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2013年7月30日火曜日

東アジアカップ男子日韓戦のサポーター問題について

 コメントの方でリクエストが来たので、今日は先日行われたサッカー日韓戦においてのサポーターの行為について私の所見を述べようと思います。

「日本だって旭日旗掲げた」、韓国の反論に中国ほぼスルー、一部批判も=サッカー東ア杯―中国版ツイッター(レコードチャイナ)

 事の内容は上記リンク先の記事に詳しく載ってありますが、試合が行われている最中に韓国人サポーターが会場で「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕を掲げたそうです。一方、同じ試合で日本のサポーターからは旭日旗が掲げられたとされ、どちらも政治的なアピールを禁止したFIFAの規定、精神に反するとして日韓双方がお互いに揶揄する事態となっております。
 あらぬ方向からの批判を避けるために念のため先に書いておきますが、旭日旗を振った団体については特定の政治団体だとの声が一部ありますが、少なくともはっきりした確証がないと思えるのでこの点についてはこの記事で無視します。なくったって話は進められるし。

 まずこの問題で私が言いたいことは日本側の報道についてです。敢えて引用記事をレコードチャイナから持ってきましたが、その理由というのも日本側サポーター、韓国側サポーター両方の行動をきちんと書いていたからです。現在においてはちゃんと双方について書く記事が増えておりますが、試合直後においてはやはり韓国側サポーターの行動しか書かない記事が日系メディアに多かったような気がします。色々と言い分はあるでしょうが、私としてはやはり双方のサポーターの行動を並列して書くべきだったのではないかという気がします。

 次に日本側の旭日旗についてですが、韓国側、ひいては中国側からすれば旧日本軍のシンボルであり侵略国家を連想させるものだとしてよく批判されております。これに対し日本の論者たちは旭日旗は軍旗としては明治の頃から採用されており二次大戦時の日本軍の行動だけで侵略の象徴とされるいわれはない、また現在の自衛隊も使っており特別な政治意図のある意匠ではないなどと反論が出ております。
 私個人としては旭日旗が問題のある意匠かどうかについてはっきりとこうだと線引きする根拠は持っておらず、またそういう立場にある人間ではないと自覚しております。もっともどう言い繕っても韓国や中国は批判を続けるでしょうし、日本側も反論を続けるでしょうからこの議論に終わりはそうそう来ないでしょうが。

 ただ今回のサッカーの試合に限って言えば、「旭日旗を振る必要はあったのか」と言えばはっきりと必要なかったと私は思います。旭日旗が韓国側サポーターを刺激することは考えればすぐわかる上にFIFAの精神にもはっきりと反します。また旗を振りたいのであればどうして普通の日の丸の旗を振らなかったのか、普通の日の丸では何か問題あるのか、日の丸を堂々と振って日本の選手を応援することを何故行わなかったのかで疑問符が付きます。旭日旗を振ることで日本の選手への特別な応援になるとも思えませんし。

 韓国の横断幕についても同様です。歴史問題がサッカーの試合と関係あるかと言ったらはっきり言ってないし、むしろ関係づけてはなりません。そういう意味では双方のサポーター共に選手たちの立派な試合に水を差しただけで、彼らはサッカーを馬鹿にしているのではないかと幾分苛立ちを覚えます。
 その上で日韓双方のサッカー協会にはこうした行為を自重するようもっと呼びかけてもらいたいのと同時に、選手たちにもっと注目するよう訴えてもらいたいです。サッカーの主役は言うまでもなく選手であってサポーターはやはり脇役です。今回の試合においては脇役の方ばかりが目立ってしまい残念この上なく、こういう事を繰り返しては本当にもったいない気がします。

 最後にこのところ多く出ているヘイトスピーチの問題について一言述べると、中国はともかくとして日本と韓国は互いに弱ってきているのではないかと思う時があります。というのも国として勢いがある状態だと他国に悪口言われてもあまり気にしない傾向があるように思えるのですが、このところの日本と韓国は売り言葉に買い言葉というか、互いに相手が自国を非難したことを大きく取り上げる傾向がある気がします。
 日本人は空気を読めない人間をとことん嫌いますが、私個人としては空気を読まない人間の方が強いように思え、多少批判されようが「それで?」と言い切ることが本当に強い態度だと思えます。然るにこのところの日本の世論を見ていると聞き流す余裕がやはり薄れているように見え、韓国も同様で、唯一中国に関しては以前と比べて外国人アレルギーが弱まってきたというか、外からの批判に対する余裕が前より感じられるようになってきました。といっても中国もまだまだすぐカーッとなって逆批判するところもあるけど。

 相手が間違っていることを言っていたらそれを正すのは当然です。ただ正す際の感情の起伏、態度にはその時々の余裕がはっきりと表れるもので、そうした余裕を空元気でもいいから日本も意識するべき時期に来ているのかもしれません。

2013年7月29日月曜日

サイバー部隊の重要性

 先日、うちの親父と戦争と経済学について話をしていた際に相手通信網を遮断する価値についてあれこれ意見が出てきたので、今日はその辺をメモ代わりに少しまとめて置こうかと思います。

 まず大きな前提として仮に今現在の技術力で大国同士が戦争をする場合、インターネットを始めとした通信網を破壊することが戦闘を起こした国にとって最初の目的になるかと思えます。というのも今の時代、ミサイルから各種火器まで衛星を利用した通信技術が当たり前のように搭載されており、通信網を破壊することによって完全にとまではいかなくとも一部を無力化することが出来ます。なので極端な話、米中が戦争を始めたら中国なんかまず最初に米国の衛星を破壊してくるかもしれませんし、場合によってはネットも見られないようにするため海底ケーブルも切断してくるかもしれません。

 とはいえ、仮に海底ケーブル切断みたいにネットインフラを破壊した場合、経済的にも社会的にも大きな混乱が起こることは間違いありません。鎖国している国ならともかく多国籍企業がどの国にもいる今の時代、戦争をやってる傍から国内の経済が混乱しては戦争を継続することも出来ないため、インターネットに関しては開戦前の条約でお互いにケーブル破壊などの手段は講じないように取り決めが交わされる可能性があります。仮にそうなった場合は米国は中国、中国は米国のネットとアクセスし続けられるのですが、そうなるとやってくるのは中国お得意のサイバー部隊です。

 サイバー部隊の提議は色々ありますがここでは単純なものとしてハッキングしてあれこれ邪魔をする部隊を指します。ネットを物理的に破壊できないとなるとサイバー部隊によって常に相手の通信を妨害することが非常に重要になるため、下手したらサイバー部隊の質で戦況が変わってくるかもしれません。もちろん攻撃だけじゃなく防衛にもサイバー部隊が必要となるのですが、通信妨害が激しくなってきたら案外、昔みたいにモールス信号とかが大活躍したりするかもしれません。

 あともう一つ気にしておく点として、米中間で戦争が起きた場合は主要兵器はミサイルと共に潜水艦が大活躍する気がします。戦場となるのは太平洋上である可能性が高く、普通に軍艦飛ばすよりも米本土、中国本土に潜水艦からミサイル打ちまくるのが緒戦の様相でしょうし、潜水艦の質で意外と勝負決まったりするかもしれません。

年金支給年齢は引き上げるべきなのか

 なんかやる気ないですがまだササッとかける話題だと思うので、年金支給年齢について私の意見を書こうかと思います。結論から述べると、私は今政府が検討している支給開始年齢の65歳から70歳への引き上げには反対で、むしろ元の様に60歳へ引き下げるべきだと考えています。無論これだと社会保障費用の負担が大きく財政が持たないので、支給額は大胆に引き下げることが条件となります。

 一体何故引き下げるべきだと主張するのかというと、単純に雇用の問題です。現在企業は政府などによって従業員を定年である60歳を過ぎても年金が支給される65歳まで雇用するように求められておりますが、これによって割を食うのはいうまでもなく新規に労働者となる若年層です。60歳以上の方の雇用が守られれば守られるほどパイは小さくなり若年層への雇用は減少することが火を見るより明らかで、現実にそのような声をよく聞きます。
 一方で、雇用を延長した壮年層は企業に貢献できるのかと言ったら果たしてどんなものかという気がします。もちろんバリバリに役に立つ人はいるかと思いますが、単純にITリテラシー一つとっても若年層の方が幅は広いですしその上、海外の大手企業の経営者を見てみると40代で立派な仕事をしていたりするのをみるにつけ、日本では年功序列の壁に阻まれて才能にあふれた人が経営に関われない側面もあるように思えます。

 以上のような考え方から、社会のセーフティネットを広げるというよりは社会の活性化を促すためにも支給年齢を引き下げるべきだと私は主張します。ただこの場合、既に書いてある通りに支給額は大幅に引き下げる必要があります。しかし長期的に見るならば現在の制度は破綻するのは火を見るより明らかで、それであるならば恒久的に維持できる制度に今変えるべきで、そうした決断を政界に期待します。

2013年7月28日日曜日

平成史考察~イラク日本人人質事件(2004年)

イラク日本人人質事件(Wikipedia)

 この平成史考察もかなり久々の執筆となりますが、思うところがあれこれあるので今日は2004年にイラクで起きた日本人人質事件について書いてみようと思います。

 まず事件のあらましを簡単に説明すると、前年に起きたイラク戦争において米国の勝利が早々に決まり、各国の関心はその次の占領政策をどうするかに注目が集まっておりました。この占領政策において日本は当時の小泉首相の強い主導のもとに自衛隊をイラクに派遣しましたが、これに対して反米イスラム原理主義者などは米国に協力する国もテロ活動の標的すると発表し、その標的の中には日本も含まれておりました。

 こうした情勢の中、イラク現地で外務省が出していた渡航自粛勧告を無視してイラクに入国した日本人三人(男性二人、女性一人)が現地武装勢力に拉致され、人質となっていることが犯人らの犯行声明で明らかとなりました。犯人らは自衛隊のイラク撤退を要求し、聞き入れられなかった場合は人質を殺害する方針も出しておりましたが当時の政府はこの要求を拒否。人質の安否が気遣われておりましたが最終的には地元有力者による仲介を受け犯人は人質を解放したことで、事件はひとまず落着しました。なお事件は発生から何か進展があるたびに大手新聞社は号外を出し、当時の号外発行回数が異常に多かったのは豆知識です。
 ただこの事件は人質が解放されてからがある意味本番だったともいえる事件で、解放された人質三人に対して世論は軽率すぎる行動だとして大きなパッシングが起こり、危険な所に自ら飛び込んで人質となるのは自業自得だとする、所謂「自己責任論」という言葉が流行して大きな議論となりました。

 最後に書いてもいいのですがなんでこの事件を今日取り上げようかと思ったのかというと、このところ私のブログで「平成史考察~玄倉川水難事故(1999年)」のアクセスが非常に増えているからです。夏場の事件だし思い出す人がいて検索をかけているのだろうと思いますが、私はこの記事で、今思い起こせば注意や勧告を聞き入れずに遭難する人は自業自得なのだからわざわざ救助するべきではないという、自己責任論の端緒とも言える世論が出始めていたと指摘しておりますが、それが花開いたというのがまさにこのイラク日本人人質事件だったと思うからです。
 また先日、芸能人の辛坊治郎氏がヨットでの太平洋横断中に遭難して救助された際も同じように自己責任論が飛び出し、辛坊氏は救助費用を自己負担するべきなのではないかという意見も出ており、ちょっとこの事件を振り返ってみようと思ったからです。

 改めてこの事件が起きた当時の状況を思い起こして書くと、まず第一に言えるのは自衛隊のイラク派遣が本当に国論を二分する大きな議題となっていたことです。賛成派議員としてはここで自衛隊を派遣することによってアメリカとの同盟関係を強化するとともに、自衛隊の運用の幅を広げようとする狙いがありましたが、反対派議員はその逆に、自衛隊の存在意義を否定したいがために反対だったように思えます。
 では国民の間はどうだったかというとこちらも割れてはいましたが、あくまで私の実感だと反対派の方が多かったような気がします。何故反対派が多かったのかというとイラクで自衛隊員が万が一に死傷したらどうなるのかと心配する声もありましたが、それよりも何よりも自衛隊が派遣されることによって日本国内でテロが起きるのではという心配が最大だったように思えます。
 なお当時の私の意見をここで書くと、自衛隊派遣に賛成でした。理由は単純で、直接攻撃した米英軍よりも日本の様な第三者的立場の国が治安維持活動を行う方が理に叶っていると考えたからで、今もこの考えに変わりありません。

 話は戻りますがこういう状況下で起きたのがこの事件で、発生当初は「それみろ、やっぱりこういう事件が起きるのだから自衛隊は行くべきじゃなかった」というようなトーンで報じられていたように思えます。ただその潮目が変わったのははっきり申し上げると、人質となった被害者の家族が記者会見に出たその時からでした。会見で家族らは政府を激しく批判して今すぐ自衛隊を撤退させるようにかなり強い口調、具体的に書けば机を叩いて怒鳴る姿がテレビに映り、見ていた私も「心配するのはわかるが止めていたのに勝手に行って、身の安全も保障しろというのは虫が良すぎやしないか」とはっきり感じました。
 とはいえまだこの時点ではそれほど批判は起きず安否を心配する声が大半でありましたが、解放された人質の一人が「またイラクに行きたい」と話したと報じられた直後、インターネットを中心に一気に火が噴き、件の自己責任論が出てくるようになりました。挙句にはそもそも人質となったのは自衛隊をイラクから撤退させるための自作自演だったのではないかいという意見まで飛び出し、あまりの過熱さから被害者は帰国後も記者会見を行わず表舞台から身を隠す羽目となっております。
 念のため書いておきますが、自作自演説についてはさすがに有り得ないと私は考えています。

 何故この時から自己責任論が噴出するようになったかですが、背景にはやはりインターネットの発達が大きいかと思います。ネットが発達して個人でも意見が発信できるようになり、それ以前と比べて一般個人の「本音」がよりくっきり出るようになり、メディアの側もそうした声を拾うようになってきたことが原因だと思えます。
 更に付け加えると、自衛隊のイラク派遣に批判的だった議員や団体がこの事件を政治的に利用しようとする動きがあったことに大きく反感が持たれたことも影響しているように思えます。テロリストへの対応として彼らの要求に決して屈してはならないのはいうまでもありませんが、イラク派遣反対派は事件が起こるやこれ見よがしにこういうことがあるのだから派遣すべきでなかったと声高に主張し、国会などでも批判材料として大いに活用しました。こうした近視眼的な行動を国民もちゃんと見ていて、心なしか事件後からイラク派遣に対する賛成派が増えたような気もします。

 最後に自己責任論について当時、「日本人の心は貧しくなった」などという主張をする評論家がたくさん出てきましたが、何ていうかこういう意見は「自分たちは違うんだぞ!」と言っているようにも見えてあまりいい印象を覚えませんでした。ただ中にはこの事件を指して、「国は守ってくれないのだから自分自身で常に身を守るしかない」と考える人が増えてきたことも影響しているのではと書く人もいて、この意見に関しては逆に「そうだねぇ」などと思うようになりました。

2013年7月26日金曜日

技術は国を滅ぼす?

 私とかかわりのある人間なら一度か二度くらいは聞いたことあるかもしれませんが、折に触れて「技術者が日本を滅ぼすよ」ということを口にすることがあります。数多くの理系を敵に回すこと覚悟で続けますが、今の日本の製品というのはオーバースペックというか過剰品質、性能の感があり、こうした点を如何に克服するかが大きな課題だと私は考えております。

 以前にとあるメーカーで営業職をされていた方と話す機会があったのですが、あれこれ往年の仕事の話を聞いている際によく、「これで行こうと話が進んたのに、技術者がこの性能じゃダメだと言ってなかなか製品化出来ないという例が数多くあった」ということを何度も口にしていました。それどころか最後の方に至っては、「出せば売れるって言っても技術者は自分たちの持っている技術水準を下回る商品の発売を認めようとしないし、逆に他社の商品で自社製よりも性能で優れている点については敢えて口にしないところがある」と話し、恐らく折衝とかで相当苦労されてきたんだなぁという風な感じでした。

 この方のいた会社に限らず私自身も記者時代にあれこれ取材して感じたこととして、日本のメーカーは技術者がとにもかくにもやたら性能やスペックにこだわりを持ち、価格を下げる代わりに性能を落とした商品を出そうとしても認めようとしない、それどころかもっと品質なり性能を引き上げれば必ず売れるという信仰に近い考えを目にしております。結論から言えばこんな具合だからこそ海外市場に日本製商品は売れなくなってきて、しまいにゃ中国の新聞にまで「日本製テレビのリモコンはやたらボタンが多くて使いづらい」とまで指摘される始末です。機能を絞って価格を安くするというか、そのような技術思想が日本には乏しいと感じます。

 ただこの技術信仰、未だに国を挙げてやっている感もあります。「技術立国」というスローガンそのものが典型ですが、今の時代、技術は確かに大事ですがそれと共にマーケティングの重要度も高まってきています。日本人が好む商品が外人に受けるという保証はなく、誰が何を求めているのか、こうした視点が非常に重要になってきている時代です。そんな中で技術に過剰偏重している状態では先行きが乏しく、敢えて警告するという意味合いで「技術が国を滅ぼす」などと、強い言葉を使った次第です。

2013年7月24日水曜日

仏教は宗教なのか?

 先日に宗教学者である島田裕巳氏の著書「無宗教こそ日本人の宗教である」を読んだのですが、読んでて自分とは異なる意見もいくつか見られたものの、日本人の無宗教性を「特定の信仰を持たない状態」ではなく「意識的に信仰しようとしない」一つの思想として捉えた点が非常に面白く感じました。ただそうした島田氏の捉え方と共に、明治にキリスト教が知識人層に広まっていったことで日本人の宗教概念が変わったという、話に何故だかアンテナに引っかかり、今日はそのあたりを好きな風に書いてこうかなと思います。

 まず結論から書いてしまうと、タイトルにも掲げている通りに仏教は宗教なのかという疑問を覚えました。たとえばキリスト教とイスラム教に対して仏教は一神教と多神教で異なるとよく言われますが、それ以前の信仰の形式というか形で大きく異なるのではないかと思うようになりました。まだ考えがまとまっていないので端的に書くと、キリスト教やイスラム教は人類全体を救済するという目的を持っているのに対して仏教はどちらかと言えば信仰する本人、個人が悟りを開けるかどうかに重点が置かれているような気がします。仏教にも衆生を救済するという概念はもちろんありますがやはりその本質は輪廻の輪っかから解脱することにあり、キリスト教やイスラム教の様に世界を破滅から救ったりとかそういう意識が極端に薄い気がします。

 ここで先ほど出した島田氏の言葉ですが、明治以降に日本人の宗教という概念が大きく変わったという説です。宗教というと信仰する神様がいて、戒律によって生活の一部を制限して、自分の振興をほかの人にも勧めようとする、大体この三要素を持った思想を指すとみんな考えていると思いますが、仏教もこれらの要素を持ちながらもその程度はキリスト教やイスラム教と比べると極端に低く、浄土真宗に至っては結婚も生臭物の接種もOKというフリーダムぶりです。そのように考えると、仏教を西欧や中東における「宗教」という概念と一緒に並列していいものなのか、思想は思想でも「宗教」というカテゴリーにまとめずに敢えて別の言葉に置き換えて区別した方がいいのではないかと思ってきたわけです。

 そのように考えていたらふと出てきたのが、「道」という言葉です。最近だとこの「道」という一文字を見たらリアルに「タオ」と読んでしまうのですがそれは置いといて、仏教と同義の「仏道」と日本古来の神話思想の「神道」という言葉にはこの「道」という言葉が使われますが、「キリスト道」とか「イスラム道」という言葉は一般的ではないというか普通はまず使いません。
 個人的にここが両者を分けるポイントだと思うのですが「道」というのは分野というか専門といった意味を持つ言葉ですが、それと同時に訓練して獲得するような技能などにも使われる文字です。具体例だと「剣道」や「弓道」、マイナーなのだと「天狗道」とかありますが、私はやはり「仏道」や「神道」というのは究極的に、その個人が修行したり魂を磨くということに価値を置いているからこそ「道」という言葉が使われるのだと思います。

 それに対してキリスト教やイスラム教は、確かに精神を鍛えるという面もありますがどちらかというと論理を追及するところにより価値が置かれているようにも思え、それがため「宗教」なんじゃないかと思います。なのでまとめると、仏教や神道は「道」であって「宗教」というか「教」とは一線を画すべきなのではというのが私のいいたいことです。
 もっともここまで言いながらですが、じゃあ中国の「道教」はどっちなんだと言いたくなってきます。もう「タオ」でいいだろと言いたくなってきますが。


2013年7月23日火曜日

韓国の近現代史~その二十、民主化宣言

 前回までに全斗煥政権期における北朝鮮の国際テロ事件を取り上げました。こうしたテロ事件が頻発した中で全斗煥政権はソウル五輪の招致に成功するのですが、全斗煥本人は1988年に大統領任期が切れ、後任に士官学校で動機であった盧泰愚を指名し、院政を敷こうと考えていました。しかし彼が院政を敷く前に韓国では再び大規模な民主化運動が起こり、その結果として朴正煕政権以来(李承晩期も含んでいいが)続いていた軍事政権が崩壊することとなります。

 まず韓国の民主化運動についてですが、はっきり言って非常に長い歴史があります。現代にも伝わる流れとしては朴正煕政権時代に民主化を求めて金泳三、金大中が活発に活動していたのでこの辺りから見るべきかなと考えるのですが、民主化運動というのは言い換えれば政府の政治弾圧の歴史と言ってもよく、光州事件など死傷者が多数出る事件にもしょっちゅう発展しています。しかし死傷者が多数出ながらも韓国ではなかなか民主化へと至らなかったのですが、全斗煥政権期に起きたいくつかの変化が大きく作用して軍事政権は倒れることとなりました。

 その変化というのは主に二つあり、一つは中間層の拡大と、もう一つはソウル五輪です。全斗煥は国内で大衆政策と共に経済振興を実施したので生活に余裕のある中間層が韓国でも増えていきました。これら中間層はそれまで大学生が主体だった民主化運動に加わるようになり、なまじっか経済の担い手でもあるため政府としても対応に苦慮したと言われます。
 次のソウル五輪ですが、度々政治デモが起こっていたことから当時、五輪開催は難しいのではと思われて場合によってはロサンゼルスで代理開催を行うことまで議論されたそうです。政権側としても国家のメンツのかかったイベントであるだけにデモの鎮静化が最優先課題となったわけなのですが、こうした中で妥協案として出てきたのが民主化宣言です。

 朴正煕政権以来、韓国の大統領は軍部の息のかかった人間の投票によって決められる間接選挙制で選ばれていたのですが、盧泰愚はこれを国民の投票による直接選挙制に改めると宣言することで妥協を図りました。結果としては上手く作用してデモは鎮静化し、ソウル五輪も無事開催できたわけなのですが、問題なのは次の大統領選。案の定というか全斗煥の跡目を争う1987年の選挙では民主派の代表格である金泳三と金大中が出馬して来て盧泰愚とぶつかり合ったのですが、皮肉なことに民主派の票が金泳三と金大中の二人に別れてしまい、漁夫の利的に盧泰愚が当選しました。人間やってみるもんだね。

 ただ議会選挙では民主派が保守派に勝利したことから盧泰愚は金泳三陣営と連立を組み、議会においては民主制が先に実現しました。そして1992年の大統領選挙で金泳三が今度は無事に当選し、32年間続いた韓国軍事政権は終わりを告げることとなったわけです。

 私個人の歴史観で言えばここまでが韓国の近代史であって、金泳三政権以降が現代史になると考えております。というのも民主主義大統領が生まれて徐々に国の政策も開放的になり、行ってしまえば他の資本主義国に韓国が明確に近付いたのがこの時期だからではないかと思うからです。
 そういうわけで次回は、退任後も変な不正疑惑が付きまとわない珍しい韓国大統領経験者の金泳三の時代を取り上げます。