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2013年10月6日日曜日

韓国の近現代史~その二十七、まとめ

 唐突ですが、今回を以って長く続いたこの韓国の近現代史に関する連載をいったん終了させようかと思います。前回ではいろいろとダメダメだった盧武鉉政権について書きましたが、次の李明博政権だとまだ評価も定まっていないし、別枠で資料読み込んで書いた方がいいと思うのでそろそろ切りがいいのではと思うに至りました。そこで最終回(また続き書くかもしれないけど)の今回は、これまで折ってきた韓国の近現代史をみて私が感じたことをありのままに書こうかと思いおます。

 まず最初に言いたいことは、これは連載を始める前からも意識しておりましたが韓国人と日本人の絶対的な意識の違いです。これは文化とかそういうのではなく政治弾圧に絡む民主主義意識、ひいては政治意識に対するもので、この辺のギャップが両国間で誤解を生む要因の一つになっているように思います。

 率直に言って韓国人の政治意識は非常に高いと言わざるを得ません。というのも盧泰愚政権までの韓国は実質的な軍事政権下にあり、自由な政治活動はおろか夜間の外出までも厳しく制限されておりました。そして選挙においては政権側の猛烈な弾圧があり、自由主義者の暗殺はおろかデモ隊への発砲すらも日常茶飯事だったこともありました。そんな時期がわずか30年くらい前、つまり1980年代まで韓国は続いております。
 それに対して日本はというと、そのような強烈な政治弾圧は二次大戦の時期までで終戦後はあくまで一応は自由な政治活動が許されてます。この間、1945年からだから約70年で、韓国とは40年くらいのギャップがあります。言ってしまえば、韓国の人はまだ自由を求めて政治闘争をした熱が冷めておらず、それ故に国民全体でまつりごとに対して熱くなりやすいのではないかという気がします。それに対して日本はどこか冷めているという態度を持つのでこの辺の感覚が互いに理解しきれていないのではないかというのが私の意見なのですが、長期的には韓国も今後は冷めてくるように思えるので、徐々にこのギャップは埋まるのではないかという楽観的な見方を立ててます。

 同じく政治に関する意見ですが、やはりこうして韓国の近現代史を追ってみると朴正煕の影響力が未だに強いというか、韓国におけるすべての政治軸になっているのではないかと思います。言うなれば韓国の政治史というのはある時期を境に「朴正煕的」か「非朴正煕的」の二者択一になっており、未だに朴正煕を超えるグランドデザインを示す政治家が出ていないのではないかと思います。
 もうちょっと解説すると朴正煕的なものは親米反北朝鮮、そして国家主導の経済運営であり、反朴正煕的なものはこれらと真逆な方向軸です。もっとも日本もあれこれ言う人がいますが、突き詰めれば親米か反米かで全部峻別できてしまうのですが、国家の具体像に関しては「東洋の経済大国」から脱して「モノづくり大国」、「ポップカルチャーの国」、「反中国」などとそこそこ幅広くなってきた気がします。
 一方、韓国ですが、単に私が不勉強なだけかもしれませんが朴正煕の頃からまだ動いていないというか、「日本の経済に追いつけ」、「米国とは微妙な距離感」、「北朝鮮とは戦争にならないように」で未だにずっと続いている気がします。先程にも書いたように、韓国をどんな国にするのかそういうグランドイメージを作れる政治家が致命的なまでに不足しているのではないかという気がしてなりません。

 最後にもう一点だけ付け加えますが、韓国は恐らく日本よりも民主主義が浸透している国だという気がします。ただ民主主義というのは完全無欠のシステムではなくほかの独裁制や王制に比べてマシだからみんな使うだけのシステムにほかなりません。そのため民主主義が浸透し過ぎているが故の弊害もあり、言ってしまうと盧武鉉政権なんかその典型でしょう。
 今現在は朴槿恵政権ですが、正直に言って私は彼女の言動などを見ていると資質的にいかがなものかとよく思います。特に存命時の金正日と直接会って会談した事実などは看過できない失点のように思え、それでも大統領になれる韓国の民主主義は立派なものだと思うのと同時に、先行きに一抹の不安を覚える次第です。

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