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2014年11月17日月曜日

シベリア出兵とイワノフカ事件

 前回記事に続いてシベリア出兵中のある事件を取り上げますが、その前にロシアの村で起こったある出来事を紹介します。その年、日本の代表団がシベリア抑留者の慰霊碑を建立しようとその村へ訪れたのですが、その村の住人らはやってきた日本人代表団らに対して、「昔、日本人がこの村で行ったことを知らないのですか」と尋ねたそうです。その村こそが今日の見出しに掲げたイワノフカ村です。
 
イワノフカ事件(Wikipedia)
 
 シベリア出兵の概要については前回記事に書いた通りで、日本は明確な領土的野心の下に他の参加国が繰り出した数倍の兵力をシベリア地域に送りこの地で傀儡政権の樹立などを企てたものの、結果としては何も得ることがなく列強各国にその野心を疑われたことと兵力の損失だけを生みました。このシベリア出兵中に日本はモスクワを占領したレーニン率いるボリシェビキ政権(社会主義政権)と対立していた白軍を支援しておりましたが、シベリア出兵中における最大の敵は赤軍本軍ではなくパルチザンでした。
 
 一体どうして社会主義というか左巻きの人は同じ意味で一般的にも認知されている語があるのにわざと小難しい単語に置き換えようとするのか気がしれませんが、この「パルチザン」というのは言うなればゲリラです。政権が直接命令、指示する軍隊ではなく一般市民(多くは農民)が自発的に赤軍に協力したり、武器を取って敵軍と戦う兵士、集団、軍隊を指すのですが、日本にとってシベリア出兵はこのゲリラ(もうパルチザンなんて言葉は使わないぞ)との戦いだったと言っても間違いないでしょう。
 社会主義革命戦争中のロシアでは都市部はともかく農村部ではボリシェビキへの支持がきわめて高く、白軍が占領したとしてもすぐにゲリラが活動を行って妨害するので占領地を放棄することも頻繁にありました。また一般市民との区別も難しいことから、簡単な例えを用いるならベトナム戦争下の米軍などの様にいつどこで襲われるのか、現地の兵士たちにとっては非常にナーバスにさせられる存在だったのだと思います。
 
 そうした「見えない敵」であるゲリラに対し白軍や日本軍は神経を尖らし、ゲリラを匿った、協力したとみた村落を頻繁に襲撃し焼き尽くしていたそうです。これは当時の軍内部の報告書にもしっかり記されている事実で、件のイワノフカ村の事件も海外の調査隊が生存者の証言をまとめていることから否定はできないでしょう。言ってしまうなら、ベトナムで米軍や韓国軍がやったことを日本軍はシベリアでやっていたというわけです。
 
 話はイワノフカ事件に焦点を絞ります。このイワノフカ村もボリシェビキの影響力が強かったことから日本軍は村民から武器の押収やゲリラと見られる人物の処刑を行っていたところ、思わぬゲリラの反撃を受けて一個大隊が全滅するという被害を受けました。このゲリラに対する攻撃の報復として日本軍は村を包囲した上で、集中砲火を浴びせた上に家々をもやし、老若男女の区別なく殺害したわけです。殺害者数は約300人と見られていますが、この村が現代にまで存続していることを考えると皆殺しまでには行かなかったようです。
 その後日本軍はこの虐殺の事実を隠すどころか宣伝にも使っていたようで、「抵抗すればイワノフカ村の二の舞になるぞ」という脅しをほかの村にもかけていったそうです。
 
 こうした行為はイワノフカ村に限らずほかの多くの村落においても程度の差こそあれ行われていたとみられます。というのも当時の日本軍内の報告書には著しい軍記の乱れが内外から日本の司令部に報告されており、指揮官幹部らは安全なウラジオストックで砲塔を繰り返しているのに対し現場では何の攻略目的や作戦計画のないまま零下何十度という厳しい環境下に放り込まれ、略奪や強姦、虐殺が日常的に行われているなどと生々しい証言が残っています。
 また私個人にとってちょっと面白いと感じる報告として、当時出兵していた部隊では「歩兵隊式」という、末端の兵士による士官へのリンチが頻繁に起こっていたそうです。士官が少しでも横柄な態度や妙な要求でもしようものなら兵士同士が結託し、前線であることをこれ幸いにとばかりに暴行して服従させていたというもので、中には、「殴られるくらいはまだいい。戦場だったらどこから弾が飛んでくるのかもわからんのだし」という証言を残した帰還兵までもいたそうです。こうした状態であったことから前線の指揮官は略奪や暴行する兵士を止められなかったばかりか、彼らに気兼ねして期限を取るといった行動も見られたことが報告されています。
 
 このような事態を招いた理由はいくらでも挙げられるし中には戦場では仕方のないことだという人もいますが、私としてはやはり無計画な派兵こそが最大要因だと見ます。前回記事でも述べたように日本は明らかに下心を持ってシベリア出兵を行っており、しかも出兵の大義名分であるチェコ軍団が無事に帰還しても、白軍が完全に粉砕されても、明確な攻略目標などないまま長期間大兵力を派兵し続けました。戦うべき理由もなければ目的もなく極寒の地に派遣され続ければそりゃ現場もおかしくなるのは当たり前で、何故ほかの国と同時期にすぐ撤兵しなかったのか強く理解に苦しみます。
 
 その上で今回のイワノフカ村事件について述べると、恐らく私と同世代であればこの事件を知らない人間の比率はフォーナイン(=99.99%)を確実に超えるでしょう。一方で、前回記事で紹介した「尼港事件」は認知度はこちらも確実に低いでしょうが一応高校レベルの日本史の教科書には確実に載っています。何が言いたいのかって、殺られた事実だけ教えて殺った事実には触れないってのはアンフェアじゃないか、この一点に尽きます。
 別に朝日新聞みたいに「日本人はもっと他国に謝罪し、反省すべきなのかもしれない(いつも末尾は推量系)」なんていうつもりは全くないしことさら大きく取り上げようというつもりは全く有りませんが、同じ「朝日」繋がりで言うと歴史というのはスーパードライなくらいに感情を全く持たず、淡々と事実のみを直視する視点こそが大事だと私は思います。私なりのこうした視点で述べると、片一方側の事実は取り上げておきながら同じ傾向を持つ事実は無視するなんて以ての外だし、そもそもこのシベリア出兵自体を日本の教育界はあまり教えたがらないなと内心思います。
 
 私自身、大学受験時にシベリア出兵という単語と概要は覚えましたが、そもそもチェコ軍団って何、現地でどんな活動したのといったことは全く以ってちんぷんかんぷんでした。日本史科目に関しては今も昔も並外れた成績だったことを考えると、私以外の人間に至っては全く理解せず「シベリア出兵→米騒動」という脊椎反射的なワード繋がりを覚えられれば御の字だったでしょう。
 しかし成人になってから改めて一次大戦を勉強し直したついでに勉強し直すと、やってることはまるきり米軍のベトナム戦争と変わりがないように思えてきました。ベトナム戦争についてはその悲惨さを学校では学びましたが、もっと身近な日本がやった例については細かく教えずにスルーするってのはちょっともったいないと思うついでに何らかの意図があるのではないかと勘繰りたくなります。中には規模が同たらこ歌らという人もいるかもしれませんが、人が何人死のうが自分は全く興味がありません。やったかやらないか、何やったか、これだけが重要です。
 
 繰り返して述べると、シベリア出兵と関連して尼港事件だけ取り上げてこっちのイワノフカ事件を始めとする現場の乱れをスルーするというのは、あれこれ理由を述べるまでもなく私個人として気に入らないというか癪に障ります。朝日新聞みたいに、ってか従軍慰安婦や南京大虐殺は取り上げるがこっちをスルーする朝日をちょっとどうかとも思うけど、参考書位には一言書いた方が良いのではというのが私からの提言です。
 あと最後に蛇足ですが、明確な目的がないまま戦争に兵を派遣して無駄に浪費するという構図、なんかどっかの国で見たようなとデジャビュを覚えます。思えばこの時から日本の軍隊はいかれてたのかもしれません。

2 件のコメント:

上海忍者 さんのコメント...

戦争の話を止めましょう。

花園祐 さんのコメント...

 なんか急にまともなコメント来ると焦るな。まぁ確かに聞いてて気持ちのいい話ばかりじゃないけどね。