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2012年1月29日日曜日

日本人のイエ意識についての考察

 初めにまた本題とは関係ありませんが、下記のインタビュー記事が面白かったので紹介しておきます。

【水内茂幸の夜の政論】民主津村氏宿舎で男鍋「反ポピュリズム再編だ」与謝野氏の遺産が民主救うか(産経新聞)

 内容は民主党の津村啓介議員の政策インタビューですが、インタビュー現場は津村議員の議員宿舎で学生さながらの鍋パーティをしながらという。しかも最初は一体改革論議、次期選挙の争点と真面目な内容なのに途中からまだ独身の津村議員の失恋話に発展していきしまいには、
「女が持つのは上書き可能なCDーRW一枚だが、男は一回記録したら上書きできないCDーRを何枚も持っている。男は未練がましいのかな。本当は不燃ゴミの日に全部出しちゃって過去を捨てるべきなのに」(津村議員)
 という名言まで飛び出る始末でした。なかなか面白いなこの企画。

 そうしたことはさておき今日の本題に移りますが、ほかの人はどうかはわかりませんが私は社会学を出身としているだけに物事に対して因果関係からまず疑います。勝手な想像で悪いですが物理系とか経済系は「原因→結果」というロジックを重視しているように見えますが、我々の社会学は「原因⇔結果」など、双方向的アプローチで物事を捉えようとするところがあり、ややもすればひねくれた見方をすることも多いです。今回ここで紹介する「イエ意識」についての内容も、過分にそのような要素を持っております。

 恐らく一見してみて「なんで家意識と漢字で書かないの?」と思われるでしょうが、特段思い入れがあるわけではないものの一応社会学としての専門用語を優先してカタカナ表記の「イエ意識」で今回は統一します。さてこのイエ意識ですが、どういったものを指すのかというと普通に想像される通りに「祖先や家族など血縁に対して強い意識を持つ」、「家系のつながり(系譜)を大事にする」といった価値観のことです。私がここで言うまでもなくこのようなイエ意識は昭和時代と現代とを比べると明らかに減少しており、もはや古い価値観や保守的な考え方と言われても仕方のない現状をしております。

 では逆に、どうして以前はこうしたイエ意識が大事に持たれたのでしょうか。こういうことを言うと中には「江戸時代に築かれた儒教意識が影響しているのでは」と考える人もいるでしょうが、私はこうした考えについては否定的な立場を取ります。根拠としてはいくつかあり、まず単純なものとしては儒教が存在しなかった国や地域、具体的には中東などでも先祖崇拝や家族主義的な価値観が強く、これらも立派なイエ意識と呼べるのではと考えるからです。また江戸時代の日本に限定しても儒教教育が強くなされていた武士層の人口割合は非常に小さく、逆に圧倒的大多数を占めていた農民層は儒教教育がどこまで施されていたのか、また武士との間でイエ意識に差があったのかといった点でも疑問に感じます。
 今回の件に限るわけじゃありませんが、儒教はよくいじめ問題とかにも引っ張り出されて悪者扱いされることがあるものの、私は世間で言われているほど儒教というものはそれほど日本人の思想に影響を与えているとは思えず、体のいいスケープゴートになっているだけじゃないかという気がします。

 では儒教でなければ一体何が日本人のイエ意識に影響を与えているのかですが、ずばり私の仮説を挙げさせてもらうとそれは「相続されるべき財産の存在」じゃないかとにらんでいます。
 まず日本の財産相続の歴史を簡単に話しますが、平安時代については諸説あってまだ確としていないものの、鎌倉時代においてはどうも男女問わず分割相続されていたようです。ただこの方法だと田畑が縮小して生活を成り立たせ辛くなったために室町時代には嫡男への単一相続方式が確立され、江戸時代において嫡男には相続する権利が認められる代わりに相続権のない弟や妹といった庶子の生活の面倒をみる義務が発生することとなりました。

 こうした相続の過程で着目するべきなのは言うまでもなく嫡男で、嫡男からすると若いうちに家を守ったり両親を助けることは将来自分が相続する財産を守ったり増やしたりすることと同義で、自分が当主となった後も自分の嫡男へと遺産を相続させるためには家を保つことが肝心になります。また嫡男以外の庶子にとっても田地を新規開拓するなど独立して生計を立てるのならばともかく、成人後の生活は当主たる嫡男のおこぼれというか面倒を見てもらわなければ生きていくことは難しい一方、イエ意識を持ち実家を盛り立てようとする立場を持つことでいざという時の逃げ場所を確保することが出来ます。

 私はこのような財産相続という制度が下地となり、明治期においては長男は兵役が免除されるようになったというように法律上でも確立されたことで日本人のイエ意識が出来上がったと考えています。これは逆に言えば、相続するべき財産がなくなるということはイエ意識もなくなるということでもあり、儒教精神の退廃とか思想上の原因ではなく単純に金銭的な問題でイエ意識は現代において勢いをなくしたとも見ています。

 日本のイエ意識を語る上で戦後の高度経済成長期に起こった核家族化は見逃すことが出来ず、単純にこれによって地方にある実家との距離が離れたことや庶子らも独立して生計を立てられるようになったことでイエ意識が減少したとみることが出来ます。ただ敢えて財産相続に着目して変化を追うと、相続が以前の嫡男への単一相続から分割相続が増え始め、また相続されるべき家や土地といった財産も都市生活では扱いづらいものになってきたことによってイエ意識も揺らいだのではないかともみれないでしょうか。

 以上のような考察を踏まえて今後のイエ意識の予想を述べると、このまま減少していくのではないかと思う一方で強まる可能性ももしかしたらあるんじゃないかと考えています。その理由は今後、というか現在進行形で今の日本社会は過去の貯金を取り崩して生きているような状態で、ニートや引きこもりといった財産のある両親の支援なしでは生活出来ない人たちも増えており、相続という概念が以前より意味合いを増してくるのではないかと見ているからです。あとさらに付け加えると、私の仮説ではイエ意識は相続財産があって初めて成り立つものであるため、家系とかにやたらこだわるのは比較的余裕のある家、階層で言うならアッパークラスほどこの傾向が強いとも言えるんじゃないかと密かに考えているわけです。

ドコモの通信障害を見て

 日本にいるわけじゃないのであくまで伝聞ですが、なんかNTTドコモがこのところ何度も通信障害を起こして総務省に怒られているそうです。自分の記憶だと去年の夏頃から大規模な通信障害を複数回起こしており、総務省は改善と対策を要求し、ドコモ側も役員報酬を削減して責任を取るとしております。
 別にこれだけだったらわざわざ取り上げるまでもないんですが確か去年起きたドコモの通信障害の折に、「通信障害の間に通話やメールできなかった分を弁償しろ」と、なんかどっかからドコモが訴えられたというニュースを見ました。確かに現在進行形でYahooのトップページが開けたり開けなかったりしてかなりやきもきされることを考えると腹立つ気持ちもわからないのですが、1日くらいの通信障害で訴えられたりもするのかとニュースを見た際にはちょっといろんな意味で驚きました。それとともに、これで訴えられるんだったらソフトバンクは一体どうなるんだという妙な疑問も覚えたわけです。

 私自身は日本にいた頃は一貫してドコモを使っており、通信状態とかそういったものには全く不満を感じたことはありません。3G(FOMA)に移行した際も特段困るような事態も発生せず、ほかの通信キャリアより通話料とかが高いとは言われていたものの余計なサービスをほとんど取っ払ったら費用は基本料込み、ってかほぼ基本料だけで毎月2500円だったので個人的には十分でした。
 ただ同じドコモ、しかも大学で初めて会った時に全く同じ携帯電話を持っていた友人がソフトバンクへ鞍替えすると、「やっぱりドコモの電波はよかった」と何度も愚痴るようになりました。何もこの友人に限らずあっちこっちでソフトバンクはちょっと都市部を外れるとすぐ繋がらなくなるとみんな言っており、方々で言われておりましたが「メガソーラー計画」に凍死するくらいならもっと基地局増やしたらどうかという気持ちを私も覚えました。

 そんなソフトバンクですが、大学時代の後期、具体的には中国留学から日本の大学に復学した際には下宿でのADSL回線契約でお世話になったことがあります。何気に留学前に使っていた部屋は月家賃3万円の安いアパートながら光回線が引いてあったのでスピードはダウンしましたが、こちらの方は携帯電話と違って通信状態で困らせられることは全く以ってありませんでした。
 ただ契約の際にソフトバンクの店員さんと話をして、なんか京都のややひなびた場所に住んでいると聞いたらうちの親父が、「そんな山奥やったら、ソフトバンクの携帯は電波届かんのとちゃう?」と嫌味なことを聞きました。するとその店員さんは、「大きな声では言えませんが、業務ではソフトバンクですが家ではドコモ使ってます……」と答えたのが何故だか今でもよく覚えてます。ってか、社員の住所くらいは電波カバーしろよなソフトバンクも。

2012年1月27日金曜日

ヒーローの活躍できる都市

 ここだけの話ですが、実は私は映画の「スパイダーマン」が大好きで、一番好きな2なんかもう五回は確実に見ています。今度キャスティングを一新したスパイダーマンが公開されるようですが、個人的にトビー・マグワイアが気に入ってただけに少し残念です。多分見るけど。
 そんなスパイダーマンですが、彼の見せ場はなんといってもニューヨークの摩天楼を飛び回るシーンで間違いなく、あの場所あってのスパイダーマンと言っても過言ではありません。それでこの前ふと思ったのですが、「香港ならスパイダーマンも活躍できるかも」と、同じくビル群が林立する香港ではどうだろうかと妙な想像をしました。

 香港もニューヨーク同様に高層ビルが隙間なく立っており、恐らくあの場所ならスパイダーマンの特性を生かして十二分な活躍が期待できます。ただこれが東京となると、意外に東京はビルがびっしり立っている地域は少なく、ど真ん中には皇居というだだっ広い平地が広がっているため空中を飛び回って移動することは叶わないでしょう。交差点を全力疾走するスパイダーマンではちょっと見ていて楽しくありません。
 では同じアメコミヒーローの、今度三作目が公開されるバットマンは東京だったらどうでしょうか。彼だったらその土地に影響されることなく活躍が期待できますが、そもそもアメコミヒーローが巣鴨とか板橋をうろついてたりしたら明らかに浮きますし、秋葉原だったらコスプレイヤーで片づけられます。そういう意味では、仮面ライダーとかはまだ日本の風土に合ったヒーローと呼べるかもしれません。

 ただそんな仮面ライダーも、北京市では日本みたいな活躍は期待できないでしょう。というのも北京市では交通渋滞が激しいために基本的にバイクの乗用は認められておらず、ライダーなのにバイクがないという笑えない事態に陥る可能性があります。さらに無理して乗ったりすると、中国はリアルに暴走族が一人もいないくらいに治安警備が厳しいところなので出撃の度にパトカーに追いかけられることになるでしょう。それ以前に、中国で仮面ライダーとなると怪人はやっぱり「毒餃子男」とかになるんだろうか。

中国繊維業界からの日本企業の見方

 以前に知り合いから、中国で繊維業を営む経営者(中国人)から聞いた話だとしてこんな話を聞きました。その経営者が言うには、日本企業は発注の際にあれこれ細かい要求を突き付けてくるには値段を安く買い叩いてくるので、発注量は確かに大きいが取引をしても得られるメリットがほとんどないそうです。その逆に、アフリカ諸国の業者は「なんでもいいから送ってくれ」と言ってくれるのでこちらは単価が低くとも非常にやりやすい相手で取引量も拡大してきているそうです。
 この話を聞いたのは去年の夏くらいでその場ですぐにブログに上げても良かったのですが、ちょっと思うところがあって敢えて今日まで書きませんでした。では何故今日になってこんなことを書こうと思ったのかですが、裏が取れたというか別ソースでも全く同じ情報を耳にできたからです。

 これは去年の香港出張中の話ですが、同僚が香港の繊維業界でそこそこ顔の聞く人にインタビューをする機会がありました。前もって伝えておくと中国の繊維業は華南地方、具体的には広州とかで盛んで、その工場の多くは香港資本で経営されております。
 話は戻ってインタビューの内容ですが、去年になって華南の中小企業や工場が資金繰りの悪化から潰れ始めていることに触れると、「今生き残っている繊維系企業はみんな、日本企業との取引をやめたところだ」と言ったそうです。こっから先の内容は最初の話と同じで、日本企業は文句ばかり言ってくるくせに全然お金を出そうとしないということで、日本企業との取引を一挙にやめてそれまで対応に費やされていた時間を別方面の開拓に使ったかどうかが生死の境目になっているそうです。

 私はこの二つの話を聞いて、恐らく事実に間違いはないのだろうなという印象を覚えました。自分も以前に日本企業で働いていた際に取引先はこっちの利益のことなんかまるで無視してひたすら値段の引き下げばかり要求され、こっちがもう無理だと何度言っても「じゃあその理由を詳しく説明しろ」と半ば脅迫的に言ってくることも多く、「値段的にこっちの商売が成り立たない」と何度も言ってるのに日本語通じないのかこのアホはとよく思いました。なもんだからもし私に決定権があるのならどうせ利益もほとんど出ないんだし、とっととそんな会社とは縁切って新規開拓に走るのですが、生憎下っ端の身分ではそんなこと出来るわけもなく嫌々対応せざるを得ませんでした。なんか日本で働いている友人にもこの話をすると、「ようわかるわぁ……」と言ってたので多分どこも似たようなもんだと思います。

 ここで真面目な話をしますが、「こっちは物を買っているんだから何を言っても許される」のはあくまで日本だけのドメスティックな価値観です。いくら発注量が大きかろうと長年取引しておろうと、中国の企業なんかは相手していてうんざりしてきたら日本人みたいに甘くないので取引も普通に切ってきます。
 またこのドメスティックな価値観ですが、日本の中でも機能しているかとなったら私は非常に疑問です。言ってしまえばこんな価値観がまかり通ってしまったためにデフレが加速した上に余計なクレーマーとかも生まれてきたと思っていますし、場合によっては若手従業員の負担もぐんと跳ね上がってしまったと考えています。

2012年1月26日木曜日

猛将列伝~袁崇煥

袁崇煥(Wikipedia)

 なんか思うところあって中国の明の時代を調べていたら面白そうな人がいたので、ちょっと取り上げておきます。
 袁崇煥は明末期(17世紀前後)の武将ですが、元々は軍人ではなく文官でした。35歳で当時の官僚採用試験である科挙に合格後は地方官でありましたが、38歳のころに諜報関係の役職に就くと当時から力を持ち始め国境を侵食し始めていた、後に明を滅ぼして清王朝を作る女真族こと満州族について徹底的に調べ上げます。その後、報告書にて当時の対満州族最大の防衛拠点であった山海関の外に寧遠城という要塞を築くように進言して自らがこれを築城します。
 この寧遠城ですが、Wikipediaの記述をそのまま引用すると、「城壁の高さは10.2m、城壁の厚さは基底部で約9.6m、上部で約7.7mあり、ほぼ方形で、4つの門をもっていた。」となっており、非常に大規模な要塞だったことがわかります。さらに袁崇煥はこの城に周囲の反対を押し切ってポルトガルから直輸入した大砲を取り付け、「紅夷砲」と名付けて満州族に備えました。

 こうして準備万端整えた袁崇煥に対し、満州族を統一して「清」を作った太祖ヌルハチ率いる軍が1628年に一斉に攻め寄せてきたのですが、なんとこの戦いで袁崇煥率いる寧遠城守備隊は敵を散々蹴散らすほどの大勝を挙げて見事撃退に成功しております。しかもこの戦闘の直後にヌルハチは病死しており、一説には戦闘で負った傷が元となって戦死したのではないかとまで言われています。この翌年、ヌルハチの後を継いだ二代目ホンタイジも、何気に瀋陽市でこの人のでっかい墓を直接見に行ったこともありましたが、父の敵を討たんとばかりに再度攻め寄せますがこれも見事撃退しております。

 こうした活躍から袁崇煥は明朝で昇進を遂げ、恐らく文官出身ということもあるでしょうが三国志の名軍師である諸葛孔明になぞらえるまでに讃えられたそうです。ただいつの世もいいことは長く続かないというか、二度も大敗したことによって相対するホンタイジも袁崇煥は一筋縄でいかないと考えたのか、迂回策を取って彼を追い詰める作戦に出ました。
 なんていうか中国史では本当によくあることで真面目に「またかよ」と言いたいのですが、ホンタイジはスパイを使って北京にいる宦官を買収し、袁崇煥が謀反を考えているという噂を宮中に流したそうです。でもってそれをまた真に受けちゃった当時の皇帝こと崇禎帝は袁崇煥を召還するとあっさりと袁崇煥を処刑してしまい、その後はセオリー通りというか同じ漢民族である李自成による反乱軍に北京を包囲されたことによって明朝は崩壊することとなりました。

 こうして袁崇煥の活躍は「亡国で善戦した名将」として決して報われることのない歴史に刻まれたわけなのですが、彼の子孫らはその後、袁崇煥が戦った清軍に身を投じてあちこちで活躍するなど脈々と受け継がれ、なんと8代目の人なんか日清戦争にも従軍していたそうです。名将の血は裏切らないと言うべきか。

 最後に一つ北京の観光案内をしておきますが、北京で一番の観光地とくれば天安門こと紫禁城です。この紫禁城はまさに今回紹介した明代から使われているのですが、ここのかなり奥まった場所には景山という裏山があり、そこにはなんと追い詰められた崇禎帝が首を吊った木というものが存在しています。実際には元の木は文革期に切り倒され、っていうか明らかにそれ以前からもうなかったんだろうけど、今植えられている木は新しく植え直した木だそうです。まぁその木の辺りで首吊ったのは間違いじゃなさそうですけど、こういうのも案外観光地になるんだなといろんな意味で感心させられる場所です。

北朝鮮の今後の予想

 この旧正月休暇の間は空気もきれいなことだし、食事量を増やした上でジョギングなど運動をすることによってウェイトアップを図っているのですが、今日また例のショッピングストアで体重計に乗ってみたらたった500グラムですが体重が落ちていました。現在の体重(60キロ以下)はある意味私の適正体重というか高校時代からほぼ一貫として保っている数字ではあるものの、意識的に食べる量を増やしているのにこの結果はなんだか腑に落ちません。

 最近書く文字数が減っているのでこういうどうでもいい近況から始めることが多いですが、そろそろ本題に入って北朝鮮についてちょっと書きます。去年の12月に北朝鮮の将軍様こと金正日が死去したことについては今更言うまでもない事実ですが、生前から彼の後継者は誰になるのかと様々な憶測が流れていた中で現在は彼の三男、金正恩が世襲によって地位などを継承しております。はっきり言って私は北朝鮮事情について何か勉強したこともなければ普段から追っているわけでもない完全な素人ではありましたが、その上で意見を述べさせてもらうと、やはり数年内に金正恩は暗殺される可能性が高いんじゃないかと勝手に推測しております。

 何故金正恩が暗殺されるのではと思う根拠ですがこれには複数あって、まず彼が北朝鮮の政治舞台に立って日が浅いことが挙がってきます。父親の金正日は1972年に党の役職についてから金日成の死によって相続するまで実に22年もの時間を経ており、この間に軍事指揮権の掌握から他の幹部らとの人脈も作っておりました。それに対して金正恩が表舞台、少なくともテレビ放送に出てきたのは一年にも満たず、それ以前の準備期間を考えても年齢的に確固たる地盤が築けているとは思いません。いわんや、中国共産党とのパイプについては以ての外です。

 さらに言うと今の北朝鮮の指導層にとって、金正恩を生かしておくメリットより彼を暗殺するメリットの方が傍目には高いような気がしてなりません。何故金正恩が最高指導者になったのかというと決して実力からではなく父親の金正日の遺言以外に何もありません。逆を言えば金正恩が最高指導者になるということで得られる北朝鮮のメリットというのは、金王朝制を維持することで軍幹部層がその地位を維持できるということしかないということです。
 ただ北朝鮮の現状は食糧事情に始まってどれもよくなく、恐らくこれからは特権階級といえども以前のように好き勝手もできなくなるのではないかという気がします。ではどうすればいいかですが、こういってはなんですが今までの悪いことを全て金親子のせいにして体制を転換させるのが最も手っ取り早い気がします。それこそかつてのルーマニアのチャウシェスクのように。

 現在の北朝鮮の最大の支援者である中国ですら「あの国は金正日の死後は持たない」とアメリカに言っていたとウィキリークスに暴露されていましたし、どうせ潰れるのならすべての呪縛を金正恩に背負わせて暗殺で始末する方が私にはすごく簡便に物が運べる気がしてなりません。その上で中国の改革開放モデルを取り入れて、徐々に資本主義経済を導入していくことが私が想定しうる最高の軟着陸案です。
 あとこれは恐らくまだ私しか主張していない意見でしょうが、仮に北朝鮮と韓国が戦争になった場合には中国はまず北朝鮮を支援せず、場合によっては逆に攻撃を仕掛ける可能性すらあるんじゃないかと見ています。このように考える理由としては中国と韓国の貿易量は日本じゃまず報じませんが意外に大きく、いきなり関係を絶てと言われても中国内で影響を受ける業者が多過ぎておいそれとできない関係にあります。逆に北朝鮮との間の貿易量はたかが知れており、むしろあの国を生かすための支援で余計な出費を背負わされているくらいです。

 オチがちょっとパッとしませんが、よく国際外交というものを政治のパワーゲームだけでいろいろ考える人がいますが、現代ではむしろ国民感情とかよりも通商関係で見ることの方が重要じゃないかと思います。ちょっとこういうことが言いたくてこういうトンデモ予想を書いてみたわけです。

2012年1月24日火曜日

人間の良心について

 自分のネット環境のせいかもしれませんが、今日夕方からYahooジャパンのトップページは開くものの個別のニュースページが開かなくなりました。多分検閲のせいだろうけどいろいろ面倒くさいからこういうのは早くやめてほしいのと同時に、真面目にネットの回線速度をもっと上げるよう中国には努力してほしいです。ここだけの話、回線速度が非常に遅すぎるせいで中国ではダウンロード型はともかく常時接続型のオンライゲームはしばらく発展しないと考えております。

 話は本題に入りますが、今日はちょっと「良心」について一席講じようと思います。通常、哲学で良心を取り上げる場合はよく性善説と性悪説の比較で性善説の立証として用いられることが多いかと思います。この性善説と性悪説については大分昔にも書いているので今回はスルーしますが、そもそもの話として良心とは一体どういったものを指すのでしょうか。
 Wikipediaの記述を読む限りだとやはり性善説同様に人間が生まれた頃より自然と備えている善の精神という書き方がされていますが、自分の中ではむしろ罪悪感と対にして取り上げることによってより理解がしやすくなるのではないかと見ております。

 罪悪感とくればわざわざ説明するまでもないですが何か悪いことをしたら慌てるような、誰かに怒られたり処罰されたりするのではないかと恐れる感情を指しますが、この罪悪感はよく幼児にはなくて成長とともに備わると言われております。確かに私自身も四歳くらいの頃に油性マジックで壁に落書きした際は全く悪いことだとは思わず大目玉を食らいましたが、そうした点を踏まえても私は案外、この罪悪感というのは生まれた当初はごくわずかなれど初めから備わっているものなのではないかと考えています。
 根拠としてはいくつかあり、まずごく小さな幼児といえども何かを壊したり、図らずも誰かを傷つけた際にはやはり慌てるように見えます。またこれは人間ではありませんが、猫なんかも花瓶とか鉢植えを倒したりすると明らかに動揺し始め、うちの実家で飼っている猫に至ってはそわそわし始めて目を合わせず、ひどい時なんかタンスの奥とかに隠れてしばらく出てこなかったりします。まぁ猫についてはしつけという後天的要素も十分に考えられますが。

 この罪悪感がどう良心に関わるのかというと、こうした「悪いことやってしまった(;´Д`)」という感情を惹起させる心に対し、「いいことをしたぞ(´∀`)」という感情を惹起させるものがその正体なのではないかと勝手に考えています。具体例を挙げると電車やバスで老人に座席を譲ると大抵の人は得意な気分というか、いい気持ちを味わうことが出来ると思います。逆を言えば、他人が喜ぶような行動を取っておきながら「ちっ、くだらないことをまたやってしまった……」と中二病的に悔しがる人間はまずいないでしょう。いたらいたで面白いけど。
 別にこうした心理行動も性善説でひとくくりに説明しても問題はないと思いますが、自分はやはり敢えて分けて考えるべきで、そこでこの「良心」という言葉を当てはめるのが最も適当ではないかと考えているわけです。定義としては、「他人を喜ばせることを自分の喜びにする心理、もしくは他人の喜びに共感する感情」といったところでしょうか。

 この考え方で特徴的なのは、良心というものはその行為の対象なしでは発生しないという点です。場合によっては人間ではなく動物、また広い社会が対象とはなりうることはありますが、自分一人で良心を感じる(起こすというべきか?)ことはまずありえないと考えています。それを言ったら善の精神も同じかもしれませんが。
 その上でもう一点上げると、やはり良心には個人差があるという点も言及しておきます。先程の席を譲る行為についても一日中気分が良くなる人もいればちょっとの間だけ得意になる人とで別れると思いますし、文化的慣習を抜きにして数学的な考え方もすると、席を譲るという行為で得られる喜びが大きい人は率先して譲る一方で、それが小さい人はそれほど席を譲ろうとしないとも考えられます。

 こうした点を踏まえて「良心を育てる道徳教育」とはなんなのかと言うと、他人を喜ばすことで自分が得られる喜びを大きくさせる教育なのではないかと私は思います。具体的にどう教育すればいいのかとなるまだ議論の必要がありますし、私もどうすればいいかはっきりと挙げられる自信はありませんが。良心教育を掲げている同志社大学はどういう風に意識してるんだろうな。