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2018年4月14日土曜日

中国人が花見を好む理由

  今1巻と2巻がKindleで無料だったので読んでみたらそこそこ面白く、下記の「骨が腐るまで」という漫画を一気に全巻買い集めました。軽く書評を書くと一見して映画の「ラストサマー」と同じ構成だと思いましたが、変に間延びせず話の展開がよく、7巻と少ない冊数でまとめられているので、総じて完成度の高い作品だと覚えます。
 なお友人に勧めた際、「死体とおっぱいがいっぱい漫画」と紹介したら、友人は何も答えてくれませんでした。何故彼は何も答えなかったのか、現国の問題にも使えそうな深い問いであるような気がしてなりません。



 話は本題に入ると既にピークは過ぎたと思いますが今年もやってきた花見シーズンにおいて、あちこちの花見の名所で中国人の姿が見られたのではないかと思います。単純に中国人は日本の花見文化を非常に気に入っており、この花見を体験するためだけに訪日旅行ツアーに申し込む人も少なくありません。
 こうした中国人の花見ブームについて日系メディアもその理由や背景についていろいろ報じており私も読んでいますが、決して的外れだとは思わないものの、私の考えている理由を挙げている人はまだ見当たりません。結論から書くとそれは、「中国には自然を愛でる文化が極端に少ない」殻ではないかと睨んでいます。

 中国で鑑賞する代表的な花と言えば梅の花で、梅を愛でる文化こそあるものの日本の花見のように定型化されたようなイベントはありません。また花に限らず自然を鑑賞し、愛でる文化やイベントごとが自分から見ても不思議なくらいに少なく、言い方を変えるとアウトドア文化が日本と比べると極端にありません。
 アウトドアスポーツについていうと、登るような山が少ないということから登山はほとんど行われません。当然、スキーなども中国ではごく一部を除いて行われません。また海水浴に至っては、中国は泳げない人の方が圧倒的多数です。

 自然を愛でる文化としては中国にも月見文化は存在しており、日本なんかより十五夜への熱意は高いように感じます。その一方で花や海、山、なんかこういった自然物と絡むイベントごとや鑑賞文化はあまり見られず、ましてや「自然を眺めながら野外で宴会」なんていうのはほぼ全くないから、だからこそ花見が新鮮にも映り興味を持ったのではないかと分析しています。詳しく検証したわけではありませんが。

 蛇足かもしれませんが、こうした中国人の行動思考の分析とか評論記事を見ていて、民俗学的アプローチがやや少ない気がします。自分の分析が民俗学的かどうかについてもはっきり言って疑問ですが、この手の分野ではプロである彼らの視点や言及が生かされないというのはどうなのかなという点でも疑問です。

2016年6月10日金曜日

上海ディズニーに対する産経の嫌らしい記事

・上海ディズニー波乱含み…相次ぐ故障、列へ割り込み、“ダフ屋”横行 正式開園まで1週間(産経新聞)

 前略、あまりにも公平性を欠いた記事であるためこの場で強く批判させてもらいます。
 また例によって産経新聞が開園直前の上海ディズニーリゾートについてあれこれ悪口を書き連ねているのですが、一部文言に関して完全に公平性を欠いており、記者の風上にも置けない書き方がなされています。具体的には、

「だが、5月に入場した関係者によると、人気アトラクションには長い列ができて2時間待ち、3時間待ちが常態化。」

 この記述ですが、「じゃあ東京ディズニーは?」と聞き返したいです。
 ほかにも聞きづてで批判的なことをこれでもかと書き並べており、以前にも同一人物が書いた記事を記者の友人が激怒していましたが、悪口しか口に出せないのかと聞きたくなるひどい書きようです。第一、全体的に「これだから中国人のマナーは」とでも言いたそうな書き方ですが、日本のUSJで大学生がバカなことをやったというのを覚えていないのでしょうか。どの国にも一部のおかしな人間はいますがそれをさも全体であるかのような、憎悪をかきたてるような記事の書き方をするのはあまりにも公平性を欠きます。

 もっともそれ以上に、現場で取材していない分際で偉そうな口を叩いているというのが一番腹立ちます。悔しかったら私みたいに現場行ってその目で見聞きしたり、カメラに取った光景を出せってんだ。

2010年11月23日火曜日

新聞を読まなくなったのはネットニュースのせいか

 別に隠すほどの事ではないのでもう書いてしまいますが、先週の金曜から日曜まで関西に赴き、お世話になったかたがたに中国へ行く前の挨拶回りに行っていました。夜行バスで行ったけど、自分が学生だった頃より本数が多くなったと思う。

 それはさておき今回の挨拶回りの最中に以前の恩師から誘いがあり、京都某所で行われた研究報告会にも参加してきました。報告会のテーマは今時の大学生ということで各専門の先生がそれぞれのまとめた内容を報告し合っていろいろと面白く、取り上げられたデータの中から面白かったのをいくつか抜粋すると、

・下宿生の支出は食費や娯楽費などほぼすべて下がっている中、家賃代だけは上がっている
・仕送りが減る一方、アルバイト収入も減少傾向
・一日一時間以上授業以外の自主勉強、読書を行えば統計上勉強している方になってしまう
・就職活動に苦しむのに男女ではあまり差がなく、どちらも真面目なタイプが苦労している

 ざっとこんなものなのですが、敢えて大きく取り上げようと思うのにこの記事の題となっている新聞とネットニュースの関連の研究報告でした。結果を先に言うとよく、「インターネットでニュースを見る習慣ができたので、新聞は読まれなくなった」と言われつつも実際に学生を調査してみたらインターネットでニュースを良く見る人ほど新聞も読む人が多くなったという内容で、私の感想を述べるとまぁそうだろうなと気がしたわけです。

 私自身も他の人間より人一倍ネットでニュースを見ますが新聞もほぼ毎日読んでて、購読ということになると学生時代はお金が惜しくて取りませんでしたがそのかわりに図書館や喫茶店でこれまたほぼ毎日チェックしていました。よく広告業の企業に勤めている人から最近はネットのせいで誰も新聞を読まなくなったという愚痴を聞きますが、確かにネットの影響は少なくないまでも今回のデータ報告といい、私は日本で新聞が読まれなくなっている本質はネットというより基礎学力の低下が原因ではないかと今回感じたわけです。

 日本にいるとあまり気がつきませんが、他国と比べると日本は相当な活字大国です。日本人全員が難しい漢字交じりの文章を読める識字率の高さはもとより多種多様な本が毎日出版され、そこそこの世帯では毎日新聞が配達されるなどということは他の国ではまず考えられません。他国で滞在した経験がある方なら分かるでしょうが他の国では本の紙質も悪ければ日本みたいに娯楽関係の書籍は異常に少なく(中国はビジネス書ばかり)、本を読むのは知識人くらいで本屋という店の形態もどことなく日本とは違っています。言ってしまえばこうしたブログが成立するのも日本人が活字を読むことに抵抗がなく、ユーザーが多いが故に草の根でも通用するからだと言えるでしょう。

 そんな日本はこのところ出版不況だと各所で騒がれていますが、それを推しても未だに日本は読書大国だと私は言い切れます。ただ以前の水準からは落ちているのは事実でそれがこのところの新聞購読者の低下にもつながっており、その主原因はネットだと言われているもののそれについてはかねてから反論もあり、私自身もネットでニュースは見るが新聞も見るのでなかなか腑に落ちていませんでした。
 そんなところへ上記の報告があったわけですが、結論を述べると私はネットでニュースを見るようになったのも全く影響がないわけじゃないもののそもそも新聞を読む人間が減った、言い換えるならば新聞を読むほど知識や好奇心を持つ人間が減ったのが原因じゃないかと思うわけです。

 日本の基礎教育力の低下はあちこちでも言われており、私も先日二年下の大卒の女の子から「チェルノブイリってなんですか?(´・д・`)」と言われてリアルに焦った経験がありますが、やはり私の目から見て勉強している人はネットだろうが新聞だろうがとにもかくにもニュースに対して貪欲であるのに対し興味のない人はネットニュースも新聞も読んでない気がします。荘考えるとネットニュースの配信が新聞の購読者を減らしたというより、日本の人口減もありますがそれまでの日本の基礎知識レベルの低下が主原因ではないかと感じるようになりました。

 基礎教育というとあまりイメージがしにくいですが、私なんか先日中国へ行ってこういったものが非常に大事なんだと思うようになりました。前にも書いた自動改札、券売機が使えない中国人といい、基礎教育レベルが高ければ当たり前に使える技術もレベルが下がって使えないということも十分に考えられ、今後日本も本というものは勉強する人しか読まないものになってしまうかもしれません。読書離れをどう防ぐかではなく基礎教育をどうするかという点に新聞社は着目すべきというのが、今日のまとめです。

2010年6月14日月曜日

マスコミと警察

 古いイギリスの言葉で、「Bad news is good news.」というのがあります。これはイギリスの大衆新聞草創期に、確か「Daily tit bits」が売れ始めた頃の宣伝文句だったと思いますが、要するに真面目な政治討論やら論説意見を載せるよりも殺人事件や有名人の不倫といった俗っぽいニュースを新聞に載せた方が部数は伸びるという意味です。
 この言葉が言われてからすでに百年以上も経過しておりますが、現代日本のマスメディアも依然としてこの言葉通りの形態を保ち続けております。

 現在、日本のマスメディアがそのような殺人や強盗といったいわゆる犯罪事件を取り上げる際、主なニュースソースとなるのは言うまでもなく警察や検察といった捜査機関です。そのため昔から刑事番などといって警察署内に記者を常駐させ、また警察の側も広報を行う際にはそれら記者を一同に呼び集めて記者会見を行うなど、もういきなり結論ですが結構なぁなぁなところが昔からありました。

 昨日から今日にかけて出張所の方で日本のマスコミの警察に対する態度について書かれたコメントをいただいたのですが、情報源としてお世話になっている事から警察の不祥事に対して日本のマスコミはやや及び腰なところが数多くあり、それこそ警察内の不祥事、警察親族の犯罪といったことについては事実を知っていながらも報道せず、ひどい場合では警察と一般人の訴訟が起きた際には警察側の言い分しか取り上げないうということまでありました。

 卑近な例を一つ挙げると、昨年冤罪が証明されて釈放された菅谷さんの足利事件も、きちんと取材がなされていれば当時のDNA鑑定技術では百人に一人の割合で同じ鑑定結果が出てしまうため証拠として使うには不十分だということがすぐにわかったはずですが、警察側の個人識別に問題がないという発表を鵜呑みにしてマスコミは菅谷さんの冤罪を事件当時は誰も疑わなかったのではないかという気がします。

 そんな警察とマスコミの関係ですが、たかだか二十年とそこらしかまだ生きていないもののやっぱり以前と今とでは大分変わり、まだ不十分さは感じるものの適度な距離をマスコミが置くようになってきたと思えます。その適度な距離を置くようになった大きな転換点を私が敢えて上げるとしたら二つあり、もったいぶらずに言うと一つは新潟少女監禁事件、もう一つは北海道警裏金事件だったと思います。

 前者は事件の内容自体が事実は小説よりも奇なりと言わざるを得ない事件でしたが、この事件の発覚当初、警察が開いた記者会見にて新潟県警の幹部らが一切姿を見せなかった事に対して記者から質問が集中し、ついには当時新潟県警の視察に訪れていた関東管区警察局長を麻雀接待していたという事実が明るみに出てきました。しかもその接待麻雀では図書券が掛かっているという本来禁止されている賭博麻雀だったなど、法を守るべき警察官が重大事件の記者会見をすっぽかしてまで(報告を受けていながらも接待を続けていた)そのような行為を興じていたことに批判が集中しました。

 続いてもう一つの北海道警裏金事件というのは、かねてより神戸新聞と並んで地方新聞の雄と称されていた北海道新聞が綿密な取材を長期に渡って行い続けた事から発覚した事件で詳しくはリンク先のWikipediaの記事を読んでもらえば分かりますが、警察は事件の捜査等に協力した一般人に対して捜査褒賞費という謝礼金を出す事があるのですが、北海道警はこれを逆手にとって実際には協力の事実がないにもかかわらず褒賞費名目の支出で経費を捻出し、道から多額の裏金を引き出すと共に私的流用していたという事件です。
 この事件の発覚以降、全国の警察組織で同様の手口が裏金が捻出されていた事が一斉に分かり、公民の教科書に書かれる事はないですが社会的に大きな影響を与えた事件だと私は認識しております。

 ただこの事件をスクープしたことから、今ではどうなっているかわかりませんが、その後の警察の記者会見では北海道新聞のみが締め出されるという、道警から露骨な報復を北海道新聞は受ける事となってしまいました。こうなる事は北海道新聞としても報道する前から予想していた事でしょうが、それにもかかわらず取材を続けて報道をした北海道新聞には私は未だに尊敬の念を持っております。
 それにしてもちょっと偏った意見かもしれませんが、北海道教職員組合といい、北海道の組織にはどうも頭のたがが外れているところが多いような気がします。

 日本は90年代初頭、今ではすっかり死語ですが「水と安全はタダの国」という言葉がありました。こんな言葉が使われるだけあって当時の日本の警察組織への信頼の高さは子供だった私でも感じ取れる位で、当時は本気で日本の治安は世界一だなどと信じてもいました。
 しかし上記二つの事件、更に言えば「桶川ストーカー殺人事件」も起こり、警察への国民の信頼は徐々に揺らいでいったように思えます。マスコミもそのような国民の意識を受けてか、現時点でも警察に擦り寄り過ぎだとは思うものの、以前よりは距離を置くようになってきたように見えます。

  おまけ
 何気に新潟県警の接待麻雀事件において、影の主役だったと私が思える人物として芸能人の蛭子能収氏がおります。というのもこの事件の前に蛭子氏も現金を賭ける賭け麻雀の現行犯で捕まっており、この事件が発覚した当時に新潟県警は、「図書券を商品に使っただけで、賭け麻雀じゃない」と法律違反を否定していましたがその度にこの蛭子氏の例が比較され(本人もテレビに出演して不公平だといっていた)ていたのが強く印象に残っています。

2009年11月11日水曜日

新聞業界における拡張について

 随分と久しぶりにこの「新聞メディアを考える」のカテゴリーを用いますが、今日は私が新聞業界において最も問題性があると感じられる「拡張」について、私の知っている内容を紹介しようと思います。

 拡張と書くと新聞社が一体何を拡張するのかと感じられるかもしれませんが、これは言うなれば新聞購読の勧誘のことで、よく一人暮らしとかしていると夜中にやってくるあれです。こうした新聞の新規購読を促す営業の事を新聞業界では「拡張」と呼ばれ、この営業を行う人員たちも「拡張員」と周囲から呼ばれております。
 こうした拡張が何故行われるのかといえばそれはやはり新規契約を得る事によって購読者数、ひいては新聞の販売収入を増やす事が目的とされているのですが、現在に至ってはそのような目的はほぼ有名無実と化しており、新聞業界のチキンゲームのような様相を為しているのが実態です。 

 具体的にこの拡張で何が問題なのかといえば、新規購読契約者に対する見返りです。こうした新聞の勧誘を受けた方なら分かると思いますが、大抵どこの新聞社も契約を条件に洗剤やら野球のチケットを新規契約者に見返り品としてくれます。こうした見返り品は通常「拡張材」と呼ばれて拡張員が申請することで新聞社本社やその支部が購入して拡張員へと配布されて使用されるのですが、一体それらの見返り品がどれだけ購入されてどれだけ部数の増加につながっているかという具体的なデータは新聞各社からは公開されておりません。

 というのも基本的に拡張員は各新聞販売店の従業員が兼ねる事が多いのですが、そうした拡張員が見返り品を本来の目的である販売拡張には使わずに、そのまま金券ショップなどに持っていって自分の懐に入れてしまうといった問題のあるケースが非常に多いからです。これはこの前に友人に貸してもらった「メディアの支配者」(中川一徳著)にて紹介されている事件ですが、以前にそうした見返り品の申請を拡張員から受けて発注を行っていた支部の責任者が、自らの権限を使用する事で新聞社(産経)に金券を大量に購入させる傍から換金し、なんと数千万円にも及ぶ金額を横領していたという事件もあったそうです。無論それらの経費は新聞社が最終的に引き受けることとなったのですが、そうした経費は経営維持のために周りまわって購読者への新聞販売価格に影響することになります。

 このようなとんでもない額とまでいかなくとも、関係者などから話を聞くとみんな多かれ少なかれこのような横領をやっているそうです。またこうした横領に留まらず、見返り品が配られる対象にも大きな問題が潜んでおります。
 新聞は基本的にどこも三ヶ月契約から行えるのですが、契約の度に見返り品がもらえるという事もあって中には見返り品をもらう為だけに意図的に契約を三ヶ月ごとに更新する方も少なくありません。それに対して以前からずっと同じ新聞を購読している人間はというと毎月購読料を払っているにもかかわらずそうした見返り品をもらえることは一切なく、この構図は言い換えるとずっと購読している人間の払う購読料によって得た収入で、新聞社はころころと契約を変える人間に対して見返り品を購入してあげているという構図になります。

 業種こそ違えど、携帯電話会社の契約争奪合戦が激しかった数年前には「0円携帯」という、新規契約者に対して新型携帯電話機の購入費用を携帯電話会社が実質的に負担することで契約を得るという販売方法をどこも行っていました。しかしこの販売方法だと同じ契約料でも既存の契約者層に対して、携帯電話機目当てに契約を度々変える人間がもらえる電話機代の分だけ得していることになるとして、公正取引委員会からの指摘を受けることによって現在ではすでに廃止されておりますが、現在も続いている新聞の拡張の構図はこれ全く同じと言っていいでしょう。

 またこうした費用面の問題に留まらず、確か数年前に拡張員が強引な勧誘を行って暴行を加えたというヤクザまがいの事件も起こっており、夜中に突然押しかけしつこく勧誘するなどといった拡張員のモラルについてもよく取りざたされます。彼ら拡張員からすると取って来た新規購読契約の数だけ報酬が得られるので、報酬目当てにひどいものになると購読料は三ヶ月は無料だなどとありもしないでまかせを言って契約させるという例まであります。またそういった拡張員に対して、三ヶ月ごとにころころ契約を変える購読者は上客になってしまう事実もあります。

 このように費用がかかるだけかかってそのくせ購読者が定着しないのに、一体何故新聞社がこのような拡張にお金をかけるのかといえば、一言で言えば目先の部数が目当てだからといわれております。この拡張に負けず劣らず問題性のある「押し紙」についてもそうですが、新聞社は発行している部数が多くあると言えば言うほど広告費を得られる構図となっており、それこそ水増ししてでも部数を多く見せようとします。そのため定着しないとは言え少しでも部数を上積みしてくれるのであれば湯水のようにお金をかけて得ようとするそうです。そうした少ない部数を奪い合う形で、新聞各社はチキンゲームのようにお金をかけて拡張合戦を繰り返しているというのが現在の状況です。

 私に言わせると、そもそも紙面を充実させて購読者を得ようとするのではなくこのような拡張に大金をかけること自体が新聞社として間違っているように思え、また営業もするならするで契約を次々と変える人間ばかり相手して既存の購読者を大事にしないというのも非常に卑怯だと感じます。そして広告費の算定についても、何故未だに発行部数ではなく購読契約者数(どこも公表していない)を用いないのか、もっとスポンサーは怒ったっていいでしょう。

 なお新聞の集金を行っているうちのお袋のよると、ずっと同じ新聞を購読している人はみんな人当たりがよくて集金に行っても金払いよく払ってくれるのに対して、契約を何度も変える人は金払いも悪いだけでなくあれこれ難癖をつけてくる人が多いそうです。さもありなんな話です。

2008年6月26日木曜日

新聞メディアを考える~最終回、今後の予想~

 予告どおり、今回がこの連載の最期の投稿です。最期なのでこれまでを振り返りつつ、今後に起こりうる変化について予想します。

 まず、何度も言っていますが現在の新聞社は非常に厳しい経営を迫られています。そのことについて最初の投稿にて、
「よく巷では、日本のメディアは規制に守られていると考える人が多いのですが、マスコミ関係に勤務するある知人の話のよると、確かにテレビメディアは守られているが新聞メディアはそうでもない、と言っていました。それでも私は新聞メディアは他の業界に比べて守られている気がします」
 と書きましたが、この時に私が言おうとした日本の新聞メディアを守っている規制と言うのは、知っている方も多いでしょうが「記者クラブ」です。

 本当はこの記者クラブで一回分記事を書いてもいいのですが簡単にまとめると、日本の官公庁の記者会見による発表の際、この記者クラブという業界団体に加盟してないと、取材はおろか会見場に入ることすら許されないのです。この記者クラブに入れるのはそれこそ新聞、テレビの主要メディアだけで、雑誌メディアなどは目の敵のように追い出されるらしく、これは大メディアによるいじめだと、元週刊文春の記者で今はテレビのコメンテーターをやっている勝谷誠彦氏がよく吠えています。

 しかし実際に、この制度ほどおかしいものはありません。よくマスメディアは「知る権利」を主張して国に情報開示を迫りますが、そのマスメディア自体が業界団体を作り、新参メディアを排除して情報を独占しているのは言い繕えようのない矛盾でしょう。そしてもうひとつのこの制度の欠陥が、現在の日本のマスメディアはニュースを獲得するのに、官公庁発表に頼りきっているという点も見逃せません。

 それこそ犯罪事件の捜査状況などは警察に頼るほかなく、警察に嫌われまいとマスコミは警察の悪いニュースはあまり報道したがらないという憶測さえ飛び交っています。実際に、警察内部の裏金問題を暴露した北海道新聞はその後、道警から情報をもらえなくなったとまで言われています。そして五回目の連載にて書いたように、情報ソースが一緒で同じ発表をみんなで報道するもんだから、各新聞社の紙面が横並びに同じ記事になってしまうという弊害もあります。どう贔屓目に見たって、この記者クラブにいいところなんて見つかりません。

 そういうわけで欠陥を抱えまくって経営も苦しいのに、何故未だに新聞社が会社として成り立つかですが、その理由は恐らく、現段階で情報を入手するまともな取材機関を持つのが新聞くらいだからでしょう。もっとも、対抗馬のテレビメディアも取材機関を持っていますが、三回目の連載で書いたように新聞社と一体な所があるので、敢えてここでは区別しません。

 ネットの情報も、基本はこの新聞社の取材機関が取ってきた情報を元にあれこれ出回ります。かつて、確か三年くらい前だと思いますが、韓国で成功した、ネットユーザーから情報を募り報道するというネット専門のニュースサイトが日本でも発足した際、「2ちゃんねる」管理人の西村氏がそのレセプションにて、「きっとこの手の商売は成り立たないと思う」と、発言しました。その理由というのも、ネットユーザーからの情報は自発的な投稿に頼るほかなく、給料をもらって情報をとってくる連中に敵うはずがないというものからでしたが、その予想は的中したのか、その後このネットニュースサイトの続報は私は見たことがありません。

 なんだかんだいって、日本に流れる情報の大半は新聞記者が取ってきた情報です。この状態が続く限り二、三社は潰れるとしても、新聞社がなくなるということはないと思います。逆を言えば、先ほど言及した記者クラブがなくなり、新参メディア、それこそインターネット会社とかが自前でまともな取材機関を持った時というのが、本格的に新聞メディアが死ぬ日だと思います。

 そして何より、現在の日本の新聞社は企業として大きくなり過ぎています。世界の主要新聞と比べても、発行部数ばかりでかくて権威は全く及びません。そして今、その大きくなりすぎたつけとして経営が圧迫されているのだと思います。
 今後日本の新聞社が取り得る選択肢としてまず挙がるのが、社員の大幅なリストラです。この際、現在の半分以下にした方がいいと思います。
 次に、メディアの鞍替えです。この際新聞という媒体から、お仲間のテレビに取材機関を移してやってく方が賢いかもしれません。どうせテレビメディアは規制に守られてて、法外な給料をもらっているらしいし。

 最初にも書きましたが、現段階でいうなら新聞は死ぬメディアです。そして私個人的にはかつて娯楽がラジオからテレビへと移ったように、この新聞メディアを殺す新たなメディアがこれからでてくるのではないかと思います。それこそ今の雑誌メディアかもしれませんしネットメディアかもしれません。どちらにしろ、新聞で主な情報を得るという時代は遅かれ早かれ、もしかしたらすでに過ぎているのかもしれません。

2008年6月24日火曜日

新聞メディアを考える~その六、新聞社の経営~

 今日はちょっと疲労気味なので、短くまとめて、信長の野望で真田家で天下を狙いたいと思います。いやね、この前長野の真田家の居城である上田城を見てきてまたやりたくなっちゃってさ。

 さて今回は新聞社の経営についてですが、特に専門的にこの分野を学んだというわけではないので、あくまで私の理解の中の話だと了解して読んでください。
 新聞社の経営について、わかっている人はわかっていますが、その収入の半分以上は広告料です。一ヶ月当たりの新聞購読料は4000円くらいですが、これらはほとんど収入にならず、スポンサーが紙面に載せる広告料が主な収入源となっております。そのため、スポンサーである広告主を集めてくる広告代理店に新聞社は逆らえなくなっているのが今の日本のマスコミ界の最大の問題と言われ、しばしば非難される点でもありますがそれはまた今度にやるとして、とにもかくにも新聞の広告料が新聞社の生命線となっています。

 ちなみに少し話は脱線しますが、新聞社の経営というのは一般的にも非常に難しいといわれています。それこそ明治の初めの頃はいろんな人が新聞を出していましたがみんな失敗してます。一例を挙げると首相にもなった西園寺公望は主筆に幸徳秋水を迎えてやってましたが失敗し、また当時から知名度の高かった福沢諭吉も失敗してます。なおその当時の経営も購読料よりは広告費に頼る傾向が強かったようです。

 そんなんで現代の新聞経営では広告が大事なので、基本的に大きなスポンサーには逆らえないとも言われております。それがたとえ、そのスポンサーとなっている会社が社会的に大きな影響を及ぼす事件を起こしたとしても、黙殺されてしまうとまで言われています。まぁ黙殺とまで行かなくとも、実際に新聞社がスポンサーにプレッシャーを受けているのは間違いなく、以前に書いた「キャノン、御手洗会長の報道について」(http://imogayu.blogspot.com/2008/01/blog-post_21.html)で書いていますが、キャノンと松下が今も問題になっている偽装請負を行っていた(行っている?)事実を朝日新聞が明らかにしたところ、現在に至るまでこの二社の広告が朝日新聞には載らなくなりました。この損失は大きく、朝日ではこれで広告収入が大きく減ったと聞いています。

 しかし、スポンサーになるのは何も会社だけではないようです。ここからがハイレアな情報になりますが、私自身が直接朝日新聞の社員から話を聞いたところ、「今の新聞社を支えているのは、大学だ」と言っていました。というのも、このご時世にもかかわらずカラーで両面広告を出してくれるのはもはや大学だけらしく、事実上大きな広告主となっているからだそうです。実際にこの時期に電車に乗ると、張られている広告にはオープンキャンパスの日程が書かれた大学の広告が目立ちます。恐らく、この情報に間違いはないでしょう。

 ただこの広告費と購読料の割合は新聞社によって多少の差があると言われています。よく言われるのは朝日新聞では広告費の割合が高いのに対して、読売新聞は逆に購読料の割合が高いとされ、それが両紙の新聞の論調に現れているといいます。朝日新聞では企業やそういったものに向けて理念を語るのに対して、読売は一般消費者目線の記事が多いなど、うなずける部分があると私も思います。
 ついでに書くと、読売新聞は公称1000万部の部数があると言っていますが、これも知ってる人には知られてると思いますが、なにも読売新聞に限らず、どの新聞社の部数の半分は「押し紙」といって、印刷された新聞屋の中におかれたまま捨てられるといいます。何故そんな無駄なことをするのかというと、一応刷ったら刷ったで広告主に対して、「この広告は1000万部も届けられています」と言えるので、広告料を引き上げられるからです。この方法はアメリカで新聞王と言われたマードック氏が考案した方法です。

 そうやって広告料をあれこれ新聞社は稼ごうとしているのですが、それでも現在の新聞社はどこも経営が苦しいと言うのは一致しているようです。聞くところによると、ある全国紙の新聞社では広告料と購読料をあわせた新聞販売事業では完全に赤字で、会社の持つ不動産事業でなんとか黒字にこぎつけているところもあるそうです。まぁ会社ってのは潰れそうで潰れないものですしね。

 ただ素人目から言わせもらうと、現代の新聞社はすべからく、企業として大きくなり過ぎていると言えます。何故そんなに社員数を増やしてここまで大規模化したのかというと、単純に報道力高めようとした結果とのことです。何でも日露戦争以降、日本の新聞は社説などの論説からスクープで紙面を埋めるようになり、情報を取るために大きく大きくなり、現在ではその祟り目となって経営を圧迫しているように思えます。
 多分、このまま何かネタが思い浮かばなければ、今度でこの連載も最期です。

2008年6月21日土曜日

新聞メディアを考える~その五、新聞の個性~

 今日は私個人が今の新聞に足りないと思うものを解説します。結論から言うと、今の日本の新聞には個性がないと思います。

 皆さんはどういう時に新聞を買うのか、まずそれを考えてみてください。恐らく、普通なら何かしら求める情報を得るために買うのだと思います。しかし買った後、自分の知りたいと思う情報が必ずしもその新聞に載ってなかったという経験がないでしょうか。
 私が言いたいのは要するに、今の日本の新聞だと、求める情報と提供されている情報が必ずしも一致しないというのが最大の欠点だと思います。それこそ、スポーツ新聞の場合だとそう言う事はまずありません。野球なり競馬なり、そういった方面に詳しい情報を載せている新聞はたくさんあり、購読者もそういった情報を求めてその新聞を選んで買います。ほかにも日経新聞をはじめとする経済新聞も同じで、これも経済関係の情報なら必ず載せられているので、サラリーマンならまず必携になってきます。

 それに対し、全国紙の場合はどうでしょうか。確かに社説の論調で言うなら朝日、毎日が左寄り、読売、産経が右寄りと言われていますが、その取り扱う内容にはほとんど違いが見出せないと思います。それこそ、新聞の1~3面までに載っている記事なんて、どこも変わらないのが実情でしょう。
 私が今の新聞に対して求めたいのは、少なくとも「この分野には強いぞ」というような、個性が欲しいです。たとえばほかの新聞に比べて紙面における政治に関する記事が多いとか、他の新聞にはない小説なりエッセイの連載をやっているとか、そういったような個性です。

 現状では4コマ漫画や毎週の決められた曜日におけるエッセイが各新聞で連載されていますが、私が期待して読むのは朝日新聞夕刊におけるしりあがり寿氏による「地球防衛家の人々」くらいです。ほかにはと言われても、どっかで連載していた漫画批評のエッセイなんて、これで金がもらえるのかよと思ったほどくだらない内容で、言っちゃ何ですがほとんどの連載は読む気が起きないし、それほど価値がないと思います。

 唯一の例外は日経新聞で、ここは前に連載していた「愛の流刑地」、通称「愛ルケ」は新聞の連載小説としては近年稀に見る大ヒットを起こし、また昔から連載されている各界の著名人による「私の履歴書」など、お家芸の経済面以外でもこういったコンテンツ分野も充実しています。それを反映してか、団塊の世代の集団退職に伴って減ると思われた部数が日経の場合、ここ数年は右肩上りで増えています。
 さらに付け加えると、私のようなチャイナウォッチャーにとって現在でこそ中国経済新聞の「チャイニーズ・ドラゴン新聞」がありますが、以前は毎日中国の情報を載せていたのは日経新聞だけだったので、学者の方々はほぼ間違いなく日経新聞を読んでいました。

 以上のように、「この新聞を買うと、少なくともあの関係の情報は確認できる」、と期待できるようなコンテンツが、今の日本の新聞にとって最も足りていない点だと私は思います。私個人で期待する内容はというと、政治系や海外情報に充実した内容が欲しいところです。
 ちなみに、今回解説した内容はそのままブログの運営にも当てはまると思います。特にブログはネット上に無数にある中で固定した読者を得なければならないので、やはり期待されるコンテンツをしっかり持つことが重要になってくるでしょう。私のこの陽月秘話の場合は、

 ・ほかでは絶対にやってなさそうな情報や解説
 ・通常より、やや難しい中から上級者向けのニュース解説
 ・難しい内容でも可能な限りわかりやすく書く私の文章力

 以上の三つを柱に据えています。よく友人から、「ブログの内容が難しすぎてわからないんだけど」と言われることがありますが、決して苦に思う必要はないと思います。時たま、やりすぎたと私も難易度に対して思う時があります。
 しかし驚くくらいに今の日本のメディア界ではこういった、難しい内容の解説がないのが現状です。誰でもわかりやすい内容だけを書くのも必要でしょうが、自らの知識欲に満足できない人に向けて、今日も明日も私は書くのです。昨日は上海人に召集食らって休んだけど……。

2008年6月19日木曜日

新聞メディアを考える ~その四、新聞の特性~

 早いもので今回の連載も四本目。そこで今回は新聞が持つ、他のメディアに無い特性について語ろうと思います。どうでもいいですが、今ちょっとアニメ版、「ヒカルの碁」で使われた曲を聞いています。あまり知られて無いけど、いい曲が非常に多いです。なお、「ヒカルの碁」は何でも今ロシアで大ヒットしており、「ГО(ゴー)」と入力したら引っかかると前に聞きました。

 そんなくだらない話はいいとして、まずほかのメディアの特性ですが、インターネットは言うまでも無く情報量の多さと検索の早さで、テレビは音と画像の同時提供とリアルタイム放送があります。これらに対して新聞はどんな特性を持つかというと、まずあげられるのは「見出し」だと私は思います。
 これはうちの親父の受け売りですが、「見出しというのは一行の言葉でニュース内容を読者に理解させるもので、作ろうと思ってもなかなか作れない玄人芸だ」と言ってましたが、実際その通りだと思います。テレビやネットのニュースに対して、ざらっと情報を見渡す、それこそ何か気になるニュースはないかと探す時間だと新聞が圧倒的に短いと思います。この点は手放しで新聞を褒められる点です。なお、最近私が気に入った見出しは巨人のクルーン投手が試合で乱調だった次の日の朝日新聞のスポーツ欄で、「荒れクルーン」と書かれた見出しです。

 この見出しともうひとつ、見逃せない新聞の特性というのが、情報の編集です。
 本当は別に1コーナー儲けて解説をしたいのですが、ネットが始まってから「情報に強い人間」という定義が私の中では変わりました。始まるまでは文字通り、「どれだけ大量に情報を持っているか」だったのですが、ネットの検索機能が強化されたあたりから、「どれだけ情報を整理できるか」が、情報に対して強い弱いを決まるようになったと思います。

 たとえば、今かまびすしい死刑に対する賛否問題ですが、ネットで検索をかければそれこそ賛成派だろうが反対派だろうが、どちらにとっても都合のよい意見を収集できるはずですし、その量にも大差はないと思います。しかし、普通の人にとってその死刑に関する意見や情報のすべてをネット上で眺め回すことなぞ、時間的にも物理的にもほぼ不可能に近いです。そこでは如何に効率よく、信用度や説得力のある意見を見つけられるかが問われるようになって来ます。私が言いたいのはこういうことで、ネット時代の到来と共に情報とは不足するものから過多なものへと化しました。その時代の情報人の必要とされる能力は記憶力ではなく、情報の収集や分析技能だと私は考えているのです。

 そんな前置きはよしといて新聞の編集という特性ですが、基本的にほとんどすべての情報は新聞社に一旦集められこそしますが、そこで記者によって必要な情報か、重要な上であるかを判断する編集作業というふるいにかけられて、くだらない情報はそぎ落とされてから(私などはこの過程を「スクリーニング」と呼びます)私たちの元へと届けられます。これによって読者がどんな点で得するかというと、まずくだらない情報を掴まされる事がなくなります。それこそ誤報に至っては掴まされたら大事ですが、ネットで適当に見ているとやっぱりそういう情報も少なからずあります。しかし新聞はその点、発行部数に関わるのでそういった信用度の低い情報は切り捨ててくれます、たまにのっける事はあるけど。また、見るだけ時間の無駄な情報も切り捨てられるので、効率よく情報を得られる上にその逆の、同じ意見でも説得力のある有効な意見も選んで載せるというのも、編集の作業のひとつでもあります。

 現在まであれこれ批判はありますが、少なくとも現状でこの編集能力が高いメディアは新聞でしょう。まぁ現在はあれこれ問題は抱えていますが、少なくともこの「見出し」と「編集」は新聞の特性と言ってもよいと思います。しかし、私から見て現在の新聞社はこの他のメディアに勝るこの二つの特性を使い切れていない気がします。次回は、「新聞会社もこうすりゃいいのに」、と私が思う点を紹介します。

2008年6月17日火曜日

新聞メディアを考える ~その三、新聞社とテレビ局の関係~

 まず最初に昨日の記事の続きです。日中が東シナ海のガス田開発を共同で行うとした朝日新聞の報道ですが、調べてみると産経も同様に報じていたようです。どちらにしろ現在まで政府発表はなく、その他のメディアもまだ続報を流していません。本当だったら両紙ともに大スクープと見ていいでしょう。

 そんなんで本題ですが、今日は新聞社とテレビ局の関係です。最初に言っておきますが、別に私はマスコミ業界の人間でもなんでもなく、これまでの連載記事はともかく今日はあくまで一般人の目から適当なことを言うと思いますので、そこら辺をどうか了解してください。

 以前にも少し書きましたが、日本で地上波テレビの放送免許を得る際にはニュースソースを持たなくては免許がもらえません。そのため、基本的にはどのテレビ局系列も提携している新聞社があり、株式も持ち合われているために実質同じグループ企業として扱われることが多いです。いちいち挙げなくともいいと思いますが、主なテレビ局とその提携している新聞社のリストは以下の通りです。

・テレビ朝日:朝日新聞 ・日本テレビ:読売新聞 ・フジテレビ:産経新聞
・TBS  :毎日新聞 ・テレビ東京、大阪テレビ:日経新聞

 その他地方局は地方局で地方新聞と提携していることが多いです。先に言っておくと、この中で異彩を放つのはやはりテレビ東京:日経新聞のタッグです。よく2ちゃんねるではどんな大事件が起こっても特番を放送しないといって持て囃されるテレ東ですが、ただ単にほかのテレビ局と比べて予算がなくて特番が作れないだけです。さらに言うとこの局は少ない予算でどうにか番組を作らなくてはいけないので、放送する洋画は大抵B級映画で(それがいいんだけど)、制作費がほとんど掛からないためにアニメをどんどん製作しています。皮肉な話ですが、今の日本のアニメ文化はテレ東、ひいては日経新聞によって支えられているといっても過言じゃないでしょう。

 話は本題に戻りますが、このように新聞社とテレビ局は傍目にも密接な関係にあるといえます。特に日テレと読売新聞はもはや同会社といってもいいくらいに距離が近いと言われ、しばしばその弊害が指摘されます。というのも、これは学者などが批判している点ですが、日本はこのようにメディアの違うマスコミ同士が提携しあっているため、お互いの恥を隠しあってしまうと言われています。これは特に日本で顕著だといわれる点でもあります。

 そのお互いの恥を隠すという代表的な事例を挙げると、私が覚えているのは数年前にあるテレビ局のアナウンサーが不祥事を起こした際、どのテレビ局、新聞社も事実を報道するだけにとどまり、敢えて深く追求しませんでした。これは何故かというと、どこの局にもすねに傷を抱えたアナウンサーを抱えており、深く追求しすぎるとすぐに逆襲に遭うのをお互いに恐れたためだと雑誌メディアに指摘されています。またこのような両メディア全体に限らなくとも、新聞社で起こった不祥事をその系列テレビは報じず、その逆のテレビの不祥事を系列新聞社が報じない例などたくさんあります。このように、新聞とテレビの両メディアの密接な関係に対してジャーナリズムの精神が貶められていると昔から言われています。

 しかし、私はちょっと違う見方を持っています。その一例となるのは例の「亀田事件」で、亀田大毅が内藤選手とのボクシングの試合にて反則行為を連発した試合後、ほとんどのメディアがこれまで亀田家を異様に応援してきたTBSが彼らを助長させてしまったと批判しました。するとその際、なんと系列の毎日新聞までもが、「TBSが悪い」と書き、「毎日よ、お前もか」とあちこちで言われました。
 まぁこの事件はそれほど影響が強かったといえばそれまでなのですが、実は私は世間で言われているほど新聞社とテレビ局の関係は密接ではないのではないかと思います。前にもちょっと書きましたが、規制で守られているテレビ局に比べて、新聞社は何にも守られてなく非常に経営が危うくなっているそうです。伝え聞くところによると、そんな待遇の差に結構新聞社で働く人なんかは気が気でない人もいると聞きます。

 それでも、新聞社からテレビ局、もしくはその逆で社員などはよく異動するということから、並みの会社と比べれば相当に近い関係だと言えるでしょう。
 私から言えることは、やっぱりどっちを向いても独自性がないというのは、メディアとしては致命的な気がします。テレビも新聞も、果てにはどのマスコミも同じニュースをまとめて流すのでは、そりゃみんな見やすいテレビやネットに流れるでしょう。また皮肉を言いますが、かえってこの両メディアの関係が新聞社本体の心臓に釘を刺しているんじゃないかと思います。そんなわけで、次は新聞の独自性について書こうかな。

2008年6月15日日曜日

新聞メディアを考える ~その二、新聞の実力~

 この連載を始めた昨日の今日で、今朝に毎日新聞が北海道地方での夕刊の配送をやめるというニュースが入ってきました。毎日は相当経営が苦しいとは聞いてはいましたが、ここまでとは思っていませんでした。

 そんなわけで、今日も前回に引き続き新聞メディアについて考察して行こうと思います。今回は新聞の実力についてです。
 現在、主要メディアとしては新聞以外にネット、テレビ、雑誌、ラジオ、マイナーどころでは無線や回覧板もありますが、そのうち新聞とネットとテレビと雑誌の四つを項目ごとに比較してみようと思います。まずは速報性ですが、それは以下の通りです。

 ・速報性
テレビ>ネット>新聞>雑誌

 恐らく、「ネットの方が速報性については早いのでは?」と考える人もおられるかと思いますが、私は確実にテレビの方が早いと思います。というのも、ネットで出回るニュースというのはすでに報道されたニュースしかありません。なぜならネット媒体は独自の取材機関がないため、ニュースを取材するテレビや新聞が報じて初めてネットにも情報が流れるので、必然的に、テレビ>ネット、となるでしょう。たとえば今回の東北地方の大地震のような大事件であろうとも、まず最初にテレビが報じてからネットも反応を示します。後の順番について、特に言及するまでもないでしょう。

 次に、取材力について比較しますが、それは以下の通りです。

 ・取材力
新聞=テレビ>雑誌>>>ネット


 ちょっとこれには悩みましたが、以上のような図になると思います。まず新聞とテレビが同じだと書きましたが、日本でテレビなどの放送免許を取得する際に、ニュースを提供する報道機関を持たなくてはなりません。この規定が日本でテレビ局と新聞社が同じマスメディアであるにも関わらず癒着を強めている原因だと非難する声が大きいのですが、これについてはまた今度考察します。ただひとまず言えることは、基本的にテレビニュースで流れる内容は仲間の新聞社から提供を受けた情報です。しかし中にはテレビ局が独自に集めた情報もあり、逆に新聞にしか載らない情報もあるので、ひとまず等号で結びました。
 その次の雑誌メディアについては、これはテレビによく出る勝谷誠彦氏が口をすっぱくしていっていますが、記者クラブに入れないのが大きく、敢えてテレビと新聞の下に置きました。記者クラブについては、ウィキペディアかなんかで調べてください。そして最後のネットについては言わずもがな、取材機関すらないので論外です。

 で、今度は娯楽性です。用はどんだけ読んでて面白いかってことで、それは以下の通りです。

 ・娯楽性
ネット≧テレビ>雑誌>新聞


 これもちょっと悩みましたが、最近テレビの視聴率がネットに食われているという話を聞くので、敢えてこの順番にしてみました。後は言うまでもなく、恐らく今の日本人にとって新聞は「お堅い」というイメージが強く、娯楽で読むなら雑誌の方が高いのではないかとして、こうしました。最近で新聞連載の小説で売れたのも、「愛の流刑地」くらいだし。なお、今回は一般紙を対象にしているため、スポーツ新聞は除外しています。あれ入れたら雑誌よりは上に行くかもね。

 次に、評論力について考えます。これはそのメディアが特定のニュースについてその内容の評価や次に起こるであろう事態を予想できるかで、ある意味メディアの心臓ともいえるべき部分です。例を出すなら、今後の国会予想とか、殺人事件の犯人探しについてなどです。

 ・評論力
雑誌>テレビ>新聞>ネット

 これは多少私の好みが入っているかもしれませんが、これくらいの順番かと思います。もちろん、批判は甘んじて受けるつもりでやってます。
 まず一位の雑誌ですが、なんだかんだ言ってこの分野ではピカ一だと思います。ほかのメディアと比べて速報性に優れないという欠点から情報を整理、分析することに特化した結果がこの長所でしょう。経済専門誌はもとより、私の愛読している文芸春秋や中央公論といった総合誌、芸能や犯罪ニュースについてあれこれ検証する写真週刊誌など、雑多な情報も多いですが状況に応じて雑誌を手に取ることがニュースを考えるのに最も良い方法だと私は思います。
 恐らくこう書くと、「新聞の社説を舐め過ぎじゃないか?」という指摘も来るかと思いますが、私がここ半年くらいで、「なるほど、こんな見方もあるのか」と思わせられたような社説にはついぞ出会えませんでした。というのも、各社揃い踏みで似たような内容ばかり、その上事態の上っ面しか書かれていないことが多く、深く内容を見通すには物足りないものばかりです。それならばテレビにて専門家の討論番組など見ている方が参考になることが多いです。ちなみに、私がよく見ているのはNHKの毎日11時半からやっている、「ニュース&スポーツ」の解説部です。単体で見るなら一番ここが参考になる情報が多いメディアです。
 ネットについて言えば確かに中にはいい評論もありますが、いかんせんその他の雑多な情報が多すぎて、要らない情報かどうかを峻別する作業を考えたら、やっぱり最低になるんじゃないかと思います。

 最後に、情報量について比較します。これも言うまでもなく、そのメディアがどれだけ情報をカバーできるかという点です。

 ・情報量
ネット>>>テレビ>新聞>雑誌


 これも、悩んだ末の順番です。まず一位のネットは言うまでもありません。グーグルで検索かけたら関連情報なんてアリのごとく出てきますし、掲示板を除けばニュースに対する反応まですぐに得られます。そしてその後の順番ですが、最近じゃ夕方のテレビニュースでもあれこれ特集するし、今回の地震の報道のようにもライブ中継を行えることを考えれば、テレビの方が新聞より情報量は上かと考えました。ま、雑誌に関して言えば、やっぱりページ数の都合もあることなので。

 以上のような感じで、比較を終えます。こうして比較してみると、まず新興メディアのネットは取材力という点では無に等しいものの、情報量ではダントツであることが目立ちます。それに対して今回槍玉に挙げている新聞はというと、取材力ではトップであるものの、ほかの分野では下位に収まっていることが多いです。雑誌も同様に評論力のみが高く、テレビは比較的どれも上位に入っているような感じです。まぁこんな感じで、次回の記事に繋げていきます。

2008年6月14日土曜日

新聞メディアを考える ~その一、新聞社の現在~

「二十代で四割」
 突然ですが、これは何の数字でしょうか。本当はもっと早くに書こうと思っていた内容のニュースなのですが、書くのになかなか決心がつかなくてずるずる延びてきていました。
 この数字の出元はGarbagenews.com(http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/06/_4_2_1.html)の記事で、そのニュースの見出しも「新聞を 読まない人は約四割 買ってる人はわずかに二割」というニュースです。もっとも、私が発見したのは毎度ながらYAHOOニュースからですが。

 多少批判がくることを覚悟で、今日からしばらく新聞メディアについて考える記事を連載して行こう思います。私自身、新聞社に対して多少因縁がありやや感情的な表現が強くなるかもしれませんが、そういったことも考慮に入れて読んでいただければ幸いです。
 まず最初に私の立場を表明しますが、私はやはり、新聞メディアはかつてホリエモンが言ったように、死ぬメディアだと思います。経営方法はもとより、時代に取り残されてしまったメディアだと思います。

 それではまず、最初にあげたニュースの中身から説明します。このニュースで示された数字はgooリサーチと毎日新聞が共同で行った調査で、それによると二十代で新聞をそもそも読まないと答えた人は四割を超え、定期購読をしている人は二割しかいなかったということです。ただ前者はともかく後者は語弊があり、リンクに張ったサイトでも説明されていますが、定期購読している数字の中に、家族が購読しているから自分は購読していないという回答の数字は入っていません。この家族が購読しているという率は三割なので、実数的には二十代の五割が、毎朝新聞が届けられる環境にいるということです。

 まぁこんなことを言いだしたらこの調査自体、ネットでアンケートとっただけの調査なので非常に信用度が低いのですが、傾向としてはこの数字は当てはまると思います。というのも、ここ数年の間にどこの新聞社でも発行部数は落ちており、特に若者が購読しなくなったったというのはよく言われています。実際に私の周りでも新聞を購読しているという人は少ないですし、毎日きちんと読む人もあまりいません。それに対して、毎日ネットのニュースやブログを読む人はいくらでもいますが。

 こうした若者の新聞離れはかねてより、「ネットやテレビが原因だ」と言われ続けていましたが、この意見に間違いはないと思います。噂によると、新聞社側の人間からYAHOOニュースを始めとした無料でニュース記事を紹介するコンテンツは激しく憎悪されていると言われますが、それもそうだろうと思います。やはり、ニュースをどこで見るかと聞いたら、大抵の人がテレビかニュースが現代では挙げられます

 そしてそれに拍車をかけるかのように、新聞社の経営もどこもよくないという話があちこちから漏れ聞こえてきます。ただでさえ購読料が下げ続けているのに、広告料も最近じゃ新聞では効果がないと言われ始め、テレビやネットの方が主戦場となってきています。ひどいところなんて広告や購読料を合算した、新聞販売としての事業はすでに赤字となっており、会社が所有する不動産収入の黒字で会社を支えているという新聞社さえあると言われています。

 よく巷では、日本のメディアは規制に守られていると考える人が多いのですが、マスコミ関係に勤務するある知人の話のよると、確かにテレビメディアは守られているが新聞メディアはそうでもない、と言っていました。それでも私は新聞メディアは他の業界に比べて守られている気がしますが、現状では非常に経営が危うくなっているのも事実のようです。

 ひとまず、今日は導入なのでこの辺にしておきます。正直なところ、書いていて私自身が非常に神経を使います。断片的な情報がたくさんあって、それをきちんとまとめなおさないといけないのが原因だと思います。
 最後に書いておきますが、私自身はうちで購読している朝日新聞を毎日読んでおり、結構コアな新聞読者だと思っています。そして新聞メディアがこのような経営が苦しいという現状に対して残念な思いがする一方、時代の潮流を考えたらそれが自然の成り行きかもと考えています。だからこれほど悩みながらこんな記事を書いているんだと思いますが、いろいろ新聞メディア批評がある中で、私が納得する分析がないために頑張って書くことにしました。