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2013年11月13日水曜日

小泉元首相の脱原発宣言について

 どうでもいいですが先程放送されたクローズアップ現代にて、私が今プレイしている「セインツロウザサード」というゲームに使われているBGM(キャラメイクシーン)が何故だか使われていました。このゲームは暴力ゲームとして有名な「グランドセフトオート」のクローンゲーム(=パクリゲーム)の一つなのですが、歩道を車でかっ飛ばせられたり街中で火炎瓶が投げつけられたりなどと自由度が売りです。とりわけキャラメイクの自由度が高くなんでも作れるため、こんなのとかあんなの、果てにはこんな人までゲーム上で再現できます。なお私はゲームの世界観が近いように思えるため、漫画の「ブラックラグーン」に出てくるレヴィというキャラに近い造形にして、ちゃんと二丁拳銃にして暴れ回っています。

 そんな本当に本題と関係ないことは置いといて、このところ政治関連で取り上げなきゃいけないネタが多いのですが忙しさにかまけてサボりまくっています。ただそろそろ腹をくくって何か書かなきゃと思って選んだテーマというのも、見出しに掲げた小泉元首相の脱原発に関わる活動です。
 皆さんも知っておいでかと思いますが政界を既に引退している小泉純一郎元首相がこのところ自ら記者会見を開くなどして、政府に対し迅速な全原発の廃炉、原子力発電の放棄を求めています。とりわけ自分が目をかけて育てた安倍首相に対しては名指しで速やかな決断を求めており、メディアの扱いも非常に大きなものとなっております。

 一体何故小泉元首相は脱原発を唱えるようになったのか。あくまで私の推測ではありますが小泉元首相はいい意味で物事を突き詰めて単純化するため、会見でも言っていたように放射性廃棄物の処理の不可能性、そして事故時の被害の大きさから考えて使用するべきではないと考えたのだと思います。私としても上記の意見、特に放射性廃棄物が無害化するまでに予測値で数万年以上かかると言われており、将来の世代に巨大な負債を残すことを考えると同意するところの方が大きいです。

 それにしてもというか小泉元首相が引退後、こうして表立って行動子発現することについて私は正直に驚きました。というのも小泉元首相は引退した政治家が影響力を行使することに対し、田中角栄に対する反骨心からか強い拒否感を昔から示しており、実際に首相退陣後は早々と国会議員を辞めただけでなく主だった政治活動も控えられていました。
 それだけに今回の脱原発に関わる活動はかなり本気というか、彼自身も自分の不文律を破ってでも主張せねばと考えたのでしょう。こういってはなんですがその気持ちもわからなくはないというか、震災直後と比べて原発に対する拒否感が日本国内で日に日に薄れてきているというのは実感します。とはいえ私は小泉元首相の主張する即全廃炉は現実的ではなく、30年スパンくらいで徐々に廃炉を進めていくプランを前から推しているのですが、こういう徐々に依存度を下げていくという計画もこのところは聞かれなくなっており、「今すぐ全廃炉だ!」と主張でもしないとバランスとれないのかなと思っていた矢先でした。

 対する安倍首相の側ですが、正直な所、野党なんかよりずっと手ごわい敵が突然現れたといったところでしょう。私の主観だと安倍首相と財界は極端にパイプが太いわけでなく彼自身は原発利権とは関わりがないように見えますが、電力供給が決して盤石でなく化石燃料の輸入額が著しく上昇している現状を鑑みて、原発を維持、または促進する立場を取っているのだと思います。言うなれば、安倍首相は現実路線というわけです。
 小泉元首相も間違いなく現実路線派の政治家でありますが、その彼から見ても原発の維持は問題だと感じるているのだと思います。その上で付け加えると、小泉元首相は安倍首相ならば原発放棄を決断してくれるのではないかと可能性を感じているのだとも思えます。元々仲のいい二人だし、安倍首相も上記のように原発利権を持っているわけでなく、またここぞというところで決断するタイプであるので、今は周囲の政治家や状況に振り回されているがきちんと論を通せばわかってくれるはずだと小泉首相は思って、彼に名指しで決断を促しているように私には見えます。

 ただ実際に原発放棄が実行されるかとなるとやはりその可能性は低いと言わざるを得ません。仮にそのような決断がなされたら日本のエネルギー事情はひっくり返り貿易赤字額も天文学的に高まることでしょう。ただそうは言うものの、どんだけ赤字を垂れ流しても日本は原発を放棄するべきじゃないのかと思う心も一抹有ります。頼みの綱はカナダとも契約したシェールガスですが、長期的な展望に立ってエネルギーを考える時期に来ているかも知れません。

 今日は指がかじかんでタイプミスがやけに多かったです。

2013年11月12日火曜日

先輩と食べたエスニック料理

 このところ副業が忙しいので今日も軽めの記事で一本。
 二週間前に大学の先輩が、「東京ビッグサイトの展示会に出るから泊めて」って言って泊まりに来たのですがその際に、「豊前市では食べられないものを食べたいから、和食、韓国料理、中華料理、インド料理はNGね」なんて面倒くさい要求を出して来たので、二日連続でエスニック料理を食べる羽目となりました。

 一日目はもう一人連れを連れて上野にあるタイ料理屋に行きました。私自身は何ともありませんでしたがそのやってきた先輩はどうもタイ料理独特のあの酸っぱいにおいが駄目だったようで、トムヤンクンに至っては一口で食べるのをやめちゃいました。実際、タイ料理は合う人と合わない人ではっきり差が出る料理に思え、中国にいる時も宴会会場にタイ料理屋が使われた際はあまり箸が進まない出席者が多かったです。なお香港だとタイ人もいっぱい住んでいることからタイ料理屋どころかタイ料理チェーンも多く、向こうにいた時はよく食べてました。

 でもって本番の二日目。二日目に行った店は私の家の近くなのですが、例の先輩が私が家の住所を教えたところ、「君の家の近くにロシア料理の店があるね。行ってみよう!」なんて勝手に食べログで調べて見つけてきた店でした。といっても私自身もロシア料理は物珍しく、面白い提案だと思ってすぐ乗ったわけなのですが。
 そんな具合で行ってみたロシア料理のお店。別に隠す必要もないので明かすと「サハリン」という名前のお店で、文字通りサハリン出身のロシア人のお姉さんがやっているお店でした。もっとも生まれはウクライナだと言ってたが。

 ロシア料理といっても私が知っているのはピロシキだけだったのですが、訪れてメニューを見た限りだとひき肉とジャガイモを使った料理が多かったように思えます。あとボルシチはその日のスープに入っていなかったので飲めませんでしたが、スープ料理も普通においしかったです。系統的にはやはり欧州式というか、イメージだとドイツ料理っぽい印象を受けます。

 ちなみに私は大学4回生の頃になぜかロシア語の授業を一年間受けていたので試しにお店の人にロシア語であいさつしてみたらちゃんと通じていて、「発音きれいね」と褒められました。中国語の発音も現地で毎回褒められるし自分でもそこそこ自信持っていますが、意外にこっちの方面で才能あったのかなとちょっといい気分になれました。ただ、なんで自分は中国といいロシアといい旧共産圏ばかり好きになるのか、すこし複雑な気分にもなります。

2013年11月10日日曜日

中国人の食へのこだわり

 リンクを結んでいる潮風大使さんから質問を受けたので、今日は中国人の職への意識について自分の思うところを書いてきます。

 まず前提論として、うろ覚えですが格闘(?)漫画として非常に有名な「バキ」の作中で範馬勇次郎が、「中国人は本能的欲求に対し忠実で強くこだわる」というような内容のセリフを言うシーンがあります。私はこのセリフが非常にツボにはまり「その通りや!」と手を打つほどだったのですが、中国人というのは食事や博打といった行為に対して並々ならぬこだわりを持つとともに研鑽をする民族だと考えています。
 博打において代表的なのは麻雀ですがそれは今回置いといて、食事に関しても単純に「上手いもの食べたい」という欲求が非常に強く、それが中華料理というジャンルの発展に繋がったように思えます。そのこだわりようは味だけにとどまらず、健康面においてもどれだけ体にいいかという点についても詳しく研究されています。

 では実際の中国人はどれだけ食を意識しているかですが、私の正直な感想を述べると、日本人以外にも体にいいかどうかを考えて食事取る民族がいたんだ、というのが本音です。というのも欧米人はびっくりするくらい食事への意識が低く、日本人なら肉を大量に食べたら野菜食べなきゃ、魚も定期的に食べなきゃと考えますがアメリカ人だと一食で肉なら肉だけ取ることもあり、栄養のバランスについてほとんど何も考えません。イギリスに至っては味の面で論外で、ドイツに入ったことないけどジャガイモ料理ばっかな印象があります。

 それに対して中国人ですが、やっぱり「野菜は多く食べなきゃ」と誰もが理解してます。私が体験したエピソードだと、前の会社で中国人運転手と移動中に普段何を食べているのかと聞かれ、「蘭州ラーメンばっかで基本外食だ」と答えたら「ちゃんと自分で料理しなくちゃ。野菜たべないと体壊すよ」なんて注意されました。なお中国では男も日常的に料理して、家族そろって夕飯を食べることが大事だと考える家庭が多いです。

 最後に中国における職の意識への地域差についてですが、もしかしたらあるのかもしれませんが少なくとも私自身は皆目わかりません。あくまで印象ですが福建省とか広東省など南方の方が食い意地貼っているというか何でも食べて、でもって味にもこだわりがある気がします。その影響なのか広東出身や福建出身の多い香港は一般市民においてもレストランの味に対する評価が厳しく、ミドルクラスのレストランはその競争の激しさからかどこもおいしい店が多いです。

2013年11月9日土曜日

空気を食す民族

 以前に「阪急阪神ホテルズのメニュー偽装問題について」の記事で食品素材の誤表示問題を取り上げましたが、私というか多くの人間の予想通りに阪急阪神ホテルズの後を続く形で国内のホテル、レストランで同じような発表が続いております。おかげさまでこの記事もここ最近のアクセスゲッターとなっており、アクセス数が第一というわけじゃないもののやはりうれしい限りです。
 それにしてもというかこの問題、自分が当初に予想していた以上に長引くというか後を引いているように思います。中には国産牛と偽ってオージービーフを出していたというトンデモ例も出てきましたし、あと「芝エビ」のかわりに「バナメイエビ」を使うという例があまりにも多いせいでバナメイエビ名前を覚えてしまいました。バナメイエビも悪い例として日本人に名前覚えられてしまい、なんだか不憫な気がするし。

 バナメイエビはともかくとしてこの問題に関し、このまえ面白い評論を読みました。その評論で書かれていた内容というのも日本人は素材に対して強いブランド意識を持つ傾向があり、お米でも各種のブランド米があったりなどと場合によっては出される料理以上に使われている素材の方に目を向けて価値を感じることもあると指摘していました。なかなか言い得て妙だと思うのと同時に、確かに日本人は食べた料理がどれだけおいしかったのかよりもどんな料理を食べたのか、下手したらどんな食材をどこで食べたのかを自慢することが多いように思えます。言うなれば、食べた料理の味よりも出される料理の金銭的、ブランド的価値の方に重みを置いており、だからこそ今回の様な事件も起きたのかもしれません。

 さて、この記事の見出しには「空気を食す民族」と銘打ちましたが、我ながら随分と皮肉っぽくなったもんだと思えます。空気を食すっていったって仙人みたいに霞を食べるわけでなく、その意味するところは「舌に感じる料理の味よりもそのシチュエーションの空気を味わうことに重きを置く」ということにあり、前記の様な日本人の性質の様な傾向を批判的に表現した限りです。
 全員が全員と言い切るつもりは全く有りませんが、やはり日本人は内面的な実質的価値よりも外形的な表面的価値を強く追う傾向がある気がします。行ってしまえば中身よりも外見を明らかに優先するということで、先程の食品表示問題についていうと料理の味という実質的価値よりもその料理に使われた素材にこだわり、それが表示と違っていたら怒りを見せるといったところから言えるように思えます。

 ここで全然別の話を一つ持ってきますが、日本でスポーツジムに通う人の運動量を測定した所、なんとその運動量は犬の散歩をしている人より少なかったという結果が出たそうです。確かに犬の散歩はその優雅な見た目に比べて意外にハードなだけなのかもしれませんが、「運動をする」という目的のための施設に通う人よりもペットの世話をしている人の方が運動しているなんてなんじゃそりゃと言いたくなってきます。

 もちろんスポーツジムに置いてある器具なり設備をしっかり使えば相当な運動量を叩き出せて効率的な体力の増強、維持管理を行うことが出来るでしょう。しかし上記の実験結果によると実際には通っている人の大半はお金を払っておきながらもちんけな運動量しか運動していおらず、きつい言い方をすると効率的なお金の使い方をあまりしていないわけです。一体なんでこんなことが起こるのかというと、これまたきつい言い方をするとジムに通っている人間はジムに通う自分に酔っているというべきか、実際に「運動する」ことよりも「運動するための活動(=ジム通い)をしている」ことに満足してしまっている、むしろその満足感を求めているんじゃないかと思います。言い換えればジムにお金を払うというのはその満足感を買うためであって、実際にどれだけ運動するかは二の次というわけです。

 以上のスポーツジムの例に限らず、ポーズだけで中身を伴わない、問わないという活動や評価が日本には非常に多く感じます。社内で問題起きたら対策本部を設置してそれで終了し、実際に対策内容は問わなかったり、その製品がどれだけの機能を持ってどう活用できるのかをあまり考えたりせず流行っているからという理由で買ったりなど。こういう外形的価値を追うことは何も日本に限るわけじゃありませんが日本の場合はやっぱりそれが他国と比べても強いと感じるわけです。

 そのためというか日本は実質的な価値がなくても、なんとなくな雰囲気とかそういうものがあれば喜んでお金を出してしまうんじゃないのか、いわばいい空気を感じるためならあまり中身を問わないんじゃないのかと思うわけです。エラそうな言い方をしていますが私も日本人の一員であるだけにそうした行動が全くないというわけじゃなく、過去を振り返れば結構思い当たる節が数多くあります。
 しかし中国に行ってきたせいかもしれませんが、やはり以前よりも「じゃあそれで何が出来るんだ」というものを重視するようになってきた気がします。そして同時に、日本人の中身よりも外見を重視する傾向は現代においてマイナスに作用し始めているとも思えてきたわけです。

 なんでもかんでも費用対効果で実質的価値ばかり追うのはロマンもないし面白くないでしょうが、それでも今の日本人全体にとってはもう少し外面よりも中身に目を向けた方がいいと私は主張します。空気なんか食べたって腹の足しにならないのだし、高級ホテルで食べようが下町の食堂で食べようが、まずいものはまずいのだしうまいものはうまいのだし、どこそこで食べたからというよりもうちょっと自分の舌なり感覚なりを動員してどう自分が感じたかをみんな意識した方がいいというのが今日の私の意見です。

  おまけ
 高校時代によく、「花園君はなんでスポーツジムに通わないの?」と結構聞かれました。はっきり言ってジム通いなんかより高校の部活の方が圧倒的に運動量多いのはわかりきったことですがそれは置いといて、なんでこんなこと聞かれまくったのかというと自分の体形が妙なせいだったからだでしょう。
 自分の体形はやせ形もいいとこですが脂肪がない分、妙にすっきりしていてなんか激しく鍛えているように見えるようです。少なくともウエストに関しては明らかに常人を逸脱しており、今日たまたま近くで洋服の青山がオープンして安かったからスーツを買いましたが、YA4のサイズでもウエストが余るのでさらにここからサイズを詰めてもらいました。でもって自分のウエストのサイズ測る際に店員が毎回、「Σ(゚д゚;)エェッ」って顔してくるのもだいぶ慣れました。

2013年11月6日水曜日

山西省の共産党庁舎前爆発事件に対する見解

 このところ秘密のお仕事が忙しいので今日はサボろうかと思っていたらまた中国で爆発が起きたので、さすがにこれは放っておけないので今日も頑張って書きます。ちなみにこの前、かなり久々に大学の同期生と会ってきましたが、「よくもまぁ毎日ブログを書き綴っていられるね」とやっぱり言われました。同期生らはみんなフェイスブックをやっていて写真とかすぐアップしてましたが、フェイスブックやツイッター、ミクシだと文字量少なくて自分には合わないんだよね。

計画的犯行、小型時限爆弾か=中国公安、「テロ」で捜査―山西省共産党委前の事件(時事通信)

 そんなかんだでようやく本題ですが、報道で皆さんも知っているかと思いますが本日、中国の山西省太原市にある共産党委員会庁舎前で小型爆弾が連続して爆発。1人が死亡、8人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起こりました。爆弾は少なくとも5ヶ所に連続して爆発するように設置され、しかも殺傷能力を高めるためにベアリングが入れられていたとも報じられており、看過することのできないテロ事件と言って間違いないでしょう。

 今回の事件はその爆弾の威力もさることながら、事件が起こったこのタイミングの方に注目する人も少なくありません。というのも先週月曜日の10/28、私も記事にしていますが北京の天安門前に自動車が突入し、炎上するという事件が起こっております。中国当局は天安門の事件についてウイグル族の独立派グループが計画・実行したテロ事件だとして既に数人の容疑者を逮捕していますが、米国をはじめとする先進国はこうした中国の見解について疑義を呈しており、起こった事件を口実にウイグル族の弾圧をしているのではないかとより詳細な捜査を求める始末です。
 そんな最中に起きた今日の事件。見方によれば先週の事件に合わせて今週もウイグル族の独立派が起こしたテロ事件ではないかとも見れますし、前の事件とは全く関係なしに起こされたとも見えますし、ウイグル族とは別の反中国政府グループが起こしたのかもしれないしで現段階では何とも言えません。先程中国の新華社サイトなどを

 ここから先は根拠のない、完全な私の推測を書き連ねていきます。
 まず今日の事件の一報を見た際、中国共産党による自作自演の可能性を考えました。先週の天安門前の事件に引き続くように大きな事件を起こすことによってウイグル族のテログループの反攻だと断定し、彼らへの規制なりを強化するためわざと起こしたのではないかという考えですが、考えておきながらですがこれはやっぱり有り得ないでしょう。というのも、仮に中国共産党が自作自演の事件を起こすとしたらわざわざ自分たちの縄張りである共産党庁舎前ではまずやらず、郊外や市街地などで起こす気がします。連中は自分たちが傷つくのには敏感でも一般市民に関してはそうでもなさそうだし。また爆弾が5ヶ所でほぼ同時に爆発したという事実も、自演でやるにはちょっと大規模すぎます。

 では誰が事件を起こしたのか。言われている通りにウイグル族のグループなのかというとちょっとまだ疑問があります。その理由というのも、先週の天安門前の自動車炎上事件が組織だった事件とは思えないからです。
 先週の事件では炎上した社内にウイグル族の人が3人乗っていたと報じられ、これがウイグル族が疑われる要因となっておりますが、テロ事件とするには車でただ突っこむだけで手際がいいとは思えず、天安門前は確かにシンボリックな場所ではありますが共産党への怨みがあるというのなら今日の事件みたいに庁舎なり政府機関のある建物を狙うように思え、観光客が多い天安門前に突っ込んだというのはどこか自暴自棄な印象があります。前の記事でも書いてある通り、天安門前の事件に関しては個人の自暴自棄が生んだもののように思えます。

 しかし今日の事件に関しては共産党の庁舎前、しかも殺傷能力の高い爆弾が使われたことから明確な意思を伴うテロ事件と言って間違いない気がします。しかもその矛先は確実に中国共産党へと向けられています。誰がどのような意図で起こしたのかは今後の捜査を待たないといけませんが、中国共産党が事態の鎮静を図るために犯人をでっちあげる可能性は全くないとは言えず、仮にそうなれば真犯人はどう動くのかと予測の幅は尽きません。
 それでも私から一言だけ言わせてもらうと、他人を一方的に傷つけるこのようなテロ事件はどのような理由があっても許されるものではありません。中国の公安には是非とも犯人をでっちあげるのではなく真犯人をきちんと捜査して捕まえてもらいたいのもです。

2013年11月5日火曜日

ヒトラーが溺愛した姪

 ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーと聞いたら誰もがちょび髭のあの顔を思い浮かべることが出来るでしょう。更に詳しい人だとエヴァ・ブラウンという女性がヒトラーの愛人で、ヒトラーとは自決を行う直前に仮初めとはいえ結婚式を挙げたということも知ってるのではないかと思います。しかし今日紹介しようと思う「ゲリ・ラウバル」という、ある意味でヒトラーが最も本気になって少なからず彼の人生に影響を与えた女性については知らない人も多いのではないでしょうか。

ゲリ・ラウバル(Wikipedia)

 このゲリという女性はタイトルにも掲げた通り正真正銘のヒトラーの姪っ子で、具体的にはヒトラーの異母姉であるアンゲラ・ヒトラーの娘です。ヒトラーはナチ党のリーダーとなってその勢力を拡大するにつけて多忙となっていくのですが、自身の住居としてベルクホーフを構えると身の回りの世話として異母姉を呼び、それに伴って現れたのがゲリでした。
 おじと姪っ子ですから年の差は随分と離れていましたがヒトラーはこの姪っ子にぞっこんだったようで人目をはばからずべたべたと接触し、またヒトラーらしいというか異常な執着心を見せて自分以外の男性を誰一人近づけさせないようにまでします。実際にヒトラーの運転手とゲリはそこそこいい仲にまで発展したそうですが、その事実を知るやヒトラーはその運転手を解雇する始末でした。

 こうした姪への干渉は明らかに度が過ぎた物でヒトラーの周囲は誰もがヒトラーがゲリに特別な感情を抱いていると知っていたと言われる、というか当時の新聞にもスキャンダルっぽい記事で公にも報じられてたそうです。ただその出来合いぶりは文字通り以上で、終いには自由な外出を禁止して屋敷に軟禁させるかのようにしたそうです。
 もちろんこんな措置、若い女の子には苦痛以外の何物でもないでしょう。こうした叔父の指図に対してゲリの側も段々と反抗してくるようになり、多分拘束から逃れたかったのかウィーンに行って声楽を学びたいと志願しますがヒトラーはこれを許しませんでした。

 そして来る日が来たというか1931年の9月、ゲリは自室で突然拳銃自殺をしてしまいます。遺書は残されておらず自殺の理由については未だはっきりしませんがヒトラー自身は深い責任を感じ、「俺も自殺する」などと喚いては周囲のナチ党幹部を青ざめさせたそうです。これだけ書くとまるでヒトラーは構ってちゃんにしか見えませんがどうやらマジでショックだったらしく、ゲリの葬儀が行われた後には一時期行方不明になって、八方手を尽くして探し出してみるとなんとゲリが埋葬された墓の中でめそめそ泣いていたというから驚きです。歴史上の彼の姿からも思い込みが激しい人物像がうかがえるだけに、あのヒトラーならやりかねんとか私は考えちゃいます。

 その後、周囲の幹部らの励ましによってどうにか立ち直って第三帝国を作るに至るわけですが、ある意味ここでヒトラーが政界から離れて一市民に戻っていれば彼自身にとっても、ドイツにとってもマシな未来になってた可能性があります。そう思うだに歴史は深いなぁと思うわけですが、さっきにも書いた通りに姪っ子をこれだけ溺愛する執着心と思い込みの激しさがあったからこそヒトラーなのであって、この仮定は仮定として成り立ちませんね。

2013年11月4日月曜日

PM2.5を排出しているのは誰か

千葉県、市原市内複数地点で「PM2.5」測定と全県に注意喚起(FNN)

 こうしてニュースリンクを貼るのもこのブログじゃ当たり前になっていますが、ブログ開設当初はリンクの貼り方すら知らずに最初やった時は結構ドキドキしたもんです。これに限るわけじゃないけど、慣れっていうのはいいと思う半面恐いな。

 そういう戯言は置いといて本題ですが、本日千葉県市原市内にて説明不要のPM2.5が国が定めた1日の平均値である70マイクログラムを超える85マイクログラムが複数個所で観測されたことから、外出や屋外活動を控えるよう注意報を発令しました。まぁ今日はずっと雨降ってて外出ようにも出辛かったけどね。
 このニュースを見て「これだから中国は」っていうのは簡単ですが、「中国じゃないとしたら?」と言う人は果たしてどれだけいるのか私には測りかねます。まぁ強気に出ると、こんなセリフ言うのも自分くらいなんじゃないのかな。

 このニュース、リンク先の記事ではそこまで言及していませんが夕方のテレビニュースでは、「発生原因は不明ながらも、国内で発生した可能性が高い」という一言が付け加えられていました。

 PM2.5は中国の大気汚染物質としてまるで日本全国民を洗脳するかの各メディアで現在においても大々的に報じられており、風にはこばれて日本の空気も汚染されていると被害者立場で取り上げられることも少なくありません。なので今日のこの千葉県のニュースも最初に書いたように「これだから中国は」という印象を持った方も多いように思えるのですが、私が思うに今日のPM2.5に関しては中国は全く関係ないと思います。
 そう思う根拠は夕方のテレビニュースの言及だけでなく、観測ヶ所が千葉県だからです。仮に中国と距離的敵に近い西日本、具体的には北九州にある福岡県とか長崎県であれば中国の影響が十分に考えられますが、そうした地域を飛び越してスポット的に千葉県内で高濃度のPM2.5が観測されるというのはどう考えても理屈に合いません。じゃあ何が原因かって、そんなの日本国内のどこか、具体的には市原市周辺で放出する設備なりなんなりがあるということでしょう。

 これ以前にも過去に環境問題の欺瞞性を追求した武田邦彦教授がテレビ番組(ホンマでっか!?TV)内にてPM2.5について、「日本の山の山頂など有り得ないところから観測されることもあり、中国からというより日本国内でどこかが輩出しているのだろう」と述べておりました。この発言はずっと頭に残っていたのですが、今日の千葉県内の観測を見てやっぱりそうだったのかと思った次第です。

 さてここからが本題というか自分の真骨頂になるわけなのですが、「じゃあ一体どこが出しているのか」、と言いたいところですがちょっと焦点をずらし、「日本人は日本国内で犯人捜しをするつもりはないの?」と問いたいです。
 先程にも書いた通りに日本人はメディアが総ぐるみでPM2.5というと中国が悪いといつも報じているせいでこの単語を見ると条件反射的に中国が輩出していると考えがちですが、少なくとも今日の観測に関しては日本国内で排出された可能性が高いわけです。またそれ以前にも、これまで日本の各地で観測されて中国が原因とみられていたものも、もしかしたら日本国内の誰かが原因だった可能性も捨て切れないわけです。比較的高いそのような可能性が考えられる中、日本人は国内で犯人捜しをする気があるのかと自分は問いたいわけです。

 ちょっとテンション上がっているのとここ1ヶ月不調だった体調が回復傾向にあることから妙な言い回しが続きましたが要するに何を言いたいのかというと、日本人はPM2.5の問題の責任を全部中国になすりつけようとしているのではないか、それこそ日本人自身が輩出している量に関しても、そんな疑問がもたげているわけです。この問題ではいつも中国が悪者にされるばかりで明らかに中国が無関係と思われるケースについてはスルーされることが多く、学生時代の自分のような言い方すれば、都合の悪い事実は他人のせいにして自分は素知らぬ振りでも気取る気なのかよと吐き捨てたくなります。

 結論を述べるとPM2.5が心配だっていうんなら犯人を捜せ。それでやはり中国に原因があるというのなら証拠をかき集めて突きつけ、改善しろと言うなり補償金を要求するなりすればいい。逆に日本国内の業者なりに原因があるっていう事が仮に分かったとしたら、その業者をつぶすなり設備改善を強制するなどといった対応を取るべきでしょう。もっとも、PM2.5なんてへっちゃらで自分のように始めから気にないってんならこんな犯人捜ししなくたっていいですがね。

 一応念のために最後に書いておきますが、中国の大気汚染は紛れもない事実で私もかなりリアルに体験しています。しかしそれがどの程度日本の大気に影響を与えているかについてはもうちょっと検討する余地もあり、はっきりしないにもかかわらず他国というか他人を批判するのは恥ずかしい行為だと思えるのでこういう主張をしてみたわけです。