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2009年8月5日水曜日

日本の若者に知ってもらいたい、ベトナム戦争の歴史

 この記事はちょっと機微な問題が関わっているので、見る人によっては激しい怒りを覚えられるかもしれません。しかも私はベトナム戦争史について特に専門的に勉強したわけでもなく、そんな人間がこんな記事を書くなんておこがましい事この上もありませんが敢えて批判を覚悟で書かせていただきます。

 よく日本人は中国のことを「歴史を歪曲して教えている国だ」と批判します。これについて私は文化大革命や第二次天安門事件などといった歴史的大事件を自国の若者に敢えて隠そうとする態度などから、はっきりと「その通りだと」言い切る自信があります。ついでに書くと、これは日本でもあまり研究者がいませんが戦時中の南京政府こと汪兆銘政権についても全く教えていないそうなのですが、やっている人からするとなかなか面白い範囲だそうです。
 しかしそうやって中国の態度をよくないといいつつも、ひょっとしたら日本も歪曲とまでは行かずとも、敢えて教えることを避けているような歴史があるのではないかと私は前々から感じていました。その歴史的事実というのも、今回のお題となっているベトナム戦争についてです。

ベトナム戦争(ウィキペディア)

 私は1980年代前半の生まれですがこれまで公教育の範囲内で習ったベトナム戦争というのは、映画の「仁義なき戦い」ではありませんが朝鮮戦争のようなアメリカとソ連の代理戦争であって、大義もへったくれもないひどい戦争だったという具合に教えられました。また小学生の頃は環境問題の高まりとともにダイオキシンがよく槍玉に挙げられ、ダイオキシンがベトナム戦争でゲリラ掃討のためにアメリカ軍が巻いた枯葉剤に含まれていたということも合わせて教えられていました。
 もちろんこれだけでもベトナム戦争がひどい戦争であったということは十分に理解できたのですが、今思うとそれはずいぶんと甘い認識だったように思えます。そんな甘い認識を一気にひっくり返したのは、大学の講師のこの一言からでした。

「僕は君らくらいの頃、日本人であるのがすごい嫌だった。なぜなら毎日沖縄からベトナムへ向かう爆撃機が飛んでいたからだ」

 この講師の言葉を聞くまで、私はベトナム戦争というのはアメリカとソ連、そしてベトナム本国のみが当事者の戦争だと考えていました。しかし平和憲法下で戦後は大きく他国の戦争に関わってこなかったと信じていた日本も、間接的とは言えない位にこの戦争に関わっていたと知って慌ててこの戦争を調べることにしたのです。

 このベトナム戦争は非常に複雑で一言では説明しきれない内容であるために、あまり詳しくないという方は出来れば先にリンクを貼ったウィキペディアの記事を初めから最後まで読んでもらいたいのですが、このベトナム戦争は時代的にはすでに40年近く前の戦争ではあるものの至る所で現代に強い傷跡を残した戦争であります。その中でも特に影響が強いものをいくつか項目を選んで説明すると、下記の項目が挙がってきます。

1、韓国軍の参戦
 このベトナム戦争ではアメリカ側の南ベトナムを支援するために韓国から韓国軍が派遣され、戦闘行為も現地で行われました。もちろん韓国としてはアメリカの強い要求があった上での派遣だったのでしょうが、この時の派遣時に韓国軍兵士が現地の女性との間に子供をたくさん作っており、日本の中国残留孤児のようにその時の子供らの今後の処遇について未だに韓国国内では問題となっているそうです。
 なおこれは仮の話ですが、憲法九条がなければ日本も軍隊を派遣していたと私は思います。

2、無差別爆撃
 二次大戦下の日本での例と同じように、ベトナムにおいても米軍は無差別爆撃を実行しております。しかもそれらの爆撃機の一部は日本の沖縄から飛び立ったものであり、この点について日本人は自分らを強く卑下する必要まではないとは思いますが、知らないよりは知っているべきであると私は思います。

3、退役軍人の問題
 太平洋戦争では全体の約一割程度しか実際に銃の引き金を引かなかったところ、米軍は心理学的見地から引き金を確実に引かせる訓練をベトナム戦争前より行い、この戦争では約四割が引き金を引くようになっていたそうです。しかしその反動というべきか、ベトナム戦争後の退役軍人の中には精神に異常をきたす者も多く、また枯葉剤の毒を受けて発ガンした兵士もたくさんいたそうです。

4、戦後の中国軍の侵略
 ベトナム戦争後、何故か中華人民共和国が「制裁」と称してベトナムに対し侵略を行ってきました。しかし世界最強のアメリカ軍を追い返しただけあってベトナム軍は圧倒的に強く、散々に中国軍を叩いた上に撃退して見せました。この敗戦から中国は軍事計画を大きく見直すとともに、ウイグル、チベットといった地域を次々と自国に併呑していった領土拡張政策も見直しております。

 上記の項目は私がベトナム戦争について調べるまで全く知らなかった事実ばかりです。これらの事実を知った時にはショックを受けたとともに、何故今まで誰も教えてくれなかったのだろうという気持ちが沸き起こりました。これは邪推かもしれませんが、私はどうも公教育では敢えてここまで踏み込んで教えようとはしていなかったのではないかという気がします。内容的には現代にも連なる非常に重要な価値のある歴史でも、日本はやはり同盟国のアメリカに気兼ねしているのではないかと、考えすぎかもしれませんがこのところ折に触れてそう思います。

 もちろんまだ時代が浅い上に、非常に複雑な範囲であるためにあまり取り扱われないというのも理解できます。しかしそれを推しても、私はこのベトナム戦争こそ日本の中高生には勉強してもらいたいし、私のようにこれまであまり学んでこなかった世代には是非とも父母から当時の話を聞いてもらいたいです。

民主党、小沢氏の存在感の増大について

 おとといの押尾学容疑者の覚せい剤逮捕から「のりぴー」こと酒井法子氏の失踪によって、先週までは主役だった選挙戦のニュースが今週に入るや一気に少なくなってしまいました。まぁ確かにこの両事件は見ていて面白いんですけどね。
 そんな世間の流れに逆行して陽月秘話では今日もいつもの通りに政治系記事ですが、今日はあまりどこも報じていない、選挙後に予想される民主党の小沢一郎氏の立ち位置について私の勝手な予想を紹介しようと思います。結論から申せばもしこの流れのまま民主党が与党となって政権を取った場合、小沢氏の存在価値が非常に大きくなってくると私は予想しております。

 まず現在の選挙の状況ですがちょっと手元に資料がないので私の記憶だけで概要だけをかいつまんで説明させてもらうと、今週月曜のテレビ朝日の早朝ニュースにて紹介された世論調査では自民党への支持率が前回時より微増したものの、民主党への支持率はそれ以上に増加しており結局両党の差は前回時より広がったという結果が紹介されていました。この結果について解説員の吉澤氏は選挙が近づいてきて無党派層が徐々に投票の意思を固めてきた傾向の証拠であり、やはり民主党が圧倒的に優勢な状況であると締めくくったのですが、私もこの意見に同感です。

 別にこの結果にとどまらず各地の選挙戦の話を聞いているとどこも自民党には強い逆風が吹いており、本当によっぽどのことがない限り民主党が次の選挙で大勝するであろうとどのメディアも予想しております。しかし民主党が次の選挙に勝ったとしても、自民党も党内意見に非常にばらつきのある政党ではあるものの現在の民主党はそれ以上に党内意見がまとまっておらず、政権奪取のために現在はまとまっていても政権を取った暁には党内の右派と左派が激しく対立を起こし、早晩機能不全に陥るのではないかという不安もいろんな場所で言われております。いくつか例を出すと、例えば憲法改正問題については党首の鳩山由紀夫氏はまさにパイオニアとも言うべきほどこの問題に早くから手をつけてきましたが、旧社会党の人間からすると何が何でも抵抗する議題であります。また同様にこちらは自民党が必死になって批判している安全保障問題についても、自衛隊に対する意見一つでも大きな火種になりかねない状態です。

 そういった意味で民主党が政権を取るにしてもその後をどうするかという意見は、やや気が早いかもしれませんが憂慮すべき内容ではあります。この不安要素について鳩山党首などは、自民党でも様々な党内対立を行ってきたからこそ党内に活力を保ち続け、政権を守り続けてきたのだという意見を主張していますが、確かにそれはそれで一理ある意見ですがやはり楽観論だと言わざるを得ません。今から20年近く前の細川連立政権からその後しばらく続いた新進党時代には党内意見が全くまとまらず次々と瓦解していった歴史があるので、もうすこしこの問題については警戒感が必要でしょう。

 では具体的にどういった事態が予想されるのでしょうか。私は今回の場合、今日も橋本大阪府知事と会ってきた小沢一郎民主党元代表が最大のキーパーソンになると見ています。
 確かに民主党は党内意見が立党当初よりまとまらず常に全体での行動が整わない政党だったのですが、小沢氏が代表に就任して以降はその「豪腕」の異名に違わずピシャリと党内を糺し、2007年の参院選での大勝利から現在の総選挙で民主党に優勢とさせる体勢を作ってきました。私はそんな小沢氏が政権奪取後も鳩山党首の黒子となって党内統制にしっかり取り組むのであれば、ひょっとしたら本当にまとめ上げてしまうのではないかという淡い期待があります。

 仮に小沢氏が鳩山党首に協力しつつ全力で取り組んでも民主党内がまとまらないとすれば、恐らく誰も意見をまとめることは出来ないでしょう。そういう意味で選挙後は小沢氏がその役割を存分に果たしてくれるかどうかに、私は民主党の政権維持がかかってくるのではないかと見ております。
 7月号の文芸春秋での鳩山党首のインタビューに、「猛獣、小沢をどう扱うか」というサブタイトルがついておりましたが、改めて現状を見渡すと非常に意味を成すサブタイトルだったと今では思います。事実小沢氏が本当に最後まで党内統制に力を砕いてくれるのか、また執行部の寝首をかかないかという不安はいくらでもあります。ただ小沢氏自身が党首討論を逃げ回ってやっぱり選挙対策の責任者がいいといって党首職を鳩山氏に譲ったことを考えると、案外こういう黒子役の方が肌に合っていると本人も思っているのかもしれません。

 私としてはその経歴からあまり小沢一郎という政治家は好きではありませんが、民主党が政権奪取後に意見がバラバラとなって日本の政治が混乱するのだけはなんとしても避けたいと願っているだけに、ほかに人がいないのであれば小沢氏にこの役目をしっかり果たしてもらいたいと期待しているわけです。まさに猛獣を如何に使うか、鳩山党首の手腕にも期待するとしましょう。

2009年8月4日火曜日

北京留学記~その九、北京の気候、環境

 自分が日本に帰ってきてから一番周りから聞かれた中国に関する質問は反日運動についてでしたが、二番目は今日のお題の一つの環境問題についてでした。
 中国の環境について日本のテレビを見ていると、よく汚い川や排気ガスでスモッグのかかった空などが映されていかにも劣悪な環境とばかりにこれでもかというくらい報道されていますが、結論を言えばそれらの報道に大きな間違いはないというのが私の意見です。

 では具体的に北京はどのような環境なのかというと、日本人の多くが想像している通りで夏場は空気が汚く、排気ガスの臭いも東京などと比べてもなかなかきついほどです。第一北京は元々乾燥した気候なので街全体が埃っぽく、路面もやや汚く映ります。
 ここまで書くとやっぱり中国というのは環境問題のひどい国だと思われるかもしれませんが、これはあくまで東京と比べた限りです。ずっと日本にいるとこういうことはわからないものなのですが、実は日本はどの都市も非常に環境が整備された国で、日本に比べたら北京は確かに環境の悪い都市ですが北京クラスの環境の悪さだったら世界的には結構ありがちだと私は思っております。

 はっきり言わせてもらえば、排気ガスの臭いについてはロンドンの時の臭いのほうが遥かにがひどかったように思えます。なにせ街を歩いている間ずっと排気ガスを直接吸っているかのようなひどい臭いがするかと思えば案の定、少し汚い話ですが宿舎に戻った後に鼻をかむと鼻水が真っ黒になっていました。恐らく街じゅうにすすが飛び交っていたのでしょう。
 それが事実であるかのようにイギリスの道路は本来ねずみ色をしているはずのアスファルトがどこも本当に真っ黒で、試しに手で触ってみるとやっぱりべっとりと黒くなってしまいます。北京も汚いといえば汚かったですが、ロンドンに比べれば全然きれいな方だったと思います

 ついでに書かせてもらうと、私は行ったことはないのですが人づてによるとフランスの首都のパリはロンドンにもっと輪にかけて街が汚いそうです。そこら中に犬の糞はあるしロンドン同様排気ガスの臭いがひどいらしくて、北京ばっかり「空気の汚いところ」と批判するのはやっぱりよくないでしょう。ただもし私が行った中でワールドワーストインバイロメンタルキャピタルこと、世界最悪環境首都を挙げるとしたら、心苦しいのですがインドのデリーが最もふさわしい気がします。

 私はインドを心の底から愛していますが、あのデリーの厳しい環境にだけは長くは耐えられないとはっきりと感じました。空気が汚いのはもとより夏場は激しく暑く、自動車用道路は常に渋滞していてそこらかしこでインド人がみんなで怒鳴り合っているという、私に言わせるとこれで本当に人が生きていけるのかというほどの厳しい環境でした。なお「国家の品格」の作者の藤原正彦氏も、インドに行ったときだけは趣味の散歩を断念するほどだったそうです

 少し話が横道にそれましたが、環境について結論を言えば北京は潔癖すぎる日本人にとってはやや厳しい環境であるものの、世界的に見ればそれほどひどくはないところです。

 その一方、気候については文句なしに北京は厳しい場所でした。
 まぁこちらもインドの夏に比べれば屁でもないのでしょうが、北京の夏はとにかく暑かったです。日本ほど湿気はありませんがその分直射日光がやけにきつく、九月半ばにおいても肌をじりじりと焼かれているような感覚がありました。最も暑いと言われる八月の日中は軽く40℃を越すらしく、北京特有の埃っぽさもあいまって相当のものでした。

 夏がこれだけ暑いのに冬でも厳しいのがこの北京です。生憎、私が北京に留学していた年は例外的に暖冬だったのですがそれでも一日中気温が氷点下を超えることはなく、日本の天気予報を見て最低気温が2度とか3度と紹介されるのを見て、どれだけ暖かいんだよと日本人仲間と突っ込みを入れてました。
 また私自身が元から寒さに強い人間(日本だと真冬でもコートを着ない)なので、暖冬もあいまって北京の冬はそれほどつらくはありませんでした。

 むしろ北京内の建物は日本にはそれほど多くない循環式の暖房がどこも備え付けてあり、確かに外は気温が低く風も強いのですがどっかに入ってしまえばすぐに体も温まり、外に出る際にコートを羽織っていれば十分に我慢が出来る程度でした。
 ただコンビニで冷やされていないペットボトルのジュースを買ってしばらく歩いてから寮に戻ると、ジュースがキンキンに冷えていることがあり、ああ自分は冷蔵庫の中の気温で生活してるんだと何度か自覚させられました。

ブログアンケートのお願い

 ちょっと思うところがあるので、このブログについてアンケートを取ろうと早速アンケートツールを置かせてもらいました。アンケートの内容はこのブログの内容についてで、

1、このブログの文章は長いか短いか
2、どんな内容の記事が楽しみか

 この二問です。
 まことにお手数ではありますが、もしご協力いただけるのならぽちっと回答ボタンを押して協力していただけないでしょうか。よろしくお願いします<(_ _)>

2009年8月3日月曜日

信長に見る決戦の重要性

 ほかの人はそうじゃないと思うかもしれませんが、私は織田信長という人物はそれほど戦争が強かった人間だったとは思っていません。むしろ彼の率いた尾張出身の武士団は当時からも「腰抜け侍」と有名だったらしく、実際に後半生はともかく信長の人生の前半では戦争で敗北を重ねることも少なくありませんでした。
 それにもかかわらず何故信長は天正期において最大勢力を築けられたのでしょうか。いくら戦国時代だからといって戦争だけで何でも決まるわけでなく、彼が領地に布いた楽市楽座や積極的な人材採用などの画期的な内政が効を奏したとも見ることが出来ますが、私はそれ以上に信長の決戦への嗅覚が強かったことが彼を覇者たらしめたのではないかと考えております。

 決戦というとなんかこう戦争の山場という感じばかりしますが、近代以前の戦争を調べているとやはりどこに決戦を持ってくるのかがその勢力の興隆を大きく左右させていたように思えます。例えば市街地における戦闘では遮蔽物や細い路地などが多く、いくら大量の兵隊を率いていたとしても戦場に繰り出せる兵数は限られるため、一日中戦ったところで双方の死傷者が全兵隊数の数パーセントにも満たないで終わることもざらだったそうです。逆に全く遮蔽物のない広い平野においての戦闘になると、それほど戦意があったわけもなく勃発してしまったノモンハン事件のように日本の全部隊の30%以上が死傷するほどの壊滅的打撃を受けるということもありました。

 このように同じ一勝や一敗でも、どんな風に勝ってどんな風に負けるのかによって大きく意味合いが異なってきて、言い換えるのなら勝つべくところで勝って負けても平気なところで負けることが戦争において意外に重要だということになります。

 私が見る限りまさにそれを体現したのが織田信長と、あと最近私が引用してばっかの曹操です。どちらも一見すると勝ってばっかに見えるのですが、一向一揆との戦いや宛城での戦いなど、細かく見てみると二人とも案外しょっちゅう負けております。しかし彼らは何度も戦争に負けておきながらすぐにまた復活、再起を果たしております。どうして復活ができるのかというと、それはまさに敗北した戦いにおいて彼らが致命的な負け方をしなかったからです。そして彼らが勝った戦いというのは負けた戦いとは対照的に、敵軍に致命的な打撃を与える勝ち方をしているのです。

 信長に限って細かく検証すると、桶狭間の戦いは逆転ホームラン的な例外なので除き、浅井家と朝倉家を完膚なきまでに叩いた姉川の戦い、武田家を崩壊へと導いた長篠の戦いなど、ここぞというところでは必ず勝っております。逆に一向一揆との戦いや上杉家との戦闘においては敗北こそしたものの、優秀な武将が討ち取られたり重要な拠点が奪われるという事態は食い止めております。
 この様にたとえ九十九敗しても最後の一勝の方が価値が高いと言えるような、重要度の高い戦いにおいて勝つべくして勝つことが出来たのが信長の強さだったと思います。逆に明らかに勝利数こそ多かったものの、国境争いばかりで時間ばかり食っていた武田信玄などは信長の好対照でしょう。

 何も戦国に限らず、現代においても私はどこに決戦を持ってくるのかは非常に重要な考え方だと私は見ています。大学受験をがんばらずに就職に強い資格の勉強をしておくとか、株のデイトレードを繰り返してちまちま稼がず長期保有をして大きく値上がりするまで待つとか、局地戦に目を取られずに決戦場を見定めることは一つの才能としてもっと認められるべきでしょう。さしあたって自分の決戦時期はというと、なんかこのごろは案外近いんじゃないかと当て推量をしております。

石川遼選手の優勝の陰で

男子ゴルフ:石川遼絶叫バーディー!泣けた!初の完全V(毎日jp)

 昨日最終日が行われたゴルフツアーのサン・クロレラ・クラシックの大会において、かつて私も「最近の見上げた若者について」の記事で文句なしに誉めそやした石川遼選手が見事優勝を飾りました。今大会において石川選手は初日から最終日までトップ順位で大会を引っ張っていき、最終日にオーストラリア出身のブレンダン・ジョーンズ選手に追いつかれるものの最終18番ホールで一打差を離しての劇的な勝利を勝ち取るに至りました。昨日の夜のスポーツ番組ではどこもこぞってこの石川選手の快挙を取り上げていましたが、かつて「ハニカミ王子」というニックネームで呼ばれた初々しい姿はどこ吹く風か、見ているこちら側からしてもこの数年ですっかり風格と貫禄がついてきたと感じさせる堂々たる優勝ぶりでした。

 しかしこの石川選手の素晴らしい優勝の陰で、あまり取り上げられなかった残念な事実も昨日のこの大会においてありました。その事実と言うのも、石川選手と最後まで競り合ったブレンダン・ジョーンズ選手へのギャラリーの悪質な行為です。
 二人同じ成績にて臨んだ最終18番ホール、石川選手とジョーンズ選手は同じ組でコースを回り、このホールでは二人とも同じ打数でボールをグリーンに乗せました。グリーンの位置は互いに確実にカップを狙える距離ではなく、息詰まる状況下で先にジョーンズ選手がバーディーショットを打ったところ残念ながらボールはカップを外れてしまいました。

 するとまさにその時、まるでジョーンズ選手が外したことを喜ぶかのようにギャラリーの中から拍手をする音が聞こえてきたのです。続く石川選手はこの直後に見事一打でカップへボールを入れて同じくギャラリー席から大きな拍手が鳴ったのですが、それだけに先ほどのジョーンズ選手への拍手が私の耳に強く残りました。

男子ゴルフ:石川遼インタビュー「最後まで戦ったジョーンズに感謝」(毎日jp)

 上記のリンクに貼ったニュースでも書かれてある通り、石川選手は優勝後のインタビューにおいて溢れんばかりに涙を流し、その涙の理由について下記の通りに答えています。

「最後の最後まで一緒に戦ってくれたBJ(ジョーンズ)にこれ以上ないぐらい感謝をしたい。勝負に緩みがなかった」

 この石川選手の発言について私が見た限りで唯一ジョーンズ選手への心無い拍手を取り上げたフジテレビ系報道番組の「サキヨミ」では、やはりあの拍手を石川選手も気にしたのではないかとナレーションで報じていましたが、これまで石川選手は人前で涙を見せることがほとんどなかったことを考えると私もそうなのではないかと思います。

 実は今までニュース報道について私はフジテレビをあまり特別視してこなかったのですが、私の確認する限り他の報道局がどこもこの事実を取り上げない中で昨夜のこの「サキヨミ」だけがこの事実を報道したのを見て、今回大きくフジテレビを見直しました。それとともに石川選手の優勝を祝うのは当然としても、あんなひどい行為が行われても黙っているなんて同じ日本人として非常に残念に思います。
 全然関係者でもなんでもなく、ゴルフといったらマリオゴルフしかやったことの無いこの私がここで言うのもあれですが、石川選手とブレンダン・ジョーンズ選手には今回の素晴らしい健闘に対し心からお祝いを申し上げたいと思います。

2009年8月2日日曜日

ゲームの中で越えられないジェンダーの壁

 先日従兄弟の子供(12歳)と会った際、こんな会話をしてきました。

「おう○○。お前、ドラクエ9持っとるか?」
「持っとるで」
「どないや、おもろいか?」
「おもろいで」

 ドラクエ9とは言うまでもなくこの前発売されたばかりの「ドラゴンクエスト9」のことですが、私は持っていませんが(親父はもう買ったらしいが)やっぱりなんだかんだいって現代の子供は遊んでいるそうです。

 今回のドラクエ9は聞くところによると3、4と同じく主人公の性別をスタート時に選べるそうですが、私見ながらドラクエシリーズに限らずRPGのゲームはプレイヤー層に男性が多くいるのが影響しているのか、主人公の性別は男性に固定されていることが多いように思えます。もっともその一方でアクションゲームについて言えばこのところは女性主人公に固定されているのが増えてきているように思え、また当初でこそ男性専用ジャンルの感のあった恋愛ゲームも女性向けのタイトルのが逆転してきているのではないかというほど増えてきているように見えます。

 別にここでジェンダー論を振りかざすわけじゃありませんが、こうしたゲームの世界の男性と女性という二つの性別の立ち位置などに社会的背景、影響というものが時代ごとに表出しているのではないかと私は見ています。単純に現代のゲームにおいて女性主人公が増えてきてのも現実の影響じゃないかと言いたいのですがその一方、もう一つの第三の性についてはさすがにまだ主人公キャラででてくるのはあまり見受けられません。この第三の性と言うのはもうわかってるでしょうが、いわゆる同性愛者のことです。

 それこそRPGゲームのスタート時の性別選択が、「ハードゲイ」と「ソフトゲイ」の二択しかないゲームなんてまず無いでしょうし、あったとしてもキャッチフレーズが昔のテイルズみたいに「君と響きあうRPG」とか言ったら一体何と響きあうのかいらない想像とかしてしまいます。別にこういうゲームを期待しているわけじゃありませんが、近年の女性の社会進出が昔には考えられなかったことを考えると、いつかは出てくるのかなぁとこの前にしみじみと考えてしまいました。