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2017年8月5日土曜日

特養によって介護市場は歪む?


 自分が何故保存してしまったのか理解に苦しむ画像第一弾。こうしてみると結構モデルチェンジしてるんだなこの人。

実質賃金、3カ月ぶり減少=6月の毎月勤労統計(ロイター)
『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』:書評と考察(富士通総研)

 昨日出た上の記事について後追いしようと下のリンク先を見せましたが、書いてる人は結構なお年なのに割とポップな文章書いてて読みやすかったです。本題とはずれますが、前の記事でも書いたように有効求人倍率が向上してるし景気は良くなってるなどと主張して私の記事を批判した連中は、この賃金動向を頭に入れてるのかとガチで疑問です。真面目にこのトピックこそが今一番議論すべき内容で、将来的に「雇用のミスマッチ」で糊塗されるでしょうが、現実の問題点はそこにはありません。敢えてぼかした言い方するなら、透明人間の問題でしょう。

 ここでようやく話は本題ですが、下の富士通総研の記事の中で労働集約型産業として介護業界が挙げられ、社会的需要も高く成長の期待できる業界でありながらも賃金は伸び悩んでいる元所を指摘し、労働生産性の向上が求められてるようなことが書かれてあります。
 書いてある内容はまさにその通りで至極まっとうな意見なのですが、ふとこの記述を見て、「そもそも介護市場がおかしな状態になっているのは、特養が根本的原因では?」と、思った瞬間とんでもないことを考えると冷や汗かきました。自分が何を考えたのか想像つく人はこれより先を読む必要はありません。

 説明するまでもなく日本の介護市場はいわゆる二極化が問題で、高級老人ホームと費用の安い公的な特別養護老人ホーム(特養)に需要が集中し、一番ボリュームゾーンがあるミドルクラスの市営老人ホームが伸び悩むという状態が長年続いています。逆に特養に関しては応募が集中しすぎて、入所できる空きを待つ時間が昇天してしまうくらいに長いなどと笑えない事態にも陥っているのですが、何故それほど応募が集中するのかというと単純に費用が安いからで、私営老人ホームに入れるほど余裕のない家庭も多いことから最後の一手とばかりに頼られているわけです。
 でもって何故特養の費用が安いかって、言うまでもなく公的施設であることから税金が投入されているからです。

 私が何を言いたいのかというと、特養の存在自体が介護市場を歪ませているからこの市場がおかしくなっている、といったところです。普通に考えて特養の料金体系は明らかに市場適正価格を逸脱したもので、また入所希望者が殺到するなど社会の需要を吸収しすぎている点も指摘できます。仮に特養が存在せず私営老人ホームしかなかったら、まぁどうなるかっていうところですが普通に彼らとしては助かるでしょうし、場合によっては事業拡大に乗り出すかもしれません。
 もしかしたらこの見方は介護業界従事者の間では当たり前かも知れませんが、自分は今回初めて気が付きました。市場という観点から特養を見るとその存在は歪以外の何物でもなく、こうした施設が存在していればそりゃ普通の経営者はやっていくにも障害が多いでしょう。となるとどうすればいいのかですが、単純に是正するためには道は二つあり、特養をすべてぶっ潰すか、私営老人ホームにも特養並の税金を投入するか、ここに行きつくのではないでしょうか。もちろんどっちもできるわけありませんが。

 何もこの問題に限るわけじゃないですが、最近の日本人の経済分野の意見や議論を見ていると、こうした市場単位でみる視点というのが不気味なくらいかけているような気がしてなりません。そもそも統計データなんてほとんど見ないし言わないし取り上げないし、景気がいいか悪いかを含めた経済分析をすべて個人消費だけに着目して語ろうとするように見え、なんていうか金の流れを排水口しかみていないように私には見えます。
 冒頭の求人倍率と賃金の関係性についても言及する人が少ないのではと思っていましたが、調べてみたら富士通総研を始めいくつかのシンクタンクや、富士通総研が引用した慶応大教授の本などまだこちらについては見ている人がいて少しホッとしました。

2017年8月3日木曜日

安倍内閣改造について

 今思うと7月は普通に毎日最低気温が30度、最高気温が40度超す日が連日続いていたので自律神経がやられたのかブログ書くのも非常に辛かったです。今週に入ってようやく最低気温が30度切るようになって体力的にも余裕が出てきたのですが、そしたら今度は普段の仕事の負担が大きくなり、っていうか短納期の仕事多すぎです。
 昔にも主張していますが、メーカーを中心に日本が全体でもう少し納期スケジュールに余裕を持てば、経済効率は下がるどころか上がると真面目に思います。ちなみに以前、電機大手(かつて)に勤めていた友人が「日本を支えているのは僕らメーカーだ」と言ったのに対し、「お前らが下請けいじめまくっているから日本の総幸福度は下がってるんだよ!」とマジ切れしたことがあります。

 さて本題ですがまだ完全に体力が戻ってないので余計な前置きは差っ引き、今回の改造安倍内閣について思ったことをつらつら述べると、なんで日本のメディアはこうした視点が持てないのかが気になりました。結論から言えば今更改造したところで支持率なんて上がるわけじゃないのだし、だったら初めから改造なんてせず、稲田元防衛相だけ更迭して一人誰かを入閣させればよかったように思え、私の見方としては人事内容以前、ここで改造を行ったこと自体が失敗だとか見ています。
 仮に内閣改造を行わなければ岸田氏を閣内に留められてその動きを牽制できた上、内閣改造を今行わないことで将来の切り札としてまだ使えたように思えます。恐らく今回の改造が次期総裁選までの間で最後の改造になると思え、ちょっとカード切るの早過ぎるんじゃないかという気がします。

 その上でもしどうしても改造がやりたかったというのなら、やはり人事構成をもっと考えるべきでしょう。本人は今回の内閣を「仕事人内閣」と称していますが仕事人とは程遠い野田聖子を入れておきながら何をか言わんやです。でもってなぜ野田聖子を入れたのかというと、ほかに女性閣僚に使えそうな人間が誰もおらず、女性を入れて女性票を狙うという腹積もりだと思いますがむしろ減るだろこの人だと。
 またほかでも指摘されている通りにロートルが多いのとあまり積極的に政策提言せず目立たない議員の入閣が多いように思え、サプライズがないにしてもなさすぎる陣容です。これでは支持率が上がるどころか追い詰められてカードを切ったようにしか見えないことから、多分次回の世論調査ではさらに支持率が低下すると予想します。というのも、受け皿が徐々に準備進めてきてるし。

 もし本気で改造で支持率回復を狙うのだったら、やはりある程度サプライズを入れるというか注目されている人の人事を動かすべきだったでしょう。具体的には小泉進次郎氏で、今回筆頭副幹事長にはなっていますが、筆頭なのに何故か二人いるあたり安倍首相はなめているでしょう。どうせやるなら、依然と比べ権力も落ちた役職なのだしここで幹事長に持ってくるべきだったと私は思います。
 同じく幹事長候補としては頭を下げてでも石破氏に来てもらうべきだったと思います。確執から内閣入りは難しくとも党役職であればまだ目はありそうだし、一番理想はまた防衛大臣やってもらうことでしたが、何かしら石破氏との友好アピールすることが大きなサプライズになったし次の総裁を狙う石破氏にも悪くない話だったんじゃないかなぁという気がします。

 最後に本気で安倍首相が支持率回復を狙うのであれば、今一番いい手段は次期総裁選の不出馬を宣言することだと私には思います。いうなれば総理職からの引退時期を区切ることであり、これを宣言されれば最後の花道というか同情票も沸くし、党内も次期総裁選を考慮して成果を出すため安倍政権への協力を引き出すこともできたのではないかと思います。まぁ本人は三選を狙っているから無理でしょうが、その三選を狙うという行為は私の目から見て、かなり国民の反感を買っているのではと思えてならないのですが、本人はそういうのに気が付いているのか否やというのが今回の感想です。

 っていうかやはり政治記事を書くのは早いです。これ書くの10分くらいで終わりました。

2017年8月2日水曜日

書評「『鬼畜』の家―わが子を殺す親たち―」

 前回に「アホガール」を取り上げて書いておきながら今日はこの内容を書く当たり、いつもながらその記事のまとまりのなさに自分で驚きます。記事ジャンルのまとまりのなさでいえばこのブログは日本一かもしれません。

 さて本題ですが、恐らく「でっちあげ」、「モンスターマザー」などノンフィクション系の本を買いあさっていたことからおすすめに表示されたのだと思いますが、あらすじを読んで興味を持ったことからこの「鬼畜の家」を読むこととしました。内容を簡単に説明すると、実際に幼児を虐待死させた三組の親たちについて、その事件詳細と関係者らに対し取材した内容となっています。正直、書評を書くべきかどうか少し悩んだというか、非常に書きづらい内容です。

 この本の中で紹介されている三件の虐待事例を書き出すと以下の通りです。

1、幼児を室内にテープで目張りするなど監禁し餓死させ、7年間にわたり死体を放置した父親
2、生まれたばかりの赤ん坊を出産直後に殺害し、死体を隠蔽というのを2回やった母親
3、うさぎ用ケージの中に幼児を監禁し、衰弱死した子供を山に埋めた父親と母親

 どれも本当にあったのかと疑いたくなる内容で事件発覚当時はメディアでも大きく報じられていたそうですが、自分にしては珍しくどの事件も記憶にありませんでした。それだけ幼児虐待死の事件が世の中に溢れているというか、今日も一件報じられていましたけど印象に残らないほど日常的なものになってきているのかもしれません。

 さて通常の虐待死関連報道では如何に両親がひどい人間で子供達がかわいそうだったかを軸に報じられることが多いのですが、この「鬼畜の家」ではいい意味で視点がやや異なっているというか、偏見なく事件や虐待をした親を平等に見ており、取材して得た事実を淡々と書き綴っています。その上で作者の石井光太氏は、どの事件の親も子供のことを真剣にかわいがっていた、そして異常なまでに幼稚だったという点が強調されています。
 虐待事件というと私もそうでしたが、ややもすると虐待を行った親たちは残虐な性格で、それこそ子供のことを児童手当の金づるみたいにしか考えていない奴らだと思いがちですが、石井氏はそうした点について児童手当はすべて特定人物に巻き上げられていたことなどを根拠に否定し、信じ難いことだが彼らなりに子供を愛そうとしていたということを何度も書いています。では何故かわいがっていた子供を自ら虐待死に至らしめたのかというと、それはひとえに彼らが幼稚な性格だったということが何よりも原因だとして、そのような幼稚な性格に至った背景についても、具体的には親たちの幼児期の家庭環境などを挙げつつ説明しています。

 仮に作者が取材した内容が本当に事実だとすれば、私はこうした石井氏の主張を信じます。それだけこの本で取り上げられている取材内容は説得力があり、また石井氏の丹念な取材努力には頭が下がるというか、読んでいて「よくこんな所に取材に行ったな」と思うような描写も書かれてあります。その丹念に行われた取材では虐待を行った親たちの幼少期も辿っており、案の定というか彼らは明らかに一般的な家庭で育ってはおらず、その親たちから常識では考えられない仕打ちを受けながら育ってきたことが書かれてあり、いわゆる虐待を受けた子が長じて虐待をする負の連鎖が存在していることを指摘しています。
 個人的に印象に残ったのは、彼ら虐待を行った親たちは確かに幼少期不幸な家庭環境にはあるものの、普通科の高校を卒業したり、勤務先では真面目でA評定を受けたりなどと、知能的には一般レベルにあると書かれてあったことです。特に勤務態度に関しては1番目、2番目の例などはきわめて真面目で職場での評価も高かったことはもとより、2番目の親に至っては秘密裏に出産、殺害をした前日と翌日も朝から晩までファミレスなどのバイトに出勤しているなど、どうしてこんな人がこんなことをと読んでて目を疑いました。

 ただ、既に上にも書いている通り知能的にはまともで且つ勤務態度は真面目でありながら、三例とも虐待を行った親は共通して性格が幼稚で、目の前の状況をただ受け入れるだけで現状を変えようとする努力をほとんど見せないどころか、やることなすこと小学生みたいに場当たり的な行動を取ってしまうほど幼稚であることが書かれてあります。一時期アダルトチルドレンという言葉がありましたが字面から判断すればまさにその典型と思うような人ばかりで、言い方は悪いですが何故こんな幼稚な人たちが知的障碍者とはならないのかとすら私は覚えました。
 それだけにというか、私はこの本を読んでいろいろと分からなくなってしまいました。かつて私はこのブログで虐待対策としては子殺しの親にはもっと厳罰を科すべきだと主張したものの、今現在に至ってはそれは何の解決にも至らないのでないのかという疑念が強くなっています。言い方を変えると、何が間違っていてこのような虐待死事件が起きたのかがわからず、恐らくこの本で紹介されている親たちは「彼らなり」に子供を愛していたと信じ切っており、罪の意識が全くないように思えるからです。そんな人間に厳罰を科したところで反省など起きると思えず、現在進行で虐待を行っている親の抑止力になるとも思えなくなったわけです。
 個人的な推量ですが、恐らく虐待を行って懲役を受けた親が、出所後に再び子供を作って虐待をするという事件が今後起きると思うし、すでに起きているとすら思えます。何故なら子供を愛しているし、虐待について何の呵責もないからです。

 結構だらだらと書いてまとまりがない文章で申し訳ないのですが、この本を読んだ感想として私が伝えたいこととしては、虐待への対策とは一体何なのかがこの本を読むと本当に見えなくなるということです。行政の介入とか引き離しとか事後対策手段はまだ確かに存在するものの、事前対策としての虐待を行わないようにする教育なんてのはハナから無理があるのではと、正直思います。それだけに、虐待をしてしまう人が親になってしまったらもうどうにもならないように思えてしまうわけです。

 通常、書評記事にはAmazonの広告を貼ってますが、この本に関しては読後はほぼ確実にストレスを受けるので今回はありません。自分も読了後は軽い倦怠感を覚えたほどで、その内容の価値の高さ、面白さについては太鼓判を押しますが、真面目に生半可な気持ちでは読むべきではない本なので手に取ろうとする方はその辺をよく考えた上でお取りください。

2017年7月31日月曜日

アホは明るくなきゃダメ

アホガール 1巻(ebook japan)

 試し読みができると友人に教えてもらって上のアドレスの「アホガール」1巻を読みましたが、なかなか楽しめました。内容は文字通り自慢気に「私は掛け算もできないぞ」というアホな高校生の女の子を中心としたドタバタギャグですが、アホの子以外はみんな常識持ったまともな人間で構成されるためメリハリが聞いてて面白いです。
 あとこの漫画を見て思ったこととしては、やっぱアホの子は明るくなきゃダメだということです。どんだけ周りから馬鹿にされても明るささえ失わなければ不思議とかわいく見えてくるので、学力がおっつかないと思ったらとにかくいつどこでも明るく振舞えるようになるよう心掛けるもの手でしょう。

 と、ありきたりなことを書いた上で真面目な話に移ると、アホの子でかわいいと思えるのはある意味女性だけの特権かもしれません。というよりはっきり現実を言えばアホな女の子の方が確実に持てますし、男からはそういう子が求められています。
 有名なのは慶応大の女子学生と、慶応女子の女子学生の比較です。言うまでもなく後者の方がランクは上とされ、私の通ってた大学も女子大が付属していましたが、やはり女子大の方がランクは上でした。理由ははっきりしており、男からしたら自分より学力や偏差値で上回る女の子とは付き合いたくないという感情が少なからずあり、やはりこの方面で一段低い子の方がモテてしまうわけです。

 これが逆ならどうかというか男ならどうか。言うまでもなくアホな男子はモテません。アホなヤンキー男子は思ったことをすぐ口に言う癖があるので逆にモテると聞きますが、出身大学でいえば学力順にランクが組まれ、特に医学部の男子なんか半端ない人気になります。こうなるのはもちろん、女性がそういう風に求めるためというか需要と供給バランスです。
 なので冒頭のアホガールも、アホボーイというタイトルと内容なら全く受けなかったでしょう。そしてそれは世論が反映したものです。っていうかそう考えるとなんか世知辛い気がする。

 なお最近同僚相手に、「歴女って言葉が最近あるけど、男の歴史オタがモテるって話は聞きませんよね」ということをこの前つぶやきました。普通共通の趣味があれば惹かれ合うことは数々の論文で指摘、証明されていますが、歴女と歴史オタが結ばれたなんて話はついぞ一度たりとも聞いたことがありません。
 なんて書きながら思いますが、私が今まで見てきた女性の中で自分が舌を巻くほど歴史の知識や興味が強い人間は一人たりともいません。うちの親父とその従弟(奈良在住)も、奈良県内各所の史跡を回りながら、「嫁さん連れてきても全くこの良さを理解しない」といい、「これだから九州の女は……」と愚痴ってました。まぁ関西女も同じだと思いますが。

 私の実感で述べれば、歴史への興味は相対的に男性が女性を大きく上回る傾向がある気がします。その上で言えば、歴女と名乗る女性は多分水準的にはそれほど高くはないでしょう。先ほどはアホの女の子はモテると言いましたがこと歴史に関しては歴女と名乗るくらいなら相応の知識を私としては持ってもらいたいもので、最低でも本能寺の変における明智光秀の動機候補を3つは挙げてもらわないと私は認めません。ちなみに先ほどの同僚の前で私は即興で8つくらい挙げました。

2017年7月30日日曜日

稲田騒動総括

 書こうか書くまいか少し悩みましたが、メディアがきちんと追及していないようにも感じるため私が感じた稲田元防衛相問題について書いてきます。

 結論から言えば、大臣以前に議員、っていうよりまともな社会人としてもやばい人だったのだなというのが私の見方です。安倍首相に気に入られるようになった靖国神社をやたら持ち上げる発言や、問題となった防衛相を私物化するような発言といい、恐らくこの人はあまり言葉の意味を考えずに口にしてしまう人で、靖国神社を持ち上げるような発言についてもただそれが「ウケがいい」から言っているだけで、実際はその意味や背景についてあまり考えていないのではとすら疑っています。

 続いて日報問題について、先日発表された外部調査報告書によると稲田元防衛相が隠蔽を指示したかどうかについてはわからないとしながらも、防衛省幹部から日報が存在する事が報告されていたという点については「ほぼ間違いない」とされており、稲田元防衛相もこの点についてははっきりと否定しなかったので事実でしょう。これが何を意味するかというと、国会で日報に関する報告は受けていないとした発言は紛れもない虚偽答弁だったことを示しています。
 それ以前にこの人、森友学園問題においても籠池前理事長と会ったことがないと言っておきながら記録が出てくるやあっさり発言をひっくり返すなど、ばれるとわかってる嘘を平気でつくようなところがあります。この一件があったからこそ私は初めから稲田元防衛相の発言は真実性が低いと思ってあまり信じていませんでしたが、日報報告についてこうやって虚偽答弁であることがはっきりと示されておきながら未だ国民に謝罪をせず、「党がこういう時に申し訳ない」などと言い出して一体どっち向いて仕事してるんだと、はっきり言えば殴りたくなりました。誰も言わないから私が言いますが、私は正直この人には早く死んでもらいたいとすら思いますし、死んだところで誰も損しないしむしろ余計な混乱招く人一人減って世の中は少し平和になると思います。

「陸自が情報リーク」の見方 「これではクーデターだ!」 日報問題で文民統制に深刻な懸念(産経新聞)

 日報問題に絡んで上記のような報道も出ていますが、確かに今回の「報告書は実は確認されていた」、「大臣に報告もしていた」といった情報は陸自、それも制服組あたりからリークされたものだと状況的に考えられます。これについて政権寄りの産経新聞は軍が自分らに不都合な大臣をリークによって追い出した、文民統制の危機だなどと書いているわけなのですが、産経は稲田元防衛相にそのまま留任していて欲しかったのでしょうか。だとすれば私は正気を疑います。
 またこのリークについても、仮に内容が事実と異なっていなり本来秘密を守るべきものが世に出たのであれば私も眉をしかめますが、今回出てきた情報、特に戦闘行為が周辺で発生したとする日報は本来公開されるべき情報だと思います。それが何故公開されなかったのかと言えば、はっきり言えば、「隠蔽を指示した」とする証拠はないもののわざわざ虚偽答弁をしてまでその存在を隠そうとした防衛大臣がいたからで、いわば政権側によって秘匿されたと私は考えています。

 一昨年、安保関連法案が通過して軍事機密などの情報の秘匿を行うに当たり安倍首相は「必要な情報は必ず公開する」としていましたが、現実にはそれが今回守られていなかったとこれまた私は考えます。あの安保関連法の情報秘匿は「必要最低限」である前提だからこそ認められたものでありその前提が破られたというのであれば私はやはり問題だと思いますし、法律を残そうというのなら今回本来不必要な秘匿を行った人間は最低でも処分されなければならないはずだと思います。
 その上で述べると、今回の事件は陸自側がリークしたとは思われるもののリークされた情報は本来国民に広く公開されるべき情報であり、それを隠した政権側にこそ私は問題があると思います。産経は防衛省からリークされた事実一つ取って「文民統制の危機」と書いていますが構造は逆で、公開すべき情報を隠した政権に対し防衛相が公開へ持っていくよう仕向けたというのが今回の事件であり、糾弾すべきはどっちだということじゃないでしょうか。私はもちろん、情報を暴露することがある意味仕事なのでつくべき立場は暴露側に決まっていますが。

 またそのリークによって大臣職を追われたとされる稲田防衛相ですが、別にリークがなくともこの人に未来がないのは防衛相を私物化する発言の時に決まっており、またこのリークで追われたというのもある意味自業自得です。虚偽の扇動に載せられたのではなく、嘘ついていたのがばれてこうなったというのに何を産経はとぼけたこと抜かしているのか。今回の場合、暴走していたのは軍人ではなく文民側で、産経は尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件で映像をリークした海上保安官を擁護してたというのに相手を見て言い方を変えています。

 それにしてもというか安倍首相の人を見る目の無さは毎度ながら呆れるレベルです。この際だから人事にはもう一切かかわらない方がこの人のためになるとすら思いますが、なんとなく昔「KY」と呼ばれていたころに戻りつつあるようにも見えるので、多分今年の秋には「改憲を行う」と主張して国民から大反発を買うこととなるでしょう。
 私自身は改憲には賛成ですが、上記の通り公開すべき情報を握り潰した安倍政権には改憲は任せられないように思うため、仮に安倍首相が主張したら反対側に回るつもりです。

2017年7月29日土曜日

続・ 地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡

 先月当たりのブログ記事で村上春樹氏の「アンダーグラウンド」という本を読んでいると書きました。この本は1995年の地下鉄サリン事件で直接被害に遭った、というより事件のあった地下鉄駅ないし車両に居合わせた人々へのインタビュー集で、事件のおおよそ1年半くらい経過した時期に取材が行われています。
 私がこの本を手に取るのはこれが初めてでしたがまさに私が求めていた、「オウム事件」ではなく「地下鉄サリン事件」の被害者の直接証言が集められており、また前後関係や他の証言者の話などから、恐らくは事実とは異なっている内容の証言についても証言者が話した通りにそのまま掲載されており、余計な修正等はされておらず非常に行き届いた配慮がなされています。なおこうした、「証言をそのまま載せる」というのは社会学においても重要視されており、村上氏のこうした取材の仕方にはため息が出るほど感心させられました。

 仮に今現在、同じ証言者に当時の内容について聞いたとしても、この本に書かれている内容通りの証言はまず得られないでしょう。内容が断片的になるくらいならまだマシで、人によっては証言内容がそっくりひっくり変わってしまっているということすらあり得ます。具体的には、症状の程度について「自分は大した影響を受けなかった」という証言が、「物凄い影響を受けて後遺症も出てきた」などという感じに変わる可能性があり、私自身も周囲を見ていて感じますが、時間経過に伴う記憶の最適化こと都合のいい解釈へと切り替わっていくのは現実です。
 それだけにこの「アンダーグラウンド」は唯一無二と言っていいくらいの貴重な資料で、サリン事件からもう20年超も経過した今だからこそ読まれるべき内容であると太鼓判を押します。

 ここで話を変わりますが、「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」という記事をこのブログで2010年(7年前か……)に書いています。私自身も魂を込めてというか気合入れて書いた記事でありましたが、毎年3月のサリン事件の時期にもなると検索されるためかアクセスが急上昇する傾向があり、年月を問わず長く読まれる記事をうまく作れた気がします。この記事はサリン事件当時の医療現場について書き、その中では先日逝去された日野原重明氏の陣頭指揮とともに、信州大学医学部の柳沢信夫教授の咄嗟の機転を紹介しました。その機転というのも、テレビニュースで事件が報道されるのを見るやすぐさま原因はサリン散布だと見抜いた上で、東京の各病院へサリン中毒者への治療法、対応をFAXで送信したというものです。

 その柳沢信夫氏について、実は「アンダーグラウンド」の中でも取材が行われており、恐らく上記エピソードが流布される出典はこれではないかと思います。その取材内容によると事件当時(1995年3月20日)、柳沢氏は知り合いの記者から「東京でサリン被害者のような症状の人間が出ている」という連絡を受けたのが第一報で、その後みたテレビニュースである被害者が、「鏡を見たら瞳が小さくなっている(縮瞳)」という内容を口にしたのを見て、原因はサリンだと断定したそうです。
 柳沢氏は前年の松本サリン事件で被害者を診ていたことからすぐに気が付いたのですが、この時のことについて、「もし違う日であれば対応はできなかった」と話していました。というのもその日は所属する信州大学の卒業式で、普段であれば診察作業のためテレビなんて見ている余裕はなく、偶然卒業式があったからこそ事件に気付き対応できたそうです。

 また偶然は重なるというか、ちょうどこの時に松本サリン事件対応の報告書を作成したばかりでそのゲラも自分の机の上にあったため、職員らにそれをFAXさせたそうです。偶然に偶然は重なるというかまさに不幸中の幸いともいえる背景があったからこそ、上記の柳沢氏の行動が実現したと言えるでしょう。なお柳沢氏によると、松本サリン事件で死亡した7人の中には信州大学医学の学生が一人含まれ、もし生きていればこの日に卒業式を迎えていたことから柳沢氏も事件への思い入れは強かったそうです。
 ちなみにこの時のFAXは各病院へ直接FAXしているものの、消防庁にはしなかったそうです。一応は試してみたものの電話自体がつながらず、また消防庁から各病院へ一斉に送信されるのが理想であっても実際にはそうはいかないだろうと思っていたことも口にしています。実際、その柳沢氏の予感は的中していました。

 同じく「アンダーグラウンド」では東邦大学医学部付属大森病院救命救急センターに勤務する(当時)斉藤徹氏にも取材がなされています。専門柄、多種多様な急患を相手にする医師なだけあって午前8時ごろの事件に関する最初の報道を見るや、「有毒ガスというにはサリンかシアンかどっちかだ」と即判断したそうです。斉藤氏はサリン被害と同じ有機リン中毒者も、シアン中毒者も過去に治療したことがあり対応をあらかじめ把握しており、また以前に行った松本サリン事件の講義の際に当時の報道などを調べていたこともあって、最初の患者が運び込まれる以前に院内の医師たちに準備を行っておくよう指示していたことが明かされています。

 その後、午前9時ごろに実際に患者が運び込まれてきたところ、ここで少し小さな障害が起こります。直前に現場から「アセトニトリル」が検出されたとの報道をみたことからシアン中毒だとほぼ断定していたものの、実際の患者の症状を見るとサリン中毒としか思えなかったからです。
 これは当時の報道が間違っていたわけではなく、犯人らは散布者が自爆しないよう、サリンの純度を下げるために溶剤を混ぜており、その溶剤にアセトニトリルが入っていたと推測されており、それを裏付けるようにほかの被害者の臓器から大量のアセトニトリルが検出されています。

 話は戻りますがこうした事態に対し斉藤氏は慌てず、シアン中毒の場合は緊急で治療しなければ間に合わないことからまずはシアン中毒向けの治療薬を投与し、症状が改善しなければサリン中毒向け治療薬を投与することを決めました。警視庁は午前11時頃に原因はサリンであると特定して発表しましたが、既にそのころには斉藤氏の現場では被害者はサリン中毒であると断定し、それに対応した治療も行われたと言います。またほぼ同時期に信州大学から対応に関する資料がFAXで送られてきたそうで、この資料の中でも特に「足切りのラインがわかったのがありがたかった」と述べています。

 これはどういうことかというと、症状が出てはいるものの時間経過とともに自然治癒する患者と、入院させてその後の経過を観察する必要がある患者を区別するラインのことで、具体的には筋肉を収縮後、弛緩させる際に分泌される「コリンエステラーゼ」の値がどれだけあるかで判断します。サリン中毒の場合、このコリンエステラーゼが低下するため筋肉が収縮したまま弛緩しなくなり、瞳が収縮したままとなって目が見えなくなるというのが代表的な症状です。
 斉藤氏によると、大量の患者を一人一人細かく診断するのは労力的に不可能であり、また多くの人に構うあたり重症患者へのケアが遅れてしまうという問題が当時起きており、いわゆる「トリアージ」こと患者の分別をする上で柳沢氏の資料が役立ったそうです。

 一方、消防庁からは当日の4時半ごろになってようやくサリン関係の資料が送られてきたそうです。しかし現場ではすでに治療法や対策がすべて固まっており、今更的な資料として終わったそうです。その上で事件途中で送ってこられた資料は柳沢氏のFAXだけで、先ほどの足切りのラインと言い大いに役立ったと証言しています。

 ここから個人的な感想ですが、地下鉄サリン事件の医療現場で一番役に立ったとされる情報が上記の「足切りのライン」だったというのは私にとって意外でした。てっきり治療法や経過観察などの情報化と思っていましたが、こうした大量に患者が出現する現場では如何に現場を回すか、治療の不要な患者を如何に切り落とすかという作業の重要性が垣間見え、サリン事件に限らず災害やテロ現場の治療においても恐らく同様に大事なのだと思えます。だからこそ柳沢氏も、わかっていてこの情報をきちんと盛り込んだのでしょう。
 その上で当時の現場では中央からの指示や支援以上に、現場での判断や対応によって治療が行われていたのだということも見えてきます。はっきり言えばこれはあまりよくないと言える内容で、こうした緊急事態に対し中央がどれだけ適切に動けるか、あれから時間は経過していますが現在はどうなのかという点で気になるところです。現場の努力は賞賛されるべきですが、だからと言ってそれに甘えていくというのは危険この上ないでしょう。

 まとめとなりますが改めて地下鉄サリン事件の医療現場では多大な努力と適した、というより理想的な現場判断がなされており、それによって多くの患者が救われたということが「アンダーグラウンド」を読んでわかりました。それだけに中央の遅れがちとなった対応には不安を感じますが、当時の医師や看護師たちがどれだけ献身的に活動をしていたことには間違いなく、まさにこれこそ今更的ですが、この場ながら当時医療現場にいた方々に対し尊敬の念を覚えます。
 それにしても今回取り上げた斉藤氏の現場判断力にはまこと恐れ入ります。あのわずかな情報だけで中毒症状を判断し、また実際の治療前に準備まで整えておくなどとさすが緊急医療のスペシャリストと思わせられ、中島みゆきじゃないですが「地上の星」を私は見失っていたのかもしれません。この斉藤氏は事件後も、PTSDに悩む被害者へのカウンセリング体制も組織するなどその後も活動されていますが、ネットで検索する限りだとあまりヒットしないだけに、こうした称賛されるべき人たちを紹介するというのはライター冥利に尽きます。

  おまけ
 「地上の星」の歌詞の「草原のペガサス」が「その辺のペガサス」に聞こえるという誰かの話を聞いて以来、私もそうとしか聞こえなくなってきました。その辺にペガサスがいる状況想像したらちょい笑えますが、ある意味現実もそうなのかもなと思うと笑えなくなります。

2017年7月28日金曜日

被害者証言に偏る報道

 またちょっとブログデザインをいろいろ弄って背景を変えました。これまではデフォルトでブログソフト側が用意した背景を使ってましたが、今回新たに自分で探した画像を使って、なるべく和風系で探してみましたが、背景的には文字が見やすくなり案外悪くない気がします。と言っても明日もまた探していろいろ付け替えを試してみるつもりですが。

教師「今すぐ窓から飛び降りろ」「このクラスは34人だが明日から33人だ」 小4児童に暴言や暴行
【埼玉】 「飛び降りろ」発言教諭の「処分見送りを」 保護者や卒業生ら署名活動
(どちらも「痛いニュース」より)

 少し日が経ったニュースの紹介ですが、上記はどちらも今月中旬に報じられた内容です。知ってる方には早いですが第一報は7月16日に出され、埼玉県所沢市の小学校教師がクラスの児童に対し「窓から飛び降りろ」、「明日からクラスの人数は34人から33人だ」というようなことを口にしたと報じられました。一見して私はこの報道に奇妙さを感じたのですがそれは後述するとして、案の定というか最初の報道からわずか数日後の7月22日には、最初の報道内容を否定する報道が出てきました。

 後発の報道によると、暴言を吐かれたとされる児童は問題行動が多い問題児で、新聞を破るという行動について「やれと言われたからやった」と言い訳したのに対し教師が、「飛び降りろと言われたら飛び降りるのか?」と諭しただけで、またクラス人数についても問題行動をやめないとクラスの一員にはなれないという意味で言ったとされており、実際周りの人間もわかってるから担任を擁護するための署名活動が行われているそうです。
 そして現在、この件に関する続報はピタリと止まっており、恐らく後発の報道が真実だったのではないかと私は考えます。そもそも初報の時点で何かおかしな報道だと感じていただけに、予想が当たってやったラッキーってとこです。

 なぜ初報の段階で私がおかしいと感じたのかというと、一つは暴言の内容が断片的で後発報道でも指摘されている通り、「どういう前後関係でこうした発言が出たのか」について全く触れられていなかったからです。次に、取り上げられた二つの暴言内容に脈絡がないというか関連性がなく、同じ人間が言ったとは思えなかったからです。
 最初の「今すぐ飛び降りろ」は直接的な暴言で、私だったら次に言うなら、「飛び降りないなら今すぐ首つって死ねボケが来ます。それに対しもう一つの「クラスの人数が33人になります」はどちらかというと間接的且つ陰険な暴言で、これに続くとしたら、「なんでまだ学校に来ているの?」とか、どっちかっていうとネチネチ系の発言があるはずだと思えました。はっきり言って推察の域を出ない予想でしたが、直接的と間接的の二つの暴言が混ざってて、ほんまかいなと疑ったわけです。

 では、そもそも何故実態とは異なる最初の報道が出てしまったのか。言うまでもなく理由は暴言を言われたとされる児童側の関係者が被害者の立場で一方的にしゃべり、それをほかの周辺関係者に確認しないままメディアが報じたためでしょう。それが分かっているから後続の報道がピタリと止まってしまったのです。
 この構造ですが、先月私も書評で取り上げた福田ますみ氏による「でっちあげ」、「モンスターマザー」の本で紹介された事例と全く同じです。というかこれらの本を読んでいたから、私も初報を見ておかしいと感じたのでしょうが

 被害者、と主張する側の意見が何故こうも一方的に報じらえるのか。実際に「埼玉 教師 飛び降り」と検索したらこの事件の初報のニュースばかりがヒットし、この教師の名前を晒せなどと激しい言葉が並ぶサイトが上位に来ます。というより、初報を出したメディアはまだ記事を引っ込めておらず、言い方は悪いですが未だ絶賛拡散中であります。
 いろいろほかにも言いたいことはありますが、こういう例でよく思うこととしては大学時代の倫理の授業で言われた、「被害者と加害者は対立項目ではなく、むしろ似た属性を持つ」という言葉です。一例を挙げるなら、911テロの被害者である米国はイラクに対する加害者でもあり、また「被害を受けたから」という理由は加害を行う理由となりうるということです。何が言いたいのかというと、被害者加害者の観点や構造を下手に当てはめようとすると事実が歪む可能性があり、一体その場で何があったのかというその事実だけを追うという姿勢こそが報道に必要じゃないのかなと言いたいわけです。清水潔氏も、ある意味こうした立場で南京事件を追っているからこの人は本物だと思うのだし。