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2014年11月21日金曜日

いかりや長介から志村けんへ最後の手紙、というデマ

 いつも通り本題と関係ありませんが、上記のパワプロの新垣投手の能力値評価はちょっとひどいと思いつつも校としか設定できないというのもちょっと理解できちゃいます。真面目な話、過去最低の能力値なんじゃないかなこれ……。
 
 そういうわけで本題に入りますが最近ネット上で、「いかりや長介さんから志村けんさんへの最後の手紙」という話があることを知りました。これはいわゆるコピペの一つで、ある定型の文章があちこちの記事に引用され回っているのですが該当のテキストをそのまま下記に引用します。(芸名であることを考慮して敬称はこの記事では省略します)
 
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志村へ

この手紙をもって俺のコメディアンとしての最後の仕事とする。
まず、俺がこの世からいなくなるという悲しい事実を笑いへと昇華ために
葬式をコントのネタにするようお願いしたい。
以下に、コントについての愚見を述べる。
コントを考える際、第一選択はあくまで「笑いを取れば勝ち」という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には若手芸人の多くがそうであるように、他人をバカにして笑いを取ったり、
素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる。
その場合には、企画段階から綿密な計算と準備が必要となるが、残念ながら未だ満足のいくコントには至っていない。
これからのコントの復活は、綿密な企画立案、それとライブの復活にかかっている。
俺は、志村がその一翼を担える数少ない芸人であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
志村にはコントの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。
ひいては、俺の葬式をコントにした後、計算された笑いの一石として役立てて欲しい。
リーダーは活ける師なり。
なお、最後に、 お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる。
 
いかりや長介
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 この文章ですがさすがに晒しちゃうとかわいそうなのでリンクとか貼ったりしませんが、あちこちのブログやFacebook、果てにはYoutubeに動画まで作られていて結構な数の人間が感動話として取り上げています。しかし私はこの文章を一読してすぐ違和感を覚え、果たして本物だろうかと疑問に感じました。
 
 違和感を覚えた点を挙げていくとまず一つ目は、「他人をバカにして笑いを取ったり、素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる」と書かれたテキストで、こうした「弄り芸」が流行った時期といかりや長介が逝去した時期は微妙にずれるのではと感じました。次にいかりや長介は医者から家族には余命が宣告されていたものの本人には知らされていなかったようで、そんな状態で果たしてこのような遺書をきちんと書くことが出来たのか。そして何よりも、逝去した2004年当時にこのような手紙があったなどという報道を私本人が全く記憶していないということです。逝去当時は各メディアがこぞって大きく取り上げており、他のドリフメンバーに対してもたくさん取材がされていたにもかかわらずこの手紙について全く記憶にないというのは私に限っては有り得ないのではと考えました。
 
 そんなわけでこの手紙が本物かどうか確かめようとざらっと調べ、まず最初にどこが初出なのかを探りました。初出を探るに当たっては引用しているブログなりの更新日を追って行くのが一番なのですが、調べていくとどうも2014年の今年に入ってから引用される回数が増えていることがわかり、それ以前となると2012年に引用している記事が一件あった後はほぼ皆無であった中、2004年に掲示板の書き込みらしいものを引用しているサイトが見つかりました。
 この時点でうすうす勘付いてきましたが続けて調べていると、あっさり答えが出ました。
 
 
 結論から言うとこの手紙はダウトことデマで、偽物です。上記リンク先を見れば一目瞭然ですがこの手紙は「白い巨塔」のラストシーンで主人公の財前が同僚に送った手紙文を下地に、さもいかりや長介が志村けんに送ったように改編するという言葉遊びの一種だったようです。しかもこの元となった財前の手紙ですが、このサイトを見るとほかにも多種多様に改編されているようでそこそこ有名なベーステキストの様で、面白がって探してみたらマツダ地獄について書かれたこちらの知恵袋がなかなかツボにはまりました。
 恐らく年代などから察するに、こちらの引用しているサイトに書かれている日付の2004年が初出ではないかと思います。書かれた当時はそれほど脚光を浴びなかったものの10年経った2014年にレトリックであることがわからないまま、というより財前先生の手紙文が忘れ去られたため引用され始めたのが今の実体でしょう。確信犯かどうかまでは詮索しませんが……。
 
 こんなわけで自分の予感が当たって一安心。明日は土曜日だしゆっくり眠れると言いたいわけですがもうちょっとだけオチをつけると、2004年に作られたコピペが10年の年月を経てあちこちに引用されるようになるというのはなかなか稀有なことのように見えます。何故このような稀有な事態が起こったのかと推察するにやはりいかりや長介に対して思い入れを持つ人間が、その死から10年経った現代においても数多くいたからだと思えます。無理矢理いい感じに話をまとめるならば、こうしたデマがそこそこ拡散すること一つとっても彼が偉大なコメディアンだったことが偲ばれます。

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