ページ

2014年3月31日月曜日

漫画レビュー「激マン!」

 このブログについてよく、「どうして記事にするネタが切れないの?」と不思議そうに知人から尋ねられることが多いのですが、実体は逆で書きたいネタ外たくさんあるにもかかわらずほとんど書き切れていないのが実情です。今日書く子のレビューも約一ヶ月前に書こうと企画しておきながらずるずると遅れ、明日のタイミングに合わせるために今日この日に書くこととしました。

激マン!(Wikipedia)

 本題に入る前に簡単に永井氏について紹介しますが、永井氏は大学受験中に漫画家になることを志し、確かどっかの出版社に持ち込みしたところすぐに才能が認められてひとまず誰かのアシスタントにならないかと言われ、「じゃあ手塚先生」と言ったところその時に手塚治虫の職場に空きがなく、そのかわりとして石ノ森章太郎のアシスタントなり漫画家生活をスタートします。アシスタントとして多忙な生活を送る中でひとまずデビューしようと自分の作品を作ることを考え、すぐにストーリが組めるという理由からギャグ漫画を作りはじめ、それらの作品が後にチャンピオン編集長となり「ブラックジャック」などを連載させる名物編集者、壁村耐三によって見出されてプロ漫画家としてデビューします。

 こうして永井氏はギャグ漫画家としてデビューしてすぐに人気作家となり、続けざまに少年ジャンプで連載を始めた「ハレンチ学園」でその人気を不動のものとしますが、本人としてはギャグ漫画よりもストーリー漫画を以前から書きたいと考えており、そうした本人の願いからテレビアニメの企画と同時進行で始められたのが「デビルマン」でした。

 デビルマンについてこのままネタバレ覚悟で解説を続けますが、ある意味で観世懲悪に終わらないダークヒーローストーリーの作品として嚆矢となるような作品で、連載期間が短くそれほど長編ではないものの、逆に長編ではないからこそその話のインパクトは凄まじく、まだ読んでない人には強く一読することをお勧めします。この作品は「週刊少年マガジン」においてテレビアニメと同時並行で漫画が連載されたのですが、その時の状況についてこの「激マン!」は事細かに描写しています。それにしてもこのタイトル、漫画家を目指す少年二人と漫画編集の裏側を描いた「バクマン。」を露骨にパクってるな。

 話は戻りますが当初、デビルマンは普通のヒーロー物として企画が立てられたそうで実際に漫画の連載より先に放送されたテレビアニメ版はそうした描かれ方がされています。ただ漫画版において永井氏は深いテーマ性、具体的には戦争というものを暗喩させる作品として描き始め、テレビアニメ版の企画になかった飛鳥了というキャラクターを勝手に作ったりして徐々に別の方向へと突き進んでいきます。
 このデビルマンを執筆していた状況についてもこの「激マン!」の中では詳しく描かれているのですが、その中でひときわ目を引いたのは当時の永井氏の多忙ぶりです。なんでも週刊連載を三本も抱えていて一週間に執筆する原稿枚数はなんと100ページも超えていたそうです。もちろんこんなページ数を一人で書けるわけがなく自身のプロダクションで多くのアシスタントを抱え、日程を管理するため兄弟を始めとしたマネージャーも多く雇っておりました。そんな状況について永井氏は担当編集者に対して、「実は僕の今の手取り収入は同世代のサラリーマンよりも少ないんですよ」と語るシーンがあります。

 漫画の中のセリフによると、連載なんて一本か二本くらい抱える方が一番収入に良く、当時の連載本数だと執筆を維持するためのスタッフの人件費がかかりすぎて実質マイナスに近い作業量だったそうです。それでも連載を抱えたのは収入以上に漫画作品を残したいという永井氏の信念からで、また当時は体力にも自信があって二、三日の徹夜も苦にせずやれたと描かれてあります。まあなんというか、恐ろしい執念だと読んでて感じました。
 ただそんなタフな永井氏であっても、それまでのギャグ路線からシリアスなストーリーのデビルマンは執筆していて苦労が多かったらしく、その執筆にかかる労力はこれまでの漫画作品の数倍だったとしています。ただそれでもこの作品にかけたいという思いは強かったらしく、なんとデビルマンに心血を注ぐために人気絶頂だった「ハレンチ学園」を始めとした主だった当時の連載作品を終了させることにしたそうです。これには各漫画雑誌の担当も驚いて何とか連載を続けるように説得したものの永井氏は譲らず、実際に次回作を書くことを条件にして複数作品の連載を切りました。

 そうやってデビルマンの執筆態勢を整えた永井氏でしたが、徐々に作品が独り歩きし始めたというか、自分の想定とは勝手にストーリーが変わっていったと作品中で述懐しています。その動きに拍車をかけたのは漫画雑誌からの連載打ち切り連絡で、連動企画だったテレビアニメが終了することから漫画版のデビルマンもすぐに終了させるように通告されたことからでした。

 この時の状況について「激マン!」では非常に詳しく描かれており、マネージャーをしていた兄と共に編集部を訪れて何度も連載を続けるように交渉し、実際に読者人気も上がっていったことから当初の予定より終了までの連載回数を増やすことに何度か成功させます。とはいえ執筆できるページ数は限られていることからそれまで以上に展開を早めてなんとか結末へ落そうと努力するわけなのですが、漫画の中の展開がハイスペースなのと同様に当時の永井氏の近況もなんと慌ただしかったことかと思わせられるばかりでした。 

 このような背景があったことから実際にデビルマンの後半部は非常にハイスピードで展開が進んでいくのですが、その中で異色を放つのは主人公の不動明を悪魔と戦うために悪魔と合体することを提案する、飛鳥了というキャラクターです。このキャラについて永井氏は当初、不動明をデビルマンへ導く役割を終えたら死亡して途中退場するキャラクターとして用意したらしいですが、登場させたところ人気が出たためそのまま生存フラグを歩み続投し、折々でキーポイントとなっていくキャラになってくのですが、後半に至って「一体何故この飛鳥了がここにいるのか」などと、作者の思惑を外れた活躍をするようになったと描かれています。彼の正体についてはぜひ原作の「デビルマン」を読んでもらいたいのですが、彼の役割が意図したものではなくストーリーの展開から独り歩きして出来上がったものだったという事実には私自身非常に驚き、同時に永井氏は本当に勢いでストーリーを進めていく人なんだなぁなどと感じました。 

 という具合で「激マン!」の解説なのか「デビルマン」の解説なのかよくわからない記事となりましたが、当時の漫画界と永井氏の近況、そして編集部と漫画家の作品にこだわる余りの深い交渉は見ていてなかなか面白いです。ただ敢えて苦言を呈せば、作者自身が自分の伝記的作品を書くことが恥ずかしくてこの「激マン!」について、「ノンフィクションに限りなく近いフィクション」と紹介しており、作中ではややオーバーな表現も目立ちます。そのため冷静かつ怜悧な目線に欠け、その面でこの「激マン!」はその価値をやや落としているようにも見えます。恥ずかしいとは思うものの、恥を忍んで淡々と当時の状況を追っておけばよかったのにとちょっと残念な点です。 

 最後に読んでてほかに気になった点として二つ挙げると、「デビルマン」でヒロインの母親が同じ人間によって拷問されて殺されて、その死体が出てくるシーンで永井氏は最初、逆さ吊りにされた上に体が左右に真っ二つに引き裂かれた死体を描いたところ、「逆さ吊りはいいけど真っ二つは駄目」と編集部に駄目だしされてしぶしぶ修正したシーンがあります。そのシーンで永井氏は、「どうせ残酷な描写なんだからあんまり変わらないような」と書いてますが私も同感です。

 もう一つの気になるシーンですが、当時の永井氏の状況説明としてこ「激マン!」の中では数多くの彼のアシスタント作家の名前が出てきます。それも名前だけでなく各人の特徴や経歴、そして後の活躍まで事細かに書いており、本当に仲間思いの人なんだなぁと素直に感じました。その中でもひときわ高い評価をされているのが「ゲッターロボ」で主軸を担う石川賢で、彼に対して永井氏はアシスタントというよりまさに相棒と言っていいような最大級の評価がされております。 

 永井氏のプロダクションは「ダイナミック企画」という名で、ここは通常の漫画プロダクションとは明らかに趣が異なり永井氏自身も自分の作品の制作機関というよりは気の合う漫画家同士の製作集団だと述べており、実に数多くの漫画家がここから巣立っております。こうした目的を同じく行動する集団というかチームが案外二本にはないと日系アメリカ人が書いた本をこの前友人から借りて読んだのですが、明日最終報告する理研にはそうしたチームがあったのかなと思うわけで、何も問題なければこのテーマで明日記事を書く予定です。




2014年3月30日日曜日

みんなの党・渡辺代表の献金疑惑について

 体調不良ですっかりまいっている最中にまたぞろ記事化すべき政治事件が多発しているのでこれから徐々に片づけていく所存ですが、真っ先に今日取り上げるのはみんなの党の代表である渡辺善美氏の政治献金疑惑についてです。結論からパパッと書いちゃうとまず間違いなく渡辺代表は年内にも政治資金規正法違反で議員辞職することとなり、分裂したばかりでもあるのでみんなの党も解党し、残った議員は無所属となるか結の党に合流することになるとここで断言します。

 今回の渡辺氏の疑惑、ってかもうほぼ事実として確定されつつありますがそれについて簡単に説明すると、2010年と2012年の選挙の直前にDHCの吉田会長から計8億円もの融資を受けていたにもかかわらず政治資金の収支報告書に記載、報告していなかったという、構造的にはこの前会った猪瀬前都知事の事件とほぼ同じ事件です。この疑惑は吉田会 長が週刊新潮に寄せた手記から明るみに出て、その手記によると現時点で5億円超がまだ返済されていないとのことです。
 こうした報道に対して渡辺氏自身は融資を受けていたことを認めた上で、政治資金ではなくあくまで個人的な借り入れであると主張し、収支報告書に記載していなくても違法ではないとの主張を行いました。その上でではどういった用途に使ったのかという質問に対しては曖昧な回答に終始し、果てには用途の具体例として「酉の市で熊手を買った」という、小学生みたいな言い訳をする始末でああやっぱりこの人って頭悪いんだなと再認識できました。

 会見を見るだけでも渡辺氏が嘘をついていて政治資金として使っていたのだなということは十分わかるのですが、この会見に対 し吉田会長はすぐ反応し、「選挙で金が要るから金銭的な支援(具体的には3億円)をお願い」なんていう内容の携帯メールが残っているということを明らかにしました。これはテレビでコメンテーターが述べていた内容ですが、そのメールによると借り入れた資金は選挙後、当選した人数によって税金から政党へと配られる政党助成金から返済するような内容も書かれてあり、仮にそれが事実だとしたら税金である政党助成金を質にして資金を借り入れたこととなりその悪性性は非常に高いと指摘され、私もこの意見に深く同意できます。

 そもそも渡辺氏の裏金問題は今回が初めてというわけでなく、過去にはある意味で日本の政治形態を変えたリクルート事件でしっかり未公開株を受け取っており、父親 の故渡辺美智雄も「息子のおかげで総理になり損ねた」なんて述べてます。あくまで私の印象ですがこういった裏金問題を何度も起こしているのと普段の言動から見て渡辺氏は、どっかの這いよる混沌と同じで、ばれなければ犯罪じゃないと確信犯で考えている気がして、もしかしたら叩けばまだ埃が出てくるかもしれません。

 それにしても気になるのは今回の疑惑がどうしてこのタイミングでてきたのかということです。こういってはなんですがタイミングがいいというか、ちょうどこれまで幹事長を務めてきた江田憲司氏が離党して結いの党を作り分裂した直後なだけに、政治に偶然はないというだけあってどっから出てきたのかなぁと邪推したくなります。
 もっともそうやって煽りつつも、今回の一件に関しては江田氏は関与してないのではと私は見ています。根拠としては融資元である吉田会長が割とノリノリに取材に答えている様子で、単純に渡辺氏と吉田会長の仲が悪くなったというか関係悪化したことからばらされただけではないかと思えます。

 それにしても今回の融資額というか献金額は8億円で、猪瀬前都知事の実に16倍と規模だけはでかいです。重要なのはやったかどうかで金額自体は関係ないのですが、8億借りて熊手を買ったって どんだけ熊手好きなんだよとツッコみたくなる迷回答ぶりです。

2014年3月29日土曜日

何のために歴史を学ぶのか

 このブログを長く見続けている方なら言うまでもないでしょうが私は歴史が非常に好きで、大きく出るとトップとまではいかないまでも歴史の知識量が同学年で上位1%には確実に入る自信もあります。特に自分の強みとしては日本史、世界史の両方を受験勉強している上に中国史では文革を始めとした近現代史に異常なほど造詣が深く、一連の流れをそらで説明できる人物なんてそう相違ないでしょう。
 そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。

 ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
 歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。

 そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。

 そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
 更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。

 歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
 また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。

 このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。

 ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。

 上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。

 最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。

2014年3月28日金曜日

一週間ぶりの投稿

 いろいろと不審に思っていた方もいるかと思いますが、実に一週間ぶりにこのブログを更新します。

 以前に私はこのブログで、「このブログはほぼ毎日更新でしかも毎日長文を書いているだけに何の予告もなしに一週間くらい更新が無かったらみんな不気味に思うんじゃないかな」と書いたことありますが、今回がまさにそのような休載となってしまい、こういってはなんですが書く側の自分ですら不気味に感じました。実際に何人かの読者の方から「どうしちゃったの?(;゚Д゚)」と心配の声をかけていただき、なんか申し訳ないなと思うのと同時にいい読者に囲まれていることを再確認しました。

 今回更新が空いた理由はごく単純に疲労からで、先週、というよりそれ以前からあまり調子が良くなく、更新が止まった先週金曜の夜から急激に持ち崩しました。その先週の金曜日に私は既に記事にもしてますが、朝方は元気で昼には友人と一緒に池袋にある文革レストランに行ってきたほどなのですが、多分三連休に入って緊張感がすっと抜けたせいもあるでしょうが、夕方からだるくて動けなくなり、よく日曜日も家からほとんど出ず漫画喫茶にだけしか外出しませんでしたがそれでも体調はあまり復調しませんでした。でもって体力が戻らないだけでなく精神的にも常にイライラしていて、敢えて芸能人にたとえると常に沢尻エリカ氏(失礼な気もするが)みたいな具合で、言葉遣いとかもやけに荒くなってました。そして今のような感じに文章も歯切れ悪く、全部「でした」などの「た止め」が続いたりとか……。

 特に致命的だったのは日曜日で、出来るだけ長く寝ていたかったのに人が来るから朝早くに起きて対応し、しょうがないから寝れなかった分を昼寝で補填しようと別れてから昼寝に入ったらその人物から本当にくだらない理由で電話かけられ起こされて、おまけに来るなと言ってるのに家にまで来られて、これで本当に立ち直り効かないくらいに気力も体力も悪化しました。次の月曜日の出勤なんか文字通り死にそうな顔で(「死ね、死ね……」って呟きながらドアオープンだった)家を出て行きましたが、なんか職場でも「疲れてない?」ってよく聞かれました。ああ、「た止め」が終わらない……。

 そんな理由もあって意識的に休もうとしたというより、このところは素直に疲労でブログが書けなかったというのが真情で、しばらくブログを休むという告知記事すら書く気が起きませんでした。このブログで同時進行で進めている「企業居点」というサイトの構築作業も完全ストップで休むことに集中しましたが、今週は水曜日に部内の飲み会、昨日の木曜日は今年医学部に受かった友人と二人で牛角パーティをやるなどこういう時にとばかりにイベントが目白押しでした。いやどっちも楽しかったけどさ。
  しかしブログ更新を完全にサボった甲斐もあってやや持ち直したのと、明日土曜日は出勤日ですが思い切って有給を取得して休むことにしたので、今日久々の更新と相成りました。

 ここで自分の苦労自慢からやや話の方向を変えますが、今回ブログの更新をサボってみていくつか気づいたことがあります。一つは先ほどにも書いた通りにわざわざ心配してくれる読者がいることで、もう一つはやはり更新が途絶えると心配されるほど普段の更新量が異常だということ、そして三つ目に、自分がこのブログに相当な時間をかけていることです。三つ目に関してもう少し続けると、ブログを敢えて書かないで少し過ごしてみたら自分でも驚くほど一日の時間が余りました。それこそ睡眠時間もとれるし、ゲームをする時間、読書をする時間も余裕があり、言っちゃなんですがかなり楽でした。

 たまに自分でもなんでこんなに毎日記事を書くんだと、「誰のため?なんのため?5W1H?」っていう歌詞でラップが歌えるんじゃないかと思う時もあったのですが、実際に書かなくなってみるとかなり自由な時間が持てて、たまっているゲームもみんな片づけられるしまだ納得いっていない科目の勉強も出来そうで、どれだけの時間と労力、熱意をこのブログにかけているんだと我ながら少し呆れました。ちなみにこのブログの記事は一本当たり大体一時間弱をかけており、記事によっては事前に勉強したり資料を整理するので平均すると大体一時間強になると計算してます。仮にこの計算だと、私は年間で400時間くらいこのブログに費やしていることとなります。もしこの400時間を別の方面に使えば……。なんて考えもよぎらなくもありません。

 しかし、それでもやっぱり私はブログを書き続けなければならない人間でしょう。先程にも書いた通りにこの一週間は一日の時間が余ったりしましたが、この余った時間は正直に言って何をすればいいのかわかりませんでした。それだけこのブログの執筆が習慣になっているのと同時に、私個人の考えとしても折角自分が蓄えた知識や視点を世に出さないのは惜しいという気持ちが強かったです。
 このブログは自分の知識と文章力をひけらかしてちやほやされたいという下心もありますが、それ以上に自分の持っている知識を求めている人がいるなら、役に立つのなら出来るだけわかりやすく解説して届けたいという妙なボランティア精神で成り立っています。ブログを始めて間もない記事にも書いていますが究極的にこのブログは私が大学一回生の頃に、「こんなのあったらいいな(*´∀`)」と思ったものを具現化させたものです。現時点でそこそこ手ごたえも掴んでいるしいい読者にも囲まれているという点である程度この目標は達成できている気がします。

 あと、ちょっと本筋からずれますがこのところ意識している作家として松本清張と山田風太郎がおります。どちらも小説家として名を成した人物ですが、松本清張は生前、後進の育成は全くせず新人賞のパーティも嫌々そうに出ていたそうなのですが、同時代の作家によると松本清張はまだ形にしていないアイデアをたくさん抱えていて後進の育成とかやる暇あったら原稿を書いていたいというような人物だったためとされています。次に山田風太郎ですが、彼は戦前から日記を書いていてその時期ごとの事件について彼の視点で鋭い寸評が書かれてあり、当時の状況を知る一つの資料となり得ています。
 自分が何を言いたいのか詳述はしませんが、自分の一つの理想は具現化したのだから、これ以前からも意識はしていましたがそろそろまた別の概念を以ってこのブログを続けてこうかと考えてるわけです。そんなわけで明日からまた普段のペースで更新していきます。

2014年3月21日金曜日

直近一ヶ月間で閲覧数の多いページ

 最近になって友人からGoogle Analiticsで閲覧数の多いページのタイトルを表示して順位を見られることを初めて教えてもらい、密かに見ていて楽しんでいます。というのもこれまで閲覧数の多いページはアドレスでしか表示されないと思い込んでおり、検索ワードとかなら以前から見ていましたがページタイトル別ではこれまで把握しておらず、どういう傾向があるのか測りかねていたからです。
 そこで折角なので、多分興味を持っている人も多いかと思うので今日は直近一か月間における上位50位くらいまでの閲覧数が多いページを一覧にして初公開します。早速ですが以下がその順位と閲覧数です。

1 トップページ 2391
2 地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡 609
3 足利事件の真犯人について 473
4 漫画レビュー「実は私は」 398
5 ホンダ・フィットHVのリコール多発について 349
6 漫画レビュー「シドニアの騎士」 340
7 奈良ドリームランドを偲ぶ 296
8 近年の漫画雑誌印刷部数の推移 198
9 HSK5級、6級の試験対策 190
10 平成史考察~玄倉川水難事故(1999年) 187
11 ヒトラーが溺愛した姪 157
12 自販機業界の便乗値上げについて(#゚Д゚) プンスコ! 152
13 石川啄木と金田一京助 143
14 スピリチュアル体験録 140
15 猛将列伝~今村均~ 137
16 中国人の好きな男性のタイプ 132
17 中川元財務相の泥酔会見の裏側 130
18 ソチ五輪の報道を見て感じること 118
19 中小企業は本当に人手不足なのか 116
20 猛将列伝 ~宮崎繁三郎~ 112
21 埼玉県三郷市、千葉県松戸市通り魔事件の犯人逮捕を受けて 97
22 理研の会見、そしてSTAP細胞捏造疑惑について 94
23 PM2.5を排出しているのは誰か 87
24 「シドニアの騎士」の11巻について 86
25 漫画レビュー「レッド」 83
26 さようならOpera 76
27 三菱地所の欠陥マンション事件について 75
28 素顔同盟の思い出 74
29 ウクライナを巡る国際情勢 72
30 ソニータイマーの真実 72
31 こんなに上がった漫画の価格 69
32 水木しげる伝説 69
33 スズキの会長の鈴木修について 68
34 豊臣政権が崩壊した原因とは 68
35 「極黒のブリュンヒルデ」のアニメ化について 67
36 平成史考察~磯野カツオの声優交替(1998年) 66
37 このブログのアフィリエイト収入額 63
38 疲労のためしばらくお休み(ヽ´ω`) 63
39 猛将列伝~木村昌福~ 62
40 暗殺者列伝~山口二矢 58
41 房総半島自転車一周地獄の旅 58
42 漫画レビュー:怨み屋本舗シリーズ 58
43 最近なくなったコールドスリープの話 57
44 本当に強い剣客は誰なのか? 57
45 このところの朝日新聞のスクープ連発について 55
46 湾岸戦争直前における人質事件 52
47 高齢者層は本当に金融資産を蓄えているのか? 50
48 犯罪者の家族への社会的制裁について 50
49 パソコン本体価格の高騰(;´Д`) 49
50 上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る 49
51 中華料理の名前とその意味たち 49
52 家族関係が異常に希薄な日本民族 48
53 楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`) 47


  <解説>
 まず一位は普通にトップページが着ましたが、2位の「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」に関しては時期的要素が強いです。というのもこの記事は地下鉄サリン事件が起きた日である昨日にアクセス数が急増した記事で、事件を振り返る方が大量に訪れたことが原因でしょう。3位の「足利事件の真犯人について」も同じような要素を含んでおり、この記事で紹介している清水潔記者がまさにこの内容で近日新たに本を出されたとのことで、それに付随して閲覧数が増えたのでしょう。
 もっとも地下鉄サリン事件の記事に関しては事件全体ではなく医療現場の状況に限定してスポットを当てており、 なおかつ短いテキスト量で割とよくまとめられたという自負があります。この記事を嚆矢として、今後もこの事件に関してはいい記事をかけられたらとも内心考えてます。
 
 上記を踏まえ、そうなると外部的要素なしに一番人気の記事は4位の「漫画レビュー『実は私は』」 ということになってしまいます。6位の「漫画レビュー『シドニアの騎士』」にも言えますが、こういうサブカル関連の記事は検索されやすく地味にアクセスが稼ぎやすいです。特に「実は私は」に関してはまだマイナーさの残る漫画作品でレビューも少なく、このタイトルで検索かけるとレビュー記事として一番上に自分の記事が出た時は本気で焦りました。

 このほか際立っているタイトルとしては、やはり7位の「奈良ドリームランドを偲ぶ」でしょう。この記事自体は割と自己満足というかこんなん書いたってそんな反応はないだろうと思っていたら意外や意外にコンスタントに閲覧数が現在に至るまで伸び続けており、地味にこのブログのキラーコンテンツとなり得ました。うちの親戚を始めドリームランドを懐かしい世代が大量にいたのだなと再認識させられるとともに、ある意味でそういった世代にいい記事を提供できたのかなと割と満足しています。

 あと今回この順位を見て思ったのは、ブログ開設当初にアクセスゲッターだった「猛将列伝 ~宮崎繁三郎~」の記事を始め、歴史系記事がだいぶ落ちてきたなという感があります。歴史記事は社会ものと比べて時期に関係なくアクセスが来るのでブログ開設当初は意識的に多く書いておりましたが、最近だと自分でも自覚するくらい書く機会も減っており、それらが影響しているのかもしれません。


 最後に全体の特徴として述べると、本当に同じ一人の人間が書いているとは思えないほど記事内容がばらけている、と我ながら思います。漫画のレビューを書いているかと思ったらウクライナ情勢とか中国事情、スピリチュアル体験なども書いてあり、その一方で房総半島に自転車乗った話とか日本人の家族関係に関する考察も書いてあって、見る人が見たら複数人で書いているブログではと思うのが自然な気がします。もっとも私の文章は特徴がはっきりしているから途中でやはり一人が書いているとしか思えなくなるでしょうが。

 最後にこの中で自身が気に入っている記事をいくつかピックアップしておきます。ほかのはともかく最後のは書いた時期が新しいのと、記憶が鮮明というか生々しいことが影響してます。

・地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡
上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る
楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)

琴欧州の引退について(ノД`)・゚・。

 本日、前から興味があったので池袋にある「東方紅」という文革レストランに友人と一緒に行ってきました。このお店はリンク先のぐるナビの店舗内写真の通り、文化大革命期の中国をイメージした内装となっており何故か24時間営業です。私と友人はランチとしてお昼に赴いたのですが店内は自分たち以外客はおらず、出て行くまで他に人は入ってこない貸切状態でいい気分でした。
 ウェイトレスはちゃんと緑色の人民服を着ていて、ランチメニューは宮爆鶏丁や木須肉など一般的な中国の家庭料理が並んでおり、中華料理らしく料理量が多くて夜になっても私はお腹がほとんど減りませんでした。店員は全員中国人のようで(恐らく常連客も)、最初は日本語で我々に対応してくれましたが私が中国語でオーダー取ってからは中国語に切り替えてくる有能ぶり。料理はおいしく量も多く、ランチメニューの価格は500~800円とお得なので割とお勧めです。ただ今回残念だったのは、羊肉の串焼きがメニューには入っているもの材料がなく食べられなかったことです。また今度食べに行こう。

琴欧洲「体ボロボロ」涙の引退!悔いなし大関在位47場所(スポーツ報知)

 話は本題に入りますが、昨日大相撲の琴欧洲関(本名:安藤カロヤン)が引退することを発表しました。琴欧洲関に関して説明は不要でしょうが、欧州出身の力士としては初めて、しかも19場所という史上最速で大関に昇進し、2メートル超の長身を生かした懐の深い特徴的な相撲で観客を沸かせてきました。私はこの琴欧洲関が上位に昇進して来た頃にちょうど相撲を見始めたこともあり、今回の引退発表にはこみ上げ来るものがあります。実際、昨日のテレビ放送を見て本気で泣いてました(ノД`)

 琴欧洲関といったらやはりその長身が最大の特徴でもあり武器で、全盛期であれば四つに組んで後ろ回しを掴めたら反射神経が尋常でなかったあの元朝青竜関ですらねじ伏せるほどの地力を持ち合わせていました。ただそのかわりに長身というか足が長すぎるせいもあってどうしても重心が高くなりがちで突き相撲には弱く、自身も突出しなどの手がどうしても腰が入らず終生弱点として付きまとっておりました。
 とはいえ実力は高く、なんだかんだ言いながら長期間に渡って大関の地位を保っていたというのは立派な力士の証です。優勝こそ一回しかなかったものの、これは同世代に多くのライバルに恵まれた、というより白鵬関という不世出と言ってもいいほど異常に調子が安定した横綱が立ちふさがったことも大きいのではないかと私は考えます。

 そんな琴欧洲関に対してですがここだけの話、ちょっとNHKの解説は酷かったなぁとつくづく思います。琴欧洲関は先ほども書いたように長きにわたって大関の地位を守りましたが二桁勝利することは少なく、九勝六敗くらいで場所を終えることが非常に多い力士でした。この点についてNHK解説は大関なんだから優勝争いに絡むことはもとより、最低でも二桁勝利(十勝以上)をしなければと度々苦言を呈しておりました。言ってることはもっともだし、琴欧洲関へ期待を込めての発言だと思うのですが、同時期に同じ大関の元魁皇関が毎回八勝七敗という奇跡的な勝ち越しターンを一年にもわたって続けていたことに関してはスルーしてたことを見るにつけ、外国人と日本人でなんだこの温度差はと内心いい気分しませんでした。まぁ誰かとは書かないけどさ。

 話は引退の件に戻りますが、会見にて「相撲をやれてよかった」と話した上で、「白鵬関と相撲を取れたことが幸せだった」という発言をしている最中に琴欧洲関は涙を流しましたが、自分もこの時に一気にブワーって涙してました。記事にも書かれている通りこのところは大型力士の宿命とも言えますが怪我も多く、見ていて苦しそうなのがはっきりわかるのに大関から陥落しても相撲を取り続けていた姿には深く感銘を覚えていました。また彼がここまで頑張ってくれたことから同時期の黒海関、把瑠都関といった他の欧州出身力士も続き、現役のエジプト出身である大砂嵐関も続けたのだと思えます。、

 大相撲の外国出身者の参加は私見だと、「ハワイ→モンゴル→東欧→アフリカ」と徐々に広がっており、モンゴル勢に続く流れを作ったという意味では琴欧洲関の功績は非常に高かったと言えるでしょう。相撲というのはルールが非常にシンプルであるだけでなく力士の体が大きいだけに初見でもどの国、どの文化の人間でも楽しむことが出来るスポーツです。それだけに私は忍者と並んで日本が世界に放つキラーコンテンツにしたいと前から考えており、そのためには外国出身の力士をもっと増やしていくべきだと考えています。そのような観点から、琴欧洲関は今後も親方として後進の指導に当たるとのことですが、是非ともその経験を活かして新たなニューカマーの育成を担ってくれればと思うのと同時に、これまで本当にご苦労でしたとこの場で以って伝えさせてもらいます。

  おまけ
 今日「東方紅」で友人とこの話をしている際、大相撲協会はこのところ問題を起こしているから外部の元プロスポーツ出身者、具体的にはプロ野球の桑田氏などを招いてもっと改革を進めたらいいんじゃないかという話題になったのですが、

「サッカーだったら誰かいるかな?」
「ザッケローニとか呼んでみろよ。あの人歯に衣着せぬ人だからすごいことになるぞ」

 なんて話してました。ってかわざわざ休日に中華料理食うのに付き合ってくれてマジありがと。今日買ったPSVitaはまだ開封してない。

2014年3月19日水曜日

卒論に関する議論あれこれ

 先日にもこのブログに取り上げたSTAP細胞を巡る問題ですが、変に飛び火して早稲田の大学院に関してもあれこれ議論が起こっているようです。

小保方さん論文コピペ問題 「早稲田の理系はコピペで成り立っている」はてな匿名ダイアリーの記事が話題に(ガジェット通信)

 上記は昔私も一回だけお世話になったガジェット通信さんの記事ですが、この記事によると早稲田大学大学院出身の小保方氏がSTAP細胞を発表した論文だけでなく、大学院の博士論文でも大量にコピペしていた形跡があったことについて、ネット上で早稲田出身者と語る人間が「早稲田でコピペは日常茶飯事」と語っているとのことです。何故コピペをするのかというと早稲田の履行では実験などで忙しく論文を書く暇もないため、学生はおろか教授陣の間でもこうした行為が蔓延しているなどと、真偽はともかく書かれています。

 私はこの話を友人から聞き、どちらかというとその友人は学生の置かれている忙しい環境に問題があるせいでコピペもやむなしみたいな状況じゃないかという感じで話してくれましたが、その場ではあまり強く言わなかったものの、どんな理由があろうとコピペというか剽窃が許されるわけがないと私は思います。
 一言で決着付けようとするならば、仮に剽窃がまかり通るというのなら「引用」という手段が全くいらなくなります。引用なら引用と堂々と断ればいいのだし、他人の文章をさも自分が書いたように書くという行為は底意地が悪い上に非常に卑怯な行為だと私は思うゆえ、忙しいとかそういう事はまったく理由にならず小保方氏を初め剽窃をやった学生なり教授なりは相応の報いを受けるべきでしょう。第一、学問に携わる身でありながらそんな行為をして恥ずかしいと思わない時点で人間としてどうかと思いますが。

 と、のっけからかなりかっこいいことを書くなぁなんて我ながら思いますが、論文というか卒論においてちょっとした不正に自分も関わったことがあります。それはどんな不正か正直に述べると代筆で、四回生だった頃にゼミ同期生三人分の卒論を私が代筆しました
 一体なんで代筆したのかというと、当時から文章に関しては相対的な自信があったためこの機会に自分の腕を一つおおっぴらみせてやろうという妙なチャレンジ精神に溢れていたことと、所属したゼミの教授があまり指導に熱心でなく文章指導も疎かだったのに、いきなり卒論で2万字超を書かせるというのも学生にとってはやや酷だなと感じたためです。またゼミのTAがあまりしっかりサポートするような奴(元々は自分と同期の学生で今も友達)ではなかったため、ほかの同期生が卒論でまともなサポートを受けられないと見越していたこともあります。にしても、自分も卒論を書く立場だったのに随分と上から目線でさっきから物言ってるな。

 とまぁ上のような問題を抱えていたことと、みんなで笑って卒業したいねなんてとも思ってたので、「卒論で困ったら自分に相談するように」と同期生にはあらかじめ伝えておきました。何度も言いますが当時の自分も同期生たちと同じように卒論を書かなければ立場です。そんなわけで実際に相談してきた代筆してあげたゼミ同期生三人、三人とも女の子でしたが、そろそろ時効だと思うのでそれぞれの特徴を簡単にまとめます。

1、A子
 一番最初にかつかなり早い時期に相談してきたため、三人の中では最も作業がしやすかったと同時に代筆量も最も多く、結果的に卒論全体の二分の一超を私が書きました。卒論のテーマがはっきりしていたことと材料集めがしっかりしていたため一、二回聞き取りするだけで全体像が作れたのですが、最後の考察部分に関してA子はあまり具体的なイメージを持っていなかったため、この部分は全部自分が考えて書き上げました。ある意味肝な部分ですが我ながらいい考察をかけたと自負しており、この論文が所属ゼミ代表として冊子に載りました。

2、B子
 この子はA子に続いて相談してきましたが、まず卒論テーマが厄介でした。最初にやろうとしていたテーマというのが具体的には書きませんが聞いてて戦慄するほどどうしようもないテーマで、先ほどのTAの友人と二人っきりで、「あれで本気で書こうとしたらやばいよな」なんてゼミ授業の後に話したくらいです。もちろんそんなテーマで書きあげられるわけなく、最初に相談してきた際にはまだ書けられそうなテーマを構築するところからはじめました。
 このように出足こそ悪かったものの三人の中で唯一の外部生だったこともあってポテンシャルは高く、テーマを与えたら割としっかり準備してきて自分でも結構な文章量をこさえてきました。私は大体五分の二くらいを書きましたがこの子はちゃんと考察部分は自分で作ってきたので、補填するような感じで文章を膨らませただけで一応出せる論文に仕立て上げることが出来ました。

3、C子
 この流れを見ていればわかると思いますが、一番手を焼かされたのはこの子です。相談してくる時期がかなり遅く確か提出期限の二週間くらい前だったような気がします。ちなみに自分は期限の一ヶ月くらい前に書きあげてました。
 C子が相談しに来るのが遅かったのはギリギリまで自分で何とかやろうと努力する姿勢があったからですが、生憎その努力に実力が全く追いついていませんでした。B子も大概でしたがC子もテーマ設定からして結構ヤバく、まず最初に聞き取りをした時点でこれじゃ論文にならないからこういう方面からせめてこういう結論に持っていけそうな材料を集めようなどと全体像を組み上げるのに私もかなり頭使い、長い時間話し合って大体の方向性を組み上げたのを未だによく覚えてます。本当に何度も書きますが、当時の私は指導教授でもなければTAでもなく同じゼミの同期生です。
 テーマ設定を終えるとさすが自分の出身母校の学生なだけあって内部生でしたがポテンシャルだけはやけに高く、 執筆に必要な材料は比較的早くC子は集めてきました。しかしいかんせん、それら材料をまとめ上げる実力がありませんでした。なもんだから材料を集めてくるそばから聞き取りをしてどういう風な切り口で論文にするかを細かく指示した上、「こっからこの部分は君が書いて、その先の論の発展はきつそうだから俺が書く」などと、工事現場のリーダーみたいな感じで作業工程を細かく分担する計画も私が立ててました。
 最終的に私が執筆した量は全体の五分の二程度ですが、C子が書いた文章を出してくる度に何度もかなり修正していたので実際には過半数くらい書いてたかもしれません。A子と違って後半部分を私が独壇場で書くのではなく、C子の場合は出してくる文章を片っ端から書き直すようなもんだったし。
  なおこの作業は本当に提出期限ギリギリまで続けられ、確か提出日前日の時点で5000文字、原稿用紙にして10枚分くらい足りてなかったので二人で学内にある共同パソコンルームに入って一緒に作業しましたが、後半部に入って私も文章を練るのに頭を悩ませていたらそのすぐ横でC子は居眠りをしていて、さすがにこの時には温厚な私も「寝るなっ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」って起こしつつ本気で怒りました。結局、パソコンルームが閉まり切るまでに作業を終えることが出来なかったので、その後はそれぞれの自宅に帰って、作業が進む度に互いにメールを交換し合って深夜一時くらいに確か完成したような。なおその時の卒論が書かれたテキストファイルは同名だと上書きする恐れがあったので、「卒論 WRX STI versionⅥ」とか「卒論 Evolution Ⅲ」、「卒論 Spirit R」などと、送信する度に毎回趣向を凝らして変えてました。

  以上のような具合で、自分の卒論に加えてほか三人の卒論も一緒に書き上げたというのが私の四回生時代の過ごし方です。念のため書いておきますがこの三人からは特に何もお礼はもらっておらず、むしろC子に至っては卒論を提出した後の週末、漫画喫茶に行ってから自宅に帰ろうとしたところ喫茶店でバイトしていたC子に見つかり、売り上げに貢献するためケーキセットを注文させられました。もちろんこれは半分冗談でこの時は自分からケーキセットを注文しましたが、今思うとあの場面はおごってもらってもよかったような……。

  なおこの三人以外のほかのゼミ同期生は全員自分で卒論を書いてきたのですが、ほかのゼミ同期生四人中三人は中国人留学生でした。本当は日本語の長文文章に苦しむであろう留学生をメインで支援するつもりだったのになんだかなぁ。
 この三人の中国人留学生のうち一人に関しては提出前に文章におかしなところがないか見てほしいと頼まれて最終チェックを自分がやりましたが、その時に自分が指摘したポイントは以下の一つだけでした。

「ねえさ、この部分に『シェンチェン(シェンチェン)』って二度もカタカナで書いてあるけど何か特別な意味あるの?」 (「シェンチェン」とは中国の主要都市「深圳」を中国語で読んだ発音)

 これを指摘したらその留学生はえらい爆笑して、私にありがとうと言いつつ、吹き出しつつ修正してました。

 最後の最後でまた蛇足ですが、こんな風に苦労して(主にC子のせいで)卒論を提出し終えた後、ある程度やることもなくなりひゅっと手が空いたことからそろそろかなと思い、この陽月秘話を12月に起ち上げました。