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2016年11月29日火曜日

蛇頭は何処に?

 この前に上司とした会話に、「中国人ってやたらフード被りたがるよね(室内でも)」という一言があったのですが、その際に「アサシンクリード」という単語を思い浮かべていたことは口にしませんでした。フードっつったらもはやこれでしょ。
 話は本題に入りますがその上司とは別の機会に、

「そういや蛇頭(じゃとう)って最近どうしてるんすかね?」
「だよね。最近聞かないよね」

 というのもあり、ちょっと気になる意味も込めて今日記事にします。

蛇頭(Wikipedia)

 蛇頭についてはその上司に限らず、その前にも中国に詳しい人とも話題になり、何故か二人して「あいつらどこいったんだ?」と軽く盛り上がりました。そもそも蛇頭とは何なのかですが、端的に言って福建省辺りを中心とした中国マフィアで、主なシノギは人身売買を含む密航ブローカーと言われている組織です。現代において日本で中国マフィアといったら中国残留孤児二世や三世を中心に形成された「怒羅権(どらごん)」が最も有名ですが、90年代末辺りで中国マフィアといったら誰が何と言おうと蛇頭しかなく、新宿歌舞伎町周辺を題材に取ったルポや小説、漫画には必ずと言っていいほど彼らが登場していました。
 なお自分が読んだルポだと、作者とタイトル忘れちゃいましたが取材者が蛇頭の構成員に飯屋で取材してたら突然テーブルに置いていた時計にナイフを突き立てられて、「あんま火遊びするなよ」的なこと言われたりしてて、なんや中国人ってこわそやなぁと思った十五(当時中三)の夜でした。

 話を本筋に戻しますが、蛇頭というのは一応は中国マフィアって括りですがその実態については諸説あり、日本の山口組の様にトップが強い権力を持つ上意下達のがっちりした組織ではなく個々の反社会組織がシノギのために緩い連帯で連合を組んでいる組織ではないか見られています。そのため蛇頭に属す、かかわりのある組織や構成員はどれだけいるのかわからず、実態としては組織ではなく業界団体的なものではという見方が強いです。

 その蛇頭が日本で一番話題に上がっていた時期は上記の通り90年代末の頃で、場所も上記の通り新宿歌舞伎町周辺でした。具体的に蛇頭が何をしていたのかというと中国人の日本への密航斡旋で、日中の賃金格差が今とは比べ物にならないくらいの時代もあって日本でしこたま稼ごうとする中国人密航者を日本へと運び仕事を斡旋し、稼いだ金を日本へ送るという頭の先からしっぽまでをカバーするフルな密航サービスを展開していました。
 密航者を扱うということから基本ブラックなことに関わることが多く、特に大きいのだと殺人の請負というのもあったそうで、密航者にわずか数万円の報酬を渡す代わりに日本人(主に暴力団)から依頼を受けてターゲットを殺害させるということもよくやってたそうで、これには日本の暴力団も、「あいつら常識がなくやることなすこと無茶苦茶だ」と相当まいってたそうで、当時の裏社会系ルポではよく蛇頭を含む中国人マフィアについて「黒船」と表現し、組の垣根を越えて奴らに対抗しようなどと明治維新みたいな論調で「日本(の裏社会)を外敵から守れ」と書かれてました。なんていうか今こうして書いててすごく懐かしい。

 しかし、そうした蛇頭を含む中国人マフィア関連の話は大体00年代中盤辺りからほとんど聞かれなくなりました。一番大きな要因だと考えられるのはやはり暴対法の思考で、中国人マフィアはおろか日本の暴力団も厳しく規制されたことにより活動し辛くなったというのが何よりも大きいでしょう。そしてもうひとつ考えられる要因としては、中国が急速な経済成長を遂げたことによって国内でもそこそこ収入が上がり、日中の賃金格差も劇的に縮まり、単純に日本へ密航してくる旨味がなくなってしまったことから自然消滅したのではないかと私は睨んでいます。

 とはいえ、いなくなったらいなくなったで寂しいというかあんだけ一時期ブイブイ言わせてたのに今だと本当にもういなくなったのかと気になります。そんなこともあって最近やたらと、「蛇頭ってどうしてるのかな」と周囲に聞きまわっているのですが、傍から見るとやっぱ変な人に見られてそうです。
 そこで、日本国内の情報はこの際置いといて本国である中国ではどうなのか先程調べてみたところ、いくつかヒットするニュースがありました。それらニュースによると一応まだ健在だそうで、韓国へ中国人不法就労者を送ろうとしたり、港湾付近の違法案件で捕まった中に蛇頭関係者数人が混ざっていた等と報じられるている中、少し気になったのは「欧州内の難民移動で蛇頭が50億米ドル儲けている」というニュースもあり、この辺はさすが密航ブローカーなだけあるというか日本を飛び越えワールドワイドに活動している模様です。

 しかし、全体としてはこういう蛇頭関連のニュースはやや少ないように感じました。「蛇頭」と検索してもマフィア関連でヒットするのはわずかで、大半は「草むらから突然蛇の頭が飛び出してきた」とか、「蛇の頭を切り落とした後で胴体が動いてびっくり!」みたいな生物としての蛇関連のニュースが多く、期待してたより蛇頭の実態に迫るような報道や解説はありませんでした。

 マフィアが減るってことはもちろん素晴らしいことですが、減ったのではなく目に見えなくなっただけであれば逆に危険です。そういう意味でこうした方面の情報にはたまに気を配る必要があると思うと共に、文字通り命はってこういう裏社会ネタを取材する記者たちには強い敬意を覚えます。自分なんて絶対こういう取材はやりたくないし、ネット使ってちまちまデータ弄る取材の方が性に合っています。

2016年11月28日月曜日

美濃加茂市長の高裁逆転有罪判決について

 年休消化のため今日から、というより一昨日から丸まる一週間休みな上に、ビザ更新のために必要な住所証明を今日ようやくGET出来てテンションが変な感じに上がり頭痛を起こしてました(多分寝過ぎが原因、土曜は12時間寝てた)。っていうか長寧区はすぐ住所証明ぽんとくれるのに閔行区は何故ああも厳しいんだろうか。
 そんな感じでちょっと精神的におかしいからブログ書くのやめようかなと思っていた矢先、また大きなニュースが来たもんです。

美濃加茂市長に逆転有罪=贈賄供述「信用できる」-浄水設備汚職・名古屋高裁(時事通信)

 よくもまぁこんな判決出せたものだと呆れる一方、もし仮に日本にいたら徒党を引き集め名古屋高裁に抗議デモへ繰り出していたところです。もっとも私が声かけても一人も集まらないでしょうが。

 この美濃加茂市長を巡る裁判については過去にもこのブログで記事にしていますが、誰がどっからどう見たって冤罪でこれが有罪となるならこの世でなんでも有罪にできてしまうかのような杜撰極まりない事件です。市長が逮捕されること自体おかしかったですが一審ではさすがにまともというか常識的に判断されて無罪になりましたが、今回は上記の報道の様に執行猶予付きとはいえ有罪となり、決して誇張ではなく真面目な話、この判決を下した裁判官と検察官は業務に支障をきたすレベルの判断力しか明らかに持ち合わせていないため直ちにやめさせるか、社会的に抹殺するかした方がいいと思いますマジで。

 一審の審議内容についてはもう語りつくしてこれ以上語りたくもないのが本音なので二審のおかしな点についてだけ述べますが、結論から言ってひとつ、一審の段階から何も新たな証拠や証言が出ていないにもかかわらず一審で否定された贈賄者とされる詐欺師のおっさんの与太話が二審では真実と認められた点です。
 そもそもの証言内容自体が胡散臭い上に供述内容も二転三転(例:二人で会った→実は三人で会った)している時点でまともに耳貸す馬鹿はカスだとわかるのですが、一審で真実と認められなかったのが二審で改めて真実だと認めるに至った証拠や説明が全くされていません。これは論理から言ってもおかしなことこの上なく、決して日本の司法は元からまともではありませんが、それにしてもここまでおかしな判断となると私の中では御殿場事件くらいしか浮かびません。

 それにこの事件の論法で行けば、「金を渡した」といえば渡ったお金が存在しなくても誰でも有罪にできかねません。試しに私も今回の判決を下した裁判官と捜査した警察と検察官に「有罪にしろと言って金を渡した」とでも言ってみようかなと思くらい奇妙な判決で、藤井美濃加茂市長に置かれましてはここでくじけず、最高裁までどうか頑張ってもらいたいというのが私の意見です。

2016年11月27日日曜日

創業家列伝~宗次徳治(壱番屋)

 ココイチでおなじみのカレーチェーンの壱番屋を創業した宗次徳治氏は1948年の生まれで、出身地は石川県とされています。宗次氏が語る最も古い記憶は四歳か五歳の頃に母に手を引かれて夜逃げするところというのっけからデンジャラスなシーンから始まるのですが、それからしばらくして父親のDVに耐えかねた母親は出ていき、子育てを全く省みようとしない競輪狂いの父親と二人で過ごすこととなります。
 当時について宗次氏は、父親からは食事の世話をしてもらうこともなくもっぱら学校の給食を主要な栄養源として、どうしてもお腹がすいた時は河原で草を食べるという毎日を過ごしてたそうです。その父親も生来の荒れた性格から何度も住居を引っ越すというか夜逃げしており、当初は宗次氏に同情した周囲の人も段々と避けるようになっていったそうで、その父親からは宗次氏も何度も折檻を受けていたと話しています。

 もうこれだけでも十分物語が成立する宗次氏の人生ですが、十五歳の頃に高校入学準備のため戸籍謄本を取り寄せた時、自分が養子であったという事実を初めて知ります。それまで宗次氏は自分の名前を「基陽(もとはる)」と思っていましたが実の名は「徳治」で、実の両親の名前は全く身に覚えのない名前だったそうです。
 この時、胃癌で入院していた父親に話を聞くと三歳の頃に孤児院から引き取ったという事実を明かし、名前を変えた理由は「ギャンブルで負けが続いていたから」ということも教えてもらいました。その時について宗次氏は、「お前はもらってきてやったんだ」とよく言われていたのは事実だったんだなと思ったそうです。なんていうか、ツッコみどころそこなんだという風に思える言葉ですが。

 実の両親の存在を知った宗次氏ですが、その両親を探そうという気持ちは全く出てこなかったそうです。本人曰く、出生に関心がなかったそうで、養父の入院、そして死去後は養母と暮らし、高校卒業後は名古屋の不動産販売会社に就職しました。そして結婚後、独立して不動産仲介業を営みだしたころ、奥さんと話し合い事務所近くで喫茶店を運営することにしました。運営は奥さんにまかせるつもりでしたが初日に手伝ったところ、「こっちのが面白いじゃん」と思うに至ったそうで、翌日にはもう不動産業をやめてしまい喫茶店専業で働きだすことにしました。
 喫茶店業について宗次氏は、名古屋喫茶店ではモーニングサービスが無料で盛り沢山ついてくる文化があるにもかかわらず経営した「バッカス」という喫茶店では一切そういうのはやらず、小皿のピーナッツにすら30円のお金を取る料金形態としたそうです。これには客から文句が来るどころか銀行の融資担当からも反対されましたが、お客専用のカップを保管しておく「マイカップサービス」などほかのサービス面で差をつけ、開店から十ヶ月後にはもう二店舗目をオープンするなど繁盛したそうです。

 そうして喫茶店を経営するうち、奥さんが作っていたカレーを提供してみたところこれがまた売れに売れたので、相変わらずの切り替えの早さというかすぐまた「カレーハウスCoCo壱番屋」を作ってカレー専門店を経営するに至ります。この「ココイチ」で画期的だった点はご飯の量はおろかルーの辛さも五段階で選べるようにして、それをきちんと料金に反映させたことだと宗次氏自らが胸を張って述べていますが、さすがに当時は生きてはいなかったのでほかのカレー屋はどうだったのかわかりますが、現在ではこうしたココイチのオーダーシステムがカレーチェーンにおいてスタンダードになっていることを考えると確かに画期的だったのではと思う偉大な一歩です。

 ただココイチ一号店はオープンさせたものの、宗次氏曰く、「一日の売上げが六万円を越えたら二号店を出そうと思っていたのだがk路絵が大変な苦労だった」と述べ、二号店が出せたのはそれから一年後だったそうです。一年で二店舗目を出す辺り相当早いと思うのですが、この人のスピード感覚じゃそれでも遅かったのでしょう。この辺にやっぱ元不動産屋らしい臭いを感じます。
 その後あれよあれよといううちに世界規模でココイチは拡大を続け、あまりの忙しさに子供の口に哺乳瓶突っこんでから家を出たこともあったそうでこの時のことについて、「危ないことをしていた」と語る辺りなんとなく余裕が感じられます。ただ、ココイチが拡大する中にあっても徹底的な現場主義的意識を持っていたとのことで、店舗に寄せられる「お客様の声」は毎日全通を宗次氏が読んでいたそうで、一日千通を超えると三時間以上かかるから朝五時に出社して読んでいたというエピソードまであります。

 宗次氏についてはその激しい少年時代を送っていたこともさることながら、個人的には各インタビューでまるで他人事のように話すのが特徴的だと感じます。普通、こういう苦労話は多かれ少なかれ自慢めいて苦労したことが強調されるのですが、各雑誌などに寄せられるインタビュー記事を読んでも全くそうした話し方はせず、淡々と語っているのが非常に不思議に感じます。
 そうした淡々とした、というよりは拘泥しない姿勢は経営引継ぎにも現れており、株式上場を決めた1998年に社長から会長に移った際の後釜の社長には奥さんがなりましたが、2002年には二号店のオープン時に19歳でアルバイトで入ってきた現社長(浜島俊哉氏)に社長職を引き継がせ、完全に経営から身を引いています。普通こういう会社の場合、自分から子供へ直接引き継ぐパターンが多いのですが、実際の行動としては全くそうした行動はとられておらず、上にも書いた通り全くこだわりというものがこの人には見えません。

 経営者としては上でも少し書いたように、桁違いの体力とスピード感はまさしく昭和の一代創業型経営者の典型といえるものでしょう。高度経済成長期に出発しているとはいえ不動産やから喫茶店、喫茶店からカレー屋へと至る過程は非常にスピーディで、なおかつ店舗拡大の速度も明らかに異常です。更に言えばその後の90年代以降の不況期にあっても競争激しい外食業界の中で着実に成長を続けたその手腕は見事というよりほかありません。

 なお家族についてですが、なんでも一昨年に知らない司法書士から連絡があり、遺産相続放棄を求められたそうです。その時になり実の父親が死んだことを初めて知ったそうですが、言われるままに放棄したそうです。

 最後にどうでもいい余談ですが、ココイチは中国でも出店しておりますが以前に記事で書いたように中国でも味は全く同じでかえって不気味さを覚えます。最近は行っていないのですが、日本で最後にココイチ行ったのは2013年の7月辺りで、当事無職でプータローしてたので自転車で行ってなんとなくいつもより店内で居心地悪かったのを何故か覚えています。頼んだのは野菜カレー(3辛)だったと思いますが、味はやっぱり上海の店と同じだなー、早く職見つけたいとか思いながら食ってました。

2016年11月26日土曜日

かつて努力した日々

 今度名古屋に左遷されたうちの親父が上海に来る際、親父の東京勤務時代の元部下とも会うこととなりました。その元部下の名前を見た際、「ああ、あの修正液の人か」と一目見て思い出しました。

 事の起こりは私が中学三年生の頃で何の気もなしに、「親父、修正液欲しいんやけど買ってくれへん?」と聞いたところ、「それやったら会社から取ってきてやる」といって後日、大量に修正液を持ってきてくれました。ただその修正液、どれもシールにハンコされた名字らしき二文字がついており、「これなんなん?」って親父に聞いたら、当時の部下の名前とのことで、その修正液もその部下の机にあったものをかっぱらって持ってきたものだということを教えてくれました。

 親父のせこい悪行はともかく何故当時の私が修正液を欲しがったのかというと、小説の新人賞に応募するための原稿を書く際に必要だったからです。当時、フロッピーでの応募は一部認められていましたが応募原稿は基本的にはワープロで書いた原稿の印刷版か、原稿用紙にボールペン書きしたものしか求められておらず、中学三年生の当時はまだブラインドタッチもおぼつかなかったので毎日必死になって手書きでガリガリ書いていました。
 しかも当時からそそっかしい所は変わらず書く傍から誤字脱字が頻出したため、手持ちの修正液はあっという間に切らしたことから追加で大量に必要となったわけです。夏休みなんかほぼ毎日3時間以上は原稿書いてたので、当時の自分の手は常に修正液で汚れていてあの独特の臭いを醸し出していました。

 多分手書きだったら今もそんなに変わらないと思いますが、執筆速度は400字詰め原稿用紙に対しほぼ一時間当たり六枚で、三時間かけても十八枚というゆったりペースでした。これが中学三年の後半からパソコン使って書くようになると一時間当たり十枚に上がり、なおかつ原稿用紙代を始めとした諸々の諸経費もかからなくなって随分と助かりました。というのも当時、原稿用紙は毎回自分で買っており、といっても教材用に親からもらった金をちょろまかして買ってましたが地味に出費が苦しく、指折り数えながら書いてたのをまだ覚えています。
 ただそれだけ、当時はかなり真面目且つ真摯に文章を書く努力を続けてはいました。あのころにいろんな表現の練習を続けていた甲斐もあって現在にあってもそこそこ自慢できる表現力を身に着けることが出来たと言っても過言ではなく、同時に日本の作文教育では致命的に書かせる量が不足しているなと痛感するに至りました。

 なおその後について述べると、高校時代は高校一年の頃はよく書いていましたが高二の頃は周囲の人間が足を引っ張ったこともあってあまり活動できず、高三時は受験であんまかいてませんでした。大学時代は最初はバンバン書こうかなと思いましたがなんか思ったより熱が挙がらなかったというか、むしろ教養を身に着けるべき時期だと考え書かず、大学を卒業する間際になってこのブログを始めてからまた猛烈に執筆量が増えるに至りました。そう考えると、本気で表現力を磨いた時期ってのは紛れもなく中学時代で、これから作家なり記者なり目指す人はやはりこれくらいの頃に毎日、なるべく手書きで数時間書くことをお奨めします。

2016年11月25日金曜日

金日成暗殺部隊に関する辺真一氏の気になる記事

韓国映画「実尾島事件」は再現されるか 「金正恩暗殺部隊」派遣の可能性(Yahooニュース)

 少し古いし無視してもよかったのですがなんだかずっと気になってたのでもう記事にします。気になったのはコリア・レポート編集長である辺真一氏が書いた上のリンク先の記事で、記事中にある末尾から二番目の段落にある以下の記述が訝しく感じました。

『今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。』

 この箇所の何がどうなのかというと、「実尾島(シルミド)事件で集められたのは囚人」というのが書いてある内容が事実と違うのではないかと思うわけです。

実尾島事件(Wikipedia)

 シルミド事件というのは1971年に実際に起きた事件で、北朝鮮の金日成を暗殺するために韓国の離島(実尾島)で訓練されていた特殊部隊兵士らが反乱を起こしてソウルに繰り出し、正規軍と市内で銃撃戦を起こした事件の事です。首都で起きた軍隊の反乱というのっぴきならない事件でありますが事件が起きた当初は箝口令が敷かれてほとんど知られず、2003年にこの事件を題材に取った映画「シルミド」が公開されてから初めて公に知られるようになりました。

 その事件が知られるようになった映画ですが私も見たことがあり、端的に言って面白かったです。ただこの映画には事実の脚色がひどいという批判も多く、その脚色された箇所こそまさに反乱部隊隊員の出身で、映画の中では死刑囚らに死刑を免じる代わりに部隊へと参加させていました。
 私の理解が正しければこの箇所は完全な創作であったため、映画公開後には元隊員の遺族らが名誉棄損だとして公開差し止めを請求するにまで発展したと聞きます。また常識的に考えても、敵国の首魁を暗殺しようとする部隊に犯罪者を入れるなんて普通は有り得ないと思えるだけに私もさすがにここは嘘だろうという気がします。もっとも、実際の隊員は高額の報酬につられてやってきた一般市民が大半で正規の軍属ではなかったというのもなかなか信じがたい事実でありますが。

 上記の辺氏の記述はこう言ってはなんですが映画の内容そのままを書いており、仮に私の理解が正しければ事実とは異なる間違った記述となります。ただ単に私の方が誤解しているだけかもしれませんが、上の記事について出稿前に誰か何も言わなかったのだろうかという気がしてなりません。しかも中盤にも、「空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。」と書かれてますが、これほんま?
 上から目線で物言うと、こういうのは業界では「勇み足」といって書かなくてもいいこと書いて失敗する例です。最初の一文も「囚人」なんて言葉を使わなくてもいいのに敢えて使ってますし、中盤の文言も「特殊犯」なんて言葉は不要です。少なくとも、事実認定について紛争が起きていることを考慮すればまず外します。

 事実でない内容が事実であるかのように独り歩きして報じられることほど報道において合ってはならないことはありません。少なくともこの件を見て、ちょっとこの人の記事には映画の内容を鵜呑みにするところがあると注意する必要があることがわかりました。

2016年11月24日木曜日

悪目立ちしたい人たち



 この前書いたゲームレビューで、「声聞いただけでマジ背筋凍った」と評した声優の能登麻美子氏についてちょっと調べたところ、「この人が童謡歌うとマジ怖い」と言われていたそうで、実際上のラジオで収録された能登氏の童謡聞いたところ本気で怖かったです。携帯の着メロにしたいんだけどMP3とかで出してもらえないかな。


 そんな能登氏についての言及が続きますが、上の画像は2004年にプロ野球の近鉄球団売却騒動の際に買収に名乗りを上げたライブドアが、買収後の球団名をネット上で募集した際の後の祭りです。インターネット投票ということもあって不正投票が集中し、1位は何故か当時勢いあった北朝鮮から日本に定住した元米兵のジェンキンス氏の名前が入り、2位には買収で争った相手の楽天の名前が入り、そして4位に能登麻美子氏の代名詞である「能登かわいいよ能登」が入っていて、なにこれと当時思って調べたことが私が初めて能登氏を知るきっかけとなりました。
 見方を変えれば、この2004年からすでに十年以上も経過するにも拘らず能登氏は未だ声優業界で引手数多で活躍し付けていることになり、まぁ色々と凄い人だなと改めて思います。それにしても18位の「仙台・オブ・ジョイトイ」って懐かしいな、確か真鍋かをり氏はコオロギの死骸の写真と共に「コオロギ・オブ・ジョイトイ」ってブログにアップしてたけど。

 話は急転直下で変わりますが、能登氏が十年以上も声優として活躍し続けた一方、先の買収騒動で主役であった元ライブドア社長の堀江氏は、この十年の間にフジテレビ買収騒動を起こしたり、小菅ヒルズに収監されたりと浮き沈みの激しい時期を経由し、現在はテレビのコメンテーターとして出る機会が増えてると聞きます。ただテレビに出演した際のコメントを聞いてると割と世間からは反発されることのが多いように見え、具体例を挙げるとジャパネットタカタについて、「情報弱者を騙して食い物にしている」といったりなど、私に限らずお前がゆうなと言いたくなるような発言が多いです。
 あくまで私個人の見方で言わせてもらうと、堀江氏的にはそういう風に思われて大満足なのではないかという気がします。というのも彼の言動や態度を見ると人から好かれたいというよりは人を怒らせて、「俺はお前らとは違うんだよ」みたいに思って自己満足したがってるように見え、端的に言えば悪目立ちしたがっている人だと思います。私が見る限り彼にはそれほど教養も確固とした信念も感じられず、特に理由なく世間の一般の見方とは敢えて逆のこと、人が誉める対象を貶し、人が貶す対象を誉めるようなことをして目立ちたいだけではというふうに見ています。

 もう一人こういう傾向が激しいと感じる人物として、自称漫画家の江川達也氏もこの類でしょう。手塚治虫についてはかねてから「漫画を駄目にした」などと口汚く罵っており、最近も大した根拠を挙げることなく映画「君の名は」を全否定したりと、信念や考えなど初めからなく人が賞賛するものを敢えて批判するだけのスタンスだと私は見ています。そんなんだからマスコミとかこんな何も考えてない目立ちたがり屋みたいな連中取り上げるなと内心言いたいわけですが今だに二人ともよくテレビとかに出演しているとのことで、かなり昔に「職業:江川達也が画面に映る度に舌打ちをする係」と堂々と書いた漫画家の平野耕太氏は時代を先取りしていたなと思うわけです。
 なお平野氏は一時期ブログで、「江川達也が麻原彰晃に間違えられていきなり一審で死刑判決即執行となり、裁判所に死刑台がパカっと現れが本人は、そんなことはないでしょおなどとへらへら笑ってて……」というような下りをなんかの例えとして用いており、漫画もさることなら文才も凄いなと当時思いました。

2016年11月23日水曜日

電気自動車の提携で孤立するホンダ

中国のEV市場が驚くほど急拡大した理由 日本はEV冷遇国?支援策で先行する中国(JBpress)

 自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
 それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。

 上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
 自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。

 話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
 というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。

 以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
 一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません

 となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
 一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。

 上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
 だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。

 日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。

 それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
 逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。

  おまけ
 ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。

2016年11月21日月曜日

ブラウザ「Safari」によるコメント不具合について

 先日友人から、「iPhoneのSafari使ってこのブログにコメントしようとすると確実にエラーが出るんだけど」というお便りをいただきました。どうでもいいですがこの友人は学生時代に一回だけサンマ(一尾百円くらい)をおごってあげたのをその後もずっとやけに感謝くれました。
 以前にも同じようにiPhoneやiPadを経由してコメントを投稿するとエラーが起こるという話を読者から聞いており一体この不具合の原因は何なのか調べてみたところ、どうもSafari特有の認証システムに原因があるとのことです。

iPhoneからBloggerの記事にコメントが付けられないという問題(つわものぶろぐ)

 こちらの記事に詳しい経緯というか私が見てもよくわからないflame関連の問題が開設されているのですが、やはり私のブログに限らずこのGoogleのブログソフト「Blogger」全体に共通している問題のようです。たださらに調べてみてみると、ほかのブログでもやはりSafariが原因でコメントが弾かれるというエラーが起きているそうです。

iPhoneやiPadのSafariをお使いの方へ(ぶろっこりぃのそよ風日記)

 こちらの方は今頃流行りのはてなブログですが、同様の問題が起きていてSafariに対して注意報を出しています。てっきり私のこのブログだけかと思いきや結構この問題は根深いようで、連絡して来てくれた友人からも恐らくコメントを残せなかった読者がほかにもいるだろうと言ってもらったこともあり、先程からコメント欄に「Safariに気をつけろ」的な注意書をつけるようにしました。

 なおここだけの話ですが実は私はアップルの製品を今まで一度も持ったことがありません。さすがに触ったことはなんどかありますが私の世代でiPodを一度も持ったことがない、っていうかiPodに限ればシャレや冗談抜きで一度も触ったことがなく、多分同世代でも私一人くらいなんじゃないでしょうか。
 iPhoneなどに関しても値段が高い時点で選択肢に入らず、マッキントッシュに至っては汎用性の問題から眼中にも入りませんでした。だからこそ今回の問題にも気づくのが遅れたのかもしれませんが、別にアップルが嫌いというわけではなくただただ縁がないだけで、それがまさかこういうブログにも影響を及ぼすとはなどと皮肉っぽく感じるわけです。

2016年11月20日日曜日

表現者としてのピーク

 この週末の二日間、自分でも呆れるくらいにKindleの電子書籍をダウンロードしておりました。というのもここ一ヶ月くらいずっと、一切全く何もダウンロードできなかったからです。あくまで私個人の主観で理由を予想すると、恐らく中国では11月11日(双十一)が「独身デー」といってインターネット通販の大幅値引きキャンペーンが毎年各社で行われているため、この前後の期間でサーバーへの負担を軽減するために国外の一部ネットサービスに制限をかけていたのではないかと睨んでいます。現に双十一が終わってまた復活しましたし。
 この間に購入はできてもダウンロードの出来なかった新刊を始め、無料キャンペーンで配信されていた漫画などもあらかじめ購入クリックしていたため、ダウンロードが復活するや一挙に十冊近くダウンロードし始めてしまい、また途中途中で読んで気に入った漫画をさらに追加で大人買いしたりしたもんだからなんかずっとタブレットを片手に持ってた様な二日間でした。なお読んだ中で予想外に面白かったのは金田一蓮十郎氏の「ライアー×ライアー(「ハンター×ハンター」っぽいタイトル)」でした。

 話は本題に入りますが。今回無料だからといってダウンロードした中には押見修三氏の「悪の華」の1~2巻もあり、この漫画は既に一回通しで呼んでいるものの久々に読み返したところ相変らず面白いと感じると共に、「この作者はこの作品で燃え尽きたのかな」と思う節がありました。
 この「悪の華」は全11巻で構成されており中身は主人公が中学生の頃と高校生の頃とで大きく前後編に分かれているのですが、私を含め後編の「高校生編」はあまり評価が高くありません。逆に前編はヒロインこと「仲村さん」という超絶エキセントリックなキャラクターが口を開けば「クソムシが、クズネズミが」という毒舌をまき散らし、今回読み返した際も既に内容を把握しているにもかかわらず毎回強く圧倒されます。

 私はこの「悪の華」の後に押見氏が描いた「ぼくは真理のなか」、「ハピネス」も読みましたが、単純に嗜好の違いだけかもしれませんが「悪の華」に感じた圧倒的な迫力は全く感じられず、はっきり言えばどっちもあんま面白くありませんでした。しかもエキセントリックなヒロインがぐずぐずした男性主人公を引っ張り回すというような構図がずっと続いているし。
 逆に、「悪の華」が連載される直前に押見氏が描いた「漂流ネットカフェ」はまだ面白く、「悪の華」程ではないにしろやはりそれなりに作者の持ち味が出ていて読んでて迫力も感じられて個人的に高く評価しています。それだけに、やはりこの作者は「悪の華」前編終了時に少し燃え尽きてしまったのかなと今回感じたわけです。

 なにも押見氏を貶す目的でこういうこと書いているわけじゃなく、やはり漫画家なり作家なりには表現する力のピークというか波というものは確実に存在します。以前に取り上げた週刊少年ジャンプの編集長をしていた鳥嶋氏も、対談で話した「ベルセルク」という漫画の作者である三浦建太郎氏に対し、「ベルセルク」の前半終了部における「蝕」という場面を名指しして、「あそこで君は一回燃え尽きた」というようなことをはっきり述べ、言われた三浦氏もその通りと認めていました。

 複数の作品を長期に渡って書く場合でも、長期連載作品の場合であっても、やはりどこかしらにその作者の表現にはピークがあります。しかもピークを一旦迎えてしまうと大きく調子を落とさない限りは読者は依然と面白さは感じ続けられるものの、段々と面白さが増していき盛り上がっていくというような臨場感はどうしてもなくならざるを得ず、「今も面白いけど前のあの辺りの方がすごかったよなぁ」なんて言われてしまいます。私が子供の頃だったらやっぱり「ドラゴンボール」のフリーザ編最終盤がまさにこうして挙げられる例の筆頭でした。
 逆の例としては、「ハンター×ハンター」でヨークシン編が非常に面白く、もうこれ以上この漫画は面白くはならないだろうと思ってたら、その後のグリードアイランド編、キメラアント編はもっと面白くなっていきこの作者すげぇと心底思いました。

 話は戻りますが、やはり早くにピークを迎えてしまうとどちらかといえば不便です。確か「ジョジョの奇妙な冒険」の作者の荒木飛呂彦氏が連載漫画で人気を維持する上で段々と面白さというか熱を高めていくことが大事で、基本的には右肩上がりの展開を維持するべしと言ってましたが、私の言わんとすることもこれと同じです。しかし意図的にそういう風な右肩上がりの話を作っていくならともかく、作者個人のセンスなり感覚なりがピークを迎えちゃうと、まぁちょっと言い辛いですがあんま良くないです。
 場合によってはそこからスランプに入り、「ブラックジャック」など大人向けの漫画を描くようになった手塚治虫や、昭和史を始めとした歴史、伝記、自身の戦争体験漫画を主軸に置いた水木しげるなど新境地を切り開き復活する漫画家もいますが、こういうのはどちらかといえばレアでしょう。

 小説に関してもそうですが、やはり話作り、文字表現などはどこかしらでピークを迎え、そこから段々と落ちていくものだと私は考えています。無論ピークを迎えたからと言ってその後の作者は即無価値になるというわけではなく、その後は作り上げたキャリアや経験を使った表現活動を行って行けばいいのですが、ピークを迎えるまでと迎えた後でどのように心境を置くかで物事がいろいろ変っていくのではないかという気がします。

 ここで私個々人の話になりますが、地味に文章表現に関してはとっくにピークを過ぎており、具体的に言えば2009年に連載していた「文化大革命とは」の記事を書いてた頃がピークで、この連載記事を読み返すたびによくこれだけ難しい内容をここまで小ざっぱりまとめたものだと我ながら呆れると共に、同じような表現を再現しろと言われたら無理だという本音が出てきます。昔から難しい内容をわかりやすく説明するという表現には自信があったものの、多分もうあの頃以上にこうした表現を駆使することは永遠にないでしょう。
 一方でその後、表現手法を色々学んだこともあって新聞記事としての表現、アジテーターっぽい表現、分析レポート的な表現に関しては間違いなく今の方が上で、野球に例えるならかつて猛威を振るった縦に大きく割れるフォークこそ失ったものの、カーブやチェンジアップなど他の変化球を習得して使い分けが上手になったというような感じです。ただ欲を言えば、昔みたいなフォークを「┌(`Д´)ノセイヤッ」とばかりにもう一度投げたいという願望は常にあります。

 文章表現に関しては上記の通り、器用さは増したものの一点突破的なパワーではピークを越してしまいましたが、ことセンスというか観察力、判断力、分析力に関しては未だピークを越えておらず、毎年確実に凄みを増してきているという実感はあります。どうしてそう感じるのかというと単純に、同じ風景を見ているにも関わらず以前は気づかなかった違いやポイントを今だと簡単に気づけるようになっており、また一つのニュースを見てもそこから導き出される次の展開予想の数が毎年増え続けているからです。最低でもあと二年くらいはこの方面の成長は続くようにも感じているのですが、ただでさえ歩いている最中も常に何か考えててボーっとしており周囲に気が付かないことが多いだけに、二年先以降もピークを迎えなかったら逆にヤバいのではないかと一人警戒しています。

肌感覚で判断する重要性 後編

 前回に続いて世論などを肌感覚で感じ、判断する重要性について書いてきます


 私がこうした肌感覚について明確に意識したのは実は早く、大学四回生の頃でした。当時私は既に第二外国語の単位を既に取り終えていましたが以前から興味があったこともあってロシア語の初級講座を四回生時に受けていました。この授業では、別に悪い話しじゃないので敢えて実名を出しますが関西の私大を中心にロシア語を教える北岡千夏先生が受け持っており、マイナー言語ということもロシア事情の解説などを多く盛り込んだ、言いようによっては単位の取りやすい授業をしてもらえました。
 この授業時、確か私がマスコミ志望かなんかを口にした時だったと思いますが、「あんたやめときな、マスコミときたらクズだよ」みたいに言って、自身がかつて学生時代に朝日新聞でアルバイトをしていた時のことを話してくれました。旧ソ連時代に留学したこともあってその方面の仕事を手伝っていたそうですが、ソ連崩壊のきっかけとなった8月クーデター時に、誰でもいいから現地の人に連絡取って情報を集めてくれと言われ北岡先生は片っ端から電話をかけていたそうです。そしてひとしきり電話をかけ終えた後、

「多分これ、三日くらいで終わりますよ」

 と、北岡先生が述べた瞬間、周囲の朝日の記者たちは、「何を言うかこの小娘」みたいな視線を一斉に向けてきたそうです。しかし実際のところこのクーデターはまさに三日で終わり、この時のことについて北岡先生は、「偉そうにふんぞり返ってるくせに何もわかっていない」と憤懣やるかない素振りでしたが、現実に予想を的中した意味では北岡先生の言う通りでしょう。
 なおこの時に何故北岡先生は「三日で終わる」と予想したのかというと本人曰く、「電話で話した相手が全然焦っておらず、なんか事件が起きている根みたいな感じで他人事だったから」だったそうです。この事件ではゴルバチョフ大統領(当時)が監禁されるなど一見すると国家の一大事ではあったものの、現地の人間の肌感情というか空気ではそれほど大事と受け取られておらず、その感覚を見て出した北岡先生の予想が結果的に正しかったということになります。

 このソ連のクーデターのように、表向きな情報以上に現地で生活した経験、そして現地の人間の反応の方が案外正しかったりすることが多いというのが私の意見です。先の米国大統領選挙でも現地メディアの情報以上に一般市民の声の方が案外正鵠を得ていたというか、そもそもメディアが現地の声なり現地住民に対してインタビューや見方を尋ねたという話を日系に限ってはほとんど見られず、結果的に思い切り予想を外してしまったというのが私の見方です。

 こうした「現地の声や反応」を無視するという行為は中国に関する報道でも根強く、やっぱり私から見ていて日系メディアの中国に関する報道は日本にいて中国について何も知らない人間が適当な資料を基に書いたり、現地メディアが報じる内容をそのまま垂れ流すだけのものが非常に多く、それによって無用な誤解を生んでいる節もあります。
 もちろん現地の声や反応、また自身の感覚を信用して記事などを書くと偏った情報となる可能性も大いにあるだけに、何でもかんでも信用できるわけではありません。しかし私の場合だと、たとえば中国や政治関連の記事を見た際に何かしらの言葉にできない違和感を覚えた場合、本当にその報じられている情報が正しいのかを確認するようにしています。この確認の過程で報道内容が事実であるとわかれば考えを改め、逆に報道内容が誤りであるような事実や根拠、疑惑が見つかった際には信じないようにと、普段はここまで慎重ではありませんが肌感覚で違和感を持った記事に関しては疑ってかかるようにします。

 それでこれまでの経験から言うと、やはり違和感を感じる記事は誤っていることが多いです。世論にしても事実報道にしろ、「本当にこれで合ってるの?」という感覚を持つものには何かしらおかしな背景だったり作為的な意思がある程度働いています。具体的には経済指標の数字とかで、売れる車がないのに妙に売り上げが伸びてたりすれば、売れる理由を見落としている書かれてないとか、後は偽装があるわけです。記者の勘といえば大層な言い方になりますが、理由がなくても感じる違和感というのは非常に大事で、そうした違和感をどれだけ拾えるかというのがある意味重要な分岐点になるかと思います。

2016年11月18日金曜日

肌感覚で判断する重要性 前編

 当初今日の記事見出しは「国際報道の現状」という見出しで行こうかと考えましたが気がかわってこちらの「肌感覚で判断する重要性」にしました。

 さて先日の米国大統領選挙では日系メディアほぼ、っていうか全部が「ヒラリー優勢」という大方の予想を覆してトランプ氏が見事当選し、安倍首相もこの前アメリカくんだり会いに行きました。個人的には、間髪入れずにすぐにあって細かい内容を敢えて表に出さない階段にしたのは見事な外交であったと高く評価しています。
 他のメディアでも一体何故トランプの当選を予想できなかったのかについて様々な分析がなされていますが、米国国内のメディアについてはなんとも言えないものの日系メディアが予想を外した理由は非常にはっきりしており、米国の主要紙しか読んでないからです。

 私自身の反省も込めて述べますが、国際報道というのは基本的に現地駐在員は自分では余り取材せず、現地メディアの報じる記事を翻訳するのが日々の仕事です。そしてその翻訳対象となるメディアは基本的に高級紙と呼ばれる様な媒体で、中には敢えて大衆紙のゴシップとか大袈裟な記事を引用するメディアもありますが(Webメディアに多い)、日本の大手紙が「米国内の報道は――」と枕に付ける記事は基本的にワシントンポストやニューヨーク・タイムスの記事だと思ってもらってもいいでしょう。
 私自身もこの手のいわゆる「翻訳ライター」で、たまに日本物産展や興味持った分野の取材に行って特集記事とかを書いてましたが、基本的に普段は中国の「第一財経日報」とか「東方早報」、「文滙報」などを毎日大体十紙くらい読んだ上に家電や自動車ニュース専門サイトのWeb記事も閲覧してその日に書く記事を選び、翻訳していました。そのため国際報道というのは記者の目とか判断以上に現地メディアの報じる内容が色濃く反映されるため、先ほどの米国の報道についても現地の世論というよりワシントンポストなどの意見が色濃く反映されがちです。

 なお蛇足ですが、日系メディアは中国世論の報道によく「環球時報」を引用しますが、ここは主張が最も過激で、人民日報系列ですが本体の人民日報が絶対言わないような激しい言葉でよく日本を罵ったりしますが、中国人もそんなにこの新聞を読んでるようには思えず記事内容と実際の世論には大きな乖離があるのに中国の世論として引用され日本で報じられるのが個人的に腹立ちます。

 話は戻りますが、こうした傾向はほかの国も同様にあり、例えば中国だと日本のニュースは経済ニュースだと基本的に日経新聞が引用されており、国政関連については私が見る限り八割方朝日新聞が引用されています。そのためどういう風に書かれているのかというと、「国民を無視して安倍政権が暴走」、「再軍備へひた走る日本」、「国民置いてきぼりの憲法改正議論」などと、他の人は知りませんが私からしたらとてもとても日本全体の世論を反映しているとは思えない意見が日本の現状みたく中国ではよく報じられます。真面目な話、中国人が安倍首相を嫌うのは政策や価値観以前に朝日新聞が安倍首相を理由なく嫌っているのが最大の理由だと断言します。

 話が行ったり来たりしますが今回の米国大統領選についても日系メディアは自らが結果の予想をしたり世論を分析したりすることなくワシントンポストやニューヨーク・タイムスが報じる記事内容を垂れ流していただけだったため盛大に予想を外したと考えています。
 逆に当時の世論を最も色濃く反映させていた記事は、私が見た中だと文芸春秋11月号に掲載されていた久保田智子氏の「ヒラリー 嫌われる理由がわかった」という記事で、筆者本人が現地住民との交流を通して感じ取った、「トランプは問題あると思うがそれほど嫌いではなく、ヒラリーは問題があるかないかわからないが絶対的に嫌いだ」というような米国民、特に女性の感情が非常にわかりやすく丁寧に解説されていてとても参考になりました。

 ここまで読めばわかるでしょうが、現地世論というのは大規模な調査データを分析することもさることながら現地住民と直接話したり、見ていて感じ取った内容の方が参考になることが多いというか正確なことが多く、特に外国では肌で感じてどう思うかが何よりも重要であるというのが私の持論です。「考えるな、感じろ」とは言ったもので、こういうのは頭で考えものではなく体で考えるものだと常日頃から自分に言い聞かせていますが、そのように考えるようになったきっかけなどについてはまた次回で紹介します。

2016年11月17日木曜日

あの頃は水木しげるがいた

 今月の文芸春秋に、去年一月に逝去された水木しげるの細君とその娘二人による鼎談記事が掲載されていました。三人とも「まだお父ちゃんが亡くなった実感がない」と語っており、恐らく家族以外のほかの人にとっても同じような感想が持たれるのではないかと思います。

 この鼎談によるとなんでも布団につまずいて転んで頭を打って手術してから意識がなくなった後、一切何も話すことなく亡くなったとのことです。この死に方についてご家族は寂しいと思う反面、本人としてはある意味満足な形での自然死だったのではないかと受け取っています。バイタルが弱くなりいよいよという際には医師から延命治療を受けるかと尋ねられたものの生前からそうした物は拒否する姿勢を示していたこともあって提案は拒否し、そのすぐ後に亡くなったという顛末も書かれていました。

 こうした逝去時の顛末に加え生前の頃の話も語られており、個人的に印象に残っているのは双方ともにライバル視していた手塚治虫への態度で、娘たち曰く本人らは同じ時代に漫画業界でしのぎを削り合った戦友だと思っていた節があり、ラジオで手塚の逝去を聞いた際には、「ああ、逝ったのか手塚……」と呟き、葬儀にも出向いたというエピソードを披露していました。
 この二人の関係は若い頃に手塚からやっかみに近い文句を水木が受けたことは事実でそれを以って終生仲が悪かったようにも言われていますが、実際にはお互い連絡を取ろうと思えば取れるような関係で、水木の娘が手塚のサインを求めた際も、「今度頼んでおく」といってもらってきたこともあったそうで言われている程は仲が悪くなく、実力についても双方認め合う中であったことも間違いないでしょう。何気にスランプだった時期もある程度被ってるし。

 なお少し蛇足ですが、水木の命日は「ゲゲゲ忌」と呼んで関係者やフォロワー同士で何かすると報じられていますが、素直な感想を述べるとものすっごい語呂が悪くて発音し辛いように思います。それだったらもっとストレートに、「水忌しげる」でいいんじゃないのと密かに考えています。

2016年11月16日水曜日

ゲームレビュー:ZERO ESCAPE 刻のジレンマ

 またゲームの話で申し訳ないのですがこの前クリアしたので折角だし。

ZERO ESCAPE 刻のジレンマ(Wikipedia)

 今回紹介するのは「極限脱出シリーズ」と銘打たれた三部作の完結篇に当たる、「ZERO ESCAPE 刻のジレンマ」というゲームです。この作品というかシリーズは「極限脱出9時間9人9の扉」、「極限脱出ADV 善人シボウデス」、「ZERO ESCAPE 刻のジレンマ」の三部作構成となっており、ストーリーも時系列でつながっています。
 私は一番最初の「極限脱出9時間9人9の扉」は遊んでおらず「善人シボウデス」からプレイしており、こちらを去年にクリアした当時にはレビュー記事も書いています。このシリーズがどういうゲームかというといわゆる「脱出ゲーム」で、閉じ込められた部屋の中で仕掛けを動かしたり、手がかりを見つけたりして部屋から脱出するというのがメインとなっているのに加え、また部屋に閉じ込められる前後で複数の選択肢から次の行動なりを選んでその後の展開が分岐するというアドベンチャーゲーム的要素も混じっています。

 シリーズ全般に言えることですが、脱出ゲーム部分の所が非常によく出来ているというか「難しすぎず簡単過ぎず」というくらいに難易度が安定しており、詰まって全く脱出できないということはないもののそこそこ頭を使わされ、なんていうか頭の体操にもってこいな内容になっています。また脱出ゲームに使われるステージも豊富に取り揃えられており、前述の通りにストーリー分岐によって挑戦する部屋が変わり、「早く次の部屋に閉じ込めろよこの野郎!」と言いたくなるくらいに脱出が面白くなっていきます。
 ただそうした脱出ゲーム部分はもとより、全体の脚本というかストーリーの方が評価が高いでしょう。このシリーズはいわゆるループ物に当たり、何度も何度も過去に戻ったり別の時間軸に飛んだりしながら最後の最後で全体の謎が一気に解き明かされる構成となっており、どんでん返し的な結末は毎回意表を突かれその評価も際立って高いです。「善人シボウデス」もこの辺がよく効いており、続編が出たら必ず買おうと決めたくらい個人的にはまりました。

 そんなわけで「善人シボウデス」が発売されてから四年、私が遊んでから一年経ってようやくシリーズ完結作の「ZERO ESCAPE」が今年発売され、私にしては珍しく定価でガツンと買ってやりました。ゲーム全体の仕組みについて先に述べると、本作も脱出ゲームに一応は分類されますが、どちらかといえば選択肢を選ぶアドベンチャーパートの方に重きが置かれており、これまでとは逆にアドベンチャーゲームに脱出ゲームがおまけでついてきたかのように思えました。相変わらず脱出ゲームの難易度は絶妙だけど。
 次にストーリーについてですが、シリーズ完結編ということもあって過去二作で伏線として真相が明らかにされなかった謎については一応ちゃんと解答が出されます。ただ決してハッピーエンド的な内容に終わらないため、自分を含めほかの人のレビューを見ててもなんかもやもやとしたものを抱えている印象があります。

 あと宣伝ではシリーズ作品ではあるものの本作からプレイしても特に支障はないなどと謳われていますが、はっきり言ってこれは嘘もいい所で、前作「善人シボウデス」は最低でもプレイしておかないと全く話についていけなくなるかと思われます。最初に述べた通りに私は第一作目の「極限脱出9時間9人9の扉」は遊んでいませんが二作目は問題なく楽しむことが出来ました。しかし三作目の本作についてはただでさえややこしい話がさらにややこしくなり、また登場人物9人中5人が前作、前々作の登場人物でありその背景なりがわかっていないと完全に置いてきぼりとなるため注意が必要です。

 さてここから私個人のこのゲームに対する感想になりますが、一番目についたのはその暴力描写でした。前作「善人シボウデス」でも登場人物が死に至ることはよくある、っていうか最終的にはほぼ全滅することが多かったですが、その死に方は大半が薬殺で、あってもナイフで刺されるくらい見た目にも比較的ソフトでありました。
 しかし、本作は一味違うというか、はっきり言って桁が違いました。「バトルロワイアル」よろしく爆発する首輪が出てきて爆発後の首のない死体もかなりモロに表示されるほか、硫酸なんて目じゃないくらいやばいフッ酸シャワーを浴びせかけられ、後にはなんか赤い肉片らしくものが排水溝に流れるところも出てきます。チェーンソーでぶった切られるのも普通ですし、あと脱出ゲームの探索中、「なんやこれハロウィンのグッズかいな」と思わせられる妙なものがゴロゴロ転がってるかと思いつつ部屋を脱出したら、さっきまで一緒に行動していた仲間の生首が出てきて、「え、もしかしてさっき部屋にあったバラバラの手足や胴体ってこいつの?」と、後から血の気が引く演出もあり、心臓の弱い方には割と真面目にお勧めできないレベルです。
 なおシリーズ皆勤賞の倉敷茜というキャラクターについては、本作ではなんか返り血ばかり浴びているような気がしました。

 次に気になったのはビジュアル面です。アドベンチャーパートではフルCGのキャラクターが情景に合わせて動きつつしゃべるのですが、正直な所あんまり出来は良くなく、造詣がよく出来てるキャラとそうでないキャラで差を感じました。これだったらまだ前作のような画面構成の方がよかったような。
 そしてストーリーについてですが、前作も何もわからないまま謎の施設に閉じ込められるという世界観であったもののキャラたちの間ではまだ全体的には明るさがありましたが、今回はかなり陰鬱で、一部キャラクターが悲壮な決意で臨んでいるのもありますが序盤から一歩間違えれば誰かが確実に死ぬという状況にあるため、かなり内容な重苦しいです。まぁこの雰囲気は悪くありませんが。

 逆に致命的だったと感じたのは、本作からの新キャラが全く好きになれなかったところです。先に述べた通り本作では合計9人のキャラのうち前作、前々作に登場したキャラが5人続投していますが、新キャラ4人のうち、誰とは言いませんが2人のキャラが性格的にも全く共感出来ず、おまけにビジュアルの造形もかなり悪いこともあって見ていてストレス感じるくらい鬱陶しかったです。前作なんかほぼ全キャラがいい味出してたのにこの点は非常に残念な所です。
 そしてストーリーの結末についてはやはり大どんでん返しで、確かにあっと言わせる結末に結び付きますが、個人的には前作には及ばなかったというか、やや展開が強引に感じるところもありクリアした際の感動は前作のが大きく、完成度で言っても前作を越えなかったというのが私の評価です。

 最後に声優談義ですが、前作ではヒロインの声優を演じていた小見川千明氏は今作でも続投しているものの、キャラの立ち位置が変わったこともあり前作ほど演技に特別感じ入ることはありませんでした。一方、準ヒロイン……今作ではもしかした正ヒロインと呼べるかもしれませんが、そのキャラを演じた能登麻美子氏については、その声に狂気を感じました。ゲーム内では能登氏が演じるキャラがやや錯乱というか発狂に近い状態となるシーンがあるのですが、そのシーンにおけるセリフは耳にするだに背中が総毛立つというか、なんていうか目の前でガチな夫婦喧嘩が繰り広げられているのを見るかのような居心地の悪さを感じるほどで、感情がこもった演技というよりは狂気がはらんだような声で聴いてて本当に怖かったです。
 なお前作でも能登氏が演じるキャラが絡むエンディングがあり、そのエンディングが一番ゾクっとさせられました。能登氏が競争激しい声優界で十年以上もトップ声優として一線張り続けている理由が、今回やったゲームだけで十分によくわかりました。

2016年11月15日火曜日

日産自動車サイトの致命的な価格表示間違い

 何故か知らないが気温もめっきり冷え込んだこの時期に自宅内でダニがやたら発生し、最近になってパソコン使用時に使う箱型の椅子が感染源だとわかりましたが、一時期は座っているだけで尻に画鋲刺される様な痛みが走りっぱなしで嫌でした。あまりにも腹立ったからアイロンかけて根絶しようとしたけど、効果が一時的で長続きせず、この際だからパソコンデスクと椅子を新調しようかとも検討しています。

 話は本題に入りますが、ちょっと所用で電気自動車市場についてやけにみっちり調べる羽目となり各国の補助金制度とか各電気自動車の性能や価格を調べていた所、とんでもない事実を発見してしまいました。

<横長画像(PC閲覧時)>

<縦長画像(スマホ閲覧時)>

 上記の二枚の画像はどちらも日産自動車サイト内で、日産の電気自動車「リーフ」を購入した場合に国からもらえる補助金額を考慮した販売価格を表示、説明した物です。

 何故画像が二枚もあるのかというと画面が横長か縦長かで切り替わるためですが、注目してもらいたいのは「横長」の画像の「参考2 メーカー希望小売価」の行です。もう説明するのも面倒くさいのではっきり指摘しますが、車両本体価格の表示が間違っており、横長画像では「312.228万円」と書かれてありますがこれはその上の30kwhバッテリー搭載車の価格で、24kwhバッテリー搭載車の正しい価格は縦長画像にある「272.808万円」です。
 しかもこれ、本体価格が間違ってるもんだからその後の計算式も「312.228-26.4=246.408」という思わず首をひねる解となっており、よくもまぁこんな間違い、しかも本体価格と補助金を説明する重要な表示をこのままアップしたもんだと、最初に気付いた時は思わず声が出ました。っていうか本当に誰もこれ、アップロード前にチェックしなかったのだろうか?あとアップされた後も気づかないもんだろうか?

 別に日産には恨みはないし嫌ってる会社でもないので殊更に日産を悪く言うつもりはありませんが、あの日産ですらこういうミスをやるんだなと正直驚きました。「だったら俺だってたまには間違ってもいい」などと妙な自信につながります。
 日産の広報にそっと「間違ってるよ(´^ω^)」と教えてあげてもよかったのですが、教えたところでお礼は言われるだろうが次につながることもないし、ブログでネタにした方が絶対得だという打算が働いたためここでこうして記事に仕立て上げました。ごめんよゴーン。

 なおこれは日産が悪いわけじゃないのですが、今回電気自動車の補助金政策をいろいろ調べていて思ったことは補助金の種類が非常に多くてわかり辛く、また購入する場所によって自治体からもらえる補助金額が数十万円単位で変わるなど複雑すぎるきらいがあり、わかりにくい制度がユーザーの電気自動車購入を阻んでいるように思えます。それこそばつっと「1台100万円プレゼント」みたいに国が一括して払ってやればよかったと思うのですが、こういう風に考える当たり自分もやっぱ広告屋の血を引いてるもんだなと思えます。

2016年11月14日月曜日

中国人と大阪人に共通するDNA

 時は2010年。中国に初めて現地採用で渡る直前の私は姉の結婚式で会った従姉妹から、「あんた中国行ったら中国人に殴らるれんちゃう?」と、心配そうに声をかけられました。「いくらなんでも中国人もそこまで野蛮ではない」とやんわり否定しましたが、多分今でも中国に来たことがなければ、中国で日本人だとばれると殴られたりするのではと思っている日本人は少なくないと思います。

 時は変わって2012年、杭州にあるファッキンなハーネス組立工場を4ヶ月で辞めて上海にある日系新聞社で経済記者を当時やっていた私は今後日本は観光産業を柱にする必要があるとの信念から日本政府観光局(JNTO)の上海支部を訪れ取材を行っていました。どうでもいいですが星野リゾートの採用面接時にこの時の話したらすごいつまらなさそうに聞かれた上に落とされました。
 その際に快く取材に応じてくれたJNTOの方から、「こんなこと言うと日本人からすればおかしいと思われますが、中国人たちは日本に行くと日本人に殴られるとか本気で信じてるんですよ」ということを教えてくれました。この話は決して誇張ではなく本当の事実で、私自身も中国人から話を聞いているとそう考えていたという人が非常に多く、それだけに中国人が旅行で日本を訪れたら日本が思ったより、っていうよりかなりまともな国で拍子抜けするということをよく聞きます。

 話はJNTOへの取材時に戻りますが上記の話を聞いた際に私は、「そんなこと絶対あるわけないのにねぇ」と言葉を返しつつこの時一瞬、(大阪じゃあるまいし……)という言葉が密かによぎりました。

 大阪の名誉のために一応言っておきますが、いくら大阪でも路上で突然ぶん殴られたりするようなことは多分ないと思います。ただ昔、スーパーファミコンで発売した「初代熱血硬派くにおくん」という大阪を舞台にしたゲームでは路上にいるヤンキーはおろか、サラリーマン、OL、おばちゃんなどが脈絡なく主人公のくにお君に絡んで襲い掛かってくるので片っ端からなぎ倒さなくてはならないゲームがありました。しかもミナミに近づくほど敵が強くなってくるなど妙な所でリアルでしたが、発売当時に特に大阪からクレームが出たという話は聞いていません。

 私はかねてからこのブログで中国人と大阪人は気性が似ていて何故か馬が合うということを主張し続けており、具体的に共通する特徴としては「せっかち」、「思ったことをすぐ口に出す」、「声がでかい」、「目先の利益に飛びつくなど」、「なんでも大袈裟」などがあり、これらは中国人にも大阪人にも確実に当てはまる特徴ではないかと個人的に考えています。

 それで話はまた戻りますが、実は先日に民族系統に詳しい知り合いからちょっと面白い話を聞きました。その話というのも日本人の民族系統に関するDNAについてで、日本人は大きく分けて縄文系、弥生系の二種類にDNAが別れており、このうち弥生系は近畿地方に集中していて近畿地方から離れれば離れるほど縄文系のDNAが濃くなるとのことです。このDNA分布は暗に近畿地方の人間は大陸から日本列島へ渡ってきた渡来系のDNAが濃いことを示しており、系統的にもやはり近畿の人は大陸に近いと考えられるそうです。

 そのように考えると私が主張するように中国人と大阪人の気質が近いというの案外的外れなものではなく、DNA的にも似通っている影響と考えられるかもしれません。また最初の「路上で殴られる」と思ったことも、案外このDNAの相似が影響していたのかなとふと今日思いました。

  おまけ
 上海人の友人に聞いたところ、先に上げたゲームを含む一連の「くにおくんシリーズ」を遊んだことがあったそうです。もしかするとかつて日本の小学生たちがゲームを通して、「インド人は手足が伸びて火を吹く」と勘違いしたように中国の子供たちもくにおくんシリーズを遊んで、「日本人は相手が死ぬまでドッヂボールをぶつけ合う」、「水泳中に鉄アレイを投げつける」、「アイスホッケーではスティックで殴り合う」と勘違いしたことが上記の「路上で殴られる」という勘違いに繋がったのかもしれません。

2016年11月11日金曜日

小池都知事のかわいいインタビュー

「朝日だわねえ…」小池百合子が苦笑 AERA編集長が聞いた“タカ派”の真意(AERA)

 また手抜きな記事ですが今日見たこの記事が面白かったので紹介します。
 前に固い記事で私は小池百合子都知事が以前に文芸春秋に寄せたコラムが面白く、なかなかに分析力のある人だと感じてそれ以来ずっと評価していることを書きましたが、今回のこのインタビュー記事でも切り返し方が上手く、具体的に挙げると、

「──都庁や都議会をブラックボックスと断じました。

 ブラックボックスを開く前に、エンプティーボックスが見つかっちゃった(笑)。」

 というようなやり取りがあり、やっぱり頭いいなぁこの人と改めて感じさせられました。
 ただそれ以上に面白かったのは最後にある、「小池都知事に聞きたい20の質問!」みたいなコーナーで、「Q1.尊敬する政治家は?」に「サッチャー・英元首相、サダト・エジプト元大統領」と挙げていて、「お、サダトやったら俺と同じやな」と思って続きを読んで行ったら、「Q2.好きな戦国武将は?」という質問に対して、「蓮如」と答えており、「武将じゃないじゃん!」と心の中でツッコんでしまいました。
 その後も時たま妙な回答が出されており、

「Q7.休みの日は何をしていますか?
寝ている

Q8.「眠る」以外のストレス解消法は?
ただただ眠る」

 と睡眠に対してやけに深いこだわり方を見せたかと思いきや、「Q17.今の職業以外では何になりたかった?」という質問に対して、「子供の頃はデパートでプレゼント用にきれいに包装紙で包む人」と、また妙にかわいらしいというか変に細かい職業を挙げてきてやっぱこの人只者じゃないと思いました。

2016年11月10日木曜日

江戸時代の化け猫騒動に関する誤解


 上の写真はまたネットから拾ってきた江戸時代の化け猫を描いた絵画ですが、猫の表情がなかなか良く捉えられており個人的に気に入っているので何故か保存してしまいました。私の感覚だとこの表情はなんとなく機嫌がいい時で、普段はじゃれないくせにこういう時は何故か自分からじゃれてくるような時だと思います。
 話は本題に入りますが江戸時代に猫と言ったらそりゃもちろん鍋島藩の化け猫騒動ってことになるので今日は現代人が考えている化け猫騒動に関する誤解を指摘しようと思います。

化け猫(Wikipedia)

 一般的に認知されている化け猫騒動と言うと、江戸時代のとある武家の主人がつまらない理由で手打ちにされた後にその母、もしくは奥方が後を追って自殺し、その家で飼われていた猫が主人を手打ちにした上役の武士に復讐するため化けて出るというのがよくあるパターンです。
 こういった化け猫話のオリジナルは江戸時代に作られた講談からなのですが、出版されるやあまりの人気ぶりから芝居にも取り上げられて非常に流行したそうです。その講談の中で舞台となる地名には「嵯峨野」という実際に京都にある地名が使われているものの、これは暗に「佐賀の」と読めるようになっており、当時佐賀を治めていた鍋島家が実質的な舞台だと当時誰もがわかってたそうです。

 そもそも何故鍋島家が化け猫騒動の主役に据えられたのかと言うと、戦国から江戸時代にかけて鍋島家が成立した背景に理由があります。鍋島家の実質的な開祖とされる鍋島直茂は元々、北九州一帯に勢力を広げた龍造寺家の家臣でした。しかし龍造寺家の当主であった隆信が島津家との戦いで戦死してしまい後に残された若い世継ぎとともに直茂は自分が家宰を仕切って隆三氏家を盛り立てようとしましたが、豊臣秀吉や徳川家康といった時の権力者からは高く評価されていた直茂の方が実質的な領主であるように扱われ、龍造寺家も直系の跡取りが妻を殺した上で自殺してしまったことにより成り行きから直茂が引き継ぐこととなり、龍造寺家を引き継ぐ形で鍋島家が大名となりました。

 この過程は当時からも龍造寺家を鍋島家が乗っ取ったと見られており、鍋島家には龍造寺家の怨念が向けられているなどとよく噂されていたそうです。この噂に乗っかる形で化け猫騒動の講談が作られて大ヒットしちゃったもんだから、はっきりと名指しこそされてなかったものの鍋島家が、「非常に迷惑なんですけど!」と抗議を入れたため芝居の方は上演中止となったのですが、これが返って「やっぱりあの話ってマジだったんだ!」と、余計に真実味があるように思われてしまい、「鍋島=化け猫」という図式が広く定着してしまったそうです。

 なので鍋島家で実際に化け猫が出たという事実はなくあくまで講談の中のお話なのですが、同も聞くところによると北九州では、「うちは化け猫騒動の鍋島家ゆかりの家だから昔から猫を飼うことが出来ない」などと主張する輩が現代にもいるそうです。具体的に名前挙げると漫画家の柴田亜美氏が自分で言ってますが、そもそも化け猫騒動は現実には起きてない架空の話なので猫を忌避するという伝統が江戸時代とかにあったとは正直思えず、どちらかといえば箔をつけるために明治以降から使われだしたレトリックなのではと個人的に考えています。

 この例と同様によく瀬戸内海沿いの村上性の人が「うちは村上水軍に連なる出身だ」などと言う人がいますが、当の村上水軍は戦国時代に解散されたことを考えると真実味はやはり薄く、その動機としたらやっぱり家名に箔をつけるためでしょう。大体、歴史的な家系をきちんとした根拠なしに主張する人の大半は、そんなに悪意はなく主張してるのだと思いますが基本的には疑ってかかるべきでしょう。


 化け猫は存在しないと言っておきながらですが、こんな場面に遭遇したら、「こいつ化け猫なんじゃないか?」と疑ってしまうことでしょう。にしてもバランスいい猫だ。

米国の大統領選挙結果について

 前説は不要だし今日もちょいちょい世を忍ぶサラリーマンとしての仕事が遅かったのでとっとと本題に入りますが、今日開票結果が出た米国大統領選挙で「ヒラリー氏優勢」という日本の報道とは異なりかねてから暴言で世界中からいろんな意味で話題となっていたトランプ氏が次期大統領に当選しました。

 この結果、というより日本の事前報道については木村太郎氏が述べている通りに日系メディアの国際報道はかなり偏りがある上に結構レベルの低い人がやっていることが多く、私自身も信用できないものと考えているためトランプ氏が優勢かどうかはわからないもののヒラリー氏が優勢という報道は必ずしも正しくないと信じていなかったので、「想定外の番狂わせ」という日系メディアほどの驚きは現在抱いていません。むしろ選挙戦に入って以降、ヒラリー氏が演説をすればするほどアンチ層が増えているように感じていたため、トランプ氏が勝つ可能性も十分にあるのではという気もしていました。
 なお職場では今日、大統領選の結果を受けて市場が円高へ急激に振れたことにより出向できている日本人社員らが悲鳴を上げていました。

 話は今後に移りますが、まず市場については誰が言い出したか知らないけどうまいと思う「もしトラ」こと「もしもトランプがアメリカの大統領に当選したら」というトランプショックが取り沙汰されており、実際に今日は日経平均株価が大暴落しました。ただ私個人の予想ではこの株価の下落は一時的なものでむしろ下落した今は株を購入するチャンスだと思え、円高はしばらく続くかもしれませんが私自身は比較的楽観視しています。
 このような予想をする根拠として私自身は、トランプ氏が大統領選挙中に主張していた過激な政策はどれも現実離れしていて実際には実行できないだろうと見据えているからです。トランプ氏自身は政治家を含む公職には一度もついておらず行政経験は皆無に等しく、また選挙戦でのツッコミに対する対応などを見ている限りだと政治的、国際的知識にも薄いことは明白です。となると彼が大統領に就任した後は誰が政治を運営するのかと言ったらこれまで通りに「ホワイトハウス周辺の政治プロ」達しかおらず、今後の政策もこれまでから大きく軌道修正されることはないと見ています。

 逆に、比較的行政に長けたヒラリー氏が当選していれば話は違っており、しかも彼女は初めて大統領選に出馬した際には同じ民主党内で指名候補を争っていたオバマ大統領を共和党以上に激しく非難し続けていたことがあり、私の中のイメージだとどうも一つの内容に意識が集中して周囲が見えなくなる傾向があるように思え、こういう人が大統領に来られるとやり辛いよなぁとすら考えていました。それに比べるとトランプ氏であれば周辺にどんな人物が来ているかで方針が見え対策も立てやすいだけに、言ってることは過激でもいちいち相手にしなければ日本側としてはやりやすい相手だと思えるだけに比較的安心できます。逆を言えば、政治的にやり辛い相手と言うのは「次に何するかわからない」ような人間で、具体的にいえばプーで始まる大統領です。

 恐らく明日の報道ではトランプ氏が大統領になってどうなるのかなどという特集が各所で組まれるでしょうが、私がここで声を大にして言いたいことは「一般市民にとっては何も影響はない」ということで、要するに必要以上に実現するかどうかも分からない未来に右往左往するのは勿体ないっていうことです。恐らくどこも危機感を煽るようなことばかり書いてくるでしょうが、トレーダーならまだしも関係ないのに「これからどうしよう」などと心配するのは気苦労が増えるだけだし、「なんや面白いおっさんが大統領になってこれから面白くなりそうやな」程度に眺めるのが精神衛生上にもプラスで、なおかつ余計なフィルターに実像をぼかされるのを防ぐやり方だと思います。
 なお最後に一つ皮肉を述べると、今回の大統領選の結果に一番うろたえたは政府関係者でもトレーダーでもなく、沖縄で基地撤廃運動を煽っている連中じゃないかと思います。最初に書いたようにトランプ氏の主張はどれも実現性はなく沖縄からの米軍全面撤退も実際には有り得ないことですが、今後この主張は明日の新聞などを通して広く影響力を持ち、日本人全体で国防についていろいろ考えるきっかけにはなると思え、それが連中にとっては望ましくない結果だろうというのが今日の私の意見です。

2016年11月8日火曜日

各国の国家的精神

 このところこのブログで頻出ですがマーブルヒーローのキャプテンアメリカは改めてみると日本にはないタイプのヒーローだなという気がします。そう考えるのも彼の行動原理で、彼は「アメリカ」という国家の名称を冠してはいますが米国政府に必ずしも従うわけではなく、彼が信じる米国の「自由」という国家的精神を守るために行動し、その自由を侵そうものならば敢然と米国政府にも立ち向かう当たり組織というもの全く疑いを持たずむしろ組織に染まってしまいがちな日本人には作り出せなさそうなキャラだなと考えるわけです。
 さてここで出てきた「自由」という概念ですが、なんだかんだ言いつつもやはりこれは米国の確固たる国家的精神で、少なからず米国民も「他の何を差し置いてでも優先すべき概念」であるという信条を持っているように見えます。具体的に言えばウォーターゲート事件やスノーデン事件で、ああした事件に対して米国民が見せる態度からは「自由のためなら自国の政府も倒す」という意思が感じられます。逆を言えば、米国民ほど日本人はそこまで自由という概念にこだわりを見せないとも言えるわけです。

 では日本人は米国にとって自由のような、国家的精神は存在するのでしょうか。あくまで私個人の意見で述べると敢えて同じように漢字二文字の単語を選ぶとしたら「天皇」と「平和(憲法)」だと思います。前者は言うまでもなく日本という国家そのものを代表する概念で、たとえ憲法で禁止されていたとしても天皇を守るためなら日本人はためらいなく戦争への道を選ぶと断言してもいいです。
 その天皇に次ぐとはいえ、「平和」も現代日本人にとっては最重要な国家概念であるのではないかと思います。日本の国家議論は突き詰めて言うと、平和をどう解釈するのかという議論にまとめ上げられ、平和を軸にして与党と野党が言い合っているように感じられ、その議論の手段が憲法にあるという風に感じたためこの言葉を挙げることとしました。
 また国民レベルでも如何にして平和を維持するかという価値観が何よりも優先されているように思え、極端な話、ISISが世界中でどれだけの人間を殺害しようと日本が戦争に巻き込まれないのなら全く気にしない、というか下手に係ると戦争に巻き込まれる種になりそうだから無視しようとする態度も透けて見えます。

 最近やたらと短い記事が多いのでなんですがもう一つこうした国家的概念を私が挙げられるとしたら中国で、中国の場合だと私の中では「拡張」という言葉が来ます。意味することは領土の拡張、中華文明の拡張、宇宙開発の拡張と、有史以来の中国人がやってきたようにとにもかくにもこの国は拡張というか「デカいことはいいことだ」を素で信じており、国民レベルでも誰もそれを疑ってない気がします。それこそ拡張できるなら何人国民が死のうが、政府が横暴しようがどんと来いと言わんばかりで、やっぱり周辺からするとはた迷惑な国だなともいえるでしょう。

今日驚いたニュース記事

女性の足なめた疑い、男を逮捕 京都(京都新聞)

 マジでさっぱり意味がわからないニュースで、頭の中には「妖怪足なめ」という妙な単語が飛び交っていました。そういえば水木しげるが亡くなって今月でもう一年か……。

スズキ中国進出の象徴「長安鈴木」業績好転、救世主は鈴木修会長(ZUU online)

 第三パラグラフの冒頭で、「スズキは1933年に長安汽車と合弁契約を結ぶなど、早期に中国進出を果たした。」と書いてありますが、1933年って言ったら戦前で、しかもその頃まだスズキは自動車を作っていなければ長安汽車も設立されていません。何が恐ろしいかってこの記事、こんなとんでもないミスが残ったままアップロードされている点で、誰もチェックしなかったのか、チェックしてたらしたで誰も気が付かなかったのかなどと思うと空恐ろしい記事です。
 なおこの箇所に限らずこの記事は全体に渡ってとんでもなくレベルの低い内容で、見出しに掲げている鈴木修会長ですがただ長安鈴木を訪問したとしか書いておらず、具体的に何かに貢献したという事実は書かれていません。おまけに業績面でも2016年Q3だけの業績見せられても業績回復してますねはいそーですかという奴はタダのアホでしかなく、このデータだけでは何とも言えません。書いた人コンサルタントらしいけど、わざわざ自分の無知を晒しだしてどうなのと言いたくなる記事でした。

2016年11月7日月曜日

業種によって異なる付加価値に対する意識の違い

 このブログで何度も書いている通りに私は数年前に経済紙の記者をやった後で一旦日本に帰り、去年末まではプレスメーカーに品質管理として働いていました。勤務先もオフィスとかじゃなくリアルに油臭い工場で毎日作業着てはノギス片手に計測してましたが、今こうしてブログを書いている自分が一介のライターだとするならば、メーカーでの工場勤務経験を持つライターなんて普通はいないだけにかなりレアな経歴を持つに至ったと思えます。
 まぁゼネコン出身の記者もおり、何気にこの前日本であった人と共通の知人だったのでビビりましたが。

 鼻にかけるつもりはありませんが工場勤務を経験したことによって、完全に理解したとは言えないまでもマスコミ側では異なるメーカー側の視点もある程度得られたという自負があり、この視点はほかのライターと比較する上ではなかなかの差別箇所になると考えています。そんな自分に言わせるとマスコミとメーカー、というよりはサービス業従事者と製造業従事者の間にはある一点で明確に視点が異なっており、もったいぶらずに述べるとそれは付加価値に対する意識です。
 より具体的に述べると、サービス業従事者は業務において如何に付加価値を高めるかに意識が向く一方、製造業従事者は付加価値に対してほぼ全くそういった意識はなく、如何にコストを下げるかに意識が向きます。言ってしまえば前者は付加価値は変動するという価値観であるのに対して後者は付加価値は固定で、変動するのはコストだという前提があるのでしょう。

 実際に両者の業務を見比べてみれば一目瞭然でしょうが、サービス業ではコストといえるようなコストは基本的に人件費しかなく製造業とは違って設備費や材料費といった原価を意識することはほぼ皆無です。逆に製造業は常にそういった原価の変動に頭を悩ませる一方で、自らが製造して販売する商品は一旦契約で仕切値が決まると価格は固定されてしまい、仮に付加価値を高めようと品質の改善をしたところで客先からは「だから何?」と一蹴されて値上げ交渉なんて以っての外です。なもんだから自然と両者で付加価値に対する意識は乖離していくのでしょう。

 恐らく認識はしていなくても、上記の意見は勤務経験のある人間ならストンと納得して、意識の差に対する程度の違いは有れども異論を挟む人はいないと思います。私が見る限りは両者の差を「クリエイティビティがあるかないか」などと言う人はいますが、付加価値に対する意識を軸にする人は多分自分以外いないと思われます。
 その上で私からもう一言言えば、この事実を真に知るべきなのは就活やってる学生たちでしょう。大体の人は就職後に徐々にそれぞれの意識に染まっていくでしょうが、この業種によって異なる付加価値に対する意識を事前に知ることで自分が現時点で向いている職種なり業界なりをある程度絞ることができ、キャリアプランなども設計しやすくなる気がします。でもって中には、どっちか片っ方の意識しか持てない人間も確実に存在しており、そういう人なんかはまさにこの点に気をつけて職選びしないとえらいことになるでしょう。

 私なんかまさにそういうタイプで明らかに学生時代からサービス業向きでメーカーとかは全く向いておらず、でもってマスコミ業界がやっぱり合っていたと周囲からもよく言われます。ただそんな自分ですら工場で手に着いたらなかなか引きはがせないえらくねっとりした潤滑油をプレス機に注入してたりして数年間(しか?)働けたんだから気持ちの持ちようによってはどうとでもなるのかもしれません。

 最後に上記に上げた付加価値、というより付加価値とコストのどちらに意識を置けるかについて、両方に意識を置ける人間というのはどうのかという問いについて私なりに答えると、はっきり言ってそんな人間は普通に存在せずいたとしたら超人でしょう。私のようにある程度は逆方向の視点を持つことはできるかもしれませんがベースとなる視点はやはりどっちか一つに偏り、敢えて表現したら今の私もサービス業の視点から製造業の視点を覗いているに過ぎません。
 なおこと創業者に関して言えば間違いなく、メーカーにおいても付加価値意識の高い人間が多いと言えるでしょう。

2016年11月6日日曜日

今週末のサイクリング

 昨日土曜日はまた例によって昆山サイクリング部の活動があったので早朝六時に自宅を出発して上海市から隣の昆山まで向かいました。距離にして50kmですが何度もとおっているのでもうお茶の子さいさいだと思っていたらなんと途中で後輪のタイヤがパンクし、どないすんねんと言いたくなるようなヤバイ状況に陥りました。
 その時乗ってたロードは今年一月に購入してから既に1000km以上は確実に走っていながら一度もパンクしたことがなかっただけにやや衝撃を受けました。もっともロードのタイヤはいつ、何がパンクするかは一切予見できないだけにしょうがないっちゃしょうがないのですが。

 話は戻りますがパンク直後に一瞬、帰ろっかなとか思いましたが既に昆山に宿泊するホテルも予約していたのでそこはぐっと堪えて30分くらい歩き、たまたま見つけた自転車修理屋に行って修理を依頼しました。そしたらそこの店主というか親父が、「タイヤの外皮も替えた方がいいよ」というのでならば一緒に変えてくれと頼み、チューブと共に外皮も変えて計60元を支払って再び昆山へと走り出しました。この時の時間ロスのため昆山ではほぼ休憩なしにサイクリングへと突入し、この日走破した距離は、途中に昼食休憩はあったものの大体120kmくらいでした。

 そして明けた今日、知人の伝手で安く泊まったホテルを飛び出してさぁ上海へと漕ぎ出して大体30分後、後輪からまるでビニール袋を巻き込んだかのようにバタバタという音が突如鳴り、再びパンクしました。まさかチューブ交換して一日でパンクするとは思いもよらずちょっと頭を抱えましたがすぐに切り替え、ちょうど工業地帯に入る直前の住宅地付近だったこともあり近くの人に教えてもらって自転車屋を訪れ、また直してもらいました。
 その際に店の親父が、「外皮のサイズが微妙に違うから替えた方がいいよ」というので素直な私は昨日の親父に対しファッキンと思いながらチューブと共に交換を依頼しました。っていうか言われてみると、タイヤ付け替える時に確かにサイズ妙だなという違和感はあった。

 この時に訪れたのはマンションの敷地内にある自転車屋で、ちょっと意外だったというかひっきりなしにパンクした自転車を持ってくる人がいて、なんと持ってきた本人が店の親父に頼まずにその辺にある道具使って勝手に修理していました。さすがにゴムのりとかゴムシール使うので修理を終えた後でお金を払ってはいましたが、こんなんありなのと思いながら見つめているとたむろしているその辺のおっさんどもが私に対し、「この自転車いくらだった?」、「最高時速は何キロ?」とかえらく質問をかけてきました。
 その際に「どこ出身?」と聞かれ、「日本だ」と答えるも私の中国語標準語がどうも通じない、っていうかかなり訛りの強いおっさんどもだったのでいまいち伝わらず、中国人の日本への侮蔑語……というよりかは一般的な呼び方の「小日本だ」と言ったら伝わりました。物も言葉も使いよう。

 その後、修理が完了して再び漕ぎ出して、再び50kmの道を走って自宅に戻ったのはお昼の一時でした。自分でいうのもなんですが昔と比べてメンタルが大分強くなったというか、中国で自転車トラブルにあっても一切動じずに淡々と自転車屋を探して直してまた走り切っちゃう当たり成長したなという感じがします。昔、杭州でサイクリング中に部品の硬度が足りておらずペダルが落下した際なんかは散々ファッキンファッキン怒鳴りながら引っ張って帰ってたし。

  おまけ
 昨日、元同僚に話を聞いたら前の職場の元上司が中国での駐在生活でどうも精神をやられていたようだったと教えてくれたのですが、正直に言って同情よりも侮蔑を覚え、明らかに自分より楽な立場にありながら精神くずすなんてとんだ軟弱ものだったんだなという感情を覚えました。もっともこれを昔の友人が聞いたら、「みんながみんな君ほど強くはない」と言うでしょうが。

2016年11月4日金曜日

中国の自動販売機(--〆)

 友人に進められたこともあるので中国の自動販売機市場について今日は書きます。

 まず大前提として、自動販売機の台数は間違いなく日本が世界最高で、日本みたく日常のどこにでも自販機が存在する国は存在しません。聞くところによると野外に自販機を置けるのは日本位なもので、ほかの国で同じことすればあっという間に釣銭とか盗まれたり壊されたりするそうです。
 そんなもんだから中国も自販機がある場所といったら基本的に屋内で、上海市内だと一番目立つのは地下鉄駅構内です。かつては全く存在しませんでしたがここ数年で台数は大きく増加し、証明写真の自動撮影機も地下鉄駅ならどこでも見られるようになりました。何気に証明写真の方は大学のゼミの同期が輸出してました。

 自販機そのもののメーカーについてははっきりと確認していませんが、恐らく日系企業が大半だと思われます。以前に筐体表面にでっかく「KUBOTA」と自己主張も甚だしい自販機を上海市内で見つけましたが、構造的にもノウハウ的にも日本が進んでいて逆に中国メーカー製ってのは見ないし聞かないので恐らく間違いないでしょう。構造もほとんど同じ売っているのもペットボトルの水とかコーラが大半です。

 ただこの前、ちょっと面白い自販機があり、具体的に言うと携帯電話で料金を払うという自動販売機でした。こういうと恐らく大半の方はSUICAでピッと決済する自販機を想像されると思いますがその上海で見た自販機はなんと、アプリで決済するという自販機でした。
 どのようにして使うのかというと、まずは買いたい飲料のボタンを押します。すると表面についている小さいモニターにQRコードが表示されるのでそれを携帯電話のカメラで取り込むと、電子決済アプリの「微信支付」が起動し、支払うかどうかの確認画面が出て決済用暗証番号を入力して承認すると、ガコンと飲料が落ちてくるという代物でした。

 タッチしてピッの自販機ならいざ知らず、このような自動決済機能を持った自販機はなかなかに珍しく、たまたま一緒にいた上海人の友人と二人して興奮してもう一回試そうということになり、私がその友人に何か飲料をおごってやると言ったら一番高いレッドブル頼もうとしやがったので「コーラにしとけ」と無理矢理変えさせました。でもって、二度目も滞りなくガコンとコーラが落ちてきました。
 ちなみに私が先に買ったのは「凍紅茶」というアイスティーです。

 前に日本人の友人と電子決済市場について話した際、小売店側が電子決済に対応するためには専用端末を揃える必要があり急には広がりはしないだろうとその友人は主張しましたが、上記の自販機を始めとして中国の場合はQRコードとアプリを使うことで電子決済を実現しており、専用のハードなど使わなくても従来のハード、下手すればQRコードが読めるレジ用スキャナなり携帯電話があればどこでも対応できるのでそれは違うと否定しました。何気にそう考えると、先ほどの電子決済が出来る自販機というのは地味にすごい代物のように思えてきます。

 またその時、友人には直接言いはしませんでしたが話をしていながら、「日本人はやっぱりハードから考えるな」と内心で思っていました。新しいサービスなりを普及するに当たってまずどんなハードを作って導入するかを日本人は考えがちですが、中国人の場合はこれとは対照的にソフトから考え、その後で既存ハードを再利用というかそのまま使おうとします。実際、飲食店などに行くと客からのオーダーを携帯電話(スマホ、フィーチャーフォンの両方ともあり)で入力して伝達、記録する店もそれほど珍しくなく、こうした活用方は日本人には無理でまず専用端末を作ろうとするなといっつも思います。

 少し話がずれましたが、もしかしたら日本にも上記のようなQRコードで買えるような自販機がもうあるかもしれませんが、広範なサービスに関してはやはりハードよりソフトから考えるべきで、この点に関しては中国の方が明らかに日本を上回っていると私には思えます。たかが自販機されど自販機といったところです。

  おまけ
 勤務先のオフィスにもお菓子とかジュースを売っている自販機がありますが、5元札入れて3元のコーラ買ったらお釣りの2元が何故か毎回出てこないので魔の自販機と勝手に呼んでます。

2016年11月2日水曜日

普段の昼食(・。・)

 マルクス主義的な情熱に燃えて残業して来てあんまりブログ書くのに今日は時間かけたくないと言ったら友人が「普段の昼食について書いたら」とグッドな案くれたので今日はそれで行きます。

 私は世を忍ぶ仮のサラリーマン生活をしているので普段は勤務先で昼食を取るのですが、同僚と一緒にどこか飲食店へ行くのを除くと近くの日系スーパーでお弁当買ってきて、オフィス内で食べています。買ってくるのは主に15元(約230円)サンドイッチで、割とパンが分厚く中にとき卵とレタス入っているのでお腹ごまかすのにはちょうどいいくらいです。前はそこでカツサンドも売ってて良く買ってましたが、何故か最近やめちゃったのでこのところ食べていません。
 サンドイッチのほかには丼飯、日本でおなじみのパック弁当もそこでは売られており、これらはそれぞれ30元(約450円)で売られています。よく買うのは牛丼で妙に出汁が効いてておいしく、その一方でカツ丼はなんか不味く感じるのでそこでは買いません。

 ほかの同僚たちについては、自分で弁当持ってくる人もいれば朝の出社時にコンビニなどでパンをあらかじめ買っておいてお昼になったら食べる人などもおりバラバラです。一回女性の同僚が、「今日は大漁だ」といって、どっかからエビの刺身買ってきて食べてたことありましたが。

 中国人スタッフについてはコンビニで弁当買ってくる人、ケータリングサービス使う人など分かれていますが、後者についてはあんまり詳しくないというか一度も使ったことがないものの中国ではすごい普及しています。検索大手の百度とかもそういった配達サービスをやっていて、加盟店のレストランメニューを携帯で注文するとわざわざその店で買ってきて送り届けてくれるそうです。なんとなく配達の人に悪い気がするので自分はとても使えません。

 休日だと私は自分で料理することが多いですが、そんな大したものは作らず、焼きそばをまとめて焼いて昼と夜に食べたりとか、後はハンバーグこねて作ったりとこの辺はあんま学生時代と変わりません。ちなみに作っててよく思いますが、中国は卵がなんか致命的にまずいのと、飲食店で出される目玉焼きは両面焼きで焼くから丸い黄身の部分が白身に埋まって出てきます。多分彼らより目玉焼きなら自分の方がおいしく作る自信あります。

2016年11月1日火曜日

韓国大統領の政治スキャンダルについて

 急な仕事が入ったため時間がなくまた寝ながらでも書ける政治記事ですが、韓国でパククネ大統領の政治スキャンダルが明るみになってからというもの隣国ながら大丈夫なのかと心配になるくらいの大騒ぎです。今日なんか検察庁に重機でツッコんだ人もいたそうで、下手なドタバタコメディ番組よりずっと面白いです。

 スキャンダルの中身についてはこの記事で詳細は省きますが、このスキャンダルを物にした韓国のケーブルテレビ局JTBCの取材には舌を巻くほどの凄まじい執念を覚えます。なんでも件のパククネ大統領と交友のあった女性が引き払った事務所で廃棄されたタブレットPCを回収して復元し、メール内容を解析したことから暴いたそうですが、ここのケーブルテレビ局の社長は著名なジャーナリストだったとのことでやはり実力ある人間のところには優秀な人が集まるもんだなと思うと共に強い敬意を覚えます。

 さてこの件ではスキャンダルの中身と韓国国内の混乱ぶりばかり伝えられていますが、あまりメディアで言われていない私個人が感じた点を述べると、パククネ大統領はその姿勢ぶりについては心底評価されていなかったのだなと感じました。報道などを総合するとパククネ大統領はこれまで政治的にクリーンな政治家と思われていたことが高支持率の要因となっており今回のスキャンダルでそれが否定されたことから支持率の急落を招いたそうですが、逆を言えばクリーンさしか政治的能力を持っておらず、その外交や内政といった姿勢能力については韓国国民からもさしたる評価を受けていなかったから今回急落することとなったように見えます。

 実際にこれまでのセウォル号事故や媚中とまで言われた対中国外交の結末などを見ているとお世辞にも勘の鋭い政治家とは思えず、以前にも書きましたが何かしらの信念を持って政治をやっているというよりは最後に話を聞いた人間から聞いた通りにやっているようにしか見えず、言い方を変えれば場当たり的な政治しかしていないように見えていました。外国にいる私(っていうかそもそも日本人が中国にいながら韓国政治語るのもおかしい気がする)から見てもこうなのだから、今の韓国人の糾弾ぶりを見ているとやっぱりその能力と資質に関してはみんなかねがね疑問に感じていたんでしょう。

 一応任期は2018年まであるそうですが、パククネ大統領の現状を見ると早くに退陣した方が韓国全体にとっても、本人のためにもいいでしょう。もっともプライドが無駄に高そうなのでよほど引き摺り下ろされない限りは自分から退陣することはないでしょうが、逆を言えばそうなると韓国国内の混乱は真面目に心配するほどひどくなるのではという気もします。
 サムスングループや大韓航空グループ(ついでにロッテグループ)は現在、製品事故と韓進海運の破綻とスキャンダルで結構大変な状態にあり、これに政治的混乱が拍車をかけるとなると外的要因にもよりますが非常に行く末が心配です。なのでこれに懲りたら、妙な目立ちたがり屋を大統領には据えないか、いっそのこと大統領制をやめて日本みたく議院内閣制にしたらどうかと提案してみたいです。真面目な話、韓国の国の規模と選挙区などを考えたら議院内閣制の方が合っている気がします。