ページ

2010年4月29日木曜日

新司法試験合格者の債務問題

 昔まだ私が学生だった頃、法学部に在籍していたある友人にこんな事を話しました。

「言っちゃなんだが、今度ロースクール(法科大学院)が出来るけど去年の司法試験合格者はそれほど増えておらず、俺はこの制度は必ず破綻すると思うから君は行っちゃだめだよ」

 図らずも、この時の私の予言がどうも現実味を帯び始めてきているようです。

 今月の文芸春秋にて、あの宮部みゆき原作の小説、「火車」に出てくる多重債務者の救済を専門に手がける弁護士キャラのモデルとなった、現日弁連会長の宇都宮健児氏がこの問題について寄稿しており、あまりの内容に私も一読して絶句しました。そもそも弁護士会において無派閥者であった宇都宮健児氏が日弁連会長に選出された自体がこれまでからすると非常にイレギュラーな事だったらしく、それだけ司法改革以降の法曹界に問題が噴出していることの表れだと本人も述べております。

 それで具体的にどのような問題が起きているのかというと、一言で言うなれば司法試験合格者の貧困問題です。司法試験の受験者ならともかく合格者であれば後の人生はバラ色なのではないかと私は思っていたわけなのですが、実態はさにあらず、スタートしたての弁護士は身動きも取れないほどに経済的に追い詰められているそうなのです。

 まず現在の主流な弁護士への道というのは法科大学院、いわゆるロースクールでの教育を終えた後に司法試験を受けて弁護士資格を得るというやり方なのですが、この法科大学院での高額な学費を払うために現状で多くの受験者は奨学金などの借金を抱える事となります。そのため司法試験合格後、合格者は基本的な業務や知識を習得するために裁判所にて司法修習生という身分で一年間(以前は二年間)働きながら合格後教育を受けるのですが、現在この司法修習生は平均で400万円もの借金を抱えているそうで、多い人に至っては1000万円にも登るそうです。

 これまでこの司法修習生は公務員身分として在籍中は給与が支払われていたのですが、これが今度からは貸与制、つまり借金として返済義務が課されるように法改正がされようとしているのです。しかもこの司法修習生中は法律で習得専念の義務が課されているためにアルバイトは禁止されており、言わば国から無理やり借金を握らされようとしているわけで、すでに述べたように司法修習生は司法試験に合格する時点で大量に借金を抱えているため、このままだと合格後もまた借金を重ねて司法試験合格者はみんな多重債務者からスタートするという笑えない事態になりかけているそうなのです。

 実際に宇都宮氏は今回の論文にて、このような厳しい現状を反映してか問題があると認識しつつも、多重債務者に高利金融業者からかつてのグレーゾーン金利で支払った余剰金を返還させる代わりに多額の手数料を要求する悪徳弁護士事務所へ就職する新人弁護士が増えていると述べています。新人弁護士からすると自らの理想とかけ離れた現場である事が分かっていながらも、いきなり独立開業など出来るはずもなく、抱えてしまった借金を返すためにこのような稼ぎのいい弁護士事務所へ就職するそうです。またまともな弁護士事務所も司法改革以降の合格者の増加によってどこも人員は満杯状態らしく、ますます問題ある事務所に人が流れるという悪循環に陥りつつあるそうです。

 このような厳しい新人弁護士の現状など今後改革すべき課題が非常に多いと宇都宮氏は主張しているわけなのですが、私としてもこのところの債務返済を行うという弁護士事務所の過剰な広告が目についており、傍目にも今の法曹界が異常な状態なのではないかとかねてより危惧していました。具体的にどのように解決して行けばいいのかとなるとあいにく不勉強のために解決案を持ち合わせていませんが、少なくとも司法修習生の給与問題については宇都宮氏同様に現行の給与制を維持して貸与制へは移行してはならないという意見に賛成です。

 更に言えば、宇都宮氏はこの司法修習生の期間も数年前に二年から一年半、そして今の一年へと徐々に短縮されてきている事も新人教育上問題で、可能ならば昔通りに二年に戻すべきだと主張されてます。あまり専門ではないのですが、以上のような問題点に気をつけ今後もこの問題を見守っていこうかと思います。

2010年4月28日水曜日

国家公務員、採用半減指示について

 本当は昨日に書きたかった内容なのですが、検察審査会の小沢氏起訴相当議決ニュースが入ってきたのでそちらを優先して取り上げたために今日に書くこととなりました。それにしても、予想はしていましたが昨夜のニュース番組は小沢氏の報道ばかりで今日取り上げる話題はついぞ見ることはありませんでした。

国家公務員の採用半減、首相が指示 閣僚懇(朝日新聞)

 私はこのニュースを昨日の朝刊一面で知りましたが、一目見てなんだこれはと大きく呆れさせられました。

 概要を簡単に説明すると、民主党は今後各省庁の官僚に対して天下り斡旋を禁止する措置を、本気かどうかわかりませんが取る予定なのですが、天下りを全面廃止するとなるとこれまで天下りで出て行っていた退職者が出て行かなくなるため、これまでより多くの国家公務員を定年まで面倒を見る必要になり、このままいくと現状より遥かに多い人員を省庁は抱える事になります。
 すると結果的には人件費が増大する事になり、これでは民主党がマニフェストに掲げた「国家公務員の総人件費の2割削減」ができなくなります。そのため鳩山首相は関係閣僚らに対し、この増える人件費の分だけこれから新規に採用する人員を減らしていこう、そのためにまず来年度の新規採用数を半減、実数にして約4500人程度抑制させるよう指示したと、このニュースは報じております。

 このニュースを見てまず私が感じたのは、ますます現代の若者を追い込むつもりかという怒りでした。
 現在、日本の若者は不況の影響から各企業が採用数を減らしているため、どれだけ真面目で能力のある若者でも職に就く事が出来ないという厳しい状況下に置かれております。そんな若者ら、というより学生が最後の希望として持っているのがまさに今回取り上げている公務員職で、仕事が楽で身分も保証されるとのことで、恐らく少子化で人数は減っているにもかかわらず過去かつてないほどの志望者数となっていると思います。

 私は昔から反権力志向が強いために周りからは政治家や官僚が向いているとよく言われてはいたものの、たとえ簀巻きにされて琵琶湖に投げ入れられても公務員にだけは絶対になるまいとかねてより考えていましたが、こんな時代ゆえかやはり周りの同年代の知り合いや後輩らは公務員志望者が圧倒的に多く、専門の予備校に通う人間も珍しくありませんでした。
 実際に今の就職事情を見ていると普通に就職活動してもなかなか内定が得られず、またそうやって苦労して得た内定でも足元を見られてか、いわゆるブラック企業と呼ばれるような所で寿命を縮めるような働き方を強いられたりする事も珍しくなく、若者が高い倍率となることが見えていても公務員を志望するのも無理はないと思っていました。

 それが今回、天下りをやめさせる代わりに新規採用を半減させるというこの鳩山首相の指示は、見方を変えればただでさえ狭くなっている若者の就職間口を更に狭めて追い込みかねない指示です。しかもその採用数を半減させる理由というのも現役の官僚を定年まで雇うためという、これまた見方を変えて言えば若者を犠牲にして上の世代を温存するというやり方で、公務員は嫌ってはいるが一応は若者の味方のつもりの私からするととても承服できない案です。

 元々民主党の支持母体は公務員によって組織される労働組合であって、今回のような天下り廃止(これ自体本当にやる気があるのが非常に疑わしいのですが)のかわりの条件にこのような新規採用数半減が出てくるのもある意味自明であったのかもしれません。しかしそもそもの話、これまで天下りで職員が出て行っても省庁という組織が成り立ってきていたという事を考えると、現役の公務員数は明らかに余剰であるはずです。だったら新規採用をいきなり半減なんてことはせず、給料は高いが仕事のない、天下りで出て行くような50代の職員らを最後まで面倒なんか見たりせずにとっととリストラで首を切ってしまった方が人件費も浮くしずっと効率的なような気がします。第一、不況の今こそ若者の就職口をそれこそ国費で以ってある程度確保しなければならないというのに。

 もし本気で天下り廃止をするかわりに定年まで面倒を見るという手法に切り替えるというのであれば、上位世代のリストラなしに新規採用数の削減を私は決して認められません。また新規採用を絞るというのであれば、いきなり半減などといわずもう少し段階を経て少しずつ減らしていくやり方でないとこれもまた認めることができません。

 最近友人に借りた本に書かれていましたが、ネットはテレビで取り上げられた話題には大きく反応しますが、新聞だけだとたとえ一面に載ったとしてもあまり反応しない傾向があるそうです。今回のこの一件もまだあまり大きくなっていないように思え、というよりすっかり小沢氏の騒動に隠れてしまっちゃっている所があるので、もし共感される方があれば宣伝を兼ねてこのブログを紹介していただければ幸いです。

  おまけ
 なお、キャリア職員の採用数は例年通り600人程度を確保する予定だそうです。

2010年4月27日火曜日

検察審査会、小沢氏を起訴相当と決定

小沢氏は「起訴相当」 検審が議決 土地購入事件(産経新聞)

 本日午後、一連の四億円の土地購入に関わる疑惑において元秘書は起訴となったのをよそ目に不起訴となった小沢一郎民主党幹事長に対し、東京地裁の検察審査会が起訴相当という議決を採りました。
 この検察審査会については私もかつて、「検察審査会と二階大臣の西松事件について」の記事にて取り上げ、将来的には一般市民の意見をより司法に反映する大きな手段となるのではと期待しておりましたが、今回早くもこのように大きく取り上げられるようになってなかなか驚きです。

 まずはおさらいですが、この検察審査会とはそもそもどういったものなのかをここで軽く説明します。
 検察審査会というのは一般有権者の中から無作為に選ばれた十一人の市民によって構成される会議のことで、過去に捜査が行われたものの裁判の開始となる起訴までに至らなかった事件に対し、事件の当事者や被害者から不服申し立てを受けることで再び起訴すべきかどうか審査します。

 この検察審査会が発足した背景として、一般市民感情と司法があまりにも隔たり過ぎてないよう、市民の感覚をより司法に反映させるようにという目的から作られました。しかしながら他の日本の組織同様に所詮はポーズのみで、たとえ検察審査会が起訴相当という議決を出してもこれまでの日本の裁判所を初めとする司法はあまり相手にしてきませんでした。

 これに変化がおきたのは去年の裁判員制度の開始からで、裁判員制度とともにこの検察審査会も権限が強められ、これまでいくら起訴相当の議決を出しても検察が実際に起訴手続きを行わなければ裁判が行われなかったのに対し、起訴相当議決が二回出た場合は問答無用で裁判が開始されるように権限が強化されました。
 この結果、今月初めに起訴相当が連続して出た事で、2001年に起こった明石花火大会歩道橋事故の際に現場責任者の一人であった当時の副署長がこの度強制的に起訴されることとなりました。なお余談ですが堺屋太一氏はこの時の警備担当者らについて、催事警備のイロハも知らない奴らだと述べております。

 話は戻り小沢氏の今回の一件ですが、これまでならば笑って見過ごせる検察審査会でしたが、仮にもう一回起訴相当議決が出てしまえば強制的に起訴となることもあって民主党内は早くも大慌てのようです。夜七時ごろに小沢氏も会見を行いましたが、それほど慌てた素振りこそなかったものの以前のような自信満々な態度は少しなくなってやや大人しくなったように私には見えました。また他の閣僚らもコメントは様々で、最近小沢氏としっくりいっていない前原氏はノーコメントでしたが、素直に「ヤッターヽ(*´∀`)ノ」とか言えばいいのに。

 また同じく秘書がらみの問題を抱えていてもう一人の当事者とも言える鳩山首相は、検察の捜査に影響を与える事になるためコメントは出来ないと、記者からの質問には特に自分の意見を述べませんでした。前回、小沢氏に「戦ってください」と党大会で言った傍から散々に叩かれた事を踏まえての発言でしょうが、まぁ適当と言えば適当な対応で特に問題はないと思います。
 しかし先日、鳩山首相の秘書が例の政治資金収支報告書偽装の件で有罪となったばかりで、もし小沢氏が強制的に起訴となる場合、いやそれ以前に鳩山首相が起訴されないことに対しても検察審査会が議論する事となれば、内心では他山の火どころではないのかと思います。

 今月の文芸春秋において田原総一郎氏が今の鳩山首相について、普天間問題でゴタゴタしているが今の彼の頭の中は自分の資金問題で一杯だからこの問題はまだまだ片付かないだろうと述べていますが、私も見ていてどうもそんな気がします。だとすると今回の一件でますます頭が回らなくなる可能性も高いとも思え、普天間ももっとややこしくなるのかもしれません。

 最後に小沢氏の疑惑について私の意見を書いておくと、日本の警察や司法は状況証拠だけでも簡単に有罪を取ってくるのに政治家に対してはやけに具体的な証拠を必要とするのはどう見たって不公平な気がしますし、資金の出所についての供述をコロコロ変えている時点で明らかに問題があると思います。恐らくこれで起訴とならなくとも再び検察審査会に申し立てが行われ、早ければ七月くらいにはまた起訴相当が出て強制起訴が行われる公算が高いと私は見ているのですが、今日の審査会の決定理由おいて、「秘書の問題に政治家が一切責任を負わないというのは、一般市民感覚から大きく逸脱している」という一文こそが、この事件の問題性を一番うまく言い表しているように思えます。

2010年4月26日月曜日

死神に名づけられた子供

 今日の関東地方は昨日は暖かかったのに昼過ぎから急激に冷え込み、このあまりの気温の落差に体も音を上げたか、私も夕方に激しい嘔吐感を伴う頭痛を起こしました。そういうわけで昨日も休んだ上に今日も長い記事を書けないということで、一つ私が気に入っているとある寓話を紹介しようと思います。

 題名は忘れましたが話の元ネタは欧州の寓話集からで、中世頃のある村の夫婦に一人の子供が生まれました。父親はその子供に世界で最も平等な人に名前を授けてもらいたいと考えていると、父親の前に悪魔が現れて私が名付け親になってやろうと申し出てきました。しかし父親は、
「いや、あんたが人間に配る不幸は個別に違っているから、平等じゃない」
 と言って、この悪魔の申し出を断りました。

 すると今度は父親の前に神様が現れ、私が名付け親になってやろうと申し出てきました。しかしこの神様からの申し出に対しても父親は、
「いや、あんたが人間に配る幸福は個別に違っているから、平等じゃない」
 といって、神様からの申し出も断りました。

 こうして名付け親になろうという悪魔と神様からの申し出を続けざまに断った父親に対し、最後に死神が現れてまたも名付け親になろうと申し出てきました。すると父親は、
「あんたはどの人間にも最後に平等に死を配る。あんたが一番平等だから、あんたに子供の名付け親になってもらおう」
 そういって、この父親の子供は死神に名前をつけてもらったそうです。肝心のつけられた名前までは書いていないのが残念ですが……。

 この寓話は人によって不幸、幸福の度合いは異なれど、最後の死は誰にも平等に訪れるということを説明しております。なかなか良く出来た寓話だと思うのでドラクエ6の主人公張りに心に深く刻み込み続けているのですが、これとは別にまた作者の名前を忘れてしまいましたが欧州の絵画にて、生まれたばかりの赤ん坊が天使に祝福される横で死神と将来死ぬ契約書にサインするという絵がありましたが、誕生の祝福とともに死の宿命を人は受けるという意味が暗示されていて非常に気に入っております。

 割と東洋思想は死んでも輪廻転生してもう一回生き返るという思想が強い分、死について見てみぬふりをするようなところがある気がします。そういう意味では生と死を深く対比させて考える面については、寓話や芸術に出るだけあって欧州の方がずっと進んでいるのかもしれません。

2010年4月24日土曜日

私と船岡温泉

 最近分不相応にも休日は朝から銭湯に行って朝風呂をするという贅沢を覚え、今日も雨がやんだ事もあってひとつ行ってきました。行ってきたのは家から自転車で20分くらいの銭湯で、朝九時の開店とともに600円の入場料を払ってゆっくり浸かり、帰る前に軽食コーナーにおいてある「スラムダンク」で一番好きな翔陽戦を見てから帰りました。

 これだけならスイーツ的に言うと、「ちょっぴり贅沢だけど、ワタシだけのオリジナルで優雅な休日」とまとめきれるのですが、どうものこのところの気温変動の激しさが体にきていたか、帰宅後に昼食を食べると猛烈な眠気に襲われ、昨夜もちゃんと睡眠をとっているにもかかわらず午後一時か五時まで実に四時間も完全に熟睡していてついさっき目を覚ましました。寝覚めもいいんだから気にする必要はないんですけど、どうにも休日を無駄に過ごしているような気がして複雑です。

 さてここで話は変わって銭湯についてですが、やっぱり本場と呼べる場所と来たら私が一時期住んでいた京都市内です。京都市は今でも風呂のついていない古い家やアパートが多いため、この時代にあっても市内の各所にこれでもかというくらいに銭湯が乱立し続けております。その銭湯群の中でも際立っていたというか、私が一番通っていたのが今日のお題にもなっている船岡温泉です。

船岡温泉ホームページ

 この船岡温泉は京都市の北西部(紫野)、やや奥まった通りにある銭湯ですが、昔からある銭湯だけあって建物のつくりなどが半端じゃなく年季が入っております。あいにくリンクに貼ったシンプルさも極まっているホームページでは写真が少ないですが、入り口の趣深さは言うに及ばず、脱衣所の欄間などは一見の価値があります。

 当時、私が住んでいた下宿というのがまさにこの船岡温泉の真ん前(徒歩一分)にあるということで、料金も安いし、深夜早朝にもやっていることから下宿にも風呂はついているのにわざわざうちの親父と組んでよく一緒に入っていました。当時から高く評価していた銭湯でしたが、インターネットで検索を掛けてみると「日本最強の銭湯」という物々しい異名があちこちで書かれており、改めてすごい場所に出入りしていたんだと気がつかされました。しかもこの船岡温泉の話を各所でしていると、なんと奈良に住んでいる私の親父の従兄弟もここに行った事があることが分かり、その知名度といい実力といい、強豪多い京都市の銭湯業界においても最強といわれる由縁が判ったような気がしました。

 ちなみにこの船岡温泉の近く、同じ鞍馬口通りには元銭湯だった店舗を改装した喫茶店もあります。ここもまた赴き深い店舗で金がないにもかかわらず当時はよく通っていました、親父の金で。

2010年4月23日金曜日

私流の優秀な人材の集め方

 昨日のブログ記事はブラウザの印刷機能が上手くいかずイライラした状態で書いたのが響いたのか、非常に荒れたままでアップされていたので先ほど一部文章を訂正しました。よく文章は人の心を映すなどど言う人もいますが、少なくともこうも毎日書いていればその日ごとの調子は私自身で手に取るように分かってきます。今週は睡眠時間が減っていて全体的にカリカリしているとか。

 そういうことはさておいて、今日はちょっと思うところがあって昔の記事の、「まず隗より始めよについて」の記事を読み返して見ました。それにしてもこの記事、冒頭が朝日新聞のトヨタヨイショから始まっていますが、今になって改めてみてみるといろいろとこみ上げてくるものがあります。

 この記事は中国の故事である「隗より始めよ」、つまり物事を始めるには手近な所から始めるべきだという教訓を含めた逸話を紹介しております。内容は元記事を読んでもらえば分かるとおりに、この自分をより遇すことで自分以上の人材も評判を聞いて喜んでやってくるだろうと郭隗がうまいこと燕王に言っておいしい思いをしたという話ですが、この逸話に限らず人材募集の逸話というものは中国史において数限りがありません。

 私が知る中で最も古い逸話だと、中国古代の周王朝(封神演義に出てくる)の建国期において活躍し、孔子が最も理想の君子として挙げていた周公旦には、「周公、哺を吐く」という逸話があります。これは賢者が近くに来ていると聞くと周公旦は食事を中断してでも会いに行ったほど人材募集に熱心だったという逸話ですが、三国志の曹操もところどころこの周公旦を意識している所があったので彼の人材収集癖もここから始まったのかもしれません。

 中国に限らず日本でも歴史上の偉人が熱心に人材を集めようとする話がたくさんありますが、そういった逸話を多く見てきたことが影響してか、この私もかなり小さい頃から優秀な人たちと知り合いになりたい、切磋琢磨したいという思いが強かったと自覚しております。特にそれが強く現れたのは大学時代で、新たに友人が増える傍から、「もしあなたの知り合いの中でこれはと思う人材がいたら、是非自分に紹介して欲しい」などと言っては、たくさんの相手をきょとんとさせてきました。

 そんな感じで一人でも多く優秀な人材を見つけよう、知り合いになろうと長年努力してきたわけですが、色々試してきて一体どんな方法が効果があったというか実際に自分に良い影響を与えてくれる友人の発掘につながったとのかというと、自分自身を鍛錬することがやはり一番だったような気がします。

 何でいい人材を見つけるのに自らを鍛える事が関係するのかというと、一つ目の理由としては相手が優秀な人材かどうかを見分けられるようになるからです。よく、ってほどでもないですが「愚者はかえって智者を馬鹿にする」と言いますが、ここまで言わないにしろやっぱり相手が賢いかどうかを理解するためにはこちらも一定度の知識と知力が必要になってきます。実際に私も知識のなかった頃はそれほど評価していなかった友人でも、ある程度その方面の勉強をした上で改めて話してみるとまるで人が変わったかのような印象を覚えて、それまでの自らの不明を恥じつつ以後いろいろと教えを請うようになったことがあります。

 二つ目の理由として、自らも一芸ある人材となることで優秀な人材が自然と寄ってくるようになるからです。こう書くとなんか自分でも偉そうに言ってるよう見えますが、私が高く評価している友人らに対してどうして自分なんかを相手にするのだと聞いてみると、向こうからしても私自身と話していて面白い、勉強になると思うからだそうで、図らずも自分自身の能力が別の人材を呼んでいたということにその時気がつきました。

 よく後輩などを指導している際、「自分にも、花園さんみたいに政治とか経済をいろいろ教えてくれる人がいたら助かるんですけど……」という言葉を聞かせられますが、もしそのような色々教えてくれる友人が欲しいと思うのなら、私はやはりまず自分自身を鍛えることが一番の近道のように思えます。

 最後に究極的な人材の発掘の仕方として、新たに人材を見つけるのではなく、今いる友人や後輩を徹底的に教育して議論し合えるレベルまで知識を教え込むという方法もあります。実際にこれをやるとなると教え方とか時間が必要になってきますが、下手な偶然に頼るよりかはずっと確実な方法なので私はこの方法で何人かを星野仙一監督ばりに育ててきたという自負があります。

 人材を見つけるにしろ育てるにしろ、ただ待っているだけで運命のように出会える事はほとんどありません。少なくとも活発に行動を起さなければ意味がなく、もし何かしらの方面に詳しい人と付き合いたいと思うのならそれを強く発信する事をお勧めします。
 そういうわけで、政経でも倫哲関係でもいいので、我こそはと思う人は是非メールなりコメントを下さい。

2010年4月22日木曜日

新党乱立が政局に及ぼす影響

 本日、かねてより新党を結成すると見られていた桝添要一氏が自民党に離党届を出し、公式に新党結成を表明しました。
 今回の離党に至るまで桝添氏は自民党執行部を厳しく批判し続け、公の場では新党結成をするつもりはないと言いながらもどっからどう見たってそんな風には見えないことから狼中年とまで揶揄されてきましたが、案の定というか早速改革クラブの連中と行動を共にすると発表するあたりやっぱり初めから新党結成をするつもりだったのでしょう。だとすると先週の東国原宮崎県知事との会談でも恐らくこの話題が出ており、何かしらそっちでも動きがあるかもしれません。

 ただ今回の桝添氏の新党結成は、私の見方だと政局に対してそれほど大きな影響を与えないかと思います。その理由を一つ一つ説明していくと、まず桝添氏は各世論調査などで総理に相応しい人物としてこのところ常に一位を取るなど人気のある人物でしたが、私はこの結果は桝添氏が自民党にいてこその結果だったと考えております。
 現在民主党は普天間問題を初めとした諸問題において文字通り迷走を続けているものの、相対する野党の自民党はというと総裁の谷垣氏を筆頭としてこちらもみんな頼りない。仮に今の民主党を選挙等でどうにかしようにも肝心の対抗馬である自民党の方がもっと情けない状況で、そんな自民党を桝添氏が率いるのであればまだ期待が持てる、そういうような意識から首相に相応しいと評判になったのではないかと思います。

 これは逆に言えば政権与党、もしくは与党になりうる政党に桝添氏がいないのであればあまり期待が募らないという事になります。ですので今回新党結成をするために自民党を離脱し小政党の党首なり幹事長を桝添氏が勤めるのであれば、桝添氏が首相となる可能性は自民党時代より低下し、それに伴い彼への支持も落ちていくのではないかというのが私の見方です。

 それにしても、90年代の自民党が下野した頃を髣髴させるかの如く今月に入り一挙に新党が乱立する事態となっております。与謝野氏、平沼氏の「立ち上がれ日本」に、橋本大阪府知事の「大坂維新の会」、地方首長らが集まった「日本創新党」など、かねてからあった「みんなの党」がかすむくらいにこのところはラッシュが続いております。

 この中で私がまだ期待しているのは「日本創新党」で、この新党の発起人に名を連ねている山田宏杉並区長は区長就任時に940億円あった債務を、なんと十年で170億円にまで縮小し、160億円あった基金も500億円まで増やす事に成功しております。同じく発起人となっている前横浜市長の中田宏氏はあまり好きではないのですが、この新党の主張となっている、「今の地方の問題は国の問題」という内容には共感するものがあり、規模が国家より小さいとはいえ実際に予算を切り盛りした経験のある首長経験者の方が即戦力という意味では期待できます。

 しかしこうも新党が乱立してはお互いに票を奪うことになり、返って与党民主党を利する結果となりかねない状態です。各政治評論家も述べていますが、どこかの党が、それこそ自民党が一時下野した90年代に野党を結集して出来た細川護煕政権のように一本にまとまらなければ新党はお互いに足を引っ張るだけで、それこそ鳩山邦夫氏が本人の主張通りに坂本龍馬みたいに橋渡し役を果たすのなら話は別ですが、彼にあのキャラはまず無理でしょう。

 そしてなによりも、現在新党が乱立される背景として参議院選挙が今夏にあるためだと言われていますが、仮に次回の参議院選挙で民主党が大敗する事となっても政局は大きく動かないかと思います。以前であれば選挙大敗の責任論などが飛び交いましたが安倍政権以降の自民党政権はいくら選挙で負けようが、いくら支持率が下がろうが、衆参でねじれ現象が起きようが要の衆議院での議席数の優越を盾に一切解散総選挙に応じてきませんでした。

 確かに参議院選挙で大敗すれば鳩山首相が退陣することくらいはあるかもしれませんが、その場合でも次に総理になるのは民主党内の別の幹部で、おまけに前回衆議院選挙で大勝しているためそうそう簡単には野党の解散要求にも応じないでしょう。

 ではどのような時に政局が動くのかですが、次の総選挙がある三年後か、民主党内から離党者が続出した時のいずれかではないかと思います。いくら自民党から離党者が続出しても政局にはなんの影響もなく、現与党である民主党内から離党者が出ない限りはそうそう大きくは動かないことが予想され、しかも与党でいる限りは去年の自民党みたいにそうそう離党者なんてでることがなく、何か突発的な大きな事件、それこそ新小沢派と反小沢派が大きく激突しない限りはまだまだ民主党政権は続くというのが私の見方です。