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2014年3月6日木曜日

英雄としての秀吉

 現在放映中の大河ドラマ「軍師官兵衛」を放送時間に自宅にいる際は見ていますが、先週あたりから織田家や周辺諸国と黒田官兵衛が絡むシーンが増えてきて、序盤に比べて格段に面白さを感じるようになってきました。特に織田家とのシーンに出てくる秀吉が場面を盛り上げており、演じる竹中直人氏はかつての大河ドラマ「秀吉」で演じた同じ役が当たり役だっただけに当時の演技ぶりと重ねつつ楽しく見ています。そんなファンキーでモンキーな秀吉ですが実はここだけの話、日本史上で英雄と呼べる人物はこの豊臣秀吉くらいではないかと私は考えております。なんでそんな高評価をしているのか、さっきからやけに左腕がしびれるけど頑張って今日はその辺を書いてみようと思います。

 秀吉がどんな人物であるかについては説明するのも野暮なくらいに一般的ですが、農民の出身でありながら織田信長の草履取りに始まり着々と出世してゆき、城持ち大名になったところにとどまらず最終的には天下を統一して関白職に就任した戦国一の出世頭と呼ばれることが多いように思えます。しかし彼を単に出世頭として形容するのはややもったいないように思え、というのも応仁の乱から日本全国で百年以上も続いた戦国時代を終結させたのはほかならぬこの秀吉で、政権こそ次代に引き継がれなかったものの豊臣政権で実施した石高の統一や五人組制度など、政策の多くは江戸時代でも採用され続けていることなどからも近代日本の礎を作った張本人と考えてもいいと思っております。

 そうした業績以上に私が秀吉を高く評価している点として、彼自身が軍略家、施政家、説客としてどれも超一流の実力を持っていたにもかかわらず、各分野において自分以上の才能の持ち主を採用し、活用している点が挙がってきます。具体的には今期の黒田官兵衛や石田三成、小西行長などで、これら数多くの人材を見出して使いこなしていたというのは関白は伊達じゃないといったところでしょうか。
 私が何でこの点を大きく取り上げるのかというと、歴史上で一芸に秀でているというか非常に高い才能の持ち主というのは概して自分以上の才能の持ち主に対してあまりいい感情を持たず、その才能を認めようとしないところがあるように思うからです。それこそ中国の劉邦や劉備は確かに数多くの名将名軍師を活用しておりますが、二人とも外っ面がいいだけで自分らはそれほど戦争が上手かったり、知略に優れていたというわけではありません。もちろん両者ともに大人物であることに変わりはありませんが。

 それに対して秀吉ですが、彼は間違いなくハイレベルでの軍略を理解していた上に初めて持った所領の長浜を大きく発展させただけでなく、若い頃は竹中半兵衛や美濃三人衆の調略に成功して浅井家との交渉を担当するなど外交手腕も半端なものではありません。にもかかわらず自分以上の才能の持ち主を獲得するとその才能に一任するというか、適材適所に仕事を任せて着実に成果を上げ続けました。

 秀吉の主君である織田信長も自身で非常に高い才能を発揮していた上、秀吉を初め明智光秀や滝川一益などどこぞの馬の骨ともわからない人物らでも才能ありと見るや大抜擢させて活躍させている点は同じですが、抜擢した部下の裏切りがあったかどうか秀吉とは大きく異なります。今回この記事を準備するため帰りのバス(乗車時間13分)で記憶をめぐらしましたが、改めて考えてみると秀吉を裏切った武将というのはほとんど見当たらないというか、少なくとも知名度のある大身の人物に限れば全くいないと言っても過言ではないでしょう。むしろ秀吉のために主君を裏切った人物は数知れず、徳川家の石川数正や柴田勝家陣営にいた前田利家など、「人たらし」の異名通りに悉く寝返らせ続けました。

  さらに秀吉本人もその気があったというべきか、三国志の曹操同様にやや人材の引き抜きマニアと思える節もあります。具体名を挙げると上杉景勝配下の直江兼続で、その才能を高く評価した秀吉は直属の配下にしようとあれやこれやと誘いをかけ続けたと言われています。

 話は戻りますが、自らも超一流でありながら多才な人物を採用したというこの点こそほかならぬ英雄の条件だと私は考えます。英雄というと一般的には古代ローマのカエサルやフランスのナポレオンなどが挙がってくるでしょうが、両者ともに非凡な才能を持ちながらも配下には負けず劣らず個性が強くて優秀な幕僚を取り揃えていました。ただナポレオンに関しては、自分以上とも覚えるほど優秀過ぎる部下(ダブーとか)に対して後年になって意見を聞かなかったり、回想録で辛辣ともいえる評価を述べるなど嫉妬に似た感情を見せており、超一流でありながら他人の才能を認めるということがどれだけ難しいかを感じさせる好例にもなっています。

 こうした点を考慮するにつけ、決して低くない評価であるものの秀吉に対してはさらに高い評価をしても良いのではないかとこの頃思えm特に賤ヶ岳の合戦前後は神憑り的な勘や行動力を見せており、総合的に見るなら日本史上で最も才高い人物の一人と見てもいい気がします。不足している点といったらあだ名にもされた猿顔という品のよろしくない外見くらいですが、私は仮に外見までパーフェクトだったら人物的に面白さが落ちていたと思うだけにこれをマイナスポイントとしてみるのはどうかなとすら考える次第です。
  それだけにというべきか、晩年の判断ミス連発は誠に惜しいというよりほかありません。というわけで次回は一体何故豊臣政権は崩壊することとなったのかその原因についてあまり活発に議論されていない気がするので、自分なりにまとめた論点を書いてこうと思います。久々だなぁこういう力入れる歴史記事。

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