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2017年4月30日日曜日

最近のカープの好調ぶりについて



 上の画像はYahooから引っ張り出してきた本日午前時点におけるセリーグの順位表です。野球データは順位表しか見慣れていない人からすればやや珍しいかもしれませんが、上記の様に勝率から得失点、そしてチーム打率や防御率なども日々こうしてデータ化され表示されます。
 上記票の通り、現在セリーグは昨年優勝した広島カープが抜きんでて首位を独走しており、一時は勝率が八割近くあった序盤と比べるとややペースを落としているものの、それでもあらゆるデータで他チームを平均的に上回り首位を維持するなど調子の良い状態が続いています。

 それにしてもこうして改めてみると、地味に本塁打と得点、盗塁、チーム打率がトップなんだな。得点に至っては二位以下をぶっちぎっており、記事の趣旨と外れてまうけど面白い。

 さてそんな今年のカープですが、日々の報道を見ていて思うこととしては先発投手陣が実にしっかりしているという印象があります。完投すること自体はほとんどありませんが序盤に最少失点でしっかり試合を作ってからリリーフにバトンを引き渡しており、見ていて大崩れすることがほとんどありません。またこれは私がカープファンでないからかもしれませんが、これまであまり見なかった先発投手の名前をニュースで見ることが多く、昨年から続くエースたちではなく新たに戦力となる投手が続々と登場している印象を覚えます。
 一体どうしてこのような好循環が続いているのか。身も蓋もない言い方をすればカープファンからも「クラッシャー」と呼ばれた大野氏が投手コーチを降りたからということもできないですが、さすがにこの理由は置いといて他の理由を挙げるとすると、一つはカープのスカウトの目が非常に的確であるからでしょう。

 ほかのチームではドラフト一位で獲得した選手が必ずしも芽が出ず埋もれてしまうことが多い中、カープの場合はドラフト上位陣が高い確率でその後チームを支えるスタメンメンバーに入ることが明らかに多いです。きちんと各選手の伸び代を把握した上でドラフトで獲得している印象があり、かねてから外国人スカウトはヤクルトと並んで定評があったものの、国内スカウトにおいても目下、「育成の日ハム」、「地元九州のソフトバンク」と並んで堂々たる実績を作っていると言えるでしょう。

 そうしたスカウト面での成功に加え、やはりここ数年で大きかったのは昨年、「減俸100%だったよ」と冗談を言いながら惜しまれつつ引退した黒田博樹投手の存在ではないかと思います。というのも現在活躍しているどの選手も「黒田さんの影響」という言葉を述べており、降板せずに最後まで投げ切ろうとする姿勢だけでなく、ピッチングや緩急のつけ方などでマウンド上で影響を受けたと話す人が多いからです。
 実際に私も上記証言の通り、黒田氏一人による影響がカープ投手陣を大きく変えたのではないかと思います。カープはここ数年で前田健太投手、黒田氏という大エース二人がチームを離れましたがそれを補うかのようにニューヒーローが続々と登場しており、むしろ年々チームとしての実力が高まっている節すらあります。彼らカープ選手自身が元々それだけの潜在力を持っていたとも言えるかもしれませんが、やはり私の目からすれば大エースの影響を各選手が受け、それを昇華してきたという風に見えます。

 このように考えると、エースという存在は組織において大事であるということがつくづく感じます。実際、ほかのチームを見ているとエースと四番の格の違いがチーム全体に敷衍するように思え、特に日ハムなんか実質エースで四番の大谷選手を欠いたことにより精彩にも欠く状態が続いています。
 個人的にケチをつけると、日ハムの中田選手は高い人気とともにその実力が評価されていますが、私個人は彼をそれほど評価していません。というのも打球は確かに飛びますが、見ていてどうもここぞというチャンスで明らかに弱いように思え、ホームランも大抵試合を左右しないどうでもいい時に飛ばすことが多いように感じるからです。逆に今、四番としてみていて凄みを感じるのは今シーズンは不調が続いていますが横浜の筒香選手で、彼が打席に立った際は試合を一振りでひっくり返しかねないような恐ろしさめいたものを感じます。

 広島の四番については、普段弄られまくってるせいで全然凄みを感じることはありませんが、それでもきちっと仕事を果たす辺りはさすがプロだという気がします。なんていうか今やもう立派なベテランなのに、なんとなくルーキーっぽい雰囲気が絶えないというのが逆にすごい。

2017年4月29日土曜日

車はパクられるうちが華

車もコンパニオンも?肩透かしの上海モーターショー(JBpress)

 また例によって上海モーターショーを取材してきた内容を上記リンク先の記事にまとめ出しました。記事にも書いてある通りに今年の上海モーターショーは目玉が少なく、またEV関連の新技術に関する出展もあまり見られず、中国のEVベンチャーのコンセプトカーくらいしか見ていて面白くありませんでした。まぁ敢えて言えばトヨタが新たに打ち出したキャッチコピーが「Toyota New Global Architecture」を略して「TNGA」と称し、壁やパンフレットなどあちこちで打ち出していましたが、何度見ても「T○NGA」にしか見えず、日本国内限定とはいえ一体どうしてこれ採用したのかと屋y疑問でした。

 さてまた例によってYahoo記事のコメントも読みましたが経済記事な上に連休中とあってそれほどコメントされていないのですが、中国なだけに「パクリモーターショー」と揶揄するコメントがいくつか見受けられました。私の目から見てもこれは確かに間違ってはおらず、やはり中国民族ブランドメーカー車は多かれ少なかれ何かをパクっており、特にトヨタの中国ベストセラー車「カムリ」の影響を受けていると感じる車が多数見受けられました。こうしてパクられることに嫌悪感を覚える日本人は多いと思いますが、私に言わせればデザインをパクられるうちが華で、パクられなくなったらそれはそれで問題です。
 何故かというと、売れていたり人気の車ほどパクられる傾向が高く、逆を言えばパクられないということは市場で人気がないとみなされているも同然です。ここ二年くらいは日本車が絶好調なために本社をパクるメーカーが増えているものの、2013年くらいは日本車が不人気で、この時のパクられ対象はドイツ車がメインでした。やはりパクられなくなるとそれはそれで寂しく、日本車がこうして中国メーカーにパクられるということはもっと前向きに見た方がいいでしょう。

 また日本だとあまりこうした話題が報じられませんが、実際には日系メーカーも散々に他社の車をパクっています。特に激しいのが軽自動車業界で、スズキの「スペーシア」なんて露骨にダイハツの「タント」をパクっており、負けじとダイハツも「キャスト」でスズキの「ハスラー」をモロパクリしています。またリアデザインだけなら異常に個性的なトヨタ「プリウス」をホンダがHV車の「インサイト」でパクリました。
 日系同士のみならず海外メーカーからも地味にパクっており、代表的なのはダイハツの「ミラジーノ」で、独ミニ「クーパー」をサイズだけ変えてパクっており、わかる人からしたら「やばいんじゃないの?」と思うくらいのパクリ具合でした。また世界のトヨタももう十年くらい前になりますが、ミッドシップスポーツカーの「MR-S」で同じくミッドシップのポルシェ「ボクスター」をパクっていました。ポルシェもよくあれで訴えなかったな。

 世の中なんてこんなもんで、私が知らないだけで現行の日系メーカー車種も実は海外メーカー車をもっとパクっているかもしれません。そう考えるなら、パクられるほど注目浴びる車を多く持っている方が華だというのが私の意見です。

2017年4月28日金曜日

アドベンチャーゲームにおけるキャラクター表現の変遷~没個性について

 パソコンデスクを変えてからキーボードの位置が素晴らしくいい位置に来たため、タイピング速度が桁違いに上がると共にミスタイプ率が極度に減りました。案外、見えないところでこうしたタイピング位置のズレが社会の効率を大きく下げているのかもしれません。うちの名古屋に左遷された親父は「HPのパソコンやとめっさ打ち辛い」と言ってましたが、私に言わせればそもそも安いだけのHPを買う時点で問題でしょう。まだLenovoの方がマシじゃないかな。

 話は本題に入りますが最近、昔流行ったとあるアドベンチャーゲームの開発者インタビューを読む機会があり、懐かしさを覚えると共に最近のゲームとの比較で考えさせられる点が多々ありました。その考えさせられた点というのは具体的に挙げると、「最近のアドベンチャーゲームはキャラクターを前面に出しており、作品全体のテーマ性やストーリーが軽んじられている傾向がある」というような指摘でした。
 多少ネタバレさせると、そのレビューで取り上げられたゲームは一見するとSFファンタジーですが裏テーマとしてはカニバリズムや近親相姦といった社会でタブーとされる概念が出てくる場面も盛り込まれてあり、私の言葉で言わせれば文学的な要素というか考えさせられる内容が多分に含まれていました。ただ、そのゲームについてはやや懐古による過大評価な面も多いのではないかという気もしますが。

 必ずしも全部の作品がそうだったわけではありませんが、確かに今現在と比べると90年代くらいのアドベンチャーゲームは作品全体を通したテーマ性が非常に強く重視されていたというのは間違いありません。一方、現代のアドベンチャーを含むゲームのストーリーではそうしたタブーに触れる様なテーマ性よりも圧倒的と言っていいほどキャラクターの造形が重視されているでしょう。キャラデザインという見た目はもとより性格やバックグラウンドなど、ライトノベルの指南本などでも「全体のストーリーはどうでもいいから読者に気に入られる魅力的なキャラを作ることが大事」という風に書かれており、現実に主人公やヒロインのキャラクター性でその手の売上げは全部決まりかねない勢いです。

 具体的に一例を挙げると、90年代におけるアドベンチャーやRPGのゲームでは主人公は「はい」か「いいえ」しかしゃべらないのが当たり前なほど没個性的でした。これはプレイヤーが主人公へより感情移入させるための措置で、何かしらの人格は与えてはならないというような不文律が少なからず当時にはありました。主人公が喋る必要のあるアドベンチャーゲームでも然りで、たとえばサウンドノベルの傑作である「かまいたちの夜」では主人公を含め登場人物はシャドウで表現され、見た目のバイアスがかからない様な処置が施されていました。
 しかし現代のゲームでは主人公がペラペラしゃべるのは当たり前で、見た目ももちろんのことその性格がどうかなどがプレイヤーに吟味されます。ヒロインキャラも同様で、悪かった例で挙げると「テイルズオブベステリア」と「俺の屍を越えてゆけ2」はそれぞれヒロインのロゼと夜鳥子の行動や性格がプレイヤーから大顰蹙を買い、ほぼこの一点でもってクソゲー扱いされる程でした。

 もちろん時代によって流行り廃りはあるのは当たり前ですが、確かによくよく考えてみると「キャラゲー」という言葉があるくらい、現代のゲームはキャラクターへの依存が強くなっている気がして、作品全体のストーリーやテーマで語られることが少なくなっている気がします。もう一つ例を挙げると、「氷点」という小説は知られていても主人公やヒロインの名前まで覚えている人は多くないでしょう。私もその口(ヒロインは「陽子」と覚えている)ですが、この作品における「汝、汝の敵を愛せよ」というテーマはしっかり覚えて今でも強く影響を受けています。

 この評論自体が懐古調なだけかもしれませんが、やはり私から見ても最近のゲームや小説はキャラクターが前面に出過ぎていて、作品全体で深みがやや足りないストーリーが多い気がします。やはりこの二つの要素は相互干渉し合い、キャラクターを追い求めると全体テーマは薄れ、その逆も然りとなります。
 特にアドベンチャーゲームでは遊んでいるというよりは遊ばされているというべきか、主体的というより受動的な印象を覚えるゲームがやはり多いです。そういった意味で敢えてこの時代に没個性的なキャラで挑むゲームがあったら遊んでみたいと少し感じたわけです。まぁドラクエはその姿勢をずっと貫いているけど。

2017年4月27日木曜日

クレジットカード情報流出したぴあという会社について

ぴあ社がプラットフォームを提供するB.LEAGUE チケットサイト、及びファンクラブ受付サイトへの不正アクセスによる、個人情報流出に関するお詫びとご報告(ぴあ)

先日、不正アクセスによる情報流出が報じられていたチケット予約会社のぴあですが、プレスリリースを読んでみたところクレジットカード情報も流出し、不正な取引も確認されていたそうです。結構影響でかいと思うのですが、ほかの大手ほどは大きく報じられていないのはまぁ運がいいでしょう。

 実はこのぴあという会社ですが、私が中国から一時日本に帰ってきて文字通り浪人していた際、中途採用で関わったことのある会社です。なんでも観光関連媒体をやるというのでライターを募集しており、中国観光関連だったらいくらでも記事書けるので応募してみましたが、結果から言うと「ヤバイ会社だな」という印象を覚えました。
 具体的に何がやばかったのかというと面接です。わざわざ夕方に来たくもない渋谷くんだりまで来て三対一で面接を受けましたが、聞かれた内容はほとんど提出済みの履歴書に書かれた内容とお決まりの「休日は何を?」という仕事とは全く関係ない趣味の話でで、また2012年に反日デモが盛んだったころに上海にいたことから「現場はどうだったのか」と聞かれ当時の状況を説明し始めたところ突然、「もういい」と、大体話し始めて2分くらいで遮られました。未だに連中は何が効きたかったのか理解できません。

 もうその時点でこの会社はないなと思っていましたが最後に質問はと聞かれ、「今回ライターを募集している観光媒体というのは冊子媒体ですか?そうであれば発刊頻度はどうなのでしょうか?」と聞いたところ真ん中の一番偉そうな野郎が、「月刊だっけ?季刊だっけ?」と、左右の二人にいきなり聞き始めました。私が知る限り、自社発行媒体、しかもそれに記事を書くライターの面接をしているにもかかわらず発刊頻度を把握していない人物がいる会社はここ以外知りません。

 このほか非常に強く疑問を感じた点としては、ライターを募集しているにもかかわらず記事を書く技術や経歴について何も聞かれなかったのは正直イカれているなと覚えました。はっきり言えばライターというのは短時間にどれだけの数量の記事を書けるかですべての価値が決まると言っても過言ではなく、きれいな文章を書けるとかスクープ物にできるのかというのは二の次です。具体的に1日で何文字の記事を何本出せるかというのが必須と思えるにもかかわらず、この方面についてこの時の面接では一切聞かれませんでした。採用した後で、記事書けないとわかったらどうするつもりだったのだろうか。

 まぁこんな具合だったので案の定お祈りされましたが、今ここの会社に私以上の書き手がいるというのなら出してみろよと一回聞いてみたいものです。

  おまけ
 同じ面接でも、お世話になった上海の新聞社では履歴書に書かれた内容については特に質問されず、「キツイしボーナスも出ないから逃げ出したくなるだろうけど逃げられないけどいいのか?」と、何度もヤクザみたいに脅されました。ただこの新聞社では、面接時の質問に一切嘘がなく、またあらかじめどういう業務内容で、どれだけハードなのかをきちんと説明してくれていたこともあって、その扱いが不当だと感じたことは一切ありませんでした。
 こうした経験から、日系企業は面接で平気で嘘をつくので全く当てにならないと割り切るようになりました。

2017年4月26日水曜日

もはや忘れられてしまった問題


 上の写真は上海モーターショーのとあるブースにあったダミー人形ですが、裸のままシートベルトに縛り付けられ俯く姿に対し妙な憐憫を感じ、気がついたら撮影していました。

 話は本題に入りますが、先日TBSがホームレスを「犬男爵」とあげつらってエンタメ性を重視した、言い変えればやや馬鹿にした放送をしたことで世間から顰蹙を買っていましたが、ホームレスらに対する世間の見方というか問題意識は昔と比べると随分低くなったなとこのニュースを見て思いました。というのも私が小学生くらいの頃は夕方のニュースで頻繁にホームレス特集が組まれ、自立への支援や行政の取り組み、あとやっぱりこの時代も変わったホームレス(国立大卒のエリートホームレスなど)を取り上げてはいたものの、ホームレスを減らさなければという問題意識は今よりかは高かったのではないかという気がします。
 もっとも、2000年代前半に天王寺公園を不法占拠して路上カラオケ店などを開いていたホームレスを行政が追放した際、関西のメディアがホームレス側が可哀相だと報じていたのは肩入れがひどすぎましたが。

 このホームレス問題と共に近年、すっかり「何とかしなければ」的な関心が薄れたというかもはや存在することに誰も疑問を挟まず、そこにあることが当たり前となりつつあるのがニート問題でしょう。ニート、当初は「引きこもり」という表現で2005年くらいまでは総称されていましたが、就職氷河期となった1990年代後半辺りから徐々にその存在が認知され始めた頃はまだ社会復帰させようというような報道が多く、また小中学校の登校拒否者もこのころ辺りから取り上げられていました。
 古い記憶をさかのぼれば90年代後半は「アダルトチルドレン」というみょうちきりんな言葉も流行ってはいたものの、更生施設めいたものや行政の訪問などがよく取り上げられていたものの、結果から言えばその後もニートの総数は増加し続け、現在ではあまり対策面についてニュースを見ること自体が珍しくなってきています。

 ホームレス、ニートともに、単純に言えば世間が関心を失ってしまったからでしょう。まだいじめ問題なんかは時たま自殺した生徒が大きく取り上げられて定期的に社会の注目を集める(そして何も対策されないまま忘れられる)ことがありますが、先の二つは今後は以前ほど省みられることはもうないような気がします。感覚的にはホームレスはまだともかく、ニートはいくら対策を施しても対策にかかる費用ほどの効果が全く見られないため、これもやや古い言葉で言えば自己責任として社会が片付けようとしているのかもしれません。

 さてそういった目で現代を見つめるとしたら、今はどんな問題が世間の注目を集めていると言えるのでしょうか。大体4秒くらいで私が思いついたのは「過労自殺」でしたが、これも賞味期限は来年位じゃないかなと予想します。ただ今後の日本は労働力不足が飲食や小売の現場などで顕在化してくるとも見られ、そうなれば案外継続して関心が持たれるかもしれません。

 最後に一言だけ述べると、別に時間と共に関心が薄れることは問題だと私は思いませんが、せめて何かしら具体的な対策を施してから忘れるべきじゃないかと思います。いじめ問題も、あれだけ大騒ぎしておきながらまた大津市でいじめの訴えを学校側が無視していたという事件が起こる辺り、何も変わっていないとしか評価するよりほかありません。

2017年4月24日月曜日

反日意識の芽

 明日はブログ書けないから今日のうちに何か一本書かないといけないのにあまり書きたいネタも浮かばないので好き勝手に書くことにして、反日意識がどこから芽生えるのかについて自己体験を踏まえて書きます。結論から言うと、日本社会だと自らの立場が不利となるからこそ反日意識を持つと私は思います。

 私が日本の事が一番嫌いだったのは大体高校生くらいのことでしたが、多分そこらの高校生と比べれば政治や社会関連への関心は桁違いに強く、当時から政治家の名前は相当数暗記していただけでなく各財政政策や法案の問題点、課題内容などは今の自分から見ても及第点出せるくらいには把握していました。普通こういった政治に関心のある若い子は自国の事が好きなり、傾向としては愛国系の思想を持つ事が多いのですが、私の場合は何故かそこまでいかず、むしろ中学位の頃の方がそういった思想を持っていました。
 では何故高校生くらいの頃に反日意識を強く持ったのかというと、言ってしまえば自分がこの社会で確実に不利な立場に置かれる側だということを暗に理解していたからです。いくらか被害者意識も入っていましたがおおむね間違っていたというわけでなく、実際に現時点でも私が日本に変えればその実力を持て余すような事態に至るでしょう。

 何故私が日本社会で不利な立場を強いられるのかというと、一つは強烈に強い自我を持っていること、二つに一切媚びることがない性格を持っているからです。

 前者については言うまでもなく日本社会では自分でものを考える人間より何も考えないで周りに流されるだけの人間の方が大事にされ、興味を持つことにのめり込んだり、受け入れられないものに強烈な拒否反応、場合によっては反抗するような自我はマイナス以外の何物でもありません。大分前にも書きましたが、たまに学校教育で自分の意見や考えを持つように教えることがありますが、こんなのは眉唾で私は日本の学校教育は徹頭徹尾自我を削ぎ落とすことに特化していると思います。

 二つ目については大学時代にロシア語講師に指摘され、当時はピンとこなかったけどここ二、三年くらいでようやく合点がいった内容ですが、基本的に初対面の人間に対して遜ったり阿ったりする態度は意識的にしないようにしています。理由は何故かというと相手がどういう人物かもわからない、下手すればどうしようもないクズかもしれないのに下手な態度に出るのはどうかという疑問心からですが、見る人によっては「なんて生意気な奴だ」と確実に思われます。
 もっとも最近は年齢を重ねたこともあって以前よりは若輩と見られ舐められることは減っているものの、やはり大半の人間から初対面の印象としては何かうまくつかみきれないような不気味さを感じたという人が多いです。

 上記例はあくまで私個人の資質ですが、これに限らなくても日本社会に適合しない要素があれば多かれ少なかれその人物は反日意識なりというか国家に対する反感を覚えると思います。もっとも反感を抱かずに依存心を抱く人間もいるでしょうし、そういった人間は逆に変な愛国心を持つのかもしれません。
 敢えて変な言葉で述べると、内部からの反日意識は国家の無関心からではなく押しつけから生まれます。外部からの反日意識は断言してもいいですがただの嫉妬です。

 現時点で私は何も日本で一人一揆を起こそうなどというような反日意識は持ち合わせていませんが、日本社会にいては才能を生かし切れず無駄に食い潰されるだけだということを自覚しているので敢えて距離を置いているところがあります。日本という国というか社会に対しては以前ほど必死で盛り立てたいとか、叩き潰してやりたいとかそういう風に思うことはほとんどなくなり、やはり他人事めいたような視点で見るようになってきています。真面目な話、日本の将来よりも鳥取県と奈良県の行く末の方が心配です。

 最後にどうでもいいことを書くと、上の段落で「一揆」と書いた箇所は最初「テロ」と書いていましたが、案外テロという単語を全部一揆に置き換えて報道していれば過激派とかも馬鹿馬鹿しくなって活動やめるんじゃないかとも思えてきました。「極左団体が上野で一揆」とか、「フランスパリ郊外で若者が一揆を計画」、「元一揆団体幹部が出所」なんて具合で。

2017年4月23日日曜日

超絶リサイクル社会、中国


 昨日、上海のニトリで上記のパソコン用デスクを買ってきました。何故これを買ったのかというと実は去年にも探した時に候補にも入っていたもののその際はもっと小さい折り畳み机を同じくニトリで買って済ませたのですが、この机はコンパクトなのはいいものの折り畳みできる脚であることからキーボードを叩くと左右にぐらぐら揺れ、壁に付けるなどして大分対策はしてきましたがやはり根本から改善するまでには至りませんでした。それでも慣れもあって結局一年強使い続けたものの、今回買ったこちらのデスクが199元(約3200円)から159元(約2560円)にまで値下がりしていたので、金額的にも迷うほどのものではないしと思って一気に購入しました。

 ただこちらの机、ニトリでは一応自宅配送サービスをしていますが休日でもなければ昼間はいないし、再配達を防ぐために職場へ運ばせても意味がないので、それならばとテイクアウトでとマクドみたいに選択したのですが、どうも中国のニトリの店員は気がきかないというか、フロアの従業員は持ち運べるような包装にすると言っていたものの、レジを済ませたあとで店員は特に何も対応しませんでした。
 さすがに素手で持って帰るとなったらえらいことだと思って、「何か取っ手になるようなのとかつかないの?」と聞いたらビニールの取っ手がついたガムテープだけ貼ってくれました。もちろん、歩いて数歩でベリベリってはがれましたけど。

 仕方ないからタクシーに乗って帰ろうと思ったら物がでかいだけに一切止まってくれず、唯一乗せてくれそうだったタクシーも私が持ってるブツをみるなり片手を横に振り「ムリムリ」という始末だったので、結局でかいダンボール抱えたまま地下鉄のりくりして家に持って帰りました。家についた時点で手首はほとんど曲がらなくなっており、改めて外箱の表示見たら12kgとか書いてあってよくこんなの担いで、しかも滑りやすいダンボールの表面を何のグローブなしでと、いつもながら自分の無駄に体力を発揮する行為に呆れました。

 その後、手首は曲がらないながらも段ボールを開けて組み立て初め、完成したのが上記の写真です。本来ならば上部パイプの上に天板がくっつくのですが、目線より高い位置に物があるのが嫌なのと、中国だと照明が全体的に薄いのでモニタが陰にならないようにとの配慮から取っ払いました。でもって引出しにはノートパソコンなのに必ず付ける外付けキーボード、テーブル右には上海大江戸温泉で買ってきたくまもんを配置して出来上がりです。
 使ってみた感じとしては以前のテーブルと比べてパソコンを置く位置が高くなったことにより気分的にも見やすくなったうえ、キーボードも手前に置けるためタイピングが格段に打ちやすくなりました。前は狭いテーブルの上にノートパソコンと外付けキーボード、マウス、くまもんを置いており、しかも高さが足らずやや首を下に向ける姿勢だったので、やはり今の方が楽なので買った甲斐はあったかなと思います。

 ただ惜しむらくは、このPCデスクは多分私が日本のマッドシティに潜伏していた際の物と全く同じ物でした。そっちのはリサイクルショップで買ったのですがまさかニトリ製だったとは。あとマッドシティにいた頃はダニに噛まれやすいことからメッシュではなく革製のPCチェア(5000円)をまたニトリで買って使ってましたが、そちらは部屋を引き払う際に友人が無言で持って行ってしまいました。
 まぁ残ってても使いようなかったからいいんだけどさ、いつか5000円分はその友人におごってもらおう。

 さてここで話は昨日に戻るわけですが、テーブルの組み立てからパソコンのセットまで終えたので、包装に使われていた段ボール一式を捨てようと外に出ました。中国ではゴミ捨て場に置いとけば大きさやごみの種類に関係なく持って行ってくれるのですが、私がそこへ捨てようとした際に後ろから、「ちょっと待った!それちょうだい!」と、おばさんが駆け寄ってきたわけです。
 恐らく、でかいダンボールだから、でかくなくてもかもしれませんけど、それなりの所へ持っていけばお金に変わるんだと思います。だからそのおばさんも私の段ボールを見るなりいきなりくれと言い、でもって「おっけー」といって渡すと本当にそのまま持って行ってしまいました。

 中国ではこういうことがままあるというか、ペットボトルもまとめて捨てようとしたら、「待て、捨てるなら俺にくれ」と確実におっさんおばさんに声かけられます。っていうかゴミ捨て場じゃなくても、適当に放り投げていたら誰かが確実に回収してくれます。
 こうした小物に限らず、以前に私が買いはしたもののあまり使いようがなく、またパーツも弱かったため折り畳み自転車を捨てることにしたのですが、その際に取った処理方法というのも自宅マンション前に鍵なしで置いた上、「捨てるから持って行っていいよ」という貼り紙をつけるというやり方でした。案の定、一時間後には誰かが持って行って跡形もなくなっていました。

 一体何故こんな風なパラダイスが起こるのかというと、ひとえに中国だとゴミやスクラップがお金になりやすいことに尽きるでしょう。どれくらいの金額になるのかはわかりませんが、ホームレスでもないにもかかわらずそれ専従で働いている人もいるようですし、また引き取ってくれる業者も明らかに日本より多いです。
 ある意味、日本もこういった廃棄物の回収価格が高ければ、みんな自発的に回収するので街中からペットボトルはなくなり、放置自転車も消え、古紙類も行政が処理するまでもなくあっという間に回収し尽くされているのかもしれません。そう考えると経済的な話で言えば、資源価格が安すぎるのは返って社会的な廃棄処理コストを生んでしまうと言え、リサイクル的にはむしろ逆効果だなとも思えます。

 中国はよく日本のニュースなどで環境汚染などがしょっちゅう取り上げられますが、草の根レベルで言えば廃棄物の回収をそこらへんのおっさんおばさんレベルで率先して行われるので、案外リサイクル社会としてみればかなり進んだ国じゃないのかなと思ったのが昨日今日の出来事です。