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2016年4月20日水曜日

自己愛の激しい人、自己嫌悪の激しい人

 以前に読んだ小保方氏の著書に対する佐藤優氏の書評にて佐藤氏は小保方氏のパーソナリティを、「自己愛の塊」と評しておりましたが、この表現に異論を述べる人はそんな多くはない、というよりはほとんどいないでしょう。実際自分から見ても自己愛の激しい人はこれまで直接間接含めていろいろ見てきましたがあれほどのレベルとなると確かに思い浮かばず、恐らく今この現状もフェスティンガーさんの認知的不協和を起こして自分ははめられただけで何も悪くなく、いつかきっと世間は理解していると本気で信じてそうな気がします。

 ここで引っ張り出した「自己愛が強い」ですが、わざわざ説明するまでもなくこの手のタイプは面倒だという事実をこの手の人間に関わった人なら誰もが十分に理解していることでしょう。自分なんか前の会社の上司がまさにこの典型で常に自分の自慢話か苦労自慢しか話さず、仕事でも常に失敗してるのですが景気がどうとかあともうちょっとで取れるとか交渉中だとか嘘八百を並べ立てて絶対に自分に非があるとは認めようとしない輩でした。挙句の果てには会社判断で進めていた話を中断すると決めたら、「そんなことするというのならもう自分は必要ないってことだな。それならば辞表を出す!」と言ってましたが、その後いつまでたっても辞表は出してくれませんでした。多分今でも自分は必要とされてるからクビ切られないとか思っているんだろうな。

 上のは私の身近な話ですが、芸能界でもう一人極端に自己愛が強いなと密かに睨んでいる人物として元フィギュアスケート選手の安藤美姫氏がいます。なんでこう思うのかという理由としてはテレビ番組にこの人が出てくるのを見ればすぐわかると思いますが何かコメントをする際に十中八九、「私もフィギュアの練習などで……」、「私もフィギュアの試合前とかに……」などと、確実に自分の体験談(それもほぼフィギュア関連)を引用して自分の話しかしないからです。相手の話に合わせて「その時はどういうこと考えたのですか?」などという返答は皆無に近く、よくここまで超然としてられるなと逆に感心します。なんていうか生き様もそんな感じするし。

 こんな具合で、正直なコメントを述べると自己愛が極端に強い人にはあんま傍にいてもらいたくないってのが私の本音です。遠目に見る分にはそりゃ楽しいかもしれませんが近くにいたらすごい疲れそうなので、何かとトレードオフする才能とかない限りは私もなるべく関わろうとはしないようにしています。

 では逆に自己愛が低すぎる人、自己評価が低い人、極端に来れば自己嫌悪の激しい人はどうなのでしょうか。多分今真っ盛りの就活の面接で、「あなたは自己愛が強い方でしょうか、それとも自己嫌悪の方が強いでしょうか?」と質問されて「自己嫌悪!」って言ったら真っ先に落とされてしまうでしょうが、ここだけの話、日本人は平均的に言えば自己嫌悪の方が強い国民性だと思います。端的に言ってアメリカ人と日本人を比べればもう歴然で、中国人と日本人とを比べてもやっぱり中国人の方が「自分大好き!」って屈託なく言ってくると断言できます。

 もちろん自己愛も自己嫌悪も極端でなければいいわけでどちらが強いか弱いかは優劣につながるわけではありません。社会学的に言えばアノミー論にもつながりますがどちらもほどほどのバランスを保っている状態が精神的には落ち着くとみられ、どっちかに大きく偏っているという自覚があればそれをバランスのいい状態に持って行こうと意識するのが割とベターだと私は考えています。実際、私が指導する人間にそのような傾向が見られた場合は、はっきりとは言いませんが自己愛が強い奴にはプライドをどっかでへし折ってやって、逆に自己嫌悪が強い人間には何かを持ち上げて自信をつけさせたりしてきましたし。

 ただ自己嫌悪が強い人間は、日本人が平均的にその資質を持っていながらも、極端なレベルとなるとほとんど見ることはないと思いますし私もそんなに会うことはありません。自己愛が極端な人がやたら目立つということもあるでしょうが自己嫌悪が強いかどうかはパッと見では意外と気づき辛く、またネガティブな表現してることもあってむしろそうした資質がばれないような行動を取ってくるので気づかないし目に入らないのも自然なことです。
 そこで私の持論なのですが、見分け方というより自己嫌悪の強い人に共通するのではと思う特徴として周囲に対する貢献意識や献身行動が極端に強いという点があるのではと密かに睨んでいます。それもなるべく割に合わない仕事とか作業を引き受けるようなタイプです。

 仮にこの通りであれば、自己嫌悪の激しい人が横にいると便利というか非常に楽できそうな気がするので、むしろそういう人が身近にいてくれれば助かります。平たく言えば日本人全体にこのような傾向があるとも思えるのですが、その一方でやはり極端に献身行動が強い人には心配に感じることも少なくなく、そういう人を見かけたら「もっと自分にワガママになれよ」って一声かけるようにはしています。
 まとめとしては、自己愛も自己嫌悪もどっちかに大きく振れたら意識して引き戻しバランスを保たせた方が無難だというのが私の意見です。

 ……多少愚痴になりますが、こういう話をして太宰治をすぐ確実に引用してくる友人に囲まれてた学生時代はよかったなぁと思うと共に、こっちが全力出して議論に臨む機会が最近めっきりなくなった現状を寂しく思います。

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