2013年9月14日土曜日

韓国の近現代史~その二十四、日韓ワールドカップ

 先週一週間は左耳が痛かったりするなど神経的にしんどい日々が続きましたが、一昨日にNexus7が届いてからやや元気になりました。もちろんNexus7のおかげというより、ようやく体とか神経が整ってきたからだろうけど。
 さてなんかなかなか終わらないこの韓国の近現代史の連載ですが、前回で金大中政権時における南北首脳会談をやったのでもう一気に盧武鉉政権に移ろうかなとも思いましたが、日本とも関わりがあるし2002年の日韓ワールドカップについてちょっと書いてみようかと思います。ついでに対日関係も追えるわけだし。

 まず金大中政権時における日韓関係ですが、あくまで私の目から見た感じだと比較的穏やかだったと思います。朴正煕以降の軍事政権下の韓国では政府が率先して対日批判を行っていましたが金泳三政権になってからは実を得るというか、日本の音楽やドラマの放送が徐々に解禁されるなど実態はどうあれ政策的には雪解けが進められました。

 こうした対日方針は次の金大中政権にも受け継がれております。また金大中自身が日本でKCIAに拉致られるなど日本とも縁の深い人物であったことから日本人の間でも彼の名をよく覚え親近感を持っていた人が多かったように思え、今でも覚えているものとして現在も放送が続けられている「さんまのからくりTV」における「ファニストイングリッシュ」というセイン・カミュがメインのコーナーでのある床屋さんのコメントがあります。
 その床屋さんは当時、SMAPのキムタクこと木村拓哉氏が人気になってロンゲ(これももはや死語だが)が流行り、床屋に来るお客さんが減っているという事を話して、それを英語で言うように指示されると、「I dislike タムキク!」と言って、「それじゃ『キクタム』になって名前が違うよ」と指摘されると照れ隠しに、「I like キムデジュン!」と言い直しておりました。ほんとよくこんなくだらないことを覚えているもんだ。

 そんな昔話は置いといて話を進めますが、私の目から見ても金大中は国内の突き上げを受けつつも日本に対する配慮はある程度図ってくれたと思います。ただついていないというか彼の在任期間中にちょうど日本も対韓批判が始まり、主だったものを挙げると「つくる会の歴史教科書問題」や小泉首相の靖国参拝などですが、インターネットも発達したことも契機となり私の印象だとこのあたりの頃から明確に韓国を嫌う層が増えていったような気がします。
 ただそのように徐々に両者の感情が悪化していった中、2002年のWカップは日韓による共催で開かれます。目立った絡みこそなかったものの両国間で世界中のスーパースターが集まり、毎日お互いの国の大戦状況など報じられたことから関係改善という意味では一定の効果があったかと思います。逆を言えばこの時を区切りに日韓関係はその後、ずっと悪化していくこととなるわけなのですが。

 ちなみに私はこのWカップの時に高校生でしたが、当時は学校の授業が終わると試合を見ようと急いで帰宅する生徒が周りにもいました。ただそんな中で物凄いサッカー好きの友人は何故か泰然自若として帰宅する様子がなかったのでどうしたのかと聞いてみたところ、「試合は既に録画予約している。僕は国歌斉唱のシーンから見ないと気が済まない」と風格ある発言をかましてきてくれました。なおその友人は小学生の頃に家出した際、唯一家から持っていったのはサッカーボールで、家に帰るまで公園でずっとリフティングしていたという強者です。

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