを訪れた松尾國三は日本にもこのような娯楽施設が必要だと考え、ウォルト・ディズニーに直談判してノウハウ等の協力を要請しました。松尾側はこの際に「日本版ディズニーランドの開園許可を得た」、つまりフランチャイズ契約を結んだと主張し、実際にディズニー側から開園に向けた開発で技術スタッフの派遣を受けてはおりますが、ディズニー側の主張はこれとは少し異なり、「フランチャイズ契約料の交渉で折り合いがつかず破談となった」と述べているそうです。

 この交渉が実際にどうだったかについては定かでない部分が多いですが、少なくとも松尾國三とウォルト・ディズニーが直接会ったのは間違いなく、そして当初はお互いに協力する方針であったのではないかと私は思います。ただ松尾側はアメリカにあるディズニーランド内で勝手に写真の撮影や測量を始めたりするなどしてディズニー側の顰蹙を買ったと言われ、その後の交渉でどうも行き詰まったような感じです。
 なおこのような経緯があったことから現在の東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドがディズニーに対してフランチャイズ交渉をする際、「日本人はかつてディズニーランドをパクッた」などと言われ交渉が難航する原因になったとも言われています。もっとも、オリエンタルランドは日本で大成功を収めてますが。

 話は戻って奈良ドリームランド。ディズニーとのすったもんだがあったものの開園にはこぎつけます。設立地はいうまでもなく奈良市ですがこれは他の都市に比べ奈良市が特に誘致に熱心だったことからですが、松尾國三は当初、人口の多い東京周辺に設立をする計画だったそうです。
 開園後の奈良ドリームランドは当時としては珍しい乗り物を使ったアトラクションが多数あったことや日本初の本格的なテーマパークだったことから盛況となります。当時の状況について関西出身のうちの親父に聞いてみると、初めて行った時は本当に衝撃的だったらしく、このような楽しい場所がこの世にあるのかと思うような印象だったと話してました。親父も若かったんだな。

 ただその後、似たようなテーマパークが乱立し、しかも奈良ドリームランドは奈良駅からバスで移動しなければならないという交通アクセスの不便さがたたり、時代を経るにつ入れて徐々に来園者数は減少していきます。特に交通アクセスの不便さについては近畿で最も人口の多い大阪から行くには遠すぎるというのがかなりネックだったそうで、USJが出来てからはその動きに拍車がかかっていきます。
 この交通アクセスの問題はどこまでもついて回るようで、奈良ドリームランドに続いて1964年に作られた横浜ドリームランドでも同じ問題が起こっております。横浜ドリームランドはベッドタウン化が進む横浜市に設立されたのですが、こちらは時代が経るにつれて人口が急増し、周辺道路では大渋滞が日常茶飯事となり来園者の到達までの負担が非常に高かったそうです。しかも渋滞対策として1966年に導入した国鉄大船駅と結ぶモノレールは、技術上の欠陥によって運行開始からわずか1年5ヶ月で休止に追い込まれてます。今日はやけに頻出のうちの親父によるとこのモノレールを作ったのは東芝だったそうで、「東芝がやらかしたから閉園に追い込まれたんだ」とやけに悔しそうに言ってました。

 兵どもが夢の址ではないですが、横浜ドリームランドは2002年に、奈良ドリームランドは2006年にそれぞれ経営悪化から閉園しております。ちょうどというか自分が学生として京都にいた際、この奈良ドリームランドだけでなく同じ奈良市にあったテーマパークの近鉄あやめ池遊園地も2004年に閉園し、目の前で関西のテーマパークがばたばた倒れるさまをまざまざと見せつけられていました。一応、志摩スペイン村とひらかたパーク、生駒山上遊園地はまだ存続して頑張ってますが。
 私は奈良ドリームランドが閉園する数年前に京都へと渡ったのですが、自転車で奈良市を訪れた際に少し道を間違えたことから奈良ドリームランドの敷地近くを通りかかったことがありました。それまで関東育ちだったこともありこういう遊園地が関西にはあるんだな程度に思いませんでしたが、その後に関西の人たちと奈良ドリームランドについて話をするたびにみんなが楽しそうにその思い出を語るを見るにつけ、一回でもいいから遊びに行っておけばよかったと今は思います。そう言いつつも、残っている三つの遊園地にはどれも行ってないのですが。

 最後にまた蛇足な内容を加えますが、松尾國三が起ち上げドリームランドを運営していたのはドリーム観光という会社ですが、この会社はいろんな事業をやっておりその運営施設の一つには千日デパートも含まれています。この千日デパートというのは1972年に大規模な火災が起こり118人が死亡し、その後に取り壊された商業施設です。こっちの事件は以前に昭和の事件を調べていた際に印象に残ってて覚えていたのですが、それがまさか奈良ドリームランドと関係があったとは思いもよらず、せっかくなのでまとめて紹介してみようと思ったわけです。
 ちなみに、この千日デパートの跡地には現在、ビッグカメラなんば店が建ってるそうです。こういう風に見てみると妙な現実感が湧いてくる。

6 件のコメント:

  1. 宝塚ファミリーランドもなくなりましたね。
    保育園から小学生の頃は毎年訪れていました。
    毎年ドラえもん展が開かれており、ドラえもんファンの私には欠かせない場所でした。
    閉園年に、抽選会場でドラえもんのぬいぐるみが当選した事を今でも覚えていますし、そのぬいぐるみは今も飾っています。
    思い出の地がなくなるというのは悲しいものですね。

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    1.  やっぱいろんなところにいろんな遊園地ってあるんですね( ´∀`)
       記事中では触れませんでしたが遊園地ってやっぱり子供のために作られるものなだけに、こうやって潰れていく遊園地を見るにつけ現代の子供たちに残してあげることが出来なかったという妙な後悔感が湧きます。同時にみあさんのいう通り、自分の楽しい思い出が詰まっている場所なだけに心がざっくりくる感じで、その寂しさもひとしおです。
       そのドラえもんのぬいぐるみの思い出はなかなか忘れられないでしょうね。ぜひ大切に扱って、自分の思い出をつないであげてください。

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  2. よく調べられていると思い拝見しました。
    開園の経緯について補足させて頂きますと、某広辞苑の記事はデイズニーに都合の良いでたらめで
    実際に話をまとめた人も、融資元も全く違います。
    また、工事を始めてから、ウオルト側が彩色等の細かい点を指定してきたり
    日本固有のものは認めないなどと、松尾の考えとは違った点が多々出てきたと聞いています。
    よく、デズニーランドの偽物だという話を見かけますが、当初はウオルトと協力して
    日本にもディズニーランドを作ろうとしていたのですから、似ているのは当然です。
    詳しいページを設けていますので宜しければご覧下さい。
    ウオルトの承諾を得たか→http://xn--gdka2erbd0d2c.jp/23010401.html
    奈良ドリームランドの経緯(松尾社長の肉声)→http://xn--gdka2erbd0d2c.jp/douzou.html

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    1.  ドリームランド.jp様、コメントありがとうございます。
       開園の経緯は記事中に書いていますが、どうもはっきりしない感じがしますし、よっぽど新資料が出ない限りは真相はわからないかと思います。松尾とウオルトが会って交渉したことは事実の様なので、双方とも自分たち側の主張をしているだけに難しいです。
       ただどちらにしろ、日本における近代テーマパークの走りだったことは事実ですし、当時の人々に強い影響を与えた施設であることを考えると自分も閉園前に行っておけばよかったなぁとよく思います。たまたまですが今日奈良市に行って遠景からドリームランドの跡地を眺めましたが、まさに兵どもが夢の跡、という感慨を覚えました。

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  3. 奈良出身の私には懐かしい話です。
    しみじみしながら記事を拝見しました。

    入場料も目の玉飛び出るほど高くて、憧れの遊園地でした。
    でも、経営悪化してから、急速に寂れました。
    ディズニーのあの西部開拓時代の再現とか基礎コンセプトを破壊するような改悪が行われました。
    維持費のかかるサブマリンとか竜宮城なんかは池が埋め立てられてしまいました。
    また、おしょろ丸の世界周遊もプールに変わりました。
    これらを知らない人は、ディズニーの模倣といわれてもピンとこないかもしれません。
    でも、本当によくディズニーを研究しており、大人になってからつくづく感心させられたものです。
    サブマリンなんか今でも印象に残っています。
    潜水艦を模した乗り物の丸窓から次々に見えるきれいな海の作り物に見入っていた幼い日、あのひんやりとした空気と薄い合皮のクッションの感覚と共に鮮やかに記憶に甦ってきます。

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    1.  コメントありがとうございます。
       この記事は手は抜いておらず、むしろ力を入れて書いた方ですが、それでも自分の予想以上に閲覧者数が多いだけでなくこのように数多くのコメントがいただけていて非常に意外な記事となりました。逆に言えばそれだけこのドリームランドを思い出す人が多いということでもあり、何かしら昔を思い起こすきっかけになったのであればこの記事を書いた甲斐というものがあったものです。
       最後に本筋と関係ありませんが、奈良北部は生活圏としては本当に良い所ですよね。自分も親戚がいるのでたびたび訪れますが、京都ほど人が多くなく、その一方で歴史的遺物は多くて将来は奈良市辺りに移住しようかなどとも実は考えてます。ただ、奈良南部は以前に十津川村にも行ったことがありますが、中途半端な気持ちで住もうなんてことは考えちゃならないなというほど環境の厳しさを感じた次第です。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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