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2008年11月30日日曜日

中二病体験のある人ない人、それとしらけについて

マンガで分かる心療内科・精神科(ゆうメンタルクリニック)

 久々にいきなりリンクから始めましたが、今回リンクに貼ったのはこのところ私がハマっている、ゆうメンタルクリニックの「漫画でわかる心療内科・精神科」という連載漫画の最新版です。なかなか短いながらも展開がよく、きちんと精神系の病気について解説がなされているのでぜひともお勧めしたいページです。
 さて今回のこの記事ではそんな風に気に入っているページを紹介したいというのがメインではなく、ちょっとこの漫画を読んでひょんなことを思いついたので、その辺を解説しようと思います。

 まず上記のリンクに貼った漫画の中で、「うつの人ほど現状をより冷静かつ正確に認識できるのです」というセリフがありますが、これには素直にそうだろうなぁと私は思いました。やっぱり周りの人を見ていても、あんまり悩まない人って言うのは細かいことは気にしなかったりする人が多く、逆に物事を細かく見る人ほどやっぱり悩みやすい気がします。更に偏向的に言えば、私がダジャレを言うとあまり悩まない人だときちんとツッコミを入れてくれますが、よく悩む人ほどツッコミも愛想笑いもせずに「つまんね」とだけ言ったり、ひどい人によっては相手にもせず放置するのまでいます。これまた偏見ですが、やっぱり前者は関西人の割合が多くて後者は関東人の割合が高い気もします。

 ここで話は変わりますが、「中二病」というものを皆さんご存知でしょうか。
 この中二病というのは文字通り、中学校二年生くらいの思春期の男の子にありがちな、後年恥ずかしくてとても人に言えないような夢見がちで意識過剰な行動を取ってしまうことの総称で、俗説的に流布している言葉です。いくつか例を挙げるとしたら、中学二年生くらいになって急に音楽にハマって毎日ギターを弾きだしたり、どっかで見たりしたような奇妙なファッションを「これこそが俺の個性なんだ」とか言って一人でやり始め、周りがドン引きしているにもかかわらず、「あいつらには俺のセンスがわからないんだ、フッ」というようなことを恥ずかしげもなく周りに言い始めるような行動が主な中二病の症状です。かいつまんでいうと、周りの目を気にしないあまりにとんでもなく突っ走って妙な行動をしてしまうといったところでしょうか。

 さてこの中二病ですが、この言葉の発信源の巨大掲示板「2ちゃんねる」では匿名性ゆえにネタとして扱われることが多く、大抵は否定的なものとして見られています。しかし私の結論から言うと、男のくせに中二病体験もないなんて寂しい奴だと、どちらかといえば肯定的に見ています。というより、男子の一つの成長関門みたいなものだと思います。
 かく言う私も少なからずこの時期におかしい考え方や行動を、それこそ人に言えないようなことを数多くやっています。まだここで公開できるものとして、中学校一年の頃に政治を正して世の中を良くするんだと思っていろいろ政治について勉強し始めたのですが、「日本で政治家になっても、日本しか救えない。これじゃ駄目だ!」とか思いなおし、じゃあ世界中を救うにはどうすればいいかと考えて、やっぱりそりゃ文学しかないだろうと思って小説を、しかも何故かSF系の小説ばかり中学二年生の頃から書き始めました。そのおかげで文章を書くのは得意になったけど。

 そんな私の体験はおいといて、私は基本的に中学生くらいの男の子はこういう後年にすねの傷になるような体験や行動をみんなしていると思います。しかし中にはこうした行動を、それこそさきほどの「うつの人は現状を冷静に認識する」じゃないですが、同学年とかクラスに一人は揚げ足取りみたいにそうした行動をからかったり、馬鹿にしたりする人間もいます。これなんかはちょっと極端な例ですが、私が小学生だった頃に友達らと遊んでいる際、アニメでやっている必殺技のまねをしたらある同学年の子が、「かめはめ波なんて本当に出るわけないのに、なに変なことしてんのさ」っていう具合に、冷めた態度を取ってきたことがあります。

 これは私の感覚ですが、そのように中二病をからかっていた人間は性格的にあまり付き合いたくないと思うような人ばかりでした。理由はどうあれ、自分で満足して行っている行動に対して、おかしいとか変だとか周囲が決め付け批判する権利は本来ないと思いますし、逆に過度にからかう理由というのもないような気がします。そしたら案の定というかなんですが、当時にそうやって冷めた態度を取ったり中二病の同級生をからかっていた私の同級生らは成人してもどこかしらおかしな行動を取ってたり、ひどい例などはニートになっていたりなどあまり順調な人生を歩んでいません。それに対して当時に中二病丸出しで夢見がちだった友人らは今もいい友人で、また実生活でも充実している人が非常に多いです。

 言ってしまえば最初のうつになりやすい人が物事に対して冷めているという精神病理学の分析のように、中二病をやらかす人間というのはそうしたものとは無縁で行動力がある人間という風に解釈できるのではないでしょうか。またそんな堅苦しい分析はほっといても、中二病をやらかした過去というのは確かに中二病を過ぎ去った直後は非常に恥ずかしいものですが、ある程度年齢を重ねると、「あの時の俺は馬鹿だったなぁ」と、恥ずかしさはあるもののいい思い出として残るものの方が多い気がするので、やらないよりはやっている方が人間として面白味もつくし、人生的にもいいんじゃないかと思います。程度にもよりますが。

 しかるに今の日本ではこうした行動や社会的な事象に対して、非常に冷めているというかしらけたムードが日本中に漂っています。そしてそれを反映してか、私から見ても今の中学生や高校生で、「ああ、あいつ中二病だな」と思わせるような突飛な行動をする者が減り、なんとなく物事や自分の将来に対して非常に冷めてて話をしていても面白いと思わせるような子がいない気がします。

 そういうわけで私がここで言いたいのは、少なくとも周りに大迷惑を与えるような行動は論外ですが、中二病というような行動に対して、「子供はそうでなくっちゃ」と大人が子供に言ってあげるべきだと思います。またそうした行動に対して、「馬鹿なことはやめろ」とソフトバンクのお父さんみたいに頭ごなしに言うのではなく、多少は好き勝手にやらせてあげるのも本人の可能性を広げる意味でいいと思います。私も、文学での世界平和を信じたために今の文章力が養われたという事実があるんだし。

  追伸
 馬鹿にしてはいけないといいつつも、私が今までに見た壮絶な中二病体験をここで紹介します。こういうものって外から見る分にはやっぱり面白いからなぁ。

放課後のジョーカー(ハムスター速報)
邪気眼(はてなキーワード)

2008年11月28日金曜日

ネットカフェ難民体験

 暑い……この店の人間は気が狂ってるのか?

 今日はとある事情で自宅に帰れず、ネットカフェにて一夜を明かさねばならなくて今のブログもネットカフェで書いていますが、何をトチ狂っているのか、私が今いるこの部屋の室温は現在30℃。湿度も30%あり、不快指数は相当高くこの後無事に眠れるのか非常に不安です。飲み物は飲み放題で毛布も借りられてて個室ですが、これで一晩3000円というのにはちょっと納得はいきません。他に選択肢がないから仕方ないけど。

 ところで以前に週刊朝日の記者がネットカフェをめぐり、「ネットカフェ難民にも格差がある」という記事を書いており、やはり値段によっては至れり尽くせりの店もあれば、一晩泊るといったら店員に、「女性一人で大丈夫ですか?」と聞かれるような店もあり、いちいち回ったこの女性記者には舌を巻きました。

 それにしても暑い……服脱がないとたぶん眠れないなぁ。早く寝たいのに連絡の必要な相手から返事が来ない……。

2008年11月27日木曜日

絶対的に間違っていることについて

 よく世の中には、「絶対的に正しいことなどない」という言葉がありますが、この言葉には私も素直にその通りだと思い、どんな時にどこでも正しい規範なんていうものは現実には存在しないと思います。しかしその逆の「絶対的に間違っていること」というのは、私は世の中に確実に存在していると思います。

 ではどのようなものが絶対的に間違っていることなのかですが、まず一番代表的なのは私が「邪悪とは」の記事の中で書いた、他人を踏み台にして自分だけいい目を見ようとする行為です。これにはたとえどんな反論があろうと、私の中で許されざる行為であるという信念は揺るがないでしょう。
 次に言えるのは、弱者をいたぶる行為です。言ってしまえば自分に逆らうことの出来ない相手に対して知っていながら必要以上に嫌がらせや攻撃を仕掛けることで、いじめやカスタマーサービスへの必要以上のクレームがこれに当たります。

 このように、「絶対的に正しいこと」に対して「絶対的に間違っていること」というのはいろいろあり、また確信を持って主張できるものばかりです。敢えて絶対的に正しいこととは何かというのなら、それはこの絶対的に間違っていることを絶対に行わないということなのかもしれません。

2008年11月26日水曜日

失われた十年とは~その十二、左翼の失墜~

 ちょっと連載のペースが落ちてきているので、気合入れなおして書いて行きます。

 さてこの失われた十年の間の最も大きな政治変動といったら、恐らく誰もが宮沢内閣時の自民党の野党転落による55年体制の崩壊だと挙げる方が多いでしょうが、確かに一発の事件で見るならこちらに分があるでしょうが、この時代全体を通してみるのなら私はやはり今日のお題になっている左翼政党の失墜こそ、この時代の最大の政治変動だと考えています。

 現在の日本で左翼政党と来たら日本共産党と社会民主党の二党が代表的ですが、現在この両党は選挙のたびに議員数を減らしていき、特に社民党はかつて社会党であった頃は自民党と文字通り二大政党体制を築くまでの議員数を誇っていたことを考えるとその凋落振りは激しく、最近の選挙では毎回「党の存亡がかかっている」とまで評論家に揶揄される始末です。
 しかしその社民党はその前身の社会党時代、失われた十年の初期においては現在とは逆に、それまでにないほどの隆盛を誇っていました。その一時の隆盛の原動力となったのは今はもう引退した土井たか子氏で、土井氏がいろんな意味で引っ張っていた頃の89年の選挙ではマドンナ旋風とまで言われるほど現在の党首の福島瑞穂議員をはじめとする女性議員が数多く当選し、議会内でも社会党の発言力が大きく向上していました。折も折で自民党が数々の汚職に加えてバブル崩壊を招いたことによって国民の信頼が大きく揺らいだこともあり、小沢一郎現民主党代表による政界再編が行われた結果、社会党は政局を動かすキーパーソンたる位置についていました。

 そのため、小沢氏の仕掛けた細川内閣が崩壊した94年に至ってなんとしても与党に返り咲こうとするかつての仇敵である自民党から連立打診を受け、ついに社会党は戦後からの悲願であった与党に入ることが出来、首相も当時の党首である村山富一氏が就任したのですが、結果論から言うとこれは社民党にとって凋落の原因をになってしまいました。
 社会党は戦後に発足した当時からその党是として「平和、福祉、護憲」を掲げており、自衛隊などの国家が持つ武力を違憲であると激しく非難し否定し続けてきた歴史がありました。そんな政党が与党になり政策も実際に動かす段階に至ったのでこの自衛隊の扱いについても当然注目が集まったのですが、当時の村山元首相は就任と共に、
「自衛隊は違憲ではあるが、その存在は認める」
 と、発言しちゃったものですから、それまで護憲ということで社民党を応援してきた人間も結局は口先だけだったのかと呆れて支持が離れ、さらに村山内閣時には阪神大震災が起こり、被災地を救援するために自衛隊の出動が各所で求められたにもかかわらずそれまでの立場から村山元首相は渋り、そのため自衛隊の出動が遅れて被害が拡大したと非難されてここでも失点を出してしまいました。

 ちなみにこれは私の見解ですが、この自衛隊出動の遅延についてはやはり関東よりも実際に被害に遭われた関西の人の方が根強く覚えているような気がします。それと村山元首相が自衛隊出動を渋って遅れたとよく言われますが、当時の側近の方らが言うにはかつてないほどの都市中心部での前例のない大災害ということで、自衛隊を派遣するにしてもどのように、どんな方法で出動、活動させればよいかわからずに混乱したために出動が遅れたというだけで、決して渋ったわけではないと話しています。この意見について私は当初、しょせんはいいわけだろうと見ていたのですが、この前に中国に起きた四川大地震とその際の人民解放軍の救援活動の難航振りや指揮系統の乱れを見ていると、あながち嘘ではないのかもしれないと考え始め、現在この件で私は村山元首相を弁護する立場におります。

 まぁそんな具合で、万年野党だったのが突然政策を作る立場になって見たらてんで何も出来なかった、というのがまさにこの村山内閣でした。連立という他の連立政党にも気を配らなければいけない政権だったとはいえ、私から見ても当時の村山内閣は政策実行がほとんど図られていなかったと思います。なお、今度もし民主党が政権をとったら同じようになるのかもしれませんし、評論家の方などはそうなるとはっきりと断言している人もいます。

 その後社民党と名前を変えて連立からも離脱したものの、やはりこの時の政策手腕を見て支持者たちもやはり政権を任せられないと思ったのか、社民党はその後ずるずると議席数を減らしていきました。またこの頃から(前からもだけど)政策を批判することだけに固執し始め実際に実現可能かどうか非常に疑問なことばかりを政党の主張としてあげる傾向が目立ち、私が覚えているのは「企業のリストラ、原則禁止」といったことを選挙の公約に掲げたりもしていましたが、「リストラせずに本体の会社が潰れたらどうするんだ!」などと逆批判を受けるなどだんだんと国民の意識と乖離した政策ばかり主張するようになり、それに合わせて支持者も減っていったように思えます。

 それでも一応は左翼政党ということで弱者の味方という立場を主張していたことと、憲法九条を何が何でも堅持するという護憲派の立場ということでうちの叔父さんのように根っからの支持者は離れずについてきていたのですが、失われた十年の後期におきたある事件によって、徹底的に社民党は支持をなくすことになりました。何を隠そう、小泉元首相の北朝鮮訪問とその後に起こった拉致被害者の帰還です。

 社民党はそれまで同じ社会主義を標榜していることから北朝鮮の政権である朝鮮労働党とは友好な関係を維持し続けており、北朝鮮が飢饉に陥った際は米支援を訴え、ある自民党議員が拉致疑惑のある国に塩を送るような真似をしてもいいのかと反論するも、そんなありもしない疑惑で人助けを邪魔立てするのかと批判して米支援を実現しました。そんな具合で党の公式見解においても社民党は長い間、北朝鮮の日本人拉致は根も葉もないデマだと一貫して否定し続けていたのですが、小泉元首相の訪問により北朝鮮も拉致の事実を認め、被害者も帰還してきたのですからこれが大問題になりました。言ってしまえば、根も葉もないデマを言っていたのは社民党になってしまったといったところでしょうか。

 これについて社民党は結局、党の公式見解から「拉致は存在しない」という項目を削除するに至ったのですが、それまでの見解が間違っていたということについては一切謝罪をせずにいたため、結局は日本の国益よりもわけのわからない理念の方が重要なのかと知識人層も批判し、最後まで残っていた支持者もこの件で一挙に社民党に見切りをつけるようになりました。私としても、まだまともな見識を持っているのなら与党にならなくとも野党として存在価値はあると認めるのですが、この時の社民党の対応を見ていると、その存在すら許されざる集団のように思えてきます。

 ついでに書くと、その後北朝鮮の核問題が大きく取り上げられ、また災害救助やイラク派遣などを経て自衛隊への国民の信頼も大きくなり(最近また下がってきたが)、近年では憲法改正についても「九条維持、自衛隊の存在を明記」という意見が多数派を占めるようになり、社民党の最後の砦であった「護憲派」という主張もほとんど有名無実化してしまったのがとどめになり、今のような泡沫政党になってしまったのだと思います。

 これは共産党もそうですが、ソ連の崩壊によって社会主義が現実に適用するには無理な思想だったということが明らかになったにもかかわらず、大きな政策路線の転換を図らずにいたのが日本の左翼政党の失墜を招いたのだと思います。また野党で居続けるということを暗黙のうちに了解していた55年体制の頃ならともかく、55年体制が崩壊した後も延々と政策の実現性を無視したり独自案などを設けずに自民党の政策を非難し続けたのも、時代の変化を考えなかった無謀な行為だったと言わざるを得ませんし、北朝鮮の問題や現在の主張内容などを見ても本気で弱者の立場に立っているのかと疑問なことばかりで、言ってしまえば両党は自民や民主の二大政党制の煽りを受けたわけではなく、自分で自滅したに過ぎないと私は断言できます。

 ただ惜しむらくは、こうした自滅を招くような政党しか日本には左翼政党がなかったということです。別に左翼だからといって必ずしも社会主義を標榜する必要はなく、以前の記事でも書いたように私としては右翼と左翼がそれぞれ拮抗し合う状態こそが政治的に安定すると思うので、与党になれとまでは言いませんが、きちんとした左翼政党が日本にも本来必要だと思います。ですがこの社民党のお粗末な姿を見て、現代の日本人は左翼と聞くだけで激しい嫌悪感情を持つ人間も増えてきているように思え、懸念過ぎだし現段階でそうなることはほとんどないにしても、今のうちにきっちりとした左翼政党を作っておくべきではないかと陰ながら考えています。

コメント、リクエストの募集

 先日に名古屋にいって久しぶりに友人らと会ってきましたが、その中にはもちろんこのブログを読んでくれている友人もおり、改めてコメントをしてくれている友人にお礼を言ってきました。
 ここで言うのもなんですが、やはりブログを書いている人間からするとコメントが寄せられると厳しい意見でも非常にうれしいものです。このブログでは今年中盤からコメントがいくつか寄せられるようになってそれから加速度的に記事数も増えていきましたが、その原動力たるはやはりコメントです。
 FC2のブログの方では以前にも書きましたが「拍手ボタン」というものがあり、これは管理者ページでは過去の履歴も調べられ、押してもらえると同様にうれしいものです。

 第一、こういったブログというものの最大の利点というのは、やはり読者と書き手が双方向的にコミュニケーションが取れるということだと思います。私もいくつかの記事でやっているように、コメント欄にて寄せられた質問については可能な限り応じてその返事をコメントに書いたり、新たに記事を書いてもおります。コメントする側だとあまり意識しないかもしれませんが、書く側にとってすればどんなことをどういう風に書けばいいかがわかるので出来ることならあれこれリクエストを書いてもらいたいというのが本音です。

 FC2の閲覧者数を見ると、一日大体30人前後の方が見に来てくれているようなので、できればこのブログで気になる点や聞きたい内容などを寄せていただければ非常に幸いなので、もし余力がある方がおられれば是非お願いします。

2008年11月25日火曜日

厚生省元次官連続殺傷事件の報道について

 昨日はまた珍しくこのブログの更新を休みましたが、実は昨日に名古屋遠征を行っており、おとといの深夜に夜行バスで名古屋に行って昨日の夜行バスで今朝早朝に家に戻ってきたため、ぶっちゃけ今も疲労気味です。なので簡単に書けるニュース解説で今日の更新は乗り切ろうと思います。ついでにここで言うと、今週末はまた京都遠征を控えているので、恐らく週末三日間はまた更新が滞ることになりますが、来週になればまた鬼のように記事を書くつもりなのであまり気にせずに見ていてください。

 それでは今日の記事ですが、前回にもこのブログで取り上げた厚生省元次官連続殺傷事件について徐々に犯人とその動機などについて警察の捜査が進み、報道も合わせて行われるようになりました。まず犯人が本物かどうかということですが、小泉容疑者が出頭の際に所持していた刃物から被害者の血液DNAが検出されたことからもう確実と見ていいでしょう。そして動機についても、小泉容疑者が犯行を自供していることから彼の言うとおりに、昔にペットが保健所で処分されたという逆恨みからと考えてもそろそろ良いのかもしれません。

 このニュースについて私は個人的にはそれほど感傷は抱かないのですが、この事件に対する世間の報道については少し言いたいことがあります。犯行の残虐性からそのあまりの稚拙な動機の事件ゆえ、ワイドショーなどでは格好のネタとばかりにこれ見よがしにあれこれ取り上げられていますが、私がいくつかチェックした中でこの事件を以前に起きた秋葉原の通り魔事件などと比較し、「昨今の殺人犯の共通する特徴として、犯人が孤独であったというケースが非常に多い」などと言うコメンテーターいましたが、なにもその特徴は昨今の事件に限らず、これまでのどの事件にもほとんど共通する内容で、なにもここでいちいち取り上げる話ではない気がします。

 まぁこんな感じで、恐らく今後もあれやこれやと犯人の心理分析やら他の社会問題と掛け合わせていろいろ報道されるでしょうが、私としては今回の事件の犯人は30年以上前の個人的な恨みから、全く関係のない被害者を「保健所の親玉」と勝手に結びつけて殺人までも行っていることから、犯人は相当に異常な人物であると思います。そのため、今回の事件の犯人が他の事件の犯人と共通するような代表的な特徴を持ちうるかといったら、それは限りなく可能性が低い気がします。要するに、一定の枠から外れた異常な人間をどう分析したところで意味がないんじゃないかと私は言いたいのです。むしろ無理やりに他のケースと結び付けようとすればするほど、この事件や犯人の本質から離れていく気すらします。

 こういうのも、かつての酒鬼薔薇事件(どうでもいいけど、「酒鬼」と書いたら中国語で「酒飲み」という意味になる)でもあれやこれや、何故犯人の中学生は殺人を行ったのかという分析から膨大な量の原因候補が出てきて、中にはオカルトやらゲーム、ホラー映画などが標的とされましたが、その時の分析が現代の少年犯罪の抑止に効果を上げているかと言うと、素人ながら言うのもなんですがまずもってほとんど意味を成さなかったでしょう。結局のところ、当時のこの「犯人の犯人探し」は愚にもつかない評論家やコメンテーターを食べさせただけにしかなりませんでした。
 唯一当時の犯人分析で私が納得し、かつ現在でも説として強い力を持っている意見を展開したのは名前は忘れましたがある犯罪心理学者で、この人の結論は単純に犯人が殺人や暴力に対して強い快感を得るという異常な人間だったという結論で、初めから異常な人間だったと締めくくっています。

 私としては今回の事件もそんな感じがするので、後に何も残らない言い合いをするくらいなら、もう少し専門家の意見を待って傍観している方が賢い気がします。

2008年11月23日日曜日

失われた十年とは~その十一、就職氷河期~

 三年ほど前の2005年度採用から日本企業では新卒採用が大幅に増えてきましたたが、来年度はリーマンショックの影響もあって大幅に採用が絞られるということが早くも今から言われており(冷静に考えると、こんな時期に再来年度採用の話が出るあたりかなりおかしいんだけど)、かつての就職氷河期の再来かとまで言われています。

 さてその就職氷河期ですが、私が知る限りこの言葉が一番最初に使われたのは第一次オイルショック時に戦後初めてマイナス成長をした1972年頃に大卒採用が一気にへこんだのが初めてですが、先ほどの引用に使われたのは大体98年から2003年まで続いた際の就職氷河期です。既に過去の連載でも書いた、山一證券が破綻するなど日本経済の大きな転換点となった97年を境に日本は本格的な大不況に見舞われ、企業内でも社員にリストラの嵐が吹き、新卒の社員採用もこの時期に勃興したIT産業を除いてどこも大幅に制限されるようになりました。

 当時において、某薬品小売の全国チェーン店本社は私が当時住んでいた場所の近くにあったのですが、確か2000年位のある日にその本社前にものすごい数の行列が出来ていたことがあります。それというのも当時が就職氷河期であり、当時の卒業を控えた多くの学生はそれこそいけるとこならどこへでも採用試験を受けており、その会社でも採用を受けに来た学生たちが多く集まって長蛇の列を作っていたそうです。

 このように、当時の高卒、大卒の就職環境は共に歴史的にも異様なほど厳しいものでした。ちょっとネットでこの時期の就職内定率の細かいデータを調べてみたのですが、なんというかどれも信用の置けない非常にお粗末なデータばかりなのでちょっと引用を見送りました。別にこれに限るわけじゃないですが、日本の失業率調査など測定方法の時点から、”失業率=失業者数/就業希望者”で割り出しており、本当は就職したいものの現状で活動できないものやハローワークに通わずに就職活動しているが職に就けない人は分母から外されるので、実態から遠くかけ離れたものばかりです。
 ちょっと話が長くなるけど大卒の就職内定率も同様で、こっちでは就職できなかったので学内にとどまるために留年したり大学院へ進学する人間が分母から外れるので、こちらもかなり問題のあるデータが国で作られています。更に言えばさっき調べてすごく驚いたのですが、この就職内定率のデータで総務省統計局と厚生労働省の同じ年の内定率になんと二割も差があり、確かある年のデータだと総務省では70%台だったのが厚生労働省では90%台で、いくらなんでも厚生労働省のデータはありえないと呆れました。ってか、同じ国の機関なんだから調査、統計を共通化させて、費用を浮かせろよなぁ。

 話は戻りますがこのように失われた十年の後半では若者の新卒雇用の道は非常に制限されていました。私の実感でも他の公表しているデータでも、私が最初に最悪だった年として挙げた2002年が最も悪く、その後は徐々に回復傾向となって近年では逆に「売り手市場」とまで言われるほど大量の採用が行われるように至りましたが、それでもこの時代に採用が大幅に制限されたことの負担は非常に大きいものとされています。
 折も折でいわゆる団塊ジュニア世代が社会に出る時期に当たってしまったのがまさにこの就職氷河期で、ただでさえ母数が前後の世代より頭一つ多いのにほとんど就職することが出来ず、大量の若者が路頭に迷うこととなりました。そのためこの世代のことを先ほどの「団塊ジュニア世代」というよりは最近では「ロストジェネレーション」という言葉が使われており、現在もこの世代がその前後の世代と比べて失業率が高く、不安定な社会的立場にいるために将来大きな問題となる事が懸念されています。

 そして新卒採用を行う側の企業にとってしても、当時はいつどんなことで自分の会社が潰れるかわからない非常に不安定な状態で新卒採用も非常に制限をしたのですが、当時の就職状況を知る何人かから話を聞いたことがありますが、当時の採用試験や面接というのは採用作業というより、就職志望者の人数を削るような作業だったらしいです。面接ではいわゆる圧迫面接で当たり前で、友人の姉さんなんて一緒に企業面接を受けた早稲田大学の学生が泣きながら面接室から出てきたとまで言っています。さらに当時にテレビ番組でも字が汚いとか、ネクタイが長すぎるとか、本当に些細なことでどんどんと人数が削られるという話が紹介されていましたし、外から見ていてもなんとなくそんな感じがします。

 こうして若者の採用が厳選され、失業率も高まってきたことを受け、当時には現代でも使われるこのような立場の若者を言い表す言葉が数多く生まれてきました。まず一番代表的なものとして、90年代後半より定職につかずに非定期雇用で生活する「フリーター」という言葉がリクルート社より作られました。当時を振り返って思うのですが、当時この言葉は若者にとっては肯定的な意味合いで(若者ら自身がそう思っていたかは言えないが)使われていたように思えます。「企業に縛られたくない」、「自由な生き方」、「夢を追うためのつなぎ」といった具合で、特に最後のは決まってミュージシャン志望者が言っており、私みたいに小説家を志望しているってのは皆無でしたね。それはともかくとして、こうして自由な生き方の手段として「フリーター」というものはメディアなどで取り上げられて、それに対して壮年層の大人たちからは「最近の若者はフラフラしおって!」といった具合で批判するという構図が毎回組まれていました。私の友人のお父さんなんて、フリーターと聞くだけでローズに向かって内角高目を投げつけんばかりに怒り出すほどの否定論者でした。

 敢えて当時の若者を弁護しながら分析すると、先ほどの「自由を追う」という主張は積極的な理由ではなく、むしろ後付けの理由だったと思います。就職したいと思ってもそれが叶わずに仕方なくフリーターで食いつないでいた人間が、敢えて自己弁護のようにして自由という言葉を言っていただけというのが大半だったと思います。しかし最近では皮肉なことに、若年層では実に7割近くが派遣などの非正規雇用で働いており、実感的にも働くのはフリーターで当たり前になってきて、この言葉も死語になりつつある気がします。

 このフリーターに続いて当時に作られた言葉もう一つの言葉として、こっちはすぐに消えましたが「パラサイト」です。これは仕事もせずに家にいるだけで親に生活の面倒を見続けてもらうという人たちで、この言葉は一年くらいですぐに死語化し、その代わりに同じ意味で今度は「引きこもり」という言葉が出来、これははっきりと断言できますが2004年に至って初めて「ニート」という言葉になり、現在に至ります。やはり「ニート」という短い言葉の方が時代の移り変わりに強いのかもしれません。

 ちょっと脈絡のない記事になってしまいましたがこの就職氷河期について総括すると、本心からもこの「ロストジェネレーション」に当たる世代の方には私は非常に同情します。しかし採用を絞った企業の側としてもちょうどこの世代に当たる20代後半から30代前半の社員が非常に不足しており、ノウハウや技術の継承面で大きな問題が起きているのも事実で、実際に中途採用もこの世代を中心に行われていると聞きます。
 逆を言えば、今後この世代の穴埋めを日本社会全体で対処しなければ、今後長きに渡って大きな問題となっていくことが予想されます。具体的にどうすればいいかということを今後議論していく必要があるでしょう。