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2015年10月2日金曜日

大衆の捉え方

 連休二日目で部屋の掃除以外特にやることなくまたたらったらとパズドラやりつつ過ごしておりましたが、左肩と右わき腹をやや痛めている状態なのでなんか中途半端にやる気出ません。明日くらいは少し気合入れ直して外出るようにしよう。
 そんなわけで本題ですが来週に会う予定の知り合いに対する講義内容として取っておきましたが、ちょうどこの記事が2500本目の記事になるので折角だから出し惜しみせずにここで私の大衆に対する見方というか視点というものを紹介しようと思います。と言っても興味を持つ人間がどれだけいることやら。

 私の大学での専門は社会学なのですがよく人からは、「社会学って何をする学問なの?」という質問を非常に多く受けます。実際これは社会学をやっている人間たちですらよくわかっておらず、敢えて言うなら「入りやすく極め辛い学問」であって、これが社会学だといったらなんでも社会学になってしまうほど専門性が低い学問です。取り扱う分野も経済学から法学、政治学、心理学、文学と文系自然科学の分野すべてを内包しており、私なんかはそういうオールマイティさにあこがれて社会学を選んでほかの専門領域も法学を除けば大体手を出しましたが、それでも未だに社会学ってなんやねんと思うことの方が多いです。

 そんなよくわからない社会学ですが、一般的に言うなら心理学に近い学問というのが正解な気がします。社会学も心理学も人間の心理行動を第一に着目して観察する学問ですが、異なっている点としては心理学が個人の心理により強く着目するのに対して社会学は集団の心理により深く着目し、また大きな前提として「集団の心理は個人の心理とは乖離する」と考え、個人の考えが合わさることで集団の考えとなるのではなく、個人の考えとは切り離されて集団の考えは形作られると考えます。
 こうした立場でものを考えるよう教育を受けてきた身であることから、私自身も個人の心理とかそういうのには全く興味がなくむしろ集団の心理の方が見ていて楽しいです。その上で述べると何か他人を分析する際はその他人が取る行動に対して「動機」から攻めるようにしており、どうしてそのような行動を取ろうとするのかその背景にある動機をまず推測して、「動機―行動」のつながりを解き明かそうとします。私見ですが心理学の場合だと、動機よりもその人の生い立ちや経験といった背景をより重視して分析の対象としてみているように見えます。

 そういうわけのわからない社会学の価値観は置いといて、このブログではよく日本人論を載せることが多いですが、こうした記事を書くに当たってやっぱり重要になるのは大衆の捉え方です。一言で大衆と言っても定義の仕方は様々ですが、大衆を分析するに当たってまず第一に考えなければならない点として挙がってくるのは「自分は大衆に含まれるか否か」です。
 自分と、これから分析する大衆は同じ構成員なのかどうか。地味にこれを考えるのは重要で、自分は大衆とは異なる異分子と前提して一歩離れた距離から観察するのか、それとも自分は大衆の中の一要素と前提して内部から観察するのか。一見すると前者の方が観察者として理想的な立場に見えますが、全否定するつもりはないものの、一歩距離を置いてしまうと自分を特別な位置に置いてしまうためか初めから持っていた仮説を当てはめようとするようになり、実際いくつかの社会学の論文を見ていると最初に作った仮説を無理やり結論として当てはめようする者が少なくありません。

 では大衆の中から観察するのがベストなのか。これにもメリットとデメリットはあり、メリットは最初から持っていた既存の考えを当て込み辛くなること、デメリットは逆に大衆の中でそうだと考えられている意見をそのまま結論にもって来ようとすることです。ちょうどさっきの逆みたいな感じです。

 それでは私はどっちの立場を取っているのかというと、基本的には自分は大衆の一部だという前提で物を考えています。ただちょっと他の人と比べ特別なのは、自分は大衆の一部ではあるものの、影響力の度合いはほぼ全くないものの、その大衆の思考を変え得る変数であるという前提を常に持っています。つまり私の行動や活動次第では大衆は考え方や行動を変えることもあり得るとして、では何にすれば大衆は変わるのか、逆に何があるせいで大衆は変わらないのかという点を重点的に考えて傾向なり法則を見出そうとしています。
 なかなか我ながら変なことを言いますが、大衆は常に変化を続けておりその変化点をどのように掴むのかが重要であるように思え、これらを掴むことによって大衆というものを把握できるのではと私は考えています。逆を言えば大衆というのは決まった形を保持しているわけでなく、徐々に変化を続けておりその変化を追うことによって現在の状態を見れると思うわけです。

 もうさっきから読者置いてけぼりで好き勝手書いていますが、こうした視点の工夫によって恐らく自分の見方なり視点はほかの人と異なってて、それがこのブログの読者にも評価されているのではないかと思います。私自身は日本人ではありますがもう価値観や概念で言えば確実に一般の日本人とは大きな隔たりがあるものの、それでも日本人という枠の中で大衆を考えてるのが不思議と言えば不思議です。

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