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2017年5月31日水曜日

書評「東芝解体 電機メーカーが消える日」

 

 いつもAmazonの商品バナーは下部につけていますがたまには商品説明もかねて上からつけてみようと思います。まず結論から言えば非常に「買い」な本で、日系エレキ業界の現状を量る上では文句なしにお勧めできる内容です。

 この本は私が「総理」というダメ本読んで勧めてくれた友人に文句言った後、「これならどうだ?」と訪問販売のセールスマンのように続けて勧められた本です。著者の大西康之氏はこれ以前にも「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」という本を読んでおり(勧めたのはまた例の友人)、その内容と取材ぶりにはかねてから評価していたのでこの本も言われるがままに手を取りました。

 概要を簡単に話すと日系エレキ業界(電機と言わないのはシステムメインの富士通も入ってるから)の成り立ちから現状、そして何よりもその「親方日の丸」な構造について詳しく解説されており、さらに東芝やソニー、シャープなど各大手企業について個別に現状と今後について分析がなされています。長年エレキ業界に携わっていたという筆者名だけあってどのようにして紹介されている大手がのし上がり、そして衰退していったのかについてライブ感たっぷりに描かれてあり、特に富士通のニフティ売却について明確に「悪手」と評した上でその理由と背景を説明している点についてはよそではあまり見られない分析なだけに、読んでて大いに唸らされました。

 そうした個別記事もさることながら、前半部に書いてある日系エレキ業界の構造こそがやはりこの本の肝でしょう。説明されてみるとごくごく当たり前の事実なのですが、逆を言えば指摘されない限りは気づきづらい「親方日の丸」の構造について、NTT(電電公社)と東電を頂点とする親子構造によって説明しており、具体的に述べるとNTTと東芝がそれぞれ通話料、電気料金という自分たちで自由に価格設定できる実質的な税金によって設備投資を行い、それらをNECや富士通、東芝や日立が受注することで成り立っていたと喝破しています。
 しかしいうまでもなくこの構造は既に崩れており、それらがエレキ企業の衰退を招く一因となったと指摘しています。言われてみれば本当に簡単な構造ですが、恥ずかしながら自分は今の今までこうした構造を意識することがなかっただけに強く感銘を受けました。

 このほか見どころとしてはソニーの出井時代について肯定的な評価がなされている点や、エレキの中で唯一の勝ち組と言われている日立の収益構造が先細っているという現状があり、内容的にはおっさんも学生もエレキ業界についてしっかり学べる内容になっています。
 本来は少しは批判したりしないと書評として成り立たないのですが、この本については私から批判できる点は何もありません。前に読んだ三洋電機の本も見事でしたがそれ以上の鋭さを持って書かれており、あとがきにもありましたが著者の集大成的な本だと思えるので興味がある方はぜひ手に取ってもらいたいと思います。

  おまけ
 勧めてくれた友人に感想を伝えた際、第一声は「最初に出てきたお魚さんの絵がいい」でした。何故あそこでお魚さん使ったのかちょいちょい不思議ですが、不思議と私の心はがっちり捉えられてしまいました。

2017年5月30日火曜日

コメダ珈琲上海店

 (邪魔やおっさん)

 (こっち見んな)

 前から噂には聞いてはいたものの足を運んだこととがなかった上海のコメダ珈琲店に一昨日行ってきました。写真下のキャプションは私の心の声です。

 コメダ珈琲とは愛知県在住なら言わずもがな、最近は東京周辺にも増えてきていてマッドシティこと松戸にすら存在する日本の喫茶店チェーンのことです。私自身は名古屋で何度も訪れているだけでなくマッドシティ店にも友人といったことがあり勝手知ったる喫茶店ですが、特段ひいきにしているわけでなくメニューを覚えている程度の店という感覚です。
 なお、やはり喫茶店チェーンで一番評価しているのは京都のイノダコーヒです。あそこは他の喫茶店関係者に聞いても、「イノダには勝てない……」とみんな口を揃えて言います。


(店内は日本とまんま)

 場所は上海高島屋の隣にあるオフィスビル一階で、入り口は正面からではなく高島屋の地下鉄側一階入り口の脇から入った方が近いです。

 レイコー大は32元(約480円)

割と既視感の強いメニュー

 ざっと見た感じは日本の形態をそのまま持ってきている感じで、言い換えれば中国向けのローカライズはあまり見当たりませんでした。なお上記の写真にはありませんがシノワールも置いてあったもののそれ以外の甘味系メニューはほぼなく、ケーキとか食べようと思っていたのでこの点は個人的に残念でした。

 この時所持金が心もとなかったのですが携帯決済することができて一安心であったものの、それ以上はこの日はもうお金が使えず、家にずっと籠ってました。お金がない辛さを学生時代ぶりに思い出してます。

2017年5月29日月曜日

「総理」レビューとジャーナリスト山口敬之氏の疑惑

総理(Amazon)

 つい先日、というか先々週に上記の本を読みました。この本を手に取ったきっかけは友人からの猛プッシュを受けてのことで、「単独の政治本でこれほど好評なレビューが集まることはまずない」とまで言われて購入はしたものの、当時タブレットPCを故障により紛失していたことからなかなか読めず、新たにファーウェイのタブレット(性能めっちゃええけどビックカメラの店員、パスポートのこと聞いてくれたらよかったのに)を購入したことからようやく先々週に読むことができました。
 読了後、上記の勧めてくれた友人にさっそく感想を伝えましたがその内容というのも、「一体何故こんな本を俺に勧めたんだ?」という、自分でもかなりびっくりするくらい辛辣なものでした。さすがにストレートでここまでは言わず、「正直、勧められもののそれほど評価できない。というより、一般に読まれるべき本ではないしむしろ『読むなこんなもん!』というべき対象だ」というくらいやんわりとは言いました。

 私が何故これほどまでに辛辣な感想を持ったのかというと、政治解説本として単純に恐ろしく質が悪いからです。書かれている内容というのも筆者の山口敬之氏と安倍首相、麻生大臣との距離や関係性についてしかなく、途中に至っては、「あの政治的決断は自分が両者のメッセンジャーをやったからなされたんだぞ」という具合ではっきり書かれているところがあり、言い換えれば安倍首相と距離が近いことをあからさまに自慢する内容すら書かれています。

 一応、消費税増税先送りや総裁選再出馬の前後については詳細に書かれてはいますが、これらに関しては他の政治本でも十分把握できる内容だし、後者に至っては安倍首相をよく見せるために露骨なミスリードすらなされています。
 具体的に言うと、安倍首相が何故一度降りた総理の職を再び目指したのかという点について山口氏は、「東日本大震災と中川昭一の死が影響した」と指摘していますが、これは政治家の分析としては大いに間違っていると私には思います。まず東日本大震災について「影響を受けた」という政治家はたくさんいる、というか思想や感情に影響を受けていない人は日本人全体を含めてまずおらず、それた大多数の人たちと安倍首相の間では何が違うのかが書かれていません。強いてあげれば、「被災地訪問に山口氏が同行していた」という点だけが異なり、こう書くことで安倍首相の話を引き立てられるからでしょう。

 次に中川昭一の急死についてですが、確かにこれは安倍首相も少なからず影響を受けていますが、私が見るに現在の安倍首相のメンタリティに最も強く影響させた死は間違いなく松岡利勝でしょう。覚えている人には早いですが戦後初めての現役大臣(農水)の自殺にまで発展し、やはり今の安倍首相を見ていてリスク管理や大臣クラスの失言に対し、松岡自殺事件を意識していると思う節が多々見られます。中川昭一の自殺はお涙頂戴になりますが松岡利勝の自殺は安倍首相を貶める書き方になるから敢えて全く言及しなかったのではないかと私は見ています。

 そのほかこの本の欠点を述べると、安倍首相と麻生大臣しか政治家が出てきません。恐らくこの二人以外にあんま友達がいないのと、だからこそこの二人に利用されたんじゃないかなと思うのですが、文章を読んでいても安倍首相の政敵となる相手、具体的には石破氏に対してはやや辛辣な書き方が見え隠れしています。言い換えれば、安倍首相の忖度を受けて書かれた本じゃないのかなと思えてならず、内容からして読んでて事実を見誤る要素がふんだんに盛り込まれ、必要以上に安倍首相を持ち上げる記述があるため正直言って私は不快感を覚えました。
 唯一評価できる点を挙げるとすると、日本の政治記者というのはしばしば派閥単位で志向を巡らせることが多く、政治家個人単位で分析したり書いたりすることは案外少なかったりします。それら一般の政治記者の本に比べると派閥の話がほとんど出てこず安倍首相個人を中心に据えて書かれているため、観点としては悪くはありません。もっとも派閥単位で書けるほど人づきあいがなかっただけかもしれませんし、安倍首相個人を語る上では彼の御母堂を無視するというのは私の中ではありえませんが。昭恵夫人に対してすらも全く言及されていないし。

 それがためAmazonのレビューで好評意見が多いというのも、私からすればやや奇妙に移りました。何人かは私と同じような感想を持っており上記に挙げた点についても指摘されている人がいましたが、この本を評価した方々についてはもっといい政治解説本があるのだからそっちの方を読んだ方がいいのにと思えてなりません(友人を含め)。
 具体的には、文芸春秋にある赤坂太郎氏の定期コラムが一番簡潔でいいでしょう。これ書いている人は朝日新聞の記者だという噂がありますが、すでに十年以上も同じ調子で書かれていることを考えると複数人のペンネームかもしれません。

「私はレイプされた。不起訴はおかしい」著名ジャーナリストからの被害訴え、女性が会見(BuzzFeed Japan)

 そんな具合で友人に対しても遠慮なく不満をぶつけるくらいフラストレーションたまっていたところ、出てきたのが上記疑惑です。事件の訴え自体はその友人からも知らされていましたがこうしてトップニュースになるあたり本人もニュースな男になったじゃないかと感心しています。
 件の疑惑が真実であるかどうか私には判断する根拠や術はもちろんありません。ただ先ほどの本の内容、特に自分と安倍首相の近い関係をジャーナリストでありながら自慢するという記述の仕方を見る限り、自尊心が高い上に何か自慢せずにはおられず、思想に偏向がある人物のように私は感じたため、疑惑が事実であっても何も驚きがありません。

 繰り返しになりますが、政治家との距離を自慢するというのは私の価値観ではジャーナリストとしてまずあり得ない行為で、友人や記者仲間とかに自慢するだけならまだしも、堂々と本に書いてしまうあたりは正常じゃない気がします。私個人としては、こういう方にはあまりジャーナリストと名乗ってもらいたくないというのが結論です。

2017年5月28日日曜日

今そこにある危機

 中国は5/30(火)の端午節という祝日に無理やり日、月、火という連休に絡ませるため、昨日5/27(土)は出勤日で普通に仕事がありました。この土曜の出勤日分が月曜への振替にすることが国によってきめられているのですが、中国ではこういう妙な祝日の差配が多く地味にむかつきます。
 もっとも連休前とあって土曜は有休をとる人も多い上に社会全体も連休モードのため仕事が忙しくなるということはないのですが、私の方は抱えている案件があったため割と午前中は集中して仕事したものの、午後は手持ち無沙汰になったため次の原稿の調べものとかしていました。

 そしたら突現携帯にメールが来て、見てみると銀行からでした。なんでも三連休中に銀行システムアップデートをやるため連休中はATMでの引き出し等ができなくなるとの通知でしたが、「何故直前の前日に通知する?」というのが気になったものの、敢えて深く考えないようにして仕事に戻りました。
 ただこの時、財布の中身がやや心もとない状態だったことを思い出し、連休中ともなれば何かにお金使うかもと思って一応夜のうちに引き出しておこうかとは気には留めていました。そして仕事が終わってあらかじめ約束していた元同僚と市内で夕食を取った後、夜十時に自宅近くのATMに寄って引き出そうとしたところ、何故かATMの小部屋がロックされてて開きませんでした。

 見てみると張り紙があり、メール通知に書かれていた内容に加えて、「ATMは27日夜8時以降は使えなくなります」という文言が書かれていました。聞いてねぇよこんなこと!
 もっと早く下ろしておけばと後悔先に立たず。しかもこの時困ったことに、ただでさえ心もとない金額だった財布の中身が元同僚との夕食でさらに目減りし、リアルに80元(約1200円)しか残っていませんでした。このままだと連休越せないのではと激しく焦り、何か手はないかと思って試してみたのは携帯電話アプリのウォレットへのチャージでした。

 このアプリとはWe Chat(微信)というLINEをパクった決済機能付き中国アプリですが、銀行カードとリンクさせることで日本のSUICAみたいに携帯からお金をチャージすることができます。早速試してみたところ無事にチャージができ、まずは100元をチャージしました。
 これで少し安心して、連休中に何か支払いがあっても携帯アプリから決済すればいいと思っていったんはそのまま自宅に帰りました。しかし自宅に帰った後、もしかして翌日からはこのチャージや、銀行カード経由での携帯決済もできなくなるのではと思い直し、携帯電話のアプリ内にもっと金額をチャージしておこうと思って追加で300元チャージすることにしました。いったんアプリ内にチャージしておけば銀行カードとは関係なく決済できるので、普段はアプリ経由の銀行カード直接決済を行っているものの、保険としてアプリ内ウォレットへのチャージを追加したわけです。

 結論から言うとこの決断は正しく、翌日からは携帯アプリからも銀行へのアクセスは完全にできなくなりました。仮にウォレットへのチャージを忘れていたら、ガチで80元だけで連休3日間過ごす羽目となっていたでしょう。
 っていうかそもそも何故システム止めるという通知を前日にするのか、もはや怒る気にもなりませんが日本だったらニュースになることが中国ではニュースにならないし激しい混乱も起こらないあたりこの国はおおらかだと思います。それにしても結構冷や汗かいたことはもとより、明日も明後日もあんまりお金使えないから家に引き込まらないとなというのがいろいろ気をもたげます。

2017年5月25日木曜日

中国人事トラブル記事の反応

本当にあった、中国の人事トラブルに関する怖い話(JBpress)

 また定期ネタですが、一昨日公開された自分が書いた記事についてです。っていうか掲載日をすっかり忘れていてYahooニュースの雑誌ランキングを見て公開されていることに初めて気が付き、なんていうか昔に「太閤立志伝5」というゲームで鉄砲作って「ビームライフル」と名前を付けてしばらくした後、見知らぬ銃を拾って鑑定士に見せたら「これはビームライフルでござるな」といきなり言われて驚いたのを思い出しました。

 さてまた例によってYahoo配信記事のコメントを眺めたわけですが、これまでの記事に比べると比較的納得感があるというか、今回はきちんと自分のメッセージを受け取ってくれている人が多いなと感じました。記事内容については直接呼んでもらいたいのですが、この記事を読んだ反応によっては厳しい評価を下さざるを得ないというのが結論です。

 まず本文中で私は紹介したトラブルについて「極端なものばかり」と書いていますが、実はこれは真っ赤な嘘で、敢えて正しい言い方にするなら「(日本人から見れば)極端なものばかり」になります。この程度の人事トラブルなんて中国では日常茶飯事で、さすがに最初の例、記事中では遠慮して会社名を挙げませんでしたが上海にあるオリンパスのオフィスで従業員が刺されて大量出血したというのは都市部だと珍しい方ですが、解雇時に従業員がいろいろやらかすというのは中国では日常茶飯事です。というより、日本以外の国では日常茶飯事です

 Yahoo記事のコメントを見ているとちゃんとこの辺のことをわかっている人が多いのか、こうした人事トラブルは海外の現場ではごく普通で、むしろ日本の方が特殊だと指摘しているコメントが思いのほか多かったです。私の価値観でもその通りで、今回取り上げた人事トラブルは中国が特別だから起こるのではなく日本以外の海外ではどこでもこうした例はあり、むしろ意外に捉えてしまう日本人の方がイレギュラーです。

 コメントを見ると海外駐在経験をしたと思われる人のコメントも散見され、上位に入っているコメントを引用させてもらうと、以下のようなものがあります。

「今まで5ヵ国の発展途上国で仕事してきたけど、これが普通な気がするな~。
中国人は頭も良く、悪知恵付いてるから厄介そうではあるが。
まあ、日本が特殊と思った方がいいよね。」

(以下、上のコメントへの返信)
「そう思いますね。パワハラや追い出し部屋に従業員をいれて精神的に追い込んで退職に追い込むような方法は日本でしか通用しない。社畜というほど従順な日本人従業員と警察が真面目に働いてくれるという前提があっての事です。
そういう環境を悪用する日本企業もまた腹立たしい存在だ。
日本も銃の保持を許可されるようになれば、パワハラも減るかもしれませんよ。アメリカ人が銃を持つ自由を主張するのもわからなくはありませんね。」

「日本人は日本と外国は同じようだと考えているが、日本だけが特殊だと思ったほうがよい。日本人は正直、誠実を好み、裏切ったり約束を破ると良心の呵責にさいなまれる傾向にある。だが東西を問わず多くの外国人はどうもそうではないようだ。」

 正直に言えば、上記のようなコメントを見て少しホッとしました。基本的に私は「わかる人だけに伝えればいい」というスタンスですが、わかる人が全く存在しないとなるといろいろ不安になるというか、ちゃんと世界と日本を相互に比較できる人間が日本国内にいるのかという点での不安はやや解消されました。
 逆にはっきり言和せてもらうと、今回記事に書いた例を見て意外に捉えてしまったのであれば、日本国内にずっといるなら別にいいですが、井の中の蛙のような価値観と言わざるを得ません。

 このようにきつい言葉をなぜわざわざ書くのかというと、この記事のもう一つの裏テーマを強く主張したいからです。その裏テーマというのも、日系企業の人事のレベルが世界的に見ても極端に低いと思うという点です。

 上記の通りに世界の会社では解雇などによる人事トラブルで命を狙われたり逆恨みされたりすることはいくらでもあり、それだけに人事担当職は相応のタフネスや決断力などが高く求められます。しかし日本の場合は従順や素直を通り越して愚鈍なまでに抵抗せず、給与交渉を含めてあまりにもされるがままです。それに甘えてか日系企業の人事は営業や製造などと比べても他社と比較される機会が少ないこともあり、私から見てあまりにも仕事してないというか責務を果たしていないようにすら思えます。
 逆を言えばそういう意味では日本の人事部は改善の余地があるということにもなり、私自身も派遣問題とかいろいろ関わってきましたが日本の産業全体で「人事部とは何か?」というのをこの記事を通して少し考えてもらえればなと思って書きました。ついでに、日本の労働者もさすがに刃物で刺したりはよくないけど、バット持ってガルベスみたいにもっと暴れたりしてでも要求や主張を行うべきだとも言いたいです。もっともガルベスはピッチャーで、審判相手にやったのはボール投げだからバット関係ないけど。

 最後にこの記事に出てくる物流会社の駐在員ですが、この人は私の直接の知人で、記事中ではやられ役となっていますが現実では中国人も真っ青なことを平気でやってしまうこてこての大阪人です。中国語は使えませんがそんなのお構いなしに中国人相手でも一方的に日本語でまくしたて、きちんとできなかったら、「なんで日本語わかるやつ通して聞かんかったんや!」とまくしたてるそうです。
 そのほか雨天の中で車を運転中、歩行者に水かけるなと言ってるのに速度を落とさず脇の歩行者に水をかけた中国人運転手に対し、「なに笑っとんじゃボケ!」と言って助手席からいきなり殴り飛ばし、その場で車から降ろして解雇したこともあったそうで、やっぱこれくらいじゃないとこっちで管理職やっちゃだめだよなといつも深く感心させられます。つっても、ほかの大阪人からしてもあの人は特別だとよく言われてますが。

  おまけ
 今回のコメント欄で一番呆れたのは、

「これ、去年の夏の事件なのに、なぜ今頃話題になるの??」

 というコメントでした。この記事は人事トラブルをテーマにしたコラムであって事件速報の報道記事でないのに、なんでこんなこともわからない上にわざわざ文字にして残すのか理解に苦しみました。マジこんなことまでいちいち言いたくないんだけど私も。

2017年5月24日水曜日

与謝野馨氏の逝去について

「キッズウイーク」導入を=安倍首相「親子の時間必要」―教育再生会議(時事通信)

 本題とは外れますがまた思い付きのような無駄な政策を挙げてと上のニュースを見て呆れました。第一、「プレミアムフライデー」ともども、いちいち横文字使ってんじゃねぇよと言いたくなりますが、こうした横文字が使われる背景は何かしら後ろめたい理由とか別の思惑が混ざっている証左だと思います。多分この政策も、子供というよりかは学校現場の教師などから休日を増やせという要請があったから出てきたのではないかと睨んでいます。

【訃報】与謝野馨元衆院議員(78)が死去(NNN)

 それで本題ですが、最近自民党が復党を認めたという報道があって奇妙だと思っていましたがこういうことだったのかと納得しました。言い方が悪いですが既に死にかけていたこともあって温情として認めたのでしょう。

 与謝野氏については過去の私のブログを検索してもらっても度々登場する人物で、そこそこ長くブログを続けていることもあってなんかだんだん登場人物が減ってきたとも思えてきます。何故かこの記事に与謝野氏が何度も出てきたのかというとやはり政界においてもキーマンたる重鎮でその存在を無視できない政治家だったからです。

 そんな与謝野氏への私の評価を述べると、まず上記リンク先の記事にも書かれている通りに政策通であったことは間違いありません。比較的オールラウンドにどの分野にも通じており、特に財政分野に関しては自民党内きっての財政再建派で、私も同じ志向を現在も持ち続けていますが与謝野氏の発言や主張には納得させられたりすることも多く、その政策案などにもきちんと論理的裏付けもあって高く評価し続けてきました。

 ただ政治家として見た場合、正直なところあまり評価できません。何故かというと致命的なまでに政局勘が悪い人だったからです。
 自民党時代は年季を重ねるに連れて何度も閣僚入りするなど、その高い政策知識から周囲からも頼られる人材でしたが、一方で派閥というか周辺の仲間づくりはそれほどうまくなく、自民党内でもウマが合っていたのは比較的誰とでも仲良くできる故鳩山邦夫くらいだったのではないかと思います。また総裁選に出たタイミングや、政局に関する意見などを聞いていてもどれも疑問符を持つものばかりで、政治家として強く求められるタイミングを見極める方面の能力はかなり絶望的であったとみています。

 それがはっきりと露呈したのはわかっている人にはもうお判りでしょうが、自民党を離党した挙句に民主党政権で閣僚入りした時です。

 与謝野氏が何故自民党を離党したのかについては私もよくわからず、当時聞いた説では当時の自民党総裁の谷垣氏とソリが合わなかったという意見がありましたが、果たしてこれだけで離党するのかとなると疑問で、この方面でだれか情報があったら教えてもらいたいです。
 ただこの離党、そして民主党政権入りは、当時としても既に民主党の失政ぶりが目立ち批判も増えていた時期だということを考慮すると、火中の栗を拾うどころではなく、燃えている家の中へわざわざ消火器を取りに行くかのような理解できない行動であったと私自身は見ています。実際、この離党で民主党の菅直人政権時こそ特命大臣に就任こそしたものの、その後は本人の病気による政界引退もありましたが完全に過去の人扱いで、自民党が与党に返り咲いてからはますますその傾向が強まっていきました。

 何も何でもかんでも政治家は時局に追随すべきとは言いませんが、与謝野氏の場合はあまりにも時局というか政局を無視というか全く見当違いの方向に動くことが多く、それが政治家としてはあまりにも致命的過ぎたというのが私の評価です。とはいえ一時期は総理候補(あの時は誰も出なれたかもしれないけど)にも名を挙げられるだけの重鎮となったことは間違いなく、今回の訃報を聞いて私も、「ああ、この人も逝ったか」と思うほどは寂しさを覚えた人物です。
 謹んで、ご冥福を申し上げます。

2017年5月22日月曜日

自殺率統計に関する代表的なミスリード

安倍首相「朝日新聞は言論テロ」に「いいね!」 朝日記者が官房長官に事実関係ただす(産経新聞)

 本題と関係ないですが上記記事について、なんでこんなことに朝日もいちいち目くじら立てるのか見てて呆れます。第一、こんなこと指摘する朝日の記者どもは自分の記事内容とかに「いいね」とか押してないのかってんだ。
 なおここだけの話、自分がJBpressに書いた記事のYahoo配信記事のコメントとか見て、まともな批判ならともかく頓珍漢に記事内容を批判するコメント書く奴に対して何度も×マークをクリックしたくなりますが、さすがに筆者本人がやったらそれはまずいと思って我慢してます。同様に、〇マークについても一切クリックしていません。

 話は本題に入りますがこの前の記事で私は、日本が自殺が大きな社会問題であるかのように仕立て上げようと厚生労働省が統計操作をしているということを指摘しました。私自身は自殺者は死にたがってるんだから素直に死なせてやれよと思うのですがそれはさておき、こうした自殺を過剰に煽り立てる世論操作は今に始まることではなく十年以上前からこういったことは盛んで、今日はそういった際に用いられる代表的フレーズを紹介します。

「日本は先進国の中で自殺が最も多い」
 これなんかもっとも代表的なフレーズですが、結論から言えば間違いです。自分は十年以上も自殺統計見ていますが日本の自殺率がロシアを超えたことは一度もなく、厚生労働省の価値観ではロシアは先進国ではないようです。
 なお最近だと韓国にも抜かれており、どうも抜かれたあたりからこのフレーズが使われる機会は減っていった気がしますが、今でもよく知らない人がそのまま引用しているのを見るので個人的になんとなく不満です。

「日本の若者の死因一位は自殺」
 日本に限りません。病気することが少ない若者は、よっぽど治安が荒れてて殺人が多いところでなければ世界中どこでも死因の一位は自殺です。むしろこれは治安がいい、感染症が少ないということを意味するので「日本の若者の死因一位は自殺なんだよ。やったね!」と喜ぶべきフレーズでしょう。

「日本では若者の自殺が増えている」
 これは事実で、少子化にもかかわらず自殺数、率ともに確か増えていたと思います。ただ、それでも自殺者の圧倒的多数は50台以上の高年齢層によって占められているのですが、政府の自殺対策はやたらと若者向けアピールが多く、なんとなくですが「若者に自殺されたらまずいけど高齢者はこのまま減っていってほしい」なんていう思惑があるのではないかと疑っちゃいます。
 っていうかこういうこと平気で書くあたり自分って怖いな。

「日本は昔から切腹など自殺に対する意識や習慣が強く、自殺大国だ」
 上位30位には入りますが上に上がいくらでもおり、自惚れるなと言いたいところです。第一、切腹の習慣がなかったロシアやリトアニアは常に上位をキープしているあたり、あんまこういった思想や習慣は関係ない気がします。自殺大国と名乗るからにはせめてトップテン入りしてから言うべきでしょう。

 以上が主たるフレーズでいくらかは見たことがある人も多いのではないかと思います。なお厚生労働省が自殺率を引き上げて今後世界トップテン入りを目指すというのならいい方法があり、検死もっとしっかりすれば一気に跳ね上げられる可能性があります。というのも日本は異常死に対して検死医が不足していることもあってほとんど検死を行っておらず、相当件数の自殺が病死として片づけられているという現状をよく耳にするからです。
 逆に検死によって自殺件数が減る要素もあり、いわゆる「エクストリーム自殺」に分類されるケースがそれで、誰がどう見たって他殺にしかみえない案件が警察が捜査に乗り気でない、っていうかサボる目的で無理やり事故死に分類されることもあります。それだけに日本の世界自殺トップテン入りはまだまだ遠そうです。

 なおこの記事は敢えてふざけた文体で書いています。自殺に関しては深刻にとらえて社会問題と認知すればするほど増えていくという傾向があり、変に自殺対策とかで真剣に議論するよりかは、「どうやったら自殺が増えるのか?」という逆の観点から少しふざけて議論した方が減少に効果があると個人的に考えるからです。

2017年5月21日日曜日

「激動の昭和」の次は?

 疲労して頭痛もあるので短くまとめますが、今上天皇が来年末には退位するとみられることから次の元号が一体何になるのか市井でも段々と議論がされ始めてきました。元号は基本的に論語をはじめとした中国の古典から漢字二文字が選ばれるので予想すること自体ほぼ不可能であるためあまり興味がないのですが、その代わりに少し興味があるのが平成の通り名です。

 ひとつ前の昭和に関してはほぼ満場一致で「激動の昭和」という通り名が付き、現在においても歴史教科書などでこうした通り名とともに歴史が振り返られています。私自身の認識でもこれ以外の通り名は考えられず、戦争に負け天皇制の存亡すら危うかった時代を経て、経済力で世界二位に躍り出るほどの復興を遂げ、ある意味世界における日本史におけるボトムとピークが一緒にやってきたような時代でした。恐らく今後も昭和時代ほどアップダウンの激しい時代が日本にやってくることはなく、だからこそ激動という言葉に誰もが共感したのだと思います。

 然るに平成については果たしてどう表現するのか。私自身でパッと思いつくのは「安楽死の平成」で、一時は世界二位の経済力を保持して米国すら脅かしたにもかかわらず、経済力で中国に抜かれ、少子高齢化は激しくなり、年金をはじめとしたあらゆる制度が破綻してくるなどゆるゆると衰退してきた時代であったように思えるからです。
 何も安楽死というほど極端な言葉を使わないとしても、プラスなイメージの言葉はなかなか出てこずマイナスワードばかり浮かんできます。もう一個あげるとしたら「苦難の平成」といったところで、阪神大震災、東日本大震災の二つの巨大な震災を経験していることからの言葉ですが、まともに落ち着かせるならこの言葉じゃないでしょうか。それ以外だとストレートに「衰退の平成」というべきかとも思いますが、なんかこういう言葉編んでて今上天皇に悪い気すらしてきます。今上天皇は何も悪いことしてないというのに。

 あと最後に浮かんだ言葉を付け加えると、最近「失われた30年」という言葉すら出てきていることから、「失われた平成」というのもありかもしれません。もっともこれは自分で言ってて、自分の半生全部否定されているような気もするのであまり気分良くありませんが。

2017年5月20日土曜日

各所で数字が異なる自殺率統計の怪

 あまり人に自慢できるようなことではないのですが、実は密かに自殺統計とかにはやたら詳しいです。何故かというと大学二回生の頃に授業でなんでもいいから社会学に関することでレポート書いてこいと言われ、たまたまその頃に集団自殺が流行り始めていたので、自殺をテーマに一本レポートを仕上げました。それ以降もことある毎に世界の自殺統計を見続け、2008年か2009年くらいに自殺率で日本が韓国に追い抜かれた時とかも何故か妙な悔しさを感じたりするほどだったのですが、そんな私から見て以下の報道は久々に血が騒いだというか、一見して疑問を感じる内容でした。

日本の自殺死亡率ワースト6位(ホウドウキョク)

 上記のニュース内容はホウドウキョク(密かにこのネーミング嫌ってる)だけでなく他のメディアでも全く同じ内容で報じています、っていうか多分共同か時事の原稿をそのまま使っている可能性が高いと思いますがそれはさておき、私はこの記事に書かれている内容を見て、「この内容は本当に事実なのか?」とすぐ疑問を覚えました。いったいどの点に疑問を覚えたのかというと、日本の自殺率がワースト6位と書いてある点で、率直に言って近年自殺率が減少傾向にある日本で、ちょっと前までトップテンにすら入っていなかったのにどうして6位に入るのかと奇妙だと覚えました。また、

「自殺者の数が最も多かったのは、リトアニアの30.8人で、次いで韓国(28.5人)、南米のスリナム(24.2人)と続く。」

 という記述もなんとなく私の認識から遠いというか、リトアニアが入っていることはともかくとして世界屈指の自殺大国であるロシアの名前が入ってないのに疑問を持ちました。

韓国の自殺率、世界4位に低下=農薬販売制限が奏功(朝鮮日報日本語版)

 そんな風に探しながら思い出したのが上の記事です。上の記事は韓国メディアが書いた自殺率の国際統計に関する記事で、この記事内容によるとWHOが5/18に自殺率の統計を出したそうで、それによると「スリランカ(35.3人)、リトアニア(32.7人)、ガイアナ(29人)に続いて(韓国は)4番目に多かった」そうです。
 この時点で「韓国は自殺率28.5人で世界3位」と書いた日本の報道とはずれが生じている一方、自殺率の人数は日本の報道は韓国側報道の「28.4人」とほぼほぼ被ってます。

World Health Statistics 2017: Monitoring health for the SDGsメニュー報告書(WHO)

 こうなりゃ原典当たるしかないと思い直接WHOのページに行って上記の報告書とかを読みました。件の数字は報告書61ページの各国の自殺率で出ており、このページの情報によると韓国側の報道は記載内容に沿っており間違いはありません。
 一方、「世界6位」と自称した日本側の報道というか厚生労働省の発表ですが、この数字の根拠はやはり疑問というかはっきり言えばおかしいとしか言いようがありません。WHOの報告をざっと見る限りだと日本の自殺率は19.6人で、この数字以上の国を目につく限り上げると韓国、モンゴル、リトアニア、カザフスタン、ベラルーシ、ポーランド、ラトビア、ハンガリー、スロベニア、ベルギー、ウクライナ、ロシア、スリランカ、ガイアナ、スリナム、赤道ギニア、アンゴラがあり、世界6位はおろかトップテンすら到底望めない立場にあります。

 断言してもいいですが恐らくこの日本の自殺率国際順位が6位というのは統計操作された結果であり実態を表していません。日本側の報道では、「今回の国際比較は、2013年以降でデータがある国のみを抽出したため、全ての国を対象にしていない」と注意書きが入っていますが、上記のWHOデータは2015年に統計が取れる国を対象にしたデータであり、また日本一国の政府がWHOを超える統計データを作れるとは私には思えず、上記の変な注意書きは露骨に統計操作をしたことを言い訳する目的で述べた内容でしょう。

 では何故厚生労働省は統計操作を行ったのか。私が考えるに理由は自殺対策予算の獲得で、そのために日本の自殺率が世界的にも極端に高いということをアピールしようとした所作だろうということです。厚生労働省は以前にも「GKB47」とかいうわけのわからないネーミングで自殺対策キャンペーンを組もうとしていたこともあり、結構この方面で妙な動きというか小賢しい細工をしているように思えてなりません。
 賢しい厚生労働省もさることながら政府発表、というよりもはや大本営発表を鵜呑みにしてそのまま流すメディアというのもどうかと思います。数字の根拠とか原典や情報ソースに当たらず、明らかに誤った情報を垂れ流しており、一見してあのデータに疑問を覚えなかったのか呆れてものが言えません。もっとも、自殺統計を日常的に見ている私の方がおかしいとも思いますが。

 最後に、WHOのサイト内にあるデータベースでは先ほどの報告書とは別に自殺率の統計データがまとめられていました。こちらの統計データですが、どうも先ほどの報告書のデータと結構数字に差異があり、もしかしたらどっちかが統計処理されてたり、もしくは報告書の方が最新版として数字が更新されているのかもしれませんが(発表時期は1か月程度しか変わらないのに)、世界的な自殺率順位を見るのにはこっちの方が見やすいので、参考として載せておきます。
 それにしても、仕事終えて帰ってきて疲れているのに、自殺統計関連情報を延々数時間調べ続けてこの記事を書いている自分が不思議に思えてなりません。

<2015年時WHO自殺率国際統計データ(年齢処理済み、男女混合) 上位30位>
順位 国名
自殺率
1位 スリランカ 34.6
2位 ガイアナ 30.6
3位 モンゴル 28.1
4位 カザフスタン 27.5
5位 コートジボワール 27.2
6位 スリナム 26.9
7位 赤道ギニア 26.6
8位 リトアニア 26.1
9位 アンゴラ 25.9
10位 韓国 24.1
11位 シエラレオネ 22.1
12位 ボリビア 20.5
13位 中央アフリカ共和国 19.6
14位 ベラルーシ 19.1
15位 ポーランド 18.5
16位 ジンバブエ 18.0
17位 ロシア 17.9
18位 スイス 17.9
19位 カメルーン 17.5
20位 ラトビア 17.4
21位 ウクライナ 16.6
22位 ブルキナファソ 16.5
23位 ベルギー 16.1
24位 インド 16.0
25位 ハンガリー 15.7
26位 日本 15.4
27位 トーゴ 15.4
28位 北朝鮮 15.2
29位 ウルグアイ 15.2
30位 ナイジェリア 15.1

出典:Suicide rates, age-standardized Data by country(WHO)

2017年5月18日木曜日

災害時の囚人解放のルーツ

 知ってる人には早いですが、日本の刑務所や留置場では火事や津波といった大規模災害時に、緊急判断として刑務官の判断によって囚人を開放してもよいという法律があります。ただし開放はあくまで特例のため嵐の去った後に囚人らは元の監獄にまで戻ってこなければなりませんが、正直に戻ってきた囚人には減刑処置が与えられ、逆にそのままはぐれメタルのように逃げ出した囚人が後ほど捕まった場合、今でこそペナルティは本来もらえる減刑がなくなる程度ですが昔は死刑が処置されていました。
 こうした災害時の囚人解放は江戸時代からあり、当時は「切り放ち」と呼ばれていました。江戸はただでさえ火事の多い大都市であったことから実際に度々運用されてきたのですが、この制度のそもそもの始まりは江戸城の天守閣を含めたそっくりそのまま焼き尽くしたという、1657年の明暦の大火からだそうです。

明暦の大火(Wikipedia)

 この明暦の大火の際、江戸市内の監獄にも火が押し寄せてきてこのままでは囚人全員が焼け死ぬことはほぼ確実でした。それを不憫に思った石出吉深という獄吏は火災の大混乱の中、上役に掛け合うことなく独自判断で檻を開けその際に、「これは緊急的な処置であるからほとぼりが冷めたら必ず戻ってくるように。その折には自分の身命にかけてでも必ずやその義理に報いる」と話した上で、戻ってこなかったら地の果てまで追いかけるといって一緒に避難しました。
 火事の鎮火後、なんとこの時解放された囚人は言われたとおりに全員が自ら帰ってきました。これを受け石出吉深も約束通りに幕府へ掛け合い、これほどの義理深い者たちをむざむざ檻につなげておくのは勿体などと弁護した甲斐があり、囚人らは全員が罪一等を減じられたといいます。

 この石出吉深が独断でとった行動はその後幕府によって正式に法制化され、既に述べた通り実際に何度も運用され、現代の日本の法律にもきちんと残されています。仮に石出吉深がこの時解放しなければ、囚人らが一人でも戻ってこなければ果たしてどうだったかと思える内容で、ヒューマニズム性と相まってなかなか印象深いエピソードです。

2017年5月17日水曜日

週刊少年ジャンプの部数減少と今後の予想

 本題と関係ありませんが、パソコンを新調してWindowsも10になったというにもかかわらず、いまだに20年近く前のViXというファイラー兼ビューアーソフトを使っています。ずっとサポートされていないのでナビバーのスクロールが効かないなど不具合もありますが、いまだにこれを超えるファイラーソフトはついぞ見たことがありません。誰か同じコンセプトで似たようなソフトを作ってくれないものか。

 話は本題に入りますがここ数日、少年漫画雑誌の雄こと週刊少年ジャンプの発行部数がとうとう200万部を割ったなどという報道が出ています。この分野については私も以前に個人的に調べたことがあるので多少なりとも感が動くのですが、ほかの雑誌と比べるとジャンプはまだ部数減少を抑えている方であったものの、それでも未だに減少に歯止めはかからず、V字回復も遠い状態にあるようです。
 そんな少年ジャンプに対する今後の見解を敢えて述べると、私はこれからしばらくはこれまで以前より急角度で部数現象が続くと予想します。根拠は以下のインタビュー記事からです。

人気連載次々終了!『週刊少年ジャンプ』が抱えた苦境と打開策(創ブログ)

上記記事にはジャンプ編集者に部数減少の現況と今後の方針についてインタビューした内容が書かれていますが、これを読んで私はまだまだ落ちるなと確信したわけです。いったいなぜこのように判断したのかというと、編集者の回答がなんか偏っているように思ったからです。

 私自身は漫画雑誌の編集に関わったことのない門外漢ですがそれでも敢えて素人の立場から述べさせてもらうと、上記インタビューでジャンプ編集者は今後の巻き返し策として、今現在連載している漫画(コンテンツ)が今後どれだけ伸びそうかという話しかしていなかったからです。いわば連載作品しか触れておらず、ほかにはジャンプ関連のイベントにも触れてはいるものの、雑誌全体でどのような形にしていくかなどといった方針については何も触れられていません。

 個人的な意見ですが、やはり漫画雑誌というのはプロ野球チームと同じで、エースだけでは雑誌として成立しないと思います。それこそ好打者だけ集めたチームや先発だけ充実した野球チームが実際はあんま強くならないのと同じで、適材適所に必要な選手こと連載作品を組み合わせて初めて「強い雑誌」というものが出来上がるのではないかと思います。
 具体的に言えば今のジャンプのメイン連載はワンピースでしょうが、問題なのはその脇を固めるサブの連載作品にどのようなジャンルを集め組み合わせるかでしょう。それこそ中高生男子のゾーンに限定して高い人気がある作品だけ集めるとこのゾーンしか雑誌を購入しなくなるわけで、猛烈な支持を受けたとしても売上げにはつながりません。

 もちろん一番いいのは性別や年齢層を問わずに万人に受け入れられて大人気となる作品を連載させることでしょうが、そんな作品はこの世に存在するわけなく、かつてのドラゴンボールですら女性にはやや敷居が高い作品でした。
 となるとどうすればいいかですが、女性人気が出やすい作品や、往年のファン層に支持されやすい作品、小学生に受け入れられやすい作品などを連載に組み込んだりするほか、大人気とはならないものの、雑誌に掲載されていたら誰もがとりあえず一緒に読むような作品なども置いておくと読者としては手に取りやすくなります。

 これらはターゲットとなる読者層に着目した素人的意見ですが、やはりこういったターゲッティングなり雑誌構成に関する話が先ほどのインタビューでは全く見られず、ただ人気の出る連載作品を探して並べようとしているだけにしか見えなかったため、当事者である編集者ですらこれなんだから少年ジャンプはまだまだ落ちるなと思ったわけです。

 やはり私が子供だった頃はメイン連載の高い人気ぶりはもとより、その脇で一話完結物の作品や女性受けする作品も一緒に掲載されており、逆に小学生だった自分からすれば読みづらいようなやや高い年齢層向けの漫画もあったりとバラエティに富んでいました。今現在私はジャンプを購読していませんが、ざっと話を聞いている限りだとなんか高い年齢層、具体的に言えばジャンプ全盛期に子供だったが今は成人となっている男性向けの連載作品が多いのではと思えます。対s化にこのゾーンは金持ってるし人口もあるのでボリュームゾーンであって、小学生なんかは少子化で減っているのだからという切り捨て案という風にも考えられますが、果たして雑誌単体としてはそれでいいのかと疑問です。

 それこそ上記の観点からみて失敗した例を挙げれば、かつて少年マガジンが萌え系漫画をものすごい大量投入したことがありましたが、結果的には萌えブームとともにマガジンの人気もガクッと落ちました。なんか聞くところによると最近はデスゲームに持ってくという展開がマガジンには多いそうですが、あんまこういうこと考えないのかな。
 同じく失敗例だと少年ガンガンも、なんか知りませんが女性読者受けを狙った連載を大量投入して自滅したことがありました。ここは発行部数が3万部を切って「月間住職」という逆に気になるタイトルの雑誌にすら負けていると一時期言われましたが、ここの最新号の見出しは、

・亡き住職の後継者選定で紛糾した責任役員と檀家総代の任期切れ大問題
・24時間対応の冷蔵「霊安室」を新設した住職のいのちの伝道力
・新連載 新米住職のワーキングプア記〔1〕

 などが並んでおり、個人的に読んでみたくなるような興味をそそられる見出しが並んでたりします。

2017年5月16日火曜日

怒りのカルピス

 別に隠していたわけではないものの先々週末は日本に一時帰国していました。特に目立ったことはしていなかったもののこのブログの記事はため記事ことあらかじめ書いておいた記事をアップロードするだけで処理するなど、妙な隠蔽工作はしてはいました。
 特に日本滞在中は就活中と思われる学生が男女ともにみんな同じ髪型、同じ格好をして駅を歩いているのが気味悪いなと思ったくらいで取り立てて何かやっていたわけではありませんが、強いてあげれば滞在中はやたらとカルピスをがぶ飲みしていました。

 一体何故カルピスをがぶ飲みしていたのかというと、一言でいえば悔しかったからです。というのも上海市内でもファミリーマートなどコンビニに行けばカルピスが500mlペットボトルで売られているのですが、その値段は大体どこも20元(約300円)と日本での市場単価からすると法外な金額だったりします。
 私自身はそれほどカルピスが好きな飲料というわけではないものの、上記の価格でおいてあるのを見ると、「日本だったら100円くらいで飲めるのに。っていうかただでさえ希釈して飲むものなのに原価率いくらになってんだよ畜生」などと思えてきて、なんか変に悔しくて飲みたくなってくるのが不思議です。実際、同僚などは法外な値段と分かっていながらもコンビニによると20元払ってたまに買ってしまうことがあるそうです。

 しかし私はというと上記の価格設定がどうしても納得できず、スタインベックじゃないですが心に怒りの葡萄を実らせ、というより怒りのカルピスを希釈させつつ、どれだけ飲みたくても我慢してコンビニでは買わないようにしています。ただ回転寿司チェーンの浜寿司ではカルピスをコップ一杯6元(90円)で提供してくれているので、ここへ訪れた際には必ず飲んでいます。上記の同僚と訪れた際には入店一番で注文し、「2杯目も行くか?」と検討したくらいでした(結局飲まなかったけど)。

 そんな過程もあってか、日本滞在中は喉が渇くとやたらとカルピスを買って飲み、水割りやソーダ割りなどいろいろ試しつつ飲んでいました。まぁただのカルピスウォーターとカルピスソーダなだけですが。
 ただこれだけは言いたいこととして、普段それほど興味なく気にもとりとめないものであっても、変に高い値段つけられたりするとかえって飲みたくなります、それもすっごく。商品やサービスもそうでしょうが、「値段の持つ魔力」というのは馬鹿にならないもので、どんなカスみたいな商品でも高い値段が付いたらそれなりに価値があるように思えてくるから人の欲望とは不思議なものです。

 なお日本滞在での心残りも上げると、カップ焼きそばの一平ちゃんを食べ損ねました。食べようとスーパー行ったらそこで売ってなかったし……。

2017年5月14日日曜日

最近の教育関連提言に関する深い疑問

大学の授業料「出世払い」提言へ…教育再生本部(読売新聞)

 一目見て言い出した人の正気を疑ったニュースですが、大学の授業料を将来の「出世払い」としようとする意見がなんか出てきたとのことです。相手するのもばかばかしいので一言で片づけるならば「現行制度の奨学金との違いは何か?」といったところで、さらに付け加えるとしたら金を受け取る大学側の経営は考えているのかといったところです。真面目にこんな馬鹿々々しいを通り越して愚か極まりない意見を述べた人間は直ちに排除すべきではないかと思うくらいの低レベルな意見で、何か変な事態でも起きているのではないかとすら心配したくなります。

 今回の報道に限らず、ここ一年くらいの教育行政に関する発表や提言は疑問を持つものが多いです。その大半が安倍首相が掲げる教育再生に付随して出てくるものですがどれもピントがずれていることを通り越して現状すら全く鑑みられていない意見が多く、また素人が出したというよりかは狂人がのたまった内容ではないかとすら思うものも少なくなく、メディアもハードルは高いとは思いますがこうした訳の分からない意見を主張している輩の実名を調べて出すなどしてその責任なりを追求しなければまずいのではないかと思います。

 いくつか具体例を挙げると、真っ先に出てくるのは小泉進次郎議員らが提案した「こども保険」で、健康保険、介護保険、年金保険と並ぶ形で原資金を強制的に徴税して基金として運用していくという案のようですが、何故このような案が出されるのかこれも理解に苦しみます。
 問題点を一つずつ上げていくと、まずこのこども保険を運用するにあたっては他の保険同様に資金管理団体を作る必要があり、いわば天下り先団体が新たにできるわけです。次に作られた団体が果たしてきちんと資金を管理できるのか、年金や介護、ついでに郵貯であれほど大きな問題となったことを考えるとリスクが大きく、不安定に管理する団体に資金を預けることは今の時代に必要なのか。この次、奨学金をはじめとした教育支援給付と比べた場合のメリットが見えない。
 でもって最後、基金であることを考慮すると年金同様に負担者(納税者)と受給者双方で人数バランスが崩れた場合は負担額、支給額ともに変動することが考えられ、果たしてそれで「平等な教育」を担保できるのか、というのが私の疑問です。

 これらの行政に関する提言に限らずつい先日も「聖徳太子」の名称を使わず「厩戸王子」に統一させたり、同様に「鎖国」という名称も江戸時代当時は使われていなかったから廃止しようなどという提言が出ていることが報じられていましたが、その後の反論なども張って見送られたものの、なぜこのように的外れな意見がたくさん出てくるのか、教育行政は今どうなっているのか疑問が出て仕方ありません。
 大体「鎖国」に関しては、当時の状況を理解、把握する上で非常に適切な言葉となっており、この言葉を廃止して何のメリットがあるのか理解できません。第一、「当時は使われていなかったから」ということが理由になるのであれば、後醍醐天皇などごく一部を除けば大半の天皇の名称は死後につけられていることから、これらもアウトってことになります。「三国時代」など時代名称も同様で、繰り返しになりますがこうした意見を述べた人らは真面目に帰り道で車か何かに轢かれればいいとすら私は思います。

 正直に述べると、自分は教育行政とかそういうものにはあまり興味はなく、「親がなくとても子は育つ」と言い切って憚らないくらいその人間がまともになるかおかしくなるかは親や周囲ではなく、たとえ幼年であってもその本人の責任であると考えています。とはいえここ最近の教育行政の提言はそんな私ですら疑問に感じるものが多く、そしてその背景には利権に絡んだものがあるのではないかと思えてなりません。
 恐らく、森友問題に関してもそうですが憲法改正論議が進むにつれてこうしたおかしな教育議論が今後も増えていくのではないかと思います。学校の部活動時間や指導員に一定の規制や制限をかけるなどまともだと思えるものも出てはいるものの、やや目を光らせざるを得ない分野になってきたとこの頃私は思います。

2017年5月12日金曜日

中国の米国産牛肉開放報道について

米国産牛肉、中国への輸出解禁…貿易赤字縮小へ(読売新聞)

 久々に注目に値するニュースというべきか、上記記事内容のニュースを今日見て興奮しました。内容は見ての通り、中国が現在禁輸を続けている米国産牛肉について、先日の習近平総書記とトランプ大統領の会談で示唆された通りに輸入を解禁する方向で準備することが発表されました。基本、中国は発表前にあらかたの手続きなりを終えていることが多く、政策実現までは桁違いにスピーディに行動をとるため案外年内には輸入が解禁されるかもしれません。

 割とこのブログでもなんでも取り上げていますが、中国は米国や日本産の牛肉輸入を禁止していたため、中国国内だと非常に質の悪い、はっきり言えばまずい牛肉しかこれまで流通していませんでした。どれくらいまずいのかというと、オージービーフが高級牛扱いされて日本とは比べ物にならないくらい高い値段で出されるといえばわかりやすいかもしれませんが、そんなこともあって私も友人らとご飯食べる際はステーキ店があってもまず候補から外します。焼肉程度ならタレでどうにかなるところもあるのでまだ行きますが。

 そのため、以前にJBpressで書いた記事の中でも紹介していますが、中国では食にこだわる民族なだけあって「非常においしいらしいけど」という具合で和牛に対する関心が高く、神戸牛や松阪牛などといった日本の高級和牛を食べることを目的として訪日する人も少なくありません。ただ、中国国内に限って言えばあまり質が良くない上に単価がやや高めである牛肉はそれほど好まれておらず、最近は所得が上がってきていることもあって食べる人も増えてきていますが中国で肉というとやはり豚肉がスタンダードなままです。

 それだけに今回の米国産牛の解禁に伴って起こると予想される変化はなかなか興味深く、個人的にも関心を持っています。まずあまりよろしくない予想を述べると、中国が米国産牛を本格的に買い付け始めたら日本向けの牛肉の単価も引きずられて上昇する可能性が大です。もっとも値段がちょっとくらい引きあがるならまだいいものを、下手すれば人数が桁違いな中国人に悉く食い尽くされることとなって牛肉それ自体がなかなか食べられなくなり、いつしか牛丼が高級料理扱いされる時代が来るかもしれません。

 次に和牛に関してですが、現時点でも輸入が解禁されていないのでそれほど大きな影響はないものの、中国人が牛肉の味に食べなれて来た場合、日本の和牛への関心がより高まる可能性があります。仮にそうなったとしても日本としては中国への輸出は解禁すべきではなく、米国と違って絶対的に供給限界量が高くないこともあるので、今のまま禁輸体制を維持すべきでしょう。
 むしろ訪日観光ともっと組み合わせるべきで、個人的には入国した外国人全員に空港の税関前で和牛一切れを食べさせるくらいの姿勢を見せてもらいたいものです。

 和牛それ自体は上記の通り大きな影響はないものの、牛肉を使用する飲食チェーンの場合は今回の米国産牛の解禁に伴ってビジネスチャンスが広がるかと思います。現時点で吉野家やすき家などは中国各地に進出済みで現地でも大分受け入れられていますが、使用している牛肉は恐らくはまだ米国産ではなく(どこ産なのか地味に気になる)、味の面でもコスト面でも日本よりは不利でしょう。実際に日本の牛丼屋で食べた方が確実にうまいです。
 仮に解禁された場合、これら日系牛丼チェーンでは米国産牛を日本同様に使えるようになるので仕入面で有利になることは確実で、なおかつ中国全土で牛肉料理が広がれば牛丼屋を利用する客や機会も合わせて増加する可能性があると思います。牛丼屋に限らなくても、牛肉を使った鉄板焼きなどの料理をメインとするお店も同様です。

 まだ本決まりではないものの、結構大きなニュースなのでしっかり見守っておいたほうがいいとお勧めするニュースです。特に中国関係者は。

2017年5月11日木曜日

ゼロ金利政策が破綻している理由

 パソコンをマウスコンピューターに取り換えたのですが、移行作業自体はあらかじめ準備していたこともあって割と滞りなく終わったものの、イヤホンジャックが本体左側ではなく右側についているというのが微妙に嫌です。またUSB3.0のポートも右側ではなく左側、それも本体手前側についているのがやや不便ですが、設計上でこっちのほうが何か有利なのかな?

 話は本題に入って久々にマジな話をすると日本は安倍政権の成立以来、日銀は公定歩合を実質ゼロ、現時点においてはマイナス金利にするなどして市場の資金流通量を増やすため様々な政策を実施していますが、円安とともに日経平均株価こそ上昇したものの、目標としていた国内インフレ率の上昇は達成せず、また最終目標である国内景気の上昇も建設業以外では目立って好転したという話は耳にしません。さすがに一年や二年程度で失敗と決めつけるのはひどいとは思いますが、2012年末から政権が継続していることを考えるとすでに丸四年は経過しており、この四年で当初掲げていた目標が達成できてないことはおろか、目標値にまるで近づかない現状についてはもっと議論されるべきかと思います。

 結論から述べると、安倍政権と日銀が実施しているゼロ金利政策には致命的な欠陥が存在しており、それによって破綻して機能を果たせていないと私は考えています。その私が考える欠陥とは以下の通りです。

国内設備投資10.9%増 16年度計画 政投銀調査
企業の海外投資、増勢続く 直接投資150兆円超え 15年末時点(どちらも日経新聞)

 この二つの記事を読んで意図が分かった方はもうこの先は読まなくても結構です。逆を言えば、上の記事だけで私の意図が分かったとしたら、多分私同様に海外で働いているとなのではないかと思います。今回の主張は日本国内にいる人にはまずわからない内容ですし。
 もったいぶらずに具体的に解説すると、ゼロ金利政策によって金融機関から民間企業へと貸し出された資金は国内には投資されず、ほぼすべて海外投資に使われているから失敗したのではと私は見ています。

 ゼロ金利政策の狙いはどこにあるのかというと、中学の公民で習う内容と一緒で要するに貸出金利を低く抑えることによって民間企業の金融機関からの借入を促し、設備投資などの投資を行わせ社会全体にマネーがより多く流通させるように仕向けるというところにあります。しかし私が見る限り現在、日系企業は金利の低い日本の銀行から借り入れた資金を日本国内での投資には使わず、ほぼそのまま海外での投資に使用している現状があります。
 自分が何故この現状に気付いたのかというと、単純に日系企業のキャッシュ・フローを眺めていたら大半の大手企業は三大メガバンクの中国支店などを通してリボルビングローンなどを組んでたりしていることを見ていたからです。気が付いたらもうそれまでで、何故日本国内投資ではなく海外投資なのか、その必然たる理由もすぐにわかりました。

 はっきり言えば、日本国内に投資を行う価値はもう全くと言っていいほどないからです。日本はすでに少子高齢化に伴い人口も減少しており、若年層を中心に個人所得も年々減少するなどして国内市場は縮小の一途を辿っています。そのためたとえ日本国内で投資を行い原価を下げたり生産量を増加させたとしても、その投資が実を結んで売上げが増大する可能性はほとんどなく、仮にあったとしてもその実りはほとんど小さく海外投資ほどの価値は普通に考えればまずないでしょう。

 整理して述べるならば、確かにゼロ金利政策によって企業は金融機関から低利でお金を借りやすく投資がしやすい環境になってはいるものの、そもそも市場が縮小している日本国内で投資をする価値はほとんどなく、借り入れた資金はそのまま海外投資に使われてしまっているため、日本国内で資金が回らず景気は良くならない上にインフレも発生していないというのが私の分析です。なお極端な言い方をすれば、借り入れられるそばから海外投資に回されているので、事実上資金の海外流出が続いているともいえるでしょう。

 結論を述べるならばいくら金利を下げて資金を流通させようとしても、日本国内自体に投資価値がなければ資金は流出する一方でほぼ無価値だったというのが私の見方です。ただ為替操作という意味では確かにゼロ金利は効果を出しており、その点については私も評価します。しかし今後も続けようというのならせめて中国のように海外投資額や投資先に制限をかけるか、海外投資については金利を少しいじくるとかしたほうがいいような気がします。
 そのうえで国際競争力の高い産業を、きちんと国内で育成する必要があります。現在のところ私が見る限り観光産業ぐらいしか今後発展の余地がなく、本気で成り上がりたい若者は観光か、飲食か、あとは宗教かなぁ。

2017年5月9日火曜日

インター箱根ンタル

 先日、また同僚と食事中、関西出身者と関東出身者の違いについて話題が及んだ際、「関東の人は『タケモトピアノ』をほとんどの人が知りませんよね」と私が言及したところ、案の定というか周囲の関東出身者らはポカンとした顔を浮かべました。一方、関西出身者は私の言葉を聞くや、「え、東京の人タケモトピアノ知らんの?」と、こっちはこっちで驚いていました。

タケモトピアノ(Wikipedia)

 知らない人にも簡単に説明すると、タケモトピアノとは大阪に本社を置く中古ピアノ販売業者です。関西地域では昔から「ピアノ売ってちょーだい♪」と歌う特徴的なテレビCMを頻繁に流していることから誰もが知っている会社です。もっとも聞くところによると最近は東京周辺でも同じCMを流しているそうですが。

 話は戻りやはり私がにらんだとおりに関西と関東、どっちも私の言葉の内容に驚き、関西出身者に至っては関東出身者らに対し「ほんま知らんの?赤ちゃん泣き止むんやであの曲」 と、ああこの人もナイトスクープ見てたんだなと思わせるセリフも吐いていました。

 話は変わって昨夜、今度は関東育ち関東勤務の人二人と一緒に晩御飯食べていましたがその席で、「自分が関西に行って地味に驚いたのは、関西の人はほとんどが正月に箱根駅伝を見ない」と話したところ、こちらもまた案の定というかその場の二人はけったいに驚いていました。そのまま続けて私はその理由として、「そもそも箱根駅伝はコースから参加大学まで東京周辺でしかなく、関西の大学はどこも出走しておらず全国区のイベントというよりは関東甲信越周辺のイベントでしかない。だからこそ関西人も興味を持たず、正月は吉本ばかり見ている」と説明したところ、「言われてみれば……」とおののいていました。
 この箱根駅伝の話は私も最初に関西行ったときに、全く同じ反応をしていました。 私も箱根駅伝は正月における全国区のビッグイベントで日本中が見ていると思っていたのですが、少なくとも関西地域ではそれほどみられておらず、全国区ではないという事実を関西に行って初めて知りました。また関西人からすれば、箱根駅伝に東京周辺の人たちがそれほどまでに熱狂しているという事実を知らず、「そないけったいなイベントやったの?」と、逆に聞かれたことすらありました。

 上記の二つのエピソードは関西、関東のどちらかにしかいたことがなければまず気づくことのない差異です。ある意味、二つの地域にまたがって長期間居住したことがある私だからこそ気づいて指摘できる差異であって、見出しにも掲げている通りインター箱根ンタルでなければわからない部分でした。
 現在私は日中間の価値観の違いや文化や生活様式の違いなどを記事にして取り上げる機会が増えていますが、やはりこれは日中双方の社会でそこそこ暮らしたことがあるが故の賜物だといえます。 両者の違いを知るには両社にそれぞれ関わらなくてはならず、片方にしか関わっていないニモカカワラズ、「日中間ではこのような違いがある」とか、「中国人はああだこうだ」などと述べたりするのは個人的にはどうかなと思うところがあり、結論をまとめると、ともかく広い世界に出なければわからないことは存在するっていうことです。

2017年5月7日日曜日

「良質な記事」と「稼げる記事」のジレンマ

 別にわざわざ言うまでもないのですが現在私がJBpressで書いているコラムは基本月二回のペースでやっています。ただ、2月から4月は仕事が忙しいので月一本にしてほしいと要求して受諾してもらいましたが、結果的に言うと、何かしら取材するネタがあってこともあってこの間もほぼ月二本ペースで記事を出稿していました。そのかわり、内容は以前にこのブログで書いたものに肉付けしたり、パッとかける経験則や知識に頼ったものばかりで、初期の住宅価格やEV関連のようにしっかり取材したものではありませんでしたが。

 ただ、結果論から言うときちんと取材した記事より、こうした私の身近な中国ネタの記事の方が明らかにアクセスがいいです。理由ははっきりしており、きちんとデータに基づいた経済取材記事は一般受けしないというかその内容の価値をわかってくれる人がそれほどおらず、逆にそこまで深い内容でない中国ネタの方が大衆受けしてしまうからです。
 この辺、このブログで書いている記事でも同じような傾向があるのですが、執筆している側からすると結構なジレンマがあります。本当に中身があって価値のある「良質な記事」を書くべきなのか、それとも単純に閲覧数を稼ぐために中身の薄い「稼げる記事」を書くべきなのか、どっちに軸足を置くべきかで本気で悩みます。

 はっきりと願望を述べれば、多少投稿ペースが少なくなったとしても私としては良質な記事を書いていきたいです。というのもそうした記事は一般受けしなくても、本当に情報を届けたくなるような良識ある人たちに読んでもらえることが多く、現実にこのブログで知り合った人たちはそうした価値ある記事を評価してくれた人たちばかりでした。
 しかしその一方、やっぱりアクセスを稼ぎたいのも本音です。また理想主義者と言われる一方で変な所で現実主義的な価値観を持つ私なだけに、「評論家に評価されるよりも、一番売れてる物を書いた奴が一番偉いんだ」という梶原一騎みたいな意見も持っており、アクセス稼げないで果たしていい記事なのかという疑問も持ち合わせています。なおさっきのセリフは川端康成に向けて行ったとされる言葉だそうです。

 理想はもちろん、中身もあってアクセスも稼げる記事です。そういう意味では大江戸温泉の取材記事はその両方を成立させたので評価されたのだと思いますが、なかなかああいうおいしいネタはそこらへんに転がっておらず、あんな記事を毎回書くなんてそれこそズルでもしない限り不可能です。となるとやはり、上記の二つのどちらかに軸足を置かないといけないってこととなります。

 ひとまず仕事(最近どっちが本業かわからなくなってきた)の方が落ち着いてきたこともあり5月からはまた月二本ペースに戻すこととなったので、これまでよりかはじっくり取材した記事をもっと増やそうとは思っています。つっても5月も結構予定でいっぱいいっぱいですが。
 先日も仕事の方で連休明けとあって変にハッスルしてしまい、会社にいる間は全く疲れを感じなかったのですが、家帰ったらリアルに左目の視点が全く合わず、ほんとに見えなくなってマジビビりました。っていう今でも時たまグリグリって感じで痛みだしますが、疲れているということがわからなくなるほど怖いものはありません。

2017年5月5日金曜日

漫画レビュー「怨み屋本舗 巣来間風介」

 先日、毎日頑張っている自分へのご褒美(もう死語?)として、「怨み屋本舗 巣来間風介」の全6巻をまとめ買いしました。この漫画自体は既に読んだことがある作品でしたが、手元に取っておいて何度も読みたいと思っていたことから今回の一括購入に至りました。

怨み屋本舗(Wikipedia)

 この漫画はもう十年以上も連載が続いている復讐代行業を描いた「怨み屋本舗」シリーズの第2シーズン的な作品で、シリーズを通して主人公である女性の「怨み屋」ではなく、横浜支店ナンバー2の「巣来間風助」を主人公とした外伝的作品です。怨み屋本舗シリーズ自体は最新作を除いてほぼ全部読んでおり、こちらも十分にお勧めできる作品なのですが、個人的にはこちらの「巣来間風助」の方がまだ短く、また内容も面白いのでこのシリーズの入門としてはこっちの方をより薦めたいところです。

 具体的な内容を簡単に書くと、本編同様に怨みを持つ人間から数百万円で復讐を代行する怨み屋に所属する面々を描いた作品です。復讐には社会的抹殺、実質的抹殺(=殺人)の二つがあり、怨み屋の面々はそれぞれの特技を生かして直接的にではなく間接的にこの二つの復讐を果たしていきます。
 本編の主人公である怨み屋はどちらかといえばビジネスライクな性格をしており、自分たちの事を必要悪だと述べた上で、ただ依頼(=需要)があるから処理を行うとおった態度を取ることが多く、過去に被害を受け怨みを持つ人間たちにも突き放すように全く同情したりすることがありません。それに対し外伝の主人公に当たる巣来間はどちらかと言えば脆い性格をしており、悲惨な目に遭った依頼人に同情しては依頼料を負けたり、話を聞くだけで流すなどこれまでと比べて優しい性格をしたキャラとして描かれています。もっとも復讐対象に対しては全く容赦なく、敢えて苦しむやり方で殺害することにも躊躇しません。

 巣来間風助版の魅力を敢えて挙げるとしたら、やはりその主人公の特徴につきます。上記の通り優しい性格をしているため全編を通して観世懲悪的な始末屋物語が展開されるため見ているこっちとしても社会で正当に処罰されない悪人たちがバッタバッタと打ち倒されるのは溜飲が下がり気持ちいいです。また復讐の手段として巣来間は、元来がマジシャンという職業を生かして様々なマジックを生かして意表を突くようにして相手を追い込み、昼間は公務員という設定もあって非常にニヒルなキャラクターが確立されています。

 惜しむらくはこの外伝以降、本編において巣来間が登場するシーンが非常に少なくなっていくという点です。理由は主人公を食ってしまう魅力を持つこと、あと被ってしまうキャラが本編にいることが原因ではないかと思うのですが、私個人としては定期的に巣来間の外伝をもっと展開してほしいとすら願っています。


    
    

2017年5月4日木曜日

日本料理の歴史は何百年?

 先日、仕事帰りの地下鉄に乗っていた所、社内のモニターに醤油の歴史を特集する番組が放映されており、それほど長い時間ではありませんでしたが見入っていました。というのも、実家が野田に近く、キッコーマンの工場も身近にあって休日には工場見学するほど割と醤油には入れ込むバックグラウンドが自分にはあったからです。
 音声もなく短い時間とあってそれほど詳しく見てはいなかったものの、醤油発達の歴史では日本の製法改良なども取り上げられ、その中では件のキッコーマン(中国名:亀甲萬)の名前も登場するなど、あんま詳しく中国の醤油の歴史は知りませんが相応に日本の醤油の影響を受けているようです。

 この番組を見た翌日、また同じように地下鉄に乗りながら内容を思い返しているとまたふと突然に、「醤油の歴史を考えると、日本料理の歴史の長さはどのくらいなのか?」というまた妙な疑問がもたげてきました。一体何故こんなことを思ったのかというと、私個人の意見として日本料理は8割方成立しなくなるほど必須と言える調味料で、「醤油がない=日本料理も存在しない」との判断から、「醤油の成立=日本料理の成立」と言えるのではないかと思ったからです。

 早速資料なしで自分の頭の中だけで考え始め、まず醤油なしで成立する日本料理としては何があるかと考えたところ、パッと浮かんだのは天ぷらでした。後から調べたところ、天ぷらは安土桃山時代に西洋の文化が伝わったことにより生まれたとのことで、大雑把に16世紀頃に成立したと予想されています。これ以外の日本料理となれば餅系、あとは精進料理などで、後者に関しては余りメジャーではないものの日本全国で仏教が盛んとなった鎌倉時代以降は成立していたのではと思われ、ある意味最も長い歴史を持つ日本料理とも言えるかもしれません。

 ではこのほかの代表的な日本料理はとなると、寿司、刺身、そば、すき焼き、カレーとなれば、カレーは別格として他のはやはり醤油なしでは語れません。また味噌を使わない場合は煮物料理にも欠かせず、この辺りから醤油の重要性が高まってきます。
 調べたところ味噌はそこそこ歴史が長く、室町時代には一般にも普及して各地で頻繁に作られていた模様です。その味噌の副産物として醤油も徐々に作られ始め、江戸初期でこそ関西周辺でしか消費されなかったものの、江戸中期には野田などで大量生産が始まり、江戸や大坂などの大都市では比較的一般的に消費されたとのことです。

 実際にそばは江戸時代から、年がら年中ではないものの庶民のファーストフードとして成立しており、めんつゆに醤油が使われることを考慮したらこの時代には醤油が一般的に使われていたと考えて間違いないでしょう。
 このように考えると、現在代表的とされる日本料理の多くはやはり江戸時代を通して成立していったと言えるのかもしれません。寿司などもやはり江戸時代からだそうですし、醤油があって初めて成立するものは江戸時代の普及と相まって出来ていったのでしょう。となると日本料理の歴史は江戸中期くらいと考えて、大体約三百年くらいというのが私の計算です。

 もっとも江戸時代にすべての日本料理が出そろったというわけではなく、牛や豚を食べるようになった明治期にも上記のすき焼きのほか海軍食から発展したカレーや肉じゃがなどが生まれ、昭和期には中国から伝わったラーメンが独自発達を遂げるなどしており、ひとくくりに三百年というべきではないのでしょうが。

 なお「日本料理」というカテゴリーではなく、「和菓子」というカテゴリーで考えれば、恐らく日本料理より歴史は長くなると思います。和菓子は京都を中心に非常に長い間に独自の発達を遂げ、甘味料は当初は砂糖が高価だったため主にでんぷんが使われていましたが、室町時代にはそこそこ現代にも並ぶような代物が作られていたのではないかと思う節があります。
 ちなみにガチな話、京都の和菓子組合に加入するための最低条件は「創業百年以上」で、百年程度では「まだ新参やね」と平気で言われます。ほかの地域は知りませんが、京都の場合はどれだけ歴史が長いかがものすっごいステイタスに化けます。

2017年5月2日火曜日

鯖デ―ナイトフィーバー

 中国は昨日はメーデー(労働節)のためお休みで、土日を加えると三連休でしたが先週も仕事が忙しかったというか神経ガリガリ削られてたのでほぼずっと寝ていました。微妙に気温も高く、自転車こいでどっか行こうっていう気にもならなかったし。
 そしたら日曜になぜか魚を食いたくなり、近くのスーパーで鯖買ってきて家で焼いて食べたりしました。ただその際、包装に使われていたパックを何の気なしに洗うこともせず、そのままゴミ箱に放り投げていたのがそもそも始まりでした。

 翌日、つまり昨日月曜日、その四日くらい前から右側顎関節部が痛かったので何かしらの菌に感染しているとは自覚していましたが、案の定というかこの日になって発熱を催してきました。それでも午前中、またなんか急に火がついて日系企業の海外拠点データ集めに数時間没頭し、一旦昼に外出てカレーチャーハン+エビフライを食べて帰ってきた辺りになると熱でふらふらし始め、ちょっとまずいと思って床に入ることにしました。
 ベッドに寝っころがって呼吸を止めて数秒、何か臭うっていうか魚臭い。現在私が住んでいる部屋は京都の住宅の様に長細い構造をしており、入り口部に厨房があって、その次に食卓部屋、でもってベッドルームと細長く続くのですがその分風通しはよく、厨房のゴミ箱に入れた鯖の包装パックの臭いももれなくベッドルームにまで侵入してきていました。

 直ちにごみを捨てればそれまででしたがこちとら熱であまり動きたくないし早く寝たかったので我慢していましたが、寝ている最中ずっと「魚臭い」と思い続け、既に記憶が飛んでて曖昧ですがなんか鯖関連の夢も見ていた気がします。夕方に起きてようやくゴミを捨てて臭いも遮断できましたが、しばらくは鯖食べるのはよそうと思います。

  おまけ
 さっき自宅に帰った際、部屋の大家のおばちゃんも玄関前にいたので、このまでパソコン用デスクを買っていらなくなったそれまで使っていた机をいるかと聞いたら速攻でいるというのでそのままあげました。本当に中国はリサイクル精神にあふれた国だという気がしてなりません。