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2017年5月14日日曜日

最近の教育関連提言に関する深い疑問

大学の授業料「出世払い」提言へ…教育再生本部(読売新聞)

 一目見て言い出した人の正気を疑ったニュースですが、大学の授業料を将来の「出世払い」としようとする意見がなんか出てきたとのことです。相手するのもばかばかしいので一言で片づけるならば「現行制度の奨学金との違いは何か?」といったところで、さらに付け加えるとしたら金を受け取る大学側の経営は考えているのかといったところです。真面目にこんな馬鹿々々しいを通り越して愚か極まりない意見を述べた人間は直ちに排除すべきではないかと思うくらいの低レベルな意見で、何か変な事態でも起きているのではないかとすら心配したくなります。

 今回の報道に限らず、ここ一年くらいの教育行政に関する発表や提言は疑問を持つものが多いです。その大半が安倍首相が掲げる教育再生に付随して出てくるものですがどれもピントがずれていることを通り越して現状すら全く鑑みられていない意見が多く、また素人が出したというよりかは狂人がのたまった内容ではないかとすら思うものも少なくなく、メディアもハードルは高いとは思いますがこうした訳の分からない意見を主張している輩の実名を調べて出すなどしてその責任なりを追求しなければまずいのではないかと思います。

 いくつか具体例を挙げると、真っ先に出てくるのは小泉進次郎議員らが提案した「こども保険」で、健康保険、介護保険、年金保険と並ぶ形で原資金を強制的に徴税して基金として運用していくという案のようですが、何故このような案が出されるのかこれも理解に苦しみます。
 問題点を一つずつ上げていくと、まずこのこども保険を運用するにあたっては他の保険同様に資金管理団体を作る必要があり、いわば天下り先団体が新たにできるわけです。次に作られた団体が果たしてきちんと資金を管理できるのか、年金や介護、ついでに郵貯であれほど大きな問題となったことを考えるとリスクが大きく、不安定に管理する団体に資金を預けることは今の時代に必要なのか。この次、奨学金をはじめとした教育支援給付と比べた場合のメリットが見えない。
 でもって最後、基金であることを考慮すると年金同様に負担者(納税者)と受給者双方で人数バランスが崩れた場合は負担額、支給額ともに変動することが考えられ、果たしてそれで「平等な教育」を担保できるのか、というのが私の疑問です。

 これらの行政に関する提言に限らずつい先日も「聖徳太子」の名称を使わず「厩戸王子」に統一させたり、同様に「鎖国」という名称も江戸時代当時は使われていなかったから廃止しようなどという提言が出ていることが報じられていましたが、その後の反論なども張って見送られたものの、なぜこのように的外れな意見がたくさん出てくるのか、教育行政は今どうなっているのか疑問が出て仕方ありません。
 大体「鎖国」に関しては、当時の状況を理解、把握する上で非常に適切な言葉となっており、この言葉を廃止して何のメリットがあるのか理解できません。第一、「当時は使われていなかったから」ということが理由になるのであれば、後醍醐天皇などごく一部を除けば大半の天皇の名称は死後につけられていることから、これらもアウトってことになります。「三国時代」など時代名称も同様で、繰り返しになりますがこうした意見を述べた人らは真面目に帰り道で車か何かに轢かれればいいとすら私は思います。

 正直に述べると、自分は教育行政とかそういうものにはあまり興味はなく、「親がなくとても子は育つ」と言い切って憚らないくらいその人間がまともになるかおかしくなるかは親や周囲ではなく、たとえ幼年であってもその本人の責任であると考えています。とはいえここ最近の教育行政の提言はそんな私ですら疑問に感じるものが多く、そしてその背景には利権に絡んだものがあるのではないかと思えてなりません。
 恐らく、森友問題に関してもそうですが憲法改正論議が進むにつれてこうしたおかしな教育議論が今後も増えていくのではないかと思います。学校の部活動時間や指導員に一定の規制や制限をかけるなどまともだと思えるものも出てはいるものの、やや目を光らせざるを得ない分野になってきたとこの頃私は思います。

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