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2014年7月29日火曜日

8/2までおやすみ

 先週土曜に引っ越しを行った関係から現在自宅でネット回線が使えません。8/2に回線工事を行う予定なので、この間ブログ更新をお休みさせていただきます。
 さて、この間にどのゲームをやって時間つぶすかが問題だなぁ。

2014年7月25日金曜日

自分の趣味範囲

 知ってる人には早いですが、記憶力というか知識量において私は絶対の自信を持っており、絶対的な知識量ではただ一人を除けば今まで生きてて誰かに劣っていると感じたことは本当にありません。なおその一人というのは大学で授業してもらった講師でしたが、「ああこの人に俺は絶対敵わないからケンカしないでおこう」と思うほどプレッシャーを感じたほどで、逆を言えば同じようなプレッシャーをその講師を除けば誰にも覚えたことはないので多分ほかの人には負けてないだろうと思うわけです。
 
 そんないつも通りに自信過剰な私ですが、どうも周りから見ると外見がそうでもなさそう、というか趣味や知識の範囲が狭そうに感じる外見のようです。なもんだから初対面の人物と話し込むと、「こんなにいろんなことを知っている人だとは思わなかった」といっつも言われるのでいい加減、うんざりしてます。
 そういう私の知識量が本領を発揮するのは言うまでもなく趣味の世界で、やはり周囲からは多趣味だとよく言われます。といってもここの趣味の範囲ではその趣味を専門的にしている人と比べて浅い程度ですが、話しを合わせる、ある程度知識を持っているというレベルでいいなら自分でも多方面に地盤を築いたと考えており、そこで今日は自分を見つめ直そうと大体どんな範囲が得意なのかいくつか考えながら挙げてくことにします。
 
  一、相撲
 ここ数年ずっと中国入るせいで行けてませんが、一時期は国技館とかにもしばしば赴くくらい相撲は好きです。主要な力士の得意な立ち回りを覚えていることはもとより、平幕からずっと頑張っている力士についてはどういう経歴なのかも大体わかるので、相撲ファンとしては中ごろのレベルだと自認してます。なおお気に入りの力士を挙げると以前は豊真将で、最近は豪栄道です。豪栄道の何がいいかってそこそこ地力がある上に稀勢の里と違って突き相撲だけでなく投げ技も状況に応じて繰り出せる万能さで、相撲に限らず万能型、もとい器用貧乏型を好む傾向があります。
 今思い出したけど、既に引退してしまった琴欧洲が初優勝した時、家近いからわざわざ松戸の優勝祝賀会見に行ったなぁ、何も知らない友人を無理やり誘って。
 
  二、歴史
 分野別の知識量で行ったら間違いなくこの歴史が私の中で最も大きいでしょうが、特筆すべきは日本史、世界史、中国史を問わずかつ古代から中世、近代にいたるまでめちゃくちゃな範囲をカバーしてるっていう点でしょう。唯一苦手としているのはインド史ですがインド旅行に行った時にはインド人ガイドから「インド詳しいね!」と言われたのでそれでも並以上な気はします。たまになんで歴史学者になろうとしなかったのと聞かれますが、歴史を専門的な学問として取り扱ったら嫌いになりそうだったし興味なかったことと、案外日本の歴史学会ってしょうもないことにこだわるし自由な主張を許してくれない雰囲気があるので昔から敬遠してました。
 
  三、パソコン
 恐らく専門的な人から見たら自作も出来ないしプログラムも組めないので私なんて素人同然でしょうが、案外素人に毛が生えた程度である今の水準だからこそ求められるものがある気がします。私がやれることと言ったらエクセルでマクロ組んだりネットの検索や多少使いやすいソフトを知ってる程度なのですが、実生活で使う範囲と言ったら大体この水準を超えることがないことと、こういってはなんですがパソコンに非常に詳しい人は素人に対して「なんでわからないの」という態度を前面にだし、指導の仕方も悪いように感じます。自分は先ほども言った通り素人レベルを越えませんが、逆を言えば素人の気持ち、どこがどうしてわからないのかをまだ理解できるのでどの会社に行ってもやたらとパソコンの使い方を聞かれます。中でも一番驚いたのは、別の場所にあるオフィスからわざわざ電話でどうすればいいかって聞かれた時です。サポートセンターじゃあるまいし。
 
  四、政治
 これはもうマニアと言っていいレベルです。なんでもいいから政治が絡むと外交だろうと内政だろうとその流れ、構造を知りたくなるし、政策案の問題点やら改善点を議論したくなります。なんでこんな政治好きになったのかというと中学生の頃に興味を持ったものの周りにこういう話題を話せる人間がおらず、やたらと内省を深めていった結果がこれなのでしょう。ほかの分野にも言えますが、全体がどういうグループに分かれ、またどういう目的や動機によってその構造が生まれ、何がファクターになっているのかをあれこれ模索して分析するのが理由もなく大好きです。自分で書いてて意味が分からねぇ……。
 
  五、ゲーム
 これも玄人と言われるほどやってはいませんが、周囲からはやり過ぎだと言われるくらいに遊んでたし今も携帯ゲーム機を手放せません。案外この分野は外から入り込み辛い分野のため新聞記者時代は「ゲーム業界の記事は花園に」を合言葉に全部振られて書いてましたが、自分の場合は遊ぶだけじゃなくある程度整理した上で解説できる点で、その点でやや特殊だったなという気がします。あと一応日本ゲーム業界の黎明期から全盛期、衰退期を目前で見てきたのもあり、そういった歴史について語れるのもやや強いかな。
 
  六、社会主義
 恐らく私と同年齢で、私ほどマルクス経済の仕組み、並びに社会主義と共産主義の違い(大まかに言えば政府の有無)を詳しく解説できる人間はほとんどいないでしょう。恐らく上記の歴史と政治好きが組み合わさって、「一時代を築いた社会主義ってなんだろな?」って具合で興味持ってこんなに勉強したのだと思いますが、それにしても中国やロシアなど旧社会主義国がやたら好きになる点から言っても元々こっち分野に適性があったのかもしれません。後輩にも、「花園さんは全共闘の時代にいたらきっとヒーローでしたよ!」と言われ、なんか素直に喜べなかったし……。
 
  七、オカルトと宗教
 子供の頃に今はオシャレなゲームで有名な「ペルソナ」ってゲームをやってからやたら各地の神話や宗教を勉強し始め、大学入ってからは新興宗教、並びに新々興宗教も一通り調べたのでもはや立派なマニアとなってます。さすがに仏教各宗派の経文とか違いまでは判りませんが、新興宗教に関しては成り立ちから軋轢、主要人物についてはそこそこ話せるし、あと社会的な影響、創価学会のピークシフトとか知ってるのと真如園についてはガチで集団念仏会に参加する羽目になったので詳しいです。でもって不思議なことに、何故か宗教やってる人間にやたらモテます。なにもこんなところでモテなくていいのに……。
 
  八、もういいや
 なんか適当に書いてきましたが、如何に自分が統一感のない人物であるかがよくわかった気がします。友人にもこのブログについて、「雑誌にたとえると、文芸春秋と東洋経済とファミ通とアニメージュと人民日報が一緒になったくらい統一感がない」と指摘されてますが、自分でもそう思います。と言ってもジャンルを統一してしまうと記事書くモチベーションが上がらないため、自分としてはこの統一感のないスタイルを貫こうと考えてます。

2014年7月24日木曜日

日本製品の品質の変遷

 昨夜しゃべりだすと自分以上に止まることのない先輩がスカイプチャットで唐突に、「掃除機壊れたから捨ててくる」といって会話を中断して園に出て行き、数分後にまた戻ってきました。その先輩によると捨てられた掃除機はなんと購入から20年も経った代物で、吸口のゴム部分が腐食して使えなくなったもののフレーム部分には全く問題はなく、ゴムさえよければまだ使えるほどの代物だったそうです。
 戻ってきた先輩は軽くこの事実を自慢するとともに、「昔の日本製品はほんと丈夫だったけど、最近のはなんか壊れやすい気がする。そうは思わんかね?」と自分に聞いてきました。それに対し自分も、「ソニータイマーに代表されるように保証期間内はもつものの、20年以上も壊れないとかいう桁違いに丈夫なのは確実に減りましたね」と話し、ちょっと盛り上がったのでこの辺について今日は書いてきます。
 
 ソニータイマーについては過去に書いた「ソニータイマーの真実」という記事でも触れていますが、ソニーの製品は保障期間を過ぎると都単位すぐ壊れるという妙な都市伝説があります。ただあながち都市伝説として流せるものでなく、ソニーに限らず自動車を含む日本製品は一定の期間を過ぎるとほぼ同じタイミングで壊れる傾向があるという噂が中国では割と一般的です。自動車なら購入してから8年後とかにぴったりどこかしら壊れるとか、電化製品も友達同士で一緒に買ったら同じ時期に壊れたりといった具合に。
 
 こうした日本製品の特長について過去の記事では、日系メーカーは製品を構成する部品の耐久度をきっかり分析しており、保証期限をギリギリ越える時期に合わせて品質を調整しているためだと指摘し、耐久度を正確に計算しつくした製品に仕上げているためある意味ですごい品質管理能力だと分析しております。しかし逆を言えば、現代の日系メーカーは耐久度を品質保証期間まで持たせればいい、必要以上に耐久性を高める必要はないという方針を取っているともいえ、それが最初に挙げた20年物の掃除機が現代だと見当たらないという事態を招いているといえます。
 
 どうして耐久性を必要以上に高めなくなったのか、答えは簡単で生産コストを削減するためです。そうした目的の下に公然と品質を落としたのは何を隠そう天下のトヨタ自動車で、ここは三代前の社長の奥田碩氏が社長在任中、「普通のドライバーは新車購入から7~8年で乗り換える。何も10年以上も壊れない車にする必要はない」と述べ、社内でのコスト削減を指揮したと聞きます。実際に奥田体制下でトヨタは純利益を増大させるなど躍進しましたが、こうした方針が後の大量リコール問題にもつながったと指摘されており、評価の難しいところです。
 私個人の見方で述べると、一企業経営者として奥田氏の決断は決して間違っていないように思えます。しかし私が子供の頃、日本製品は何年経っても壊れないほど丈夫だと海外で言われているという話を何度も聞きましたが、ここ数年、というか2000年以降は決して誇張ではなくそういう話はついぞ聞かなくなりました。私もかれこれ中国にも長く滞在していますが、日本製は中国製や韓国製より品質がいい(デザインは悪いが)という話は聞きますが、「絶対に壊れない」、「何年経っても丈夫」という言葉までは出てきません。
 
 日系メーカーは中国をはじめとした海外で品質の良さをアピールしますが、それは相対的な比較レベルでの品質の良さで、絶対的な品質の良さではないでしょう。確かに製品も複雑化していて耐久度の概念が昔と違うのかもしれませんが、バブル期以前の日本製に対する絶対的な信頼度を勝ち取るまでの品質はもはやないと言っても過言ではありません。
 
 私がこの記事で言いたいのは、オーバースペックと言われるかもしれませんがかつてのコストを度外視したかのような品質を取り戻すのか、それともコストを優先して他国のメーカーよりはマシな品質に落ち着かせるのか、この問いを一回は持つべきじゃないかと思います。無論、昔と違って現代は激しいグローバル競争の中にありますが、短期的な利潤よりも長期的な信頼を勝ち取るのが日系企業と常日頃ほざいておきながら今の状況はちょっと乖離しているように思えるとともに、少なくとも昔ほどの信頼性が今の日本製品にはなく、品質重視というのもそろそろ厳しいのでは、言うほど品質の良さに違いがあるのかと言いたくて書いてみた次第です。

2014年7月23日水曜日

上海食品会社の期限切れ肉出荷問題について

 散々このブログで愚痴っていた今借りてる部屋の騒音問題ですが、再来週あたりにでも引っ越すことが決まりようやく落ち着きそうです。今の部屋の大家にこの問題を相談したところ親身に対応してくれて、騒音の元凶であるスポーツクラブにもいろいろ言ってくれていたこともあり申し訳ない気もしますが、今後ずっと続くこと考えるとしょうがないか。
 ただ、さすがにこっち来て二ヶ月後にすぐまた引越しというのはなかなかしんどい話です。ネットの契約はこれまで通り使えますが回線工事には来てもらわないといけないし、気力がかなり萎えてきます。
 
 
 こっちきてからほとんど書いていない中国ネタ記事ですが、自分にとっては「そんな大騒ぎするものかな?」と思うもののなんか日本で大騒ぎしているようなので取り上げることにします。
 
 恐らく皆さんも内容は既に知っているかと思いますが、上海の食肉会社である上海福喜食品がこのほど、中国のテレビ局による潜入取材によって品質保持期限の切れた肉をほかの肉に混ぜて出荷していることが明らかになりました。意外に大手の会社だったので日本のマクドナルドやファミリーマートはおろか、米マクドナルドまでここから食肉を調達しており、各社ともにここから仕入れいていた肉を使った食品の出荷を取りやめるなどその対応と混乱は広がりを続けております。確かファミリーマートだったと思うけど今回の事件について、「我々は裏切られた、そして消費者を裏切ってしまった」と、なんか中二病っぽい発言してて笑えました。
 
 それで早速続報はないかなと中国現地の報道をざらっとみてみたところ、上海ローカルである東方網の記事だとこの会社は食肉というか家禽を自前で育てずよそから仕入れてるのですが、つぶした鷄がなんと何の保冷処置のない常温の倉庫に保管されてて記事中の見出しには、「神秘の倉庫」とまで書いています。でもって国内外で影響が広がっており、日本マクドナルドについてもわざわざ共同の記事引用して取り上げてます。
 
 この事件、というか事件の報道についていくらか私見を述べさせてもらうと、まずリンクを貼った読売の記事には従業員が「(混ぜても)死にはしないから問題ない」と言ったと書かれてありますが、敢えて正確な意味を類推するならこの従業員は「ばれなきゃ問題じゃない」と言ったと見るべきだと思います。ごく一般の日本人からしたら考えられないかもしれませんが、現代中国人の気質として「その場さえよければ未来は考えない」という概念が強く、将来不利になることがわかっていながらもその場が切り抜けられるなら嘘でも偽装でもなんでもやらかします。
 それにしたって問題のある食材を混ぜて後でばれたら大損害を被るはず、なんて日本人は考えますが、そもそも中国人はばれた後のことなんて全く想定せず、その場で儲かるのであればすぐ偽装に手を出します。これは何も食品業界に限らない話でちょっと専門的な話をすると、今私も関係する鋼材業界なんてひどいもんです。知ってる人には当たり前ですが中国の鉄鋼メーカー、商社から鋼材を買おうとすると最初のサンプルは指定通りの良品が届きますが大量に発注すると最初のサンプルとは打って変わって質が悪くなり、また今回の食肉同様に良品の鋼材の中に不良な鋼材をちょこっと混ぜてくることなんて日常茶飯事です。そのため、日系の自動車メーカーはほぼ間違いなくすべての会社で下請けメーカーに対し中国製の鋼材を使用すること厳禁しており、うちなんかは台湾や韓国から引っ張ってますがわざわざ日本から引っ張ってくるのも珍しくありません。
 
 そういう世界を知っているもんだから私はこの事件の報道を見て、「ああ、ばれたんだ。この前ケンタ行ってお腹痛くなったのってこれかなぁ、夏だし」なんて思っただけです。言い換えるなら、こんなのどこもやってることでモラルだのなんだのというより、当たるか当たらないか、最初の従業員の言葉じゃないですけど私の感覚だとその程度にしか思いません。
 
 更に言うと、まぁ確かに中国じゃこういうこと多いけど、日本も過去にやらかしてるしねぇなんてちょっと皮肉っぽく思います。まさかここでこの事件名を出すとは自分以外有り得ないだろうと思うのですが、日本では2007年にミートホープがありとあらゆる食肉偽装、具体的には今回と同じ期限切れ肉を混ぜたり、動物の血液混ぜたり、消費期限切れで返品されたコロッケをラベル張り替えて再出荷したりと、まぁ今見返しても凄いことやってたなと思えてきます。しかもこの事件で面白いのは内部告発者が保険所に訴えても動かず、仕方ないのでNHKと北海道新聞に伝えたら黙殺され、最後に朝日新聞行ったらスクープにしてくれたという点で、北海道新聞は警察には厳しいけど部落には甘いなぁなんて過去記事で私も書いてます。
 
 要するに何が言いたいのかっていうと、こういうことは国や地域に関係なくよくあることだし大袈裟に騒がず、とりあえずばれたところは潰しておけばいいなんて具合でもうちょっと冷静になったらということです。我ながら厭味ったらしい言い方して書いてますが、この事件に関しては先ほどのミートホープの事件を思い返すにつけ、「これだから中国は」と批判するニュースではないと思ったので敢えて皮肉を込めて書いています。

2014年7月22日火曜日

山田風太郎の日記を読みだして その三

 既に何度か記事にしていますが、山田風太郎が戦中に書きつづった日記「戦中派虫けら日記—滅失への青春」をこのほど読み終えました。ちんたらと読んでたのもありますが、ちょっと時間をかけ過ぎた気もしなくもありません。もっとも長い時間かけただけあってこの本の文章量は非常に多く、確か4年くらいの日記がまとめてあるのもあって読み終わった時には何となくほっとした気もしました。
 
 それで早速感想ですが、全編読み終えた後に書かれてあるこの日記が出版された当時の山田風太郎が書いた回想文がなかなか面白かったです。まず第一声に、自分も先に書いたレビューで指摘していますが前半部に何を食べたとかどこで誰と食ったかなどと食べ物の記述が非常に多い点について、山田自身も苦笑するような感じでこれだけ食い意地の張った日記を残しているとはと述懐してます。ただ当時の状況について何よりも「餓え」が記憶に残っているとした上で、「戦時中というと空襲などが連想されがちだが、当時を生きた人間にとっては満足に食べられなかった思い出の方が強いはずだ」とかなり強い口調で述べており、読んでて意外とそうなのかもしれないなと私も思いました。あと、自分は今でもそうだが当時も小食の部類だったと、ちょっと言い訳っぽいことも書き加えられてます。
 
 そうした前半部以外の描写についてはもう一言、「自分はこの日記に書かれている程立派な人間ではなかった」とした上で、哲学めいた思考やどのように生きるべきかなどといろいろ日記に書いているが、それは当時の年齢からくる思考であって、必ずしもそうした高尚な思考の通りに生きていたわけではないと謙遜した内容を書いています。ただ日記の内容からすると医学校での級友たちからは「山田は常に黙っていろいろ考えている」などと言われていたことがわかり、その後長じて昭和を代表する作家となったことからも周囲とは一線を画すような思慮を持った人物であったことは想像できます。
 
 日記部分の感想を述べると、前半に関しては本当にこれでもかというくらいに食べ物の話題が多いのに対し、後半、具体的には1944年のヶ所に至っては空襲の話が非常に多く出てきます。どこそこで空襲があったとか、空襲警報によって列車が止まって移動できなかった、学校の宿直中に空襲警報が鳴り、何も知らないまま寝たままで死ぬこともありうるなどと死生観について仲間と語り合ったりと、まぁ空襲の話ばかりです。もっとも、空襲の悲惨さについてはほとんど触れられず、実生活への影響の方に重きを置いた書かれ方ですが。
 このほか興味深かったのは、学校での軍事教練の話です。医学校に通っていた山田は学校に付いていた軍人の指導の下でクラス全員で演習形式の軍事教練を受け、「怪我人発生!」、「火災発生、消化の水を運べ!」などと実践差ながらの指示が飛ぶ中、どさくさに紛れて、「奥野中尉、戦死!」などと、指導している軍人の名前を勝手に挙げて戦死したことにする学生がいたようで、言われた軍人も、「誰だ、勝手に俺を殺した奴は!」などと怒ってたという話が読んでて面白かったです。どの時代にも面白い奴はいるもんです。
 
 自分がこの日記を読んでみたのは戦時中の人間は実際にどんな生活をしていたのか、どんなことを考えていたのかを知りたかったためです。山田自身もこの日記について、「(出版した)今となっては当時の状況についてこの様に書くことはできない」と語っており、後年述懐するのと、当時に日記としてそのまま書くのでは同じ人物であっても全然内容が変わってきてしまいます。
 こういう点を社会学は重視しており、自分がこの日記を手に取ったのも社会学的な興味によるものが大きいです。実際に読んでみて戦時中の人間は今、教育者や指導者が言うような価値観とはやっぱり異なった価値観だったのでは、具体的に言うと戦況も気になるが一番の関心事は何度言っても実生活で、物資不足や食糧不足といった不満が最大の関心事だったように思えます。何人死んだかについては日記の前半で、ガダルカナル島の玉砕については触れられ、補給をしっかり行えなかった海軍を批判していますが、後半に行くにつれてこうした記述は減り、「国民生活はもう限界に近い」といった内容が多く書かれていきます。
 
 翻って現在をみても、国民の最大の関心事は言うまでもなく生活、給料で、自由だとか倫理だとか国際秩序なんてどうでもいいってところです。集団的自衛権もマスコミが騒いではいるものの、多分どうでもいいって人が8割くらい行くような気がします。
 産経だったか忘れましたが安倍政権の支持率が下がっていることに対する評論で、集団的自衛権の容認で堕ちたことは確かに大きいが、その背後ではこのところアベノミクスに対して批判的する層の割合が肯定の割合を上回るようになっており、こうした経済政策への不満が支持率低下の主要因ではと書かれてあって読んでて唸りました。実生活を何より優先するという価値観を私は批判するつもりはなく、むしろ山田風太郎の日記読んで、昔から案外こういうもんだよねという気持ちが強まりました。

2014年7月20日日曜日

死刑賛否に対する世論の潮目

 様々な意見があることは承知であるものの、近年の日本では死刑に対する賛否において賛成派の方が大勢を占め、なおかつ増えてきているように思えます。あくまで個人の実感ではありますが私がまだ子供だった頃などはもう少し反対派の方が多かったような気がするのですが、賛成派が反対派を上回った時期というか潮目について、日本では二つのターニングポイントがあったように思えます。
 
 一つ目のターニングポイントはオウム事件です。言うまでもなくこの事件は日本犯罪史上過去最大のもので主犯の麻原彰晃を始め数多くの人間に死刑判決が下りていますが、普段は死刑反対を標榜する大手メディアであってもこの事件の死刑囚に関してはどこも擁護しないというか死刑に反対するような報道が見られない気がします。大手メディアはちょっとダブルスタンダードではないかという気もするのですが、仮にオウムの犯人の死刑に反対するような報道をすれば間違いなく市民から大反発を喰らうであろうし、また市民もオウムに対しては強く死刑執行を望むような世論があるだけに、「死刑はやっぱりなくてはならない」と思わせられる事件だったように思えます。
 
 もう一つのターニングポイントは光市母子殺害事件です。事件の詳細についてはもはや詳しく語りませんが、犯人の個人的資質や犯行もさることながら弁護を担当した安田弁護士の常軌を逸していると言ってもいい弁論に強い憤りを覚えた市民も少なくなかった気がします。実際に私の周りでもあのような弁論の展開に怒りを覚えむしろ犯人を死刑にすべしだと言う人間も多く、皮肉なことに安田弁護士の頑張りは死刑賛成派を増やす結果を生んだように見えます。
 
 現時点で一部のメディアや団体はまだ死刑反対の意見を述べたり、死刑執行について政府の横暴などという報道を行いますが、世論はどうかというとそうしたメディアに対して冷ややかな視線を送っているように見えます。また司法も世論の厳罰化を望む流れを汲んでおり、かつては永山基準と言って「二人以上の殺害」が死刑判決が下りる条件として存在しましたが、近年は一人殺害のケースにあっても動機や手段が残忍である場合は死刑判決が下りるようになっており、もはや永山基準は事実上、機能していない過去の存在となりつつあります。
 私自身はかつては死刑反対派でありましたが、その理由というのもどちらかと言えば宗教的理由で「人が人の生死を決めるべきではない」という主張でしたが、先ほどの光市母子殺害事件といい、殺すよりほかのない犯罪者を見るにつけこうした考えも吹っ飛んでいきました。まぁ死刑反対派を標榜していた頃から、一日一回は「あの野郎、ぶっ殺してやる」っていうようなことを日常的に口走ってたけど。

2014年7月19日土曜日

美濃加茂市長の逮捕・起訴について

 
 最初の報道からやや時間が経っているのでニュース内容を忘れた方もいるのではないかと思うのですが、当選時に全国最年少だったということから話題となった美濃加茂市の藤井浩人市長が6月24日、愛知県警、岐阜県警の合同捜査本部によって収賄容疑から逮捕されました。逮捕から約3週間後の今月15日には同容疑で起訴され、藤井市長は現在も警察によって拘留されたままとなっております。結論から先に述べるとちょっと気が早い気もするもののかといって今声を上げないのはおかしいと思うので書きますが、現時点で私はこの事件は冤罪の線が濃厚ではないかと考えております。
 
 事件の背景を簡単に説明すると、逮捕容疑となったのは藤井市長が市長に当選する前の市議だった昨年3~4月、地下水供給設備会社の社長から中学校に取りつける雨水濾過機の件で便宜を図るよう依頼され現金を受け取ったと警察は主張しています。金銭は二回に分けられ受け取ったとされ、それぞれ10万円と20万円、合計で30万円だったということですが、この時点でこの事件には無理があるように感じます。
 建前上は収賄に金額は関係なく、受け取ったか否かが重要ですが、それにしたって30万円の収賄でいきなり逮捕だなんて今まで聞いたことがありません。30万円と言ったら楽天イーグルスにいた一場元選手が学生時代に阪神タイガースから栄養費として受け取った額と同じ(巨人は確か200万円)で、収賄事件として扱うにしてはあまりにも小さすぎる金額です。別にタイガースがケチというわけじゃないが。
 同じ収賄疑惑と比較するにしても、この前辞めた東京都の猪瀬前知事に至っては5000万円が現金そのままで見つかったにも関わらず逮捕には至っておらず、仮に藤井市長の水準で逮捕されるなら猪瀬前都知事は166回も逮捕されなければなりません。まぁ実際に166回も逮捕されたらギネス記録でしょうが。
 
 この時点でもうグダグダですが、それ以上にグダグダなのは藤井市長が現金を受け取ったとする警察の根拠です。あくまで報道ベースですが私が聞いた情報だと、「業者社長と藤井市長が会ったその日に、社長の口座からそれぞれ10万円と20万円が引き出されている」という理由を真面目に挙げています。これだと私が10万円を口座から引き出してその日に政治家にあったら収賄で起訴できちゃうような論理です。あと私個人の感覚で言わせてもらうと、普通現金渡すなら最低でも会う前日、もしくは一週間前に下ろして封筒とかに入れて保管しないかな。
 その上で興味深いのは、藤井市長と業者社長が会ったその場には中立な第三者が同席しているという点です。この第三者は別の議員秘書だそうですが、藤井市長と社長が現金、もしくはそんなのが入ってそうな封筒を受け渡す現場を見ていないと主張しています。そしたら警察は「第三者が席を外した隙に渡した」と展開したものの、第三者は「一度も席は外していない」とすぐさま打ち返す始末で、警察の言い分と当時の状況について早くも食い違いを見せております。
 
 改めて言うまでもないでしょうが、この事件で一番重要なのは藤井市長が収賄を行った証拠が全くないという点です。警察が証拠として挙げているのは先ほどにも書いたように社長の口座から現金が引き出された記録だけで、そのお金が藤井市長に行ったという根拠が全く何もありません。これほど根拠薄弱、さらに金額が小さいにもかかわらず自治体の長たる市長をいきなり逮捕した上で長期間拘留するというのは異例というか常識外れとしか言いようがなく、さらに逮捕してからもこれという証拠や供述も出てこないばかりか、警察のあやふやな対応の方が目立つだけに冤罪ではないかと思えてきました。
 
 自分はこういう記事を書く際は比較的慎重に、本当にその容疑がクロなのかシロなのかはっきりしない段階で憶測を書くのはよくないと考えるため興味は持っても記事化は控えるようにするのですが、さすがにこの事件に関しては「おかしいのでは」と疑問を呈さず黙っていることの方が間違っているように思え、今回藤井市長を応援するような意味合いで意見を出すことにしました。
 地元ではどうかはわかりませんが全国規模だとそれほどホットイシューにはまだなっていないように思えますが、仮にこの事件が冤罪だとしたら警察は一体何をやろうとしたのか、それこそかつての村木厚子氏の事件の再来となるかもしれません。これは憶測ですが、藤井市長に対していきなり逮捕だなんて、裏で何かしらの意図が働いているのかもしれません。それこそ藤井市長の政敵が仕組んだとかそういうのだとか。
 
 あと最後に今回の記事を書くに当たってネットで過去の報道を調べていたところ、藤井市長が犯人であることを前提にニュース記事をまとめただけの人がいることに気が付きました。
 
 
 全体に渡って藤井市長を亜酒て批判するようなまとめ方がされており、私に言わせると公平性を欠いた内容に思えます。ただ中見出しに「情けない 情けない 情けない」となんか妙なフレーズ書いているのは妙に印象に残り、これって自分のこと言ってんのかな、これで冤罪だとしてもこのまとめ記事は残るのかななんて皮肉っぽく覚える次第です。まぁネットってこういうところあるしな。

2014年7月17日木曜日

小保方氏論文に対する早稲田の対応

 最近時事批評ばかりでオリジナリティのある記事が書けてないなと我ながら思うものの、昨日書いた「不死身の弁護士」という記事に関しては久々に読み物としてそこそこ面白く感じられるものが書けたと自画自賛に浸っていたところ、潮風大使さんからもコメントもらってなんかちょっといい気分に浸りました。
 そもそも時事批評が増えているのは単純に「これ書きたい!」とか「これ解説してみよう!」というような意欲がこのところ湧かず、とりあえず更新するために一応やっとくか的にその日に浮かんだものをパッと適当に書くことが多いためです。なんでこんなの増えてるのかというと何度も愚痴ってていい加減にしろよと自分でも思いますが、今借りている部屋の有り得ない騒音に集中力がかなりかき乱されるため、マジでやる気が失せているからです、今日なんかも過去最大音量、自分が全力で壁叩くよりもでかい音が室内で延々となってたので、引っ越してまだ二ヶ月弱ですがさすがにそろそろまた引っ越そうかと思います。引っ越す前に大家に向かって、「てめぇ知ってて黙ってたのか?」と一回くらいは凄もう。
 
 
 そういうわけでまた時事批評ですが、上記リンク先などの報道によると、STAP細胞の捏造で今年の流行語大賞も視野に入りつつ偽科学の歴史に名を刻んだ小保方氏がかつて早稲田大学で提出したコピペ論文について早稲田大学は、提出時の手違いということで小保方氏の博士号を取り消さないという発表を下しました。結論から述べると早稲田大学の理工学部は底辺もいい所だと思うのと同時に、今年この学部に受験する奴の顔とか見てみたいなと言ったところです。
 
 件のコピペ論文は私の記憶が確かなら全体の半分に当たる箇所がまるまるどっかのホームページからの引用で、実質論文の体を成していないものだったはずです。小保方氏はこの論文について草稿を間違って出したと言い訳して、早稲田の調査委員会は本来出そうとしていた完成版を確認したと述べていますが、本当に確認したのかな、本当にそんなのあるのかなと正直言って疑います。そもそも草稿の時点でコピーした文章を貼り付けること自体が私にとっては有り得ないとしか思えず、こんな言い訳で納得する人間というのは学問に関わってはいけないようにすら感じる次第です。
 
 そして一番肝心なのは、この時コピペ論文を出した小保方氏は後年、STAP細胞論文で加工した画像を出すは、そもそも内容自体が捏造としか言いようのない実験結果を出すなど、大きな問題を起こしているという点です。仮にこの博士号取得の段階で彼女を学界から追放していれば、博士号などやらなければ日本科学会の歴史と信用に泥を塗ることもなく、理研のかねてから問題ある体質も明るみに出なかったと考えると早稲田理工学部は小保方氏を致命的な点で助長させたとしか思えません。言ってしまえば、本来排除すべき人間を世に送り出してしまったというべきか。
 
 聞くところによると早稲田発の論文では小保方氏以外にもコピペの疑われるものが多数見つかっているとのことで、今回の子の小保方氏への対応はほかの人間への影響拡大を恐れてのもの、処分を広げないためのものとみて間違いないでしょう。しかしそれが許されるかと言ったらそんなわけもないし、そもそもそういう質の低い人間が教育を担っているということが分かったのだから潔く落ちぶれるのが本来あるべき姿ですし、そういう意味でこんな問題起こしておきながら早稲田理工学部に入ろうとする間に対して私ははっきりと軽蔑します。
 
 この問題に限るわけじゃないですが、どうしてどの組織もよりによってこんな無責任な奴がと思える人間が責任を負う立場に上るのか不思議でしょうがありません。大分前に皮肉って「日本じゃ無責任な奴が昇進して責任のある奴は落とされる」と書きましたが、あながち間違ってないし、また日本人も世の中そうあるべきだという態度が少なからず見えます。

2014年7月16日水曜日

不死身の弁護士

 以前ネット上で、「國松長官ってタイラント並にタフじゃね?」という議論が起こりました。この國松長官というのは1995年に何者かに狙撃されて三発の銃弾を受けた國松孝次元警察長官のことで、この事件で使われた銃というのが「コルト・パイソン」という口径の大きい弾を使用する銃だったのですが、國松元長官は手術中に三度も心臓が停止するなど危険な状態となりながらも無事回復を果たしました。
 この時使われた「コルト・パイソン」なのですが、この銃は有名なホラーアドベンチャーゲームの「バイオハザード」にも出てくる銃で、ゲーム中では強力な威力を誇る銃として出てきます。その威力たるや雑魚のゾンビだったら確実に一撃でふっとばし、ラスボスである前述の「タイラント」という敵にも有効な武器となります。こんな銃から発射された弾を三発も受けていながら生還したということで、「ゾンビ<國松元長官≒タイラント」という妙な図式が成り立ち、上述の様な議論となったわけです。
 
 なおこの事件ですが、実行犯は結局逮捕されないまま現在では時効となったものの、事件当時に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教が警察の捜査をかく乱するために実行したのではないかと疑いの目が向けられていました。実際はどうだったのか、現在公表されている材料からだと私には正直判断しかねないものの、時効となった際に警察幹部が、「それでもオウムが怪しい」と主張したのはちょっと負け惜しみもひどいのでは、犯人を捕まえられなかったのにいうセリフなのかなとやや不審に感じました。
 ただ警察がオウムを当時に疑ったというのは無理もない話で、実際にオウムは地下鉄サリン事件以降に警察捜査をかく乱するために物騒な事件を起こしております。そもそも地下鉄サリン事件自体、公証人役場事務長逮捕監禁事件でオウムに捜査の手が伸びようとしたことから疑いの目をそらす、捜査をかく乱するという目的で起こされたものでした。
 
 以前からこのブログで取り上げていますが、オウム事件についてはいずれしっかりとまとめ直して見たいと前々から考えてて密かに当時の事実などを調べているのですが、最初に挙げた國松元長官も相当タフな人でしたがそれに負けず劣らずタフだったというか不死身もいい所じゃないかと思える、滝本太郎弁護士について今日は紹介します。
 
滝本太郎(Wikipedia)
 
 滝本弁護士はオウム真理教が殺人を含む暴力的な手段を用いるきっかけとなった坂本弁護士一家殺害事件の被害者である、坂本弁護士と旧知の間柄だったことからオウムの被害対策弁護団に加わり、まだオウムが世間に広く認知される前の段階から脱会者の救済を行いながらオウムに対し激しい批判を繰り返しておりました。そうした活動の中には麻原彰晃が超能力を持つ証拠だとして空中浮遊をした写真を出していたことから、「空中浮遊なら俺も出来る」と同じような写真を撮影して信者らに見せるというなかなかユニークな行動もあり、こういった活動から滝本弁護士が関わった信者の大半は脱会していったそうです。
 ただこうした滝本弁護士の姿勢はオウムにとって目障り極まりなく、自然の流れというかオウムの殺害対象リストに載ることとなります。そして実際に暗殺計画が実行されたのですが、なんと滝本弁護士はオウムに4度も暗殺が仕掛けられながらも無事に生きながらえるという驚異的なタフネスぶりを見せています。その内訳は「滝本太郎弁護士サリン襲撃事件(Wikipedia)」に詳しいですが、簡単にまとめると下記の通りです。
 
1、駐車中の車のフロントガラスにサリンが噴霧され、一時視力が落ちたものの命に別条なし
2、車のドアノブにVXガス(液状)が塗布されるも、手袋をはめてたのでノーダメージ
3、同じく車のドアノブにVXガス(液状)が~以下同文
4、ボツリヌス菌が塗られたコップにジュースを注がれ飲むがノーダメージ
 
 どれをとっても「これでどうして死ななかったの!?」と思うくらいガチな暗殺が仕掛けられていますが、滝本弁護士は悉く切り抜けて現在においても元気に存命されています。無論、オウムという危険な団体を相手にしていたことから滝本弁護士は日頃から対策などを取っていたでしょうけど、それにしてもこの危機の潜り抜け方は不死身と言ってもいいんじゃないかと思います。逆を言えば、カルト団体やヤクザ団体を相手にする警察官や弁護士関係者は、常にこのような危険と隣り合わせで仕事をされているのだということも示唆しており、これらの仕事をされている方には本当に頭が下がります。
 
 なおもはや私の趣味と言っていい赤軍派など極左団体の関係史においても、警察官が刺されたり撃たれたり、果てにはその家族が爆殺されるといった悲劇が70年代前後には頻繁に起こっていました。そう考えると戦争がないだけでも十分に大きいですが、近年の日本は本当に平和というか安全になったと思えます。これは時代が変わったためか、それとも社会が成熟したためか、どちらであるかについては議論の余地がありますが、どっちにしろ社会をいい方向に持っていこうという努力は続けなければと思う次第です。と言っても、そんなの思うの私だけか。

2014年7月14日月曜日

他の家電を吸収するi-Phone

 上記の写真は上海にある某ショッピングセンターで撮ったものです。それにしても何故トーマスが戦車に、これでは「戦車トーマスじゃん」といいながら撮影しました。
 あとこのブログで部屋の騒音がマジヤベェって中学生ばりに吠えてたら最近やたらあちこちから「騒音大丈夫?」って聞かれます。正直に言って大丈夫じゃなく、聞こえてくるのは午後7時から9時までの二時間であるものの、この間全力で壁を叩くような低音が部屋中に鳴り響いて椅子に座っていても音波の振動を確実に感じられます。日本だったら経営者を半殺しにしても許されるレベルだ、本気で早く引っ越そうかな。
 
 話は本題に入りますが、先週土曜に上のトーマスが待っているショッピングセンターに上海忍者とともに訪れて携帯電話を買ってきました。今まで使ってたのは2010年に買ったおもちゃみたいなlenovoのフューチャーフォンで、今回勝ったのはサムスン製ですが私にとって初めてスマートフォンです。行く前は日本にいる友人が気にしている「小米(シャオミー)」というこのところシェアを急拡大しているスマフォにしようかと考えていましたが、改めて商品を見比べてみると結構サイズが大きい上に角ばってて、ポケットに入れていると不都合が起こりそうだと思えたので直前でサムスンの比較的小サイズの電話にすることにしました。なお価格は1300元(約22,100円)のところを1180元(約20,060円)にまけてもらいました。
 
 店頭ではi-Phoneも勧められましたが、みんな持っているのを自分が持つことは宿命的に多分許されないので買わなかったものの、このi-Phoneについて先日、訪問先の会社社長から面白い話を聞くことが出来ました。聞く人からしたら何をいまさらあたりまえなことをと思われるかもしれませんが、その話というのも「i-Phoneがすべての家電を吸収した」というものです。
 
 その会社では電子部品、具体的にはプラスチックで作る射出成型品とその金型を製造するメーカーなのですが、周辺にある同じような金型メーカーはここ数年で日系を含め大分撤退というか清算をしたと話していました。かくいうその社長の会社も結構じり貧で大変な状態らしいのですが、その原因の一つとしてi-Phoneによって家電部品の大半は消えてしまったからだとおもむろに話してきました。
 社長曰く、「かつてはラジカセがあり、デジカメがあり、テレビがあり、ビデオプレーヤーがあり、携帯電話があったが、これらの家電の機能は現在、i-Phone一つですべて代替できる」と話し、それまでバラバラに機能が別れていた家電がi-Phoneというかスマートフォンに集約されたため、部品メーカーからしたらたくさん作る必要のあった部品が必然的に少なくなり、仕事も自然と減っていったとのことです。考えてみれば当たり前ですが今の今までこういう視点がなかっただけになかなか新鮮に感じられ、その後も話を聞くと、もはや家電という弱電分野の業界自体がフォックスコン(ホンハイ精密)など一強を除いてもう駄目なのかもしれないとまで言い出し、セットアップメーカーのパナソニックやシャープもこの分野じゃもう立ち直り効かないのではとも話してました。
 
 改めて内容をまとめると、それまで映像を見るならテレビ、写真撮るならカメラ(デジカメ)、ネットするならノートパソコンをそれぞれ買う必要がありましたが、現在に至ってはもう全部i-Phone一つで済んじゃうのも事実です。写真にこだわったり自分みたいに毎日馬鹿みたいに長い文章をブログに挙げて騒音の愚痴吐く人間ならともかく、人並みにこれらの機能を使う人間からすればi-Phone一つでもう十分でしょう。となるとほかの家電なんてもういらないって話です。
 これは私の予想ですが、こうした他の家電や電子機器の機能をスマートフォンが吸収していく流れは今後もしばらく続くと思います。差し当たって起りそうなのは最早完全吸収したカーナビの機能に加えてETCもスマフォで済んじゃうようになり、果てにはクレジットカードの機能も奪うかもしれません。多分、画面のタッチパネルで指紋認証式が普及したら十分いけるのでは。
 
 家電業界というのはやっぱ種類があってナンボで、種類が減るということはすなわち市場そのものが小さくなることと同義で、特にパーツメーカーからしたら死活問題としか言いようがないでしょう。実際に私が今所属する会社もまだ自動車業界向けの販売は堅調なものの、弱電分野はもう目も当てられないといった状態です。一番悲惨なのは折り畳み式のガラケーに使ってた折り曲げることのできるヒンジ作ってた会社だけど。
 
 この流れが良いか悪いかという判断で行ったら良いも悪いもないというのが正直な感想です。ただ言えるのは時代の流れということで、少なくとも青少年たちには弱電分野を志すというのであれば覚悟を持っておけよとだけ伝えておこうかなと思います。

2014年7月13日日曜日

創業家列伝~塚本幸一(ワコール)

 自分は男なのでもちろん女性用下着をつけることはありませんが、知り合いの女性に「ワコールってどんなん?」って聞くとほぼ必ず、「高い。けど確かに質はいい」という答えが返ってきます。そんなワコールの下着は中国のお店にもよく並んで広告も見たりしますが、やっぱりこっちで売られてるのも高いです。
 
塚本幸一(Wikipedia)
 
 そんな日本の女性用下着メーカーの代表たらんワコールを創業したのは上記リンク先にある塚本幸一です。ワコールの創業は戦後の1946年に塚本が「塚本商事」を設立したことに端を発しますが、日本では明治維新後、日清日露戦争後、二次大戦後がいわゆる創業ブームに当たって現在を代表する多くの大企業が生まれており、このワコールもその例に洩れません。
 
 ワコールを創業した塚本幸一は生まれこそ宮城県仙台市ですが育ちは滋賀県の東近江市で、両親はこの地域に多い繊維問屋を商っておりました。なお豆知識ですが関西商人と来ると関東の人は大阪の人を思い浮かべがちであるものの、真の意味で商売がうまい関西商人とは紛れもなく近江人こと滋賀県民で、滋賀にルーツを発する創業家は実は多かったりします。
 
 塚本は1920年の生まれなのですが、この時代に生まれた日本人男子の宿命として二次大戦にも従軍しております。ただ塚本の場合は一線を画していたというか、あの忌まわしきインパール作戦に従軍しておりました。インパール作戦については以前に記事にした「猛将列伝~宮崎繁三郎」の中で気合入れて説明しておりますが、二次大戦中に日本軍が体験した戦闘の中でも最も熾烈且つ苦難に満ちた戦いで、従軍した兵士はいい加減な作戦を強制された上に補給もなく、文字通り全滅に近いほどの大損害を受けました。
 塚本はその熾烈な戦いを無事生き残り帰還することが出来ましたが、彼が所属した小隊では全55人中で生還者は塚本を含めわずか3人しかいなかったとのことで、塚本自身もこの体験を後年に至るまで深く影響を受けたと述べており、「自分は生き残ったというよりは生かされたのだろう」などと振り返り、どうせ拾った命とばかりに安定を求めず起業したと回想しています。この辺はダイエーの中内功の話しとも共通します。
 
 こうして日本に帰国後、起業した塚本ですが、取り扱う商品は恐らく両親が繊維問屋を営んでいたという影響もあったのでしょうが女性用アクセサリーから始めました。当初は細々とした商売だったものの、1949年に取引先からこれからは西洋の衣装が流行るとブラ・パットを持ち込まれたことから転機が生まれます。これは売れると考えた塚本はパットを固定するための紐をつけてブラジャーを開発し、従業員や生産工場を整備した上で現在のワコールの源流が出来たわけです。
 当時の塚本の状況について昔にテレビ番組で特集が組まれていたのを見ましたが、中内功が「物がたくさんあるということが豊かなことだ」と主張したのに対して塚本は、「女性が美しく着飾れる時代こそが豊かな時代だ」として女性用下着・衣類の生産販売に従事したとのことです。どちらも成功した後から格好いいこと言っただけなんじゃないかと思うものの、両者ともに凄惨な戦争体験を持った上で話しており、なおかつ「豊かさとは何か?」を述べているのは現代人とは別の哲学を持っていると感じます。あと創業間もない塚本についてその番組では、「奥さんと共に毎日ちゃぶ台でブラジャーを弄り、ああでもないこうでもないなどと商品開発にいそしんだ」などと取り上げてて、周囲からはやっぱ変わった人みたいに見られてたようです。こっちは日清食品の安藤百福とおなじだな、向こうのが明らかに変な人だったけど。
 
 話は戻りワコールの成長史ですが、ブラジャーの販売を始めたもののやっぱり当初はうまくいかず、初年度には赤字も在庫もかさみいきなり大ピンチを迎えます。さすがに塚本も憔悴していたそうですがここから妙な負けん気を持ち出して、まだ従業員が9人しかいないのに、「今後50年で世界制覇だ」とばかりに、五ヶ年計画成らぬ五十ヶ年計画をぶち上げます。そのやる気が天に届いたのか徐々に業績は拡大していきますが、1962年には労働争議が起こり生産も停滞化します。ここでも塚本はまた妙なやる気を出して、「わかりました、それじゃあこれからは労組の要求を100%飲みます」なんて言い出し、逆に労働組合の方が焦って塚本の提案受け入れを渋ると、「やるかやらないか、やる時はすぐ決めるんだ!」と怒鳴り返して争議をまとめたという、自分も今まで聞いたことのないような荒業をやってのけてます。
 
 その後も折に触れてワコールの苦難はたびたび訪れ、自分は生まれてないのでわかりませんが1970年にはユニセックスなどの思想が入ってきて「ノーブラ運動」が起こり、売上げが一気に減少したそうです。ただこの時も塚本は強気に、「落ち着け、この流れは一時的だ」と主張して社内の動揺を鎮めます。どうでもいいですが、現代において「ノーブラ運動」を女性から提唱しようものなら痴女みたいに見られるでしょうが、男性からは深い支持を得られそうだ。
 その後、ノーブラ運動は塚本の予想通りにしぼみはしましたが、今度は1973年にオイルショックが起こり原材料費が一気に高騰します。ここで塚本が取った行動はまたも破天荒な、「お値段据え置き」こと、値上げ凍結でした。ほかの物価が高騰する中で従来価格を維持したことからワコールは大きな支持を得ましたが、その背景では徹底的なコストカットに取り組んでおり、こうした経営体験が「失われた十年」という不況を越え続く現代のワコールの原動力になっているかもしれません。もっとも現代では冒頭に述べたように「ワコールの下着は質はいいが高い」と認知されてますが。
 
 度々の危機を潜り抜けた塚本は1987年に社長職を退任しますが、その後も京都、並びに関西財界で有力人物として振る舞い、松下幸之助とも親しく付き合っていたそうです。中でも笑えるのは京都府知事をしていた蜷川虎三とのエピソードで、内心では認め合っていたようですが何故か顔を合わすと仲が悪く、塚本はわざわざ玄関に虎の毛皮を敷いて通るたびに3度踏んだり、蜷川も蜷川で塚本のことを「女のふんどし屋」などと呼んでいたそうです。恐らく、本当は仲が良かったんじゃないかなぁこの二人。
 なお「ふんどし屋」というワコールの呼び方ですが、これは実際に今の京都人も「パンツ屋」などと呼んでいます。京都は新参者に厳しい風土があり任天堂も「花札屋」等という蔑称をまだ受けています。京都のお菓子屋の組合に所属するには「創業100年以上」という条件があるそうで、ワコールも任天堂ももうちょい年期経たないと認めてもらえないかもしれません。
 
 塚本に対する私の評価を述べると、なんだかんだ言いながら女性用下着一本を貫き通して社業を成長させたことと、「ワコール」というブランドを日本はおろかアジアにまで広げたその手腕は疑うものがありません。また個人的にワコールという会社が行うマーケティング調査というのがなかなか面白く、以前に見た物だと「胸を小さく見せたい女性は少数ながら存在する」という結果から胸を小さく見せるブラを作って成功したり、都道府県別平均バストの統計を作ったりと、こういってはなんですが視点が非常に面白いです。
 会社の歴史というか塚本の決断を見ていると全体的にユニークな印象を覚え、それがしっかり会社哲学に根差したことこそがワコールの強みだと個人的に思える次第です。
 
 
  参考文献
「実録創業者列伝」 学習研究社 2004年発行

2014年7月11日金曜日

ベネッセの個人情報流出事件について

 今日暗い部屋を照らすためにパソコン使用時に使う電気スタンドを買いに近くのショッピングセンターへ会社帰りに寄ってきましたが、なんかセールをやってたのと金曜の晩ということもあってか人でごった返してました。その中で目を引いたものが二つあり、一つは中国で生産された「あきたこまち(袋にはちゃんと日本由来と書いてある)」4kgが20元(約340円)で売ってたことと、もう一つは床にところどころで見られる黄色い水たまりでした。後者は目の前で水たまりが出来る過程もしょっちゅう見かけるし、この前も地下鉄内で子供が洩らしたあとに何も知らない乗客がその床の上を歩くという、見ていて真実を教えたくなる場面に同僚と遭遇しました。まぁなんていうか、日本じゃこの辺りは考えられないだろうな。
 
 話は本題に入りますが、児童教育雑誌で有名なベネッセが大量の、というか現代の日本にいる子供の8割くらいに当たる個人情報を流出した件で株価が面白おかしくなったりしてて中国から見ていても非常に楽しい状態です。皮肉っぽい言い方ですが自分はニュースというのは経済ニュースも政治ニュースも殺人事件もすべて娯楽だと考えており、逆に娯楽としてニュースを楽しめない奴は好きじゃないので臆面もなくこういうことを言うことにします。もうそんな気兼ねする立場でもないし。
 
 話は本題に入りますが、今回の情報流出事件は情報が流出したベネッセのみならず、その流出した個人情報を基にDMなどを送っていたとみられるジャストシステムに対しても批判が高まっており、株価も仲良くストップ安になるなど非常に楽しい経過を辿っております。当事者らにとってはたまったものじゃないでしょうが一応今は他人の身分なので好き勝手言わせてもらうと、私は今回の事件でベネッセとその会長の原田氏に対しては同情を覚えるものの、ジャストシステムに対してはいい機会だからこの際、流出した情報を使ったものの末路として構成語り継がれるようなモデルになってもらいたいなどと考えています。
 
 報道によると今回の事件はベネッセ本体よりも情報の管理・運用を委託されていたIT企業の関係者の手から流出した可能性が高いとのことで、私も状況から考えるにその説が有力だと考えております。こういう情報というのはどれだけセキュリティを高くしても内部の人間が色気出したらどうあがいても流出してしまうもので、逆に言えば企業を破滅させる目的で敢えて流出するという自爆テロみたいな行為をされることもあり得ると考えたら完全な防衛手段はないと言っていいでしょう。そんな中で今回はベネッセという企業内部ではなく外部企業の間からとなるとベネッセはいわば被害者で、世間から批判をされるのは仕方ないにしろ私個人としては運が悪かったなどと思え同情心を覚えるわけです。
 
 一方、ジャストシステムに関しては内心いい気味だと思えると共に、その対応の悪さはベネッセとは雲泥の違いと言っていいでしょう。ベネッセは情報流出の事実を発表するとともに毎日、恐らく確信犯でやってるのでしょうが1日おきに対応オペレーターを増やしたとか、外部からの流出の可能性があるとか、実はもう大体誰が流出したかわかっていると順を追って詳細を発表し、この問題に取り組む姿勢を見せています。何よりも批判覚悟ではっきり謝罪して妙な言い訳をしなかった点は危機対応として及第点でしょう。
 それに対してジャストシステムの方は木で鼻をくくったような対応と言ってはなんですが、「悪意を持って流出した情報を使用した事実はない」という文言で反論し、暗に情報は名簿業者から買ったものでベネッセからの流出した情報とは知らなかったという言い訳を展開しています。しかしこの言い訳は通じるはずもなく、名簿業者から個人情報を購入してそれを販促手段に使っていたということは、正当な手段で取得したわけでもない個人情報を商売の具にしていたと同義です。まぁどこもやってることなのですが、ジャストシステムは事態をわかっていないというか危機対応についてテレンス・リーにでも講義でもしてもらったらどうかななどと思えるくらい呆れた対応です。
 
 中国来て始めて給料入った週末のせいもあって文章のリズムがいいですがこのままもう少し続けると、この事件で救済すべき被害者は誰か、そして真に首をくくべきは誰かということをこの場で問いたいです。最大の被害者は言うまでもなく個人情報が流出した児童、そしてその家族であることは間違いありません。では二層目の被害者は誰かというと、察しが付くでしょうが私はベネッセだと考えます。
 なら加害者は誰か?ベネッセの情報を持ち出した人間なのか、その情報を売った名簿屋なのか、これらももちろん加害者に入りますが最大の加害者となると私はそれはジャストシステムだと断言します。
 
 かつて個人情報保護法案が成立した際、この法律の運用や概念を巡って当時は大きな議論が起こりました。ただその議論はどれもプライバシー保護はどうするのか、自治体はどう情報を管理するとかいう運用面の話が多く、私がガチで一人で吠えてた誰を加害者にするのかという議論はあんまり盛り上がっていませんでした。
 この法案は言うまでもなく個人情報の保護を企業や自治体などに求める目的で作られ、流出させた組織は相応の責任を取ることを求めております。しかし私は当時から組織内に不心得者が混ざるとどれだけ防衛策を講じても情報は流出してしまうと考え、情報を管理する側に責任を求めるのであればむしろ、流出したと思われる情報を使用した者を片っ端から罰するという、いわばインレットではなくアウトレットを叩く法案にすることで個人情報はより防衛しやすくなると主張しており、当時の大学の授業でもマジで一人で熱く熱弁してました。
 
 何度も繰り返しますがどれだけ努力しても情報は流出してしまいます。しかし流出した情報、言い換えれば本人の同意なく所持し運用した業者は例外なく処分出来るのであれば誰もそんな危ない行為に手を染めることもなくなるのではないか、というのが私の考えでした。しかしこんな主張するのは私以外にはあんまいなかったようで、今回の騒動を見ていてもこういう意見を述べる人はまだ見かけません。
 仮に現行の個人情報保護法案に沿って考えるのであれば、被害者への対応や保証はベネッセかその委託先企業が追うこととなるでしょう。それに対してジャストシステムは、なんでもやっていいなら偽計業務妨害を追う可能性があるかもしれませんが、少なくとも個人情報保護法に基づく処罰は受けることはないでしょう。ほかの人は知りませんが、これっておかしくねと私は思うわけです。
 
 そもそも法人向けならともかく個人向けのDMとか余計な広告、電話勧誘は非常に鬱陶しく、須くこういうことやる業者は叩き潰されるべきでしょう。なお昔話をすると、私が通っていた中学校では同じ学年の人間が予備校に500円で生徒名簿を売ったという噂が流れていました。実際その生徒は私も知っていましたが如何にも名簿を売りそうな奴で、なおかつ中学生をたぶらかす大人もいることだからどうやったって抑えようがないよなと当時に感じたことが先のアウトレットを叩けというつながったのだと今は思います。にしても、安定さという意味では現在の自分のが上だが、やっぱり学生時代の方が問題や関心に対する鋭さというか勢いは凄かったなぁ。

2014年7月10日木曜日

放送中止された東京ガスのCMについて

 上記の写真は以前にネットで入手した猫画像ですが、母猫の授乳中に明らかにおかしな一匹が紛れ込んでてカオスな一枚です。
 
 さて今日は三日ぶりの投稿ですが、一昨日は出張で上海にいて、っていうかほぼ毎週上海をうろついていることにふと気が付く次第ですが、昨日は上海から自宅に戻ったものの何かブログ書く気がしなくて放置しました。別に嫌なことがあったわけじゃないですが、今の部屋が例の如く併設されているダンスクラブから床の振動を確実に感じられるほどの騒音かき鳴らされ集中力がかなり乱れることに加え、室内の照明がすべて黄色灯に占められてて地味にパソコン見てて辛くなるのもあり、ちょっとモチベーションが落ち気味です。自分もストレスに弱くなったのかなと思う一方で、同じ環境なら並の日本人ならすぐ精神おかしくするだろうと思うとそうでもないかなという気がします。日本人って異常に騒音に弱いし。
 
 
 そんなストレスに関するネタというわけじゃないですが、巷でちょっと議論になってて自分も気になっていたものの書く時期を逸したと思って書かずにいましたが、今日もまたネットニュースでこの東京ガスのCMが取り上げられてたので、自分もここで所見を書いてみることにします。
 
 各所でも報じられているので知っている方も多いと思いますが、リンク先で取り上げられているのは先日まで放送されていた東京ガスのCMなのですが、就活中に何度もお祈りメールこと不採用メールが次々送られてくる女子学生に、苦しい状況を理解しつつも努めて明るく女子学生を支え励ます母親を描く内容となっております。このCMですが、後半部分で女子学生が面接で手応えを掴んでうまくいきそうだと思い、わざわざ頑張った自分へのご褒美スイーツ(死語)としてレアチーズケーキを買うくらいはしゃいだところでその会社から不採用メールが届き、一人公園で落ち込んでいたところに母親が優しく声をかけてくれたので号泣するシーンがあり、恐らくこのシーンが結構心に来る人が多かったのか、「自分も就活中だが見ていて辛い」などというメールが数多く寄せられたことによって、放送予定期間内であったにもかかわらず放送が中止されたとのことです。
 
 放送が中止されたことについてリンク先の掲示板では、「普通に心温まる内容なのになんで中止にしたんだ」と中止判断がおかしいという意見もあれば、「見ていて可哀相すぎる」という肯定意見もあり、中には「リクルートのCMかと思った」という確かにそう見えると納得できる意見も出てたりします。
 
 私個人の印象を述べると、正直に言って結構胸に来ました。私自身も新卒での就職活動中に100社以上にお断りされ、就活期間中は決して誇張ではなく毎日自宅帰ってお祈りメールを見るのが日課だったくらいです。しかも当時結構貧乏で、面接行くための電車代を少しでも浮かせるために自宅から遠く離れた駅まで雨の日も自転車で行ったり、時間帯ずらして説明会梯子する際は三駅くらいは歩いて移動したりと今思うとそんな無理せんでもと思うくらい体張ったりしていて、それにもかかわらず毎回当たり障りのない、私に言わせるなら差の付けようのない質問に回答して落とされていくのに激しく精神を消耗して自宅でめそめそ泣くことも少なくありませんでした(/_;)
 そうした経験があっただけにこのCM動画を見て、女子学生が友人から内定とったというメールを見て複雑な表情浮かべたり、最後講演で号泣するシーンを見るだけで当時の嫌~な記憶がよみがえり、不快感は感じないもののもし就活中だった当時に見たらどんな気分になるかなと思って複雑な感情を覚えました。何気に去年も70社超からお祈りメール届いたし、面接に行ったらあまりにも社員の雰囲気が暗くて面接後にこっちから辞退するメールを送ったら、「今回は残念ながら不採用との判断~以下お祈り」という、こっちから断ってるのに上から目線でお祈りメール送ってきたスギムラ化学工業という舐めた会社もあったしなぁ。化学系はほんと陰気だねぇ。
 
 個人的な意見ですが、新卒の就職活動というのはほんと糸口がないというか、どれだけ落ち続けてもそれが次に活かせるとかそういう前進が全くなく、むしろ落ち続けることによって「今まで何社落ちた?」という質問によって足を引っ張られることもあり、こういってはなんですが一社の内定を取るまでは全くと言っていいほど救いがありません。しかも採用されるかどうかは実力どうこうよりも運の要素と見かけの良さが非常に強いように思え、何をどう努力したかはほとんど左右しないように見えます。それだけに落ちる人間は手を変え品を変えてもあんま意味なく落ち続け、さらに何をしたって落ち続けると思えてきて八方ふさがりに入りやすいため、メンタル強くても負担がでかすぎて結構来る作業になると私は思います。
 更にこれは蛇足かもしれませんが、今の時期は変な妥協とかしてブラック企業に入社してしまっては元も子もありません。ブラック企業に入って体や精神壊したり、また入っておかしいとわかってすぐに辞めても経歴にこだわる日本社会だとブラックだと知られていても次の就職時に影響を及ぼします。それだけに今の就活生は二重に追い詰められる感覚があるんじゃないかな。
 
 途中からちょっと主旨が変わったような感覚がありますが、要するに現代の就活は少なくとも1990年代の第一次就職氷河期以前の世代とは全く様相が異なっており、体験しているか否かで全然感覚が違うだろうと言いたいわけです。体験している世代、それも苦しい思いをした人間からすると今回の東京瓦斯のCMをみて「リアルにできてるね」なんて思い、少なくとも演出による効果だとはまず思わないでしょう。そんな映像を見て、「よく出来てる」と思う人もいれば、「昔を思い出して……」という人もおり、「今まさにこんな状況だなぁ」などとへこむ人ももちろんいると思います。言ってしまえば、このCMはリアルすぎた感があります。
 そうした中、東京ガスは見ていて辛いと言う人の意見を取って放送を中止しましたが、こういうのもなんですが優しい対応なんじゃないかと思います。仮に中止しなかったとしても私は東京ガスを批判することはなかったでしょうが、今回のCMは東京ガスが意図したものとは違った受け止め方をされたものの、そうした一部の人の声を汲み取って中止したという事には思いやりが感じられるだけに悪くない対応なんじゃないかと思います。
 
 その上でもう一言述べると、この議論は東京ガスの放送中止判断が是か非かということよりも、現代の少なくない就活生は半端じゃないストレスを受けているという現状についてもっと目を向けるべきだと思います。既に一部メディアなどでネットを活用した就職活動の広がり、言ってしまえばリクルートなどの大手人材企業の手法によって学生も企業も就活に疲弊していると批判が出ていますが、今後の新卒採用がどうあるべきなのか、面接方法など何が適しているのか、このCMが大きく注目される位なんだからもっとこっちにも目を向けないとと言いたいのが今日の本題でした。
 いい感じに話題を一旦蹴飛ばして、最後に拾えたな今日は。

2014年7月7日月曜日

地方別の法人税率導入案について

 どうでもいいことですが今自分が住んでいる部屋がある建物の三階にはダンスクラブがあり、大体夜七時から九時くらいまでずっと騒音を鳴らしてて非常にイライラします。しかもその騒音、部屋の外にいるよりも中にいる方がよく聞こえ、恐らく室内を通る柱か何かを通して振動が伝わっているんだと思います。更にその騒音は低音のベース音だけ「ドン、ドン、ドン」と聞こえるから性質が悪く、一年契約にしちゃったけど来年にはとっとと出て行こう。
 
 話は本題に入りますが、今国会では法人税の引き下げ案に対する議論が集中して行われております。法人税の引き下げというと自分が昔このブログで書いた「日本の法人税は本当に高いのか?」というしんぶん赤旗の引用記事が今でも検索されるくらいヒットしましたが、この記事でも主張した通りに日本の法人税は従業員に掛けなければならない保険などの企業が負担する費用と合算すると他の先進国に比べてそれほど高くはなく、また引き下げたところで人件費の高い日本に進出する外資なんていないんだから私は引き下げの効果を全く期待しておりません。
 しかしというか、仮に法人税引き下げを実行するのであればこうしてみたらどうだろうという腹案が一つあり、その腹案というのも地方別に法人税率を設定する、いわば地方ごとに差をつけるというやり方です。
 
 法人税は企業がその事業年度に挙げた収益に掛けられる税金で、日本全体で均一な税率が課されており現在であれば基本税率が25.5%ですが、東日本大震災に伴う復興特別法人税が10%加算されているため実効税率としては38.01%です。ただその年の収益が0、つまり赤字であれば法人税は支払う必要はなく、また自動車メーカーなど輸出額の大きい企業は消費税の還付金を得られるためトレードオフになりやすいなど意外と抜け道の多い税です。それこそ、変に剰余金を貯めるつもりがないのであれば事業年度終了間際に一気に投資額の項目を作っちゃえば投資を行いつつ法人税は払わずに済みます。
 
 そんな法人税ですが、私はどうせ引下げを行うのであれば都市部は敢えて据え置きながら地方限定で税率を下げてみてはどうかと考えております。具体例を挙げると、東京都を現行税率のまま据え置くことで仮に100だとするならば、そのほかの都道府県はここからそれぞれ何割か引き下げて設定するような具合で、私の独断でまとめるなら以下のような感じになります。
 
100:東京都(今の税率のまま)
 80:大阪府、神奈川県、愛知県
 70:埼玉県、千葉県、京都府、兵庫県
 50:岐阜県、新潟県、福島県
  0:鳥取県
 
 一体何故地方ほど法人税の税率を下げるかというと、各地方に法人本社の移転を促すためです。
 私が言うまでもなく現時点でも東京は人口が増え続けていますが、その増えた人口の分だけ都市インフラの増設、増強が必要となってきます。通勤ラッシュの電車はもとよりごみ処理から防災対策までその費用は決して小さくなく、仮に東京の人口が減って地方に散らせることができればこうした費用の圧縮も見込むことが出来ます。逆に地方としては人口が減少してインフラが余っているところも少なくなく、なおかつ人口が増加することによって地方税収の回復、産業の復興などの効果も狙えるだけに、一言でいってしまえば東京一極化の弊害を減らすことが重要だと私は考えてるわけです。
 
 どうして東京に人が集まるのか。結論から言えば仕事が東京など都市部にしかないことが大きく、逆に仕事が地方にあるのであれば地方に留まりたいという層も全くいないわけじゃない気がします。特に関西人。
 では仕事というか雇用を地方に持っていくにはどうすればいいか。単純に地方に企業を誘致することが手っ取り早く、それであれば地方に本社を構えるだけで法人税を減らせるという餌をぶら下げればいくらか動く企業もあるのではないかと思い、この地方別の法人税率導入が案として浮かんだわけです。
 
 無論、本社が地方に移ったって東京支社に従業員が集中することになって状況は変わらないのではという可能性もあります。それでもやらないよりはやった方がマシだし、鳥取みたいな奥地とまではいかなくても東京の周辺都市である埼玉や千葉に本社が移り、そこへ通勤するようになるだけでも大きいのではないかと思います。それこそ、山手線の運転本数を少しでも減らせることが出来たらという具合に。
 
 念のために書いておきますが私は鳥取県が心の故郷だと感じるくらいに愛しており、馬鹿にして「この際、ここは税率0でいいや」と考えて上の様なモデルを組んだわけではありません。むしろ思い切って0%にすることで鳥取に有り得ない企業の誘致、それこそアジア各地の新興企業を誘致する経済特区みたいにしてしまえ、米子鬼太郎空港をアジアのハブ空港に変えるんだという願いもあってこの数字に設定しました。
 まぁ言っててなんだけど、絶対無理だろな。

2014年7月6日日曜日

面白さあふれる今年のニュース

 
 昨日のニュースですが、あまりの内容のくだらなさがツボにはまったので紹介します。
 主な内容は見出しの通りで、大阪市で28歳と22歳の男がお年寄りの方が運営される商店で、一万円札に似せた百万円札のイラストがプリントされた付箋を使ってお釣りをだまし取ったそうです。この時はうまくだまし通せたものの、その後何をトチ狂ったかこの二人の男は、麻薬の密売人相手に同じ百万円札を使って麻薬を購入しようとしたところ見破られ、密売人に殴られて消防署に駆け込んだことから御用となりました。もうどっから突っこむべきか、敢えて言うなら小学生が思い付きでやりそうなことを大の男がする時点でもはやなんだか。
 
 このニュースに限るわけじゃなく、今年に入って日本ではやけに面白いニュースが溢れている気がします。細かいニュースはさすがに挙げてきませんが、年初に佐村河内のニュースが明るみに出て稀代の詐欺師だなんて言ってたら、今度は理研から小保方氏という最早ブラックとしかいえない研究結果を出す学者が出てきて、さすがにもう来ないかと思ってたら、釈明会見すらネタの宝庫にしてしまう野々村県議が現れるなど、一体どれだけタレントが出てくるんだともはや食傷気味です。
 この三者に共通する特徴として私が思うのは、三人とも釈明会見で自らの作品、研究、政治活動に対する情熱を延々としゃべるものの、事実の核心については何故か全く触れないどころかぼかすところがあり、嘘つきや詐欺師ってのは大体こういう特徴があるもんだなと感じてみてます。今になって思うとまだ佐村河内は共同制作だと主張したもののゴーストライターの存在を認めており、ほかの二人に比べればまだまともというかましだった気がしてくる辺り末世です。
 
 なおSTAP細胞のニュースでは気になる報道が出てます。
 
 
 小保方氏に若山教授がSTAP細胞を作るよう提供したマウスとは異なる遺伝子のマウスが返ってきていたと発表していた件について、若山教授に返ってきたマウスはやっぱり最初に提供したもので正しいマウスだったかもと朝日新聞が報じております。言いたいことスパッと言っちゃうと、外すとかっこ悪いですがちょっと「ほんまかいな」と疑わしく感じる報道で、情報ソースも「若山研究室の関係者」とだけしか書かれておらず、一抹のきな臭さを感じる記事です。記事中には「改めて詳細な解析結果を公表する」と書かれていますが、普通ならこういうセリフは若山教授自身が発言するのではないかと思えるし、そもそも異なるマウスだと断定する根拠となった8番染色体について触れられていないという時点で自分は信用できません。
 
 8番染色体の異常というのは私も聞きかじりではあるのですが、生きたマウスから作られた細胞の8番染色体は通常2本1組であるのに対し、小保方氏から若山教授へ返却されたマウス細胞の8番染色体は3本1組の、トリソミーと呼ばれる状態だったそうです。トリソミーのマウスは胎児の段階で死ぬため生きたマウスから検出されることはほぼなく、逆に言えば、胎児以前の段階で培養されるES細胞によく見られる状態であるために、小保方氏は万能性を持つことが既に確認されているES細胞をさも生きたマウスから作った物だと主張したのがSTAP細胞の正体ではないかと言われております。
 この8番染色体の謎について朝日の記事は何も触れられておらず、仮に解析結果が間違ってる可能性があるのなら絶対に避けては通れないヶ所だけに、この点について無視してこの記事を出すとはどういう意味かとちょっと問いたい気分です。中途半端な状態ならちゃんとした解析結果を出してから言えと言いたいのと、編集はちゃんとチェックしているのか、問題の本質をわかっているのかと問いたいです。

2014年7月5日土曜日

北朝鮮への一部制裁解除について

  今朝窓と玄関開けて部屋に風通してたらスイーパーのおばちゃんがドア越しに話しかけてきました
 
「(#゜Д゜)<ちょっとアンタ、いいかしら!」
「(;゜Д゜)<あっ、はい」
「(#゜Д゜)<あんたんとこの隣に住んでる人、犬飼ってるでしょ。その犬が共用部分の廊下にいっつもおしっこ垂れてるから、今度会ったら放し飼いしないよう注意しといて!」
「(;゜Д゜)<は、はぁ……」
 
 会話内容も起こっている内容も全体的にカオスです。これが中国。
 
 話は本題に入りますが、各所での報道の通りに日本政府は北朝鮮に対して実施している制裁の一部を、拉致被害者の調査を全面的にやり直すという北朝鮮側の約束を受けて解除すると発表しました。今回のこの政府の対応に対する私の意見を述べると、大方のメディア同様に時期尚早で、また北朝鮮に騙されるだけなのではないかという気がします。
 
 解除する制裁の内容は発音が難くてアナウンサー泣かせの貨客船万景峰号の入港禁止や日本からの送金停止などですが、私が思うに北朝鮮が一番求めているのは昨年落札された事実上の大使館に当たる朝鮮総連の建物ではないかという気がします。日本側としてはこの朝鮮総連の建物を今回売却停止にしなかった一方で引き渡し強制執行まで実施しない辺り、次回以降のカードに使うつもりではないかと思います。
 
 今回の制裁解除については拉致被害者家族並びに大手メディアなども批判しており、その理由というのもまだ北朝鮮は調査をやると言っているだけで何も成果、具体的には拉致被害者の情報並びに身柄を明け渡しておらず、また調査はしたけど生き残っている拉致被害者はいないという結論を出してくるのではと懸念しております。この批判する側の意見はもっともで、これまでの北朝鮮の行為を考えると十分にありうるシナリオです。かつて安倍首相は官房副長官時代、当時の小泉首相の北朝鮮訪問に同行した際は北朝鮮側から謝罪がない限りは交渉を打ち切るべきだと主張して注目を浴びましたが、今回の対応を見ると月日と共に人柄も変わってしまったなと思えてきます。
 
 ただ全部が全部、政府を批判する気にはなりません。仮に今回の北朝鮮側の調査をやるという回答に満足せず何も日本側がアクションを取らなければそこで交渉は完全ストップしてしまう可能性もあり、北朝鮮を何らかの形で動かして交渉をしていくには最低限の日本側のアクションこと一部制裁解除もやむを得ない気がします。もっともこれは一種の賭けに当たり、仮にまたいつものように北朝鮮が何にもならない調査結果を出そうものなら安倍首相への批判は高まり、大きな痛手を負うこととなるでしょう。
 今回の北朝鮮外交に限るわけじゃないですが、集団的自衛権の容認という安倍首相の悲願が達成されてから安倍首相はどうにも以前ほどの慎重さを欠くようになったのではないかと思えます。この件もそうですがかつての第一次政権を崩壊に追いやる初撃となったホワイトカラーエグゼンプションこと残業代不払い法をまた出して通過させるなど、なんかもう周りに言われるまま政策通すようになってる気がします。肝心の第三の矢とやらはいつになっても飛んでこないし、相変わらず言ってることはよくわからんし。
 
 なお残業代不払い法についてはメディアも馬鹿だなと内心考えてます。今回の法案では年収800万円以上の会社員が対象ということですが、年収800万円以上なら大抵が既に管理職になっており、元から残業代が支払われない人間が大半でしょう。私が記事書くなら大手企業30社あたり、または年収800万円以上の人を200人くらい調査して残業代をもらっているかどうか聞き、限りなく0%に近い数字を出した上で何にもならない法案だと批判するのですが。
 
 最後にもう一度北朝鮮の話をすると、仮に北朝鮮が拉致被害者を返すと言った場合、日本は北朝鮮に食糧支援を含む経済支援を本当にやるのか、この辺についてもう少し考える必要があるでしょう。やるとしたら何億まで出すのか、そして以前に「拉致問題解決に向け天秤にかかる人権」で書いたように、北朝鮮の人権を無視するのか、もうちょっと議論してほしいなというのが正直な意見です。

2014年7月3日木曜日

書き続けられる妙な根気

 友人の麻雀太郎が運営している「ホンマ中国!」というブログでこの前、「中国におけるサッカー、ドイツ代表の人気の謎 」という記事がアップされました。内容は中国では何故かサッカーのドイツチームが人気だということを取り上げておりそこそこ読ませられる内容なので興味がある方は是非読まれることをお勧めします。
 
 ちなみにこの友人のブログですが、こういってはなんですが自分に影響されてブログを始めた友人らの中ではまだ頑張っている方で、引かk的長く続いているだけでなく更新数もなかなか多いです。これまでにも私の周りでは何人かブログを始めているのですが、大体が半年も持たず、あと更新回数も一ヶ月に一回くらいが限度で言ってしまえば長く続かないことが多いです。
 実際にブログをやっている人ならわかると思いますが、最初は色々と夢が膨らむものの続けていくとなるとなかなか思うようにはならず、序盤なんかはモチベーションが下がることも多いと思います。また細々と継続していくのも案外難しく、この友人も先日に話をした時、「ブログを書かなきゃ」と追われるように思うのが負担に感じる時があると正直に述べていました。
 
 そんな中で私は、というか私のブログは際立っているというか、更新回数で言えばほぼ毎日に一回程度でツイッターとかと比べると控え目ですが、その一回に公開されるテキスト量は自分で読み返していてもマジで引くくらい膨大で、テキスト量だけ見れば日本でも屈指のブログサイトになってきたなと我ながら思います。よく周りからもなんでネタ切れしないのと何度も聞かれていますが、私に言わせると書きたい内容はいくらでもあるのに書く暇がない、書き切れないのが実情で、「ブログ書かなきゃ」と追われるような気持ちになったことも多分全くないでしょう。
 知ってる人には早いですが私はこれまでに何度も勤務先変えてるし見方によれば飽きっぽい性格に見えるでしょうが、意外に自分は根気強いというか異常な執念深さを持っているとこの頃よく思います。このブログだけでも「真似できるなら真似してみろよ」と言いたくなるような内容ですし、また姉妹サイトの「企業居点」についても、何故万単位の海外法人のデータを気が狂うこともなく一人で黙々と収集してアップしているのだろうか、果たして同じことが出来る人間はほかにいるのかと、誇張ではなく頭おかしいんじゃないかという風に我が事ながら思います。
 
 ただ根気があればいいってもんじゃないですし、間違った行為をしているとわかっていながらその間違っている組織に居続ける人などに対して私は正直に言って軽蔑しますが、周囲に影響されることなくじっと集中し続けられるという意味では意外と自分は稀有な存在だったのかもしれません。それで最終的に何が言いたいのかというと、やっぱりブログは毎日とかじゃなく、自分のやれるペースで毎週でも毎月でもいいから心に負担を感じない程度で地道に続けるのがいいんじゃないかなということです。
 
 それにしてもたまに思うのですが、仮に一日ずっと好き放題に書いたら自分はどれだけ記事が書けるのだろうか、試してみたくなるけどそれだと読む側がえらい負担になると思い、手控えてます。

2014年7月2日水曜日

習近平の支持率

 今日おっさんが一人でやっている汚い売店でバナナを買おうとして5本くれって言ったら、何故かおっさん8本切ってそのまま売ってきました。ただ10.6元の所を端数切って10元にしてきたのでまぁいいやと思いそのまま買いましたが、家についてよくよく見ると結構痛んでて、在庫処分とばかりにまとめて買わされたのかなと思えてきました。おっさんにしてやられましたが、店内で放し飼いにしている子猫に免じて水に流すことにします。今日、子猫に指噛まれたけど。
 
 話は本題に入りますが、中国では日本と違って世論調査というか支持率調査といった類のアンケートは一切行われません。なので今月の共産党の支持率はなんて語られることはまずないのですが、ここだけの話として習近平総書記に対する中国人の支持率は相当高いように思えます。言ってしまえば前任の胡錦濤などよりも明らかに支持されており、この辺を日本の報道はうまくつかみ切れていないと現地に来てみて率直に感じました。
 
 習近平とくると恐らく大抵の日本人からしたら尖閣諸島や南沙諸島でやけにごり押ししてくる印象が強いだけに、どっちかっていうと信頼できる人間というよりは横暴なタイプに見え、どことなく見かけもジャイアンに似てるように思えるから腹の中で「ジャイアン近平」なんて呼ぶ人も私以外にいるかもしれません。そんな習近平を何故中国国民は支持するのか、外交で強気の態度に出ているからかと思われるかもしれませんがむしろ彼が評価されているのは内政で、それも汚職撲滅に熱心だと見られているからです。
 
 知ってる方には早いですが一昨日、人民解放軍の元ナンバー2の徐才厚が収賄などの容疑によって中国共産党の党籍を剥奪されました。卑近な例で申し訳ないのですが今の会社の中国人同僚などは朝挨拶をするやこの事件を持ち出し、「習近平はよくやった」とえらく褒め称え、やや興奮した面持ちでした。
 今回の徐才厚を始め、習近平が総書記に就任してからというものの汚職事件での逮捕者はどんどん増えており、しかもこれまでなら絶対に捜査が行き届くはずがないと思われるほどの大物が次々と捕まっております。個人的に一番私のツボにはまったのは中国の環境局の局長で、なんと自宅から一億元(約17億円)が見つかり、余りの金額であったことから捜査の際、札束の枚数を数える機械が途中で4台も壊れるという中国ならではのスケールの大きい汚職をやってました。
 
 日本人からしたら想像できないことでしょうが、中国では本当に汚職が溢れていてどこの日系企業も少なくない金額を有力者に賄賂として渡しています。ただ中国人としてもこのような賄賂天国はよくない、もとい公務員など役人が見ていて腹立つくらい羨ましいということもあって汚職が蔓延する社会は改善させるべきだと自覚してはいるものの、上層部が率先して汚職をやらかすこともあってこれまで目立った進展はありませんでした。
 そんな中、習近平は私から見ても驚くくらい汚職対策には取り組んでおり、またそれを大きく宣伝していることもあって現時点での中国人からの支持度は相当な高さに来ていると感じます。それだけ支持されているからこそ、外交に関しても国内からは特に何も言われないのかもしれません。まぁ中国外交は支持度とはあんま関係なく昔から強引ですが。
 
 私がここで言いたいこととしては、中国国内での政権への支持度を無視して日本が対中戦略を立てるのはちょっと甘い、というより無頓着過ぎないかということです。更に言えば、韓国は国内からの不満に対し問題解決に取り組むことで和らげるのではなく、外に憎悪を向けさせて政権への批判をかわすような手法を取りがちですが、以前の中国もこれと同じような傾向がありました。しかし今の習近平政権は高まる不満に対してきちんと問題解決の姿勢を示すことで着実に支持を広げており、私個人としてみるならばちょっと手ごわい相手だという気持ちを覚えます。

2014年7月1日火曜日

平成史考察~エヴァンゲリオンのブーム(1995~1997年)

 前回記事でも取り上げて予告しましたが、今日は平成以降のアニメ市場において最大のヒット作と言ってもいい「新世紀エヴァンゲリオン」のブームについて、テレビアニメ版の放映から旧劇場版までの当時の状況について私の肌感覚で紹介することにします。
 
 2011年に「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメが放映されてこの作品もブームとなりましたが、ブームの真っ最中には「まどかはエヴァを越えたんじゃないか?」なんていう言葉がネットの一部掲示板で見受ける事もありましたが、私の印象で述べればとてもじゃないですが比較になるレベルではありませんでした。たしかに「魔法少女まどか☆マギカ」も非常に売れた作品ではありますがそれはあくまでアニメファンの間でのレベルであって、社会現象とまで言われ一般人の間でも高い認知を誇ったエヴァのブームとは雲泥の差と言っていいほど違いがあったように私は思います。
 
 ここに入ってようやくエヴァの作品としての簡単な説明を行いますが、この作品は連続テレビアニメ作品として放映され、放映当初でこそスポンサーも注目しないなど前評判の低い作品でしたが、回が進むごとにストーリーを徐々に評価する声が高まるなどして視聴率がどんどん高まっていきました。そうした注目の中で放映された最終話ははっきり言って視聴者からすればまったく意味のわからない謎なエンディングで締めくくられており、その最終話、というよりラスト2話の評価を巡って大きな議論となったことからさらに注目を集めることとなりました。
 最終的にはテレビ放映後から一年後に完結編となる映画版が作られ、その映画版によって一応はストーリーが締めくくられることとなったのですが、その映画版が公開されるまでの間に様々なメディアミックスが行われ、ゲームに漫画、グッズなどが大量に作られ、中でもサウンドトラックに至ってはアニメ作品のCDとしては何十年ぶりともなるオリコンチャートの一位を取るなど華々しい売上げを記録しています。
 
 何故これほどまでにエヴァンゲリオンはブームになったのか。理由は複数あり、まず一つ目としては単純にアニメ作品として優れていたという点が自分の中で挙がってきます。作品中にはBGMとしてクラッシック音楽が大量に使われているのですが、私の知る限りだとこれほどクラッシック曲を多用したアニメ作品はエヴァが初めてだったと思います。そしてエヴァでの成功を見たことから放映後しばらく、影響を受けたのかこの手のクラッシック曲をBGMに使うアニメ作品が続出していたようにも記憶しています。こうした音楽面もさることながら作画と相まった様々な演出も当時としては革新的なものが多かったです。具体例を挙げれば切りがありませんが、黒字背景に白抜き文字だけのサブタイトルや画像をコマ撮りで連続して出す手法など、その後のアニメ作品にも流用される演出手法が数多く作られています。
 
 ただそうしたものを差し置いて、エヴァをこれだけのブームに仕立て上げた最大の要因はなんといってもストーリー構成に限るでしょう。知ってる人には早いですがこの作品はキリスト教における神話と心理学用語をベースにしたストーリーとなっており、しかも単純に見ているだけでは到底理解できないような伏線や設定を張っているため見ている視聴者からしたらワケワカラン状態になること必定で、「見ていてなんだかよくわからないから気になる」の所まで興味を引っ張るのに成功したストーリー構成となってます。
 更に言うと、このエヴァのストーリーが評価されたのは時代の追い風を受けているとも私には思えます。90年代中盤はちょうどバブルが崩壊して日本全体でこれから何を基軸にして生きてけばいいのとやや迷走した時代であり、そんな迷走した時代ゆえなのか何故かオカルトがブームになって「羊たちの沈黙」など心理学に関連したややおどろおどろしい作品がどれも大ヒットしてました。こうした空気の中でエヴァのオカルトベースなストーリーが「深みがある」と捉えられ、人気に繋がった所もあると私は考えています。
 
 ただエヴァはアニメ作品として成功しつつ、市場的に見るならばメディアミックスを完全なまでに果たして大いに稼いだアニメ作品として見ることの方が価値があると思います。それまでのアニメ作品は関連グッズの売上げで大半の制作費を回収するというパターンが主で、そのため必然的に主なグッズを制作・販売するおもちゃメーカーの意向が強く影響しがちでしたが、このエヴァは放映後に発売したVHSビデオテープが物凄い売れ、これ以降のアニメ作品ではビデオの売り上げを見込んで製作予算を組むように市場が変わりました。
 そうした映像作品としてだけでなく、先ほどにも書いたように漫画やゲーム、更にはキャラクターグッズのどれもで高い売上げを記録し、現在に至ってもパチスロに使われて稼いでいると言われるだけに、もはやメディアミックしてない媒体を探す方が困難なほど多方面への展開に成功しています。
 
 以上が主に売り上げに関する話でしたが、社会現象的な面でも話をすると、やっぱり一番印象に残っているのはこの作品の主題歌でした。街中を歩いていると、主にゲーム屋などからでしたがエヴァの主題歌、またはBGMが流れていて、当時の私はアニメを見ていなかったにもかかわらず主題歌の歌詞は何故だか覚えるほど聞く機会が多かったです。またテレビニュースにも度々取り上げられ、アニメを見る層じゃないない人の間でもエヴァに触れる機会は多かったのではと思え、それこそ「知らない方がおかしい」と言えるような雰囲気が当時にはありました。敢えて言うならコンテンツ力のえぐさというか、どんな層にも入り込んでいくというその強いメッセージ性ではこのエヴァが現代だと随一と言ってもよく、従来のストーリーを一部改編してこのところ公開されている新劇場版も多数の動員客を記録している点から言ってもまぁ凄い作品だと言えるでしょう。