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2017年11月28日火曜日

幻想に生きる日本人

 先日後輩から、「中国の事情を説明する際、必ず最初に日本を持ち上げること言わないといけないことに気が付きました」と言われました。その際の返答として、「俺の苦労が少しはわかったろう。俺が記事書くときはいっつもそれなんだぞ」と答えました。

 これはどういう意味かというと、全部が全部そうではないものの、既に中国の方が日本を上回っている面が多いということです。大都市部での生活の便利さはもとより、工場生産の技術力、コンプライアンス、麻婆豆腐のうまさなど、数え上げたら割と切りがありません。なおコンプライアンスについて先日、監査法人で働く中国人の知り合いが、

「アメリカの専門家が最近、中国企業より日系企業の方がコンプライアンスが低いと言ってた。その背景というのも、中国企業の場合は国も取引先も企業はコンプライアンスを能動的に守らないと把握して注意しているとともに、法規制も厳しく定められているが、日系企業の場合は国も取引先も企業はきちんと法律守っていると信じ込んで、相互牽制を果たしていないからだ」

 と言っていましたが、これに関しては私も全く同感です。今日も東レの件がばれましたが、日産にしろ神戸製鋼にしろ、真面目にもう中国メーカーを笑う時代ではないでしょう。

 話は最初に戻しますが、こうした日本を既に上回っている中国の面を日本人に紹介する際、それをそのまま言ってしまうとあまり具合がよくありません。率直に言って、そのまま話すと日本人は露骨に不機嫌となり、容易に反発を買うからです。なので後輩は、「日本は長年やってるだけあってこの方面は間違いないけど」などと最初に日本を持ち上げてから、「けど、最近中国も追い上げてきていて」などと、中国を一つ下に落とすような感じで話すようにしているそうです。私もそうです。

 特に私の場合、その後輩から、「花園さん、なんか狙われてるんじゃないですか?」と言われるくらいにJBpressで中国関連記事を書くたびにヤフコメが激しく炎上しますが、仮にありのまま(れりごー)に言いたいことをそのまま書いていたら、今以上に炎上することは間違いないでしょう。上記のように日本人が反発するということを私もわかっているだけに、記事を書く際は露骨に「中国の方が日本より上だ」なんて書くことはせず、所々で日本を持ち上げるような記述を入れてフォローを入れています。
 実際にそれをやった例としては中国のローコストオペレーションを紹介した際の記事で、「品質維持に関しては中国人は苦手で、日本人の方が優れている」と書いた記述です。まぁそれでも反発大きかったけど。

 そもそも一体何故このような反発を日本人はするのか。例えば、この相手が中国人ではなく欧米人だったら反発はまず来ないと思われ、それから察するに犬みたいに中国人を格下だと思い込んでいるからこその反発だと考えられます。何気に、清水潔氏も南京事件の取材で少なからずそのような格下に見る意識が自分にもあったと本の中で書いてあり、相変わらず鋭い人だと感じました。

 以上のような点を踏まえてその夜後輩に、「俺が今JBpressでやっている仕事は、ある意味日本人に現実を教えるような仕事だと考えている。はっきり言って今の日本人は現実を見ず、未だに日本は一等国で中国は格下、中国が日本より優れている点など何一つ存在しないと心の底から信じ切って、幻想の中に生きている」と話しました。これはその場限りのセリフではなく、今現在も揺るがない価値観です。
 その上で、「ある意味、俺は幻想を追わずに現実を見据え、声に出し続けたからこそ日本社会から弾かれたところもあると思う。今の日本では、周りに合わせて幻想を見ないと生きていけないだろう」と述べましたが、いつも細かく突っ込んでくる後輩もこの時は何も言ってきませんでした。

 決して誇張ではなく、今の日本人の大半は幻想の中に生きていると私は思います。そして不都合な真実、中国が日本を多方面で上回ったことやほとんど追いついているという事実には目を背け、欧米に負けることは許されてもアジアの国に負けることは許されないという妙なプライドからどんどんと現実から乖離してきているようにも思います。
 私に言わせれば、負けるのは恥でもなんでもないとは思うものの、少なくとも現実を直視できない人間には未来はないと断言できます。夢を追うのは悪いことではないもの、幻想にすがりつくのは無様以外の何物でもありません。

 何も自分が何もかもをわかっているわけではないし偉そうなことを言える立場でもないことは自覚していますが、そもそもジャーナリストを目指したのも最も真実に近い場所に立っていたいという願望からであっただけに、ただ現実を直視するという点については常に意識していたし、周りよりはずっとそれができていたという風には考えています。そんな私に言わせれば、ここ数年、具体的には東日本大震災以降から日本人はそれ以前にもまして幻想を追い求める傾向が強くなってきている気がします。

 幻想を見ながらそのまま死ぬのも決して悪くはない気がしますが、自分はそれが嫌だったからこうして今中国にいるのでしょう。それでも、やはり現実を見るに越したことはないだろうから、中国事情の紹介記事執筆という仕事を今やっているという自負があります。「不都合な真実」という言葉がある意味ぴったりですが、割と私が好きなジャンルのエログロといい、目をそむけたくなるような対象にこそ真実は宿るというのはあると思います。

2017年11月27日月曜日

日産問題の第三者報告書に対する疑問

<日産>現場を疲弊させた「原価低減推進室」の必達目標(毎日新聞)

 もはや説明するまでもない日産の検査不正について西村あさひ法律事務所が第三者報告書を出していたようですが、率直に言ってもし自分が責任者であればこんな報告書を見た時点で「書き直せ」というか、書いた奴を首にします。というのも、全く問題の核心をついていないどころか体面だけ取り繕った内容に見えるからです。

 具体的にそれはどこかというと上記リンク先記事冒頭に引用されている、検査不正が起こった背景には慢性的な完成検査員不足があると指摘している点です。
 何故ほかのメディアとかもこの点を突かないのか誇張ではなく本気で心配になるほどなのですが、今回の日産の検査不正は20年以上行われ、社内では誰も問題視せずこうしたやり方がもはや当たり前と見ていたことが窺えます。
 毎日のアホは2交代制から3交代制になって生産量が増え、現場が忙しくなり検査員が不足したとも書いていますが、肝心なのはそれ以前からも検査不正が起こっていたということでしょう。また20年間も検査員が不足するほど常に忙しかったのかというとそんなわけないでしょうし、忙しさゆえの不足というのは明らかな見当違いとしか言いようがありません。

 こうした観点から見れば第三者報告書が原因に挙げた検査員不足は私から見て理由になりません。そもそも日産としては検査員が不足しているなんて自覚は一切ないまま、忙しさに関係なく検査不正をやっていたわけです。なのでこの点に注意したところで今後の改善が期待できるわけなく、さすがに完成検査ではすぐには再不正することはないでしょうけど、まだ見つかっていない部分に関しては今後も気にせずやり続けるのではと思えます。

 このように考えると実にこの第三者調査、並びにそれに基づいた日産の改善策が如何に茶番でしかないのがよくわかります。そもそも日系企業並びに日本人は問題発覚時に限らず議論する際に論点の核心については何故かみんなして言及することを避け、表面的な問題とはほとんど関係なくどうでもいい内容、特にすぐに且つわかりやすい対策が打てる箇所を槍玉に挙げ、「この原因に対してこうします」的なクソどうでもいい対策を最後に発表することが多いです。
 一部で情報が錯綜したのか、誤解したのか、意図的に間違えたのかはわかりませんが、今回問題となった完成検査を行う完成検査員資格は国家資格でもなんでもなく、日産の社内資格でありその認定条件は各自動車メーカーによって異なります。日産側はこれまで資格研修中の作業員でも問題がいないと思って作業させていたと言っておりますが、問題がないなら研修のハードルを避け、報道では2ヶ月間の実習研修と筆記テストが必要とのことですが、これを2週間くらいの実習研修に短縮させることが最も効果的且つ実質的な対策じゃないかと思えてなりません。品質維持できるならそれで万事解決なのに。

 なおすでに述べましたが、議論でも日本人は何故か問題の核心を避けるような主張をする傾向があり、議論が進むうちにどんどんと本質とは関係ない議論に発展しがちです。逆を言えば核心に敢えて引っ張るとたじろぐし意見に詰まるので、どうでもいい相手を一蹴する際に私は、「ところで本題は?今自分たちは何について話してるの?」と言って追い込みます。ヒートアップした相手ほど効果的です。

2017年11月26日日曜日

やくざやしき

 とっくに完結した漫画ですが、先月から「そんな未来はウソである」という漫画にはまって何度も読み返しています。作者の桜庭コハル氏については「今日の5の2」、そして連載中の「みなみけ」は読んでいたのですがこの「そんな未来はウソである」については存在すら知らず、改めて読んでみて相変わらずの間の取り方、セリフ回しの妙が光る作者だと感じます。
 なおこの漫画の主人公の一人である佐藤アカネについては尋常でないくらい高い女子力スペックを誇っており、漫画の中とは言えこれだけしっかりした女の子を見るのは久方ぶりでした。

 という具合ではまっているこの漫画ですが、今日たまたま読み返した回が文化祭のシーンで、かわいい絵柄の漫画なだけにかわいい女の子が三角巾被って「うらめしやー」と言うシーンが出てくるのですが、他の登場人物からも「あんまこわくない」と言われてしまいます。これを見て、そもそもお化けの格好してうらめしやーと言っても怖がる人は現代だとそんないないように思え、ならなんだったら怖いのかと考えた際にすぐ閃いたのが「やくざ」でした。

 本気で来場者を怖がらせるなら、というコンセプトでやくざを考えると、やはり名称としては「やくざやしき」が一番適切でしょう。で、中身はどうするのかってなるとまずは入場とともに「殺すぞこらっ!」という罵声を浴びせ、物陰から怖い顔のおっさんが「夜道には気を付けろよ」と言い、後ろからは銃声、前からは小指(らしきもの)がポンポンと飛んできて、たまに後ろからドス持った若いのが追いかけてきたり、突然ライトアップでリンチされた後のおっさんが出てきて、途中のルート選択が蟹漁船かタコ部屋に分かれているようなものを想像しました。なんかそこそこ怖い気がします。

2017年11月24日金曜日

義和団事件における「北京の55日」

北京の55日(Wikipedia)

 「北京の55日」という単語はあるハリウッド映画のタイトルですが、歴史的な名称でいえば「義和団の乱」における北京籠城戦のことを指します。事件としてみるならばこの「北京の55日」という言葉が一番相応しいと思え、敢えて今回この記事の見出しに据えました。

義和団の乱(Wikipedia)

 順を追って説明してくと義和団の乱とは1900年、日清戦争の5年後、日露戦争の4年前に北京周辺で起こった外国人排斥暴動と、それに乗じて宣戦布告によって行った清政府が、日本を含む8ヶ国連合軍との間で戦った紛争を指します。義和団とはこの紛争の原因となった半宗教、半拳法団体のことで、列強各国が中国各地を植民地にして我が物顔に振舞っているのを不満に感じた民衆らが結成した団体で、主にキリスト教徒(中国人信者を含む)に対し殺害を含む排斥を行っていました。

 この義和団は割と自然発生的に生まれた団体、というより実態としてはギャングに近いのですが、この義和団に対して西太后を頂点とする清政府は鎮圧を行うどころか、自分らも列強にいいようにされていた不満もあってか、露骨な支持をしたことで義和団は余計に拡大することとなりました。そして1900年の6月に入ると義和団は首都北京にも入ってきて外国人らの殺害をし始めるようになり、これをみて西太后は突然、列強各国へ「宣戦布告」を行うに至りました。
 もっとも、宣戦布告と言ったって清側もなんにも戦争準備はしてはおらず、また当時の列強に勝つ算段も立てていませんでした。ただでさえ軍事力に差がある相手に宣戦布告、それこそ今の北朝鮮が米国に突然宣戦布告するようなもんで、清政府の宣戦を受けた列強8ヶ国はすぐに連合軍を組んで中国へと進軍し、ほぼ抵抗らしい抵抗にもならず連戦連勝で2ヶ月後の8月には北京をあっさり落とし、中国を敗戦にせしめます。なおこの時に北京の名庭園とされた頤和園が破壊されたそうです。

 大まかな歴史事実だけ見ると明らかに身の程をわきまえず、民衆暴動に乗っかる形で列強と開戦した中国がボコボコにやられて、水ら余計に植民地化を進めてしまった事件なのですが、細かく見ていくとドラマがあり、それが「北京の55日」、つまり開戦直後に北京にいた各外国公使館員らとその家族が開放に至るまでの約2ヶ月間籠城していたという情景が存在したわけです。

 上述の通りに中国は突然、明らかに非合理的な判断から列強に対して宣戦布告を行ったのですが、この突然の行動を受けて一番困ったのは、当時北京にいた外国公使館員らでした。なにせ突然敵軍に囲まれるような状況となったわけで、これを受け各国公使館に駐在していた武官、兵隊らは急ぎ終結し、対応に追われることとなりました。
 協議の結果、各公使館らは北京市内で防御線を作り、救援が来るまで籠城を行うことを決めます。この連合国籠城軍の司令官にはイギリス人武官が選ばれましたが、実質的な実戦総指揮官だったのは日本の駐在武官であった柴五郎でした。

 当時籠城したのは北京市内にいた外国公司関係者約900人と、義和団に追われてきた中国人キリスト教徒約3000人で、戦闘が行える公使館付き護衛兵、義勇兵はわずか約500人だけだったそうです。ただ清の正規軍らも外国公使らを殺害すると後々大問題になると考え包囲こそしたものの積極的には攻撃せず、実際に抗戦し合ったのは主に義和団兵らだけでした。
 柴は英語、中国語、フランス語など語学に長けていたことから各部隊の意思疎通を仲介し、また現地にいた民間人からも協力を得ることで、連合軍らの北京入城によって解放されるまでの約2ヶ月間の包囲戦を見事に守り抜きました。この柴と日本兵の活躍は事件後、各国代表らからも大きな称賛を受け、特にイギリスからはビクトリア女王からも勲章を得たほか、この時知遇を得たイギリス外交官との交流が後の日英同盟の礎になったと評価する声もあります。

 今月の文芸春秋で「義和団事件で連合軍を率いた柴五郎」という記述があるのを見て今回私も初めて彼のことを知りましたが、柴の軍歴以上に義和団事件においてでこんな籠城戦があったのかという事実の方に驚きました。同時に、当時解放することもしなかった清政府はつくづく危機対応の悪い連中だったんだなと思えてなりません。

 この義和団事件後、柴は日露戦争にも従軍し、会津出身者という来歴が祟ったのか一時は閑職に回されたりしたものの、最終的には陸軍大将にまで上り詰めています。ただ個人的に彼が不幸だったと思うのは非常に長生きしてしまい、85歳の折に1945年の終戦を迎えてしまっています。当時とっくに軍を退役していた柴は終戦直後に自殺を図り未遂に終わったものの、結局はその時の傷がもとで同年末に亡くなっています。
 柴は生後すぐに故郷の会津藩が戊辰戦争で敗北したことで、数人の兄を除き両親を含め家族はほぼ全員亡くなるという不幸に遭っています。そうした生い立ち、北京の55日での奮戦、そして退役後の自決を見ていると、人の生き死にの不思議さというか皮肉さについて考えさせられる人物だというのが私の偽らざる感想です。

  おまけ
 映画「北京の55日」では柴の役を伊丹十三が演じていたそうです。

2017年11月23日木曜日

中国の自動車メーカーが見えない理由

 今日、約1年ぶりに上海大江戸温泉に行ってきましたがその際に乗っていた自転車のペダルがやけに軽いように感じ、ギアがおかしいのかと思うくらいに普通に乗っていていつの間にか重たいギアにまでシフトアップしていることが多くありました。その反動からか、今めっちゃ腰から下がやけに重くてしんどいです。

 さて話は本題ですがコメント欄で、「中国の自動車メーカーは何故なかなか世界レベルのメジャー企業にならないのか」という質問を受けました。この質問に対する回答は観点をどこに置くかで変わってきますが、敢えて一番わかりやすい回答でいうならば「見えないから」というのが最も適当であると考えます。
 なお関係ありませんが今普通に「うみねこのなく頃に」のBGM聞きながら書いており、上の段落書きながら作中に出てくる「愛がなければ見えない」というセリフが思い浮かびました。まぁあの作品、トリックに関してはでたらめもいいところって気がしますが。

 本題に戻します。何故「見えないから」が中国の自動車メーカーが世界メジャーとならない理由になるのかというと、私個人の観点でいえば、日本人には中国の世界メーカがどのように世界進出しているのかが全く見えないし、わからないし、報じられないからそう思うのではという風に考えています。
 以前たまたま知りましたが一応日本にも中国、それも外資との提携のない民族系メーカーの輸入代理店とかあるそうですが、日本の街中で中国メーカー車を見ることなんてまずあり得ないでしょうし、実際にどんな車種があるのかなんて、「HAVAL」なんて言っても反応できる日本人なんていないでしょう。

 では日本で販売されない、走っていないから中国メーカー車は価値がないのか、評価されていないのか?これに関しては議論の余地がまだありますが、そもそもの前提として日本は世界的にも異常なレベルに国産車種の比率が多く外国車の少ない市場であります。イタリア車なんてほぼ見かけないし、ドイツ車もベンツやBMWといった高級車は人気がある者のVW系車種ともなると少ないし、アメ車に至ってはフォードが完全撤退するくらい売れません。
 このように日本国内だと、市場に外国車が極端に少ないため、自動車の世界市場における力関係がやや見えづらい環境にあります。ただこの点を考慮したとしても、中国の民族系自動車メーカーのブランド価値は世界で高く認知されているかと言ったら、現状はまだまだでしょう。

 つまり、ブランド価値が低いから中国の民族系自動車メーカーはまだまだ、かと判断できるのか。この点について私は疑問視しており、少なくとも日本人が思ってるよりかは民族系自動車メーカーは世界市場でのその存在感は小さくない気がします。こう思う理由としては、中国車は日本や米国といった先進国市場ではなく、発展途上国市場を中心に攻めているからです。

 中国車の最大のメリットは技術でもデザインでもブランドでもなく、言うまでもなくコストこと値段の安さです。いわゆる安かろう悪かろう的なこのコストメリットは先進国ほど通じづらく、逆にともかく走ればそれでいいと思われるアフリカや南米などの発展途上国では威力を発揮し、中国の各メーカーもそれが分かっているから海外進出に当たってはこうした国々を攻めています。そのためブランド力は育ちはしませんが、世界における存在感は確実かつ年々と高まっているのではと私は見ています。
 実際、街中で走っている中国車を見ていても、かつてはいかにも貧相なデザインだったのが最近は欧米系メーカーにも劣らないくらいに洗練されてきて、実際に運転して性能を見てみたわけではないものの、技術力などの点では確実に向上していると感じます。しかし、発展途上国市場に進出している事実や、こうしたデザインの洗練具合について日系メディアはまず報じることなく、むしろ最近は全く見なくなってきた日本車のデザインをパクった車探しに躍起になってます。こんな状態では、中国メーカーがどのように躍進しているかなんて判断はできないでしょう。

 自分もこの点を最近憂慮して、割と楽にまとめられそうなので中国の民族系自動車メーカーを紹介する記事でも書いてみようかなと考えてもいますが、とにもかくにも日系メーカーは彼らを軽視し過ぎです。ブランド力は確かにまだまだ低いものの、実力に関しては確実にその差を詰められており、特にEVへの転換に関しては日系よりも進んでいることから今後どうなってくるかはわかりません。
 内容をまとめると、ブランド力がないため世界的メジャー企業はまだ生まれてはいないものの、中国自動車メーカーの世界市場における存在感は確実に増してきているというのが私の見解です。

 敢えて、中国メーカーがブランドを持てるようになるにはどうすればいいかを考えるならば、やはりF1かWRCに参加するのが一番手っ取り早い気がします。っていうかさっきWRCの参加チームを確認しましたが、トヨタ、フォード、ヒュンダイ、シトロエンのたった4チームしか参加してないようです。三菱、スバルはもとよりランチアの名前すらないWRCに価値があるのか、改めて考えてみるとすごい疑問です。なおゲームのグランツーリスモではWRCの雪原ステージをGDB初期型で走るのが得意だし一番好きでした。

2017年11月21日火曜日

賃上げ企業の減税案について


 ドミネーター売ってた。もし手にすることがあれば、教育現場にいる人とかの犯罪係数測りたい。

 話は本題ですが、日本の報道で企業が内部留保溜めてばっかで全然賃上げに回らないから、賃上げを実行した企業には法人税で優遇、つまり減税を行うという案を政府が検討しているそうです。結論から言えば方向性としては間違ってはいないと思うものの、化けの皮剥がれるけどいいのって感じです。

 大半の日系企業、特に大手メーカーほどこの傾向が激しいですが、業績が向上している企業は一体どうやって業績を上げているのかというと、単純に人件費を以前より圧縮しているだけというケースが非常に多いです。純利益は増加しているものの売上げは減少しているという企業がまさにこの典型で、こういった減収増益企業は基本的にはビジネスモデルに大きな問題を抱えている企業とみてほぼ間違いないでしょう。
 未だに日産について「カルロス・ゴーンは人を切って業績回復しているように見せかけているだけだ」とむやみやたらな批判して、産経に至ってはゴーンのいる前から行われてきた検査不正についても「ゴーンのせいだ」と主張するというアホ、っていうか神経疑う記事を書いていますが、現実には日産は売上げなども増加していてこの批判は当たらず、逆に他の日系企業でいわゆる「ゴーン流」とされる、正社員を非正規社員に切り替えたり、賃金カットなど人件費を抑えて増益と主張している会社が多いです。

 そのため仮に企業の内部留保を取り崩すために賃金上昇を促して、それを実際に実行した場合は、恐らく少なくない会社で減収増益から減収減益へと切り替わり、上場企業なんかだと化けの皮が剥がれるかのように企業経営に疑惑の目が向けられることになるのではという気がします。もちろん経営者たちもそれが分かっていると思うので、わざわざ実行するような馬鹿なのはそんないないでしょう。

 ただ、最初にも書いた通りにこの政策の方向性は間違ってはいないと思います。そもそも企業の国内売上げ(中国にいながら「国内」というのもなんだが)が伸びないのは労働者の賃金がこの20年であり得ないくらい目減りしているからで、企業の国内売上げを高めていくためには先にまず賃金を上昇させる必要があるでしょう。なもんだからどうせやるなら問答無用で内部留保を取り上げるような強い政策を打ち出した方がよく、投資家の側としても配当に回す圧力と捉えられれば株価の更なる向上も見込めていいのではと思えます。
 まぁ、どうせやるならいちいち議論せずさっさとやれって感じですが。実行するにしても、現時点で既に五年は遅いというのが私の見方です。

  おまけ
 昔、日産の香港法人に電話かけて中国事業戦略について聞いたところ、「うちのゴーンも言ってたように……」と言われ、なんか犬みたいな呼び方すんなと強く印象に残ってます。

2017年11月20日月曜日

久住昌之氏の上海ライブ


 深刻な体力不足のため記事書くのが大分遅れましたが、先々週末に上海で催された漫画&ドラマ「孤独のグルメ」の原作者である久住昌之氏が率いる「スクリーントーンズ」のライブに行ってきました。


 久住氏については原作者というよりドラマのエンディングに出てくる「ビール飲むおっさん」の方が通りがいいかもしれません。上の写真はライブ冒頭で流されたドラマでおなじみのシーンですが、実質このドラマは主役は二人いると言っても過言ではないでしょう。

 今回行ってきたライブについて説明すると、夏頃に友人の上海人が「久住ちゃん来るから一緒に見に行こうよ!」と誘ってきたことから参加したものでした。友人とその嫁は元々ドラマも気に入っていたことからものすごい乗り気で、自分の分のチケット予約もお願いしていたのですが、当日会場に来てチケット購入番号を見ると2~4番と早く、値段が一回り高いVIPチケット購入者のほぼ次くらいに会場へ入れました。
 会場にはライブハウスが開いた間もなくはそうでもなかったものの、開演時間前にもなるとどんどん人が入ってきて実質満杯状態でした。我々は購入番号が早かった上に早めに会場入りしたことでほぼ最前列に近い位置に立てましたが、少しでも遅れていたらこんな写真は撮れなかったでしょう。そういう意味では友人夫婦には感謝です(チケット代をあらかじめ送金しておいたのに、当日また要求されましたが)。

上海市内で撮影されたロケ番組

 表向きは音楽ライブではありますがやってきた客としてはやはり「孤独のグルメの人」を見に来たわけで、そうした期待に応えるかのように開演序盤は久住氏と通訳の対談が行われ、また今回の上海来訪に合わせ街中で食べ歩きした姿を撮影した映像が流されました。
 その映像の中では臭豆腐と蛇の唐揚げをどちらも「おいしい」と言いながら食べてましたが、臭豆腐には豆板醤をごってりつけて食べており、見ている観客も「えぇっ」って声上げてました。
 なお対談の中で、「(ドラマの)1シーズンで大体50~60曲作る」と話していました。

演奏中も常に笑みを絶やさない 

 大体開演30分後くらいから他のバンドメンバーとともに演奏が始まりましたが、何気に音楽ライブに私が参加するのはこれが初めてです。当時、めちゃくちゃ体力を消耗していたこともあって2時間立ちっぱなしは非常にしんどかったですが、演奏していた彼らは1時間半くらいフルに動き回ってることを考えると頭が上がりません。

ウクレレに持ち替え 

 会場は圧倒的大多数が中国人で、自分を含めごく一部に日本人が混ざっていた感じでした。中には日本語を唱える中国人客もいましたが、それだけ「孤独のグルメ」がこちらでも受けているということでしょう。

ビール乾杯で締め(観客はビール無し)

 この日は昼と夜にそれぞれライブが催され、自分と友人夫婦は昼の部参加でした。夜の部も大盛況だったらしいですがライブ冒頭時に久住氏も、「中国だから人集まるのか心配ではあったものの、こんなに集まるとはいい意味で予想外だった」と言っており、これは私も同感でした。
 なお帰り道、友人の嫁が日中合作の「陰陽師」というスマホゲームにはまっていることを聞き、「日本は昔から陰陽師が式神使って戦わせる文化があったから、ポケモンが生まれたんだよ」と昔友人が言ってたことを教えたらものすごい感心されました。っていうか冷静に考えてみると、日本人は昔から自分の手を汚さずに手下を戦わせるんだなと思うとなんか変な気持ちになりました。