2016年9月30日金曜日

中国におけるプレイステーション系ゲームのダウンロード



 なんとなく上の写真みたくテンションが低いので昨日確かめた話についてささっと書くことにします。

 ゲームをあまりやらない方にはピンと来ないかもしれませんが、現在のゲーム市場はゲームソフトを店頭で買うだけでなく、ネット上で購入してデータだけダウンロードする形でも購入できます。私などはまさにこうしたダウンロード購入がメインなのですが、ソニーのプレイステーション系列のゲームソフトを買う場合はPSN(プレイステーションネットワーク)というサイトに所有しているゲームハード(PS4、PS3、PSVita、PSP)からアクセスして、そこで登録したIDから購入するゲームを選んで購入し、そのまま所有するハードにデータをダウンロードするという形になります。
 なお購入したゲームはデータを削除しても時間がかかりますが何度でも再ダウンロードできるため、ゲームソフトを紛失したり、借りパクされて二度と遊べなくなるという事態は原則起こりません。まぁ一部のソフトで配信が停止してしまうってのは過去に何度かありましたが。

 上記のダウンロード購入は日本であれば問題なくできましたが、私が現在いる中国だと四年前に確かめた際はPSNにアクセスすることすらできず不可能でした。しかし昨年に中国でもゲーム市場が開放されてソニーもPS4を売り出したことから今ならどうかなと思って試してみたところ、四年前は確かにダメだったのに、携帯機であるPSVitaで無線接続を試してみたら問題なくアクセスできました。そのかわり、ダウンロード速度は極端に遅いけど。
 続いて試したのは既に購入済みのゲームをダウンロードできるかでしたが、これに関してはかなり時間食ったものの、ダウンロード自体は問題なく行えました。そして次のステップとしてゲーム自体の新規購入&ダウンロードはどうかと昨日試してみたところ、こちらも問題なく行うことが出来ました。

 しかしダウンロード速度は環境にもよるかもしれませんがやっぱり遅く、昨日購入したのは600円ちょっとで買えるので「ディノクライシス」という恐竜さんとわくわくどきどきな触れ合いが楽しめるゲームで容量は230メガくらいでしたが、何度もアクセスが中断されるわけで3時間たってもダウンロードしきれず、そのまま電源つけたまま放っておいたら翌朝にはダウンロードしきれていました。AmazonのKindleと違い、ダウンロードが中断されたとしても途中までダウンロードしたデータは残ったままダウンロードを再開できるので、時間さえかければどうにか利用できると言ったところです。
 とはいえ、昨今のゲームは容量が大きく数ギガ単位も珍しくないため、仮にそういうゲームをダウンロードするとなると果たしてどんなものやらといったところです。確実なのはやはり日本でダウンロードすることですが、ゲームを買うためにわざわざ日本に戻るってのもあれ何で私みたいにまとめて買いだめしておくのがベターかもしれません。

 なお真面目な話をすると、海外で生活するに当たって娯楽は非常に重要です。先日も私が前の会社を辞めたせいで代わりに中国来る羽目となった元同僚となかよく夕食をしましたが、単身赴任で海外に来ると現地の言葉も使えないために休日は家で引きこもりとなるしかなく、チューナー使って日本のテレビ番組を見たり日本人会のメンバーと会ったり、インターネットしたりといった娯楽がどれだけ重要か痛感したと話しました。何気にその元同僚がこっち来ることが決まった際に私は重ねて娯楽を持つようアドバイスをして、そうしたアドバイスが実際役に立ったと言ってもらえました。
 海外駐在で精神を病むというのはそれほど珍しくはなく、実際私も目の前でそうなった人を見る羽目となりました。私ほど極端でなくても、パソコンで遊べるゲームなどは海外に持って行った方がいいというのが持論です。

2016年9月29日木曜日

創業家列伝~中島董一郎(キユーピー)

 二年以上も放置してましたが最近この連載記事に興味持つ人が出てきたのと、プライベートで余裕が出てきたこともあるのでまた有名企業の意外と知られていない創業家を取り上げます。今日はなんとなくサラダ日和だと思うのでキユーピーの中島董一郎です。

中島董一郎(Wikipedia)

<医師の家だが幼少時は貧乏>
 後にキユーピーを創業する中島董一郎は愛知県西尾市に、医師をしていた父親の元で1883年に生を受けます。実家は祖父の代から続く医師の家で幼少期は裕福な生活だったものの人のいい父親が他人の借金の保証人となったことから破産し、夜逃げして名古屋市に落ちぶれてきます。中島董一郎は長男であったため家に居続けられましたが、上記のような経緯から弟や妹らは他家に養子へ出されるほど生活も困窮し、母親も中島董一郎が9歳の頃に亡くなっています。

 名古屋市から東京へ移住し、長じた中島董一郎は医師である父の後を継ぐため一高を受験しましたがこれに落第し、代わりに現在の東京海洋大学にあたる水産講習所に入学します。卒業後は適当な就職口がなかったため京成電鉄で測量の仕事を行っていましたがこの際に英国人商人のW・H・ギルと知遇を得て、後の事業の飛躍のきっかけとなる出会いを果たします。
 京成電鉄を一年の勤務で辞めると今度は若菜熊次郎商店という、名前からしても如何にも個人商店な感じする小さな缶詰問屋へ入りました。しかも入って三日目にして店主の命令によって北海道と樺太に市場調査へ行かされたりしています。

<海外実習生に>
 中島董一郎は29歳となった1912年、農商務省が海外実習生を募集していることを学校の先輩(何気に後で東洋製罐の社長になる人)から教えてもらいこれに応募して選ばれると、当時は限られた人間しか行けなかった海外へと派遣されます。最初に派遣された英国・ロンドンでは先程のW・H・ギルの紹介でニコルス商会に入り缶詰関連の実習を受けるも、一次大戦が激しくなると避難をかねて今度は米国へと渡ります。
 辿り着いたシアトルでは鮭缶工場で働きましたが、この時期に現地の日本人会で出された鮭缶に玉ねぎとマヨネーズを加えた料理を初めて食べ、「これや!」みたいな感覚を覚えたのか帰国したら必ずマヨネーズで商売すると決めたそうです。

<会社の設立、事業開始
 1916年に日本へ帰国した中島董一郎は、まだマヨネーズは日本人の口には合わないとの市場調査を受け、日本橋で「中島商店」を起こすと従来の缶詰事業からスタートさせました。何度も出てくるW・H・ギルの支援もあって短期間でぐいぐい業績を伸ばし、三菱商事からも缶詰事業を全部任されるほどまで急成長させ、1923年の関東大震災に被災するもすぐまた立ちなおす辣腕ぶりを見せます。
 その震災後、日本人の生活にも西洋化の波が押し寄せたことを受けいよいよもってマヨネーズ事業に取り掛かります。名称は学校の先輩のアドバイスを受けて「キユーピー」とし、作るマヨネーズは卵黄の量を米国製の二倍にするというこだわった代物にして売り出しました。当時に売り出した価格は一瓶(128グラム)当たり50銭で、ハガキ一枚が1銭5厘だったことを考えると品質重視の高級路線で打って出たと考えられます。最初はその値段の高さとマヨネーズ自体の理解の不足からポマードに間違えられたなどというエピソードもありますが、毎日新聞に、「キユーピーマヨネーズを毎日の食膳に」という広告を打ち続けたことも甲斐あって売上げは年々伸びていきました。

 マヨネーズを売り出す傍ら本業の缶詰事業も継続し、キユーピーの兄弟会社に当たる「アヲハタ」を設立してミカン缶詰、オレンジマーマレードを市場に供給し始めます。なお最初に作った中島商店はその後、「中島董商店」という名前になり現在も食品販売を手掛けており、キユーピー、アヲハタと合わせた三社で一つの連合企業となっています。何気に今知ったしこの事実。

<戦後の混乱期も品質を崩さず>
 マヨネーズが普及するとともに追従する会社も続々と現れ競合品も出てきましたが中島董一郎は、「半端な物真似ヤローには負けねえ」と一顧だに介さず、事実市場でのキユーピーの優位は揺らぐことがありませんでした。この点は花王の長瀬富郎と全く同じだと言えるでしょう。
 ただ第二次大戦の影響はキユーピーにもおよび、原材料の仕入れにも事欠くようになっただけでなく工場も空襲を受けて消失してしまいます。仕切り直すこととなった戦後も品質重視の姿勢は崩さず、供給量が減っても原材料はケチらない方針を維持しつつ、適切なコストカットによって他社が付け入る隙を一切見せることがなかったそうです。

 なお戦後直後、あるレストランに訪れた客がシェフに今日のマヨネーズはあまりおいしくなかったと告げたところ、「申し訳ありません。経費上の問題からキユーピーのマヨネーズが買えず、米国製のマヨネーズを今日は使いました」と返事したというエピソードが伝えられており、為替格差が大きかった戦後直後でありながらキューピー製は高く、なおかつその味は米国製を上回ってたことが伺えるエピソードです。

<幾度かの危機を乗り越え>
 戦後の経済成長とともに事業が安定してきた矢先、日本食品業界の雄たる味の素が1967年、マヨネーズ事業に参入すると発表します。これには中島董一郎も当時は大いに慌てていたと伝えられる一方、「俺たちの味を維持すれば負けることはない」と某国のサッカー代表みたいなセリフを言ってガチンコ対決に臨みました。
 幸いにして味の素の参入は屋台骨を揺らがすほどには至らなかったものの、当時幅広く使われていた「チクロ」という人工甘味料が発癌性を持つ事がわかって使用禁止となり、これがマヨネーズに使われているという風評が立ってマヨネーズ業界にも逆風が吹きましたが、キューピー製マヨネーズには一切これが使われていないということがわかり、消費者から高い信頼を得てキユーピーに限っては追い風となるという事件に巡り合います。

 病気を重ねたことから1971年に中島董一郎は経営の第一線を退きましたがその直後、仕入先の食用油メーカーが生産した食用油から毒性を持つ塩化ビフェニールが検出されるという事件に見舞われます。この会社と取引関係にあったことからキユーピーのマヨネーズも疑いの目を向けられる中で中島董一郎は、「こうなったら倒産覚悟ですべて回収するしかない」と後継者に指示し、実際に市場から一切の自社製マヨネーズを回収するという行為に及びます。
 ただ回収されたマヨネーズは生産開始前の食用油に対する品質検査はすべて問題がなく、また回収したマヨネーズからもどれ一つとして件の毒性物質は出なかった上に厚生労働省による検査も「シロ」と断定されました。しかしキユーピーがこうした検査結果が出る前にも拘らず果断に商品回収に踏み切ったことが消費者からは支持されたことにより風評被害は一掃され、販売が再開された後はそれ以前と比べても暖かく消費者に迎えられたと言われています。

 この風評事件がひと段落ついてしばらく、中島董一郎は1973年に満90歳で逝去します。私の寸評を述べると自身の海外体験から舶来品を事業化するというのは他の創業家にもよく見られる例ですが、このキユーピーという会社に限って言えばマヨネーズ一本を常に変わらぬ味で提供し続けるという恐ろしいまでの愚直さには敬意を覚えます。はっきり言えば競合品が出やすい商品にも拘らず戦前から現在にかけてマヨネーズの代名詞として君臨し続けるその事業ぶりには、生前から徹底して高い品質にこだわり続けた創業家の精神をきちんと宿した会社であるという風に私は考えています。

  おまけ
 ここだけの話、私自身はマヨネーズの味が実は苦手だったりします。高校生の頃までは普通に食べてましたが大学に入ったあたりからキャベツの千切りには「ピエトロドレッシング」一本となり、マヨネーズをつけるくらいなら何もつけずに生で野菜食べようとするくらい敬遠するようになってしまいました。なおまだマヨネーズを使っていた高校時代までも、マヨネーズ+しょうゆという組み合わせてサラダは食べており、友人の目の前でこれやったらドン引きされました。

  おまけ2
 学生時代、下宿で後輩に夕食を振る舞った際にピエトロドレッシングを出したら、

「先輩、これ高いドレッシングじゃないっすか!?」
「おう、これやないとわし野菜あかんねん。気にせんでええからお前もどんどん使ってええで」
「ほんまっすか、ほな使わせてもらいます!」

 といって、かなりドバドバ使われました。「うまいうまい」言いながら食べる後輩の横でこの時は軽くちょっと睨んでいました。

  参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行

2016年9月28日水曜日

安倍首相の経済政策の欠陥

 昨夜は元同僚と上海市内のBARを三軒はしごしてたので二日連続でブログ休みました。三軒はしごしたと言っても私は最初の店でビール一瓶しか飲まず後はソフトドリンクで過ごしましたが、帰り際に後輩がブログに書いた話紹介したら「それマジ?」ってえらく食いついてきました。

 それで本題ですが日ハムの大谷選手が一安打完封で優勝決めたことは置いといて真面目に話すと、先日開会した臨時国会における安倍首相の所信表明演説に関する報道を見ていて言い方は悪いですが日本も韓国みたいになってきたなと率直に思いました。演説中に自民党議員が起立して拍手したことについてやたら「異例だ」、「有り得ない」と散々掻き立てておきながら以前の民主党政権時代にも同じことあったとわかるや途端にトーンが下がるなど、そもそも報じる価値もないどうでもいい出来事が何故これほどまで騒がれるのか理解に苦しみます。一方で演説の中身については誰も触れずに、根拠もなく「アベノミクスは破綻した」と書き散らす有様で見ていて本当に韓国の報道っぽいなぁと思えてなりません。
 ついでに書くと、昨日元同僚に大韓航空とこの前破綻した韓進海運は同じ財閥グループだと教えてもらいました。こういう大事な事実は普通のニュースに書いててもらいたかった。

 話は戻すと、アベノミクスが破綻しつつあるというのは私も同意見です。理由は非常に簡単で、アベノミクスには金融政策しかなく実態産業への政策は何もなく、オリンピック開催という好材料を持ちながらジリ貧のような景気に陥っている時点で無策としか言いようのない状態です。加えて頼みの金融政策もかなり打つ手が減ってきており、完全に打ち止めとまでは言いませんがインフレ目標を達成できなかった時点で黒田総裁は辞任すべきだったのかもしれません。

 実際に金を出すかは置いといて、具体的にどんな産業を奨励するのかという方向性を打ち出すことは経済政策において非常に重要です。しかし安倍首相はこの方面にはかなり無頓着というよりほかなくそのような発言は全く聞かれず、中国からの観光客などそこそこ追い風も吹いていながら悉くチャンスをふいにしてきているように見えます。もっともそれを言ったらほかの野党についても同じなので安倍首相にはこのまま在任してもらいたいというのは本音ですが、観光業でもロボット産業でも宇宙開発でもいいから頼むから何か音頭を取ってくれと言いたいのも本音としてあります。

 ちなみにこれは別記事に仕立ててもいいのですが、「日本は高い技術がある」という考えはもう早く捨てるべきだと私は考えています。自分も一時期メーカーに属して痛感しましたが、技術者というのは技術的優位のある分野については饒舌に語りますが、逆に劣っている方面については黙して全く語らない傾向があり、聞いてる側としては優位な話しか聞かないため勘違いを起こしやすい傾向があります。実際このところ調べているとスパコンを始め中国に技術力でとっくに追い抜かれている分野が多数あるもののそれらは日本ではあまり報じられず、日本が勝っている所だけしか報じられないため結構多くの日本人が勘違いしてしまっているのではと思う節があります。
 個人的に言いたいこととして品質と性能はどちらも技術の指標たり得ますが、異なるものだということをはっきりと意識すべきです。品質がいいから技術で勝っているというわけではありません。こうした点を理解して記事書く記者はいま日本にどれくらいいるんだろうな。

2016年9月25日日曜日

今日の休日の過ごし方

 昨夜夜中一時まで「ユグドラ・ユニオン」というゲームして遊んでいたため8時半になってからのそのそと起き出し、朝食食べた後から海外拠点データの整理をしていました。昼前になって外出しようかと考えた際に鏡を見たところ、左頬にできた出来物の痕が鬱血しており、皮膚の下がやや黒ずんでいるのに気が付きました。見た目にもかっこ悪いし早めに血を抜いとかないとほくろになりそうで嫌だったのでソーイングセットの針を取ろうと思って道具袋を漁った所、何故か先に目についてしまったのが画鋲だったため、そのまま鏡見ながら左頬に画鋲刺して血を抜きました。刺した感じとすれば後ろから押しやすいので案外刺しやすく血もいい感じに抜けましたが、その後で自転車こぎながら左頬に画鋲指す自分の姿を思い出してはじわじわと来ました。

 昼食には自転車で少し距離のある所へ移動して、回転ずしチェーンの「はま寿司」へ行ってきました。あまり知られていませんがここは一皿10元(約150円)とリーズナブルなことから上海ではどこも非常に人気で、この日も11時40分の時点ですでに長蛇の列が出来ていました。ただこの日は私一人で訪れたため一人席ならすぐに座れるのではないかという打算を持っていた所、やはりというか受け取った整理番号は216番でしたが185番の後にすぐに呼ばれてほとんど待たずに席へつけました。
 なお以前に上海人の友人と二回来ていますが、二回とも1時間弱は待たないと入れないくらいの大繁盛ぶりです。中国で日本の海鮮の普及がどうたらこうたらよく調査レポート出ていますが、突き詰めれば値段が安ければかなり殺到するんじゃないかと思うくらいの盛況ぶりです。

 今日は余り食欲がなかったため10皿(うちイカ2皿)と、抹茶白玉を食べて計11皿110元の出費で済みました。この「はま寿司」の何がいいかというとカウンター席が豊富にあるので一人でも訪れやすいということと、抹茶白玉を始めバナナパフェなどといったデザートがどれも10元で尚且つ豊富であることです。前来た時は13皿くらい食べた後で悩んだ挙句にバナナパフェ食べましたが、上海人からは、「よくそんな食えるね」と言われました。
 この日は食べ終わった後で、「イカをあともう2皿食べておけばよかった」と、少し後悔を持ちながら再び自転車に乗って帰宅し、家ではまたデータ整理にいそしみました。


 その作業中、何故かネットで見つけたのが上の画像です。なんでも「無限の住人」の作者の沙村弘明氏の短編のワンシーンだそうですが、読んで見て「ほんとにそうだ!」と妙に納得しました。

 夕方になって所用で本屋に行ってその帰りにATMで金下ろして朝食用の食パン(毎日一枚生で食べる)買って、キムチ買って、昨日炊いたご飯の余りをお粥にしましたが作ってる最中に跳ねた米粒が腕に当たり火傷を負う羽目となりました。香港だったらそこらへんにたくさんお粥屋があるのに何で中国本土はこんなにないんだなどと文句言いつつ、食欲がないのでお粥とキムチで晩飯を過ごし、多分後から腹減ってくるだろうななどと想像しながら今ブログ記事書いてます。

2016年9月24日土曜日

自分にしか書けない記事

 昨夜友人の上海人から提案がありあまり日本人が寄りつかない一帯で四川料理を食べていましたが、「頭の痛くなる話というのはあるが、ケツが痛くなる話というのはないかな」などと言いながらどっちもノーマルながら妙なゲイトークを繰り返していました。あと何故か二人ともビール頼まないで紹興酒を飲んでましたが、その際に以下のような会話も行われました。

「なんかビールより紹興酒のがいいよね( ゚∀゚)」
「紹興酒の方がおいしいと思う辺り、俺らもおっさんになったのかな( ・ω・)」

 話は本題に入りますが、Drマシリトこと週刊少年ジャンプの名編集者だったとして名高い鳥嶋和彦氏がこのところ各方面のインタビューに答える事が増え、それまで明らかになっていなかった舞台裏などについても言及されるので非常に面白く拝見しています。
 なお名古屋に左遷されたうちの親父は昔コンペで全員が賛成する中でこの鳥嶋氏だけが反対したことによって落とされたことがあり、普段は温厚な癖にこの時の件と団塊世代を批判する時はスーパーサイヤ人みたく本気で怒り出す辺り、相当根に持つ体験だったのではないかと思います。

 話は戻しますが鳥嶋氏のインタビューの中で、彼の代名詞ともなっている「ボツ」という発言についても触れられていました。意にそぐわぬ作品に対しては容赦なくボツこと書き直しをさせることで鳥嶋氏は有名で、彼をモデルにした漫画のキャラクターも大体がこのような傲岸不遜でえらそうなキャラクターとして描かれるほどです。
 このボツについて鳥嶋氏が語った理由を私の理解で述べると、漫画家は売れる作品を作るために売れると思う内容を描いて持ってくるがそういった作品は総じて売れる作品ではなく、ボツにして原稿を突っ返す度に次に何を描けばいいか漫画家は悩み、最終的に自分にしか書けない作品を持ってこさせるためだ、と説明していました。

 この中に出てくる「自分にしか書けない作品」とは文字通り、自身の特殊な体験や願望、知識を駆使した作品の事で、こうした要素は他の漫画家との差別化にもつながる上、読者にとっても興味の対象となり本質的に売れる作品となるそうです。方法はともかくとして言わんとすることは非常に理解できるもので、作品というのは突き詰めればどれだけ独自性というかオリジナリティを持つかに成否がかかってくるところがあり、何度も突っ返してもう他に出すものがなくなって最後になってそうした独自性が出てくるというのも理に適っています。

 ここで話題はまた切り替わりますが、上記の話を踏まえた上でこのブログで私にしか書けない記事とは何ぞやとふと考えました。どうでもいい親父の話もしてしまい前置きがかなり長くなったので、いくつかの記事ジャンルについて自分の感想を以下に記します。

・中国ネタの記事
 言うまでもなく、この分野であれば自分にしか書けない記事はかなりたくさんあります。しかしこのブログ自体が中国からは普通にアクセスできないため、中国ネタを書いたところであまりアクセスが上昇しないという現状があり、書く方の身としても実はあまりモチベーションが上がり辛かったりします。日本向けに意識すればまだ考慮の余地がありますが、上記のような理由から実はこのところこのジャンルの記事はリアルに減ってたりします。

・政治ネタの記事
 大きく出ると、下手な政治評論よりずっと上手くわかりやすく政治解説を行う自信はあるし、過去の事例と比較した記事となれば一流の記事を仕立てることも難しくありません。逆に自分の目から見て近年の日本の政治記事は視野といい論点といい非常にお粗末な記事が多く、何か新しい事実が報じられるたびに既存のニュースの掘り下げを怠り、レベルの低い記事を量産しているように思えます。特に国際政治報道となればもはや壊滅的で、毎日のように明らかに事実と異なる記事を平気で報じる新聞社もあるのでこの分野は自分にしか書けない物がたくさんあると自負します。

・サブカル系の記事
 そこそこ面白い物を描ける自信もある一方で、この分野はネット上に執筆者が多数いるため自分にしか書けないとなるとそういうものはほぼないでしょう。でも考えてみると、漫画やアニメの内容を討論するフォーラムはネット上にたくさんあるけど、政治だとそういうのってあんのかな。

・歴史ネタの記事
 恐らく自分が持つ最強カードの一つ。歴史学を専攻していたわけではないですが知識量においては完全に一般人を凌駕している上に、自分にしかない強みとして世界史と日本史を同時に学んで取り扱っていることがあります。日本史、西洋史、中国史それぞれに強い人はいくらでもいますがこの三つを同時に取り扱う人間となるとガクッと減り、たとえば満州事変を日本側、中国側の双方の視点から同時に迫れるとなるとそうそういないでしょう。惜しむらくは最近勉強する暇がないのと、周囲に相談できる人間が確実に減ってきているという背景があります。

・経済ネタの記事
 半々。専業で記者を今していないので得られる情報は少ない一方、メディアでは取り扱えない疑惑レベルの内容をブログでならばまだ触れられることもあるため一長一短です。ただ政治系の記者と比べて経済系の記者はまだまともだし勉強しているなと日本の記事見てて思います。

・IT系の記事
 決して専門家でもなく知識もほとんどないのですが、IT系の人って基本的に文章が壊滅的に下手なことが多く、IT系メディアの記事もそういった知識持った人向けに書いているため普通の人からしたら読み辛い物が多いです。その辺を考慮したら、自分がある程度把握している分野については意外とわかりやすく書ける自信があります。一言で言ってしまえば、細かい要素は省略していいのにIT系の人は何故か全部書こうとするからダメなんだと思う。

・労働系の記事
 何気にトップランナーだと内心思ってる。派遣マージン率の記事を書いていることが大きいですがそれ以上にこの方面の内容を新聞記事に書く人は基本的に正社員で、非正規労働者の立場でない上に彼らの立場で書こうとしない人が多いです。手っ取り早く派遣労働者に記事書かせた方がずっとおもしろくなるのに。
 なら私はどうかといえば派遣以下の現地採用を経験していることもあってこの方面に関しては適度な距離で物を書けている気がします。そもそも月給四、五万円であくせく働く中国人とかも普通に見てるし、日本の派遣労働者を特別可哀相に見ないことが何より大きいのかもしれません。

・自分の体験記事
 自分で読んでて本気で面白く感じる時もあり、密かに結構自信があります。人生一つとっても自分ほど波乱万丈な人間はそれほど多くないし、なにより突然妙な行動起こして逆境に入った後からの立て直し方が激しいので十分絵になる気がします。

2016年9月22日木曜日

五年遅かったもんじゅの廃炉議論

 今から五年前の三月、東日本大震災直後に上海の居酒屋にいた私は上司を目の前にして、「これでもうプルサーマル計画も終わりでしょう」と言いました。その言葉を聞いた上司は、「まさか上海でプルサーマルという単語を聞くとはな」と苦笑していましたが、後から聞いたらこの時の私の発言を評価してくれていたようです。

もんじゅ廃炉方針 「30年協力してきたのに」地元・敦賀は困惑(産経新聞)

 私の言ったプルサーマル方式とはまた異なりますが、高速増殖炉もんじゅについてようやく廃炉を視野に入れた議論が始まりました。結論から言えばこの議論は五年前には始めておいて既に完了させておかなければならなかった議論だと考えており、議論が始まったことは歓迎すれどももっと早くにしておけばという後悔もどうしても出てくると言ったところです。

 そもそもまず高速増殖炉とは何ぞやですが私なりに簡単に説明すると、普通の原子力発電所(軽水炉)で消費した燃料の残りカスをこねこね混ぜ混ぜした後でもう一回燃やして発電する発電所といったところです。より深く説明すると、原発ではウランを燃料に使っており一回燃やした後はプルトニウムを微量に含む燃えないウランになります。このウランからプルトニウムを抽出して別の種類のウランと混ぜ合わせることでプルトニウム濃度を高めたMOX燃料という新たな燃料を作り、この燃料を専門的に燃やすための発電所が上記の高速増殖炉もんじゅというわけです。
 ついでに書くと高速増殖炉発電とプルサーマル発電の違いは、MOX燃料のプルトニウム含有量の差で前者が約20%、後者が4~9%だそうです。ほかにも違いはありますが正直あまり理解できてないのでこの辺でご勘弁ください。

 この高速増殖炉方式だとどんな利点があるのかというと、いわゆる核燃料サイクルというものが理論上発生します。これはどんなものかというと、上記の通りに高速増殖炉は普通の原発の燃えカスを燃料に使うので、言うなれば核廃棄物を燃やしてさらに発電できるということとなります。また高速増殖炉でMOX燃料を燃やすことで今度は普通の原発で燃料として使えるウランが副産物として生まれ、このように普通の原発と高速増殖炉を往復することで燃料を余すことなくエネルギーに変えられるため、さすがに無尽蔵というわけにはいきませんが資源の消費を極限なまでに抑えることが可能となる上に核廃棄物も一緒に減らせるわけです、実現できればの話ですが。

 一見すると夢のような循環なだけに日本を始めフランスやロシアなども高速増殖炉を作って実証を試みましたが、今の所成功したと言えるような実績はなく、過去には米国もプルサーマル方式にチャレンジしましたが20年実験し続けた結果、不可能と判断して諦めています。なおさっき調べたらロシアでは2014年に実証炉が稼働して実用化に目途がついたと書かれてありましたが、少なくとも日本はついてく立場に入るべきでフロントライナーに挑戦すべきではないと思います。
 そう考える理由というのも、この高速増殖炉もんじゅが全く話にならない代物だったからです。1991年の建設から現在に至る25年間でまともに発電したことはほぼなく(通算100日程度)、常にトラブルを起こして停止されたまま毎日5000万円の維持費だけが空費され続けました。っていうかこんなのに毎日5000万円出すなら少しでいいから分けてほしい。

 またもんじゅを管理する組織も一言でいえば腐っているとしか言いようがなく、金属ナトリウムが漏れ火災を起こした際は事故を隠蔽し、その後も必要な点検をサボっていたり監視カメラが壊れているのを放置したりするなど、危険な核燃料を扱う組織としてはとても信用できるレベルではありませんでした。しかもトラブルの度に担当者がよく自殺しており、それにもかかわらず態度というかモラルが改善されないというのも見ていて不思議に思います。

東海村臨界事故について(陽月秘話)

 ここでまた懐かしい自分の記事を引用しますが、もんじゅ向けではなく同じ高速増殖炉の「常陽」向けの燃料を作っていた東海村にあるJCOでは1999年、燃料製造中に臨界事故を起こし作業員二名がなくなるという痛ましい事故を起こしています。一人や二人の犠牲なんてほとんど気にしない私ではありますが、この事故に関しては全く別でどれだけ原子力というものが恐ろしいものなのか、そしてそれを管理する能力が日本にはなかったということを証明する上で忘れてはならない犠牲だったと今この時点においても思います。
 東日本大震災とそれに伴う福島原発事故時の東電の対応を見て、根本的に日本は原子力を扱うべき国家ではなかったと当時私は思いました。だからこそ福島原発以上に危険度が高く、なおかつ無駄な金食い虫のもんじゅとプルサーマル計画は直ちに廃止すべきだと五年前に考えたわけですが、政府がこの決断に至るまでには五年かかったわけです。もっとも五年かかったとはいえ、この結論にたどり着けただけ幸いだったと言えるでしょう。

 最後に余談ですが、東海村の事故を書いたのはなんと七年前で、改めて読むと当時はこんなに短い記事で一本出してたんだなと何やら不思議な気持ちにさせられます。というより、現在が毎日書きすぎなんじゃないかって話になるわけですが……。

2016年9月21日水曜日

今年のプロ野球

 今年はセリーグで広島カープが25年ぶりに優勝を決めこれだけでも話題性に事欠きませんが、パリーグの方でも10ゲーム差以上突き放されていた日ハムがソフトバンクに追いつき、同率首位で今日からの三連戦を迎えるなどなんか神がかった展開が多いです。三連戦の第一戦目の今日は日ハムの至宝である大谷選手が先発で1失点に抑えて勝利しましたが、日ハム側も2点しか取れずわずか1点差で決着がついており、ソフトバンク先発の千賀投手も負けたとはいえこの大一番で見事な働きを見せており、まさに天王山と呼ぶにふさわしい試合内容でした。

 上記の試合内容を含めて、今シーズンのプロ野球は最初から最後まで非常に面白い展開が多くここ数年では最も面白いシーズンだったのではないかとまだ終了すらしていないのに早くもこう思わせられます。セリーグも首位争いは終了しましたがまだ二位争いは続いており、しかも争っているのが巨人とベイスターズという、前者はともかく後者は史上初めてプレーオフ進出を先日決めており、横浜ファンというわけではないものの非常に長い暗黒時代(カープはもっと長いが)を経ての今年の活躍には涙腺すら緩みそうです。
 しかもベイスターズは番長こと三浦大輔選手がとうとう引退を発表しました。この前の引退会見では球団やファンに25年間支えてもらったと話していましたが、あんたの方が25年間ベイスターズを支えていたんだろと読んでて叫びだしたくなる会見内容で、また色々とこみ上げるものがあります。

 一方、後輩が贔屓にしている阪神は金本新監督のもとで心機一転かと思いきや最下位争いを演じるなど芳しいものではなく、カープがホーム優勝をかけた日に巨人に負けて優勝ストッパーを果たすなど最後までオイオイとツッコみたくなるシーズンでした。もっともそれを言ったらヤクルト、中日なんかシーズン通して一瞬たりともよかった日々はなく、呪われてるんじゃないかってくらい怪我人が続出したヤクルトなんかまだしも中日に至っては途中で谷繁監督が解任されるなど内紛も激しく、いくら中日嫌いの私ですら見ていて選手らが不憫に感じる程でした。まぁ別にいいけど。
 あと今日、オリックスでかつて新人王もとった小松選手が引退を発表しました。この人も新人王を取った年は無類の活躍を見せこれからこの人を中心にオリックスは廻っていくだろうとすら思ったのに翌年から人が変わってしまったのではないかと思う成績が落ちていき、期待が大きかっただけに寂しさもひとしおに感じる引退発表でした。

 最後、蛇足かもしれませんが今年のカープ優勝を見て、マエケンこと前田選手が居合わせないということも非常に残念ですがそれともう一つ、元広島で現在楽天にいる栗原選手の事も考えると胸が詰まる思いがします。本当にカープの暗黒期を4番として支えていた人だけに、ここに栗原もいたらと思えてならず、なんかの優勝パーティとかに呼んであげたらと妙なことを願ってる次第です。
 それにしても、カープに返ってきた新井選手がここまで活躍するとは思いませんでした。阪神ファンからすればなんだこの野郎と言いたいところですが、広島あっての新井選手だったんだなと今季の活躍を見るにつけ思います。

2016年9月19日月曜日

築地盛土問題の石原元都知事関与について

「日本は孤立化」=南シナ海でけん制―中国(時事通信)

 本題とは関係ありませんが上のニュース見て中学とか高校とかで友達いない奴に限って、「あいつ孤立してるよなぁ」などとやたらと周りの人間関係を口にする奴を思い出しました。そう思うと中国もまだまだかわいいもんに思えてきます。

建物下に盛り土なし工事、石原元知事が契約承認(TBS)

 それで本題ですが、本当は今日はブログ書かずに色々作業しようと思っていたのですがそうもいかなくなったのが上のニュースです。リンク先を見てもらえばわかりますがこのところ世間の注目を集めている築地新市場の建物地下に当初予定していた盛土がなされていなかった問題について、工事開始当時に在任していた石原元都知事が契約を承認していたと報じられています。インタビューに対し都合の悪い事には何も言わないことに定評のある石原元都知事なだけに投げやりな態度を見せていますが、この記事を見て私は「ああ、やっぱり」という言葉がよぎりました。

 後出しジャンケンのような書き方となってしまいますが、明確な根拠もなく予想だけ書くのはまずいと見送ったものの本当は三日前の時点で記事書きたくて友人に愚痴ったほど、この問題の張本人は石原元知事と当初から睨んでいました。そう考えた理由は後付けでいくらでも説明できますが私の中では実にシンプルな理由からで、先週テレビで石原元都知事が答えたコメントを見てピンときました。
 具体的にそれはどんなコメントだったのかというとこの盛土問題について、「僕は騙されたんですね」と答えた一言です。自分の与り知らぬところで工事方法が変えられていた場合、私の知る石原元都知事の性格ならばまずは「よくも騙しやがってこの小役人が!」と激怒した上で、担当者とその周辺を口汚く何度も罵った上で関係ない人間とか国を引き合いに出して八つ当たりをするようにしか考えられませんでした。それが上記のコメントの様にややもすると他人事のような感想を述べた当たり、「ああ、これきっとこいつも噛んでたんだな」と直感的にわかりました。最近分かってきたけどこの手のタイプってカマかけるとすぐにボロ出す癖あるな。

 恐らく今後の出方も、「自分は誤った説明を受けて騙されただけ」、「契約を承認しただけ」などという言葉を繰り返すだけで、その自分を騙した相手に対する糾弾は一切しようとすることはないと予想します。次に気になるのは舎弟の猪瀬元都知事がどう動くかで、今後の展開はそれ次第かなという気がします。

 最後にまた関係ないですが、漫画の「デスレス」の最終巻を買ったついでに同じ作者の「アカンプリス」というギャグ漫画を買ってみたのですが、多分面白いと思うのですが「ヒナまつり」の最新刊を読んだ後だと誇張でなく全く笑えませんでした。なんかこんだけ持ち上げているとステルスマーケティングしているような感じもするな。

2016年9月18日日曜日

現代銃火器すべてを生んだ男

 ホラーゲームの名作として名高い「バイオハザード2」に「ブローニング・ハイパワー」という拳銃が出てきます。中学二年生の頃にこのゲームを遊んだ私はこの名前を見てハイパワーというのだから強そうだと感じたもののゲーム中ではほぼ最弱の拳銃ということもあってラクーン市警察署を抜けた当たりからはもう使わなくなるのですが、何故だか知らないけどこの銃の名前だけはその後もずっと覚えていて、ひょんなことからその設計者の名前を知ることとなりました。

ジョン・ブローニング(Wikipedia)

 ジョン・ブローニングは銃砲店を営む父の元、米国ユタ州オクデンで生まれます。モルモン教徒だった父親には妻が二人いたためたくさんの異母兄弟に囲まれた中で長男として生まれたブローニングは早くから父親の仕事を手伝い、その逝去後にはほかの兄弟たちと共に店を切り盛りするようになりました。
 店の運営などを弟たちに任せ銃器の開発、整備を担当することとなったブローニングは自らライフル銃を改造して自作し、これを店で販売したところその性能の高さからオクデン中で大ヒットし、評判を聞きつけた米国有数の銃器メーカーであるウィンチェスター社からオファーが来ることとなりました。ブローニングの作ったレバーアクションライフル銃の性能を認めたウィンチェスター社は早速ブローニング兄弟に特許権の買い取りを申込み、ブローニングらもこれを承諾したことからその後の生産販売はウィンチェスター社に移りましたが、その後この銃は「ウィンチェスターM1885」として売り出され商業的にも大成功を収めることとなります。

 この一件から協力関係となったウィンチェスター社にブローニングは続いて開発したライフル銃も特許も売却し、買い取ったウィンチェスター社の方も製品化して売り出したところ大儲けしたことから、「今度はショットガンだ!」とばかりに新規ショットガンの開発をブローニングへ依頼します。この際にブローニングは二年以内に開発してみせると述べ実際には八ヶ月後にして早くも開発してのけたのですが、これが世界初のレバーアクション式ショットガンの「ウィンチェスターM1887」となります。
 その後、ブローニングはショットガンの構造改良にさらに取組み、より速く、より正確に弾込できるように思いついた方法がポンプアクション方式といって、銃身をスライドさせて次弾を装填するという構造のショットガンを思いつき、こうして出来たのが「ウィンチェスターM1897」です。イメージ的にはアーノルド・シュワルツネッガーが映画の中で銃の前方部を引いたりしてから撃つのがこの手のポンプアクション方式ショットガンで、つまり現代にも続くショットガンの基本的構造がこの時に誕生したというかブローニングが生み出したと言いたいわけです。

 上のショットガンの開発エピソードだけでも十分歴史に残る大発明ですが、ブローニングは上記の開発後に再びウィンチェスター社から今度はライフル銃を一から作ってみないかと開発を持ちかけられ、二ヶ月以内に作れたら一万五千ドルのオプション料金を支払うとまで言われました。それに対してブローニングは、「一ヶ月で作るからその時には二万ドルくれ。一日でも遅れたら一銭もいらない」と条件を提示し、でもって本当に作ってしまったのがウィンチェスターM92で、発売以降ずっとバカ売れし続ける空前の大ヒット商品となります。

 その後、「もっと便利で強力な銃なんてできないかな」と個人的に開発を続けていたブローニングが注目したのは発射時のガス圧でした。火薬を破裂させる際に出るガスを使って次弾を即装填できないものかと思い付き、そして実現させてしまう当たりはもはや天才というより他ないでしょう。こうして、発射時のガス圧で次弾が自動で装填されるというガス・オペレーション方式を編み出したブローニングが開発したのが現代でいう機関銃でした。
 それまでの機関銃というかガトリングガンは弾丸を自動で発射することはできても装填までは自動ではやっておらず、ハンドルを手回しして次弾を常に繰り入れていかなければならなかったのですが、ブローニングの作った機関銃はその装填までも自動で全部やってくれるという、洗濯機で言えば二層式が全自動になるくらいの画期的な発明で、それ以前の手回し式ガトリングガンを完全に過去のものとして一掃させるほど強力な兵器となりました。

 このガス・オペレーション方式をブローニングは機関銃から拳銃にもその後応用し、リボルバー式自動拳銃を作ってこの特許権をコルト社に売却し、この特許を元にコルト社は世界初のオートマチック式拳銃を発売するに至ります。一方、この間にかつて蜜月関係であったウィンチェスター社とは契約金関連で揉めることが多くなり両者は完全に決別するまでに至ります。代わりにブローニングの商売相手となったのベルギーのFN社で、FN社向けに改造を行った自動式拳銃「FNブローニングM1900」はヨーロッパ中で大ブレイクしてベルギー国王からもブローニングは勲章をもらうほどでした。
 ちなみに「FNブローニングM1900」は合理的な構造からくる故障の少なさと正確な射撃能力、携帯性から当時非常に評判で、更に改造が加えられた「FNブローニングM1910」も数多く販売され、サラエボ事件のオーストリア皇太子殺害にも用いられています。

 FN社との提携関係が強まったブローニングはわざわざ家族とともにベルギーへ移住して晩年もベルギーで過ごしました。この間にも半自動ショットガンを作ったりするなど最後まで旺盛に銃器開発に取り組んでいたそうですが、彼が生前に設計し集大成とも言える自動拳銃が最初に書いた「FNブローニング・ハイパワー」で、この銃は拳銃でありながら高い装弾数と異常に頑強な構造からこれまた世界的に大ヒットし、この拳銃に使われる弾丸のサイズが世界の拳銃用弾丸の標準サイズ(9x19mmパラベラム弾)となるほど世界中で遍く使われました。
 何がすごいかってこの銃、設計自体は1920年代にもかかわらず「バイオハザード2」を始めとして現代でもそのままで使われていることです。またこの銃の構造は完全に拳銃のスタンダードとして君臨しており、この構造以外の銃を現代で捜す方がむしろ難しいでしょう。

 以上がブローニングの一生ですが、ポンプアクション式ショットガンから機関銃、自動拳銃まで、現代における主要銃器の基本構造をほぼすべてこの人一人で発明しているというのは、改めて考えるだに恐ろしいまでの天才だったというよりほかありません。このブローニングの影響からかまではわかりませんが彼の故国である米国では自動小銃の導入が非常に早く、ブローニング自身が設計したM1918やM1カービン(何気に設計者はジョン・ブローニングの弟)といった自動小銃(アサルトライフル)を他の国に先駆けて部隊に配備し、弾込の動作がいちいち必要だった日本のライフルを各戦場で圧倒していました。
 妹尾河童氏も著作の「少年H」で進駐軍が持っていたM1カービンを見て、「弾込動作も必要なく自動で連続発射できるこんな銃持った相手に勝てるわけない」と衝撃を受けた体験を書いています。本人は射撃部所属だったからなおさらだったろうな。

 ベタな話ですが何故ブローニングを取り上げたのかというと、一人の天才がどれほど世界に大きな影響を与えるかを示す好例だと思えたからです。またその天才を引き上げたという米国の腹の深さといい、こうした点が二次大戦でもやはり大きく影響したと思え、如何に天才を物にするかということが大事なのかとブローニングの一生を見ていてつくづく思います。
 なお自分が一番好きな拳銃は「グロック17」と言って、強化プラスチックを大量に使った初めての拳銃です。作ったグロック社はプラスチックメーカーでそれまで銃器を一切作ったことなかったのにベストセラーとなる銃を出す辺りベンチャー魂を感じるのと、直角の強いフォルムがシンプルかつ無骨で何とも言えません。ただバイオハザードだとあんまり出て来ず、コードベロニカに出てきたくらいかな。

2016年9月16日金曜日

満映と中国映画の系譜

【画像】 観光客の自撮りにうんざりする奈良公園の鹿の写真が話題に(痛いニュース)

 関係ないですが奈良の鹿話なので一応。基本的に鹿はカメラを向けると目線を真顔で合わせてくるんでカメラ写りがいい動物だと信じています。

 話は本題に移りますが、今月の文芸春秋で気になった記事の中に満映こと満州映画協会関係者の記事が載せられていました。どういう記事かというと戦前に満映で編集係として活動していた女性を取り上げ、その方が死ぬ前にもう一度と満州こと現在の中国東北部にある吉林省長春市を訪れる話です。
 満映自体が戦前の会社であることから想像がつくでしょうがこの取り上げられた女性の年齢は現在95歳で、一人で歩行できるものの大事を取って車椅子で移動することにして長春を訪れていました。旧満映本社は現在、市の映画博物館となっており、この女性の訪問に際して入り口では元座員の館長とともに、かつて満映でこの女性から映画編集技術を教わっていた御年94歳の中国人男性もやってきており、二人は一目見るなり「懐かしい!」といって手と手を取り合ったそうです。少なく見積もっても60年ぶりの再会ですが、リアルにキャプテン・アメリカみたいな再会を果たしていました。

 話を戦前に戻すと満映で編集係として活動していたこの女性は終戦後はすぐには引き揚げず、しばらく満映に残り中国人スタッフへの指導を行っていたのですが、中国で共産党と国民党の戦争が過熱するに伴い映画関係者らは長春より北の地域に移動させられ、そこで指導を続けていたそうです。その後一旦は長春に戻ったもののすぐに日本への退去命令が出されたためこの女性が日本に戻ったのは1950年代に入ってからなのですが、この時期に指導していた中国人映画関係者が後の中国映画草創期の人材となっていくわけです。
 具体的にはこの時に育てられた人材が中国の映画養成所の指導者となり、この養成所からは世界的にも有名なチャン・イーモウや、私が文化大革命の連載で一次資料とした「私の紅衛兵世代」を書いたチェン・カイコー(陳凱歌)といった監督陣を輩出しており、こうした点を考慮すると満映の系譜は現代の中国映画に連なっていると言っても過言ではありません。

 私の学生時代に中国語の講師だった先生がまさにこの方面の専門家で一回だけ授業で詳しく教えてもらったこともありましたが、現在の中国映画業界には上記の様に満映をルーツとする流派と、香港映画をルーツとする流派が存在しており、両者が混ざり合った状態が今の中国映画業界だと言えるそうです。ただ先ほどの陳凱歌を始めとして映画業界は思想宣伝に関わる分野であったことから一定の年齢以上の層はほぼ例外なく文革の影響を受けており、最初に取り上げた女性と再会した中国人男性も、当時の思想弾圧によって最初の妻は自殺し、本人も辛酸を舐める生活を一時余儀なくされたということを話しています。

 逆を言えば、中国映画には必ずと言っていいほど文革の影が纏っているとも言えます。何気に昨日に友人とも話したし一昨日には上司とも話をしたのですが、今の映画関係者は文革と天安門事件を経験しておりその時の体験が嫌が応にも作品に現れてしまうし、そうして浮き出てくる要素こそ中国映画の魅力というか長所にもなっていると言えるでしょう。日本においても戦争体験と全共闘の二つが映画業界の中で重きをなしているというか重要な要素で、こうした広く共有されている強烈な体験こそいい映画を生む条件なのかもしれません。
 翻ってアメリカ映画を見るならば、あんま詳しくはないですがやはりベトナム戦争がかつては一番大きく、現代においては9.11でしょう。むしろ9.11なしに現代のアメリカ映画は語れず、この要素をどれだけうまく、静かに表現できるかによって作品の優劣が決まるというところもあり、「アバター」、「ハートロッカー」や「アメリカンスナイパー」等はまさにその典型と言えるかと思います。

2016年9月15日木曜日

最近買った漫画、主にヒナまつり11巻

 昨夜、待ちに待った念力使える少女とインテリヤクザのドタバタギャグ漫画「ヒナまつり」の11巻が発売されたため、深夜にもかかわらず電子書籍版をダウンロードして(何度も失敗しつつ)夜中に笑い転げてから眠りました。この巻に収録されている話の中身についてネット上では、「くつ、なめますから!」というセリフが見どころとしてよく取り上げられていましたが、個人的に一番ツボにはまったセリフは、「新田が不幸過ぎてヤバイ」でした。

 この漫画は結構巻数を重ねていますがギャグの切れは全く落ちておらず、対抗馬の「監獄学園」がやや引き延ばし傾向が目立ってきて面白さがなくなってきたこともあり、今連載中の漫画の中で何が一番面白いかといったら私の中では間違いなくこの漫画が上がってきます。
 この漫画のギャグの特徴としては、話の構成が優れていることもさることながらこの作者はコマを外さないというべきかここぞというところで確実に大ゴマを振り、そのコマが見事なくらいにその直前の場面からの展開が上手く、単純コマ使いが非常に上手い作者だと思います。なんでもこの漫画がこの作者にとって初めてのギャグ漫画だったそうですが、どうしてこれほどのセンスをそれ以前からも発揮できなかったのか不思議に感じるくらいの凄みを覚えます。

 引き続いて別の漫画ですが、Kindleで1~3巻が無料だったので「無限の住人」も購入しました。タイトルだけなら前から知ってて擬音に漢字が使われるっていうこと以外は全く知らなかったのですが、読んでみてこれもとても面白かったです。内容は江戸時代を舞台にした自体劇物で、父親を殺された一人娘が仇討のため切っても刺しても死なない不死身の剣客を雇うという話ですが、剣客物のだけに戦闘シーンが非常に多いものどれも見事な画力で表現しており、動きも激しいながらきちんと描き切っています。しかも背景もめちゃきれい。
 ただ、この漫画を読んでて気になったのは画力よりも画風です。作者の沙村弘明氏のWikiを見ると美大学生時代は大友克弘氏の影響が強かったと書かれていますが、この無限の住人に関して言えば一目見て、「ああ、冬目景だ」と思いました。っていうか「黒鉄」。

 冬目景氏というのはこちらも漫画家で一般層の認知はそれほど高くないものの熱狂的なファンが非常に多い作者であるのですが、沙村氏の漫画を見て何故冬目氏が出てくるのかというと画風が完全に一致しているからです。どちらも非常に特徴的な描き方をしておりページ全体がデッサン風にクロッキーで書いたかのようなざらざらとした質感の絵で、風景画の中に実際の頭身に忠実なキャラクターが動くような描き方をしています。
 それもそのはずというか冬目氏は沙村氏が美大で入っていた漫研の先輩だったそうで、冬目氏によって沙村氏は女装させられたこともあったそうです。っていうかひどくね?

 最後、これは今日一気に六冊まとめ買いしましたが「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」です。この前にやってた火砲の歴史で西欧で初めて火砲が集中的に軍事運用された戦争はフス戦争だと書きましたが、まさにこのフス戦争で銃火器を使って戦ったフスは農民軍に参加する少女を主人公とした漫画で、前からも興味ありましたがフス戦争についてちょいと調べたし、ちょっとメジャーでない漫画を読みたいと思っていた矢先なのでマルクス主義的に今が買い時と決心して買っちゃいました。なお私が「マルクス主義的に」という言葉を使う際は、「空虚な、意味のない」という意味合いで普段から使います。
 この漫画を読んでて思ったのは、ストーリーについては実際の歴史をよく読みこんで非常によく寝られているなと思い、絵については当時実際使われたマスケット銃、大砲、ワゴンなどをしっかりと書かれてあり歴史を題材に取った漫画としては必要十分な条件を揃えているという気がします。ただ少し気になった点としてはただでさえ一般人に馴染みの薄い中世ヨーロッパ世界で神聖ローマ皇帝や教皇、プラハや公会議といった単語が頻出され、読者の理解が追い付く前に展開が早く進んでしまっているのではと思う節があります。

 漫画において展開は早ければ早いに越したことはありませんが、歴史漫画の場合はどうしても歴史背景や事実関係を読者が追わなければならないため、背景や補足説明なりをナレーションやキャラクターを使って行わなければならず、この「乙女戦争」もやってないわけではありませんがもうちょっと多めにやっておいた方がよかったのではという気がします。あと、戦争の場面ではもう少し火力の威力がわかるように表現できればというか、はっきり言って表現しきれていないとも見え、この辺りは少しテコ入れすればかなり良くなる場所であるようにも見えます。
 なおこの漫画でうちでも外でもいつでも素っ裸のキリスト教異端派が出てきて彼らが登場する会はいつも彼らは素っ裸でいるのですが、みんながみんな素っ裸でいる場面を見る度に私の中では漫☆画太郎氏の名前が何故か浮かんできます。


     

2016年9月13日火曜日

蓮舫氏の二重国籍問題に関する嘘

 最近誰も話題にしなくなりましたが夏目三久氏と有吉弘行氏のあの結婚騒動は一体何だったのかなとふと気になりました。文春が後追い報道しなかった時点でデマだとすぐわかりましたが、「生放送で否定していない」、「事務所がきっと隠している」などとこのデマを必死で信じようとしていた連中はなんだったのかな。
 今日の話はホットな話題というか説明するまでもない蓮舫氏の二重国籍問題についてです。結論から言えば議員辞職してやり直せというよりほかなく、この期に及んでまだ嘘をついている点を含め他人に厳しく自分に甘いその態度は軽蔑に値するでしょう。

 まずこの問題の第一報を報じた媒体について、当時ちょっと確認していなかったのですが先程ネットで調べた限りだとアゴラだったように言われています。本来、他のメディアがこのような疑惑を報道する際はちゃんと情報出所を書かないといけないのですが大手紙なんかは以前も週刊誌発の疑惑を出典をごまかして報じるなどこのところ呆れた態度を取ることが増えているだけに、今回も出典がアゴラだと書かないし言わないのも納得できる上、私が把握していなかったのもそれが背景だと思われます。
 なお実際私も経験していますが大手紙の雑誌、ネットメディア軽視は非常に根深いものがあります。ひどいのは私の昔の編集長で、私が取材して聞き出した内容よりも他の大手紙の間違った記事内容を信じて、「嘘書くんじゃねぇ!」と散々に罵倒された挙句、私の書いた記事内容が後でやっぱり正しかったとわかるや、「じゃあそのまま出して」とスルーされたこともありましたが、ライター内でも「大手紙の記事は神聖にして不可侵」という概念があるから鬱陶しかった。

 話は戻りますが今回のこの騒動では大きく二つ問題があると私は考えています。一つは言うまでもなく蓮舫氏が二重国籍を保持したまま国会議員をやっているという点で、二重国籍を認める国も確かに存在しますが日本の場合は成人には認めておらず(未成年はOK)、蓮舫氏の現状は間違いなく法律違反を犯している状態です。まぁ捜せばほかにいくらでも出て気はしますが、法律に違反し続けている人間が国会議員をやってるなんて冗談もいい所で、ましてや国籍という非常に基礎的な条件でやらかすなんてわざとでないにしても笑わせるなと言ってあげたいです。
 もう一つの問題点としては、まだここまで深く突っ込んでるメディアはありませんので私が言いますが、蓮舫氏は明確に複数の嘘を今回ついています。一つ目と比べてこっちの問題の方が重いように私は思え、この一点で以って議員辞職にも相当するミスを蓮舫氏は犯しているともっと追究されるべきでしょう。

 では蓮舫氏がどんな嘘をついたかですが、一番大きなものとしては「既に国籍離脱をしていたと思っていた」という嘘です。既にあちこちで検証されていますが当初は出生時から日本国籍単独であると主張しておきながら途中で17歳の頃に父親と共に離籍手続きを取ったと本人は話してます。一方、過去のインタビューでは25歳時に台湾国籍を維持している(ついでに誇りも持っている)と述べており、一年や二年の差だったら思い違いも分からなくはないですが、この期間の差から考えると離籍手続きを取っていなかったことを初めから認識していたと考える方が自然でしょう。
 よくこの手の問題で日本のメディアはやたら本人の意見を重んじますが、政治家なんだから本人が何言おうが有権者がどう考え、信じるか否かの方が重要でぶっちゃけたところ本人が何を言おうが関係なく、自分がどう思うかが一番肝心というのが私のスタンスです。

 もう一つ、明確に嘘をついていると私が思う点は台湾大使館(便宜上この表記を維持)への国籍変更手続き有無の確認日時です。蓮舫氏は本日13日早朝に二重国籍状態であることを認め陳謝し、確認を求めていた台湾大使館から昨日12日夕方に連絡があったと述べました。しかし、実際大使館で働いたわけじゃなく断言できるものではありませんが、国籍の有無について確認するのに普通それほど時間がかからないように思えます。今回の騒動は先月末に第一報が出ており先週一週間フルに報じられ続けたことを考えると、この間に確認の返事位受け取ることは可能だったのではないかと思います。
 そして何より、今日が13日であるという点を考慮しても嘘をついているようにしか思えません。一体今日13日はどんな日なのかというと、民進党代表戦における地方議員、党員、サポーターの郵便による投票が締め切られる日であります。仮に今日より以前に二重国籍を認めてしまうと上記の投票が減る可能性があり、逆に代表選本選の15日以降に認めてしまうと、「わかっていたら投票しなかった」などとケチがついて仕切り直しの再選など当選取消を受ける可能性があるため、敢えて今日の13日か明日14日を狙って発表したのではないかと思えてならず、それくらい作為を感じる発表日程であるだけに確認日時は偽っている可能性が高いと私は見ています。

 別に私は政治家が嘘をついちゃだめだなんてそこまでの理想主義者ではありませんが、現状がどれほど異常であるかを本人が理解していない上になおも代表選当選にこだわる蓮舫氏のこの姿勢は政治家としても一個人としても理解の出来るものではありません。自民党側の視点に立てば、このまま蓮舫氏が代表選に当選してくれれば民進党を攻撃する格好の材料が得られるため敢えて今は批判を抑えているようにも見え、どうせ当選した所で本人はおろか党の足を引っ張ること羽目に見えてるだけに本気で政治のこと考えるならば今は一歩身を引く一手しかありません。それすらも把握できていないのであれば政治家なんて向いおらず、言ってしまえば論外以外の何物でもないでしょう。

  おまけ
 最後どうでもいいですが、ウシジマくんのマサル死ななくてなんかほっとしちゃった。

2016年9月12日月曜日

本名とハンドルネームの狭間で

 先日、リクルートスタッフィングに対して数年ぶりに電話取材を敢行した際、電話口で最初に述べた第一声は、「お忙しいところ失礼いたします。私、フリージャーナリストの花園祐という者です」という口上だったのですが、これを言いながら、「何がフリージャーナリストやねん、っていうか花園祐って誰やねん(笑)」と思えてきて吹き出しそうになりました。
 言うまでもありませんが「花園祐」というのはハンドルネームであって本名ではありません。本名はこのハンドルネームと一文字も被っていないどころか文字数も違うし、高校時代に使っていた筆名もまたこれとは異なるのでこっから私の人物を特定するのはほぼ不可能と言えるのですが、冷静に考えるとこのブログを通して私のハンドルネームを知っている方は恐らくそこそこいて、多分その数は確実に私の本名を知っている人数を上回っていることでしょう。

 なもんだから、果たして自分の名前としてどっちが適当なのかなとふと思う時があります。本名は戸籍にも使われている名前だし法制度的には間違いなくこっちの方に分がありますが、こと人物の識別、伝達においてはハンドルネームの方が圧倒的に優位です。っていうかブログ始めるに当たってパッと思いついた名前だというのにそこそこ浸透してきたなと思えてなんかいろいろと複雑です。
 なお名前の「祐」という字は友人の名前から一字拝領したものですが、その友人からは私のハンドルネームについて「少女漫画家っぽい名前に見える」と言われ軽いショックを受けました。

 そんな名前にこだわりは持っていませんが、今後も外で活動する際はこのハンドルネームを使っていくんだろうなと思うと意外と付き合いが長くなる名前のようにも思います。そういう意味では変に中二病っぽい名前にしなくて正解だったなと思うと共に短いので書きやすい点ではプラスであったでしょう。最近巷では変な名前を子供に名づける親が多いというしかつては忌字であった花の名前(咲いてしおれることから若死にを暗示するため)も平気でつける親も多いですが、伏兵的な意味で平凡な名前にした方が何毎も便利でいいと今のハンドルネーム使ってて思います。
 なお、日本史上で最初のDQNネームを使った名付け親は子供にマリアやフリッツと漢字当て字でつけた森林太郎で間違いないでしょう。

2016年9月11日日曜日

日本の火砲の運用史

 なんか昨晩からずっと記事を書いてるような気がするのですがどうかしたのだろうか。金曜の晩、大学の先輩を始めとしたメンバーと夜中に漫画喫茶で「いただきストリート」をしたのが何か影響したのかもしれません。なおゲームは四人対戦で後半までずっとビリでしたが終盤に脅威の巻き返しを図り二位につけてやりました。
 さてこのところ中国、西欧の火砲というか火薬の軍事運用史を追っかけてきましたが、最終回として「誰も知らない、日本の恐ろしい火薬運用話」を展開します。ぶっちゃけほとんど火縄銃ネタですが、あんまこの辺の解説をする人少ないんだよね。

 日本と火薬のファーストインプレッションはみんな大好き13世紀の元寇です。この戦いでモンゴル軍は日本側からすると「てつはう」と呼ばれる手榴弾兼音響弾を使い、幕府側の資料にも記録されたほど兵器として注目されました。ただ注目されはしたものの深追いは全くなされず、そのため火薬自体の存在は伝わったかもしれませんが日本に定着することはなく、西欧と違って火薬の活用はこの時は全く行われないまま数百年を過ぎることとなりました。

 そして来る16世紀、具体的には1540年代前半に火縄銃が日本に伝来することとなります。この伝来時期と伝来方法については現在議論の真っ最中で、従来の様に1542年に種子島から伝来したという説よりかはほぼ同時期に近畿地方などにも伝わったとする説の方が真実味が感じられるのですがそれは置いといて、とにもかくにも1540年代に伝わって以降、火縄銃は日本で大ヒットすることとなるわけです。
 それから約60年後、1600年の関ヶ原の戦い時点で日本が保有していた火縄銃の数は50万丁を越えていたとされ、これは当時世界にあった銃火器の約三分の二にも達するという研究が出ています。

 これをヨーロッパ側の視点で見ると、流れ着いた島国の原住民が「売ってくれ」というから火縄銃を数丁売ってやった所、翌年にまたやってきたらそっくりそのまんまコピーして(発射機構はやや怪しかったそうだが)火薬の量産まではじめており、それから数十年で世界最大の量産国になっていたりと普通に考えてなんかおかしいです。戦国時代であったことからそれだけ需要があったというのはわかりますが、文明的に当時日本を上回っていた中国より先に量産体制を確保したばかりか三段撃ちを始めとする効果的な運用方法も西欧に先んじて独自に編み出し、朝鮮出兵時の序盤では朝鮮軍と明軍を実際に圧倒しています。
 一体何が日本人をこれほどまでに火縄銃へと駆り立てさせたのかいまいちよくわかりませんが、こと銃火器に限れば当時の日本は間違いなく世界ナンバーワンだったと断言していいでしょう。ただ銃鍵のカテゴリーであれば通常の火縄銃、バレルを延長した火縄銃、口径を大きくしたハンドカノンなどバリエーションを広げましたが、西欧と違って大砲を量産するにまで発展しませんでした。

 大砲自体は木砲を自作したり、ポルトガルから輸入して大阪の陣で運用されたりなどしましたが、日本国内で本格的に量産するまでには至りませんでした。背景としては二つあり、一つは大型の金属製大砲を自作するほど鋳造技術が足りなかった、もう一つは戦国時代が終わって需要が亡くなったためです。特に後者の影響は大きく、江戸時代に入って以降は農民反乱を防ぐためにも所持が制限されて、標準装備する鉄砲隊や狩猟に出る猟師以外には持たされなくなり全体の保有数も減っていき、また改良自体も行われないまま明治維新まで時が経ったわけです。

 それにしても戦国時代の量産量は異常というよりほかなく、別の視点から見ると火縄銃の軍需産業規模は一体どれほどあったのか非常に気になります。これだけの量であったことから輸入量を差っ引いても相当な人間が鉄砲生産に関わっていたとみられ、日本全国単位でのキャッシュフローにも大きな影響を与えていたことでしょう。仮にこの時の水準のまま発展していればとんでもない銃火器も作っていたのでは、下手すればビームライフルやレールガンなども作れていたのではないかと思いつつそりゃないかと我に返る次第です。

2016年9月10日土曜日

続・永田寿康元議員の自殺について

永田寿康元議員の自殺について

 上記記事は2009年に私が書いた記事ですが何故か今現時点でやたらとアクセス数が高くて困惑しています。っていうよりもこの件についてはほかにも書いてる人がたくさんいるというのに何で私の所ばかり来るのかもわからないのですが、書かないよりは書いてあげた方がいいなって気がするので一応「その後」の話を書いておくことにします。
 にしても上の記事書いたの七年前か、この頃は新卒で入った日系企業で文字通り「髀肉の嘆」をかこっていたな。七年前の自分が今の姿になるとはいくら自分でも想像できなかったろう。

ついに逮捕!「偽メール事件」で議員(故・永田寿康氏)騙した“サギの天才西澤孝・40”の手口(FLYDAY)

 結論から言うと、永田元議員が議員辞職してその後に自殺へと至るきっかけとなった偽メール事件でメール文を偽造したとされる西澤孝は、その後も詐欺を繰り返し続けて逮捕立件されていました。

 この西澤孝は偽メール事件を引き起こす前も、元プロ野球選手で先日大麻で捕まった清原容疑者の現役時代に彼の行動について事実とは異なる取材記事を週刊誌に書いたことにより清原容疑者に訴訟を起こされ、その記事を掲載した週刊誌に多大な賠償金支払い命令が下される判決を招いています。なおこの時の裁判結果を受けてどの週刊誌も訴訟リスクを検討するようになり、以前と比べて憶測、というか妄想の類の記事は掲載しない方針となっていったのですが週刊新潮はそうでもなかったようです。

 色々と説が飛び交っているものの、永田元議員は西澤孝の直接の知り合いではなく、別に信頼する人間を仲介して知見を得て例のメールを得たとされ、その仲介した人物を深く信頼していたことからその内容をまるっと信じ込んだと言われています。もっとも、あの内容と文面で信じたこと自体が異常極まりなく、なんの裏付けも行っていなかったことから言っても週刊誌記者と同レベルの判断力だったとしか言いようがないのですが。

 それにしてもカスはカスで余計な毒を社会のあちこちにばらまくだけばらまくのだなと、その後の成り行きを見るにつけ思いにふけます。極端なことを言うと、世の中には弁護のしようがないほど本当にどうしようもない人間は確実に存在しており、下手に野放しにするくらいなら殺害するか隔離した方がその周囲を含めて絶対にプラスだと思える人間がいます。先日、和歌山で起きた発砲事件然り、この西澤孝然り、早めに処分なり追放なりしないからこういうことになるのだと思えてならず、もう出所しているかどうか知りませんが出所したらしたでまた同じようなことをしでかすに違いないと考えています。

 もっとも、永田元議員が惜しまれるような人材だったかとなると自分でも少し疑問符はつくのですが、あれほど頭の回転が速く切り返しの強い政治家は現時点においても私が見る限りおらず、この点に関しては誠に稀有な人間だったと太鼓判を押します。私の知る限りあれほど言い合いが強い人物となると元オウム真理教の上祐史浩氏くらいなもので、私の中ではこの二人が未だにトップツーです。

 紙幅がやや余っているので最近の政局について述べると、社民党が実質的に滅んだ今、民進党はそのまま社民党と同じ崩壊への道をこれから辿ることになると予想しており、蓮舫氏が代表になることはまさにその第一歩になるでしょう。女性に政治が出来ないなんて言うつもりはなく単純に代表としての資質や能力に欠ける上、それを支える人材もいないためですが、一番致命的なのは本人らがそれを自覚していないことで、補完するための努力を明らかに怠っています。現時点で代表たり得る人物は私が見る限り野田元首相しかおらず、彼の名が出てこない一点を通しても組織として民進党は疑問を覚えずにはいられません。

西洋の火砲の運用史

 前回に引き続きまた火薬の軍事利用に関する歴史を追っていきます。前回は火薬の発明国でありながら軍事転用に関しては軽い手榴弾レベルからなかなか発展させることが出来なかった中国を取り上げましたが、今回はある意味本場の西欧世界での運用を取り上げます。

<フス戦争での火器運用>
 西欧に火薬が伝わった時期についてははっきりとわかっていないものの、おおよそ11~12世紀頃であると推測されています。伝来方法はかつて紙がタラス河畔の戦いで中国から中東経由で伝わったように、大陸を席巻したモンゴル軍団の西欧・中東世界への侵略に伴い火薬も伝わったと見られています(異説もあり)。
 火薬が西欧世界へ伝来した後、その軍事転用は早くも行われ英仏百年戦争の時点で簡易的な大砲が出現したとされます。用途としてはやはり攻城戦で使われることが多く、大砲の発射に使ったり城壁の爆破などと補助兵器として使われたそうですが、それが戦争に対して大きく影響を及ぼすようになったのは15世紀前半にチェコで起こったフス戦争からです。

 気に入らない人間を窓から投げ捨てることに定評のあるチェコ人によって起こったこの宗教戦争で一般大衆によって構成されるフス派についた傭兵のヤン・シジュカによって、まだ非常に原始的だったマスケット銃が組織的に運用されたほかこれまた簡易的なハンドカノンなども応用され、戦局に大きな影響を与えました。
 この時使われたマスケット銃はまさにこの15世紀前半に発明されたばかりで、その後ドイツで徐々に量産体制が作られていきヨーロッパ中に広まっていきました。

<大砲デビュー>
 このフス戦争と共に火薬の軍事利用において大きな契機となったのは、1453年のコンスタンティノープル包囲戦です。この戦争は東ローマ帝国ことビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)がオスマントルコのメフメト二世により攻撃され陥落し、ビザンツ帝国が滅亡した戦いになるのですが、この戦争でメフメト二世はウルバンという名のハンガリー人技術者を雇い巨大な大砲、俗に言う「ウルバンの大砲」を作らせ、これによって城壁の外から攻撃を行いました。
 このウルバンの大砲は青銅で作られたものですがその全長はなんと8メートルにも達し、現代人の目から見てもとてつもなく巨大な大砲でした。発射するのは鋼鉄の砲弾ではなく主に岩石だったそうですがその重さは500kgを越えるとされ、技術が浅かったことから一回の八社ごとに数時間のインターバルが必要であったり、運用開始から6週間程度で壊れて使えなくなったもののその効果と威力は凄まじく、攻城戦における大砲の有意性に対する認識を大いに高めてこれ以降、西欧各地で大砲の生産、装備が進んでいきます。
 なおウルバンは当初、ビザンツ帝国に自分の設計案を売り込んだそうですが拒否されただけでなく逮捕されかけ、逆にオスマントルコへ売り込んで作ったそうです。罪な男ではあるが技術者魂は強く感じる。

<違いは鋳造技術?>
 こうして西欧は中国に先駆け、銃と大砲を兵器として自らの戦術に取り込んでいきます。一体何故、火薬を発明した中国に先駆けて西欧でこれらの火薬兵器を運用するに至ったのかその背景を私なりに述べると、一つは中国がその爆発力と音響力に着目したのに対し西欧では推進力、弾丸を発射する方向で発展せしめたのと、火薬兵器の母体となる銃や大砲といった金属器の鋳造技術が優れていたからではないかと見ています。専門でないため詳しくわかりかねますが一見すると鋳造技術では西欧の方が中国を上回っているようにみられ、食器とかも西欧では金属製だったことも影響しているのかなと勝手に考えています。

 話は戻りますがこうして西欧各地で銃と大砲がバンバンつくられるようになり、大航海時代には標準的な装備兵器として定着していきます。特にスペイン人の南米への侵略においてはこれら火器が威力を発揮してごく少数の部隊で現地住民を屈服せしめるほどで、火器の有用性はますます高まっていきました。特に海戦においてはそれまでは船体を突っこませ、相手の船に乗り込んで白兵戦を行うというスタイルから、銃や大砲で双方打ち合うというスタイルに大きく様変わりし、これはそのまま現代においても変わりありません。

 銃火器単体を取ってしてもイェニチェリドラグーンといった銃を基本装備とする専門の花形部隊も生まれ、列強が形作られるようになってきた三十年戦争等になってくると銃火器武装なしではあり得なくなってきます。なお西欧では火薬の原料となる硝石が貴重だったことから火薬生産は基本的に国家事業で運営され、生産方法が確立された後でもインドからの輸入が多かったそうです。

 最後ですが、火薬というか大砲を使った戦争においてもっとも大砲を効果的に活用したのは間違いなくナポレオンでしょう。彼自身が砲兵隊出身ということもあって砲兵戦術を熟知しており、ヴァンデミエールの反乱において一般大衆目掛けて大砲をぶっ放してその地位を確立させたことといい、大砲とナポレオンは切っても切り離せない関係にあります。もっとも彼の場合は騎兵や歩兵の運用でも神がかっており、三兵戦術を完成させていますが。

2016年9月8日木曜日

中国の火砲の運用史

 ちょっとブログ記事で洩らしたところコメント欄でリクエストを求められたので、中国の火砲の運用史について昨夜の一夜漬けの成果をお見せします。

 まずそもそも火砲の定義とは何なのかですが、現在では一般的に「大砲」と同義とされています。ただ火器全般のことを「砲」とも呼び、また広義的には「火薬を使った兵器」とも言えるので、今回の記事では近代的な大砲はそれほど取り扱わずに火薬の発明からそれを用いたごく初期の火薬兵器についてその発展段階を追います。

<火薬の発明>
 まずそもそもの火薬ですが、これは中国四大発明に加えられるほど画期的なもので中国発祥であることは間違いありません。ただ発明時期とその瞬間については諸説あり、時期に関しては大体6~7世紀頃とされ(その時代の資料に火薬らしい物品の説明が登場する)、どうやって発明されたかについては説がたくさん分かれているものの、薬剤師が自前の薬を練っている最中に偶然発見した、っていうか急にパンって破裂してビビったというエピソードが個人的に好きだしありそうな気がします。

<それは爆竹から始まった>
 発明された直後はまだ生産量も少なく品質も悪かったためか民用はおろか軍用にもほとんど使用されなかったものの、大体10世紀の宋の時代辺りから徐々に軍事用途として活用が広がっていきました。ではこの時代の中国でどのように火薬が兵器として使われたのかというと、結論から言ってしまうと当初は爆竹として用いられたもようです。

火槍(Wikipedia)

 この時代の火薬兵器は決して冗談でもなく紛れもない爆竹で、竹筒の中に紙で撒いた火薬を仕込み槍の先につけ、敵に突き出したところで破裂させるというまさに爆竹そのものでした。目の前で破裂させてどないすんねんとツッコミが来そうですが殺傷目的というよりは音響による威嚇目的としての意味合いが強く、使用場所も城壁を登ってくる兵に向かって使ったりしたほか、北から馬に乗ってやってくる異民族の軍団に対してその乗っている馬を驚かす目的で使うことが多かったそうです。
 一応、中には物を詰めることで爆発共に発射させて殺傷する兵器もあったそうですが、火薬を詰める竹が構造上脆いこともあってそれほど強くなく、また火薬が悪かったことから一斉射撃も行えなかったそうです。多分当時の人も、これなら弓の方がずっとマシだと思ったことでしょう。

<てつはうという手榴弾>
 もっとも殺傷目的での火薬運用も全くなかったわけではなく、陶器でできた玉の中に火薬を仕込み導火線をつけ、火をつけた後で敵に向かって投げつけることで中の火薬が爆発し、外側の陶器が割れてその破片が飛び散ることで攻撃する兵器、日本風に言えば元寇時の「てつはう」もこの時代辺りから登場したそうです。この兵器は爆発力こそ現代とは比較になりませんが手榴弾そのもので、実質的に直接攻撃する用途で火薬を用いた兵器としてはこれが最初なのではないかと思います。
 しかしこのてつはうも手榴弾として使うよりかはやはり音響による威嚇効果目的の方が大きく、使う相手としても異民族がメインだったようです。なお外側の衣には陶器のほか鉄を用いた者もあり鉄球の手榴弾も存在したそうですが鉄球と聞くと無性に、「祖先から受け継いだ鉄球ッ!」と叫びたくなります

<モンゴル軍による火薬運用>
 こうして徐々に火薬の兵器利用が進みましたが、宋の時代はあくまで支援兵器的な役割が大きかったもののその宋を平らげた元ことモンゴル軍は火薬兵器に着目し、先程出てきたてつはうなどをより大規模に活用し始めました。また非常に原始的ではあるものの金属製の筒の中に石とか物を詰めて火薬で発射する、現代でいう「銃」もこの頃に中国で発明されましたが、生憎この銃の形態はそれほど発展せずに終わってしまいます。
 モンゴル軍が火薬兵器を活用したことは日本も元寇で体験済みですが、それ以上に影響が大きかったのは西洋世界です。遥かヨーロッパくんだりまで侵略したモンゴル軍によって中東、西欧にも火薬が伝わったことで(アラビア商人が伝来させたという説もあり)、西欧でも火薬の軍事利用がこの後ドンドン広がっていく、というかあっという間に中国を追い抜いて行ってしまいます。

<西洋に対する周回遅れ>
 明の時代に移ると、火薬の生産量も高まってきたことから軍事用にもたくさん使われるようになってきます。特に明を建国した朱元璋は戦闘で火薬を率先して使ったと言われており、火薬に関する軍事指南資料もこの時代によく書かれています。
 ただ火薬を使うと言っても、その推進力を使って弾丸を発射する銃はほとんど全く使われず、どちらかといえば攻城戦の際に城壁を破壊したりするために爆発力を利用するケースがほとんどだった模様です。一応、宋の時代に木製大砲(木砲)、元の時代に青銅製の大砲が出ており、元末から明初期にはこの木砲が反乱を起こした民兵がこぞって大量に使っていたとありますが、西欧ではこの辺の時代からマスケット銃を量産してアメリカ大陸を侵略したりし始めたのと比べるといまいち進化が遅いように感じます。

 実際、明が成立して戦争が減ると中国の火薬の兵器利用は西洋にますます後れを取り、それどころか火縄銃が伝来した日本にすらも運用面で遅れてしまっていたように見えます。実際、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に明軍も戦っていますが、朝鮮軍ともども日本軍が集中的に運用する火縄銃の前に序盤はずっと苦戦しっぱなしでした。

<西洋伝来の大砲で>
 極めつけは明末期、満州族が中原に侵略し始めた際に山海関の防衛戦で袁崇煥という元文官の武将がポルトガルから大砲を取り寄せ防衛を行い、敵軍を散々に蹴散らすという大活躍を収めています。なお満州族を束ね後の清王朝の太祖とされるヌルハチはこの戦闘で負った傷が元でそのすぐ後に亡くなっています。
 この戦闘が示す事実としては、大砲の製造、そして運用面で中国は西洋に対しこの時点で大きく劣っていたということです。自前で作れるのなら輸入なんてしないし、また敵軍である清軍も対抗策がなかったということは中国本土でこのような火砲がほとんど運用されていなかったとも考えることが出来ます。

 非常に残念な話ですが火薬の発明こそ中国であるものの、その火薬の軍事利用においては伝来先の西欧の方が格段に早く進んでしまいました。この理由についてはまた次の記事で書こうかと思いますが、百年戦争を始め軍事的需要が高かったことと、大砲を作る鋳造技術が上回っていたことが大きいのではと思います。
 その後、清によって中国が統一されて平和な時代が訪れるとますます火薬を使った軍事研究が西洋に比べて遅れ、後のアヘン戦争時にはどうにもならないほどの大きな差をつけられることとなったわけです。

2016年9月6日火曜日

遼寧省のGDPマイナス成長要因について

 最近現場から離れてめっきり中国経済をチェックしなかったのを反省して少し本腰入れてこれまでに出ている経済指標を細かくチェックし直しておりましたが、ほんと今まで全く気づいていなかったのですが私の知らないところで遼寧省のGDPがマイナス成長していました。

一季度GDP排行出炉:东三省仍垫底 辽宁首现负增长(中国経済網)
辽宁经济增速连续第二个季度负增长 短期转正无望(鳳凰網財経)

 リンク先はどちらも中国語のニュース記事ですがその内容はというと、遼寧省の第1四半期GDP成長率が-1.3%、上半期も-1%というマイナス成長を記録したことが報じられています。なお地方別GDP成長率でマイナスを記録したのは遼寧省だけで、このニュースはメディアの反応を見る限りだとかなり衝撃的に受け止められているようです。

 一体何故、遼寧省だけがマイナス成長となったのか。いくつか出ている報道の中には中央政府から派遣された査察官が厳しくチェックしたことによりこれまでのように成長率を水増しすることが出来ず、逆に今まで水増ししていた分が足かせとなってマイナスとなったという指摘が出ている辺りは中国らしいです。
 ついでなので解説しておきますが、中国の全国GDP成長率は北京の中央政府によって測定されるのに対し、地方別のGDP成長率は各地方の統計局が測定して出されており、地方政府は自分たちの功績を高めるためにこの値を水増ししていることはほぼ間違いありません。根拠としては発表された地方別のGDPの合計を出すと全国のGDPを毎年上回っているためで、「これは俺が初めて指摘してやったんだぞ!」と、新聞社時代の上司が自慢げに言ってたのを「はいはい」って聞き流していました。逆を言えば、全国のGDPはある程度の誤差はもちろん存在するかもしれませんがそれほど大きくは弄られてはいない一方、地方別のGDPは弄られている可能性が高いと言え、よく中国の統計発表は信用できないと言われますが全国GDPはそこまで疑わなくてもいいのではと私は考えています。外資系シンクタンクも一応予測してるんだし。

 話は本題に戻りますが、遼寧省がこれまで数字を弄っていたのがばれたから今回マイナス成長に陥ったと見ることもできますが、実態としても遼寧省を含む中国東北地方の経済状況は悪化しているように見えます。
 その理由はいくつかの記事でも指摘されていますが、遼寧省は石炭や鉄鋼といった重厚長大な大規模重工業産業が中心の地域で、現在世界を覆っている製造業全体の不況の直撃を受けていることは疑いようもない事実です。特に、もはや「中国経済の癌」といってもいい鉄鋼業の業績悪化は大きく、中国国内でも屈指の鉄鋼メーカーである鞍山鉄鋼を始め財務諸表を見るだに胃が痛くなるような惨憺たる真っ赤な業績を各社揃って叩き出しています。

 またこれは私の視点ですが、遼寧省を含む東北地方には政府が所有権を持つ国有企業が多いことも要因として大きいのではないかと思います。国有企業は現在、日本語で言えば親方日の丸体質が影響して非効率な経営や設備の老朽化によってどこも経営がおかしくなっており、中国政府も民営化を含めた国有企業改革が喫緊の課題だと述べ対策に乗り出していますが、今のところ大きな効果はまだ出ていません。

经济负增长,东北人幸福感并不低(新京報)

 上は今回調べている最中に見つけたニュースですが、マイナス成長ではあったものの東北地方居住者の平均収入、消費額は落ちるどころか上昇を続けており、幸福感も低くないということを報じています。この記事を見てどう思うかは人それぞれでしょうが私としては「あかんなぁ」と思える記事内容で、その理由はというと企業業績が落ちているにも関わらずリストラが全く行われていないのではと思えるからで、日本の「失われた十年」こと1990年代が頭をよぎったからです。
 これらの報道を総合するに、遼寧省では経済の構造転換が進んでおらず国有企業改革もうまくいっていないからマイナス成長となったのではと私はみています。構造転換の必要性は中国メディアも厳しく指摘しており取り組むべき課題はしっかりと認識できているものの実行にはまだ至れておらず、端的に言えば非常によくない状況だという気がしてなりません。

 一応、遼寧省大連市なんかはソフトウェアパークを作ってIT産業を盛り上げようと頑張ってはいますが、日本もかつて同じ失敗してますが二次産業の売上高を三次産業で埋めようったって規模が違うためそうは簡単にはいきません。なおそのソフトウェアパークには日系企業も数多く進出しており、旧満州に含まれる遼寧省全体は日本にとっても非常に重要な中国の進出先であるためこのGDPマイナス成長のニュースはもっと日本でも報じられてもいいと思うのですがあんまり報じられてなかったのか私もチェックしきれていませんでした。なんで報じひんねん。

 なもんだから自戒を込めてこうして記事書いて紹介しようと思ったのですが、最後に中国の今の景況感について述べると実は掴み辛い環境に自分は置かれているなとこのところ思います。というのも今、サービス業界に身を置いていて製造業を始めとした不況の影響を全く受けない立場にあり、社内においてもそうした景況感が反映され辛くいまいちピンと来なかったりします。
 一方で、自分のセンサーというか社会に対する感覚は年々その鋭さが増しており、内心やばいんじゃないかと思うくらい細かい核心的な情報をかっさらうかのように拾ってくる回数は増えています。なのでちょっと中国経済ニュースに対して勘は鈍っているもののすぐに追いつくだろうという妙な確信を持っており、今日書いたニュースもそういった方面の何かのきっかけだろうなと考えています。

  補足
 ふと疑問に感じて調べてみましたが、日本って都道府県別GDP成長率の四半期ごとの統計を出していないようですね。よく中国のデータが捏造だなんだいいますが、自分もデータ出してから言えよってちょっと思いました。アジア人は総じて統計に弱いとはいえ、頑張る努力位は見せてもらいたいものです。

2016年9月5日月曜日

西郷隆盛を取り扱う難しさ

 歴史記事を最近書いてないなと思って何か書くネタはないかと今日の昼間くらいから思案に暮れていましたが、最近だとどの程度のレベルが普通の人に歴史ネタとして受け入れられるのかちょっと自分でも境界がわからなくなっており、東北地方の貨幣流通時期とか中国の火砲の運用史とかやろうかなと思う度にマニアック過ぎるだろうと思い直して書くのをやめるというのをこのところ繰り返しています。
 そんなわけで、2018年の大河ドラマにも堤真一氏主演で決まったわけなので西郷隆盛についてその歴史上の立ち位置に関する話を今日はすることにしました。

 西郷隆盛といえば鹿児島県民からすれば神に匹敵するほど崇められている存在で、真面目な話、鹿児島のキリスト教徒は神、イエス、マリア、西郷の四位一体説を唱えてるんじゃないかと思うくらい地元で崇拝されています。もっとも鹿児島県民に限らなくても歴史の教科書では重要人物扱いされてて普通に教育受けていればまずその名前は聞き覚えがあるほど有名な人物であることは間違いありません。
 実際、明治維新において西郷は最重要人物の一人として扱われており、これは戊辰戦争後に行われた論功行賞(賞典録)で藩士としては最高となる2000石を得ていることから、当時としても維新の最高功績者として見なされていました。また現在においてアンケートを取れば最も人気のある歴史人物としては恐らく織田信長となるでしょうが、戦前においては西郷隆盛が常にトップだったそうです。

 そんな西郷ですが、彼を日本史においてどのような立ち位置の人物として捉えるかは非常に難しかったりします。というのも単純に彼の行動や思考、目的が生前の行動からだと掴み辛いということに加え、人気が高いゆえか虚実入り混じったエピソードが枚挙に暇がないからです。恐らく私以外でこんな話を引っ張って来れる人間はまずいないでしょうが、文豪の芥川龍之介もこうした西郷を取り扱う難しさを「西郷隆盛」という短編小説に書いており、大正期においても根強く生存説が唱えられていたほか歴史学として扱うには非常に難しい人物であることを紹介しています。

 あくまで私個人の実感で述べると、世間に伝わっている西郷に関するエピソードのうち約半数は尾ひれがついたもの、言い換えれば伝説とか神話のように事実に基づいたものではないと考えています。西郷のエピソードは探せばいくらでも出てきますが、それらに対する出典等の裏付けはよくよく見てみるとどれもはっきりしないものばかりに見え、ついでに言えば断片的な話ばかりです。
 また確実に西郷が行ったという発言や行動を取ってみても、どうもはっきりしないというか本当はどっちの立場にいたのかよく見えない不気味さがあります。いくつか例を出すと山形有朋を支援して徴兵制を推し進めておきながら士族救済のために私学校を設立したり、征韓論においても急進派を抑えるためだったのか本気で朝鮮に乗りこむつもりだったのか、研究者の間でも未だに意見が割れています。もっとも、大久保利通は江華島事件を見るだに初めから征韓論は実行に移す気であり、慎重論を唱えたのは西郷を含む一部政府メンバーの追放が本来の目的とみて間違いないでしょうが。

 こうした西郷の一種の不気味さは取り上げる題材にも現れており、大半の小説や漫画では許容力のある人格者として描かれるものの一部作品では暗殺を含む非合法手段も冷徹に実行する参謀として描かれることがあり(大河ドラマ「新撰組!」など)、本当は一体どんな人物像だったのか、出会った人間は皆、「どっしりとした大人物」と述べていますがそれすらも仮面であったのではないかと疑ってかかるべきでしょう。

 現時点で私の西郷評を述べると、薩摩人というよりは京都人のようなイメージで、本音を一切表に出さず腹の底が見えないタイプだったのではないかと見ています。征韓論に関しても交渉が決裂して自分が朝鮮側に斬られればそれで戦争の口実にできると述べていますが、いくら当時の情勢であっても外国の使者を朝鮮王朝が殺害するとはとても思えないだけに何故このような発言をしたのか、一種のブラフではないかと思う節があり、本当の狙いというか目的を絶対に見せないしそれを平気で覆い隠してしまうようなものを西郷には感じます。もっともそれを言ったら明治維新も尊王攘夷を旗頭に徳川を倒しておきながら、維新後は開国政策を採って徳川のみならず廃藩置県で全士族を滅ぼしていますが。
 最後の西南戦争においても、初めから政府軍に負けることがわかっていながら大将に担がれたと言われていましたが近年の研究では少なくとも大阪までは進軍する気満々だったとも言われ、これまた本音はどっちだったのか全く見えてきません。やはり人気が高すぎる故、踏み込んだ検証や批判を行い辛い面があり下手に歴史学で取り扱えば火傷する対象であることには間違いないでしょう。

 最後にここまで記事を書いて本音が見えない人物だと何度も書いてたら、「メタルギアソリッド」というゲームに出てくるリボルバー・オセロットみたいな人物だったのかなと変な想像をするに至りました。結構しんどそうで書くのを一旦あきらめたんですが、こっちのメタルギア関連でこの前浮かんだテーマ記事もまた今度書こうかなぁ。

2016年9月4日日曜日

姉に謝りたいこと

 昨日また昆山まで50km自転車乗って移動し、そっから周庄という観光地まで往復75km自転車で走ってきました。先月と比べて気温が大分緩くなったこともあって昆山着くまでは余裕でしたが、そっから周庄まではかなり遠く、最後の方は自然と口が勝手に空くなどきつかったです。ほかのサイクリング部メンバーも同様で、「ケツ痛い」とか「足つりそう」だとか言いながらなんだかんだ完走してしまう50代、60代の先輩方にはただただ敬服するだけです。

 さて話は本題ですがあまりこのブログで話題には挙げないもの私には姉が一人おりますが、正直言って仲は物凄く悪くここ三年間くらいは一言も会話すらしていません。もっともそれ言ったらほかの多くの親戚も同様で、諸般の事情から三年前に縁を切って以降は親父以外だと懇意にしてもらっている奈良魔人みたいな親戚以外とは全く付き合いがありません。
 姉弟の兄弟だとうちの家に限らず大体こんなもんかなとは思うのですが、そんな仲の悪い姉に対して実はひとつ可能ならば謝っておきたいなと思うことがあり、今日はその事件について紹介します。

 その事件が起きたのは私が中学一年生だった頃で、家族旅行で確か長野辺りに行った帰り道、途中にあったことから釣り堀に寄ることにしました。私は子供の頃にそれほど釣りに親しんでわけではなく近くの江戸川で何回か体長10cm前後の小っちゃい魚くらいしか釣ったことがなかったのですが、釣り堀ということもあって竿を垂れてからしばらくすると持つ手への手加減とともに糸が水中に引き込まれたので、当たりが来たと思い竿を引き上げました。
 記憶を辿るとその時針に引っかかった魚は体長20cm位のもので、水中で引っ張ってた際はそれほどでもなかったものの水面を飛び出して空中に引き出すや、思ってた以上に重たかったため持ってた竿が手前から奥へ、ガクンと逆方向へ引っ張られてしまいました。

 いまいち表現し辛いのですが、要するに釣った魚が重くて持ち上げきれなかったのです。その結果、水中から引っ張り出したまではよかったものの空中に出すや竿が逆方向へ引っ張られ、釣られた魚は空中を泳ぎ、そのまま少し離れた右斜め向かいで同じく釣りをしていた姉の顔面目掛け一直線に飛んでいきました
 念のため言っておきますが、いくら仲が悪いたってわざとやったわけではありません。普通に竿を引っ張ったら持つ手がよろけてしまい、釣り針を咥えた魚が振れた先にたまたま姉が立っていただけです。とはいえあれが赤の他人だったら結構やばかったというか、振れた先が姉だったのは何かしらの神の思し召しがあったのかもしれません。

 釣った魚が何故か姉の方へ飛んでってその後どうなったのかというと、空中を泳いで目の前に飛んでくる魚を視認したのか姉も「ぎゃー」って悲鳴を上げて顔を仰け反らせましたが、惜しいかなそれでは避け切るには足りず、大体左肩と顎の中間にある鎖骨のあたりにびたーんって感じで見事に衝突しました。くれぐれも言いますが、わざとやったわけじゃありません。
 普通、何か飛んできたとしてもぶつかれば跳ね返ってそれっきりですが、その時の魚は依然と釣り針を咥え続けており、私もよろけながらも竿を握り続けていたため、姉に魚が衝突した当たりで竿を持つ手がぶれなくなったというか安定しました。その結果どうなったかというと、ちょうど姉の顔面付近で魚は空中にいながらビチビチと跳ね続けることとなったわけです。

 自分も当時はちょっとパニクったというか目の前の光景に見入ってしまい、竿を引いたり揺り戻すという判断が出来ずに何故か固まってしまいました。姉貴も姉貴で普通に釣りしてたら突然魚が空中を一直線に飛んできたためパニックとなったのかしゃがんだり移動したりすることも出来ず、そのまま魚にビンタされ続けるだけでした。それは時間にして30秒、下手したら一分くらいあったかもしれませんがかなり長く、姉貴は最低でも30回以上はビンタされてたと思います。私も私で目の前の異様な光景に固まってしまい、なんか物凄い時間が長く感じました。
 最終的には魚も延々跳ね続けた甲斐あってか釣り針が抜け、また池に落ちたため姉は解放されたのですが、姉の目線で考えたらどれだけとんでもない体験だったか想像に余りあります。もちろん当時も姉には何度も謝りましたが(爆笑しながら)、今でも折に触れてはこの時のことを思い出し、あの時は本当に悪いことしたなぁって申し訳ない気持ちにさせられます。

 ただあの時の光景は本当にすごかったというか、引き上げた魚が一直線に姉貴向って飛んでったのはマジで神がかっていて、私の人生の中で最も近くまで笑いの神が下りてきた瞬間だったと今でも思っています。もしこの時の様子を映像に撮影していたら投稿ビデオ番組で年間大賞ですら獲得できたのではないかと思うくらい有り得ない光景でした。そういうわけで姉貴に対して面と向かってはまだ言えてませんが、ネタにしちゃってメンゴって感じです。

2016年9月2日金曜日

人切りのプロ

 ネット上でよくある人材紹介会社の広告に、「採用のプロがあなたに最高の職場を」という謳い文句が付けられていますが、人材エージェントでそんなに実力の差とか出るのかななんて内心疑いの目を持って見ています。

 ただ人事関連職では所属する企業によってその実力ははっきり分かれると言われ、名古屋に左遷された親父の受け売りですが大手メーカーの人事部の職員は間違いなく実力者でありエース級の人材ほど人事部へ配属されると聞きます。理由はごく単純で、場合によっては数万人単位の従業員の配置を計画し、数年後を見据えたジョブローテーションまでも組まなければならないからです。
 一方、逆に従業員数の少ないメディア系や商社系企業の人事部となると今度は駄目な人間の引受先になると言われ、自分のこれまでの経験から言ってもあながち間違っていないというか扱う人数によって同じ人事部でも能力が大きく変わってくると思います。

 そうした人事部職員の中で、あくまで人伝に聞いた範囲ですが地味に重宝される能力というか経験として真っ先に挙がってくるのはクビ切りのノウハウだそうです。日本はバブル崩壊以降は常に不況と言われるだけあってどの業界でも多かれ少なかれリストラの必要性があり、特に従業員の多い会社ほどそうしたクビ切りならぬ人切りのプロの需要が高く、そのレアリティの高さもあって転職市場の中でも一際需要が高いカテゴリーだと聞きます。

 現実にリストラ旋風が巻き起こった2000年前後ではあちこちで数千人単位のクビ切りが起こり、先程出てきたうちの親父も取引先で仲の良かった知り合いがまさにこの担当となり、数千人を切りながらも上司からはもっと切れ、まだ足りん、何をしていると言われ続け、「お前こそ切りたいわボケ!」と内心思っていたという話を聞いたことがあります。口でいうのは簡単ですが数千人単位のクビきりとなるとその精神的プレッシャーも相当なもので、切られる従業員の家族も数万人単位で人生に影響を与えることとなりますし、社内外で無用な恨みを買うことも予想に難くありません。
 実際、こうしたリストラの実行者はリストラの完了後はその一身に恨みを買うことから社内にはおられず退職するケースが多いと聞きます。上記の親父の知り合いも、クビを切るだけ切った後で最後に自分も切られる羽目となったと話していました。ただそうして辞めてったクビキラーはやはり人材需要は高いだけに、「次は是非うちで人を切ってくれ」という感じでオファーは殺到するそうですが。

 真面目な話、こうした人切りに関しては確かに専門的な分野であるだけにその道のプロというか経験者にぜひお願いしたいなというのはよくわかります。現時点でそういったプロが活躍しそうなのは思いつくのだとシャープですが、募集をかけてやってきた人切りのプロは面接とかで、「私はこれまでに三千人を切ってきました」とか「私に狙われて生き残った人間はいません」などと、幕末の人斬りみたいなピーアールをするのだろうかと思うとちょっと楽しく感じます。
 ただ最近思うのですが、この辺の人事という業務はもっとアウトソーシングした方が案外効率良いのではとこのところよく思います。実際一部で昇給管理とか海外拠点を含めた勤怠管理を行うアウトソーシング業者が存在しますが、外部の人間の方が評定とかその当たりである意味公平だし、実際の人柄とか見ないで判断するのはどうかと思う人もいますが、そうした人柄や普段の行動も含めデータ化して人事を行うのが普通じゃないかと思う当たり、まだまだ多くの日系企業は人事業務をサボっていると前から考えています。

 プロ野球などは空振り一回、アウト一回、ヒット一本ごとに査定が入ってその年俸も上下するほど事細かに見ており、球団社長を経験した人物も通常の企業の人事査定が甘いように思えてきたと話しているのを見て、そうした年俸や人切りも丸ごと請け負う人事のプロ集団によるアウトソーシングに任せた方がいいのではと思うようになりました。流行んないかなぁ、こういうサービス。

2016年9月1日木曜日

築地移転議論の論点


 上の椅子はこの前近くのスーパーで買ってきたものです。展示品だったためいきなりボキッとフレームとか折れたりしないか心配だったものの120元(約1800円)だし思い切って買ったところ、その座り心地のあまりの気持ちよさにここ数日、座る度に物凄く眠気を誘発されてブログを書く気力を大幅に奪っていました。左のボックスはパソコン使う時に座る収納椅子ですが、ちょうどここに伸ばした脚も載せられるので相性抜群です。でもって右下にあるオレンジ色の物体は以前に知人からもらったPILOTのボールペンでちゃんと大事に使ってます。今回写り込んだのはたまたまだけど。

 毎回しょうもない話題からえらく真面目な議論に移りますが、先日私も記事で取り上げた小池百合子都知事が築地市場の豊洲への移転延期を発表して以降、様々なメディアがこの問題を再び取り上げるようになりました。ただニュースの論調は全体として、以前は豊洲への移転に不透明な点が多いと批判していながらも延期発表後はやや小池都知事に対して批判的な報じ方が多くなっているように見えます。
 もっともその報じ方自体は公人である小池都知事を叩き台、言い換えればサンドバックにして問題を敷衍するので別に問題だとは思っていませんが、記事の中身として移転推進派、反対派の人物の発言や意見をそのまま丸写しで書いていることが多く、こういってはなんですが議論の論点が全く整理されていません。何故推進なのか、何故反対なのか、何でもめているかがほとんど書かれず、強いてあげればこれも確かに重要ではありますが水質検査の最終結果が出ていないという事しか書かれてません。

 となるとここは俺の出番かt思う当たり、自分は自意識過剰なのかサービス精神旺盛なのか考えどころに至ります。ちなみにマージン率に関しても同じノリで、誰も調査しないのなら自分がやろうと思い立って調査し始め、「こんなんやらんかったらよかった……」と何度も調査中に公開する羽目となりました。
 そういうわけなので、築地移転問題について議論の論点を如何に整理します。ただ私はこの移転に対し反対派の立場であり、どちらかといえばこの立場からの移転の必要性を問う論点を中心にして挙げます。

1、移転延期に伴う維持費
 これは移転推進派がこのところあちこちのメディアで主張している問題ですが、移転延期に伴い豊洲市場の方では光熱費などで一日につき700万円の維持費が無駄に発生してしまうもので、延期により財政負担が広がるという意見です。ただ率直に言ってこの意見には疑問があり、そもそも光熱費や設備管理、警備費だけでそこまで発生するものなの。また推進派は「冷蔵庫の電気代」をよく口にするのですが、市場が開いてもいないにもかかわらず何故冷蔵庫を起動する必要があるのか、何か背景があるのかもしれませんがこの辺をもっと記者がツッコまないのか記事読んでて不満に覚えます。
 なお、高速増殖炉もんじゅの維持費は1日当たり5500万円です。全く役に立たずに妙な関連事故を引き起こすこの物件と比べたら700万円くらいいいんじゃないかって気になります。ないに越したことはないけど。

2、水質汚染調査
 小池都知事も移転延期の根拠として挙げた水質汚染調査ですが、こちらの最終結果は来年1月に出る予定です。逆を言えば何故移転計画を起ち上げる前に最低限のこうした調査が行われていなかったのかが問題で、豊洲市場は東京ガスの工場跡地ということもあって先の土壌調査では様々な汚染物質が見つかり土壌改良もわざわざ行われているだけに、この水質調査は絶対に避けてはならない調査でしょう。
 むしろ、こうした事前調査をせずに移転計画を認可して建設工事を始めた責任者をまず名指しで更迭すべきで、それなくしてこの移転を実行してはならないというのが私の立場です。

3、豊洲市場内の荷受け口道路の狭さ
 こっから移転に関する疑問点をバンバン挙げていきますが、築地と比べ豊洲市場はトラックによる輸送力を強化した設計と謳われていますが、一部の専門家によるとトラックの荷受け口に致命的な欠陥があると指摘されています。具体的には、豊洲市場の荷受け口は運送会社の集荷所みたいにコンテナのバックドアを建物に対し後ろ付けするようできているのですが、その荷受け口手前の道路がめちゃ狭く、現状では一台のトラックが荷受け口に付けようと転回するだけで後ろのトラックは前に進めなくなり、渋滞を誘発すると言われています。
 実際現場見てみないとわかりませんが、そもそも豊洲市場は青果市場のブロックと分けるために十字に道路が走っており、素人目にもこれどうなんって思う節があります。この辺、実際にトラック出して実証実験をまずしてみるべきでしょう。

4、床の積載荷重
 3番と同じく設計問題ですが、私としてはこれが一番気になります。
 平屋建ての築地市場に対し移転先の豊洲市場はビル上の建物となっており、鮮魚市場も1階ではなく上の階(何階か忘れた)に置かれる予定です。ただこの豊洲市場の建物ですが、床の積載荷重が何と1平方メートル当たりたったの700kgしかなく、実際に市場がオープンしたら床が抜けるのではないかと各方面から指摘されています。

 現在の築地市場ではターレというフォークリフトの一種である自動運搬車が市場内を駆け巡っているのですが、これの重量は大体1トンを超し、なおかつ鮮魚を乗せた場合は2トンも越えることがざらだそうです。言うまでもなく、最大積載荷重700kgじゃ心もとないです。
 この積載荷重は設計書などでもはっきりとそう書かれており、間違いのない事実です。そもそも何故こんな設計にしたのか、誰もチェックしなかったのかが問題ですが、変な事故が起きる前に設計者か許可責任者辺りで実際にターレを走らせて見て床が抜けないか実証させるべきでしょう。変な事故起きる前にやっとかないと。

5、高過ぎる施工費
 3番、4番の様に素人目にも明らかに疑問に思える設計の不備があるにもかかわらず、豊洲市場の施工費は無駄に高いです。詳しくはこちらのサイトで検証されていますが、建物の一坪当たりの単価は200万円と、これは故黒川紀章デザインの建物を除けば実質ナンバーワンの高さで、イオンモールが一坪当たり30万円以下ってことを考えると以下に法外な金額かわかるかと思います。
 関係者は建設需要の高まりから人手不足で高騰したと言っていますが、なわけないだろう。高騰するったってここまで上がって不審だと思わなければ会計不正はこの世からなくなるっていいたうなるような値段で、釣りあがった要因は必ず存在するはずです。この点がまさにこの移転問題における最大の闇で小池都知事にはぜひ切り込んでもらいたいのですが、うまくいけば施工費搾取で立件できるかもしれず、そうなれば1番の維持費もペイできるんじゃないかと思うだけに世間も応援する必要があるでしょう。